若女将の修行日記

『写真館の若女将・成長記録』のはずが、いつのまにか『若女将のおとぼけな毎日』になっていました。

あと18年後には、

2012-03-31 21:13:28 | 日々雑多

放っておくと、これが意外と、おどおどとした引っ込み思案な性格なんです。家族や、慣れた仲間の中に入れば、伸び伸びとした明るい性格なんですが。いわゆる『内弁慶』な大人か、と。子どもの頃はもっと自由な子どもだった気がしますが、ま、誰でもそうか、大人になれば変わるか。

 

会社勤め(内勤)だった頃は、数日経って慣れてくれば、後者の自分になれますから問題なく、いつも楽しく、どこでも『明るいおぐちゃん(ある時代は『明るいまつもとん』)』でしたが、今の仕事は一期一会なので、割と最初はストレスも感じていました。たとえば、職員室に入るとき。たとえば、集合写真の号令をかけるとき。

 

でも私はある方法を見付けたのです。それは「導入時に、腹から声を出す」こと。合唱団員なんだから、今更なんだよ~ですが、これが意外と実行出来てなかった。だから、今は、大きく息を吸って、

 

「失礼しまぁぁぁす!マツモト写真ですーー!」

や、

「はーい!今日は卒園おめでとーー!さー、この子がお祝いに駆けつけてくれたよー、この子はだーれだ!?『あんぱんまーーん』!!」

と、

 

ちょっと浮くくらい大きな声で言うようにしています。

「お、マツモト写真の若女将は元気印だな!」と思っていただけるかもしれないし、自分を奮い立たせるために特段の努力をしなくても、その一言がスイッチになって、「私はとても元気印なのだ!物怖じしたりしない性格なのだ!」と、自分を信じ込ませ、その後自然にそんな言動が出来る気がするんです。60歳までには、大きく深呼吸をしなくても、自然とそんな自分になれるように、なりたいです。

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君がいなくちゃ

2012-03-29 23:47:36 | 日々雑多
メガネが見付からない!メガネをかけないで、メガネを探すのは本当に大変なことで、しかも無い時に探せば大抵は見付かるポイントにも無い模様。


仕方ないから、今夜はもう寝よう。


メガネがある時代に生まれて良かったなー。メガネを発明してくれた人には感謝しなきゃなー。



(追記)
読みかけの本に挟まってました。無事再会。

曲が産まれる

2012-03-26 13:20:19 | 音楽(足利市民合唱団)

歌うとか、演奏するとか、速く泳ぐとか、遠くへ飛ぶとか、そういうのは、理解はできます。才能と努力等があれば、こーやって、そーなって、あーなるんだよな、と。

 

そんな中、理解できないことの一つは、作曲。特に、オーケストラとか、合唱とか、音が重なっていくのを、一人の人が作る技は、どーいう作業が頭の中で行われると、「あーなる」のか、全く皆目理解ができないです。だから、興味津々。曲が「産まれる」瞬間に立ち会うのは、ものすごく興奮します。多分、曲が産まれる瞬間って色々な定義が可能なんだろうけど、私は、作曲家が書き記した時点や、ポロンとピアノで試演した時点じゃなくて、きちんと舞台で演奏された時点、と感じてます。

 

昨日は、「ヴォクスマーナ(藝大OBOGにより構成された1人1パート編成による声楽アンサンブル)第26回 定期演奏会」でした。よほどの撮影が入っていない限り、二代目も「いーから、行ってきなさい」と送り出してくれる、私の半年に一度のご褒美です。この団体は、毎回4曲歌うのですが、必ず「委嘱新作初演」の曲を舞台に乗せてくれます。そう。曲が産まれる瞬間を聴かせて(見せて)くれるんです。飾りっけもなく、楽器もなく(時々タンバリンとか風船とか使われたりするけど)、10名前後のメンバー(曲により変わる)が淡々と舞台に並んで、何事もなかったような顔をしてどえらい難しそうな曲を歌いきって、拍手に対してチョット微笑む程度で、淡々と舞台から降りていく。そんなことが数回繰り返される2時間。

 

ものすごい静かな現場で、客席にも一種独特の緊張感があり、私はいつも4曲終わると、ものすごく疲れます。消耗するっていうか。で、最後にアンコールとして、伊佐治直さんという作曲家の方の曲(毎回、新曲初演!)も聴くことが出来ます。それは、多国籍未体験料理を4品食べた後に、上質のミルクと卵で作ったあったかいプリンが出てくるような、そんな感じ。どんなに心がささくれ立ってても、この演奏聴いたら優しくなれるよ。

 

足利へトンボ帰りして、撮影を中断して待っていてくれた二代目と、夜中まで仕事をしました。限界が近づいてくるといつも二代目を助けてくれる中島みゆきさんと一緒に、「嗚呼~、春は~過ちの源~♪」と歌い、ヴォクスマーナの余韻も何もあったもんじゃないな、と思いながらも、こうやって私が一所懸命「生きてる」現代で、曲がまさに「産まれた」瞬間に今日も立ち会ったんだよなぁ、と妙にしみじみ嬉しく思ったのでした。

 

 

 

ヴォクスマーナ行く度にブログ書いてるけど、なかなか伝わらないかー。行かなきゃ分かんないんだよ、この演奏会は~。次は、9月5日夜7時、東京文化会館です(ファンクラブとして宣伝もちょっとしてみた)。


Down, down, down.

2012-03-23 02:32:18 | 日々雑多

ちょっと忙しい日々に戻ってます。例年はこの時期、「うへへ~。超ヒマ~。」ってぶらぶらしてるんだけどなぁ。ま、そんな年もあるのですね、モチロン有難いことです!

 

で、例えば9時間立ちっぱなしで撮影しっぱなしで・・・というような日、決まって感じるのは、布団にカラダがぐんぐん沈んでいく感覚。ストップしないで、どんどん落ちていく感じがするのです。その感覚がある日は、「あー、本格的だ」と思います。そして、ある3日間を思い出します。

 

それは、新入社員になった初日から3日間の記憶。毎晩、布団に吸い込まれていく感じで、「社会人ってこんなにくたびれるのか。私に続くのか。」と不安でした。でも、その1週間後には出勤するのが楽しくて楽しくて仕方なくなり、2週間後の新人歓迎会(銀行の担当理事というエライ人も参加したオフィシャルな会)で、「とっても楽しいです!日曜日の夜は、明日月曜日だ!銀行に行ける!と思います!!」と、挨拶して、部署内で『変な新人』枠を確保しましたが。

 

この春にも、たくさんの人が新しい場所でスタートすることでしょう。新入社員も、転勤する人も、転職する人も、新しい学校に進む人も。みんな最初はキツいと思うけど・・・「頑張って!」。


こーでねーと

2012-03-21 08:29:56 | 日々雑多

最近、気が付いたことがあるんですが。私、どうやら「水玉模様」(まぁ、今どきのコトバで言えば、『ドット』ですか)が、好きらしい。

 

先日も、スーツの下に着るシャツを選んでいたとき、二代目に「こっちは?」と尋ねられたのに対し、「うーん、でもストライプより水玉がいい。」と答えていたし、ふと気付けば、4足1000円靴下まつり会場で「水玉、みずたま……」と呟いて探している自分が居ました。ふふ、海部さん、ついに私にも来ましたぜ、水玉模様ブーム。

 

今日は、タンクトップもパンツも靴下も水玉模様!誰にも気付いてもらえない(ある意味、気付かれたら問題)コーディネートだけど、何となく浮かれるのは、やっぱり水玉模様が好きな証拠でしょうか。

見えないお洒落、ふっふっふ・・・コーディネートはこうでねえと。お後がよろしいようで。


卒業シーズン

2012-03-19 23:35:03 | マツモト写真

納品にいった保育園で、卒園式の練習をしていました。

「は~るのこと~です♪ 思い出してご~らん♪ あんなこと~こんなこと~あーったでしょー♪」

懐かしいなぁ。確か、わたしの通っていた幼稚園では先生が作ったオリジナル歌詞で、本当にあった出来事が歌詞になっていたんだ(行事ごとに律儀に熱を出した私は、殆どの行事には参加してないらしいんですが)。今でも、どこの幼稚園でも、そうなのかなー。

 

 

先日、ある中学校の卒業式で、また今年も「旅立ちの日に」を聴きました(→過去にも書いてました『卒業ソング』)。毎年泣かされるこの曲ですが、今年は間奏で入る台詞を私の友だちが担当したので(ま、世間一般的には「友人の息子さん」と表現すべき立ち位置か。でも、やっぱ「友だち」が正しい気がする)、余計うっときました。ついこの間まで5歳だったクセに、妙にカッコイイ低音バス・ボイスになりおって~と、一人で密かに泣いてました(合唱団関係者のみんな!この「友だち」を、合唱コンクールでソロを歌った日から、強烈に勧誘中でっす。高校受験も終わったし、そろそろ・・・)。

 

今年、はじめて小学校の卒業式にも行ったのですが、小学生が歌うと、同じ「旅立ちの日に」が、全然違く聴こえるのが面白かったです。別れっていうより、「バイバイ!」って感じの無邪気さが見え隠れしちゃってる感じ。でも、中学生が歌うと、妙に切ないの。小学校と中学校が殆ど同じメンツの田舎だと、ある意味はじめて経験する「別れ」の日だから、なのかな。

 

私が担当した卒アルの卒業生みんなが、明るい出会いの春を迎えますように!(昨今は、入学する学校から膨大な宿題が出されたりするそうな。若者も大変じゃのぉ)。

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満点休日

2012-03-15 08:47:01 | 日々雑多

昨夜のわたし。「あれ?千秋楽じゃなかったよね?もう一週間あるよね?」

違う、違う。昨日は水曜日。

 

今朝のわたし。「えーっと、今日は月曜日だから、燃えるゴミ・・・っと。」

違う、違う。今日は木曜日(だけど、燃えるゴミだから問題なし)。

 

何故、昨日があまりにも日曜日として主張するかというと、数か月ぶりの「二代目と若女将、そろって完全オフ」の一日だったから、だと思います。東京で暮らしていたころは、毎週末「今日は何する~?」な週末を過ごしていたなんて、今となっては信じられませんが(二代目はその頃、広告写真専門だったので、土日休みだった)、足利に戻ると決めたとき、実は一週間に一日くらい、平日にそういう日があるのだろう、と踏んでいました。ははは、自営業をナメてましたね。

 

人生初『ワークマン』で長靴を買う→渡良瀬川の河原でお弁当→仕事じゃない撮影→洋服と靴を買う→旅番組を見ながら、豚しゃぶ→ゆっくりお風呂と高級アイス。

 

うーーん。100点。


読む責任

2012-03-08 22:17:47 | 日々雑多

私は数年前、戦争に関する本、特に兵隊さんが書き残したものを読むことを、自分のライフワークにしようと決めました。そこに付随するテレビ番組や音楽会等にも、触れるようにしています。それは、ラジオで知ったある一冊の本、『最後の手紙 戦場に残された二十四万語の届かなかった手紙 重松清著』、との出会いがキッカケです(→私の過去ブログ「出会い」)。それまで私はテレビはおろか、本だろうが、新聞の投稿欄だろうが、戦争体験を知ることを避けていました。本当に申し訳ないな、と思いながらも、怖くて触れることが出来なかったんです。でも、この本を読んで、考えは変わりました。忘れちゃあいけないし、ましてや、知らないで終わったりしてはいけないんだ、と反省したのです。だから、知って何か行動をとる訳じゃなくても、知ろう、と思ったのです。知るだけで、何か変わるだろう、と。

 

今週、わたしはテレビを避けています。もちろん、仕事が何やら忙しいので見る暇ないのも現実だけど、意図的に主電源を切っています。3月11日まであと数日。新聞も、Facebookも、1年前の東日本大震災のことを多く目にします。そして、今まだとても映像でそれを、見る勇気がないのです。臆病だと思うし、見るべきなんだろうと分かっているし、作り手の気持ちもわかるけど、私には、まだ早い。風化などあってはいけないし、前にも書いたけど、今の日本はあんなことがあったのに、あまりにも「普通に」機能している、時には悪い方向に極端に動いているように、私には見えるから、あの日の想いを見つめ直す必要性は高いのだろう、とは分かっている。でも、まだ、私は見ることが出来ないです。そして、そういう人はたくさんいると思います。

 

でも、読むことなら、何とかできます。自分のペースを守れるから。そのコトバを放った方が、現実にこんな狭い日本に存在している(していた)のだから、同じ日本人として、やはりそれを知る責任のようなものが、あるのだろうと思うから。それが今の自分の精一杯だけど、そこは避けない。

 

3月11日は、さまざまな問題や今後への展望・やる気も静かに置いて、亡くなった方々へ想いを寄せる日に。日本のすべての人が、被災された方々へ想いを寄せる日に。


店員さん、ありがとう

2012-03-05 16:54:37 | 日々雑多

あるお店から、私のお気に入り商品が消えてしまい、とても残念に思っていました。

今日、久しぶりにそのお店へ行ってみました。『やっぱり無いや。ガッカリ。』と、他の商品を細々と選んで、レジへ。

 

店員さん:「500円です。」

若女将:「え?あ、はい(えー、珍しいな、ぴったんこ、とは)。」

・・・・・・

店員さん:「珍しいですよね!(ニコっ)」

若女将:「え?」

店員さん:「ぴったり。珍しいですよね!消費税が導入されてから滅多にないんですよ!」

若女将:「へー。」

店員さん:「はい!(ニッコニッコ)」

私は彼女の笑顔に背中を押されました。

 

若女将:「あの!ふわふわドーナツは、もう作らないんですかっ?」

店員さん:「いいえ、再開してますよー。今日は10個以上買ったお客様がいらして、売り切れちゃったんです。ごめんなさい。」

若女将:「(内心ガッツポーズ)また、来まーす!」

店員さん:「お待ちしています!!」

 

アピタ足利店の中のパン屋さん。ふわふわドーナツ、今度買いに行きまーす。私も10個買っちゃうぞ。


怒り

2012-03-03 23:15:44 | 日々雑多

今日、山梨の保育園が、福島から避難してきているお子さんの入園を断ったというニュースを知りました。「他の保護者から原発に対する不安が出たときに対処できない」という理由で。


怒り過ぎて涙が出てきた。


瓦礫の受け入れ拒否のニュースのときは、情報が足りないこと、またその情報自体の信ぴょう性が低いと捉えられてしまっている現実、そういったことから、例えば小さなお子さんがいたら過剰に反応せざるを得ないだろうと、声高に「受け入れ反対なんてありえない!」と言い切れずにいました。


でも、今回の話しは別次元だと思う。これは完全に差別だよ。どういうつもりでこんな意見を言った人がいるのか(保育園側の判断なのか、保護者が保育園に意見してこうなったのか)、残念だけど今回は突き詰めなくちゃいけないと思う。傷つくのは、差別された子どもたちや家族だけじゃない。例えば、この保育園に子供を通わせてる親御さんたちとか、例えば、こんなことあり得ないって思っているこの保育園の先生とかの気持ちを考えると、悔しくてたまらないに違いないと思う。


私は本当に今日は、ずっと気持ちが落ち着きません。こんなに許せないという感情を抱くのは、いつ以来か分からない。

 

絆とか、復興とか、そんな美しいコトバを使う前に、何かもっと根本的なことを考え直さなくちゃいけない時が来てるの?こんなひどいことを、コトバや行動に出せる人がいるなんて、本当に許せない。私はあまり「怒り」という感情を多く持っている人間ではないと、自分で思っています。でも、今、私は怒りをどうしようもできない。

 

 

<ニュースソース>http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201203020761.html