若女将の修行日記

『写真館の若女将・成長記録』のはずが、いつのまにか『若女将のおとぼけな毎日』になっていました。

おもてなし <松山の旅 最終回>

2013-06-30 23:31:15 | 忘備録

Mさんご家族は特別としても、何だか松山の人たちってみんな、とても親切でした。あぁ、これがお遍路さんをお迎えし続けた街の「おもてなし」なのかと深く納得した場面が幾つもありました。

 

秋山好古さんのお墓に向かってひたすら坂道を歩いていた私に「どこ行きよるん?好古さんのお墓?全然反対よ。何もないよ?墓石あるだけよ?地元の人は誰も行かないよ?」と話しかけてくれたおばさまも、

 

洗濯物を干しながらいきなり「大手寺へ行かれるんです?お気をつけて~。」と声をかけてくれたヤングママも、

 

「ありゃ酷い、こんなに喰われましたか。お城で?どこで?秋山さんの生誕地で?あー、そりゃ、あそこはいっぱい居たでしょう。でも、蚊に喰われるってことは血液が若いってことですよ。良かったですねぇ。」と励ましてくれた薬屋さんも、

 

「本当に忘れませんか?忘れちゃうといけませんよね?お手元に置いた方が?……(暫くその場を離れたのに戻ってきて)やっぱりお忘れになりそうですよね?お座席でも大丈夫ですよ?」と、どうしても薄い紙袋を上の棚に入れてくれなかったフライト・アテンダントさんも(松山の人に違いない)、

 

みんなとっても親切でした。旅行で知らない街を訪れる度に自分にとってスペシャルな街って増えていくけど、松山はその上位にぐぐぃ!と食い込みました。これから私は三ヶ日みかんに浮気することなく、愛媛みかんを食べ続けます!そして、勿論オレンジジュースはPON!で決まりです。

 

本当にありがとう!松山大好き♪ <松山城天守閣より>


砥部(とべ)焼 <松山の旅その10>

2013-06-30 23:16:18 | 忘備録

まだぼんやりと「四国かぁ……」なんてインターネットやガイドブックをぺらんぺらん見ていた頃から、とても気になっていた焼き物「砥部焼」。普段、それほど焼き物好きって訳でも、「食器にはこだわるんです」タイプでもない私なのですが、そのスッキリとした見た目が何だか魅力的で、「この旅の思い出に買いたいなぁ。そうだ、古希を迎える両親に何かペアものでも…」と、うっすら思い描いていました。

 

軽い気持ちで、「最終日はバスで砥部焼の町へ行ってみようと思ってます。」とお話したら、Mさんがまたしてもマイカーで連れて行ってくださいました(本当に甘えっぱなし)。しかも、「砥部焼いいなぁ。」と軽くお伝えしていた私のためにと、なんとMさんご夫妻は事前にお皿を2種類(しかも2枚ずつ……)、お土産として買っておいて下さったのです。本当にその愛情の深さにはもう脱帽……。自分で迷いに迷って買ったスープカップも大好きだけど、やっぱりMさんに頂いたお皿のスペシャル感には叶わない。「とにかく丈夫!」が魅力らしい砥部焼ですから、これからおばあちゃんになるまで、大切に使いたいと思います。  

 

 

このご恩をお返しするために、今度は栃木の誉れ「益子焼」に挑戦して、自分で素敵な食器を作ってみようかな。Mさんご家族に4枚お揃いのお皿を贈れるほどに腕を上げる頃には、不器用な私はおばあちゃんになっちゃうかな。

 


愛媛ちっく <松山の旅その9>

2013-06-30 22:56:46 | 忘備録

「この辺りなんだよなぁ。このコンビニを入ったとこじゃないかなぁ。」とパパさんが連れて行って下さったのは、『何のためにあるのか不明』な埠頭的な人工岩場。どかーんと広がる海と、ボッボーと横切っていく大きな船……ひゃーん、栃木県民のハートを射抜く、このシチュエーション。途中ちょっと目をやった砂浜に何やらゴソゴソ動くものが。「カニだー!」と走り寄ったらみんな逃げちゃって、怪しい小型ザリガニみたいなのがいっぱい責めてきました。あれ、なんだったんだろ?まさか、サソリ!?<カニを追う私をパパさん激写>

 

さぁ、夜の飲み会に向けて松山に帰ろう!という道すがら。車を停めて、休憩したところは(多分)ミカン畑。パパさんが持ってきて下さった貴重なミカンを頬張る休憩時間を過ごしました。「ミカン畑の片隅で、車停めてミカン食べてるのって、ミカン泥棒っぽくないかなー。」なんて笑って海を眺めながら、個体によって超甘かったり超酸っぱかったりするミカンを食べる……、なんて愛媛ちっく!こーいう旅って、地元の方にリードしていただかないと出来ない経験!と嬉しさを噛みしめておりました。

 

そして、こちらも地元の方でなければ知らないであろうお寿司屋さんで夜の飲み会……いやいや、実はその日はMさんのお誕生日当日!という訳で、ご家族でのお誕生日会に私が図々しくもお邪魔する形となりました。友人の弟さんもお仕事を終えられて合流。「ちょっとは?乾杯くらいは?」とビール。「これは是非飲んで欲しいなー。この辺りでしか買えなくてね。ほんの一口ね。」とおちょこにナミナミと日本酒。私をご存じの方ならば、これが私の酒量キャパを大幅にオーバーしていることにお気付き頂けるでしょうか。一応まだ緊張が少し残るメンバーでのお席だったのに、私は途中から(バレてなかったらしいけど)相当酔っ払い、音楽博士である友人のご家族に向けて、「いかに合唱は素晴らしいものか。」について、語りまくったような薄い記憶があります。とても恐ろしいです。どうぞ、お三方もあまり記憶がありませんように……。

 

そんなわけで、「旅の最後の夜は、ホテルの最上階バーでオレンジジュースを一杯飲もう。」という大人一人旅の思い出つくり計画は、「ぷはぁ。酔っ払っちゃった~。バタン・キュー」の前にあっけなく散ったのでした。でも、あの塩で頂いた鯛のお寿司のおいしさだけは……覚えてるなぁ。また食べたいなぁ。

 


「結婚生活には3つの袋が大切です。」 <松山の旅その8>

2013-06-27 23:17:09 | 忘備録

海に囲まれたこの小さな国において、海なし県に育った者の『海への憧れ』というのは、海を見て育った人には一生理解できないだろうな、と思います。どうしても我慢できないのです、海が見える度に、「あ!海だ!」と言わずにはいられないのです。だから、今回の旅でも、Mさんやご主人(ここからは、実際にお呼びしていた通り『パパさん』と書きます)が、色々と四国や松山について説明してくださっている最中にもかかわらず、目の端に海が入ってきたらもう気もそぞろ。つい、お話をさえぎってまで、「あ!海です!」と言ってしまいました。そんな哀しい栃木県民を許してください……(海を見慣れた人にとっては、その叫びって、「あ!渡良瀬川だ!」といちいち言ってしまうくらい「あー、まぁね。」的なことなのかなぁ)。

 

『しまなみ海道』は、愛媛県北部の島々と広島県東部の島々を次々と結んでいく橋たちを含んだ高速道路でした。ひとつひとつ橋の形に個性があって、「どうして同じ形にしなかったんだろ?日本っぽくないなー。面白ーい。」なんてのんきに思いながら、パパさんの助手席でゴージャスドライブを満喫させていただきました(海と橋がよく見えるようにと、途中から助手席に移りなさいって。そんなお心遣いも嬉しいなぁって、喜ばせようって気持ちが伝わってきて、ありがたいなーって思いました)。

名所・名物を効率よく紹介してくださるお二人のおかげで、無駄なくグイグイとしまなみ観光を進めていきました。そんな中で私がとっても楽しかった2箇所について書かせてください(全て書いていたら、このブログ、エンドレスになってしまうから厳選しなきゃ!)。

 

 

え?もう終わりだろうって思ったら、『えー、では皆さん、結婚生活に大切な3つの袋はー、ご存知でしょうかー……』って、結婚式のスピーチで始まっちゃった時みたいですって?そーですか。じゃあ、また明日にしますね!

<つづく>


身長150.2センチ 体重むにゃらむにゃキロです!<松山の旅その7>

2013-06-27 22:54:14 | 忘備録

「松山に行きたい!」とは思っても、それはそれは遠い四国。「いつか行かれるかなぁ。」とぼんやり思っていたところ、フェイスブックで友人のお母さま・Mさん(松山在住)と思いがけず仲良くなり、そのお人柄に触れるうち、お会いしてみたいなぁ……と自然に思うようになってきました。そんな気持ちをふらふらと綴ったところ、とても明るく背中を押したり、手を引っ張ったりしてくださって、気付いたら飛行機とホテルの予約を済ませちゃってた!旅行って、長いこと行かないと楽しいのは分かってるのに、何だか億劫になってしまいがち。今回わたしの重い腰を上げて下さったのは間違いなく、Mさんでした。

 

ホテルまでお迎えに来て下さるというVIP待遇で、しかもお仕事をお休みしてお父様までいらして下さるとのこと。恐縮しきって、ただでさえも小さい私は、より小さくなってお二人を待っていました。

さぁ、緊張の初対面!でいきなり、「きゃーーー。華奢!」と朗らかに笑われてしまいました。フェイスブックに載せている写真は上半身だけだし、舞台で怪しい人魚になりきっている写真を直前にお見せしていたので、『大柄な』女性を想像されていたとのこと。そりゃあ、私が現れたらつい笑っちゃいますよね(身長150.2センチ。最近では小学生でも私より大きい子は珍しくありません……)。「小っちゃい!」ではなく、「華奢!」と表現してくださったところに、温かいお人柄がにじみ出ていましたよ、Mさん!

そんな初対面だったので、私はすっかり緊張感を放り投げてしまいました。実際にお会いしたのは初めてではあるけれど、今までのインターネット上でのやり取りでお互いの性格もなんとな~く分かっているし、共通の話題もたくさんあるし、予想していたよりぐっとお茶目なノリ!だし、すっかりお友達度全開で『しまなみ海道の旅』が始まりました。さぁ、最初の目的地(?)『は・か・た・の・し・おソフトクリーム』へGO!


あたし、浮いてる?<松山の旅その6>

2013-06-27 22:39:19 | 忘備録

前日、松山行きの飛行機内でも薄々感じていたことではありましたが、ホテルの朝食会場で決定的に自分が珍しい存在であることに気付きました。一人旅だから?いえいえ、そうではなくて、観光客だから、です。飛行機でも、帽子&カメラ&虫取り網(嘘です)の出で立ちは私と、外国人3人組だけ。あとはスーツでした。到着空港で、男性トイレが大行列で、女性トイレには誰もいない、という滅多に見掛けないような光景も満喫することができました(ただ、女性トイレで一人だけスーツの女性と居合わせたのですが、なんとその方は個室の中でも携帯で仕事の話をしていました!恥ずかしくないのかなぁ?見えない……けどさぁ?)。

 

で、朝食会場にはなぜか、超イケメンな外人ウエイターさん達が。流ちょうな日本語で、「オハヨウゴザイマス♪」と対応してくださいました。えへへ、プチ外国旅行気分♪ 勇気を出して、「チ・チーズとコーンで!」とスペシャルオーダーを成功させたコックさん手作りのオムレツと、『こんなものにまで!』と驚いたミカン入りポテトサラダ(これが、美味)を手にいそいそと席に戻ってきたら、お水が置いてありました。が、どうも他の席と印象が違うような……あ!私だけ、グリーンのかわいいグラスだ!他の人たちはみんな、普通の水コップなのに!わーい♡ 超嬉しい、こーいうスペシャルな感じ。

 

そんなこんなで、ご機嫌な朝食を終え、いよいよ緊張のご対面へ。今回の松山旅をプロデュースして下さった『友人のご両親』に、初めてリアルにお逢いする時間が近づいてきました。「素敵な若女将にお会いするのを両親が楽しみにしているようです。」なんて、友人に言われて、かなりハードルが高くなっていたこのご対面。子供のころって、クラス替えがある度にこういう緊張感があったけど、大人になると意外とないよなー、仕事での初対面って、対面自体が「仕事の一環」だからなー……なんて、考えながらホテルのロビーでドキドキとその時を待つのでありました。


房子先生3 <松山の旅その5>

2013-06-26 11:48:49 | 忘備録

お喋り中に、房子先生が、「お母様はお元気?」と気にかけてくださいました。

 「ナオミちゃんのお母様にお手紙出したことがあるのよねぇ。申し訳ないけど、ご自宅で『りすのゲルランゲ』を買ってくださいってね。先生からしたら、どこがそんなに面白いのか分からないんだけど、いつもいつもナオミちゃんが借りていくから、他の子も読みたがってね。でも、いつもナオミちゃんが借りちゃうから、他の子に貸せなくて、お母様にお願いしたのよ。でも、あんな絵が少なくて、字ばっかりの本、どうして好きだったのかしらねぇ?お母様も、読んで聞かせるのに時間がかかって、困っていらっしゃったみたいよ(当時の私は当然、全く字は読めない)。」

 他にも、

「ノブちゃんは緑色が大好きで、一回緑色のクレヨンを隠したら、絵を描かなかったのよねぇ。」とか、

「フゥちゃんはしっかりしてそうで、甘えん坊でねぇ。」とか、

まぁ、当時のことをよく覚えていらっしゃること。

 

更には、それぞれの近況にまで、かなり通じていることも驚きでした。

「ヒロアキくんのご両親と一緒に合唱やってるんですけど、彼は、北海道にいるらしいですよ。」と話せば、「そうそう、ヒロアキくんの妹さんは外国人の方と結婚したんでしょう?」。

「植Mさんが亡くなってもう随分経ちますね。」と言えば、「植Mさんのご主人からはよくお電話いただくわよ。松山で医者やるかなって仰ってるわよ!」。

他にも、足利で働いている同級生たちとも、「出張で近くまで来たと寄ってくれたから、一緒に足湯に入ったのよ~。」とか、「結婚が決まったといって奥さんを紹介しに来てくれたのよ~。」とか。

 

そっかー。私だけじゃないんだなぁ、ときどき房子先生の顔を見たくなり、あの独特の喋り方を聞きたくなるの(笑)。結局、私は「房子先生がお寂しいんじゃないか。」と心配してるふりして松山行きを決めたけど、結局、昔と同じで、私が房子先生に会いたかっただけなんだなーって、気付かされました。

 

「次は、ご主人を置いてきぼりにしないのよ。ちゃんと、一緒にいらっしゃいね!」と、念を押されました。はい、先生。次は二代目の元気な、ちょっと丸くなった笑顔も、お見せします♪

 

 <久しぶりに、読んでみようかなぁ……>


房子先生2 <松山の旅その4>

2013-06-26 11:37:06 | 忘備録

房子先生から見たら、私はいつまで経っても、(43歳ですよ、と言ったときは目を真ん丸にされていたけど)、幼稚園生のまま、らしいです。

 

ペースメーカーを入れていらっしゃる上に、最近は内臓に別のご病気もあると聞き、最愛のご主人を亡くされた後、故郷で一人施設に暮らしていらっしゃる房子先生のことを、私は何だかとても心配していました。ただ、年賀状には、「もう一度、足利に行ってみたいわ。」といつも書いてあり、どちらかというとそのニュアンスには、「寂しいから。」というよりは、「みんなが心配やから。」といった空気があり、いつまで経っても、先生は先生なんだなーとは思っていました。

 

が、ここまでお元気だとは、正直思っていませんでした。嬉しい誤算でした。

 

施設までタクシーで伺うという私をさえぎり、「私がバスでホテルのロビーへ行くから、大丈夫よ。」

暑い中、屋外に出ることを心配する私を笑い、「ロープーウェイとリフト、どっちがいい?リフトの方が気持ちいいんだけど、ナオミちゃん、怖い?」

もうお腹いっぱい、と天を仰ぐ私を横目に、「天ぷら勿体ないから、野菜天だけは全部食べるわ。」

やっつけで日焼け止めを塗る私を見て、「あんまり皺が気になるから、こないだ施設に来てくれるエステの人にやってもらったのよ。」

……こんな感じ!

 

夜の9時半までお喋りをして、ちんちん電車の駅に見送って下さった先生。わたしがタクシー乗り場でお見送りするつもりだったのに、「大丈夫?分かる?」と、どうしても私に先に帰れ、と譲ってくれませんでした。

お会いする前より、お会いした後の方が、本気で信じられたコトバ『また、いつか、きっと会おうね!』を交わして、笑顔でバイバイしました(お互い、ちょっとだけ泣いたけど)。

 

<2人でショッピング中に、先生が買って下さった今治タオルのハンカチ>


房子先生 <松山の旅その3>

2013-06-26 10:34:25 | 忘備録

幼稚園時代の『房子先生』にお会いしたい一心で企画した今回の、松山一人旅。

 

卒園式のとき、房子先生が泣いてたから、訳も分からず泣いてしまった私は、その時以来、どうも泣き虫のクセがついたように思っています。「そうか。こういう時は、泣くのか。」と学んでしまったと言ったらいいのでしょうか。ただ、後日親から、先生が「ナオミちゃんが泣いたから、泣かされてしまった。」と仰っていたと聞き、論争に発展。実はお互い譲らず、未解決のままです(笑)。

 

その後、小学生になっても、先生が東京へ赴任してしまった後も、自分も東京で就職して仕事で凹んでしまったときも、私は先生に会いに行きました。ご主人の牧師先生も大好きだったけど、私はいつも房子先生の、独特の喋り方を聞くとものすごく安心できて、元気になれたものでした(今回、松山へ行って初めて、その独特なイントネーションの喋り方が、「松山弁」だったと知りました!)。

 

先生ご夫妻が東京で着任された杉並教会が、偶然、二代目が一人暮らしをしていた部屋のすぐ近くで、通勤途中に何回か、「おはようございます。」と挨拶さえ交わしたことがあったという偶然に飛びつき、私は、敬虔な仏教徒である松本家に嫁入りするにも関わらず、この杉並教会で結婚式を挙げるという我儘を叶えてもらいました。亡くなってしまった牧師先生に頂いた結婚式のコトバ、先生の前で「誓います。」と言った事実を、私はこれからも大切に、きちんと守っていこうと、思っています。

 

さて、あれ?松山の話しになる前だけど……<つづく> 

 

 

 


運転手さんに助けられる <松山旅その2>

2013-06-25 15:59:02 | 忘備録

飛行機に乗ること自体が10年以上ぶり。前泊したビジネスホテルで、なかなか眠れず(眠り王と称えられるこの私が!)、結構な緊張感で朝を迎えました。ホテルの無料送迎バスに乗り込み、羽田へ。すると、バスの運転手さんがアナウンスで、「この先、第二ターミナル、第一ターミナル、何とかウイング、何チャラウイングへ停まります。お近くの停留所で……」。ひえー、どこで降りればいいの!?ただ、「羽田空港」ってとこへ送ってくれると思ってたから、何も調べてなかったよ!?と、前のスーツケース置き場へよろよろと近づき、荷物をごそごそ。焦り汗が運転席まで届いたのか、

運転手さん 「どちらまで?」

わたし 「いや、その、それが分からなくてですね……」

運転手さん 「いや、目的地はどちらの街ですか?」

わたし 「え?それはその、四国の松山なんですが……」

運転手さん 「あぁ、この時間ならANAですね。第二ターミナルです。」

わたし 「あ・ありがとうございます…(尊敬のまなざし)」

 

無事、松山に到着。「市内まで行くリムジンバスはこちらでーす!」というお兄さんにホテル名を告げると、「大街道ですね。あっちのバスに乗って下さい。」とのこと。で、あっちのバスの運転手さんにも一応、「私はANAホテルに泊まりますが、これは大街道に行きますか?」と尋ねたら、「行きますよ。」とのこと。今回は完璧だ、と乗り込んで車窓を楽しんでいました。『あーー!ちんちん電車だ!かわえぇ!!』と、大はしゃぎで写真を撮っていたら、

運転手さん 「一番町。一番町です。」

わたし 「(ふーん)」

運転手さん 「一番町です!」

……

運転手さん 「ANAホテルにお泊りの方は、こちらでお降り下さい!!」

わたし 「ふーん。って、え?」

 

はい。「大街道」というのは地域名で、バス停名は「一番町」だったのでした。多分、途中の車内アナウンスで説明があったのでしょうけど、私はもう、そこら中にある観光地への案内板や、『タルト』(松山名物)屋さんの看板に釘付けでしたから、全く聞いておりませんでした。

 

バスの運転手さんっていうのは、全国各地、親切で物知りで、気配り上手です。ありがたいことです。