goo blog サービス終了のお知らせ 

<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

大和言葉の「さようなら」

2016年01月26日 11時24分53秒 | Weblog

「さようなら」大和言葉のやさしさをしみじみ思う受話器を置きて   アメリカ 冷順子 伊藤一彦選 特選 海外作品特選   (NHK全国短歌大会入賞作品集より)

大和言葉「さようなら」は「またね」とはちょっと違う。ちょっと突き放しているところがある。アメリカ語では「グッバイ」(神さまがみもとにいますように)「See you again」。さようならはもう一度会おうという約束語ではない。切り捨てられた感がある。断崖に来ているという切なさがある。「運命がそういうならばそうしましょう」「そうと決まったのならばそれに従いましょう」「右と左に別れて行きましょう」のニュアンスがある。潔さもある。情を去留に残さないところもある。爽やかな溌剌とした挨拶語でもある。南の島には「思うわよ」という別離の際の挨拶語もあるらしい。「あなたのことをずっと思って暮らします、あなたもそうしてね」という約束だろうか。

作者はアメリカ在住。何をするにしても遙かな遠い国の故国を思う気持ちが高まっていることだろう。やわらかいやさしい平仮名のたった五字「さようなら」が受話器を置いた後でもこころを離れていかない。これにやさしくされている自分を思う。しょっちゅう使いこなしている言葉も身の置き所次第ではこうも密度が違うのだ。

死は訣別である。さようならである。過ぎ来し方に潔く告げられたらどんなによかろう。これで溌剌を取り戻して勇躍して次へ進んでいけるのなら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「離婚が決まる」歌に胸が打たれる

2016年01月26日 11時08分44秒 | Weblog

体温の残る卵を真二つにひらいたような離婚が決まる  

愛媛 平山繁美  佐佐木幸綱選 特選  (NHK全国短歌大会入賞作品集より)

峻厳な現実がある。離婚が決まったという知らせが娘から届く。どうしたのだろう、何があったのだろう。あれほど仲良くして暮らしていたふたりなのに。そう見えていただけだったのか。その心情が5757までに綴られている。卵を真っ二つに割ったような切り口を、母であるわたしに残したというのだろう。その卵は人生という希望の卵であった。希望には体温があった。ぬくもりがあった。これにずっと慰められてきた。これさえも消失するというのか。母の悲しみがどん底へ落ちていく。

さぶろうの解釈、これは。離婚の本人が作者かもしれない。とすれば、これを作品に仕上げるのにどれほどの勇気を奮い立たせねばならなかったか。悲しく激しく、烈々として切ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林檎のうさぎ 星の人参

2016年01月26日 10時51分42秒 | Weblog

うさぎ型のりんごも星の人参もよろこぶ妹反抗期明け    富山 桃田梨子 特選

(NHK全国短歌大会入賞作品集より)

姉と妹の孫がいるのかもしれない。姉の方はもう落ち着きが出て来たが、妹はこの頃激しい。それがどうしたのだろう、お母さんの愛情がまっすぐに伝わっているらしい。お昼には林檎がうさぎになっていた。それをきゃっきゃっと喜んでいた。夜、人参がきらめく星になってお皿にたくさん鏤められた。これをきゃっきゃっと喜んで跳ね回っていた。5才になるとこうもお利口さんになるのか。第一次反抗期が明けたらしい。

ぷ。さぶろうは第何次反抗期なんだろう。誰に反抗しているのだろう。浮かない顔をしている。林檎のうさぎでは泣き止まない。人参の天の川銀河では鬱屈が霽れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数え歌「どちらにしようかな」

2016年01月26日 10時43分02秒 | Weblog

鬼ごっこの数え歌「どちらにしようかな」 愛知県に残る歌

「どちらにしようかな 神様の言う通り 鬼になっても怒りこなあし オッピッピのピ 玉手箱 ひまわり」「どれにしようかな 天の神様の言う通り 鉄砲撃ってバンバンバン もひとつ撃ってバンバンバン」「どれにしようかな 神様の言う通り ちっちきちっちきちっちっち 合わせてぴょこぴょこちっちきち」

寒い冬には鬼ごっこをして遊んだ。外に出てよく遊んだ。お宮さんの境内で、川土手で、校庭で。数え歌を歌って鬼を決めた。「鬼になっても怒りっこなし」だったが、何度も鬼になると切れてしまって「もうやめた」になった。この数え歌は各県ごとに少しずつ違う。「神さまの言う通り」が、しかし、ベースになっている。「怒りっこなし」は生きる姿勢に繋がって行ったが、どうだろう、この消極性は不甲斐なくはなかったのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一に戻りて数え歌

2016年01月26日 10時10分26秒 | Weblog

あたたかや一に戻りて数え歌     群馬 椎名和代  鷹羽狩行選 特選 (NHK全国俳句大会入賞作品集より)

数え歌はいろいろある。こんなのもあった。

一番はじめは一の宮。二は日光東照宮。三は讃岐の金比羅さん。四は信濃の善光寺。五つ出雲の大社(おおやしろ)。六つ村々鎮守様。七つ成田の不動様。八つ八幡の八幡宮。九つ高野の弘法さん。十は東京招魂社。これだけお詣りしたならば・・・

作者はお婆様としよう。そうした方がイメージが湧く。ここは何処? 家のお縁側。三月雛節句。日が射してあたたかい。子供の頃に婆やに習った数え歌を、いつのまにか静かに歌い出している。聞き手の孫子はいない。十まで来た。お婆様はもう一度一に戻ってくる。もう一度もっと丁寧にこころを込めてお詣りがしたくなって。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人にやさしくされたい

2016年01月26日 09時56分08秒 | Weblog

「人にやさしくされたい」舞台に立っている一人の男。月が男を照らしている。

ここでしばらくの幕間(まくあい)がある。

「だったらね、その前にひとにやさしくすることだよ」

そういう返事が返ってくる。この声は月の背後から聞こえて来るので、男は月の方角へ視線を移す。

「人に優しくするにはそれだけのエネルギーがたまっていなくちゃできないよ」

男はぶっきらぼうに突き返す。

「つまり、なんだい、人にやさしくされないと人にやさしくなれない、というんだね」

「その通り」

男は腕組みをしている。舞台右手から雪兎が出て来る。雪を被っている。ということは山は雪だということになる。

雪兎は神さまの変化身(へんげしん)。

「やさしさは感じるもの。感じることが出来るもの。わたしはあなたの前に何度姿を現したかしれない。だけどあなたはわたしを見ることさなかった」

雪兎の目が真っ赤になった。

舞台のボーダーライトが落ちて暗くなる。月光を除いて。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋根のテレビアンテナが倒壊

2016年01月26日 09時35分31秒 | Weblog

もう雪は降っていない。屋根からずり落ちてきた雪が1mほども堆く積もっている。その際テレビのアンテナまで引きずり下ろしてしまって、BSチャンネル以外テレビは映らなくなった。BSのアンテナは2階のベランダにあって別立てだから。電気屋さんなんて何処にあるのかしらん。電気製品は大型量販店でばかり購入してきたから、すぐに修理に来てくれるお馴染みさんがなくなってしまった。道路の雪は車が行き交ってべちゃべちゃになっているけれど、畑の雪は相変わらず深い。臨家の北側の屋根の雪も解けていない。ふかふかしている。ツツジの枝が雪の重さでぐにゃりとなっている。庭や小径に猫が付けた足跡がぽっこりぽっこり続いている。山里は静かだ。さぶろうの暮らしも静かだ。佐賀平野の中心地白石町では気温が氷点下9度まで下がったらしい。道路が凍り付くだろう。さぶろうは何処にも行かない。若い頃なら、あたたかい毛糸のマフラーを首に巻いて外へ出て行きたくなるのかもしれない。町の喫茶店であの人と待ち合わせをしたい気分が高まって来る、そういうこともあっただろうが、いまはもうそんなこともない。過去もロマンスも冷たくなって氷点下にある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉のパンのパン屋さん

2016年01月26日 09時21分33秒 | Weblog

言葉のパンがパン屋さんのようにたくさん店先に列んでいると言葉のパンはいよいよふくらんであたたかく匂ってくる。ここは神さまが経営するお店。一人の神さまが白い尖り帽子を被って出て来た。そういう情景を夢に見た。アンパン、クリームパン、ジャムパン、メロンパン、クロワッサンといろいろある。ちいさいものだけれどどれにもそれぞれの味が込められている。いかにもいかにもおいしそう。尖り帽子さんがお一つどうぞと手招きする。これに応じてにっこりする。手にとってレーズン入りのチョコレートパンの端っこに歯を立てる。口の中で言葉のパンがとろりととろけてしまった。だから神さまが伝えたかったこともなんにも覚えちゃいないよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏陀の隣にいる

2016年01月26日 03時30分06秒 | Weblog

人は死ぬけれども言葉は死なない。文字にして書かれてあれば死なない。1000年たっても生きている。血を通わせて生きている。あたたかい。仏陀の言葉を読む。すると仏陀の隣にいることができる。説かれる法を聞くことができる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉はぬくもり

2016年01月26日 03時08分44秒 | Weblog

言葉はぬくもり。傍にいるとぬくもる。手にはあはあ吹かける冬の白い息のよう。人がいるぬくもり。焚き火に手をかざしてあたたまるようにして、燃えている言葉にあたたまる。これで冷えが解消する。昼間届いたあなたの言葉がわたしをあたためる真夜中。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする