OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

"寄り添う"って・・・

2022-02-14 12:00:48 | Weblog
今期をもって民生委員を退任しようと思っている。自分も子どもたちにお世話になった保育所の園長先生から「受けるように」と言われて断り切れず、前任者から「二期は頑張ってね」と申し送りされ、仕方ないから義理を果たしたら辞めようと思いつつ、なんだかんだとタイミングを逃し、結構長く務めてしまった。

それでも辞めることを決心できたのは、やっぱり母のおかげかな。彼女が半日と一人に出来ない状態になって、わたしが外で何かの役割を担うのは困難になった。そういう状況になったのとコロナの蔓延とが丁度重なって、それで何とか、この二年は続けてこられた。遠方での研修会や研修旅行などが全て中止になったからね。でも、コロナが収束して、以前のような活動内容になったら、とてもとても役割をはたしていけないからね。

とはいえ、もともと、わたしは民生委員には向いてないなぁ~と思っていた。なんていうか・・・心があったかくないのだ、わたし。

自分で言うのもなんだけど、屁理屈いうのは得意だし、物おじしないで発言も出来るから、会議などではそれなりの存在感を発揮してしまう。それで、こういう役割に適任だと思われがちだけど、民生委員のような仕事に必要なのは、そういう小手先の器用さとか頭でっかちな理想家ではないと思う。たぶん・・・本当に必要なのは"隣の世話焼きなおばちゃん"なんだと思う。

民生委員をそれなりの年月務めてみてつくづく思った・・・無力だ・・・

なんていうか・・・民生委員に与えられているのは守秘義務だけで、必要な権限は何も与えられていない。また、何の専門家でもないので、能力的にも出来ることはあまりにも少ない。相談を受けても、立ち入れない事ばかりなのだ。結局「市に伝えます」「包括支援センターに言っておきます」「保健所に相談してみてね、親切に対応してくれるから」、そんなことを言うだけなのだ。それなら、何の縛りもなく、自分の考えで動ける個人として対応したいと何度思ったことか。なまじ準公務員という立場が、身動きを封じてしまう・・・そう感じることが多かった。

けど、そういうことを深刻に感じてしまうのは、わたしの悪い癖・・・"相談されたら、その問題を何としても解決したい病"の作用だというのも分かっている。多くの場合、相談者は解決ではなく、愚痴を聞いて欲しかったりするだけなのだ。あるいは、市の担当部署や包括支援センターや保健所に繋いでくれるだけで十分なのだ。そうなのだ・・

よく"絆"だとか"寄り添う"だとかいう言葉が、とても素敵なことのように使われる。たしかに素敵なことだ、それは間違いない。けど、わたしはそういう関わり方が苦手だ。淡々と相手の問題を解決するように努力する、そういうことなら自分の能力の範囲で精一杯頑張るが・・・

だから、わたしは民生委員には向かない。無理しないでも自然体で、人に心を尽くして接することが出来る"近所の世話焼きのおばちゃん"こそが、民生委員の理想形なのだ。わたしはそう思う・・・

もちろん、わたしは自分自身を否定するつもりはない。あくまでも向き不向きの問題だ。わたしのような冷たい心の持ち主には、そういう人間にこそ合う場所があるのだと思う。ながらく自分に不似合いなところにいたが、そろそろ引き際がきたのだと思う・・・