OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

楽しく暮らす資格、あるいは才能、あるいは・・・

2014-06-06 08:49:32 | Weblog
楽しい・・・って、すごく主観的なものだから
はっきり言って、本人の気持ちしだいですよね、楽しいも楽しくないも

あぁ~、こういう書き方をすると
お金がなくても暇がなくても
自分次第でいくらでも楽しく過ごすことはできますよ的な
そんな話に聞こえちゃいますね

でも、そうじゃなくて・・・
いや、まっ、そうとも言えるか・・・
いやいや、そうなんだけど、それを真逆から言ってるっていうか・・・
まっ、どっちでもいいけど(^^;
っていうか、自分でも、何を言いたいのか良く分かってないんですが・・・

とにかく

お金の問題じゃなく
自由になる時間の問題でもなく
楽しく過ごしたいという気持ちがあったとしても
楽しくないってことかある・・・と思うわけです

好きなことというか
少なくても今まで好きだったことや
やる気をもって行ってきたことに関わっていると
まったく楽しくないわけではないんですが
なんだか・・・ん~・・・

となると
楽しいって気持ちに絶対に必要な要素ってものがあるのかな・・・とか、思うわけです。

単純に考えれば、それは欲望ってやつて・・・
すごくストレートな食欲とか性欲なんてものが満たされる感覚は楽しさにつながると思うし
消費とか所有とか虚栄とか、そういう欲が満たされるときも楽しいと感じると思うし
知識欲とか向上心とか、そういう欲が満たされていくのも楽しさを産むだろうし
好きとか愛とか、そういう感情が満たされて行くときも、確実に楽しいという感情が伴うと思うんですが

要するに、なんていうか・・・
心の中に、何かで満たしたい、また満杯じゃないスペースがあるってことが
人が楽しいと感じるために、絶対に必要なことなのかなと・・・

だから
たぶん、そんな人はいないでしょうが
欲しいものがすべて手に入ってしまった完璧に幸せな人って
案外、もう楽しさを感じられないのかも

でもって
空のスペースはあるけれど
それを満たすべきものが
もう絶対に手に入らないことを理解している人間もまた
楽しいという感情から無縁になってしまうのかもしれませんね。

ずっと
どんなことでも何とかなるって思っていました。
期待した形では実現しなくても
姿を変え、なにかしら成っていくものだって。
だから、諦めるのではなく、頭や気持ちを切り替えて、求め続ければいいって。

けれど
どう頑張ってもどうにもならないことがあり
ただ諦めるしかないことがあると知りました。

それは・・・命です。

魂は永遠だとか
輪廻転生するのだとか
人の心の中で生き続けるだとか

命だって、姿を変え、形を変え、あり続けるのだという救済案は
素晴らしい先人の知恵だとは思いますが
今は、その知恵が、かえって小賢しく虚しく感じられます。

その虚を受け入れて生きれば
楽しくはないけれど穏やかに暮らせるのかも
もしかしたら、楽しささえ感じられるようになるのかも

けれど、そんな楽しさなら欲しくはない・・・かな。