芭蕉の句に、古池や蛙飛び込む水の音、というのがありますよね。
これってスゴイ句だなって、いつも思うんでよ。けど、どう凄いのか、なんで凄いのか、自分でも何を感じでスゴイと思っているのかが全く分からない。で、他の人はどう感じているのかなと思って調べてみると、奥深すぎる意味を解説してくれる方も少なからずいらっしゃるんですが・・・どうも、わたしが感じているのは、そういうことじゃない気がするんですよね。
むしろ、意味がないところがスゴイっていうか・・・だって、素直に読んだら、バカみたいな句ですよ・・・カエルが池に飛び込んで、ポチャンと音がしたってだけのことを言ってるんだもん・・・でしょ。
でもね・・・なのに、なんか感じるでしょ・・・これって、どうして?
なんやかやいっても、芭蕉の名前に無意識にビビっているのかな・・・それは、やっぱり、完全には否定できないかな。でも、それだけじゃないようにも思うんですよ・・・なんかね・・・意味とか背景とかじゃなく・・・ふむ・・・音かな、リズムかな・・・生理的な部分かも・・・
と・・・これ以上、いくら考えても、何も発展しないので、毎度おなじみ、自分話に切り替えます(爆)。
なんていうか・・・いろいろ考えて、やっぱり、わたしには、何にしろ書くしか能がないって思うんですが・・・じゃあ、何を書くかって考えると、何を書きたいんだか、何を書くべき何だか、自分の中に何もないんですよね。やっと阪氏続けてきた方法を見つけたっていうか・・・まあ、結局は青い鳥だったんですが・・・書くしかないかって覚悟を決めたんですが・・・そうしたら、なんと肝心の何を書くのかの部分が、空っぽだったんですよね。
わたしって、理屈っぽく話すので、理論家だと思われがちですが、実際は行き当たりばったりで、その場で思いついたことに、それらしい理屈をつけて話すだけで、何も中身がないわけで・・・だから、学者さんの論文的なモノや、独自の世界を構築して一つの物語を完結させられる小説家さん的なこともできないし・・・
とね・・・ある画家さんが、「ただ描きたいから描く、そうして描ける間はそうして描く」って仰っているのを知って・・・そういう風に書くって可能かな・・・って思ったんですけど、どうなんでしょうね。絵を描く人も色々でしょうけど・・・その画家さんの仰っている感じで文章を書くって、どうなのかな・・・
少なくても、商売にはならないかな・・・とてもとても人の役に立つものにはならないだろうな・・・じゃあ、結局は自己満足か・・・その自己満足を、わたしはどうして肯定できないんだろう・・・
やっぱり、文章を書くって、自己表現以上に、伝達を目的にしなきゃという意識が働くからかな・・・なにかしら、人の役にたちたいという野心も捨てきれないしね・・・人の役に立つ伝達・・・何を伝達すれば、人の役に立つんだろう・・・わたしの中に、伝達して人の役に立つようなものなんて何もないけどな・・・ああ~・・・
で、もとにもどって、古池や蛙飛び込む水の音・・・やっぱり、この句は、スゴイ・・・スゴイと思う。
これってスゴイ句だなって、いつも思うんでよ。けど、どう凄いのか、なんで凄いのか、自分でも何を感じでスゴイと思っているのかが全く分からない。で、他の人はどう感じているのかなと思って調べてみると、奥深すぎる意味を解説してくれる方も少なからずいらっしゃるんですが・・・どうも、わたしが感じているのは、そういうことじゃない気がするんですよね。
むしろ、意味がないところがスゴイっていうか・・・だって、素直に読んだら、バカみたいな句ですよ・・・カエルが池に飛び込んで、ポチャンと音がしたってだけのことを言ってるんだもん・・・でしょ。
でもね・・・なのに、なんか感じるでしょ・・・これって、どうして?
なんやかやいっても、芭蕉の名前に無意識にビビっているのかな・・・それは、やっぱり、完全には否定できないかな。でも、それだけじゃないようにも思うんですよ・・・なんかね・・・意味とか背景とかじゃなく・・・ふむ・・・音かな、リズムかな・・・生理的な部分かも・・・
と・・・これ以上、いくら考えても、何も発展しないので、毎度おなじみ、自分話に切り替えます(爆)。
なんていうか・・・いろいろ考えて、やっぱり、わたしには、何にしろ書くしか能がないって思うんですが・・・じゃあ、何を書くかって考えると、何を書きたいんだか、何を書くべき何だか、自分の中に何もないんですよね。やっと阪氏続けてきた方法を見つけたっていうか・・・まあ、結局は青い鳥だったんですが・・・書くしかないかって覚悟を決めたんですが・・・そうしたら、なんと肝心の何を書くのかの部分が、空っぽだったんですよね。
わたしって、理屈っぽく話すので、理論家だと思われがちですが、実際は行き当たりばったりで、その場で思いついたことに、それらしい理屈をつけて話すだけで、何も中身がないわけで・・・だから、学者さんの論文的なモノや、独自の世界を構築して一つの物語を完結させられる小説家さん的なこともできないし・・・
とね・・・ある画家さんが、「ただ描きたいから描く、そうして描ける間はそうして描く」って仰っているのを知って・・・そういう風に書くって可能かな・・・って思ったんですけど、どうなんでしょうね。絵を描く人も色々でしょうけど・・・その画家さんの仰っている感じで文章を書くって、どうなのかな・・・
少なくても、商売にはならないかな・・・とてもとても人の役に立つものにはならないだろうな・・・じゃあ、結局は自己満足か・・・その自己満足を、わたしはどうして肯定できないんだろう・・・
やっぱり、文章を書くって、自己表現以上に、伝達を目的にしなきゃという意識が働くからかな・・・なにかしら、人の役にたちたいという野心も捨てきれないしね・・・人の役に立つ伝達・・・何を伝達すれば、人の役に立つんだろう・・・わたしの中に、伝達して人の役に立つようなものなんて何もないけどな・・・ああ~・・・
で、もとにもどって、古池や蛙飛び込む水の音・・・やっぱり、この句は、スゴイ・・・スゴイと思う。