OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

感じることと知ることとの折り合い

2025-01-01 08:29:24 | Weblog
早朝、庭師さんたちの仕事を取り上げた番組が放送されていたと思う。まどろみ状態の中で、音声だけを聞いていたので定かではないが、桂離宮と聞こえた気がするし、ちゃんと目覚めてから見た映像はきっと足立美術館のお庭だと思う・・・

で・・・ふと思ったのだけれど・・・

わたしが庭師さんだったら、彼らの超絶技巧に気付き細部まで鑑賞し正しく称賛する人と、ぼ~って眺めながら「好きだなぁ~、なんだかすごく好きだなぁ~」なんて思う人がいたら、どちらを嬉しいと思うだろうか・・・たぶん、どっちも嬉しいよね、たぶんね(^^)。

けど、ただ「好きだなぁ」という感覚は、何よりも大切だとは思う。学校の先生が生徒の成績表をつけるみたいに、項目ごとに評価していくような見方ではなく、そこに身を置いて全身で感じる「好きだなぁ」っていう感覚が、まず第一なのだと思う。

とはいっても、好きになったら"知りたい"と思うのが、われわれ人類の素敵なところ!

ただ好きだなぁ~から始まって、細かいところまで見たくなり、それについて知りたくなり、人によってはそれを語りたくなる・・・高じてマニアが出来上がっていくわけだ(笑)。

だから、ただ感じるを通り越して、知識をいっぱい仕入れたり、それをもとに色々と考えたりすることは、決して悪いことじゃないんだけど・・・それに夢中になると、ただ好きだった時の素直な喜びみたいなものを手放しがちになるよなぁ~と思わなくもない。いっぱい知っていること、高度な批評が出来ることが"偉い"みたいな・・・でも"偉い"ってなんだよ!

知るって楽しいし、すごく素敵なことだと思う。それについて語ることも、わたしのような人間には、とっても楽しいことだし、その作業に慰められるようなこともいっぱいある。けど、たくさん知っていることが"偉い"わけじゃないということ、それを使って誰かを不快にさせるようなことはしたくないと思っていたいこと・・・ちゃんと忘れるなよと、自分に言いたい(^^;。


"土の中"のイメージが一変(^^;

2024-12-25 09:10:52 | Weblog
ようやく、春咲きの花の球根を植え終えた。植え付けの最適時期に体調を壊して作業が出来ず、遅くなってしまったものもあるけれど、まあまあ許容範囲と勝手に考えている。結果は、春になったら分かるだろう・・・ちょっとコワイ(^^;。

と・・・とたんに、一気に気温が下がってきた。ほんと、滑り込みセーフってやつだと思っている・・・勝手な希望的判断だけど(^^:。

とね・・・なんだかね・・・"土の中"のイメージが、ちょっと、いや一気に真逆くらいに変わったんだよね・・・

それまではね・・・土の中って、まさにアンダーグラウンド・・・隠されたとか閉じ込められたとか陽の当たらないとか、とにかくジメジメと暗くて寒くて・・・完全にマイナスなイメージだったものだから・・・そこに埋められた球根たちは、そこで"耐えて待つ"んだなと、つらいだろうけど頑張れよと、そんな風に思っていたんだけど・・・

球根を植え終えて、すぐに寒波がやってきて・・・"土のお布団に守ってもらってね""そこなら安心だからね"って、球根に語りかけている自分がいた(^^;。

早朝、霜がおりて一面真っ白な地面を見ながら・・・でも、土の下の球根たちは、ぶ厚めに覆った土が守ってくれているから、きっとそんなには寒くないに違いないと安心できる。球根や、土中で越冬する生き物たちにとって、土は命を守り育んでくれる、まさに母なる大地なんだろうね・・・

ふむ・・・イメージなんて、そんなものだよなぁ~・・・っていうか、わたしの感性なんて、いかに底が浅いかってことだよね・・・だよねぇ(^^;。

毎日少しずつ・・・あるいは失うことへの恐怖・・・

2024-12-22 10:18:09 | Weblog
朝、起きてから、まずは毎日の早朝の家事のルーティーンをこなす。それを終えたら、机(冬場はコタツ)の前に座って、パソコンを開らき、メールのチェックをする。すると、毎回必ず、かなりの数の迷惑メールが届いている。それを一つずつ注意しながら(時々、間違って大切なメールまでゴミ箱送りにするから(^^;)削除していく。といっても、たいした手間ではない。ポチポチポチポチ、数分間、キーを押すだけのことだ。けれど・・・微妙に、でも間違いなく、少しずつ心が蝕まれていくなと思う。だって・・・このメールの数だけ、人の悪意が送られてきているのだもの・・・その悪意にさらされているのだもの・・・。ほんとうに大したことではない・・・関わる手間や時間にしても、精神的な打撃にしても、ほんの微々たるもの、ないに等しい、無視してかまわない程度・・・でも・・・なんかやっぱり・・・毎朝毎朝、人の醜さを確認しているのは、心にとって好ましいことではないように感じるなぁ~・・・

なんて話より・・・ふ~む・・・

うちのてんちゃん、藍那の愛猫のてんちゃんは、もういくつになったっけ・・・保護猫だから、定かな誕生日は分からないけど、2010年生まれだと思うから・・・ああ~、もう立派なじいちゃんだよなぁ~。ハンサムだけどおデブちゃんだし、もともと猫なのに運動神経が鈍めだったから、最近では、ほんとうに動きが鈍くなってる。しかも、慢性の鼻炎で、常に片鼻詰まっていて、しょっちゅう詰まった青洟をクシュンクシュンと周囲に飛ばしていたのが、ここ数日はその力がないのか、飛ばすことが出来ずにフガフガフガフガと苦しそうに息をしている。体調が悪いという感じではないので、深刻には捉えてないのだけど・・・正直、ずっとずっと、そこはかとなくな感じで怖くてたまらない・・・静かに寝ていると、息をしているのか確かめてしまうことが、日に何度もある・・・

そんなことを気にしても仕方ない・・・わかっている。何物も何者も、いつかは失われていく・・・己だって、必ず失われていく存在だ・・・心配しても気に病んでも、どうすることも出来ないことを思い煩ってどうするか・・・

今までの人生で、多くのものを失った。多くのものを得たけれど、それと同じくらい多くのものを失った・・・得たら必ず失う、それが世の習いだから・・・そんなことは分かっている・・・嫌と言うほど思い知っている・・・

でも、てんちゃんはダメだ、てんちゃんを奪っちゃダメだ・・・これは理屈じゃないんだ・・・ただ、てんちゃんはダメなんだ・・・

てんちゃん、なんとか私より長きしてくれないか・・・お願いだから、先にいったりしないでくれないか・・・お願いだから・・・

共感とは、一種の規則性なのかな

2024-12-16 17:56:23 | Weblog
NHKの番組『ダークサイドミステリー』で、エニグマの回を再放送していたので、また見ちゃいました(^^;。けっこう好きなんですよね、数学とか暗号とか・・・理解は出来ないのに好きという、いつものあれです(^^;。映画でもありましたよね、ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』。他にも、エニグマ関連の映画を見た気がするんですが・・・正確なタイトルを思い出せません・・・とほほ。それにしても、毎回思うんですが、解読する側のお話ばかりで、開発した人のことは、ほとんど取り上げられないんですよね・・・なぜなんでしょう。解読する方が難しいから、あるいはドラマになりやすいから・・・でも、一応、それほどの暗号機を生み出した人にも敬意は払うべきなんじゃないですかね・・・わたしも詳しいことは何も知らないんですが、お名前はアルトゥール・シェルビウスさんだそうです(^^)。

おっと、余談が過ぎましたね。本題に入ります・・・といっても、なんとなく漠然と思っただけのことを話そうとしているものですから、ちゃんと脈絡のあるお話になるかどうか、自分でも不安なんですが・・・・💦

前出のNHKの番組『ダークサイドミステリー』では、難攻不落の暗号を何とか解読しようとする数学者たちの格闘を解説するんですが、どうも暗号解読のキーとなるのは"規則性"みたいなんですよね・・・わたしの拙い理解では(^^;。人間のすること、考えることには、必ず偏りと言うか規則性があるので、人間の作る暗号は時間さえかければ必ず解けちゃう。だから、その弱点をクリアするために、エニグマという機械に暗号を造らせた。でも、結局、エニグマを運用するのが人間だから、その人間の行為から綻びが生じ、そこを突破口にされて解読されてしまった・・・とね。

で・・・それを聴きながら・・・ふと"生成AI"のことを思ったんですよね・・・

これまでは、コンピューターがいかに賢くでも、膨大な作業を短時間にこなせるというような賢さでしかなくて、人間が自分たちの専売特許だと最も誇らしく思っている"想像力"的なこと、つまり創造的な作業はできないと思われていたでしょ。でも、それすら"生成AI"で可能になってきたんじゃないかと・・・便利を通り越して、やっぱりちょっと脅威に感じてる今日この頃ではないでしょうか(^^;。

でね・・・その"生成AI"っていうやつ・・・その仕組みみたいなことは、当然のことながらほんの少しも理解できないんだけど・・・とりあえず、膨大なデータを基に回答を導き出してるんじゃないかと・・・それはたぶん、間違ってないですよね(^^;。とね・・・ほら、なんか、エニグマ解読と似てません?でもって、答えを得るための"キー"は、やっぱり規則性なんじゃないですか?

たとえば・・・流行る音楽を"生成AI"に作ってもらうとしたら・・・多くの流行り歌をAIに学習してもらって、そこにある共通項を見つけて、その共通項を基に必ず流行る曲を組み立ててもらう・・・みたいな・・・

でもって、その共通項って、つまりは、多くの人が"好き"と感じるフレーズだっり、リズムだったり・・・どんなに賢くても、機械には決して理解できないと思っていた、わたしたちの"気持ち""心"の部分の事柄なんですよね・・・たぶん・・・

わたしたちが、もっとも心揺さぶられる"共感"の部分が・・・機械によって"規則性"として抽出される・・・なんだか、そんな風に感じられたんですよね・・・なんだか、それで、一気に"聖域"が、ただの領域になっちゃったような・・・

どうなんでしょうね・・・まっ、そもそも、そんな聖域が必要かと言うと・・・それもよく分からないんですけどね・・・よくわからないんだけど・・・やっぱり、ちょっとガッカリ感は否めないですよね・・・💦

人体の不思議・・・十数年ぶりのお泊りのあと(^^;

2024-11-30 09:36:19 | Weblog
先日、久しぶりに友人と京都でお泊り会をした。ほんとうに久しぶり・・・たぶん十数年ぶり・・・たぶん。少なくても、母が認知症の症状を見せ始めた7年前から、なるべく長時間の外出は控えていたし、その前も軽く引きこもりになっていたから・・・そうね、やっぱり少なくても15年くらいは泊りがけの外出はしていなかったと思う。

楽しかった・・・ほんとうに楽しかった。十数年のブランクが一気にふっ飛んで・・・いや、もう、学生時代に戻った気分だった💛。

でも・・・その京都からの帰りの車の中で、すでに軽く吐き気が始まった。何度か経験のある症状で・・・これは確実に来るなと思っていたら・・・やっぱり、家に帰りつくなりベットに倒れ込むことになった。半日、吐き続けた。その日に食べたもの、全部出してしまった・・・奮発して、高い近江牛のすき焼きを食べたというのに💦。

きっと、体がびっくりしたんだね・・・きっと、心もビックリしたんだと思う。お出かけすることやお泊りすることどころか美味しいものを食べることや、存分に友達と会話を楽しむことさえ、体も心もすっかり忘れてしまっていたんだね・・・

少しずつ思い出していこうね・・・いいよね、思い出しても・・・決して以前と同じではないけど・・・それなりに、心にも体にも、楽しむことを許していってあげようね・・・それが前向きに生きるってことなのかな・・・だとしたら、やっぱり、まだちょっと後ろめたいけど・・・どうしたらいいかね・・・

電池の個性(^^;

2024-11-09 08:28:39 | Weblog
よく話していますが、我が家のニャンコたち4匹、見事なまでに性格が違います。ニャンコたちの前には、ゴールデンレトリバーの兄弟と暮らしましたが、同じお父さん同じお母さんで同じ日に生まれた兄弟で、同時に引き取り、同じように育てたにもかかわらず、性格は真逆といっていいほど違っていました。

子ども博物館運営時代には、地域に棲息する淡水魚や熱帯魚などを飼育していましたが・・・かれらも、動物に比べると分かりにくいですが、同じ魚種でも個体によって微妙に違いがあるように見えることがありました。

植物もです。同時期に手に入れて、同じ場所に置いて、同じように世話している、同じ種類の草花でも、育ち方に大きな違いがでてくるのは、よくあることです。

だから・・・いわんや人間をや、ですよね。

そして・・・さすがにこれはビックリしたのですが!電池にさえ、個性(個体差)があるんですよ、みなさん!!

友人から、可愛い電気蝋燭をいただいて、以来ずっと灯しているんですが、電池式で数日しかもたないんですよね。だから、常時点灯したいなら、充電池を使わなきゃ家計がもたないと思って(^^;、10本セットの充電池を買いました。電気蝋燭には、単四電池が3本必要なので、3本一組のチームを3組つくり、ローテーションを組んで使っているのですが・・・これがねぇ、驚いたことに、チームによって、灯りの強さとか持続時間が全く違うんですよ。あるチームは凄く明るいんですが寿命が短い。あるチームは、光がぼんやりしているんですがその状態で何日も持続する。もう一チームはその中間な感じなんですよ。何度充電しなおしても同じ。充電器のセット箇所をいろいろ変えてみても変わりなし。これはもう、電池たちの個性としか思えなくないですか?!

ああ~、生き物じゃなくても個性はあるんだ!

だから・・・いわんや人間をや、ですよ。いわんや人間をや、ですって!!

イングランドから大江戸へ方向転換か(^^;

2024-10-27 07:43:06 | Weblog
今、『新・美の巨人たち』という番組の「向島百花園」の回を見ているんですけど・・・ああ~、こちかもしれない!なんて、胸がドキドキとしています(^^)。

母の畑を自作の庭に作り替えたいと・・・その際、目指すはイングリッシュガーデンだなと・・・とはいっても、ちゃんと定義を理解して言っていたわけじゃないわけです、イングリッシュガーデンとはどういうものなのかって。ただ、漠然と、自然な感じを大切にしている庭という認識でした。英国ドラマなんかをよく見るもので、一般の人の日常生活の中にガーデニングというのが普通にある感じも、ほどよい規模で参考にしやすいなと・・・

日本の庭園も好きですけど、御所とか離宮とか大名庭園とかが頂点で・・・日本人の美意識を思えば、自然な様子を大切にしているはずだとは思うんですが・・・それはもう、専門家に大枚を払って造ってもらわなきゃできないもので、造ってからも専門家に細やかにメンテナンスしてもらわなきゃ維持できないもので・・・とてもとても庶民が手を出せるような世界じゃないと・・・

けど、向島百花園は、ちょっと違うみたいなんですよね・・・

クラウドファンディングで造ったとか言っても、富豪や当時の文化人の頂点にいる人たちが思い入れをもって造ったものなので、庶民の個人の庭が同じレベルで語れやしませんが、その理念というか、美意識というか・・・大切にしようとしているものというか、うれしがっているものというか・・・とにかく、すごく共感できる気がしているんですよね・・・

でもって、登場する草花が、イングリッシュガーデンより・・・自国ですから当たり前ですが・・・馴染みがあって"そうなの、これこれ!"って思っちゃったんですよね。

まっ、定義とか肩書とか分類とか、どうでもいいっちゃどうでもいいんですけどね・・・要は、英国でも大江戸でも、なんでもいいけど、より"そこいらの野っ原"感を失わない庭造りこそが、わたしの目指しているものだなと思った次第なのでした(^^)。

ただ・・・用意した球根の植え付け期限が、どんどん迫ってきて・・・でも、今頑張って庭仕事を再開したら、また体調を酷く崩しそうで・・・焦りと恐れで、気持ちがワチャワチャです(^^;。

何かを変えなきゃ・・・

2024-10-24 08:54:31 | Weblog
何かを変えなきゃ、自分がゆっくり死んでいくような気がする・・・なんて思うこと、あります?ある人もいる・・・そんなこと思いもつかない人もいる・・・かな(^^;。

ここのところ、ずっと体調がすぐれないんですよね。寝込むほどではない、病院に駆け込むほどのことはない、でも、ずっとグズグズとしんどい・・・こういう時って、気持ちもどんどん沈んでいきません?長く病を抱えながらも、前向きに色んなことに取り組んでいる人って、ほんとうに頑張り屋さんだと思います。絶対にしんどいはずなのに・・・ねっ・・・

なんてことを何故書いているのか・・・かっこ悪いのに・・・親しい人が読んだら心配けてしまうのに・・・

まっ、なんていうか・・・一つの技です、わたしの(^^;。文字にするなり、口にするなり(わたしの場合、口にするのは苦手かな)、外に出してしまったら、ちょっと他人事になるというか・・・わたしのことじゃなくて、一般論的に捉えられるというか・・・

まっ、そういうことなので・・・心配には及びません・・・(^^)。

過去に生きる?今を生きる?過去と一緒に今を生きる・・・

2024-10-18 08:25:12 | Weblog
レンジ君が車検に出発した・・・

エアコンが全く効かなくなっているので、修理を頼んだが、「もう部品が手に入らないかもしれないので、ご要望に応えられないかもしれない。それでも車検は通しますか」と確認された。「もちろんです」と答えた。わたしの子供の頃の自家用車は、どれも空調なんてついてなかった。暑ければ窓を開け、寒ければ厚着をする・・・それでいいじゃないか!

とはいえ・・・レンジ君じゃなければ(もちろんMINI君も、つまりこの二台に限り)、迷うことなく手放して新しい車に乗り換えただろう。けど、わたしは、レンジ君とMINI君が守ってくれている思い出たちを、決して手放さない・・・

"過去は忘れて前向きに"という言葉をよく聞く。そういわれた人は、言ってくれた人の好意に感謝して、何も反論せず、にっこり微笑むだろう。けれど、そんなこと・・・

これは執着ではない。前向きになる"主体"が失われたのだ。主体がなければ執着さえできない・・・ましてや、どうやって前向きになる?

とにかく・・・レンジ君には、傍にいて欲しい。MINI君にも傍にいて欲しい。わたしの傍にいて欲しい・・・

DIYで東屋を・・・

2024-10-16 17:55:10 | Weblog
プレ・イングリッシュガーデン計画として、春咲きの球根を植え始めている。完全に余談だが、イエモンの『球根』という歌、好きだなあ。で、元に戻って・・・昨年は、苗タイプを多く植えたが、生きのこったものは少なく・・・球根の生存率の方が高かったので・・・緑の指を持たない私でも、球根なら頑張って自力で育ってくれるかもしれないと、他力本願を狙っているんだ・・・

でも、とたんに体調を崩し・・・今回は、庭仕事のせいではなく、風邪だったと思うが・・・つくづく、自分の体力のなさ、体の弱さに失望してしまう・・・という自嘲を吐きたいわけではなく(^^;・・・少し体調が戻り始め、また気温も下がって涼しくなってきたし、そろそろまた庭仕事を再開しようかと思いつつ、室内から庭を眺めていて、ふと思いついたのだ・・・真ん中に、小さな東屋が欲しい!

東屋が無理なら、一畳程度のウッドデッキでもいい・・・ふむふむふむふむ、好い感じじゃな~い💛

周りにさまざまな草花が咲く中、かわいい東屋で、お茶を飲みながら読書・・・なあんて、雑誌の一ページ、ドラマの一シーン、素敵じゃな~い💛

でも、わたしは知っているのです。草がいっぱいの中で、実際はそうそう寛げやしないって。子どもの頃、レンゲ畑の真ん中で、仰向けに横たわって空を眺めた。さぞ気持ちいいだろうと思ったら、とんでもなかった。地面からジワジワと湿気が上ってきて、服はジメジメするし、顔の周りに小虫がたかって気持ち悪いし・・・あはははは(^^;。だから、東屋だって・・・虫にさされたらすぐに腫れあがる体質で、日光過敏症で、そんなわたしが快適に過ごすための障害がありすぎる・・・それは知っているのだけど・・・

それでも、ああ~、室内から眺めるだけでも、あそこに小さな東屋があったら、なんて素敵なんだろう!と思わずにはいられないのです。DIYで、費用を抑えて作れないものかな・・・簡易のウッドデッキキッドだったら、かなり安く通販でも手に入るけど、土台がしっかりしてないと、すぐに腐っちゃうよね・・・ん~・・・

なんだか、蟻の歩みのようなイングリッシュガーデンへの道ですが・・・まったく進んでいないわけではない・・・そう、わけではないのであります・・・(^^;。