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OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

命の持つ温かみ・・・

2025-01-31 08:11:40 | Weblog
どなたでも、経験あるんじゃないかな・・・心がとっても痛いときに、人であったり、ワンちゃんや猫ちゃんであったり、とにかく生き物に触れ、その体温を感じることによって、ちょっとだけ落ち着けるような感覚・・・

生き物、つまり命には、心を癒す効果がある・・・まっ、今更、改めて言うことでもないのかもしれないけど、ほんとうにそうじゃないかと思います・・・

でね・・・今朝、ふと思ったのだけど・・・命の持つ癒し効果って、実際にその命がそこになくても、実際にその命に触れて直に体温を感じていなくても、有効なんじゃないかなぁ・・・ふむ。毎度の早朝の車の運転途中・・・まだ空は暗くて、真っすぐ続く道の信号が、どこまでも赤で、他に走る車もなくて・・・なんとも寒々しい風景だなって思ったんですが・・・もしそこに、人が一人でも歩いていたら・・・その人が寒そうにコートの襟を立て少し前かがみに歩いていたとしても・・・その風景は、誰もいないより、少しだけ温かくなるんじゃないかと思ったんですよね。そう思うと、たしえば絵画とか写真とかでも、風景の中に人がいたら、人でなくても犬や猫が歩いていたら、いえカラスがゴミを漁っていたとしても・・・やっぱり、建物だけ道路だけの風景より、はるかに温かみが増すんじゃないかなぁ~って・・・。それほど、命の持つ温かみって凄いんじゃないかなぁ~って・・・そんなことを思ったのでした。

そうそう、動物じゃなくても、植物だって、その威力、ありますよね。人工物や鉱物だけの風景じゃなくて、そこに植物があれば・・・ああ~、でも、植物って、触れても温かくないよなぁ~、それって血がないから?・・・体温って体内の代謝で発生する熱らしいけど・・・植物も代謝しますよね・・・いや、代謝ってなんなのか、よく知りませんけど(爆)。

なんか、話が変な方向に・・・

もしかして、癒しの温もりは、意外に熱と関係ないとか・・・あくまでも、イメージによるものだとか・・・いやいやいや、実際に、ほんとうにツラい時、てんちゃんをぎゅ~っとして、その体温を感じることで、ずいぶん救われたのは本当のことだし・・・むむ?

ああ~、よくわかんないや・・・いつものことだけど・・・・(爆)

そういえば、イメージって自分の経験が下敷きですよね。以前、小説の『三体』を読んで(聞いて)、ゲームのシーンを脳内で映像に変換するとき、わたしの場合は香港映画的な映像になっていたけど、後でドラマの『三体』を見たら、当然のことながらゲーム画像になっていて・・・ああ~、人の生み出すイメージは、どこまでもその人の中にあるものに限られるなぁ~って思ったのだけど・・・

温かさというのも、経験や体験がベース、だから、実際に感じた温かさというのが基本にはなっているけれど・・・そこからイメージというものが仕上がっていって、押し広がれば本当の温かさがなくても温かみを感じることができるようになるということなのかな~・・・

いやいやい、適当なこといってますけど・・・ぜんぜん、よく分かってませんけど・・・・💦

若者に老害と疎んじられるほどの存在感もない

2025-01-18 08:48:47 | Weblog
阪神淡路大震災・・・ふむ・・・

うちは西宮市だが、甲子園球場がある浜側ではなく、裏六甲に位置するため、表六甲地域ほどの被害はなかった。我が家も多少の損害はあったが、表六甲側の被害があまりにも甚大で、とても被災したなどとは申し訳なくて言えない・・・その程度だった。

けれど、営んでいた珈琲屋の常連さんには、表六甲に住まいがあったり、職場があった人も多く、体験談は数多く聞かせてもらった。その中には、近所の人を救助しようとした話もあったが・・・その内容は、文字にしようにも、手が動かない・・・

言いたいことを伝えるためには、ちゃんと具体的に話すべきなのだろうが・・・それは、話を聞いた程度の私ごときが語れる話ではない気がして・・・つまり、わたしに体験を語ってくれた方たちが、地震直後の救助活動で直面した光景は、言語に絶するということで・・・それを聞いただけの私ですら、トラウマに感じるくらい・・・いや、そんなのおこがましいのだけれど・・・

ただ・・・いまだによく分からないのは・・・そんな体験を、オジサンたちは、実に淡々と話してくれていた。怒りや悲しみや後悔や、とにかく激しい感情表現など一切なく、ほんとうに淡々と話して聞かせてくれた。

心の冷たい人で他者の痛みや悲しみに共感できないからでないことは確かだ。そんな人なら、自分の命すら危ない中で、必死に人を助けようとしたりはしない。あんな体験をして、心に酷い傷をおわなかったはずはない。けれど、それを聴き手の私に、ぶつけようとはされない・・・どうしてなのだろう・・・

いろんな理由を考えたが、答えがでるはずもない。ただ、ふと、世代ということがあるのかな・・・と思った。当時、壮年の男性といえば、若くして戦争を体験した人から、戦後生まれでも高度成長期を支えてきた人たちだろうか・・・

古い時代の"男らしさ"を賛美するつもりはない。今の若者は軟弱だ、とか言いたいわけでもない。ただ、時代の個性というものは確かにあるし、気質も変遷するのだろうとは思う・・・

そして、いま、わたしは、私たちの少し上の世代の人たちのもつ"根っこのある強さ"が欲しいと思う。いまの若者にすれば、わたしなどはもう、壮年期をすぎた老人だ。にもかかわらず、若者に老害と疎んじられるほどの存在感もないとは情けない。いやいや、別に、今更、若者や社会に存在を認められたいわけではない。ただ、自分自身の中に、一本通った強い芯を持ちたい・・・それだけなのだ。

御籤は言ってる・・・がんばれ!見守っているからね!

2025-01-02 15:34:37 | Weblog
友人との会話で、二年連続で御神籤の凶を引いたという話になった。で・・・凶は決して悪いものじゃないらしいよと話した。今が凶なんだから、これからは今より良くなるってことらしいよ、と。

でも、じゃあ、大吉とかは、これから落ちる一方ってことになるの? いやいやそうじやない、願望成就とか、とにかくとってもイイことが起こるってことらしい・・・ふむ?

つまり・・・吉を引こうが凶を引こうが、解釈によって良くも悪くもなるってことだよね。じゃあ、お神籤を引く意味って何?

さてさて、つまりはそこが肝心なわけですよ。っていうか、お神籤の凄いところであり、ズルいところ(^^;。なんていうか・・・結局は、"がんばれ!見守っているからね!"ってことなわけです。

なんだか、やられたって気がしません?単純だけど、よく出来てますよ。だから、今もって、支持され続けているわけですね・・・(^^)。


感じることと知ることとの折り合い

2025-01-01 08:29:24 | Weblog
早朝、庭師さんたちの仕事を取り上げた番組が放送されていたと思う。まどろみ状態の中で、音声だけを聞いていたので定かではないが、桂離宮と聞こえた気がするし、ちゃんと目覚めてから見た映像はきっと足立美術館のお庭だと思う・・・

で・・・ふと思ったのだけれど・・・

わたしが庭師さんだったら、彼らの超絶技巧に気付き細部まで鑑賞し正しく称賛する人と、ぼ~って眺めながら「好きだなぁ~、なんだかすごく好きだなぁ~」なんて思う人がいたら、どちらを嬉しいと思うだろうか・・・たぶん、どっちも嬉しいよね、たぶんね(^^)。

けど、ただ「好きだなぁ」という感覚は、何よりも大切だとは思う。学校の先生が生徒の成績表をつけるみたいに、項目ごとに評価していくような見方ではなく、そこに身を置いて全身で感じる「好きだなぁ」っていう感覚が、まず第一なのだと思う。

とはいっても、好きになったら"知りたい"と思うのが、われわれ人類の素敵なところ!

ただ好きだなぁ~から始まって、細かいところまで見たくなり、それについて知りたくなり、人によってはそれを語りたくなる・・・高じてマニアが出来上がっていくわけだ(笑)。

だから、ただ感じるを通り越して、知識をいっぱい仕入れたり、それをもとに色々と考えたりすることは、決して悪いことじゃないんだけど・・・それに夢中になると、ただ好きだった時の素直な喜びみたいなものを手放しがちになるよなぁ~と思わなくもない。いっぱい知っていること、高度な批評が出来ることが"偉い"みたいな・・・でも"偉い"ってなんだよ!

知るって楽しいし、すごく素敵なことだと思う。それについて語ることも、わたしのような人間には、とっても楽しいことだし、その作業に慰められるようなこともいっぱいある。けど、たくさん知っていることが"偉い"わけじゃないということ、それを使って誰かを不快にさせるようなことはしたくないと思っていたいこと・・・ちゃんと忘れるなよと、自分に言いたい(^^;。


"土の中"のイメージが一変(^^;

2024-12-25 09:10:52 | Weblog
ようやく、春咲きの花の球根を植え終えた。植え付けの最適時期に体調を壊して作業が出来ず、遅くなってしまったものもあるけれど、まあまあ許容範囲と勝手に考えている。結果は、春になったら分かるだろう・・・ちょっとコワイ(^^;。

と・・・とたんに、一気に気温が下がってきた。ほんと、滑り込みセーフってやつだと思っている・・・勝手な希望的判断だけど(^^:。

とね・・・なんだかね・・・"土の中"のイメージが、ちょっと、いや一気に真逆くらいに変わったんだよね・・・

それまではね・・・土の中って、まさにアンダーグラウンド・・・隠されたとか閉じ込められたとか陽の当たらないとか、とにかくジメジメと暗くて寒くて・・・完全にマイナスなイメージだったものだから・・・そこに埋められた球根たちは、そこで"耐えて待つ"んだなと、つらいだろうけど頑張れよと、そんな風に思っていたんだけど・・・

球根を植え終えて、すぐに寒波がやってきて・・・"土のお布団に守ってもらってね""そこなら安心だからね"って、球根に語りかけている自分がいた(^^;。

早朝、霜がおりて一面真っ白な地面を見ながら・・・でも、土の下の球根たちは、ぶ厚めに覆った土が守ってくれているから、きっとそんなには寒くないに違いないと安心できる。球根や、土中で越冬する生き物たちにとって、土は命を守り育んでくれる、まさに母なる大地なんだろうね・・・

ふむ・・・イメージなんて、そんなものだよなぁ~・・・っていうか、わたしの感性なんて、いかに底が浅いかってことだよね・・・だよねぇ(^^;。

毎日少しずつ・・・あるいは失うことへの恐怖・・・

2024-12-22 10:18:09 | Weblog
朝、起きてから、まずは毎日の早朝の家事のルーティーンをこなす。それを終えたら、机(冬場はコタツ)の前に座って、パソコンを開らき、メールのチェックをする。すると、毎回必ず、かなりの数の迷惑メールが届いている。それを一つずつ注意しながら(時々、間違って大切なメールまでゴミ箱送りにするから(^^;)削除していく。といっても、たいした手間ではない。ポチポチポチポチ、数分間、キーを押すだけのことだ。けれど・・・微妙に、でも間違いなく、少しずつ心が蝕まれていくなと思う。だって・・・このメールの数だけ、人の悪意が送られてきているのだもの・・・その悪意にさらされているのだもの・・・。ほんとうに大したことではない・・・関わる手間や時間にしても、精神的な打撃にしても、ほんの微々たるもの、ないに等しい、無視してかまわない程度・・・でも・・・なんかやっぱり・・・毎朝毎朝、人の醜さを確認しているのは、心にとって好ましいことではないように感じるなぁ~・・・

なんて話より・・・ふ~む・・・

うちのてんちゃん、藍那の愛猫のてんちゃんは、もういくつになったっけ・・・保護猫だから、定かな誕生日は分からないけど、2010年生まれだと思うから・・・ああ~、もう立派なじいちゃんだよなぁ~。ハンサムだけどおデブちゃんだし、もともと猫なのに運動神経が鈍めだったから、最近では、ほんとうに動きが鈍くなってる。しかも、慢性の鼻炎で、常に片鼻詰まっていて、しょっちゅう詰まった青洟をクシュンクシュンと周囲に飛ばしていたのが、ここ数日はその力がないのか、飛ばすことが出来ずにフガフガフガフガと苦しそうに息をしている。体調が悪いという感じではないので、深刻には捉えてないのだけど・・・正直、ずっとずっと、そこはかとなくな感じで怖くてたまらない・・・静かに寝ていると、息をしているのか確かめてしまうことが、日に何度もある・・・

そんなことを気にしても仕方ない・・・わかっている。何物も何者も、いつかは失われていく・・・己だって、必ず失われていく存在だ・・・心配しても気に病んでも、どうすることも出来ないことを思い煩ってどうするか・・・

今までの人生で、多くのものを失った。多くのものを得たけれど、それと同じくらい多くのものを失った・・・得たら必ず失う、それが世の習いだから・・・そんなことは分かっている・・・嫌と言うほど思い知っている・・・

でも、てんちゃんはダメだ、てんちゃんを奪っちゃダメだ・・・これは理屈じゃないんだ・・・ただ、てんちゃんはダメなんだ・・・

てんちゃん、なんとか私より長きしてくれないか・・・お願いだから、先にいったりしないでくれないか・・・お願いだから・・・

共感とは、一種の規則性なのかな

2024-12-16 17:56:23 | Weblog
NHKの番組『ダークサイドミステリー』で、エニグマの回を再放送していたので、また見ちゃいました(^^;。けっこう好きなんですよね、数学とか暗号とか・・・理解は出来ないのに好きという、いつものあれです(^^;。映画でもありましたよね、ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』。他にも、エニグマ関連の映画を見た気がするんですが・・・正確なタイトルを思い出せません・・・とほほ。それにしても、毎回思うんですが、解読する側のお話ばかりで、開発した人のことは、ほとんど取り上げられないんですよね・・・なぜなんでしょう。解読する方が難しいから、あるいはドラマになりやすいから・・・でも、一応、それほどの暗号機を生み出した人にも敬意は払うべきなんじゃないですかね・・・わたしも詳しいことは何も知らないんですが、お名前はアルトゥール・シェルビウスさんだそうです(^^)。

おっと、余談が過ぎましたね。本題に入ります・・・といっても、なんとなく漠然と思っただけのことを話そうとしているものですから、ちゃんと脈絡のあるお話になるかどうか、自分でも不安なんですが・・・・💦

前出のNHKの番組『ダークサイドミステリー』では、難攻不落の暗号を何とか解読しようとする数学者たちの格闘を解説するんですが、どうも暗号解読のキーとなるのは"規則性"みたいなんですよね・・・わたしの拙い理解では(^^;。人間のすること、考えることには、必ず偏りと言うか規則性があるので、人間の作る暗号は時間さえかければ必ず解けちゃう。だから、その弱点をクリアするために、エニグマという機械に暗号を造らせた。でも、結局、エニグマを運用するのが人間だから、その人間の行為から綻びが生じ、そこを突破口にされて解読されてしまった・・・とね。

で・・・それを聴きながら・・・ふと"生成AI"のことを思ったんですよね・・・

これまでは、コンピューターがいかに賢くでも、膨大な作業を短時間にこなせるというような賢さでしかなくて、人間が自分たちの専売特許だと最も誇らしく思っている"想像力"的なこと、つまり創造的な作業はできないと思われていたでしょ。でも、それすら"生成AI"で可能になってきたんじゃないかと・・・便利を通り越して、やっぱりちょっと脅威に感じてる今日この頃ではないでしょうか(^^;。

でね・・・その"生成AI"っていうやつ・・・その仕組みみたいなことは、当然のことながらほんの少しも理解できないんだけど・・・とりあえず、膨大なデータを基に回答を導き出してるんじゃないかと・・・それはたぶん、間違ってないですよね(^^;。とね・・・ほら、なんか、エニグマ解読と似てません?でもって、答えを得るための"キー"は、やっぱり規則性なんじゃないですか?

たとえば・・・流行る音楽を"生成AI"に作ってもらうとしたら・・・多くの流行り歌をAIに学習してもらって、そこにある共通項を見つけて、その共通項を基に必ず流行る曲を組み立ててもらう・・・みたいな・・・

でもって、その共通項って、つまりは、多くの人が"好き"と感じるフレーズだっり、リズムだったり・・・どんなに賢くても、機械には決して理解できないと思っていた、わたしたちの"気持ち""心"の部分の事柄なんですよね・・・たぶん・・・

わたしたちが、もっとも心揺さぶられる"共感"の部分が・・・機械によって"規則性"として抽出される・・・なんだか、そんな風に感じられたんですよね・・・なんだか、それで、一気に"聖域"が、ただの領域になっちゃったような・・・

どうなんでしょうね・・・まっ、そもそも、そんな聖域が必要かと言うと・・・それもよく分からないんですけどね・・・よくわからないんだけど・・・やっぱり、ちょっとガッカリ感は否めないですよね・・・💦

人体の不思議・・・十数年ぶりのお泊りのあと(^^;

2024-11-30 09:36:19 | Weblog
先日、久しぶりに友人と京都でお泊り会をした。ほんとうに久しぶり・・・たぶん十数年ぶり・・・たぶん。少なくても、母が認知症の症状を見せ始めた7年前から、なるべく長時間の外出は控えていたし、その前も軽く引きこもりになっていたから・・・そうね、やっぱり少なくても15年くらいは泊りがけの外出はしていなかったと思う。

楽しかった・・・ほんとうに楽しかった。十数年のブランクが一気にふっ飛んで・・・いや、もう、学生時代に戻った気分だった💛。

でも・・・その京都からの帰りの車の中で、すでに軽く吐き気が始まった。何度か経験のある症状で・・・これは確実に来るなと思っていたら・・・やっぱり、家に帰りつくなりベットに倒れ込むことになった。半日、吐き続けた。その日に食べたもの、全部出してしまった・・・奮発して、高い近江牛のすき焼きを食べたというのに💦。

きっと、体がびっくりしたんだね・・・きっと、心もビックリしたんだと思う。お出かけすることやお泊りすることどころか美味しいものを食べることや、存分に友達と会話を楽しむことさえ、体も心もすっかり忘れてしまっていたんだね・・・

少しずつ思い出していこうね・・・いいよね、思い出しても・・・決して以前と同じではないけど・・・それなりに、心にも体にも、楽しむことを許していってあげようね・・・それが前向きに生きるってことなのかな・・・だとしたら、やっぱり、まだちょっと後ろめたいけど・・・どうしたらいいかね・・・

電池の個性(^^;

2024-11-09 08:28:39 | Weblog
よく話していますが、我が家のニャンコたち4匹、見事なまでに性格が違います。ニャンコたちの前には、ゴールデンレトリバーの兄弟と暮らしましたが、同じお父さん同じお母さんで同じ日に生まれた兄弟で、同時に引き取り、同じように育てたにもかかわらず、性格は真逆といっていいほど違っていました。

子ども博物館運営時代には、地域に棲息する淡水魚や熱帯魚などを飼育していましたが・・・かれらも、動物に比べると分かりにくいですが、同じ魚種でも個体によって微妙に違いがあるように見えることがありました。

植物もです。同時期に手に入れて、同じ場所に置いて、同じように世話している、同じ種類の草花でも、育ち方に大きな違いがでてくるのは、よくあることです。

だから・・・いわんや人間をや、ですよね。

そして・・・さすがにこれはビックリしたのですが!電池にさえ、個性(個体差)があるんですよ、みなさん!!

友人から、可愛い電気蝋燭をいただいて、以来ずっと灯しているんですが、電池式で数日しかもたないんですよね。だから、常時点灯したいなら、充電池を使わなきゃ家計がもたないと思って(^^;、10本セットの充電池を買いました。電気蝋燭には、単四電池が3本必要なので、3本一組のチームを3組つくり、ローテーションを組んで使っているのですが・・・これがねぇ、驚いたことに、チームによって、灯りの強さとか持続時間が全く違うんですよ。あるチームは凄く明るいんですが寿命が短い。あるチームは、光がぼんやりしているんですがその状態で何日も持続する。もう一チームはその中間な感じなんですよ。何度充電しなおしても同じ。充電器のセット箇所をいろいろ変えてみても変わりなし。これはもう、電池たちの個性としか思えなくないですか?!

ああ~、生き物じゃなくても個性はあるんだ!

だから・・・いわんや人間をや、ですよ。いわんや人間をや、ですって!!

イングランドから大江戸へ方向転換か(^^;

2024-10-27 07:43:06 | Weblog
今、『新・美の巨人たち』という番組の「向島百花園」の回を見ているんですけど・・・ああ~、こちかもしれない!なんて、胸がドキドキとしています(^^)。

母の畑を自作の庭に作り替えたいと・・・その際、目指すはイングリッシュガーデンだなと・・・とはいっても、ちゃんと定義を理解して言っていたわけじゃないわけです、イングリッシュガーデンとはどういうものなのかって。ただ、漠然と、自然な感じを大切にしている庭という認識でした。英国ドラマなんかをよく見るもので、一般の人の日常生活の中にガーデニングというのが普通にある感じも、ほどよい規模で参考にしやすいなと・・・

日本の庭園も好きですけど、御所とか離宮とか大名庭園とかが頂点で・・・日本人の美意識を思えば、自然な様子を大切にしているはずだとは思うんですが・・・それはもう、専門家に大枚を払って造ってもらわなきゃできないもので、造ってからも専門家に細やかにメンテナンスしてもらわなきゃ維持できないもので・・・とてもとても庶民が手を出せるような世界じゃないと・・・

けど、向島百花園は、ちょっと違うみたいなんですよね・・・

クラウドファンディングで造ったとか言っても、富豪や当時の文化人の頂点にいる人たちが思い入れをもって造ったものなので、庶民の個人の庭が同じレベルで語れやしませんが、その理念というか、美意識というか・・・大切にしようとしているものというか、うれしがっているものというか・・・とにかく、すごく共感できる気がしているんですよね・・・

でもって、登場する草花が、イングリッシュガーデンより・・・自国ですから当たり前ですが・・・馴染みがあって"そうなの、これこれ!"って思っちゃったんですよね。

まっ、定義とか肩書とか分類とか、どうでもいいっちゃどうでもいいんですけどね・・・要は、英国でも大江戸でも、なんでもいいけど、より"そこいらの野っ原"感を失わない庭造りこそが、わたしの目指しているものだなと思った次第なのでした(^^)。

ただ・・・用意した球根の植え付け期限が、どんどん迫ってきて・・・でも、今頑張って庭仕事を再開したら、また体調を酷く崩しそうで・・・焦りと恐れで、気持ちがワチャワチャです(^^;。