徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

川原一紗の世界  ~ 想い ~

2015-10-16 19:10:52 | 音楽芸能


玉名を拠点とし、「音の輪」をテーマに全国各地で音楽活動を展開、各地にファンを持つ夫婦ユニット

おとのわMUSIC(川原一紗◎藤川潤司)

 天からふりそそぐような川原一紗の歌とピアノに、藤川潤司のカリンバなどのやわらかい民族楽器の音色が絶妙なハーモニーを紡ぎ出し、聴く人の心をじんわりと癒してゆくのです。
 川原一紗の生家は真言律宗のお寺。彼女の澄んだ歌声と愛にあふれたメロディは、彼女が好んで取り上げる同郷の仏教詩人・坂村真民(さかむらしんみん)の詩の世界と見事に溶け合うのもむべなるかなと言えましょう。

▼アルバム「たまより」の中から「想い」

国境のはなし。

2015-10-15 18:46:46 | 歴史
 下の写真は旧藩時代肥後國(ひごのくに)と豊後國(ぶんごのくに)の国境(くにざかい)に近い矢谷番所があった辺りである。前方に見える山々の向こうは豊後國だ。
 今では、ここら辺一帯の棚田は秋の実りのシーズンになると、こがね色の稲穂と真紅の彼岸花の見事なコントラストが美しい「番所の棚田」として有名な観光スポットとなっている。
 ところで、「国境」といえば、川端康成の小説「雪国」の有名な書き出し、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」という言葉が「こっきょう」と読むのか「くにざかい」と読むのか、いまだに論争が続いているらしい。この小説の背景となった時代は昭和9、10年頃。そもそも行政区域として「國(くに)」というのはないが、川端はあえて古風な趣のある「国境」という言葉を使ったのだろう。読み方について川端自身はどちらとも示していないらしく、おそらく読み手の感性に委ねるということなのか。ちなみに、古書によれば矢谷番所などは「くにざかいのばんしょ」と言っていたらしい。


マイカーとの別れ

2015-10-14 20:20:43 | 
 今日、マイカーのトヨタ・ラッシュを手放した。わが家にはもう1台、主に家内が使用している軽自動車があるが、2台持つのは、使用頻度と維持費用のバランスから見て合理的ではなくなったので、思い切って1台を売却することにした。
 思えば昭和43年に初めてマイカーを持ってから8台目。これまでの車は、ずっと新しい車の下取りとしてきたので、必ず別れと同時に新しい出会いがあり、別れの寂しさもまぎれるところがあった。ところが今度は別れるだけなので寂しさもひとしおだ。平成19年に購入してちょうど8年乗った。購入して間もなく家内と二人で四国や中国地方へのドライブ旅行をした。燃費は必ずしもよくなかったが、運転はしやすかった。またいつか家内とどこかへドライブ旅行をしたいとも思っていたが、母の介護もあり、それもなかなか難しくなった。いろんな意味で手離す潮時だったのかもしれない。

▼梅林天満宮と愛車(トヨタ・ラッシュ)

かがり火のない熊本城薪能

2015-10-13 21:47:20 | 音楽芸能
 10日に行われた熊本城薪能の写真をブログに掲載したが、これをご覧いただいた方から「熊本城薪能では、なぜかがり火を焚かないのか」というおたずねのコメントをいただいた。これは2、3年前に僕自身も同じ疑問を抱いて、関係者におたずねした記憶がある。その時は奉行丸広場で薪能が行われた年だったと思うが、「国指定の重文に近いので火気には細心の注意を払っている」というような回答だったと記憶している。昨年から薪能の舞台が二の丸広場に移った。昨年は台風の接近で急遽、本丸御殿に舞台を移したものの、今年は天候に恵まれ、予定どおり二の丸広場で行われたがやはりかがり火は焚かれなかった。たしかに舞台の裏の濠をはさんで戌亥櫓や西大手門があるが、かなり距離はあるし、西出丸ゾーンは復元した櫓群で重文ではない。重文ではないから焼けてもいいというわけではなく、2012年まで薪能をやっていた竹の丸広場はたしか、かがり火を焚いていた記憶がある。竹の丸のある東側や北側のエリアは西南戦争の時に焼失しなかった櫓群が重文として集中しているにもかかわらずである。どうも釈然としない。やっぱり薪能にはかがり火は雰囲気づくりに不可欠だ。今一度、管理担当部署の見解を聞いてみたい。

▼竹の丸での薪能(2007年「船弁慶」)


▼奉行丸での薪能(2013年「熊坂」)


▼二の丸での薪能(2015年「鵜飼」)

くるみさんの名取披露

2015-10-12 20:35:44 | 音楽芸能
 今春、高校を卒業し、プロの舞踊家の道へ進むことになった舞踊団花童の中村くるみさんの名取披露が今日、熊本市中央区細工町の古刹西光寺で行われました。
 19年来の師匠、中村花誠さんが創流された「日本現代舞踊 はつ喜流」の「はつ喜月若」という名前でのデビューです。晴れの門出をお祝いするとともに、これからの益々のご活躍を祈ります。



北岡神社で名取式を済ませた後、師匠とともに人力車で披露会場の西光寺へ向かう


会場となった西光寺


いよいよ開宴


師匠のご挨拶




立方:はつ喜月若・舞踊団花童
地方:(唄と三味線)本條秀美
   (唄)西村直子
   (三味線)本條秀美社中
   (鳴物)中村花誠と花と誠の会

海舟も驚いた熊本城

2015-10-11 21:09:01 | 歴史
 先々月発表されたトリップアドバイザーの城ランキング「行ってよかった!日本の城ランキング2015」は、3回目の発表となる今回も「熊本城」が1位にランクされた。
 現在、「秋のくまもとお城まつり」の最中ということもあって連日、国内外から大勢の観光客が押し寄せている。他府県から観光に来られた方から「行ってみたら凄かった!」という声をよくお聞きする。これはだいたい天守閣に登って見渡した時の城郭のスケール感や本丸御殿の絢爛豪華さなどが影響しているようだ。
 この「行ってみたら凄かった!」という感想は、150年前の文久4年(1864)2月、坂本龍馬らを引き連れて熊本城下を訪れた勝海舟の「海舟日記」の中に記されている。この時、海舟は幕府の全権を受け、長州攻撃を目論む米・英・仏・蘭の4ヶ国との交渉のため、豊後街道を通り、熊本を経て長崎に向かった。その時目にしたのが熊本城の偉容だったのである。



「海舟日記」より



秋のくまもとお城まつり の舞台

2015-10-09 20:22:37 | 音楽芸能
 2009年から「秋のくまもとお城まつり」を見るようになって今年で7年目となる。その間、主会場となる特設ステージの場所も移り変わりがあった。2009年から2011年までは竹の丸広場。2012年と2013年が奉行丸広場。そして昨年と今年が二の丸広場である。どの会場からも天守閣が望めるが、やっぱり一、二、三の天守を並べて借景とした二の丸広場の舞台が最高のロケーションだ。これからもできれば二の丸広場で続けてほしい。

▼今年度会場の二の丸広場



▼2011年度会場の竹の丸広場



▼2012年度会場の奉行丸広場

体育の日に思うこと

2015-10-08 18:59:19 | スポーツ一般
 毎年、「体育の日」が近づくと僕は釈然としない気持になる。今年は10月12日ということになっているが、僕にとっての「体育の日」つまり1964年に東京オリンピックの開会式が行われたのは10月10日しかありえない。日本にとって、戦後復興の象徴ともいえる東京オリンピックの開会式の記念日が、毎年よくわけのわからない日に変わることに物凄く抵抗感がある。
 この1964年という年は僕にとって一生のうちで最も思い出深い年。この年から僕は大学に進学して上京した。スポーツ界全体が年明けから10月のオリンピックに向けて非常時体制に入っていた。高校の卒業式も待たず、2月に上京と同時に合宿所に入り、連日、東大や神宮の温水プールでの激しい練習が始まった。どの大学も一人でも多くのオリンピック選手を送り込むために、いつものシーズンより早く活動を開始していたのである。
 オリンピックが始まると、僕らは大会運営の裏方を務めた。開会式の当日、僕は非番の日で、合宿所のテレビで開会式を見た。ブルーインパルスが五輪の輪を描く場面になると、みんな一斉に窓を開けて空を見上げた。抜けるような青空に白い五つの重なる輪を描いて飛び去るブルーインパルスの機影が見えた。その日からの15日間は楽しかった。当番の日は、千駄ヶ谷の東京体育館や代々木のオリンピックプールへ通った。まさに夢のような日々だった。
 5年後に迫った2回目の東京オリンピック。新国立競技場建設や大会エンブレムの問題が噴出し、正直、興ざめの心境だ。これから挽回し、無事開会式にたどりつけたとしても、51年前のあの輝ける日々の再現はおそらくないだろう。


代々木オリンピックプール

紀の国わかやま国体 県勢陸上短距離陣の成績は・・・

2015-10-07 19:47:40 | スポーツ一般
 紀の国わかやま国体の陸上競技は昨日全競技を終えた。僕が注目した熊本県勢の短距離陣はそれぞれよく頑張ったと思うが、成績としてはイマイチというところか。しかし、来年に向け期待を感じさせることもいくつかあった。
 400mHが専門の吉良愛美(アットホーム)は、今回専門外の100mHに出場し2位となり、来年のリオ五輪に向けて希望を抱かせた。また、宮崎亜美香(必由館高)はインターハイの200m4位に続き、今大会では100mで4位となり、実力がついたことを感じさせる。3年生となる来シーズンが大いに楽しみだ。
【その他の活躍選手】
・成年女子400mで7位入賞の新宅麻未(中央大)
・少年男子A400mで5位入賞の江藤拓都(九州学院高)
・少年男子B110mHで7位入賞の丹羽勇人(九州学院高)


▼成年女子100mHで準優勝の吉良愛美(アットホーム)


▼少年女子100m4位入賞の宮崎亜美香(必由館高)


※その他では成年男子100mの末續慎吾(熊本陸協)、成年女子100mの野林祐実(立命館大)
 男子400mリレー、女子400mリレーの熊本県チームがいずれも準決勝で敗退した。
 その中で、野林祐実は先月のインカレに続き、復活の兆しが見えたのが収穫だった。


僕とりょうたの鎌研坂

2015-10-06 21:27:09 | 
 「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ
 とかくに人の世は住みにくい。


 漱石の「草枕」の中の有名な一節だが、この山路というのが鎌研坂(かまとぎざか)といわれている。熊本市西部の島崎・花園地区から金峰山に登る険しい山道である。ここは僕がまだ「草枕」のことなど何も知らなかった中学時代、親友のりょうたと毎週のように登った山道だ。今日では自動車道が並行しているが、当時は「けもの道」のような山道が一本あるだけ。お互いに母親が作ってくれた弁当をリュックに詰め、一路金峰山を目指した。何が楽しいかというと、二人とも大の映画好き。互いに知っている限りのまめ知識を披露し合うのである。当時は西部劇の全盛期。いきおい、話題は自分が見た西部劇のストーリーや好きな西部劇スターの話が中心。話に夢中で険しい鎌研坂もなんのその。あっという間に峠の茶屋へ着いたものだ。そのりょうたも2年前に他界した。中学時代に戻れるものなら、一番やりたいことといえば、りょうたと二人で鎌研坂を登ることだ。


沢に沿って昼なお暗い山路が続く


登り切ると熊本市街地が見える

昭和10年の熊本市内観光

2015-10-05 17:32:26 | 歴史
 今年は、昭和10年(1935)に国内外から約106万人(当時の熊本市人口の5倍)を集めたという「新興熊本大博覧会」が水前寺公園北郊で開催されてからちょうど80年。博覧会の公式ガイドブック「くまもと」には、当時の熊本市および周辺の観光地として、下記のようなところが紹介されている。今日では観光スポットには入っていないところもあり、いかにも戦前という雰囲気が感じられる。

■主な遊覧地
 熊本城/本妙寺/加藤神社/山伏塚/藤崎八旛宮/吉田司家/新市街/立田山/八景水谷/武蔵塚/桜山祠堂/水前寺公園・動物園/画図湖/託摩ヶ原古戦場/国分寺址/金峰山/岩戸観音/花岡山/細川邸/成道寺・天福寺/北岡神社/清正公母堂廟/東雲庭園/旦過の瀬/蓮台寺/二本木国府址/代継神社/川尻町/大慈禅寺/百貫石港/河内蜜柑/高橋稲荷神社etc.

昭和13年に来日したナチスドイツの青少年組織、ヒトラーユーゲントが熊本城宇土櫓前で記念撮影。当時、日本とドイツは「日独防共協定」を結んでいた。


▼肥後のタンタン節(写真をクリックすると動画を再生します)

花の城下町 ~ 清正公の城づくり ~

2015-10-04 14:44:22 | 音楽芸能
▼花の城下町(写真をクリックすると動画を再生します)


 「伊勢音頭」に「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」という有名な一節があり、全国各地に伝播した伊勢音頭系民謡の中で共通に使われている。この歌詞のもとになったのが、「石は吊って持つ 吊りたる石は 尾張名古屋の城に着く」という名古屋城築城時に唄われた石曳き唄(木遣り唄)といわれ、現在も名古屋市天白区に「平針木遣り音頭」として残っている。
 この名古屋城築城には加藤清正公が大活躍したというエピソードが有名だが、「肥後史話」(卯野木卯一良著・昭和56年発行)には次のように記されている。

 この時の清正の工事の活動振りは目ざましいものであった。かつて熊本大築城の経験もあり、慶長11年には江戸城の築城にも参加していたので、今度の工事は知れたものである。自ら進んで天守閣の築造を引き受け、寵臣である飯田覚兵衛をして朝鮮陣の当時に習得したという築造法の手腕を振わしめ、その成績は人目を驚かした。そうして巨大な角石などを運搬する時には、ことさらに華々しい装いをして人目をそばだたしめた。まずその大石を赤い毛氈で包み、大きな青色の綱でからげて、その上に突っ立ち上って大音声で、木遣り音頭などを唄われる。5、6千人の老若男女、いずれも華美な衣装に身を飾って、唄に合わせて綱を引く。酒は飲み次第、行商や露店の飲食物を値段かまわず買い上げて、食い放題飲み放題というので、後には見物人も商人も飛び込んで綱にとり付き、手拍子合わせて浮かれながら、えいやら声でみるみるうちに、大石を名古屋に運び着けるという賑わい。こうしてさすがの大工事も同年3月から8月までの間に無事竣成して、9月清正は熊本へ帰国せられたのである。

▼加藤清正石曳きの図


▼伊勢音頭

童神(わらびがみ) と 花童(はなわらべ)

2015-10-02 17:49:11 | 音楽芸能
 「秋のくまもとお城まつり」の恒例となった「古謝美佐子 島唄コンサート in 熊本城」も今年で15回目を数える。沖縄音楽を代表する女性歌手・古謝美佐子さんによる三線の弾き語りとシンセサイザーなどを交え、沖縄古典音楽と融合した新しいサウンドは、毎回、熊本の観客の心をとらえてはなさない。
 この島唄コンサートに2010年から共演しているのが中村花誠さん率いる舞踊団花童。古謝さんの代表曲である「童神」と「花童」の童つながりのステージが今年も見られる。

 ■10月12日(月・祝日)17:00~20:00 二の丸広場特設ステージ

▼昨年のステージ風景(リハーサル)


▼童神