毎年、「体育の日」が近づくと僕は釈然としない気持になる。今年は10月12日ということになっているが、僕にとっての「体育の日」つまり1964年に東京オリンピックの開会式が行われたのは10月10日しかありえない。日本にとって、戦後復興の象徴ともいえる東京オリンピックの開会式の記念日が、毎年よくわけのわからない日に変わることに物凄く抵抗感がある。
この1964年という年は僕にとって一生のうちで最も思い出深い年。この年から僕は大学に進学して上京した。スポーツ界全体が年明けから10月のオリンピックに向けて非常時体制に入っていた。高校の卒業式も待たず、2月に上京と同時に合宿所に入り、連日、東大や神宮の温水プールでの激しい練習が始まった。どの大学も一人でも多くのオリンピック選手を送り込むために、いつものシーズンより早く活動を開始していたのである。
オリンピックが始まると、僕らは大会運営の裏方を務めた。開会式の当日、僕は非番の日で、合宿所のテレビで開会式を見た。ブルーインパルスが五輪の輪を描く場面になると、みんな一斉に窓を開けて空を見上げた。抜けるような青空に白い五つの重なる輪を描いて飛び去るブルーインパルスの機影が見えた。その日からの15日間は楽しかった。当番の日は、千駄ヶ谷の東京体育館や代々木のオリンピックプールへ通った。まさに夢のような日々だった。
5年後に迫った2回目の東京オリンピック。新国立競技場建設や大会エンブレムの問題が噴出し、正直、興ざめの心境だ。これから挽回し、無事開会式にたどりつけたとしても、51年前のあの輝ける日々の再現はおそらくないだろう。
代々木オリンピックプール
この1964年という年は僕にとって一生のうちで最も思い出深い年。この年から僕は大学に進学して上京した。スポーツ界全体が年明けから10月のオリンピックに向けて非常時体制に入っていた。高校の卒業式も待たず、2月に上京と同時に合宿所に入り、連日、東大や神宮の温水プールでの激しい練習が始まった。どの大学も一人でも多くのオリンピック選手を送り込むために、いつものシーズンより早く活動を開始していたのである。
オリンピックが始まると、僕らは大会運営の裏方を務めた。開会式の当日、僕は非番の日で、合宿所のテレビで開会式を見た。ブルーインパルスが五輪の輪を描く場面になると、みんな一斉に窓を開けて空を見上げた。抜けるような青空に白い五つの重なる輪を描いて飛び去るブルーインパルスの機影が見えた。その日からの15日間は楽しかった。当番の日は、千駄ヶ谷の東京体育館や代々木のオリンピックプールへ通った。まさに夢のような日々だった。
5年後に迫った2回目の東京オリンピック。新国立競技場建設や大会エンブレムの問題が噴出し、正直、興ざめの心境だ。これから挽回し、無事開会式にたどりつけたとしても、51年前のあの輝ける日々の再現はおそらくないだろう。
代々木オリンピックプール
10月10日は確か統計的に一番晴れが多かった日が選ばれたんじゃーなかったでしょうか!
東京オリンピックの開会式の時、東京に居られたとは!
きっと大きな感動を体で感じられたことでしょうね。
私は高校2年生でしたので昭和20年のお生まれなんでしょうか!?
いやー、数々の思い出が蘇りますね。時の大臣には批判されましたが市川崑監督の映画なんて、チャフラフスカやアベベ他にうっとりしたものです。
ほんと、最近の祭日はわけが分かりませんね。
旗日と言う言葉ももうテレビからも聞かれなくなったような・・・。
いや体育の日は10月10日だ!と意識するのは、古い古い我々昭和の人間だけなんでしょうか?
私は山は好きですが、来年から山の日が制定されて祭日になっても、体育の日とは同格ではないですよね。
変な日本がどんどん進んで行くようです!
ホントに奇跡的な日本晴れでしたね。
私は21年の早生まれです。
私自身も大会後の追加撮影に参加しましたから、記録映画に追加撮影ってどうなの?と思いましたが、映画が公開されたら批判的な声はかき消されてしまいましたね(笑)
国が率先して日本人の文化や風習を消していっていますからどうしようもないですね。