徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

能と英文学

2015-10-27 21:09:59 | 音楽芸能

 能楽に関する文献で、一番参考にしているのが「野上豊一郎」の著書。能楽研究の開拓者と称され、「シテ一人主義」という所説でも知られている。大分県臼杵の出身で、東京帝国大学時代に夏目漱石に師事し、能好きだった漱石の影響もあったようだが、能楽にのめり込むきっかけとなったのが、明治41年に靖国神社の能楽堂で行われた能を、高浜虚子の勧めで鑑賞したことだという。その時、肥後の能役者で、明治の三名人の一人、桜間伴馬に出逢う。「葵上」を演じた伴馬の芸に魅せられ、以後、能の鑑賞と研究を続けることになったという。著名な小説家でもある同郷の妻・野上弥生子の証言もあるようだ。
 もともと英文学者だった野上は英国文学の翻訳もやっていて、大正15年には、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」の翻訳もやっている。数年前に公開された映画「プライドと偏見」の原作だ。この作品は、当時、日本ではあまり評価されなかったが、夏目漱石は高く評価して自らの手本にしていたという。野上がそれを翻訳したのは、やはり師と仰ぐ漱石の影響なのだろうか。野上は東京帝大を卒業した翌年には法政大学の講師となっているが、後年、法政大学総長まで勤め、今日の「野上記念法政大学能楽研究所」の基礎を築いた。

▼能「葵上(あおいのうえ)」
 左大臣の息女で光源氏の妻・葵上が最近物の怪に悩まされているので、帝の臣下(ワキツレ)が照日の巫女(ツレ)に霊を呼び寄せさせると、六条御息所の生霊(シテ)が現れ、恨み言を述べる。御息所は葵上を責め打つと、葵上を連れ去ってしまおうという声を残して消えてしまう。物の怪の正体が分かったので、横川の小聖(ワキ)がこれを祈祷していると、やがて鬼の姿になった御息所の生霊が現れ、小聖と戦うが、ついに敗れて成仏する。(源氏物語を題材としている)

▼櫻間伴馬(さくらま ばんま)
 シテ方金春流能楽師。1911年以降は櫻間左陣を名乗る。維新後低迷を続ける能楽界にあって、熊本出身の一地方役者ながら、その卓抜した技で観客の喝采を博した。能楽復興の立役者として、初世梅若実、16世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一角に数えられる。子に櫻間弓川。

※2013年12月12日に投稿した記事を再編集したものです。