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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

下通り界隈を歩く

2015-05-09 23:22:11 | 熊本
 先日、母を病院へ連れて行き、待ち時間が長くなりそうだったので付近を散策した。歩きながら古い町名の標識を見るとふと、祖母のことを思い出した。一番被分町(現在の中央区水道町)生まれの祖母は熊本の街についてやたらと詳しかった。生前に聞いておけばよかったと思うことがしょっちゅうある。

▼光琳寺通り



 昔、この辺に光琳寺というお寺があり、肥後細川藩初代・細川忠利公が没した時、殉死した犬曳き役の津崎五助と、主人の後を追った愛犬の墓があったという。
 また、夏目漱石が熊本に赴任して最初に住んだ家がこの寺の裏にあった。この家で鏡子夫人との結婚式もあげたのだが、この家はすぐ前が墓場で、その上、昔ここに住んでいた武家のお妾さんが不義をはたらいてお手打ちになったという不気味な家で、鏡子夫人がいやがり、わずか三ヶ月で引っ越したという。
 漱石はこんな句を残している。

すゞしさや裏は鉦打つ光琳寺

 今ではこの通りも、夜はネオン煌めく歓楽街だが、昼間に見ると薄汚れて見えるのはなぜだろう。

▼相撲町


 光琳寺通りから下通りを横切って東の方に進むと相撲町がある。ここは三代藩主・細川綱利公が相撲の宗家・吉田司家十五代追風を招聘し、ここに屋敷を構えさせた。以降、この界隈に力士など相撲関係者が多く住むようになりこの名がついた。
 維新十傑の一人である横井小楠は、沼山津に引っ越す前の約10年間、ここに住まい私塾「小楠堂」を開いた。