僕らの子どもの頃よく目にしたもので、絶滅したものの一つが「物売り」である。憶えているだけでも、野菜売り、アサリ売り、ナマコ売り、たまご売り、金魚売り等々、実にいろんな「物売り」が、天秤棒を担いだり、リヤカーを押してやってきた。しかし、今では映画やドラマの中でしか見ることはできない。
昭和10年に寺田寅彦が著した随筆「物売りの声」には、当時既に滅びつつあった「物売り」を惜しんで次のような一節がある。
――今のうちにこれらの滅び行く物売りの声を音譜にとるなり蓄音機のレコードにとるなりなんらかの方法で記録し保存しておいて百年後の民俗学者や好事家に聞かせてやるのは、天然物や史跡などの保存と同様にかなり有意義な仕事ではないかという気がする。――
僕の祖母は気位が高くて、あまり人当たりが良いほうではなかったが、なぜかこうした物売りのおばちゃんたちと仲良くなった。昼時にはわが家の狭い濡れ縁で弁当を開く人も多く、祖母はお茶や茶請けをふるまった。そんな物売りの中に「ハルカキさん」というたまご売りのおばちゃんがいた。僕らはそういう名前の人だと思っていた。ところがそれは祖母がそのおばちゃんにつけたあだ名だった。「ハルカキ」というのは熊本弁で「怒りんぼ」といった意味の言葉である。そのおばちゃんはいつ見ても苦虫を噛み潰したような顔をしていて、笑顔を見ることはまずなかった。しかし、祖母は本人に面と向かってそう呼ぶわけではなく、蔭でそう呼んでいたのである。ひょっとしたらそのおばちゃんは自分の名前を名乗ったことはなかったのかもしれない。なのに、祖母はこの「ハルカキさん」ととりわけ仲が良かった。
祖母が床に臥しがちになったある日、「ハルカキさん」が訪ねて来た。床の中の祖母に向かって来訪を告げた。「誰かい?」と聞く祖母に僕は思いっきり「ハルカキさん!」と答えた。「ハルカキさん」の目の前で。「ハルカキさん」もそう呼ばれていることは薄々知っていたのだろう。何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。僕はあの時の「ハルカキさん」の嬉しいような悲しいような表情を忘れることはできない。
昭和10年に寺田寅彦が著した随筆「物売りの声」には、当時既に滅びつつあった「物売り」を惜しんで次のような一節がある。
――今のうちにこれらの滅び行く物売りの声を音譜にとるなり蓄音機のレコードにとるなりなんらかの方法で記録し保存しておいて百年後の民俗学者や好事家に聞かせてやるのは、天然物や史跡などの保存と同様にかなり有意義な仕事ではないかという気がする。――
僕の祖母は気位が高くて、あまり人当たりが良いほうではなかったが、なぜかこうした物売りのおばちゃんたちと仲良くなった。昼時にはわが家の狭い濡れ縁で弁当を開く人も多く、祖母はお茶や茶請けをふるまった。そんな物売りの中に「ハルカキさん」というたまご売りのおばちゃんがいた。僕らはそういう名前の人だと思っていた。ところがそれは祖母がそのおばちゃんにつけたあだ名だった。「ハルカキ」というのは熊本弁で「怒りんぼ」といった意味の言葉である。そのおばちゃんはいつ見ても苦虫を噛み潰したような顔をしていて、笑顔を見ることはまずなかった。しかし、祖母は本人に面と向かってそう呼ぶわけではなく、蔭でそう呼んでいたのである。ひょっとしたらそのおばちゃんは自分の名前を名乗ったことはなかったのかもしれない。なのに、祖母はこの「ハルカキさん」ととりわけ仲が良かった。
祖母が床に臥しがちになったある日、「ハルカキさん」が訪ねて来た。床の中の祖母に向かって来訪を告げた。「誰かい?」と聞く祖母に僕は思いっきり「ハルカキさん!」と答えた。「ハルカキさん」の目の前で。「ハルカキさん」もそう呼ばれていることは薄々知っていたのだろう。何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。僕はあの時の「ハルカキさん」の嬉しいような悲しいような表情を忘れることはできない。
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