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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「ひえつき節」にまつわる話

2015-05-17 19:37:31 | 音楽芸能
 九州山地の深奥部、尾根をはさんで東西に位置する宮崎県の椎葉村熊本県の五家荘には、酷似した平家落人伝説が伝えられる。落人討伐にやってきた源氏の武者が平家方の女性と恋に落ちるという展開は同じ。しかも、椎葉村にやって来た武者が、屋島の戦いで勇名を馳せた弓の名手那須与一の弟なら、五家荘にやって来たのは那須与一の息子という具合だ。ただ違うのは物語の結末。五家荘がハッピーエンドであるのに対し、椎葉村はアンハッピーエンド。ほとんど隣り村といってよい二つの村に伝わる伝説の結末がなぜ異なるのか、とても興味深い。
※参照「那須から五家荘へと続く物語



【椎葉村の平家落人伝説とひえつき節】
 1185年、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の落人たちは、山深い椎葉の地に逃げ延び、つつましい暮らしを送っていました。
 この平家の一族のことを知った源頼朝は、那須大八郎宗久に落人討伐を命じます。しかし、椎葉の地で大八郎が目にしたのは、かつての栄華をみじんも感じない貧しく暮らす落人たちの姿でした。
 平家落人たちのあまりの貧しい暮らしに追討を断念した大八郎は、落人たちに農耕の手ほどきをし、厳島神社を勧請するなどして、ともに椎葉で暮らすようになります。やがて、大八郎は平家の末裔である鶴富姫と恋に落ちますが、鎌倉から帰還の命が下されるのです。
 すでに懐妊していた鶴富に「男子が生まれたならば我が故郷下野の国へ、女子ならば遣わすに及ばず」と言い残し椎葉を後にするのでした。
 月満ちて鶴富は女児を出産し、親子共々、椎葉の地で穏やかな日々を送ったと伝えられています。
 この悲恋物語を歌った「ひえつき節」は、今もこの地で歌い継がれています。
椎葉村「広報しいば」より