徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

シャーロット と 猿丸太夫

2015-05-08 19:34:53 | 歴史
 大分・高崎山の「シャーロット騒動」も英国王室のおとがめなしで一段落したようだ。そもそも抗議した人たちは何に対して怒ったのだろうか。シャーロットという名前は英国王室しか使えない名前ではないし、シャーロット王女を猿呼ばわりしたわけでもない。どうもよくわからない。もし今回、猿以外の動物にシャーロットという名前をつける話だったらどんな反応だっただろう。そこにはやっぱり人間の「猿観?」が表れているように思う。歴史的に猿は人の真似をする愚かな存在としてあざけられ、「猿」という言葉は小知恵が働く人に対する「蔑称」としても使われてきた。動物の中で最も人間に近い高度な知能を持ったばかりに猿が味わうこの悲哀。どうしたものか。
 ところで、先月から読み始めた梅原猛著「うつぼ舟シリーズ」もやっと3冊目の「世阿弥の神秘」を読み終えた。初めて知ることばかり次から次に出てくるので少々混乱気味だ。中でも飛鳥時代の歌人で三十六歌仙の一人である柿本人麻呂が、同じく三十六歌仙の一人である猿丸大夫と同一人物だという話は興味深かった。政敵などから「人麻呂(丸)→猿丸」とあざけられていたのだという。梅原氏のこの説が定説になったわけではなさそうだが、今から千三百年も昔、既に「猿」は蔑称として使われていたわけだ。
 旧藩時代、肥後の飛び地だった大分の鶴崎には、400年以上も続く祭り「鶴崎踊」が毎年8月に行われる。この祭りでは「左衛門」と「猿丸大夫」の二つの曲が踊られるが、江戸時代中期、お伊勢参りが一大ブームになった頃、お伊勢帰りの人たちによって鶴崎に持ち帰られたというのが「猿丸大夫」。現在歌われる詞章は時代が下ってから作られたものと思われるが、ゆったりとして古雅な趣のある曲調は、おそらく室町時代あたりに伊勢で踊られた風流踊りの流れを汲むものではないだろうか。悲劇的な最期をとげた柿本人麻呂こと猿丸太夫を偲んで踊り始めたのかもしれない。 

栗田弘一氏撮影