gooブログじまいに当り、古いブログ記事を整理していたら、ちょうど10年前の2015年8月22日に「おてもやん 故郷に帰る!」なんていう記事を書いていました。
かつて、桜町の交通センター前広場に設置されていた「おてもやん像」が、桜町地区の再開発に伴い、移転を余儀なくされ、JR熊本駅の新幹線口正面に移設されたのが、ちょうど10年前の今日だったというわけ。
「民謡おてもやん」が舞踊や邦楽の師匠永田イネによって作られたのは、九州鉄道春日駅(現JR熊本駅)が開業した明治24年の7、8年後と言われています。イネは米屋町の「糀屋」という味噌醤油製造業の家に生まれ、4歳の頃から筝、三味線、太鼓、小唄、舞踊など芸道全般を習ったといいます。そのイネが春日村五反に開いた稽古場に来ていたのが、「おてもやん」のモデルといわれる北岡村の小作農の娘チモこと富永登茂でした。この二人の出逢いから「おてもやん」が生まれました。
そして「おてもやん」の節のもとになったのが、イネが女歌舞伎の一座を率いて名古屋巡業に行った時に聞いた「きんらい節」系の「名古屋さんざい(名古屋名物)」だったといわれています。
「おてもやん像」の春日地区への移設は「おてもやん」にとっては懐かしいふるさとへの里帰りだったのです。

交通センター前広場にあった頃の「おてもやん像」

春日地区のJR熊本駅新幹線口に移設された日(2015.8.22)のセレモニー

今日もまた熊本の玄関口に立ちお客様をお迎えする「おてもやん像」
かつて、桜町の交通センター前広場に設置されていた「おてもやん像」が、桜町地区の再開発に伴い、移転を余儀なくされ、JR熊本駅の新幹線口正面に移設されたのが、ちょうど10年前の今日だったというわけ。
「民謡おてもやん」が舞踊や邦楽の師匠永田イネによって作られたのは、九州鉄道春日駅(現JR熊本駅)が開業した明治24年の7、8年後と言われています。イネは米屋町の「糀屋」という味噌醤油製造業の家に生まれ、4歳の頃から筝、三味線、太鼓、小唄、舞踊など芸道全般を習ったといいます。そのイネが春日村五反に開いた稽古場に来ていたのが、「おてもやん」のモデルといわれる北岡村の小作農の娘チモこと富永登茂でした。この二人の出逢いから「おてもやん」が生まれました。
そして「おてもやん」の節のもとになったのが、イネが女歌舞伎の一座を率いて名古屋巡業に行った時に聞いた「きんらい節」系の「名古屋さんざい(名古屋名物)」だったといわれています。
「おてもやん像」の春日地区への移設は「おてもやん」にとっては懐かしいふるさとへの里帰りだったのです。

交通センター前広場にあった頃の「おてもやん像」

春日地区のJR熊本駅新幹線口に移設された日(2015.8.22)のセレモニー

今日もまた熊本の玄関口に立ちお客様をお迎えする「おてもやん像」