徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

福連木子守歌/五木子守歌

2015-05-18 16:28:32 | 音楽芸能
 父が天草の大矢野島(現在の上天草市)に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方だった。父の備忘録には、40名ほどのクラスの4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されている。当時はまだ「からゆきさん」の風習も残っていたことは、以前このブログに書いたが、家が貧しいために「口減らし」として子守奉公に出された少女たちが、自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めていたという。
 昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となったが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですら、まだあまり知られていない。しかし、「五木の子守唄」は「福連木の子守唄」が五木村に伝わってできたという説もある。本條秀太郎さんはそういった歴史を考慮して構成されたのかもしれない。
 なお、福連木は天草下島を本渡から下田方面へ山越えする途中にある山村のことである。
2013.5.22の記事を再編集して再掲しました。