のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

鬼畜って

2020年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気晴朗なれど作業進まず。疲労が疲れた!

 なんだかねぇ。広島の母子殺害事件の被告に無期懲役だったり、養護施設の大量殺人に被告が全く反省に色を示さなかったり、人でなしって立憲民主党ばかりじゃないんですね。

 「教誨師(きょうかいし)」って本を読み始めているのですが、教誨師ってのは死刑囚に説法に行くお寺や教会の人たちのこと。極悪人でも死ぬときは人間になって死んでいただこうというボランティアらしいのですが、こうした人たちを受け入れない死刑囚もいたようです。

 大久保清なんかもその類で、一切こうした説法を受け付けなかったらしい。

 はたして、鬼畜のまま死ぬのか?人に戻って死ぬのか?こうした犯人たちの末路も興味深いですが、ウィルス感染で自棄になって出歩いた挙句に感染者を増やしたまま死んだ愛知県の男なんか、鬼畜のままなんでしょうね。

 鬼畜と言うより危険な豚と言った方が近い金ちゃん。まだ生きているのか?影武者なのか?はさておき、またミサイル実験やったみたいですね。その割に宣伝効果もなく、世界から無視されているけど、今や世界の敵は金ちゃんではなくニーハオ肺炎ウィルスとWHOです。

 当初はあれこれと不手際を取りざたされましたが、昨今の世界の流れを見比べるとよく抑えているという日本の状態。やはり、国民の自己管理力のたまものだっと思いますが、事態がこうなる前にもっと防ぐ手立てはあったでしょうね。

 福島の原発事故なんかもそうですが、こういう事態を想定することも許されなかった風潮。これを見直さないと今後も同じ過ちを繰り返すことになると思うのですが、「繰り返しません過ちは」と福島に碑でも建てますかね?

 金ちゃんやニーハオの軍事情勢についても、想定することさえ許されない風潮がまだはびこっています。

 今はまだミサイルが到達していないけど、どこかの街にドカンと一発落ちてからではどうなるんでしょうね?またマスクとトイレットーペーパー買い集めるんですか?

 自分の身に降りかかったことなど想像したくないけど、そんときゃ誰かが何とかしてくれるさ!ってな認識でいると雷は頭上に落ちますぜ。

 こういう有事になると役に立たないどころか邪魔になるのはマスメディアで、連中にとって「不安」は商売道具なんですね。不安があれば新聞や雑誌が売れる。とりあえず今は金ちゃんよりウィルスの方が商売になりそうなので取り扱いが少ないけど、国民だって「知る権利」とか言いながら「知った義務」に関しては全く認識がない。

 あれ、半分他人事だから不安になるんでしょうな。

 どうやって生き抜くか?そこが重要だと思うのだけど。

 冷蔵庫の中身が残り少なくなったので、連休明けたら生き抜くために買い出しに行こう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする