昨夜から明け方にかけて降った雪は積もりましたが、道路の上はすぐに溶けて問題がない状態でした。
びちゃびちゃの湿った雪だったので触れるとすぐ溶けて濡れます。雨合羽を着て作業になりましたが、びしょ濡れになって帰ってきました。
家に戻るなり服を着替えて石油ファンヒーターで背中をあぶっているうちに転寝してしまいました。
変な夢を見ましてね。
囲炉裏で背中を温めていて目が覚めると何やら見たことがあるメンバーが合宿イベントやっているんですね。古民家で。
かまどにピザ釜があって、囲炉裏の上に鉄板を乗せてバーベキュー。古民家でこんなことしていいの?と、つつもなぜか私も囲炉裏の火でけんちん汁作りだす。
奥座敷で隠れキリシタンだったという高齢のおばあさんが講演をして、火あぶりの刑になりそうになって「転び」と呼ばれる改宗をした理由を話しているのですが、聞いたことがあるような話。もしかして”ここは長崎の浦上村か!?”と、外に出て原爆を食らっても生き残った大クスノキを見に行くと、まだ若木なんです。
え?いつの時代?と驚いていると、とある研究者の友人が、ガイガーカウンター手に放射線を計測しているんです。「まだ原爆が落ちる前ですね。」「木の太さから想像すると17世紀くらいですかね?」なんてことを話しながら、この時代にあるのが不思議な屋台でおでん食べるんです。
転びになって生き延びた隠れキリシタンのおばあさん、「おぎんさんですね。」講演の話の内容が芥川龍之介の「おぎん」の物語と同じでした。「おぎん」はネットの青空文庫で読めますので、短い物語なのでぜひ読んでみてください。
隠れキリシタンに関しては、こちらの山奥も異物がたくさん残っている土地ですが、軋轢もなかったし、弾圧らしい事実もない。こっそりアンタッチャブルで生活していたようです。長崎で弾圧されたのはその前にキリシタンが暴れたからなんですが、エスパニアの走狗になっていたんでしょうね。
キリシタン・イコール弾圧というステロタイプはいかがなものかな?なんてことを話しながらおでん食べているのですが、おでん屋のおやじがフランシスコ教皇なんですよ。火葬を待つ少年の写真に感動したのか?赤ん坊の人形背負っておでんを煮ている。しかも九州弁。なんか、この人いい人かもしれない。
そんで、屋台に寄付金集めのボトルが置かれているんです。ああ、こうして寄進を募って浦上天主堂は作られたのか?と、妙に納得しながら教皇のおでんをいただくのですが、関東風のおでんでした。
どうやら、私たちが合宿イベントしている古民家が後の天主堂になるみたいなんですが、やはり原爆は落ちるのだろうな。どうすれば防げる?日本が先に作ればいいんじゃない?なんてことを相談するところで目が覚めるのですが、寒さであちこちガタがきちまったもんだから変な夢を見たもんです。
芥川龍之介の「おぎん」はいつ読んだのだったかな?と思い返してみると、最初に読んだのは高校生の時で、その時の本を読み返したのは一昨年の秋でした。
江戸時代のキリシタン弾圧については盛られた話も多いですが、リアルにもっと非情なことをやっているのが現代のウイグル。
こちらはニーハオ人が勝手に侵略して統治する能力がないから暴力で押さえつけている一方的なものですが、この問題でたたかれたところでニーハオは滅びないでしょうね。あの地域の崩壊のためには美女の暴走が必要です。案外、南ニダから献上されてきた整形美女がニーハオ崩壊の糸口を作るのかもよ。歴史は繰り返す。
金ちゃんは「近いうちに本物の弾道ミサイルを目にすることになる」と警告してきたようですが、鳥も鳴かずば撃たれまい。
いよいよ師走に突入か。日々の繰り返しなんだけど、師走と言うだけで世間があわただしくなってくる。慌てたところで何も変わらないのですが、一つのけじめを付けながら新しい年を迎える日本的な律義さなのかもしれません。
気がせいて事故だけは起こさないように。