今日は写真満載です。
川場村と片品村を結ぶ千貫峠と言う山道を探索してきました。現在は廃道になっている峠道ですが、昔の踏み跡をたどりながら峠のてっぺんまで登ってきました。
9月に開催されるトレイルランニング大会の120kmコースのルートになる予定で、この大会を機に古道の復活を目指しています。
千貫峠には由来があって、1569年に戦に敗れた武士が会津に逃げる時に使った「裏街道」だそうです。1532年説もあります。このあたりの物語はもう少し調べてみようと思います。
「木賊」と書いて「とくさ」と読む集落から峠に入りました。
人里から一歩峠に踏み込むと沢と言うよりも谷に近い火山岩の岩沢の中を、昔の踏み跡らしき道を頼りに霧の巻く深山に入り込みました。
トレイルランニングの大会ではこの道を下って来るルートで、時間帯は深夜から明け方になるはずです。すでにここに至るまでに100kmほど山を走って来るので、ランナーたちはかなりのダメージをおっているはずです。
とはいえ、できるだけ現在の状況を壊さないように配慮しながらコースを作らなければならないので、基本的に地面はいじらない方向で行こうかと考えています。
雪解けして間もないのでコゴメが顔を出していました。
シダ系の植物の中ではアクが少ない植物で、このまま湯がいて醤油やマヨネーズをかけて食べることもできますし、みそ汁に入れてもおいしい植物です。
晩飯のおかずに一掴みほど採ってきました。コゴメを採るときに注意することは
、一つの下部に出ている茎をすべてとらないことで、私は一本か二本しか採りません。どの日食える分だけ採って、あとはそのまま残しておきます。
山の物は「採る」のではなく「いただく」ものですから、欲をかいちゃならないのです。
こちらはアブラコゴメと呼ばれる種類です。
コゴメよりも脂っぽくて味が濃いと言われていますが、こちらではあまり食べません。
新潟方面に行くとよく食べられているみたいです。
今日の夕食の献立にも入っていなかったのでそのままにしておきました。
採らなかったのは調理の問題だけではありません。
このアブラコゴメがはえていたあたりでカモシカの死体のがありました。すでに毛だけになっていました。
死骸はキツネやタヌキなどの肉食の小動物に食べられたはずですが、毛の跡があちこちに点在していました。多分四肢や首などを引きちぎって別の場所まで運んで食べたあとなんでしょうが、多分、イノシシやツキノワグマも加わっているはずです。これだけの大きな肉を引きずれる動物は限られています。骨も残っていませんでした。
こちらは山菜の王様、タラの芽です。こちらではタロッペと呼びます。
夕食おかずに5つだけいただいてきました。天ぷらにして食べます。
今日のおかずは
コゴメの味噌汁にタロッペの天ぷら、先日、城跡から摘んできた菜の花を湯がいたお浸し、これで十分感謝です。
と、実家にもっていったら、最近味噌カツにすっかりはまっている父が「今日は味噌カツを食いたい」とわがままを言うので、どうせ天ぷらでブラを使うのだからこれもありか?
豚肉を買ってきてトンカツを揚げ、ついでにコゴメも天ぷらにしました。天ぷらの残りは明日うどんでも作って食べよう。
トンカツがなければ精進料理になってしまうところでした。
まさに食うために山に入っている典型的な生活スタイル。しばらくは山で採ってきたもので賄える季節になりました。
無農薬だ、有機野菜だと巷では言いますが、山のもの貰って食っている分にはその王道ですね。山の生産力を考えると、人口が増えても山菜の奪い合いになるだけなので、移民はいらない。
山の中に何気なく転がっているのは山菜ばかりではありません。
沢の中に転がっていた人の頭ほどの大きさの石。
実はメノウです。余り品質よさそうではありませんが、火山岩の山ではよくあることです。
英石が多い沢でしたから出るのかな?と思っていました。まだ芽吹き前なので落葉樹の葉が出ていないけれど新緑の季節が終わればうっそうとした森の中。メノウより別の物が「出そう」です。
こちらの赤い石もメノウの原石です。
注意して見渡すと沢の中のあちこちにこの手の石が転がっていました。
興味なければただの石。他には青石や六方石などを見かけることができました。この峠のある武尊山そのものが火山なので、これらの岩ができたんでしょうね。
岩には興味あるけれど宝石には興味ないのでメノウの原石踏みつけながら沢を登りました。
クマも
こまめに営業活動をしているようです。
ブナの幹に傘が書かれていて「ジュンコ・ヒロシ」などと書かれていれば人間がナイフで傷をつけたものだと判断できますが、クマは基本的に字が書けません。
これもマーキングの一種で、クマ社会では高いところに傷をつけた方が偉いということになっているようです。
実は、人にも「マーキング」の本能があるのだそうです。自分の部屋にポスターなどを張るのも「この場所は自分の所有地」と暗黙の主張で、犬が電柱に小便ひっかけるのも、政治家が街中にポスターはりまくるのも同じなんですね。
武尊山の2000m超えたラインでもクマの営業活動を見かけますから、結構広範囲で働いているんですね。
この界隈は完全にクマの領域ですから、我々人類がでかい顔をして歩いてはいけないのですが、トレイルランニングの大会では深夜に選手が通過する地点なので、選手のクマ対策はもちろん、係員のクマ対策も重要な問題となります。
こちらは多分昨年あたりクマがやらかした傷跡です。
地面に落ちた木の皮の上に、昨年の秋の枯葉が乗っかっていました。
樹皮と幹の間から樹液がしみだしていました。ほどなくこの樹液を求めて動き出した昆虫類が寄ってくることでしょう。
まだ皮が半分残っていましたから枯れることはないと思いますが、やがて立ち枯れしてキノコの巣窟になるのでしょう。
峠のてっぺんには十二様の祠とお地蔵さんがありました。
掘られた文字を見ると「矢政7年」と書かれていますが、そんな元号はないので安政年間か文政年間だと思います。安政は7年までありましたが12月までなかったはずなので文政7年(1825年)かもしれません。「文」と「矢」。何となく似ているような似ていないような?
石像には掘ったものではなく、何か文字が書かれています。梵語のようにも見えますし、草書のようにも見えますし、解読不能。
それにしてもこのお地蔵さん、お姫様のようでもあり、妙に気になる顔をしています。天女のようにも見えます。頭のかぶりものと顔の表情でゆるキャラのバリィさんを彷彿させます。案外ゆるキャラの原型は日本人の信仰心と関わっているのかも?
何か由来でもあるのだろうか?
合唱する手首の上にかかっている帯状の布が気になるんですよ。隠れキリシタンはこの手の石仏にストラというカトリックの神父さんなどが腕にかけている帯を入れることで隠れたメッセージを発しているケースがよくあります。
この周辺は隠れキリシタンが多かった土地で、仏教徒などに表向きは姿を変える「転び」となって生き延びてきた土地です。
隠れキリシタンの遺物だろうか?
斜めに見ると振袖のようにも見えますが、ストラの帯が背中を回っているようにも見えます。
羽衣天女だとしたら?それも仏教と関係ない伝説ですし、なぜこの場所に羽衣天女が?とその由来がなおさら解らなくなってしまいます。
この帯みたいなもの、日本なら雷神様が身に着けていますが、どう見ても雷神様の顔ではない。
峠のてっぺんに常夜灯を取り付けてきました。
雑木林なので葉が茂って日光があたるのか微妙な場所ですが、大会の時にはこの常夜灯をところどころに着ける予定なので、視認性や耐久性などをテストするみたいです。
こんなところを夜中に試走する人がいるのだろうか?
9月の彼岸に大会がありますが、例年この時期は天気が悪いので気になります。何よりその前に台風シーズンがあるので、そちらもコースの整備にとっては気になります。
成功すればすごいレースになると思いますが、来月早々にはエントリーが始まる予定です。