お昼時、登山用のガスコンロでサッポロ一番塩ラーメンを茹でて食べていたら、おじさんたちがインスタントラーメンについて熱く語りだしました。
皆それぞれよその土地で一人暮らしを経験しているので、インスタントラーメンが主食の生活を経験しています。複数のインスタントラーメンをブレンドして食べた経験など語り始めると止まりません。案外女性より男性の方がインスタントラーメンに対する思い入れは深いでしょうね。60代半ばのおじさんが「インスタントラーメンだけは女房には作らせないんだ。」と自慢していました。
毎年多様な新製品が出ては消えますが、いろいろ食べ飽きると定番のサッポロ一番やチャルメラに戻ってくる。がさつなんだけど定番にはそれだけの説得力があります。
柔道で大汗をかいていた高校生の頃は塩ラーメンに味噌を入れて味噌ラーメンにして食べていましたが、さすがに今こんなことをしては体に負担が大きすぎます。最近は5個パックで販売されているので賞味期限との競争になってしまいましたが、昔は一個で売っていたので、いろいろ楽しむことができました。私の学生時代の定番は味噌と塩はサッポロ一番、醤油は味の大関でした。ソース焼きそばののペヤングがまるか食品と呼ばれていた時代の大ヒットで、5円くらい安かったので人気でした。サッポロ一番もペヤングも群馬発祥の企業です。
昭和61年頃でしたが、韓国の激辛インスタントラーメンが入ってきて、大量に売れ残ったためにもらったことがありました。NIES前のNICSと言う言葉もまだなじみがない上り坂に差し掛かったばかりの韓国で、これが世界に出るのだろうか?と食べてみてあまりの辛さに撃沈。まずくはないんですよそれなりの味わいがあったのですが、よほどの味覚異常でなければ食べられない辛さでした。
そのころ日本では中華三昧がヒットして明星だったっけから「楊夫人」なんて高級インスタントラーメンが出ていました。中華三昧は今も残っていますね。
インスタントラーメンの元祖ともいえるチキンラーメンが復活したのは1970年代終盤だと思いますが、これはあまり食べたことがなかったです。むしろお椀にベビーラーメン入れてお湯を注いで夜食の方が多かった。最近のベビーラーメンはピーナツが入っているので、インチキラーメン作る時はピーナツを取り除かなければなりません。
インスタントラーメンでおじさんたちが議論できる。日本文化の食べ物になったんですね。
さぁ、そんなわけでお昼に続いて夕食もインスタントラーメンだ!とはさすがに行かない。20代の頃ならできたんだけどな。
本棚でたまたま目に入った芥川龍之介の本を開いてみると短編の「蜜柑」のページが目に入りました。
横須賀発の列車に乗った芥川龍之介の前に小汚い姿の娘が現れ、列車の窓を開けようとする。蒸気機関車なのでトンネルで煙は客室に入り込んできてむせった芥川龍之介は頭に来るのだけど、トンネルを抜けたら線路わきに数人の子供たちが立っていて、その子供たちめがけて小汚い小娘がみかんを投げつける。その光景を見た芥川龍之介は心が和んでしまうと言ったあらすじです。
私が思うに、小汚い小娘は丁稚奉公に出された子供で、駅で列車に乗る時に家族や知人に「列車の中で食べなさい」とミカンをもらった。トンネルを抜けたら小汚い小娘の弟妹が見送りのために立っているので、自分がもらったミカンを食べさせたくて、その一心で龍之介の座席に押し入ってきて、トンネルの中などお構いなしに窓を開け、出口の近くで弟妹たちを見つけるなりミカンを投げつけた。
そんな光景見せられれば文句も言えないどころか心が熱くなってしまう。素朴に勝るものはなし。
苛立ち、焦り、絶望感で文具屋の店先に爆弾に見立ててレモンを置いて、爆発する様を想像して心紛らわす肺病の梶井基次郎の「檸檬」。
レモンとミカン。同じ柑橘系だけど小説に用いられる道具として逆だったらどうなるだろう?奉公に行く少女が弟たちにレモン投げつけて、肺病の文士が爆弾に見立ててミカンを置く。これでは随分印象が変わってしまう。「蜜柑」はミカンで「檸檬」はレモンで良かったんだと当たり前のことを納得しました。
作者が亡くなっても残る作品って時代を経て定番となると、やはりそれなりの力を垣間見る思いがします。