のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

2010年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏の中国に行くと、市街地の路上で梨や桃を山積みにした台車を置いて販売する商人(農家?)を良く見かけたものです。
 水が悪い国ですから、夏の水分は果物を食べて補給するのが長年の習慣みたいです。
 街中でよく見かけたのは、いきなりバッグからキュウリを出してポリポリ食べる人たちで、キュウリをまるかじりしながら歩く光景は奇妙にも思えました。
 キュウリには体の中の熱を下げる作用があるそうで、暑い日にキュウリを食べることは理にかなっているそうです。
 
 今日も異様な残暑に見舞われました。たまたま梨をもらって食べました。梨はあまり好きな果物ではないので、買って食べることはめったにありませんが、この夏は暑いので梨の甘さが増しているようです。久しぶりに食べると水分の豊富なことや、さっぱり感に”梨もおいしいもんだな”と再発見しましたが、梨の効能なのか、大汗書いたにもかかわらず意外なほど体調良く過ごせました。
 梨のミネラルが良かったのだろうか?
 中国の人たちが水を飲むより梨を食べて水分を補う意味がわかる思いがしました。

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残暑

2010年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 残暑きびしいどころか、真夏並みの猛暑が続いています。
 この夏はウーロン茶ばかり飲んでいましたが、ウーロン茶が油を分解するためなのか、胃が荒れてしまいました。お盆以降は麦茶に切り替えましたが、こう暑い日が続くとついつい麦茶を飲みすぎてしまいます。それでも、汗が出ないよりは出たほうが体内に熱がこもらないので、汗まみれになって水分補給しています。
 
 熱波に見舞われているヨーロッパでは、熱射病で2万人を超える支社が出ているようですが、基本的に冬の寒さを基準に作られているヨーロッパの建物は、熱が逃げにくい構造に、エアコンなど冷房設備も少なく、夏の暑さに対しては暮らしにくい建物が少なくないみたいです。
 
 100歳を越えるお年寄りの行方不明が相次ぐ日本。ついに大阪では152歳の行方不明が出ました。安政4年生まれというのですから、安政の大獄の前年生まれ、幕末からの激動の歴史をリアルタイムで見てきた人ですから、何でこんな人がいることを今まで放っておいたのだろう。年金は出ていなかったそうで、いつ死んだのか、どんな人物なのかわからないみたいですが、興味あります。
 今のところ、100歳以上を対象に調査をしているようですが、年金受給者を対象に調べれば行方不明者がもっと出てくることでしょうね。
 15日に支払われる国民年金の場合、15日前に亡くなると年金が出ないそうで、この1日の違いは大きいみたいです。

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万博

2010年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏のバカンスを利用して上海万博に行ってきたウラジオストクの知人からのメールでは、「あまりの蒸し暑さに熱射病になるかと思った。」
 人気が高い中国館やサウジアラビア、韓国、日本など長蛇の列で入ることができなかったそうです。行列の少ないところばかり見てきたようで、「あまり面白くなかった」そうです。

 行列慣れしているロシア人と違い、中国人は割り込み当たり前ですし、後ろから押されて倒れた前列の人たちが怪我をする事件が開幕当初には起きましたが、一応、おとなしく並ぶように進化したみたいです。それでも、前の人にぴったり張り付くような密集する並び方は相変わらず見たいです。

 1970年の大阪万博のときは私も見に行きましたが、月の石が飾られていたアメリカ館やソビエト館は人気が高く長蛇の列でした。2日間いった中で、ソビエト館と日本館は開園早々に並んだためそれほど待たされた記憶はありませんが、三菱未来館はずいぶん待たされた記憶があります。
 電電公社のパビリオンだったと思いますが、電線の無い電話に驚愕した記憶があります。今で言うなら携帯電話というより電話機の子機を大きくしたような電話でしたが、将来は電話を持って歩く時代が来るのだろうか?なんて期待したものです。

 大阪万博以降の日本は妙にこうしたイベントに冷めてしまい、特に○○博と名がつく博覧会は意識的に遠ざけるような感があります。興味を持てない。ここから進歩はありません。

 1970年のコマーシャル。

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告知

2010年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 同級生のお父さんが亡くなり、そのお葬式に行ってきました。もう、長いこと体調が優れず、病気を患っていたことは知っていましたが、友も父親の病気のことをしゃべりたがらなかったので、話題がその方向に向かわないように気を使っていました。病気のことは当人にも伝えず、家族で箝口令を強いて黙り通したそうで、当人も何の病気か知らないまま無くなったそうです。家族もつらかったことだと思います。

 昔はガンなどの大きな病気のときは当人に隠すことが当たり前でしたが、近年では伝えて「ともに戦いましょう」とするのが一般的になってきました。
 この「告知」について興味深い違いだなと感じたのは、中国では大きな病気の時には当人に隠すのが当たり前。ロシアでは当人に伝えるのが当たり前。考え方が違います。
 ロシア人が言うには、自分の病気何か、余命がいつまであるかわかれば、人生を有効に使えるではないか、これが親切だ。と言います。中国人は病気の重さを知ったら生きる気力がなくなるだろう。と、こちらが親切。どちらの気持ちもわからなくはありません。

 10年前、ロシアの友人のお母さんがガンになり、余命1年と宣告されました。実際には3年近く生き延びましたが、いよいよ動けなくなるまで仕事を続け、家や家族のことも後腐れないようにして亡くなりました。
 告知の意義が良くわかる例でしたが、取り乱すことも無く気丈でいられる強さが必要だと感じました。
 自分ならどうだろうか?と考えると、難病であっても告知されて余命どのくらいがわかったほうがありがたいと思います。

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山火事

2010年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 1996年にモンゴルで大規模な山火事がありました。山火事にやられた面積は北海道の匹敵する広さでした。
 今年はロシアで山火事が頻繁に起きています。あの広大な森林を抱える国なので、毎年どこかで山火事が起きているようですが、落雷による発火が多いようですが、今年は手がつけられないほど多いみたいです。
 山火事の煙がモスクワを多い、靄の中を歩く人々の報道がありましたが、映像で見る限り霧も煙も変わりません。霧が名物のウラジオストクではよくある光景のように見えました。

 消防団員だったころ、山火事の出動を体験したことがあります。消化しようにも水がないので、火が広がらないようにとスコップ持って溝を掘る作業でした。
 プロフェッショナル集団の広域消防があれば大方の火災は十分事足りますが、山火事は人海戦術に近いので、われわれ民間人の消防団の重要性を認識しました。
 山火事では一見鎮火したように見えて、枯葉の下で煙がくすぶっている様子を目にしましたが、ロシアの場合、この枯葉や倒木が何千年も積み重なってできた泥炭と呼ばれる燃える土が地面を覆っているので、炭火のように地面が燃え続ける地域もあるようです。シベリアに行ったときにストーブで泥炭を燃やす家庭を見たことがあります。家事でもなければ便利な燃料なんですが。

 日本も猛暑に見舞われていますが、我が家のあたりは毎日雨が降っているので、山火事の心配はありません。うっとうしい雨ですが、大いに役立っています。

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お盆休み

2010年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本のお盆休みも曲者と言えば曲者で、近年はおおむね8月12日ごろから16日ごろに集約されていますが、それでも地方によっては若干の違いがあります。
 私が子供のころは9月の初旬が我が家の界隈のお盆でしたが、段階を経て世間一般と同じ時期に移行しました。

 テレビで京都の大文字焼きの映像を見ながら、「何でこんなに暑い時期にお盆をやるのだろう?盆踊りは暑くて大変だろうな。」なんて思っていたものですが、今やこちらもこの暑い時期にお盆をやっています。
 「お盆もフレックスせいだよ。」と、17日から夏休みをとって同級生が帰郷して来ました。混雑を避けられていいシステムだと彼は言いますが、お盆を同じ時期に集約した意図に逆行しています。
 せっかく送り火に送られて、ナスの牛車に乗って帰ったご先祖様を、またキュウリの馬車で迎えに行ってきたそうです。

 お盆も関係なく営業している会社なので、社員で調整しながら夏休みをとっているそうですが、「みんな利口になったんだよな。お盆のシーズンに休暇を取る社員がほとんどいないんだ。」
 日本人ですから事前に担当する企業に休暇日程を伝えて、代役の担当者に引き継いでの休暇なので、業務に支障はないみたいです。

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KARA

2010年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

私が学生時代に韓国から留学してきた女性が来日したので会いに行ってきました。この冬に大学を卒業する息子さんを日本に留学させるための準備に来たようです。
 徴兵制がある国ですから、今の北朝鮮との状態を考えるとのんびりしていられないようです。
 「できれば卒業後に日本の企業か、最低でも韓国以外の国に就職させたい。建前は建前、本音は本音。」と言っていました。

 先月電話をもらったとき、韓国の少女アイドルグループのKARAはいいね。と話題に上がったこともあって、KARAのCDを土産に持ってきてくれました。歌なんかどうでもいい、おじさんは美少女が好みなのでグラビア雑誌のほうが良かったけど、こうした韓国のポップスミュージックの分野が洗練されてきたことには驚いています。安キャバレーのショータイムのような日本のグループとは大違い。良くここまで容姿歌唱力を備えた人材を集めたものだと感心しています。

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見舞い返し

2010年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 13日の金曜日の仏滅です。明日は大安です。

 7月に怪我をして入院した父の「快気祝い」を買いにギフトショップに行ってきました。お盆と言うこともあり、思う以上に混んでいました。

 父はお寺の檀家役員をしていることもあってか、お寺からお見舞いをもらう珍しい事態になり、お寺への見舞い返しを何にしようか思案しました。
 お盆でお寺もかきいれ時ですから、お盆明けのほうが良いだろうと先延ばしにすることにしました。

 ギフトショップで同じ病院に入院していた男性と再会しました。足を骨折して3ヶ月も入院していた人ですが、8月早々に退院したそうで、松葉杖をつきながら自力で歩いていました。今月中には松葉杖なしで歩けるようにしたいと努力しているようです。
 お見舞い返しも厄介な風習だなと話しましたが、ギフトショップのおばちゃんが「おかげで私たちも生活できるので、そう悪い習慣ではないと思いますよ。」「たしかにそういう見方もできる。」と大笑いになりました。

 14日に配ろうと思っていましたが、父のすぐ下の妹がギフトショップの近くに住んでいるので「日は悪いけどついでに顔出して配っちまおう。」と足を運びました。
 叔母が飼っているトイプードルが6月に4匹の子供を生み、まだ2匹貰い手がないというので「お見舞い返しのお返しに1匹持っていかないか?」と子犬を押し付けられるところでした。

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蜂刺され

2010年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 草刈の最中に蜂に刺されて病院に担ぎ込まれる騒ぎを起こしてしまいました。たぶんスズメバチだと思います。
 スズメ蜂のアレルギーを持っているので、過去に3回ほど意識がなくなったことがあります。
 最初に全身に寒気が走り、指先や目玉がかゆくなる。そのうち耳にエコーがかかった音が聞こえ、周囲が暗くなる。だんだん呼吸が苦しくなり、灰が膨らまないような感覚になる。体中に鯖の模様のようなでこぼこが出る。
 ここまでが3-40分です。
 蜂に指されると幹部が腫れるものですが、アレルギーが出るときには腫れない。

 今回は太ももを刺されたので、すぐに毒を押し出し、幹部の周りに赤いぼつぼつが出始めたものの、一連の症状が出ない。違い種類の蜂だったのか、毒を出したのが良かったのか、数年前の肺炎で体質が変わってしまったのか、それでも念のためにと病院に連れて行かれました。
 飲み薬を飲まされ、点滴をうって2時間ほど様子を見ましたが、今回はショック症状は起きませんでした。

 点滴は栄養分を入れた生理食塩水のようなもので、これが霊験あらたかでした。蜂に指されたのが夕方4時近くでしたが、腹がへってそろそろ作業をやめようかな?と思っていたころでした。
 点滴をうったら飯も食べていないのに食欲がうせてしまい、夕飯を食べなくても朝まで持ちそうな満腹感が生まれました。もう一仕事できるぞ!とやたら元気になりました。

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抑留

2010年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKスペシャルでシベリア抑留について放送していました。抑留中に民主主義(社会主義)教育を受け、しっかり思想改造できたものから帰国できる。早く帰国したいために仲間を裏切るものたち。人の「業」のひどい部分を目の当たりにしてきたものたちは当然口が重くなります。
 後の連合赤軍の内ゲバ、「総括」事件を見ると、やっていることが似ていると思いました。
 妬みなど、人間の卑しい部分に力を持たせることで、民衆同士がけん制し合い、権力者が力を維持する。日本の民主党が腹案にしている「人権擁護法案」の裏側には、こうした権力維持の手法が見え隠れしています。美名の下に自由を封じられるのでしょうか?

 ソビエトの秘密警察制度、中国の文化大革命、自分が生き残るためには家族さえも密告する恐怖政治の時代がありました。
 本音を言わず、肝心なことははっきりしないロシア人の気質の背景には、こうした時代の名残を感じることが多々あります。

 シベリアで日本人が収容されていた宿舎の後を訪問したことがあります。日本語らしい文字が書かれているので読めるか?と言われ、地面から十数センチのところに書かれていた文字を読みました。「ニホンヘカヘリタイ」とかかれていました。

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付き添い

2010年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏風邪の病み上がりでしたが、父を病院にリハビリに連れて行きました。骨折した腕をマッサージしてもらい、方を上げる練習などをしていたようですが、時間がかかるので、私は下の待合室で椅子に座って待っていました。

 待っている間、いつの間にか寝てしまいました。肩をたたかれて目が覚めましたが、「あー、意識が戻ったみたい。」別に意識を失っていたわけではなかったんですが、汗をかいてぐったりしていたので、別の患者が気になって声をかけてきたみたいです。

 「早く見てもらえるように看護婦さんに申し出た方がいいですよ。」

 診察を受けるために待合室にいたわけではないのですが、せっかくの親切ですから「ありがとうございます」とトイレに行くふりをして、リハビリの部屋に行きました。ちょうど父のリハビリも終わって、程なく病院を後にしましたが、付き添いのほうが病人のような顔をしていたかもしれません。

 ♪夏を乗り切る力もなく♪ 年々夏を乗り切る体力の重要性を感じるようになりました。

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夏風邪

2010年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏風邪はバカがひくなんて言われ方をしますが、なんと言われようが体力を吸い取られて骨身にこたえるけだるさでした。

 寝ていても汗が止まらないので、一か八かで、温泉に長湯して汗を搾り出して、ようやく熟睡できましたが、睡眠の体力回復は霊験あたらかです。

 ようやく、何とか普通に動けるようになりましたが、食欲がありません。最近巷ではやっているラー油をご飯にかけて食べていますが、味覚が麻痺しているのか?辛さを感じません。それでも、回復方向に向かっているのは確かで、軽いく無理をしつつ治してしまう予定です。

 モスクワでは39度の猛暑を記録しているようですが、冬は-40度ですから、夏冬で80度の温度差。よく生きていられるものです。

 日本では100歳を越えるお年寄りの行方不明が相次いでいるようです。死んだにもかかわらず、死亡届を出さず、年金などを不正受給していた人たちがいるわけですが、いくら高齢化したとはいえ、110歳を超えて行政が知らなかったと言うのもおかしな話です。大体どこの地町村でも100歳を超えたお年寄りがいれば、首長が訪問して市町村のミニコミ誌の表紙に出るものですが、調べてみたら住所が空き地だったなんて馬鹿な話さえ出ています。

 この暑さで近所のお年よりは大丈夫か?伺ってみるのも良いかもしれませんね。

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