のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

空白地帯

2013年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 USAの情報工作を暴露して「表現の自由を信じる国に政治亡命を求めたい」と翻刻経由でアイスランドに逃げる途中、モスクワの空港で足止めされている元CIAのエドワード・スエーデンという情報工作員。

 どんな人物なのか?写真を見たら目がイっちゃっている。視点が定まらないルーピー鳩山路線に踏み込んでいますね。

 たぶん、裏で糸を引いていたのは中国でしょうが、中国だってこんな厄介者が「亡命」してきても裏事情が公になって困るでしょうし、ロシアだって亡命されたところで困るでしょう。

 借れば亡命先に選んだアイスランドだって、こんなの受け入れたらアメリカ敵にまわすみたいなものですから受け入れられないでしょう。大手を振って受け入れられる国があるとしたら北朝鮮くらいのものでしょう。

 当人は世界がひっくり返るようなことを発表したつもりなんでしょうが、USA当局がサイバー工作やっていることなんか暗黙の了解ですから、ただ単に自分の足元を崩しただけ。やっぱこの人バカだったんですね。

 このままモスクワの空港で南京生活の飼い殺しと言うのも面白い気がしますが、現在この容疑者が置かれている場所はどこの国でもない空白地帯。コスモポリタンとか地球市民が生息するのはこういう場所がふさわしいんでしょうね。

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GPS

2013年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 私の山仲間が谷川岳で私の友人と称する夫婦者の登山者に会ったそうです。風体などを聞くところでは私の学生時代の山岳部の先輩で、この数年、子供の手がかからなくなって山登りに復活した人物でした。

 今で言うところの地図オタクで、年中部室で地図を広げてはあれこれ調べて楽しんでいる人でした。地図の読み方やコンパスの使い方などを教えてくれたのも当然この先輩で、古地図の見方など地図の楽しみ方を延々語りたがる人物でした。

 この先輩と都内を歩くと江戸の町並みや戦前の町並みなどが頭に入っているから面白い発見が多々ありました。

 実はこの先輩とんでもない方向音痴で、自分の弱点をカバーするために読図を磨いているうちに地図オタクになってしまった人で、怪我の功名で地図の名人になってしまったようなものですが、さすがに工学部だけあって30年前には衛星を使った今で言うGPSの実用化を思いついていました。

 当事はまだどういうことなのかチンプンカンプンで良くわからなかったけど、実際自動車のカーナビの正確さなど見るとGPSおそるべしです。

 一昨年、スキーに来たときにお目にかかったとき、サイバーテロでGPS機能を狂わせれば世界が混乱になるなんてことを話していましたが、中国とUSAのサイバー戦争は既に勃発しているようです。

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商人の話

2013年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 儲かりまっか!儲からはったらなんでもできまんねん!ホナ、3・2・1、ダー!でおます。

 そんなこんなで今日は商売の話をしまんねん。

 紀元前1600年ごろから1000年ごろにかけて、ホンマにあったかどうかわからんチャイナの国に「殷」ゆう国がおましてん。甲骨文字なんぞを作った国やと歴史の授業で習ろうたことやと思うけど、まぁ、そんな国がおましてん。

 余談やけどな。ホンマかどうかわからんけど、この国の王族の名前は「鳳」ゆう姓やったそうや。「へぇ、鳳啓介でございます。ポテチン。」若い人にはわからへんやろな。

 若い人にはわからんゆうたら、その昔オロナイン軟膏のコマーシャルで「浪花千栄子でございます。私の本名は南口キクヨ(なこうきくよ)いいますねん。」なんてコマーシャルもおましたな。

 本名ゆうたら、この殷はホンマの国の名前が「商」やったそうや。殷という町を首都にしはったさかい国の名前が殷と思われているようやけど、なんせ、3000年も昔の話やしな。こまかなことは気にせんといて、確認されているチャイナ史上最初の王朝が「商王朝」でこの国の人たちを「商」の国の人。つまり「商人」ゆうたらしいんやな。

 やがて殷は滅亡し時代は「周」になりまんねん。

 池に落ちた犬は叩け!のチャイナやさかい。負けたら惨めなもんでっせ。定住する土地も得られなかった殷の残党は、物売りをしながら各地を放浪する生活をするわけやねん。この交易で生計を立てている人々を「商」の人。つまり「商人」やな。こない呼んだわけやねん。

 あきない話やろ! ほなな。

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鉢の木

2013年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 能に「鉢の木」という曲があります。世阿弥の作とも観阿弥の作とも言われています。

 内容は鎌倉時代から室町時代の端境期、吹雪の夜に貧しい落ちぶれた武士の家に一人の僧侶が一夜の宿を所望すると訪ねてきます。空に困るような貧しい家なのでたいしたおもてなしはできないがと、大切にしていた鉢植えの植木を切って暖房の薪にして僧侶をもてなします。

 一門の不正によって今はこのように落ちぶれた武士ですが、何かことがあればすぐにでも鎌倉に駆けつける心構えができている。とこの落ちぶれた武士は僧侶に語ります。

 後に鎌倉からこの武士に招集がかかり急いで駆けつけるとあのときの僧侶がおり、前執権北条時頼だったことを知ります。この武士の言葉が偽りでなかったことを賞賛し恩賞を与えると言う物語です。

 小学校のときに「道徳」の教科書に出ており、いつでも自分の能力が発揮できるように心がけるとか、誠実に言葉を実行すると言うくくりで授業が終わったと記憶しています。

 ところで、この「鉢の木」の舞台となったのはどこかと言うと群馬県の高崎のあたりだとされています。

 こんなところで吹雪になるほどの大雪が降ったのだろうか?まぁ、せいぜい我が家の近では冬なら当たり前程度の雪の降り方だったに違いありませんが、北条の勢力も沼田までで、こちら辺境の山間部は上杉や真田がしっかり抑えておりました。

 今は何が起こるかわからないような混沌とした時代ですが、こんな時代こそチャンスが多いのでしょうから常々爪は研いでおきたいと思います。

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外患法

2013年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ルーピーのハトポッポ元首相がまた中国のためにリップサービスしているようで、にわかに注目を集めてきたのが「外患誘致罪」。日本にまだこの法律が残っていたんですね。

 どんな罪かと言うと、簡単に言えば日本に戦争を仕掛けようとしている外国と通じて日本に武力行使するように仕向けた罪で、現行刑法にも81条82条として機能しています。刑罰も存在し、有罪となれば死刑です。量刑が死刑しかない現行の刑法ではもっとも重い罪状を持つ刑法で、懲役や執行猶予もなく即決死刑になる刑罰です。

 かつてゾルゲ事件のときに唯一この法律の適用が検討されましたが、国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反で十分裁けるとして、外患法を用いずゾルゲと尾崎秀実が死刑になっています。

 ハトポッポの場合いくら馬鹿でも元首相ですからその発言には重みがあります。「知らなかった」では済まされない立場です。

 考えてみれば沖縄問題も中韓との問題もこの能天気な馬鹿のパフォーマンスが引っ張り出した事件です。馬鹿な政治家の一言で国益を損ない、寡黙な国民の日々の努力でそれを取り戻しているのが現実です。

 このところ信頼がた落ちの検察も裁判所も真剣に「外患法」の適用を試してみてはいかがなものか?裁判員の判断への負担が大きければ国民投票で有罪かどうか決めてもよさそうなものです。

 国民に責任感を持たせるためにも重要なことだと思いますが。

 ハトポッポ有罪の場合、死刑執行時の法務大臣は法務大臣経験者の弟のクニオはんでよろしいのでは?

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マンガ

2013年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 期末試験勉強中の高校生から彼の愛読書のコミックスを借りてきて勉強しています。集英社ですから少年ジャンプか何かで連載されていた「DEATH NOTE」という論文で12巻物です。

 こんなの面白いの?と冷やかし半分で読んでいたらズバリツボにはまってしまい。この土日は読書に夢中になってしまいました。

 死神のノートに名前を書くとその名を書かれた人物は死ぬと言う仕立てで、正義の味方を気取ったキラという人物が犯罪者の名前をノートに書いて次々殺していく。それを阻止しキラをとっ捕まえようとする警察の秘密組織との心理合戦が面白い書物でした。

 読みながら思ったのは、ロスの殺人疑惑の三浦なんたらが獄中で自殺したことや、最近は尼崎連続殺人の角田(スミダ)と言うおばはんが獄中でTシャツで首吊りした事件などを思い出し、「あれはキラがデスノートに名前を書いたんに違いない!」やっぱ死神はおんねん。

 次はあれかな?今取りざたされている大阪堺市の死体遺棄事件のガラの悪いおばはんかな?

 なんて期待していたら、病院に行ったら番号で呼び出されたことに腹を立ててネットに書き込みしたら、逆にブログ炎上の非難の嵐にさらされた岩手県の県議会議員が自殺してしまいました。

 あれはキラのしわざでっせ。デスノートに名前かかれたら死ぬから病院も患者の名前ではなく番号で呼び出していたんだ!きっとそうに決まった!

 いい歳こいてマンガ読んで喜んでいるのか?というわけでもありません。それなりに考えながら読んでいるので興味深い発見をしました。

 なぜ日本の漫画が世界で突出した完成度を誇るのか?いい歳したおっさんが夢中になって読んでいるからばかりではありません。

 漫画の形って日本語の言語と同じなんですね。というのは・・・。日本語を本で読む場合、漢字と仮名で成り立っています。漢字は表意文字で仮名は表音文字。世界でもかなり特殊な表記法だと思いますが、マンガの場合絵が表意文字でふきだしと呼ばれるせりふの部分が表音文字と置き換えると、日本語の文章の形そのものなんです。

 これは日本人に向いている分野だったんだな。とマンガを読みながら気が付きました。

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月下氷人

2013年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 「月下老」の話。

 唐の時代に「韋個」という青年がいました。一人身の気軽さもあって方々を旅して宋城という街に来た時のことです。もう夜も更けて通りには人影もなく、青い月の光が待ちに立ち並ぶ家の屋根を照らしていました。

 ある街角で韋個は不思議な老人を見かけて立ち止まりました。老人は地べたに座って、月の明かりでなにやら書物をひもといて調べものをしています。

 「こんな夜更けに、何をしておられるのですか?」韋個は老人に尋ねました。「わしのことかな?わしは結婚について調べているんだよ。」

 韋個は老人の傍らに置かれた袋が気になりました。「その袋の中は何が入っているのですか?」 老人は「これかね?ほら、赤い縄が詰まっているんだよ。この赤い縄が夫婦をつなぐ縄じゃ。ひとたびこの縄でつながれれば、二人がどんなに遠く離れようとも、たとえ仇同士の仲であろうとも必ず結ばれるんじゃよ。」

 「私はまだ一人身です。私の妻となる女性は今どこにいるのでしょうか?教えていただけないでしょうか?」韋個は老人に頼みました。

 「おまえさんの妻になる女性なら、この宋城におるぞ。ほら、ここを北に行った通りで野菜を売っている陳というばあさんがおるだろう、そのばあさんが抱いている赤ん坊だよ。」

 老人に言われたものの韋個には納得できる話ではありません。赤ん坊が未来の妻だなんて馬鹿にされたような気分になり、信じることもなくその場を立ち去ってしまいました。

 14年の歳月が流れました。韋個は相州という土地で官史になっていました。やがて、韋個にも縁談が持ち上がり、都の太守の娘と結婚することになりました。歳は16-7の美しい娘でした。

 幸せな結婚生活が続き、やはり、あの老人の予言は嘘だったんだなと韋個は思っていました。ある夜、韋個は妻に生い立ちを尋ねてみました。

 「実は、私は太守の養女なんです。実の父親は私がまだ赤ん坊の頃、宋城という町で役人をしているときに亡くなりました。でも、優しい乳母がおりまして、青物を売りながら私を育ててくれました。陳ばあさんという乳母です。あの青もの売りのお店を今でも思い出します ・・・・・・ あなた、宋城をご存知なのですか!あの町の北のほうに陳ばあさんの店があったんですよ…」

 「氷上人」の話。

 晋の時代に索耽という占い師がいました。あるとき、令孤策という男が夢占いを頼みに来ました。

 「夢の中で私は氷の上にたっておりました。氷の下には誰かがいて、私はその人と話をしました。」

 索耽は「氷の上は陽、氷の下は陰を意味します。陽と陰が語り合うということは、あなたが結婚の仲立ちをしてうまく行くことの前兆だな。氷のとける頃にその話はまとまるよ。」と予言しました。

 その言葉の通り、しばらくすると令孤策のところに太守からたのみがきました。太守の息子と、張家の娘を結婚させたいがその仲人になってくれないか。

 令孤策が両家の間をとりまとめ、そのカップルはめでたく結婚するはこびとなりました。式を挙げたのは春も半ば、氷が音を立てて河を流れていく頃でした。

 「月下老」と「氷上人」という二つの縁結びの物語が一つになってできた言葉が「月下氷人」。仲人さんのことですね。

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2013年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 富士山の世界遺産登録とりあえずおめでとうでございますが、懸念しているのはこれで登山者が増えて環境破壊を防ぐために「入山料」なんてことになりゃしないか。

 入山料については反対ではないんです。環境整備に使われたり、入山者の規制にもなりますから。それならいくらくらいなら?と問われると500円くらいかな?めったに行く山でもないから1000円でも何とか我慢できるかな?

 と、考えつつも入山料とられる心配のない冬に登ればよい。なんてことを考えています。

 富士山は技術的にはまったく難しくない山ですが、冬になると様子が急変します。単独峰ですから天候が読みにくく風が強いので、1月に登って吹き飛ばされたことがありました。幸い新雪の吹きだまった窪みのやわらかい雪の上に落ちたので怪我はなかったのですが、30mほど飛ばされました。

 突風が吹きそうだったので「耐風姿勢」といってピッケルを雪面にさして体を低くして風に耐えていましたが、凍っていてピッケルがしっかり刺さらない、体が持ち上がった?と思ったら一瞬にして吹き飛ばされました。

 一緒に行った山仲間も一番体重が思い私が飛ばされることはなかろうと思っていたようでしたが、結果として空気抵抗が大きい体型が災いしたんだ「だからやせろ!」と言われました。

 火山活動が盛んなカムチャッカ半島には富士山のようなコニーデ型の美しい山が多数ありますが、毎年火山活動で標高が変わるクリチェフスカヤ山(だいたい4750m)に行ったときにも風で恐い思いをしました。

 正確な頂上は火山活動で立ち入ることができないのですが、頂上付近まで登って下山の途中、私の後ろを降りてきたスウェーデンのパーティーが風で吹き飛ばされ凍った斜面を滑り落ちてきました。

 アンザイレンと言ってザイルで繋がったまま彼らは歩いていたので、一人が飛ばされたときにもう一人もザイルで引っ張られて落ちたのでしょう。

 単独の私を挟んで右と左に一人ずつ落ちてきましたが、冷静に考えなくても真ん中にいた私は彼らのザイルが引っかかることになります。残酷ですが、ザイルが私の立ち位置を横断するときに飛び上がって逃れれば巻き添えを食わない。とっさに判断したものの風が強くて飛び上がれない。

 ピッケルのピックを氷に突き刺して、アイゼンで踏ん張って半分人生をあきらめてザイルを受け止めたら、奇跡的に何とか受けとめることができました。

 二名の命を救ったお礼はチョコレートでした。

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漂流

2013年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 ヨットで太平洋横断中のテレビタレントの辛坊なんたらと言う人が台風でヨットを沈めて漂流していた事件も海上自衛隊の活躍で無事救出されたようです。

 関東ではあまり見かけないタレントなのでほとんど認識がなかったのですが、海上自衛隊が自らの危険を顧みず台風の海に着陸して救出してくれたことを涙ながらに感謝していました。

 ちょっと前ならこうしたことをテレビタレントがいうことも考えられなかったし、テレビもこの部分をカットしていたかもしれません。東日本大震災から変わった部分かもしれません。

 海のことは良くわからないのですが、何かがぶつかってヨットの側壁に穴が開いたそうです。鯨と言う説もありましたが、たぶん海に漂流していたものではなかろうかと言うことです。3.11の津波で太平洋に流れ出た瓦礫などがまだた海に漂流しているそうです。

 海に漂流している材木や丸太が並みの息沖で船体に衝突して穴を開けたのだろうか?案外中国の潜水艦にぶつかって座礁していたのかも?

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害獣対策

2013年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝になると爆竹やロケット花火の音が響きます。サルやクマを追い払いために大きな音を鳴らしていますが、「学習能力」と言うのは恐ろしいものでサルなどは音がしなくなればすぐに戻ってきます。敵もサルものです。

130621  海とは無縁の山奥では人類とサルが尖閣列島問題を実践していますが、こうした争いの問題のひとつには人間たちの「無責任」も大きな問題です。

 歴史がどうこう言われて安っぽい正義感をひけらかして譲歩する連中同様、「自然が云々」を建前に責任逃れする「人類」も困ったものです。

 昨今繰り広げられているのは近隣市町村や近隣の県同士が害獣をめぐっての責任の押し付け合いで、自分のところの被害を避けるためにやることが「追いたて」。

 山狩りのように音を鳴らして山を追い立ててとりあえず自分の居住権の外に害獣を追いやることで、この連中が追われてやってきた町村はたまったものではありません。

 最近では私の村の近隣の町が鹿の追いたてをやったおかげで、やたら鹿の出没が増えています。

 もっと顕著な例は川鵜で、もともとこのあたりには住んでいない鳥でした。十数年前に下界のほうでボラの大発生があり、埼玉や神奈川で川鵜が増殖。片方が追い立てても被害が行ったり来たりするだけだからと、同じ日に一斉に追い立てたら結果的に被害は拡散してもともとの生息圏ではないところまで川鵜被害が広がることになってしまいました。

 この責任誰が取るんだろうね。

 いっそのことサルやイノシシを山に追い立てるのではなく下界に向けて追い立てたらいかが?ことの重大さがわかると思いますが・・・。

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水泥棒

2013年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風がまた近づいているので水不足は解消されそうです。この1重間ほど雨がよく降っていますが、思ったほど川の水が増えていないのが気になりますが、山が吸収し、程ほどに吐き出してくれることでしょう。

 今月前半の水不足で大幅に田植えが遅れた地域の知人と水泥棒の話になりました。

 この知人が夜中の二時ごろにこっそり自分の田んぼに水が入るように水路の水の流れを操作し、朝6時ごろに奥さんが見回りに行ったら、既に水路は別の農家の田んぼに水が多く行くように操作されていた。

 「我田引水」のことわざどおり、自分の田んぼに多くの水を施すために24時間姑息な水取り合戦が繰り広げられているので、農家同士で会議を持って水泥棒対策を論議したそうです。が、基本的に全員水泥棒なので全うな解決策が出るわけがありません。

 夜警をして担当者が夜に見回りをしたそうですが、この夜警の担当者が自分の田んぼに水が行くように操作してしまうので、水泥棒の当番制になってしまったと笑い転げていました。

 隣接しあう集落通しが仲が悪かったり、近隣の村同士が昔から対立していたなんてことは良くあることで、その根底に水不足のときの水の奪い合いが大きな要因となっています。

 今の時代では「なんだかわからねぇけど、昔からあの集落とは仲が悪いんだよな。」とその伝説だけは残っていますが、普段は何事もなく交流していても、何かのときにこうした昔の因縁が出てきます。

 近隣の村では細い川を挟んで隣接しあう隣の村との「喧嘩みこし」がお祭りの目玉になっている土地があります。水の取り合いのいさかいをお祭りの神輿に託して解決、というのか、憤懣のはけ口にしたのでしょうが、かように農業と水は密接な関係にあります。

 雨が少なければ水不足、ちょっと多めに降れば洪水。お天気の微妙なさじ加減の中で何とか生き延びてきた日本人です。

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真ん中

2013年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 G8先進国首脳会議で日本の経済政策アベノミクスが注目されたらしく、安倍首相が英国の証券関係者の間で経済政策の講演会をやったようです。歴史的な偉業だと思うけどあまり注目されていません。

 G8の会議となると記念撮影で日本の首相がどれだけ真ん中に陣取れるかが注目されますが、こんな重要なことだったのだろうか?

 真ん中と言えば、私が子供の頃3人で写真を撮ると真ん中に写っているやつが一番先に死ぬなんて都市(田舎)伝説がありました。3人で写真を撮るときに気になったものです。

 一昨年、元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが亡くなったときに”そういえば!”と思い出し、昔の明星の付録のYoung Songを引っ張り出してみたら、ほとんどランちゃんが真ん中で田中好子さんはこちらから見て右側にいることが多かったようです。

 何気にページをめくっていると、ガロが載っていました。ガロのトミーこと日高富明さんが転落し昭和61年の9月20日で、このトミーも3人組の向かって右側をポジションとしていました。

 真ん中より向かって右が危ない!新たな発見をしました。

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短い時間?

2013年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 雨がねぇ、雨が降ってきたんですよ。

 

 急いで軽トラに戻って大きな木の下に移動したんですよ。木の枝葉が雨を防いでくれるので何もない空の下にいるよりは雨が当たらないでしょ。

 窓を開けて軽トラの中で水出し緑茶を飲みながら、そのうち雨もやむだろうと本に目を通していました。

 

 15分ほどたったころです。雨のふりは前より強くなってきました。こりゃぁ諦めたほうがいいなと思ったものの、読みかけの本をきりの良いところまで読んでしまおうと、そのまま本に目をやっていましたら、軽トラの3-4mほど前に立っていた直径50cmほどの松の木からなんいやら黒いものがスルスルスルと降りてきたんですよ。

 

 え?と思ったものの、すぐに熊だとわかりました。私の軽トラが来たので驚いて近くにあった松の木の上に登ったんでしょうね。そのまま私が車内で本を読んでいたので音も気配もないから降りてきたんでしょうね。

 熊は松の幹に前足をかけて反立ちになったままこちらを見てなにやら思案をしている。再び木の上に逃げようか?別の場所に逃げようか?なんか、そんな表情で「どないしましょ?」と言う顔つきでこちらを見ている。

 

 私も文庫本の向こうに見える熊の姿に視線がピッタシ合っていて、本の文字なんぞ目に入っていない。

 物理的にも数学的にもきわめて短い時間だったことでしょうが、私と熊の精神的にはとてつもなく長い時間が過ぎました。熊は林の中に姿を消しました。

 

 まぁ、これで一件落着ってところかな?とは思ったものの、軽トラの外に出るのも気が気ではない。居酒屋ならこういうときは所場を変えて飲みなおしが大人のルール。と、軽トラを200mほど離れた少し上の林道に移動しました。

 

 左側が石垣で右側は崖のように急な土手になっている林道に軽トラを止めて、本の続きを読むことにしました。エンジンを止めて窓を開けて、なんとなく窓の外を見ると、土手の下から伸びた大きなミズキの枝が4-5m先に見えました。

 

 私の目線の高さにその木の先端があり、枝の根元に目をやると、先ほどの熊が幹にしがみついてこちらを見ていました。「あんた、なんでこんなとこにおんねん?」と言いたそうな目線で熊はこちらを見ています。

 再び、物理的や数学的にはきわめて短い時間ですが、私と熊にとってはとてつもなく長い時間が過ぎました。

 

 軽トラのクラクションを鳴らすと、瞬時にわれに返った熊はあわてて木を降りようとしましたが、降りると言うより落ちると言ったほうが正解のスピードでバサンバサンと枝にぶち当たりながら根元にたどり着き、沢を下に走って下っていきました。

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ペルシア

2013年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 イランの選挙では穏健派のロウハニ氏が圧倒的支持で当選しました。

 イランは核開発などをめぐって何かと問題なっている国ですが、ちょっと冷静になって考えて見ましょう。

 強硬派でいろいろ問題を起こしていたアフマディネジャド大統領ですが、独裁者と言われながら任期が来たら引退しています。このアフマディネジャドだって選挙で選ばれた大統領です。

 今度の選挙ではアフマディネジャドとはまったく対照的なロウハニを国民は選びましたが、特に騒乱が起きる様子もありません。内乱状態のアラブ諸国やデモが相次ぐトルコと違ってイランでは妙に落ち着いています。

 意外と民主的?

 ただ、あの国は大統領の上に宗教上の「師」がいるから、選挙で大統領が変わっても早々大きな変化はないと思いますが、少なくも歴史上一度も選挙で指導者を選んだことがない中国や、大統領が変わるたびに死刑判決や亡命やなぞの自殺などが頻発する韓国よりはよっぽど民主的かもしれません。さずが元ペルシアです。

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冬の雲

2013年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 その昔、日曜の夜9時ごろになると「木下恵介アワー」と言うドラマの時間帯がありました。TBSだったっけかな?ウルトラマンを見てそのままチャンネルを変えなければ「泣いてたまるか」の後にこの時間帯だったような記憶があります。

 何しろその頃の私はまだ時計が読めなかったもんで、なんだかわからないけれど、ウルトラマンの始まる7時は読めました。

 木下恵介アワーが始まると寝るのが良い子の慣わしでしたが、あまり良い子ではなかったので時々見ていた記憶があります。

 今にして思い出せば「冬の雲」だったと思いますが、田村正和や近藤正臣なんかが出ていて、沖雅也とよく間違えた仲雅美も出ていました。

 ドラマの内容はまったく覚えていませんが、ドラマで使われた音楽は妙に印象に残っており、ひとつはロシア民謡と言うよりソビエト歌謡に分類される「ポーリュシカ・ポ-レ」で、仲雅美が歌ってヒットし、日本でこの曲が知られるきっかけになったと思います。

 もうひとつ妙に印象に残っているのが「苦しき夢」というドイツの曲で、妙にくさいせりふが付いた演出になっていて、今聴いても星飛雄馬の失恋か?と言わんばかりに臭いのですが、いいメロディーだなと記憶に残っていました。

 邦題は忘れたけど中学生のときに音楽の教科書にでていました。冬の夢」だったけかな?「夕べの夢」だったけかな?損なような日本名だったと思います。明治の時代には日本に紹介されていたようで、「墓詣で」なんて邦題だったようです。

 本国ドイツでは「私は夢を見た(Ich Hab Die Nacht Geträumet)」と言う題名です。

 あくまで私の意訳ですが、こんなことを歌っています。

 「夜半、私は悪い夢を見たようだ。それは庭のローズマリーの木に生えた。

 墓場は庭の花壇にあった。木々の緑から冠が鼻の上に落ちた。

 私は花を束ねて小金の花瓶に挿した。花は砕けて私を打ち据えた。

 私はわずかばかりの真珠やバラを見た。その夢が何を意味するのだろうか?もしやあなたが死んだのでは?」

 悲劇が大好きなドイツ人だけあって、元の歌のほうは結構不気味な暗示感じさせる歌ですが、聴いてみるとドイツ版のほうが肩の力が抜けていて明るく聴こえてしまいますかなり不気味な歌なんですが。

 さてさて、先日の「二十四の瞳」も木下恵介の映画で有名でしたが、たまたま「冬の雲」を取り上げてみてから、あ、先日二十四の瞳の悪口書いちゃった!と、気がついたしだいで、特に木下恵介のことを取り上げたかったわけではありません。

 TBSのこの時間帯って半世紀近い「ドラマの時間帯」だったんですね。名人劇場なんてエンタメもありましたが・・・。

 今は航空自衛隊をモチーフにしたドラマが好評みたいですね。我が家はサルがアンテナひん曲げてくれたおかげでこの1年ほどテレビが映らないので近所でビデオ借りてきて見ています。

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