のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

老いは

2022年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 登山仲間のアル中の詩人がくも膜下出血で入院し、改造手術を受けたのだそうです。今は娑婆に戻って来て仕事も再開してますが、間一髪のタイミングだったみたいです。

 異変を発見したのは奥様で、気持ちが悪くて頭が痛いという言葉に反応し、救急車を呼んで病院に運び込まれ、大病が発覚したのだそうです。日頃の酔っ払った姿しか印象がない我々なら、酒がなくても二日酔いになれるのか!と、感心して見過ごしていたところですが、二日酔いとくも膜下出血の微妙な違いを見抜いた奥様、男を上げました!ご立派です!

 恐妻家なので果たして生きのびたことが幸せなのかどうかはさておき、「病」において夫婦は大いに意味を持ちますね。

 私の場合脳に血栓がつまる脳閉塞だったのですが、朝起きたら妙に手がしびれて指先の感覚がおかしいし、平衡感覚が微妙にへんだ。脳外科医の同級生に電話してみたらろれつの回らないしゃべり方で、「過ぎに脳外科医に行け!オーダーしておく。」と言われて、行ってみたら症状が出始めたところでした。1年少々通院しましたが、改造手術はしていません。

 あれから7年。まだ右手の指先にはしびれが残っています。満足に箸も持てない。両足の指先の感覚も麻痺しているのでスキーにも乗れない。でも、日常の生活に支障なく過酷な山仕事をしてますが、水分補給には気をつけてます。

 前日にトレイルランニングで山の中を走り、ほぼ徹夜で家に戻ってきた朝だったので、脱水症状もあったのでしょうが、健康のためにやっていたことが命を落としかけた。

 私の中学の一年後輩なんか3年前に脳梗塞で左足が不自由になり、杖を突いて生活してますが、もはや老人の気配が漂っている。

 私が子供の頃は「中気」なんて呼ばれて、手足が不自由になったり、喋れなくなった年寄りが何処のご近所にもいたものですが、今で言うなら脳梗塞、脳閉塞の類いだったんでしょうね。しかも、老人と言っても50代60代で私達世代。家族の世話になりながら暮らしていたものですが、今はあまりひどくなると施設に入れられてしまうので、生老病死の「老」と「病」が切り離されてしまいました。

 目に見えないだけで、「老い」は確実にやって来てます。

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イチゴジャム

2022年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、薪作りをしていたら、見慣れないガイジンさんが車を止めてやってきました。キャンプ場に来た人かな?薪を買いに来たのかな?と、手を休めて応対すると、日本語がよくできないというので、英語でかまわないよと、話を聞いたら最近こちらに家を建てて移り住んできたガイジンさん。薪ストーブで燃やす薪を探しているのだとか。 

 家の場所を聞いたら、およそまっとうな人類が住もうとは思わない崖下のような場所。そう言えばあのあたりに家を建てているのを見かけたな。やはりまっとうな日本人ではなかったか!

 この会話、オーストラリアやニュージーランドのオセアニア系ガイジンさんが住み着いているので、多少癖のある英気に離れてますが、此度のガイジンさん、私よりひどい英語を使う。外人なのに英語が不得手ってなんか不思議?うちの嫁も英語苦手なガイジンさんだったけど。

 あ!この言い回し。と、気がついたのはドイツ人。ドイツ語でもOKよ。でも、ゆっくり喋ってね。

 一頃家庭内公用語はロシア語でしたが、第二公用語はドイツ語でした。嫁のおっかさんがドイツ語の教師で外国人はドイツ語を喋らなければいけないという固い信念をお持ちの方だったので、自分の娘にはロシア語で喋っているくせに外国人の婿にはドイツ語で話しかける非常に厄介なおっかさんでした。最近、ロシア語耳にするときが滅入るけど、ドイツ語にはそういう感覚もないので良かった。小悪魔女子大生の宿題代行以来のドイツ語。なかなか感覚が戻ってきてないけど、書いて貰うとよくわかる。そういう言語だったんですね。文献読破用の。

 薪の注文聞きながら思った。このドイツ人に粋な都々逸教えたらどうなるだろう?七・七・七・五で色っぽいネタを入れる都々逸。ありゃええ日本の文化だわなぁ。ドイツ人の都々逸。ブラジル人にブタ汁(豚汁)の作り方を教えて以来の雄大な野望。よし、手懐けよう。

 仕事帰りにイチゴ農家から出荷できないイチゴを貰いました。

 今頃の季節になると無人販売に300円程度でイチゴが出ているので、買い込んで来てはイチゴジャムを作って保存してます。

 梅雨時になると山の中に勝手に生えているバライチゴを採ってきて、これもジャムにして保存しておくのですが、このところ熊が人里に出てきて畑の作物を盗み食いするので、山の中は意外と熊が手をつけていなかったりします。

 手間暇なんかかけないんですよ。

 電子レンジで温めて汁が出てきたら、砂糖を加えて鍋で煮る。ただそれだけです。

 こう言うの、教わったのはロシアでしたが、冬の保存食の一種でもあるんですね。

 ロシアンティーはスプーンでイチゴとジャムを口の中に頬張り、そこに紅茶を流し込む。

 この流儀、イランに行ったときはコーヒーでしたね。角砂糖を口に放り込んでそこにコーヒーを流し込む。シリアのコーヒーなんか砂糖大量にぶち込んだやかんでコーヒー豆煮込んでカップに注ぐもんだから、コーヒー豆の粉が入っているのですが、濾過をするのは前歯。しかもフェンネルを入れて煮込むから独特の香りがする。

 ところ変わればですよ。

 この春作ったイチゴジャムがビンの中にまだ残っているので、何か入れ物は?と探したら、創味シャンタンの空き缶があったので、お湯で洗って煮込んだイチゴジャムを流し込みました。冷えれば固まる。しかも微妙に中華風味で。

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善なのか悪なのか?

2022年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 鎌倉殿にはまっている同級生から電話がありました。なんでも、八重さんが川で溺れた子供を助けて、自分は流されて死んでしまったのだとか。

 うん、そりゃぁ明日の新聞に出るでしょう。県警から感謝状とが贈られることでしょう。で、八重さんって誰?新垣結衣?星野源も悲しんでおられることでしょう。

 彼の理論によればいい人が皆早死にしちゃうそうで、そうなると歴史的に北条政子が一番悪い奴になってしまうのだけど、案外その見方、的をえているかも知れない。

 悪いことしていたから、その罪滅ぼしと言うこともあるのでしょうが、神社仏閣作ったり、仏像作ったり。後白河法皇なんか随分貢献したんじゃない?運慶なんて彫刻家が出てきたのもあの時代だし。

 法然が出てくるまでは仏教なんて貴族や武家の金持ちの教えで、極楽には庶民が行けないものだったのを、南無阿弥陀仏で誰でもいけると説いたのだから、ありゃぁ文化革命だったなぁ。親鸞にいたっては悪人こそ極楽往生できるとまで解釈してしまったんだから、意識革命だぜ。なんてことを話したのですが、明治維新並に変化を遂げたのが平安末期から鎌倉なんでしょうね。

 今日は朝から地区の河川敷の清掃で、午後は隣町の読書家の家を訪ねたのですが、この家の奥様、82歳になって帯状疱疹になって痛みと闘っています。自分の免疫力でウィルスと戦わなければならないので苦労しているみたいですが、このおば様は天平時代の大ファン。

 世間一般には悪者にされている弓削道鏡が好きらしいんです。お!日本のラスプーチン。天皇家にとりついて乗っ取ろうとした悪人に描かれている道鏡ですが、三田誠広が書いた「道鏡」は違う目線で描かれていた面白い。と、本をお借りしてきました。

 ある側面から見れば「善」でも反対側から見れば「悪」。こりゃもうどちらかが確立したらもう一方も生まれなきゃならないものですが、鎌倉殿の時代の武家様はそれがわかっているから熱心に仏像作りに寄進したんでしょうね。

 あおり運転の班員だって、当人は「善」のために嫌がらせやっているんですからね。ただその対立する側には全く視線が行っていないだけのことで、当人はご満悦さ。ネットで誰かを叩いている連中だって同様です。いじめのいじめる側に立つ連中だって、「善」に支配されているから自殺されてもわからない。

 一方しか見ないで自分に陶酔できる単純な人たちが起こした学生運動。重信房子が娑婆に戻って来たみたいですね。高槻あたりに棲みつくのだろうか?

 口では反省だの連合赤軍の解散だの言っているみたいですが、ム所の中でアラーの仏像掘って自分たちが殺した人の供養していたと言う話もないし、大方反省なんかしちゃいないだろうけど、シリアなんかじゃ今でもレッドアーミーは敵視されてますからね。巡礼に行かれてはいかがでしょうか?

 こんなのムショで食わせている間に何人餓死者が出ていたことか?国費の使い方に疑問を感じるけど、ここで「善」に飲まれてはいけない。「正義の人」になるとやばい。

 お世話になったから恩返し、程度の気持ちで、自分のふがいないことを思い出しながら良いことをしていれば正義の人に陥るようなことはない。

 正義は人を傷つける。

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キッチンカー

2022年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、なんか界隈が騒がしかったので出てみると、キッチンカーなるものが来ていて長蛇乗れるになっていました。

 こんなところにキッチンカー?

 こう言うの初めて見るような者なので、風呂上がりにおでん屋に行く神田川世代の感覚に戻って、温泉の湯上がりにキッチンカーの列に並びました。風呂道具手に持って。

 学生時代は憧れていたんですよね。爛れた愛の同棲生活。銭湯の帰りに「バイトの金が入ったからおでんでも食べようか?」って、草刈正雄になって気分で関根恵子に言う。

 そのうちなんとかなるんじゃねぇの?と思っているウチに還暦になっちゃったけど、キッチンカーの長蛇の列に並ぶこと30分。すっかり湯冷めしてしまいましたが、異文化に触れたようでちょっぴりアーバンな気分。

 予定では今夜はとろろ芋で山かけご飯でしたが、ハンバーグ丼(600円)になりました。

 あげタコ(500円)なるサイドメニューがあったので買ってきました。たこ焼きをフライにしたものですね。からっとしていておいしかったです。

 餃子なんかでも揚げ餃子がありますが、調理の手間を考えるとスピーディーで手軽なんですよ。なるほど、限られたスペースで出来る調理として考えているな。と、感心しました。

 このところスーパーの半額セールで百戦錬磨のおばちゃんと激しい争奪戦をしながら生き残ってますが、今日はちょっぴり贅沢な気分。

 かぐや姫のCDかけながらキッチンカーの弁当食べてふと思いました。

 近年の研究では恋愛の賞味期限は12ヶ月から18ヶ月と統計的に出ているそうですが、私の周辺を見回しても爛れた愛の同棲生活の行く末は、概ね1年前後で「解消」で、何かしら弊害がないと飽きちゃうんでしょうね。そういう意味では「結婚」なんて制度もまた一種の弊害で、その弊害があるから賞味期限が切れてもなんとか食いつないでいける。

 もう一つの弊害。「妊娠」でしょうね。70年代ドラマはこの「妊娠」から「中絶」に至って無責任な爛れた愛の同棲生活は終了を迎え、「日活」の文字がスクリーンに映し出されるのですが、その次の我々世代になると「できちゃった婚」が概ね認知されるようになって来た。それでもまだ世間様に後ろめたい思いはあった者の、やがて当たり前になって来て、少子化の居間では「よくやった!」になりそうなご時世。

 世相は変化してますが、脳科学的に説明が付くかような発情行為。当人達は酔いしれているんでしょうが、チンパンジーやゴリラの生態で仮に説明が出来る本能的行為でしかない。

 うん、相変わらず今日も皮肉がキレてるわい。と、あげタコハフハフしながら、キッチンカーに並ぶ長蛇の列を思い返すと、皆マスクをして結構密着しながら並んでいました。マスクの霊験ないのでは?

 まだ、妖しき感染症がはびこる娑婆世界ですが、サル痘なんてのも出回っているみたいですね。

 アメリカ大陸の風土病だった梅毒をコロンブスご一行様がお持ち帰りして世界中に広まるまで費やした時間が47年。かなり特定された感染症ですが、き・ず・な、が広回らせたんでしょうね。江戸時代末期にはお江戸の三分の一が感染していたというのですから、どういう絆だったもんだか?

 皮肉な年寄りになりつつある今日この頃です。

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通い婚はじめました

2022年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜から大雨。外仕事は仕事にならないので、これなら農家も同じだろう。と、書類の配達に知人の農家宅に行きました。案の定家にいてくれたのですが、このところ変な噂を耳にしていました。

 奥さんが出て行って熟年離婚したという話で、私はつい最近にも夫婦で一緒に田植えをしている姿を見かけていたので、なにかの勘違いだろう。と、思ってましたが、家の中の散らかり方を見るとなんかおかしい。奥さんの姿も見当たらないし気配もない。昼飯の準備をしてましたが、妙に気配に違和感がある。服装なんかもおしゃれになって元気よくなっている。

 噂は的を得ていたのだろうか?

 「通い婚はじめたんだ。」冷やし中華を食べながらポツリと言いました。「冷やし中華はじめました」ならこれからのシーズンによく見かけるラーメン屋の定番フレーズですが、「通い婚」とキュウリ農家の関連性がわからない。冷やし中華ならキュウリとトマトはぜひ欲しいところだが、通い婚は何をトッピングすればいいんだ?中華クラゲ?

 咄嗟に頭に浮かんだのは、まじめを絵にしたこのオヤジ64歳で人生に迷いオンナこさえて夫婦関係破綻したってことか?

 ではなく、奥さんの家に通っているのだそうです。昨年の今頃一か月ほどの間に、双方の親が亡くなり、長い介護生活から解放されたのですが、子供たちはこちらにいないし、「やっと二人きりになれたね。」ではなく「とうとう二人きりになっちゃった。」で、会話もなく空虚な気持ちで過ごす日々だったんだそうです。それでも、野菜の収穫があった頃はまだよかったけど、田んぼも終わって秋が深まると、なんとも気まずい日々。

 車で5分ほどの奥さんの実家は空き家状態、実家の手入れに行くのがだんだん、向こうで過ごす時間が長くなり、いつの間にか別居状態。しかもこの夫婦同級生同士で結婚したので幼稚園からのお付き合い。いつ燃え上がったのか?当人たちもわからないまま、「そろそろけじめを」と、親同士が率先して結婚させた夫婦。

 特に夫婦仲が悪くなって別居と言うわけではなく、昼間は一緒に農業やってます。

 たまたま趣味の短歌でいい歌が思い浮かんだのでメールで送ったら、奥さんも「傑作じゃない?こっちで食事しない?」と食事に誘われ奥さんの実家へ。ああ、こうして万葉の歌人は歌を詠んでいたんだ!と、スポットにはまったんだそうです。

 昼間は夫婦一緒に仕事して、プライベートでは奥さんは実家で生活。歌ができたらメールで短歌を送ってOKが出たら、夕方に奥さんの実家に行って一緒に食事して、テレビ見て時間をつぶし、朝になったら必ず夫が家に一度帰るんだそうです。

 「そうしなけりゃ後朝(きぬぎぬ)の別れにならねえじゃねぇの。ここが一番の見せ場なんだよ。そのまま夫婦で一緒に畑に出ちまったら感動ってもんがねぇ。」

 夫婦間のことですから、いろいろなプレイがあっても良いと思いますが、ずいぶんややこしい手間暇かかる楽しみ方だなぁ。昼間は一緒に田畑でビジネスパートナー、夜は万葉の姫君を訪ねる歌人ごっこ。60代半ばの遊び方?

 「俺たち、恋愛らしい恋愛もした覚えがないままに、周りが外堀埋めてなし崩し的に結婚したようなものだけど、なんか、今、一番華やかな気分になっているんだ。倦怠期乗り越えるには通い婚だぞ。」って、あんたら何年一緒にいての倦怠期なんだ?

 確かに、以前よりなんか溌溂として若返ったような気もするが、当人たちは「恋愛を楽しんでいる。」気分。でも、世間様が見たら別居していて離婚か?と映ってしまう。

 「お!午後から雨が上がるので畑で逢引きしようって歌を送ったんだけど、かあちゃんからOKの返事が来た。」仕事だろう。野良仕事だろう。

 に、しても。厄介なことやって楽しんでますなぁ。

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豚汁と野菜炒め

2022年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 スーパーに行ったらモヤシ中心の野菜炒めカット野菜が半額の49円。買い!ディーラーとしての直感ですね。程なく豚バラ肉に半額のステッカーが。300gもあって量が大きかったけど、買い!

 肉野菜炒めが脳裏をよぎりつつも、冷静に状況を判断する。昨日、キノコ屋さんに貰ったなめこ。余る豚肉。

 豚汁が出来るじゃないか!大根買っていこう!と、野菜コーナーに行くと、大根を半分に切ったものが半額になっていて49円。買い!スウェーデン、フィンランドのNATO加盟を祈念して納豆!大根おろしで納豆もいいな!。買い!

 肉野菜炒めも余るだろうから、普通のラーメンの麺を茹でて、食堂風の焼きそばも作れる。とラーメンの麺も買っておく。

 ウォール街を生き抜く証券ディーラーのような気分でスーパーから帰ってきました。

 かくして、過酷な修羅場をくぐり抜け、今日も一日食いつなぐことが出来ました。戦略を総菜から材料に切り替えたのが今回の勝利に導いた。これに尽きると思います。

 野菜炒めは残った分が後に焼きそばになる予定なので、醤油で味付けをせず、塩とこしょうとシャンタン少々で味付け。二手三手先を読んでの行動。今をどうすりゃいいのかわからないどころか気にもしていない岸田政権とはちょいひと味違いますな。 

 こんなところにぽつんと一軒家流行りらしいのですが、およそ四駆のクルマでもなければ入っていけないようなところに、私の高校の先輩が工房を構えています。かなり変人奇人の人なので、およそ正気の人では棲みつかないような場所に生き続けておりますが、世界レベルで物事を見ると、もっと変人がいる。

 そのさらなる奥に居を構えているガイジンさんがいます。

 今はカナダに帰っているので、時折行っては車のエンジンをかけたり、ネズミ捕りをかけ替えたり、建物に異常がないかを管理しておりますが、鬱蒼とした雑木林の斜面なので、一人で行くと心細くなってきます。クルマだってうっかり路肩に落とせば、先述の変人の先輩宅まで1km少々ある。谷あいすぎて携帯もつながらない。

 でも、まだここは電気があるので文明が入り込んでいる。

 もう一つ山を越えると、標高1000m越えの山の中に一人で住んでいた爺さんがいましたが、電気もなければ電話もない。水は豊富に湧いているのが救いです。

 輝ける独居老人なので、民生委員が月に一度顔を出してましたが、冬はクルマが入らない。私が委託されて1時間半かけた雪山をラッセルして登って孤独死していないか確認に行った時期がありましたが、今は施設に入ってます。

 将来の独居老人を想定すると、こういう生活に憧れはあるのだけど、誰かの手を煩わせるのも心苦しい。

 いいんだけどね、孤独死でも。問題はその後にかかる手間と費用。

 みまかることも自由にならないのか?

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ニセアカシア

2022年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 藤の花はすっかり姿を見せなくなりましたが、ニセアカシアの花がシーズンを迎えました。

 ミツバチが一生懸命働いて蜜集めて、それを人間がかすめ取る騙しあいの季節ですが、もっと上手がいて、代価もなく根こそぎかっさらっていく熊。役者が一枚上手です。

 河川敷などによく見かけるニセアカシア、こちらではハリエンジュなんて呼び方もされますが、外来品種です。本物のアカシアは黄色い花です。石原裕次郎の歌などのよく用いられているアカシアですが、イメージビデオなどでは何故か白いニセアカシアの花が用いられている。

 ニセアカシアは植えた場所より低い位置に種が落ちて増えていくので、河川敷や沢をさかのぼっていくと、どこが最初に植樹した場所か想定できます。それが何になるのか?と言うと、何の役にも立ちませんが、わかるとうれしいオタク心。

 たまたま顔を出した老夫婦宅でニセアカシアの天ぷらをいただきました。抹茶塩でごちそうになりました。

 ♪ニセア~カシアのぉ~ 花ぁ~の天ぷらぁ~♪

 石原裕次郎と浅丘ルリ子の「赤いハンカチ」の映画の話を伺いました。東京オリンピックの頃で、このご夫婦が初めてのデートで見に行った映画だったんだそうです。果たして、そこに出て来るのは白い花か黄色い花かなんてことは全く気にならず、とうちゃんとかあちゃんは互いの相手が石原裕次郎と浅丘ルリ子になった気分でスクリーンに食い入っていたそうです。

 「あんな恋愛してみたかったねぇ。」と母ちゃんは述べておりましたが、80半ばでこうしてニセアカシアの花の天ぷらつまんでいられる夫婦の方が「勝ち組」じゃなかろうか?

 恋愛至上主義で美しいのはフーテンの寅さんくらいのもので、まぁ現実は大いなる無駄になって非婚社会を形成したに過ぎない。それで少子化かなんて当たり前のことだけど、良き時代はカップルを後押しするような世の流れがあったんですね。映画だって同様。

 社会性だ倫理だなんてことが妙にリアルになってしまって、エンタメだってひな壇に芸人集めてクイズ合戦。スマホのバーチャル世界で泳いでいれば心地よい。自由だ解放だの行く先は少子化だった。と、子供のいない私が言うのも変なものですが、これが現状でしょう。

 とうちゃんかあちゃん世代が映画などのバーチャルの中で憧れていた世界が現実化したらこうなってしまっただけで、次の世代はどうなるんでしょうね?ネットゲームのような世の中になっているのかな?その前に滅んじゃっているかもしれないけれど、規制や制約をどう突破しようかとあがくところに生まれるエネルギー。ご自由に社会では芽生えませんね。ニダのお下劣な韓流ドラマだって、あの国、自由が少ないですからね。

 果たして、現在が良い時代なのかはわかりませんが、私には過ごしやすい時代ですよ。

 偽のアカシアかもしれないけれど。

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あんかけ焼きそばの日

2022年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、スーパーで賞味期限切れ直前の焼きそば三食入り72円と、半額セールになったニラモヤシ炒めセット49円。20パーセント引きの豚バラ肉162円を買ってきました。消費税入れても300円に満たない。これで三食分作れる。

 これでソース焼きそば3食作ったのでは芸がないからあんかけ焼きそば三食分を作ることにしました。

 焼きそば用の生麺は蒸かしてあるので、それを電子レンジでちょっと温めて、油で揚げる。

 塩こしょうで野菜炒めを作り、水を入れて煮て、噌味シャンタンをスプーン一つぶち込んで、オイスターソースを少々。最後に片栗粉でとろみをつけてごま油で香り付け。

 最近、この料理得意なんですよ。冷蔵庫野菜室の残材出入りで月二回くらいは作っているから。

 こうしてあんかけ焼きそばは完成しました。とりあえず今日はメインディッシュで一杯。デザートで一杯食べたので、残りの一つは明日の朝飯にしよう。

 やりくり上手な自分が愛おしくなる。

 温かくなってストーブを必要としなくなったら煮物料理が減ったなぁ。冷やし中華の季節に備えてトマトとキュウリは植えてありますが、まだ実がなるまで1ヶ月はかかりそう。そろそろカレーも食べたい頃合いだけど、レトルトが便利なもんで、そんなこんなをしていると、次第に創作意欲が失せてくる。レトルト。便利なんだけどね。

 週末から週初めにかけて雷様が雨を降らせてくれたおかげで、仕事が出来なかったのですが、おかげで左足の太ももの状態が随分よくなり、今日は一日楽しく仕事が出来ました。

 今日はカザフスタンの音楽をかけながら山仕事をしてましたが、やはり草原の音楽ですね。山林には微妙にそぐわない。

 カザフスタンに行ったのは40年も前のこと。まだソビエト時代ですよ。それも行くつもりもなかったのに連れて行かれた経由地で、飛行機で見下ろすとおそろしいほど何もない草原らしき光景。平べったい顔の土着民。そこで耳にした音楽はソビエト歌謡ばかりで、土着の音楽は聴けなかったのですが、コサックってカザフのことですからね。ウクライナなんか随分コサックの影響受けている。

 調べると、結構怪しい国なんですが、妖しい香りにはまっちゃいそう。

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小麦の話

2022年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 ラーメン大好きですが、ラーメンの生誕地ニーハオの国では刀削麺(とうしょうめん)という麺があります。

 のばした麺ではなく小麦粉を練った塊に小型をあてて削ぎ取るように鍋に放り込んで煮る。最近巷でよく見かけるようになったドネルケバブのように削り取った麺で、平べったい麺になりますが、のどごしがよい。

 初めて刀削麺を見たのは神戸の三の宮だったか、南京町だったか?何れにしても神戸なのですが、店先でおやじさんが胸に抱えた生地の塊を小さな刃物でこするように削ぎ、それが宙を舞って鍋に吸い込まれていく光景で、目を奪われました。

 塊をエキスパンダのように一本が二本、四本、八本と伸ばして麺にするラオミェンは最近よく見かけるようになりましたが、これも初めて見たのは昭和30年代末の三の宮でした。

 どちらも高い技術が必要ですが、近年、刀削麺を作るロボットが出たそうで、身近になるかも知れません。

 ハルビンによく行ってた頃は、ハルビン駅の並びに刀削麺の店があり、その道路を挟んで反対側に私がよく利用していた崑崙ホテルがあったので食べに行ってました。テーブルが二つあるだけのテンポで、元々は白衣だったのだろう灰色の服を着たおじさんが注文が入ると刀削麺を作ってくれるのですが、日本の醤油ラーメンのようなスープであっさりしていたおいしかったです。

 刀削麺風の麺が売られていたので、試してみました。機械で伸ばしたものを幅広に裁断したようで、刀削麺特有の波打つ厚さのでこぼこ感がなくてのどごしが寂しい。伸ばしたものだから麺が長い。でもおいしく楽しめました。

 戦争のおかげで小麦の価格が高騰してラーメンも気軽に食べられない時代が来るかも知れませんから、食べるなら今のうちです。

 そろそろ二毛作地帯では小麦の収穫が始まる頃ですが、単価が安いので冬は何も作らないで遊ばせておく田ぼが増えましたね。ラーメンにはどうかわかりませんがうどんには日本の小麦ですね。

 昭和20年は敗戦もありましたが凶作の年で、それが戦後の食糧難を過酷にしました。USAでは小麦が余って、支援物資と称してカビが生えて商品にならない小麦を日本に送りつけたなんて話を聞きました。そして米なんか食ってるから頭が悪いと、パン食に変える動きもあったのだとか。

 街中のホームレスを見なさい。日本のホームレスは雑誌拾って読んでいるけど、この識字率の高さ。大卒や元銀行員や証券マンのホームレスだっているんだぞ。USAにいるか?そんな文化レベルのホームレス。

 小麦と言えば、戦後の食糧難の時にはソビエトも日本に食糧支援してましたが、ウクライナで採れた小麦でした。

 ラーメンの将来や如何に?

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断食

2022年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日はなじみの喫茶店で一週間分くらい喋っちゃったから、今日は人と会わないよう心がげて無言ですごしました。なんかすごく気分よく過ごせました。

 当然、メール以外のネットには接続しないことにして情報を遮断。たまたま近くの知人からのメールで福島で震度5弱の地震があったことやこのあたりも緩い揺れが長時間続いていた知らせが入りましたが、外で作業していたために揺れにはまったく気がつかなかった。

 せっかくなので、今日は一日何も食べないで断食しよう!と、水とコーヒーだけで過ごしましたが、空きっ腹を感じる時間をなんとかやり過ごすと空腹感もなくなります。が、思いうかぶのは食い物のことばかり。煩悩との格闘?

 そんなわけで、3日前に作ったカツ煮の写真。元々蕎麦用に削り節のつゆを作って見たのですが、結構濃厚なダシが取れたので砂糖多めに入れて丼ダレも作って見ました。そこへタイミングよく240円の三元豚のとんかつが半額タイム120円で買えたので、タマネギ入れてカツ丼作ったのですが、どんぶりより大きな煮物になってしまったので別皿にしました。

 断食ならイスラム教でも出来るが、とんかつは食えまい!

 それにしても日本文化の奥深さ。カツレツという異国の食べ物を丼のご飯の上にのせればカツ丼、天ぷらというポルトガルからの渡来物をご飯の上にのせれば天丼。八宝菜をのせれば中華丼。

 異文化をご飯の上にのせれば日本文化になってしまう。この包容力。それを端から行儀よく食べる風習の美しさ。

 ピビンパ!(混ぜるご飯って意味らしい)ってかき混ぜて立ち膝で行儀悪く食べるどこぞの半島ではカツ丼なんか生み出しようがない。

 その美学に酔いしれながらも、断食は腹が減る。

 考えるんじゃなかった。

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介護ロス

2022年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 雨で仕事にならないので隣町の顔なじみの喫茶店に行ってきました。

 30年以上も通っていると顔なじみの客ばかりですが、昔はフォークソングの話しで盛り上がっていた人達が親の介護、もしくはそれを卒業して介護ロスになった話題になりました。

 息子や娘だ、嫁だ姑だに関係なく、地元に残った者が介護をする。しかもその時間が長生きと共に長くなり、気がつけば自分が介護を気にする年齢にさしかかっている。更に、皆都会に出て行って周りには誰もいなくなっている。少子化ではなくて、地方の疲弊だよなぁ。なんて話をしましたが、30年前なら集まってフォークソング談議する若者がいられたのに、働く場所がないってことか。

 かつては「反戦」を歌えば商売になったフォークソングも、こういうご時世にもかかわらず今は老老介護でもテーマにした方が共感を得られるのではなかろうか?

 毎度のホットココア。

 人生、円熟味を増したいい時代を、親の介護で食い潰された気もするけれど、ようやくそれから解き放たれてみると、楽になったという実感より空虚な気持ちがつきまとって気力が失せてしまった。

 これすなわち、介護ロスなんですけど、介護保険での補助ではなんとも埋め尽くせないむなしさがありますね。

 「あなただって、奥さんが病気の時は治療費捻出で大変だったでしょう。」と言われると、大変は大変だったけど、若かったから、まだなんとか治るんじゃないかって希望を持てたけど、親の介護の時は衰えて死んでいくのを眺めるしかなかった。数字の上では、何人で一人を支えるとか言っているけど、実際は一人が一人を世話するのが現状。

 「こういうの投げ出して外に出られる人ってうらやましいよね。」と、これらは種族が違うんだよ。なんて話になりました。

 解き放たれてみると次のステップに進む階段が見当たらない。時間だけが黙々と過ぎていく。

 代償を求めると責任なんだろうか?義務なんだろうか?安っぽくなってしまうので、「施し」と考えると、よい機会を与えられたとちょっぴり心が温まる。

 介護できたのは施しの機会を得られた。ですね。

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刺身

2022年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 山仕事の合間に一息していると鹿の鳴き声が聴こえました。近くに聞こえたので、人の気配を感じれば逃げるだろうと、十六茶飲みながら晩飯のおかずのことを考えてました。

 たまには刺身なんかいいなぁ。マグロの物を買ってきてとろろで山かけご飯がいいなかな?なんてことを考えていると、目の前に鹿がのこのこ出てきました。

 鹿。刺身になるかも?

 と、思いついたので咄嗟に足元にあった斧を投げつけました。クルクル回転しながら鹿めがけて飛んで行く斧。気分はインディアン嘘つかない!です。

 斧は鹿の頭上を通り越しオーノー!と侵略者気分になる暇もなく鹿の向こうにあったナラの木に突き刺さりました。鹿は血相を変えて山の中へと逃げていきました。

 ナラの木。刺身で食べるのはカミキリムシの幼虫くらいの物なので、刺身の夢は潰えてしまいました。

 鹿はだめでもイカがあるじゃないか!と、返りにスーパーでイカの刺身を買って行こうと思いましたが、マグロの中落ちが安かったので、それを買ってきてとろろと一緒におかずにしました。

 このところ刺身類もお値段高騰で、百円ずしなど大変みたいですが、原油高、円安、国際情勢、皆絡んでいるんですね。マグロも簡単には食べられなくなるかも?

 この山奥で店頭で簡単にマグロが買えるようになったのは昭和50年代に入ってからで、それまでは特注か町場に行かなければ売ってなかった。

 小学校6年の修学旅行の時に刺身の食べ方を事前に教わりました。と、言うのも。クラスの半分は刺身食べたことなかったり、海を見たこともない。それでも平然平然と生きて行ける強い子供達でした。魚の刺身は知らなくても相撲のさしみと言う言葉は知っている、高齢者向けの子供達でした。

 そもそもこんなに簡単に手に入ること自体、ありがたいこっちゃないか!

 そう思うと今日はとてもリッチな気分になれました。

 夕方雷雨になりました。いよいよ夏がやってくるのかな?今年初めての夕立です。

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お・と・く

2022年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 巷では、間違えて送金された4630万円を持ち逃げしようとしてとっ捕まった男がさらし者になってますが、近所の60代半ばのおじさんは毎月掛け捨て何たら保険4630円が、口座から引き落とされて通帳に似たような数字が記載されているのだそうです。

 一瞬、え?っと歓喜にも似た気持ちと、「俺が受けとるわけじゃねぇのに、何で俺が支払わなきゃならねぇんだろう?」と空しくなる4630の数字。

 この世に生きる悲哀が漂ってます。

 それにしても、4630万円誤送金の方は行政が作り出してしまったような犯罪ですね。あれ、気持ちよく返していれば、正直者のいい人だ!で、ニュースにもならなかったことでしょうが、邪心を芽生えさせてしまったんですね。

 あなたが落とした斧は金の斧ですか?銀の斧ですか?と、湖の神様に聞かれた木こりは、私が落とした斧は鉄の斧です。と、正直に答えたことで「あんたは正直者の見所あるやっちゃ。おまけに金の斧も銀の斧もつけたる。」と、イソップ物語でも正直者に果報があると説かれてますが、4630万円素直に返したらどんなご褒美があったのだろう?町営の温泉入浴券10回分とか、記念品のタオルとか。

 正直者で生きるより、要領よくただ乗りで渡り歩く方が「お・と・く」のご時世ということもあり、どうにも無骨な人間には行きにくい世の中ですが、国家間の諍いごとを見てみると、当事者になるよりはただ乗り使用と目論む思惑が漂ってます。

 考えてみれば北方領土問題なんか4630万円誤送金で手に入れたにいちゃんと変わらない気がしないでもないが、「パチンコで使っちまった。」と返す気がないもんね。

 取り立てる機会が来ているのだけど、取り立てる側も「お・と・く」を巡って様子見しているような人達ですから、どうなるのかねぇ?

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創意工夫

2022年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日の土曜日、薪作りの仕事をしていたら、軽のワゴン車に乗った女性が薪を買いに来ました。

 ソロキャンパーとかいって、今流行っているのだとか。流行や道楽とは関係なく、私なんか日常の一環ですが、こういうことにアクティビティーな快感を感じて行楽として楽しむ時代のようです。

 キャンプ場というある程度安全が確保された場所での行為なので、マナーさえ守っていれば問題なかろうが、「触れたような気になる」には最適なのかも知れません。自然との駆け引きはいらない。

 とは言え、キャンプ場のおかげで薪が売れているのでありがたくもありますが、ブームってのが起きると、その後の反動が悲惨なので、とろとろ燃える熾火のように細~く長~く続いて貰いたい。

 昭和の終わり頃、「私をスキーに連れてって」でスキーブームが起きて、平成になると意味のわからないリゾート法などが出来、スキー場が各地に乱立した時代がありました。果たして今どれだけのスキー場が残っているか?その多くは取り潰されたり、外資に売却されていたり、国土破壊に他ならないと思うのですが、今ではスキーのワックス一つ買うにも取り扱う店がないご時世。斜陽産業の最たる物ですね。

 ちょっと前には山ガールで、登山ブームがあったようだけど、今はどうなんだろう?

 キャンプ道具、山道具なんて、自分で考案したり工夫して改造しながら使うのが楽しいのだけど、今や金出せばあらかた手に入るのみならず、ファッション性なるものまで付加してくる。

 人々の創意工夫がなくなるわけだな。誰かがやってくれる。

 結果、日本の産業そのものがなんだか老化してきたような気がしてならない。

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暴動

2022年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 70代のオヤジさん。中国風にいえば党内序列4位。1位はかあちゃん、2位が猫、3位が犬で、4位がとうちゃん。インド風にいえばカーストの最下層。

 家庭内序列1位のかあちゃんは茨城の笠間稲荷様にバスツアーにでかけました。その日、近所の公民館で犬の予防接種会が行われ、とうちゃんは階級が一ランク上のお犬様をお連れして散歩がてら予防接種会場に向かいました。

 会場では泣き叫ぶお犬様達の声。そんなとき、秋田犬の雑種の大きな犬が恐怖に耐えかね暴れ始めると、他のお犬様達にもそれが連動。温厚な日本では滅多にない「暴動」が勃発しました。

 当然、このオヤジさんが連れてきた雑種の中型犬も、なんだか訳わかんねぇけど、暴動に参加して飛び回ります。

 「静かにしないとチックンするわよ!」と恐怖政治で抑えようとするご婦人もいたようですが、静かにしたってチックンされる予防接種会場。

 無責任なメディアが副反応を面白半分に吹聴しているご時世でもありますが、お犬様達の抗議のレジスタンス。もはや納める術がありません。

 ちょっと開いたドアの隙間からこのオヤジさんの犬が国外逃亡し、姿をくらましました。政治犯の逃亡と解釈すべきか?難民と解釈すべきか?国連があのザマではなんとも判断しがたい状況ですが、何処に逃げたのかも見当が付かない。

 諦めて自宅に戻ると、オヤジさんより先にお犬様が帰宅してました。

 夜、バスツアーから帰ってきた党内序列一位のかあちゃんにこっぴどく叱られたそうですが、暴徒と化したお犬様に対抗すべき法制度は日本にはない。

 緊張状態の中、スパイによるかく乱が起きたらお犬様達のようになりかねない大衆心理。やはりスパイ防止法は必要なんだろうか?

 治安維持のあり方。これも検討する時期になっているのではなかろうか?

 茨城土産のたがねもち。

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