のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

寄席芸人列伝

2022年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 2tダンプで薪の配達に出たら広域農道で町議会選挙の先導者の後ろを走ることとなってしまった。そのうちどこかで離れるだろう、それにしてもウグイス嬢うるさいな!と、と後ろをくっついていくと、どうやら同じ方向に向かいたがる気配。

 そのうち家の立ち並ぶ集落に入り、沿道や道路に隣接する畑などで作業する人たちが手を振ると、ウグイス嬢が歓喜の言葉を上げる。その後ろをくっついて仏頂面でダンプ運転していても失礼になりそうだから、関係ないけど私も運転しながら手を振っていたんですが、延々10kmも。誤解されちゃいねぇだろうな?あくまで渡世の義理って奴なんで。

 三遊亭円楽さんが死んじゃったんですね。どうも私のイメージではまだ世代交代できていないみたいで、先代の顔の長い円楽さんが思い浮かんでしまい。あれ?もう亡くなっていたのでは?と、不思議な気分でした。楽太郎さんのままの印象なんですね。

 三遊亭楽太郎として出てきた頃には大卒の落語家と注目されましたが、まだそういうのが珍しい時代だったんですね。

 昭和の時代、貸本屋で古谷三敏のマンガ「寄席芸人列伝」を借りてきて読みふけりました。そういえばよく上野や浅草に落語を聞きに行っていた時代でした。でも、楽太郎さんは縁がなかったな。

 人様に木戸銭もらって芸をお見せする。芸能ってのはそういことなんでしょうが、落語のように「高座」と呼ばれる高い所から先に木戸銭もらって芸をお見せできる立ち位置にいる芸人とが異なる、太鼓持ちなど芸人がおりこういう人たちは芸を見せるな所を「高座」ではなく「修羅場」と呼ぶ。なんてことを漫画で勉強しました。

 大道芸なんてのもありますが、「お代は見てのお楽しみ」で芸を見せて観客が納得したらお代がもらえる厳しい世界。

 政治家を芸人に例えたら?と、見まわしてみると、木戸銭いただくような芸をお見せしている政治家なんかいくらもいないんじゃないのかな?週刊誌の後追いやっているような政治家にいくら支払えますか?あんたの財布から。と,問われると、芸人育てるのは観客だねぇ。

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ロシアンブルー

2022年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 英会話教室をやっていたカリフォルニア出身のガイジンさん宅に行ったら猫がお出迎えしてくれました。

 Русская голубая кошка ルースカヤ・ガルバヤ・コーシカ。ロシアの青い猫と言う意味で、世間一般にはロシアンブルーなんて呼ばれている猫です。ロシアでは一度もお目にかかったことはなかったけど。ロシア系猫ですね。

 英会話教室の猫なんだから英語なんだろうか?民族的にロシア語なんだろうか?

 とりあえずロシア語で挨拶したら「ニャン」と返事をしたので、此度の戦争におけるロシアの世界的な立ち位置や、国家総動員法で予備役の人たちが召集されていることなど、国際情勢について話してみたのですが、「ニャン」と答えました。久しぶりにロシア語喋ってみたら単語がスムーズに出てこなかった。

 ガイジンさん「会話している!」と、目を丸くしてましたが、飼い主の英語では見向きもしないけれど、ロシア語には反応する。やっぱロシア系猫なんですね。

 まあ、こういうご時世なので、お前さんも肩身が狭いでしょうが、気に病まずに暮らしておくんなせぇと、日本でひっそり暮らしていれば徴兵に取られることもないから、まじめに暮らすんだよ。と、励ましておきました。

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勝負師

2022年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日から始まった町長と町議会選挙。どちらも一人落選者が出ます。

 私は既に不在者投票済ませてきたので、静かに傍観するつもりですが、落選するのが誰なのかはおおむねわかりました。

 と、言うのも。この人が応援する候補は落選すると言われれる、候補者にとっては実にありがたくない勝負師のおっさんが「おらぁ、この人を応援することにしたんだ。」と、自分が推す候補者を教えてくれました。と、言うことはこの人たちが落ちるのか。かわいそうになぁと、話を聞いてましたが、当人は自分が推した候補が落選するなんてこれっぽっちも思っていないから、どんなことをやってくれるかと期待を持っています。

 善意って罪作りだなぁ。と、思いつつもおっさんのご高説を賜ってましたが、「ぜひこの候補者に票を投じてくれ。」と言われて、不在者してきたもん!とは言えないから「かしこまりました。」と答えておきました。私の票は無駄にはならず勝ち馬に乗れたみたいです。

 とりあえずホッとしてます。

 最近、30代などの若い立候補者が増えてきた傾向で、やる気があることはいいことです。でも、政と祭りごとを取っちが得ないように、大道芸に始終しないよう見守ってやりたいです。

 太平洋上ではまた台風が発生しそうで、多分、今週中くらいは仕事になるだろうとは思いますが、ちょっと雨に降られては困る仕事が続きそうです。

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国葬

2022年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 なんだかまた台風が誕生しそうな空模様ですね。でも今週は天気がよさそう。

 町長選挙と町議会選挙が告示になりました。宣伝カーがやかましくなってきました。この夏の参議院選挙の時はほとんど見かけなかったのですが、さすがに地元選挙となるとそうはいかないみたいです。

 夕方、電話がかかって来たので居留守を使おうかな?と思ったものの、それも失礼だから出てみると大学の後輩からでした。

 京都の福知山の出身ですが、この夏、彼の母親が亡くなってしばらく実家に戻っていましたが、ずっと東京に住んでいるので故郷での葬儀はほとんど初めてだったそうです。今まで仕事関係などで葬儀は経験していたようですが、手順が異なることも多いので戸惑ったそうです。

 昨年、私が「猫と座敷童・第二章」を発表した時には葬式で小説ひとつ書き上げたと笑ってましたが、なるほど地方の葬儀と言うのは手数がかかるものなのだと理解できたそうです。

 四十九日でまた京都に行ってきたそうですが、奥様に先立たれた彼の父親が急に老け込んでしまったようで、「やはり男は弱い生き物なんですねぇ。」と言ってました。

 ところで、と彼が言うには、安部元首相の国葬に行ってきたそうで、もちろん招待状なんか来るわけないけれど、行列に並んで献花してきたそうです。国葬なんて一生の中で一度あるかないかなので、人生経験になったと言ってました。

 大平総理の時はどうだったのと聞かれ、あれは国葬じゃなかったけど各国の来賓が来たのを覚えてます。

 大雨が降った日で、私は沿道で通り過ぎるクルマにつけられた各国の旗を眺めてました。大平総理が亡くなった日にアルバイトで銀座に行ってたのですが、有楽町の駅前で号外を配っていたんです。号外が無料なんて知らなかったし、貧乏学生だったので受け取らずに帰ってきましたが、人生最初で最後の号外に出会うチャンスだったのに。

 後の時代になって国葬について聞かれた時にみんなどういう話をするのだろう?新聞やテレビが…なんて言ったところで、その時代にそんなものがまだ残っているのだろうか?

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賽は投げられた

2022年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 賽は投げられた。シーザーがルビコン川を渡るときに発した有名な言葉。もう引き返せないぞ!ってな意味ですが、そういう潔さって欲しいですね。

 町長・町議会選挙が始まるみたいで、周辺がきな臭くなってきました。明日が告示なのでどんなポスターが貼られるかわかりませんが、右手でガッツポーズしているような奴には絶対入れないぞ!と決めています。センスが悪い奴でしょうから。

 安倍元総理の国葬。まだごねている奴がいるんですね。賽は投げられたではなく、匙(さじ)を投げられた連中なんでしょうが、甘えているんでしょうね。こんなことやっていてもお縄にならないと。ニーハオなくになら労働思想改造所送りですが、日本では村八分がまっているんでしょうね。

 鳩山やカンが侠客に刺殺されたら「国葬」なんて言い出すんだろうか?メディアが騒ぐだけでだれも見向きもされないことになると思うけど、悪口言うこともない。

 キンドルで発売している拙著「死神」には鳩山さんと言う疫病神が出てきますが、一応特にモデルはいないと言う設定になっているので、あしからず。

 三時にお茶を飲んでいたら、通りがかった知人にセブンイレブンのみたらし団子をもらいました。ご機嫌でみたらし団子食べながらペットボトルのお茶のんで思い出したのは、鬼滅の刃の刀でひょっとこの仮面をつけた刀鍛冶の鋼鐵塚(はがねづか)さん。

 エキセントリックなキャラですが、みたらし団子が大好物で、これを預けておけばご機嫌でいる。

 お仲間だと思われたくないからひっそりと食べました。

 

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森田童子

2022年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気晴朗なれど蒸し暑し。

 薪の出荷のために一日汗を流してきました。家に戻って来てからお茶が美味しいこと。水出し緑茶1リットル作っておいたのがすぐになくなりました。

 日本では国葬が云々とまだ騒いでいるようですが、台湾の高雄では安倍元総理の銅像が建つのだとか。

 このところ著書の編集で座敷童子漬けだったので森田童子のCDを聴いてました。

 昭和55年の11月だったかな。あの年の10月の初めには山口百恵の引退コンサートがあったんですよ。もう肌寒い季節で、日曜でした。私は武道館近くでバイトしていて、混雑していたのを覚えてます。そのあとでしたから11月後半ですね。

 池袋に黒いテントのステージができて、森田童子のコンサートがあり、チケットが手に入らなかったんですよ。渋谷ジャンジャンなど小ステージのコンサートは3回ほど見ているのですが。アンダーグラウンドが面白い時代でした。

「暗い」事が善で、「明るい」は馬鹿にされた時代でしたが、あの暗い時代がたまんなく懐かしいですね。

 エアコンのないアパートの部屋。蒸し暑さで汗流しながら森田童子を聞いて読む太宰がまた良かったんだ。

 森田童子が死んじゃってかれこれ4年になりますね。近年になって、作詞家のなかにし礼の姪だったことが公表されたみたいですね。父親がなかにし礼の兄で、「兄貴、死んでくれ!」のグレた特攻隊上がり。テレビドラマではビートたけしが熱演してましたね。

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山の中で

2022年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から土砂降り。台風ですもん。

 このところ調子がよくないプリンターの修理をしました。そして、その結果。プリンターは二度と動かなくなってしまった。余計なことしちまった。

 このところ小説のゲラチェックにプリントアウトしていたので、黒インクばかり余計に買い込んでおいたので、このインクカートリッジの規格に合うプリンターを見つけなければならない。後でヤマダ電機にでも行ってみよう。

 雨上がりに山の中にキノコを探しに行ってきましたが、既にとられたあとでした。山から下りてくると、クマよけの犬を連れた中学の一年先輩に会いました。昨年の今頃も犬を連れて散歩しているところを見かけましたが、その時は犬の首に唐草の風呂敷を括り付けていて、マメシバか?と思っていたのですが、1年たったら秋田犬に育ってました。

 犬は鼻が効くからキノコを見つけさせれば?と、問うと、キノコには全然興味を示してくれないのだとか。巷では触れるだけでも炎症を起こすカエンタケと言うキノコが出ているらしいが、このあたりでは見かけたことがない。この先輩が言うには埼玉に勤務していた頃に見たことがあるのだとか。町場のキノコだね。なんてことを言ってました。

 触るな危険の毒ギノコです。

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出版裏話

2022年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 やはり雨降り。秋分の日はだいたい雨が降りますが、昭和の時代にこの日に谷川岳に上っていたら雪が降りだして慌てて下山したことがありました。

 秋眠暁を覚えず。涼しきなってきたらよく眠れます。が、雨が降ったせいなのか?古傷が痛みました。

 雨で仕事にならないので小説の編集作業やってましたが、苦労した表紙作りもだいぶコツがつかめてきました。

 紙の本なので表紙、背表紙、裏表紙が必要になりますが、それを一枚にまとめなければならない。曲者が背表紙なんです。ページの量によって厚さが変わる。だいたい1ページあたり0.02ミリなんですが、これがAIとの知恵比べになってしまいます。とにかく建前正義ばかり押し付けて融通が利かないのであんた社会民主党?と思想信条まで疑ってしまいます。連中よりAIの方が頭が良いことは明白ですけど。

 縦書き、右開きの表紙なので下の写真のようになります。

 「猫と座敷童・第二章」もアマゾン・kindleで紙の本になりました。

 あとは既刊の「死神・後編」と「猫と座敷童第三章」ですが、これらも頃合いを見て紙の本にする予定です。

 因みにすでにペーパーバック出版されている「死神・前編」はこんな感じになりました。


 予定では猫と座敷童シリーズの三つを先にペーパーバックにしてそのあと死神に着手する予定でした。当初前後編まとめて一冊にする計画だったのですが、600ページにも及んでしまうので、後編の何章かを前編にくっつけてほぼ同じくらいの分量にして紙の本にすることにしました。

 和装の死神忍さんファンが多く、死神を早く紙出版しろとせっつかれたので予定を変更したのですが、忍さんの絵って三枚しかないのに。

 もともと仲間内で読みまわす楽屋ネタ小説だったので、後半は楽屋ネタが多く、幽霊や死神にも私の周りの人たちがなってしまっているのですが、特にモデルはいないと言うことになっています。

 紙出版では前編から楽屋ネタキャラが出てきます。

 晴耕雨読じゃないけれど、雨でもなんとかやることがあってボケずに済みそうです。

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みたらし団子

2022年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気予報では曇り時々腫れでしたが、朝から小雨が降ってました。

 夕方近所のお年寄りからみたらし団子をいただきました。先日お彼岸前にお墓の草刈りをした時についでにその家のお墓の草刈りもやっておいたのですが、そのお礼だそうで、たいしたこともしていないのに恐縮してしまいます。

 さてさて、団子を食べるのはどんな季節だったっけかな?と、思い出しているうちに全部食ちまったんですけど、花より団子って言うのだから春の花見か?月見に団子ってのも似合うので秋か?

 子供の頃にはよく祖母が作ってくれたもので、焼き団子とか醤油団子なんて呼んでいて、みたらし団子と言う呼び方はしなかったおぼえがあります。小学生の頃に読んだ漫画雑誌でみたらし団子と言う名が出てきて、どんな食い物だろうと?興味を持ったので、このあたりではあまり使われない表現だったんでしょう。

 このあたりでは春分の日に茂左衛門地蔵尊の縁日があり、出店が並ぶこのあたりでは大きな祭りですが、参道の階段の下の店でみたらし団子を売っていて、帰りに買って食べるのが毎度のことでした。ここではあんこをつけた団子も並んでいて、子供にはあんこの団子の方がごちそうでした。

 この店、ちょっとした居酒屋にもなっていて、一合瓶の日本酒なんかをお湯を張った鍋で燗にして売っていて、おじさんたちが中のテーブルでおでんやいなりずし喰いながら熱燗飲んでいる店。

 ここでね、やばいものを見ちまったんですよ。参道の階段を登りきったところには白い服を着た傷痍軍人がアコーディオンやハーモニカを吹いていくばくかの心づけをもらってましたが、縁日も終わり仕事を終えた傷痍軍人さんがこの店で一杯飲んでいたんですね。

 本日の営業終了!と、白い着物を背嚢と呼ばれるリュックにしまい、足を縛った縄をほどき・・・・って、普通に足あるじゃん!どこが傷痍軍人だ?

 近くに住んでいる同級生が言うには丸い黒メガネした盲目の傷痍軍人が、縁日が終わると眼鏡外して駅に向かって杖も持たずに歩いて行った。とか、まぁ、そんな時代でしたよ。とやかく言う人もいないし、てめえが食うのに精いっぱいだったから。

 コロナ禍で今年も縁日はやらないみたいですが、ここで有り金全部使いきって歩いて家まで帰って来ると一人前の子供ってのが、私が小学生の頃で、十数キロ歩いて帰って来るんですね。だいたい春分・秋分の日は天気が良くないので、雨にやられることもあるのですが、どれだけの道を歩けば一人前の男になるのだろう?のボブ・ディランの「風に吹かれて」を聞くと、縁日の帰り道を思い出します。

 あの頃、バス代が片道15円くらいだったかな?300円くらい貰って縁日に行くのですが、子供なりに冒険でしたね。

 団子食べつくしてからお湯が沸いたので、お茶を入れました。

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お米の話

2022年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 涼しくなったのはありがたいけど、小雨が降ります。

 台風は大した影響はなかったのですが、やはりあちこちの田んぼでイネが倒伏してました。そのほとんどがコシヒカリなんですが、相変わらず足腰が弱い。倒れるのを防ぐために窒素を抑えた肥料にして、背丈を低く育てるのが最近の手法ですが、稲藁が短いので加工には向かない。まぁ、今はほとんどの稲藁はコンバインで裁断されて田んぼに還元されてますが。

 もともと福井県にある国の試験場で生まれたコシヒカリは「失敗作」でした。理由は倒伏しやすいからで、栽培に不向きと判断だれましたが、市場は味が良いので要求が高まって各地を席捲するようになってしまった。

 私が住む辺りは標高が高いのでコシヒカリは無理とされていましたが、技法が改良されて作れることは作れるようになりましたが、あきたこまちやひとめぼれの方が多いですね。安心して作れる。

 コシヒカリやササニシキなどカタカナで名前を表記するコメは国の試験場で開発されたもの。あきたこまちなどひらがなは県の試験場で開発されたものだそうです。

 否か理をして天日干し、北風が吹くようになって脱穀。新米が出回るのは11月になっていたものですが、今や乾燥機で強制乾燥するので彼岸明けには新米が出て来るのかな?

 おはぎだったかぼた餅なのか?はさておき、甘くておいしいものをいただきました。お彼岸ですね。

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死神も

2022年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風が通り過ぎたら涼しくなっちゃいました。これはこれでありがたいのですが、そろそろストーブの用意をする頃合いかな?

 ロシアなんかじゃ彼岸を過ぎると一気に冬に突入するのですが、暖房のスチームが入るのは12月近くなので、個人で暖をとらねばならない。主に電気ストーブを使うみたいですが、一番の省エネ暖房はベットに潜って動かない。これがエネルギー消費にはベストです。そのまま冬眠してくれると世界は平和なんですが、ウクライナ情勢を考えると寒くなったら大変ですぜ。

 なんとか「死神・前編」もペーパーバック用の編集を終え、アマゾンキンドルから紙の本として出版されることになりました。

 相変わらず表紙作りには苦労しました。弱化横幅が広いので画像編集ソフトで幅を広げたら和服の死神忍さんが中年太りしてしまい、こりゃあかんと上下を微妙にカットして枠の中に収める。電卓片手にインチサイズの修正。自分でやってみてエディターさんって大変なんだなぁと感心する次第でした。

 死神・後編と猫と座敷童第二章はテキストの編集は終わったので、難関の表紙作成をしなければなりません。まだ猫と座敷童第三章は手つかず。今書きかけている猫と座敷童第四章と番外編は紙出版を想定して書き上げねばならないなと、頭が痛くなることばかり。

 秋の夜長の大仕事はまだまだ続きそうです。

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ペーパーバック

2022年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 ハードで過酷な連休でした。と、言っても台風は全然関係なくて、家に閉じこもっていたんですけど、何をやっていたかと言うと、本の編集をやっていたんですね。

 アマゾンのキンドル電子出版で今まで5冊の小説出しているんですけど、ペーパーバック(紙の本)にするため、この夏から編集作業していたんです。

 取り合えずは「猫と座敷童」の第一部から手を付けたのですが、本のページ数を抑えるために文字を小さくしたら老眼には読めたもんじゃない。で、文字を大きくして判も四六版からひとサイズ大きなA5判に変えたのでその編集に手間取りました。

 試刷りが仕上がってくるまで約10日。それをチェックして、文章はそれほど手を加えるところはなかったのですが、表紙が大変だったんです。

 四六版とA5判では縦横比が微妙に違う。表紙絵をどうやって収めるか?下の部分をカットすることにしたんですけど、ここにはカラーでキュウリが描かれていたのに、消えちゃった。

 注文受けてから印刷して発送する本なので、在庫を抱えなくて良いのはメリットです。でも、印刷代が高いからアマゾンで販売されるペーパーバックの代金が一冊1815円(税込み送料込み)

 右が四六版。左が新しく改定したA5判。

 手に馴染んだ四六版の方がよかったんですが、この本読む人はそこそこ年齢が高い人でしょうから文字の大きさ読みやすさは重要ですしね。

 パソコンやパッドで読む電子出版。紙に比べて液晶の情報量は大したことないなと思っていたんですけど、文字の大きさを変えられると言うのは便利でした。いつの間にか大きな文字で読むことに目が慣れてしまった。

 基本的にアマゾンはアメリカの企業なので、縦書きの右開きの本はなじみがないので、選択できる幅も少ない。

 表紙作りが一番難航しました。インチの国の規格ですから、ミリにすると小数点以下二けたまで合わせなければならない。しかもそれに対応する画像ソフトももっていない。更に相手はAIなので融通が利かない。てめぇが何とかしろよ!と腹を立てながら表紙を作り直しては提出すること十数回。

 ようやく販売開始になったのですが、その間に「死神」も編集して、表紙作りもノウハウ掴んだのでこっちはすんなりと通ったようです。近日中に前編は販売開始になると思います。

 「死神」は前編・後編ページ数を同じくらいにするために、電子出版とはちょっと変更して編集しました。後編の章を何部か前編に持ってきて同じくらいのボリュームにしました。こちらは「猫と座敷童」より文字をひとサイズ大きくして、行間を詰めて文字を多く入れるようにしてみたのですが、どちらが読みやすいか?試し刷りが来るのを待ってます。

 久々に頭を使い続けた終末週明けでした。

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アコースティック?

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 藤原のゴルフ場でアコースティックキャンプなるものがこの連休に開催されるので、薪の搬入に行ってきました。

 昨年はここで初めてPCR検査なるものを受け、綿棒を鼻の奥に突っ込んだら鼻血を出して、「鼻血のおぢさん」と、受付のおねえちゃんとも顔なじみになってしまった。

 何千人来るのかわからないけれど、はるか山の下にまで駐車場が設けられており、そこからシャトルバスで人を運ぶようです。

 私が関わったのはサウナコーナーなので、ちょっとメイン会場から離れていましたが、移動式サウナって発想も面白いな!と、若い人たちといろいろ話をしてきました。

 ライブもあるみたいでステージも作られていましたが、この天気が気がかりだよねぇ。なんて話をしながら、若い衆と薪運びしてきました。

 スキー場にバイトに来る学生とは違って、目的意識があると言うのか?自分の役割をはっきり自覚して動いている若者なので、楽しげに作業してくれるのはうれしいけれど、見てくれが「社会的のいかがなものか?」ってのが玉に瑕。

 まぁ、我々とは種族が違うんでしょうが、たまには異世界の人たちを接触も悪くはない。

 能書きたれるだけで体を動かさないエセインテリよりよほど健康で考えもしっかりしている。なかなかイケてるんじゃない?日本の若者。

 各地から来ている若者たちで、その土地の方言などを私がまねながら賑やかに薪運びをしましたが、鼻血のおじさんから芸人さんに印象が変わってしまったようです。

 ダンプで2台ほど薪を運んで戻って来たのが5時過ぎ。会場に入る待ち時間が長く午後なんか2時間待ち。おかげで昼飯喰いそこなってしまったんですが、2時間も待たされるんだったらバーベキューで来たな。なんてことを機材を運んできた運送屋さんと話しましたが、発電機などを持って来た運送屋さんでした。

 アコースティックと言ってもやはり電力か。

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お下品すぎて

2022年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 お下品と言ってしまえばそれまでなのですが、国葬に呼ばれてその招待状をSNSに載せて「行きません!」とパフォーマンスしている人たち。ノイジーマイノリティーと呼ばれる一つまみの連中なんでしょうが、会場の付近で国葬反対のデモをやるなんて息巻いておりますが、民度を垣間見る思いです。取り上げる必要もないほどのごく一部の意見でしかないのですが、「いいね!」をもらったような気分で書き込む馬鹿さ加減に、調理場で悪さして動画アップするばかと重なって見えてしまいます。

 昭和51年の4月だ。周恩来の追悼式で江青が帽子を脱がなかったことから民衆の怒りが爆発して起きた第一次天安門事件。4月5日だったから四・五天安門事件なんて言われてますが、それをまねでもしようと思ってるのかね?デモに行く人たちって。民衆の気持ちがどちらに向いているかを見極めないとまさに墓穴になるんだけどね。

 メディアなんて幽霊みたいなもので実体がない。正体が暴かれたら影尾花。まぁ、その影が人に憑依して混乱を起こそうとしているんですけど、半島や大陸じゃないが騙される奴が馬鹿なのさですよ。

 世の大方のことは黙って傍観することで、賛美することも反対することも一割あるかないかですが、このあたりを賛成できないことは反対すべきと言う二元論者がいるんですね。否、むしろ反対することで自分の立場を作ろうとしている砂上の楼閣のような人たち。足元の砂が雨で洗い流されてその砂上の楼閣も怪しくなっているご時世ですが、必死にしがみつこうとしているんですね。みじめだなぁ。

 いっそ江青のように弔意もないのに国葬に参加して「蓮舫帽子をとれ!」と怒った国民が目黒区に火を放つ。なんて事件でも起きれば、なかなか大した奴だったとダークヒーローとして埋葬されるんでしょうが、江青はその後墓を暴かれてますよね。

 どういう育ち方してきたかは知らないけれど、お里が知れますね。

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映画館

2022年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 どうもこの連休辺りに台風14号が日本列島縦断心の旅になりそうですね。お彼岸前にお墓掃除をしておきたいのですが、ただでさえ三連休どころじゃないのでどうなることやら?

 映画監督のジャン・リュック・ゴダールが亡くなったんですね。非常に印象に残っているのは学生時代に名画座で見た「気狂いピエロ」でしたが、その名を知ったのは「勝手にしやがれ」でした。沢田研二の歌のタイトルで、その名前の元になった映画があると雑誌で見てゴダール監督を知りましたが、映画館で見るのはお江戸に出てのアングラ映画でした。

 なんだかわけのわかんねぇ映画を作る人だなぁ。と言う感覚が強かったのですが、見終わったあと少しお利口さんになったような気がするヌーベルバーグ。昭和61年だったかな、ゴダール監督の新作「ゴダールのマリア」を見た後、名画座で「唐獅子牡丹」を見ましたが、高倉健さんってわかりやすくてステキ!

 誰が監督なのか全然気にしなかったけど、そういう映画の方が気軽に見られる。

 あの時代、深夜放送でフランキー堺の「駅前」シリーズや、森繁久彌の「社長」シリーズがよく流れていましたが、深夜に見るならこういう映画が頭が疲れなくていいですね。

 鬼滅の刃無限列車編からコロナ騒動もあって映画館には足を踏み入れていないし、配信で7インチパッドで見るのがこのところの映画。大画面にする必要もなくなったし、興味持てそうなコンテンツもない。その前に、2時間近く見続ける気力もなくなってきた。

 映画が遠くなりにけり。

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