のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

匂い

2014年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の夕方、病院に見舞いに行ってきました。病院の駐車場で硫黄のようなにおいを感じたので、ボイラーの煙の匂いかな?と思っていました。

 帰りのクルマの中もそのにおいが立ち込めるので窓を開けたら外にもうっすら匂う。これがPM2.5の匂いか!と気がつきました。

 

 遠い日本でこれだけに追うのですから、本場中国ではまるでドブの中にいるようなとんでもない匂いなんでしょう。悪い匂いは「臭い」と書きます。

 

 心地よい匂いは「香」と書くので、どうせなら良い匂いの話でもしましょう。

 

 近隣諸国に臭いをまき散らす中国ですが、そんな国でも良い香りが存在したことがあるようです。

 

 18世紀半ば、清朝の乾隆帝の時代の話です。この時代清朝は全盛期で今の新疆ウイグル自治区の全域を征服し、清朝で最大の領域を誇っていました。         

 この戦果として西方シルクロードゆかりのヤルカンドから献上されたのが伝説の美女「香妃」でした。

 

 香妃の名の由来はその美しさばかりか、体からもかぐわしい芳香を放っていたことからつけられた名前です。

 

 西域の遊牧民の生活を想像すると風呂に入っていなかったんだんべなぁ。とは思うのですが、入浴の習慣がない乾燥地帯だけに、お香などのアロマで体臭を隠していたんでしょうか?美女なら臭いも香りになるのだろうか?

 

 さてさて、もともとこの香妃はヤルカンド地方を支配する回族首長の妃でした。美貌の噂は遠くまで響いており、清朝が西域を支配すると香妃も捕らえられ、北京の宮廷へと送られてきました。

140228 絶世の美女を得て大喜びの乾隆帝もこうなればただのハッピーなスケベオヤジです。紫禁城のなかにイスラムの宮室まで建て、そこに香妃を住まわせました。      

 

 しかし、乾隆帝の熱意にもなびかず香妃は前夫への貞節を守り寵愛を受けませんでした。そればかりか夫や一族の仇を討つべく、懐に短刀を忍ばせてさえいました。

 

 いい歳こいた皇帝が若い美女に腑抜けになっていては国が治まりません。毎度のごとく美女に腑抜けになって国が傾くのはあの国の歴史が証明しています。皇太后は乾隆帝に「この異邦の女を抹殺するか追放しろ!」と忠告しますが聞き入れる乾隆帝ではありません。

 

 ついに皇太后は乾隆帝が出かけた隙を見計らって香妃を呼び寄せ、自殺を命じました。知らせを聞いた乾隆帝は慌てふためいて紫禁城に戻ってきますが、既に時遅し。香妃は息耐えていました。

 

 香妃に関しては清朝の記録にもなく、伝説に包まれた美女ですが、乾隆帝がカスティリオーネに描かせた絵が残っています。上の絵を見る限り、ウイグル人にしては漢族に近い顔立ちのようにも思えます。

 

 香妃の逸話も後に人々によって語られたもので、全盛を極めた皇帝でさえかなわぬ「愛」があったことが語り草になったのでしょう。

コメント

2014年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 PM2.5の影響なのか?霧の中にいるような視界がはっきりしない曇り空でした。

 

 90年代半ばに弟が北京に留学していたので、真冬に行ってみたことがあります。町全体の漂う酸っぱい匂いは石炭を燃やした匂いで、私には懐かしく感じました。それと、有鉛ガソリンの匂いですね。

 

 あのころ問題になっていたのはダイハツのハイゼットのバンを使ったタクシーで、これが出す排ガスが良くないと規制がかかる直前でした。

 まだ、自家用車などほとんどない時代で、タクシーの多くはハイゼットかシャレードバンのダイハツか、ワーゲンのジェッタ、シトロエンの小型車でした。

 

 確かに渋滞するほど混雑はしていましたが、あれは信号やマナーを無視して隙間があれば突っ込んでくる浅ましさが生み出すもので、規則正しく走っていればスムーズに流れる程度の車両の数でした。

 

 何といっても原因は石炭で、フートンと呼ばれる長屋が立ち並ぶ地域では暖房のみならず厨房の煮炊きも石炭が中心でした。万里の長城の北から十数分に一度は長い編成の貨物列車が石炭を運んでくるほど消費していたので、大気だって悪くなります。

 それと、黄砂。弟が日本から持っていたカメラが動かなくなってしまい原因は大気中の黄砂がシャッターの動きを悪くしてしまったみたいです。日本から生活防水機能が付いたカメラを持っていきました。

 

 弟と同じころに蓮舫が留学していたはずですが、一度も見たことがなかったと言うよりどんな人なのか知らなかったようです。

 

 90年代半ばの北京で見たのは東京オリンピックの前の東京で、街中に張り巡らされたトロリーバスの電線や、夜の市街地の露店のアセチレンライトの明かり。上り坂にある活気があふれる街の姿でした。

 

 どこかでブレーキを踏んでハンドルを切る時期が来るものですが、そのまま直進で突っ切ってしまったんでしょう。今更どうすればと言えない状況に追い込まれているようです。

 

 北京など目前に迫る砂漠化に追い打ちをかけるような大気汚染。文明の崩壊が目前に迫っています。これはもう憐れみや同情で触れてはならない問題で、彼ら自身が何とかしなければなりません。

 

 日本がたまたま回復力の高い自然に恵まれていたわけではないんです。自制心を持った国民に恵まれていたんです。「学ぶ」と言うことは自らが「変わる」ことなのですが、根底を崩さず時代に合わせて変わるバランスを持っているんですね、私たちは。

コメント

国柱会

2014年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 関西方面、PM2.5がずいぶん飛来してきたみたいで外出の時に注意喚起が出た模様ですね。

 

 風向きを考えると、今週末にはさらに北西からの風が吹くはずで、もっと日本に汚染物質が飛んでくる危険性があります。

 例年、今頃の季節になると黄砂が飛来してきて、赤い雪が降ることがありますが、このところ積雪の上が黒ずんできました。

 

 もはや技術供与だけではどうしようもない状態だと思いますが、中国の環境を戻すための最善の策は中国で作った工業製品を買わないことです。

 

 民主党時代に頭のいかれた大臣が被災地に「自助力を見せろ」とほざいて首がすっ飛びましたが、同じことを中国に言えるだろうか?自ら変わろうとしないものへを差し伸べても堕落を増すだけ。むしろ安易な自己満足こそ罪でしょう。

 

 PM2.5で始まった今日の話題はもう少し数字が小さくなり2.26事件の話になります。

 

 昭和11年の2.26事件は日本を軍国主義に向けて方向転換するポイントになった事件ですが、一種の軍事クーデターですね。

 

 日本で戒厳令は3回発動されていますが、最初はポーツマス条約に反対する人たちが焼き討ち騒動を起こした日比谷焼打ち事件があった昭和38年。次は関東大震災後の大正12年。そして2.26事件です。

 

 以前、こちらに湯治に来ていた埼玉県のお年寄りにこの時の話を聞いたことがあります。

 このお年寄りは徴兵されて今の日比谷公園あたりにあった練兵所で訓練を受けていたそうです。16-7歳の初年兵だったそうで、わけがわからないまま集められ、わけがわからないまま市街地の交差点に立たされ警備をさせられたそうです。

 

 戒厳令がなにかもわからず、言われるままに直立不動で辻に立っていただけだったそうで、こんな大事件が起きていたことがわかったのは戦後のことだったそうです。それまでは一般人には知られないように隠されていたんですね。

 

 妹尾河童の少年Hでは子供がこの事件が起きたことを知っているんですが、水谷豊演じた写真館のおやじはスパイだったんでしょうか?

 

 2.26事件には国柱会と言う日蓮宗系の集団が大きく関与しています。一種の宗教団体によるテロでもあったんですね。北一輝のように直接事件に関与した者もおれば、石原莞爾はじめ満州で暗躍した人たちにもこのメンバーはずいぶんいました。血盟団事件や5.15事件の陰で活躍していた井上日召は日蓮宗の僧侶でした。

 

 いわゆる昭和維新は宗教集団による軍事クーデターだったんですね。これが戦乱へと国のかじ取りをきってしまうわけですが、井上日召なんか戦中も内閣のフィクサーとして暗躍していました。川場村出身で私の高校の先輩なんですが。

 

 国柱会の会員には宮沢賢治もいました。夭折しないで小説を書き続けていればどうなっていたんだろう?

コメント

裸の王様

2014年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 私の住む町ではこの春に町議会議会の選挙があります。巷の噂では立候補する人が多いみたいでにぎやかな選挙になりそうです。

 

 この春から議員の報酬が上がって月給が22万円程度に上がったそうで、これも人気が上がった要因みたいです。地域の人たちのために何かやりたいと言うより、頭下げてどぶ板選挙しても4年間収入を得られるためなら、みたいな?雰囲気がムンムン飛び交っています。

 

 出馬表明はしていないものの、色気を持っている人たちが様子をうかがいに来るのですが、ちょっと突っ込んだことを質問してやるとタジタジになり馬脚を露す。だいたい、「誰についていけば」と損得で物を考えているので「これをやりたい」と言った自分のテーゼもない。求められるのは損得ではなく尊徳なんですがね。

 

 もし出馬して当選して敵になるようなこともしてはなりませんが、国も同様で議員の数が多すぎる気もします。減らせまもう少しまともになると単純にはいいにくいですが、民意より親分の発言力優先では意味がない気もします。

 

 近隣の市では市長選を控え、にわかに裏での動きが活気づいてきました。演説だけは上手な現職市長はこの16日に演説会を設けていたみたいですが、ご存じの大雪で延期になりました。これが絶妙のタイミングで起きた大雪で、市の除雪対応などの不手際が浮き彫りになり、風向きが一気に悪くなってきた。

 

 来月早々に延期になった演説会に出席する人も減る模様。で、あちこちの出入り業者に動員要請を呼び掛けていますが、除雪の動員要請ではなく演説会の観客の動員要請と言うところに本性が出ています。

 

 動員要請受けた方もとりあえず頭数だけそろえたいので、全然関係ない私のところに「2日の演説会顔出してくれないか?住所はとりあえずうちの会社でいいからさ。」と高校の同級生から電話がありました。

 

 そんなに集まらないの?と聞くと、「俺だってあんなもんに投票する気なんざねぇけど、一応入札なんかの問題があるからさ。どうせこの春には退陣だろうし、人さえ集まっていれば満足なんだから。浪曲でも聞きに来る気分で顔出してくれよ。」

 

 浪曲ね。「佐渡情話」なんかいい話なんだけど、浪曲と言うより「裸の王様の話」を思い出してしまいました。

コメント

善知鳥

2014年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 その昔、今の青森県に向かう旅の僧侶が今の富山県と石川県の間の立山の山中にて一人の老人と出会います。

 

 「もし陸奥に下ることがあれば伝えてくだはれ。わたしは外の浜の漁師をしていた者で、去年の秋に死んでしもたがいちゃ。妻と子の家を訪ねて、そこにある蓑と笠を手向けてくれるように伝えてくだはれ。」

 と、富山弁で言ったのか?

 

 「もし陸奥サいぐごどがあいば伝えてけろ。わは外の浜の漁師ばしていた者で、去年の秋サ死んでしまじょいした。あっぱどわらしのえば訪きゃて、そこサあら蓑ど笠ばたむかいてぐれと伝えてけろ。」

 と青森弁で言ったのかは定かではありませんが、

 

 「大和言葉で喋っておくれやす。うちにはあんさんの言葉がわかりまへん!」

 と、僧侶は立ち去ってしまいました。めでたしめでたし。

 

 で、終わってしまっては物語は成り立ちません。僧侶が出会った老人は幽霊で、陸奥に住む家族に供養をしてもらいたいと僧侶にお願いしました。

 

 この老人は猟師で、生活のために善知鳥(うとう)と言う鳥をたくさん殺してきました。士農工商の家に生まれればよかったのに、風雅なたしなみもなく生き物を殺して食らう生活を続けてきた。それも親鳥が子供の鳥を呼ぶ声をまねて、親子の情を利用してまで鳥を捕まえて食らってきた。

 

 その報いを受け、今は地獄でキジに姿を変えられ、鷹になった鳥たちや犬になった獣たちに追いかけられ復讐の攻撃にされながら生きている(死んでいる)。供養してここから救い出してくれと亡者は僧侶に願いします。

 

 「善知鳥」と言う能の出し物で、20代の頃代々木の能楽堂で初めて見た出し物でした。能は底辺のそのまた底辺の悲哀を語るので、時の殿様がこれを鑑賞したと言うことは世の中の底辺の悲哀を聞き取ったと言うことなんでしょうか?

 

 中国なら亡者の救いなんてことは毛頭考えないのでさらに仙人に追い立てられてもっとひどい地獄に突っ込まれるストーリーになるでしょう。

 芥川龍之介の「杜子春」も江戸落語の「牡丹灯籠」も原作は中国の物語で、結末はどうなるかと言えば、「杜子春」は最後に仙人が「もう飽きた」と殺してしまいますし、「牡丹灯籠」は幽霊魅入られてあの世に引き込まれてしまった男は、今度は幽霊と一緒に悪さするようになり、最後は道士によって封じ込められてしまいます。とことん現実的で「救済」なんて感覚はみじんもない。

 

 はたして「善知鳥」の亡者は救われたのか?肝心なところはわからないまま終わる物語ですが、何かの命を食することで命をつなぐのが生きる者の宿命。アミノ酸だビタミンだと言っても、何物かの命からそれをもらっている。

 菜食と言っても植物の生命力が生み出しているのですから、むしろ、生きるために猟をし、そりゃまぁちょっとは猟そのものを楽しんだかもしれないけれど、鳥や獣や魚を含めて命をたくさん奪ってきたなと後悔した人間がなぜか地獄で責め苦に会っている。

 

 「私はベジタリアンよ」とそこまで言わなくても、全然そんなことを気にしない人が天国で優雅に過ごしているとしたら、「無知」の天下でそれも理不尽な思いがします。

 悪いことをしている認識がない人を「善人」と呼びます。こうした善人の「善意」ほど人を傷つけるものはありません。

 

 なかなか今日は立派なことを言えた!

 

 猟師のおっさん宅でキジ鍋ごちそうになって「善知鳥」の話を思い出したんですが、美味しかったこともあって全然罪悪感浮かばないんですよね。困ったもんだ!

コメント

私を責めないで

2014年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 ようやく、冬季オリンピックも終わりました。

 テレビが見られなかったこともありますが、個人的には全然盛り上がらないオリンピックでした。次が韓国の平昌と言うこともありますが、その次がまだ決まっていないので、早く次のまともなオリンピック開催地を決めてもらいたいです。

 

 ソチオリンピックの閉会式ではイルクーツク出身のピアニストのデニス・マツーエフがラフ2(ラフマニノフピアノ協奏曲第二番)を演奏したそうです。マツーエフと言えば98年のチャイコン(チャイコフスキーコンクール)ではヤマハピアノのCF Ⅲ で優勝しました。今回の閉会式でもヤマハのピアノを使ったのかな?

 個人的には2010年のショパンコンクールで優勝したユリアンナ・アヴデーエワのピアノが好きなんですが、彼女の演奏って男性的で協奏曲向きなんですよ。彼女もヤマハのCFXでショパンコンクール優勝したはずですが、ロシアでは日本のピアノの評価が高いですね。

 

 フィギュアのエキシビジョンもまだ見ていないので、そのうちビデオ借りて見てみます。

 

 エキシビジョンと言えば予想通りキム・ヨナが蚊帳の外で浮いていたと聞きました。韓国応援団の下品さ加減に嫌気がさしたような姿だったそうです。それで肩身が狭い思いをしているならまっとうな人間に成長したんじゃないですか?

 

 私の村に例えるなら、東京当たりの良いご家庭に嫁ぐ娘さんがいたとします。結婚式に呼ばれた我々村のおじさんたちが披露宴にやってきたらどうなるでしょう?新郎のご家族御友人から「なんてバーバリーでプリミティブな方々でございましょう」と、ここで一本線が引かれますな。

 

 冬に結婚式しようものなら東京カテドラルのチャペルにブラックスーツ着てゴム長履いたおじさんたちが鎮座し、ライスシャワーなどやろうものなら「この罰当たりが!米を粗末にすると目がつぶれるぞ!」と米を持ち帰りますな。

 

 洋食の食べ方わからないなんざ序の口で、鴨料理でも出ようものなら「こりゃあ合鴨だな。こんな肉食ってるようじゃ不憫だ。」と沼で撃ち落としてきた本物の鴨ぶら下げて「はなむけだ!」なんてやりかねない。

 

 余興でもやりだせば新婦はさらに居場所がなくなって泣き出すことでしょうが、我々村のおじさんは絶望的なくらい前向きなので「喜んで泣いている!」とさらに拍車がかかり、あとは転げ落ちるローリングストーンさ。

 

 いやはや他人事ではございませんな。

 と言うわけで「私を責めないで」

Не корите меня, не браните,
Не любить я его не могла,
Полюбивши же все, что имела,
Все ему я тогда отдала.

私を責めないで 叱らないで
愛さずに入られなかったの
愛してしまったから 何もかも
あの人にあげてしまった

 

Посмотрите, что стало со мною,
Где девалась моя красота,
Где румянец, что спорил с зарею,
Где волнистых волос густота.

私に何が残ったの
美しかった頃の私はどこへ
朝焼けよりも赤い頬はどこへ
ふさふさ波打つ髪はどこへ

 

Где девичий мой смех серебристый,
Где беспечная резвость моя,
Все ему одному безраздельно
Отдала безрассудная я.

少女の頃の明るい笑い声はどこへ
お茶目でのんきな私はどこへ
何でもあの人だけにあげてしまった
何も考えなかった私

 

Я готова забыть свое горе
И простить ему все его зло,
Не корите ж меня, не браните,
Мне и так тяжело, тяжело.
Не корите ж меня, не браните,
Мне и так тяжело, тяжело.

悲しみは忘れましょう
あの人の悪いところはゆるしてあげる
だから私を責めないで 叱らないで
私だってつらいの とてもつらいの
だから私を責めないで 叱らないで
私だってつらいの とてもつらいの

コメント

100歳

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜、お通夜に参列して家に戻ると郵便受けにまたお葬式のお告げが入っていました。昨年末から続くこと12回目のお葬式の招待状。

 

 近所に住む同級生のおばあちゃんで100歳です。当ブログ2008年8月15日の記事にも車いすに乗った写真が出ているおばあちゃんで、先日この同級生と話した時に「人生の半分以上をおばあちゃんとして生きているその道の達人」と言う話になりました。

 

 このところ葬式続きですが、私たちが生まれたころのご近所は出生続きだったそうで、私が生まれる2日前に一人、私の2日後にこの同級生が生まれ、我々はおとめ座トリオと呼んでいるのですが、よそ様からは素行の悪さから「三馬鹿トリオ」と呼ばれていました。

 

 私たちが半世紀おばあちゃんだと思っていたように、このおばあちゃんからすれば半世紀たっても我々が「馬鹿」だったようで、何をやっても「ろくなことをやらかさない」と言われ続けていました。

 既にこの同級生にも孫がいるので5世代が同じ屋根の下に暮らしていたわけですが、これも考えてみればすごい話です。

 

 そこで、今日のありがたい話。

 

 お釈迦さまの弟子の阿難が、行乞を終えて祇園精舎に帰る途中にノドが渇きました。暑い夏の最中のことです。ふと見ると。樹の蔭で一人の少女が手桶に水をくんでいるのを見て、「水を一杯恵んでもらえませんか?」と少女にお願いしました。

 

 少女は「あなたに水を差し上げたい気持ちは山々ですが、私は卑しい身分なのでそれはできません。」といいました。

 

 インドには大まかに分けて僧侶の階級の婆羅門(バラモン)、王族の階級の刹帝利(クシャトリア)、吠舎(バイシャ)、首陀羅(スーダラ)という身分制度があったことはご存知でしょう。

 その少女は最も身分が低い首陀羅の娘でした。これはもう僧侶から見ればほとんど虫けら同然の身分で言葉を交わすことさえ許される身分ではありませんでした。

 

 「つまり、あれね、スーダラの娘からちょいと一杯のつもりで水もらって飲んで、いつの間にやら・・・スーダララッタといいたいわけね。」とご想像の方はこのHPの常連さんでしょうが、今回はチョット趣が異なります。

 

 阿難はその少女に「人間は生まれながらに貴賤が定まっているのではありません。仏の教えでは、全ての人々は生まれながらに平等で、自由だと教えられています。どうか遠慮なさらずに私に水を施してください。」と少女にまともな説明をします。

 

 最近、「平等」がありきたりになって「悪平等」なる言葉まで出て来るご時世ですが、およそ3000年前のこの時代には「万人は平等」と言う概念は天地をひっくり返すほど画期的な概念でした。

 

 と、参列したお通夜で方丈様が話してくださった法話の聞きかじりのおすそ分けです。また香典の元が取れたかな?

 

 平等は生まれながらにして備わっているものであるべきで、その後の生きる道なりで違いが出て来ることは仕方のないことです。で、なければ「努力」は何の意味も持ちません。でも、「平等」について改めて考えることも、今は必要な時期ではないでしょうか?

 

 余談ですが阿難は美男で有名な釈迦の弟子で、釈尊在世中に悟ることができなかったのは、あまりに女難が多かったためだといわれています。

 

 美男・ブ男が存在するのは不平等だ!お釈迦様はどう説明するんだ!美男子ばかり女性にもててブ男にお鉢が回らないのはどういうことだ!美男子の帝国主義のごとき侵略に対して国連は機能していない!ブサイクだから結婚できなかった場合総理は責任をとれるのか!と政府に迫る野党のごとく目じりを吊り上げてしみじみ思うのですが、美男が不幸になると嬉しいのはブ男のやっかみでしょうか?

コメント

忘己利他

2014年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年末から1月末まで8件の葬式を出した私の住む地区ですが、今月に入ってどうやら収束に向かった模様です。ところが父が住む地区ではこの一週間で葬式が三つ。トレンドはこちらに移ったみたいです。

 

 何年かに一度はこういう年があるもので、1999年には私の組(15件あります)が半年で5件の葬式を出しました。

 

 昭和63年に私の母が亡くなった時にはこの組がやはり半年で5件の葬式を出したことがありました。

 

 なぜこういうことが起きるのか?単なる偶然か?考えてみるのですが、休みなくコツコツと働くスタイルから、ドカーンと働いてドキューンとバカンスを取る近代的労働形式に変わったんですね、閻魔さまの働き方が。

 

 雷様だって、この冬は雪を降らせないで今頃になってとんでもない大雪降らせましたが、夏場でもいきなり大雨降らせるようになったでしょう。こうして年間の降水量の帳尻を合わせているんでしょう。

 

 あっちの世界のことはよくわからないけど、閻魔さまや雷様が代替わりしたのか?労働基準局の指導が入ったのか?働くときと休む時のメリハリが大きくなりましたね。この何年かで。

 

 我々下々が文句言っても仕方ないのであきらめて苦笑いしながら復旧作業に汗流すしかないのですが、決して下々が物を言えない立場ではない県が、市からの自衛隊派遣要請を断っていた事件が埼玉県では起きていました。

 

 豪雪に閉ざされた秩父市が自衛隊派遣を要請したところ、県庁が「除雪は県がやるから待ってろ」と拒否したそうです。

 本来自衛隊は外敵から国を守るのが仕事ですから、よくよくのことがない限り派遣要請などしてはならないものですが、そのよくよくの事態だったのでしょう。

 

 多分、秩父市長の名前で派遣要請が出ていたと思いますが、それではその派遣を断った県の責任者は誰なんでしょう?多分知事まで話が上がらずせいぜい課長レベルのところで判断されていると思いますが、断る方も誰の判断でお断りしますと名乗るのが礼儀でしょう。その上で微力ながらと当人がスコップ片手に雪かきに行くならまだ話は分かります。

 

 なぜ県が自衛隊派遣の要請を断ったか?様々な憶測ができますが、埼玉県の上田知事は民主党などに属していたようですが、自衛隊や歴史認識などについてはまともな意見を持っている人。自衛隊に否定的な担当役人が情報操作したんじゃなかろうか?

 

 こちらはその倍も雪が降ったってすでに収束しているんだから、いいですよ割増料金込みで埼玉県に除雪のプロがお手伝いに行きますよ。秩父名物のわらじかつ丼食べてみたかったし。秩父の味噌せんべいがね、これがいいんだ。日当出たらじいさんばあさんに出稼ぎの土産の茶菓子で買っていこうと思っているんだけど、いかがですかね県庁さん。味噌せんべい・・・じゃなくて除雪作業員。

 

 今回の大雪によるプチ災害は大型地震よりも広く多くの地域に小規模な被害をもたらしたと思います。

 

 「もうこりた」。年末からの葬式続きでこういう時にありがたい言葉を教わったんです。

 

 「もう懲りた」でも今回の雪害の場合は教訓になったかと思うのですが、もう懲りたなら雪害に限らず次の災害のための準備をコツコツ積み上げていくことが重要です。

 

 「忘己利他」と書いて「もうこりた」と読む最澄の教えなんです、法話で入れ知恵されたのは。己を忘れて他を利する。読んで字のごとくなんですが、悪いことは自分が引き受けて良いことは他人与えることで、自分の心が救われるそうです。

 

 確かに、あの震災の時に自らが被災者でありながら、他の人のことを気遣う人たちを見てきましたが、誰かを気遣うことで自らも癒されているんですね。

 

 今回の大雪。近所を見ても隣のお年寄りの安否を気にするお年寄りはそうすることで自分も心が救われていたんでしょう。人様の家の雪かきまでやってしまう私なんか後光が差して路傍の仏様のように高貴な顔をしていたに違いない。やっぱ、私っていい人だったんだ。

 

 二千円の香典で引き物のお茶貰って、法話で勉強して、お清めの塩はゆで玉子にかけて食べられる。そう考えると結構有意義な時間だったと思います。

 

 非常時に自分よりまず相手を気遣う精神。一部の人たちを除けば日本人にはしみついている気もしますが、「もう懲りた」と後悔しないように「忘己利他」を実践していきたいものですね。

コメント

Sag mir wo die Blumen sind

2014年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は日が照ったので屋根の雪が溶けました。溶けて地面に落ちて夜中に凍ったので今朝は玄関前がテカテカに凍っていました。

 

 いつもはスパイク付の長靴で出るので気にしていなかったのですが、今朝はストーブのそばでこの長靴を干していたため普通のゴム長で出てしまいました。

 足を救われるように宙に浮いたので、そのまま尻もちつくなり、背中から落ちるにしても受け身を取ればよかったのですが、体をひねって立て直そうとしてしまいました。

 

 もちろん、ここで村で最初のトリプルアクセルを決めて、3回転トゥールーフ3回転ルッツのコンビを成功させ、最後はキャンドルライトスピンで締めくくって氷上の妖精のおじさんになれればよかったのですが、半回転でうつぶせに地面に落ちました。

 

 日ごろの鍛錬と言うのは大切なんだなとしみじみ感じました。おなかの脂肪がクッションになって痛かったけど怪我はしなかった。日々怠惰な生活を心がけた甲斐がありました。

 

 2007年1月11日のブログでも紹介しましたが、何かともめる女子フィギュアを思うたびにカタリナ・ビットのことを思い出してしまいます。サラエボとカルガリーのオリンピックで金メダルを取った東ドイツの女子フィギュアの選手ですが、アスリートとしてはすでに終わった94年のリレハンメルのオリンピックに出てきて「Sag mir wo die Blumen sind(花はどこへ行った)」の曲に乗りユーゴ紛争で瓦礫になったサラエボへの思いを世界に発信しました。

 そりゃもう、全盛期を過ぎた演技など見る影もなかったのですが、彼女一人に持っていかれたような大会になってしまいました。

 ケリガン、ハーディングのぶん殴った、やっていないで大騒ぎになったUSAの内輪もめ。金メダルがその後の銭に結びつくために起きた争いでした。結果、伏兵のウクライナのオクサナ・バイウルが金メダルかっさらっていったんですが、それが逆に爽快でした。

 

 こんな薄汚い競技など種目から外せばよいと思っていましたが、復帰したカタリナ・ビットの出場。ビットの売名行為と呼ばれようが、少なくも私でさえ旧ユーゴの紛争が収まることを願ったくらいですから、正しく使えば影響力はあるんです。ビットだって花はどこへ行ったどころか、第一線を退いても花がある選手でした。

 

 しかも、鼻持ちならない生意気なカタリナ・ビットが一端の人間らしい主張をしたのですから、地位は人格を作るんですね。

 

 なにより、彼女を選手として送り出したドイツも大したもんです。USAでは出場選手を巡ってぶん殴りが横行したのに、ドイツは往年のカタリナ・ビットより良い演技をする選手がいたでしょうが、メダルや順位より優先させるものがわかっていた。

 

 女子フィギュアなどこんな茶番どうでもいいのだけど、冬季競技の花形のアルペン競技はどうなっているんでしょうね?日本選手の影が薄いから全然取り上げてもらえない。日本では超マイナーな競技になってしまった気もする。

コメント

永遠の0

2014年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 女子スノーボードパラレルで竹内智香選手が銀メダル。これには素直に喜んでいます。

 前のオリンピックの前に放送されたドキュメントで、竹内選手は単身スイスに乗り込んで、世界のトップレベルのスイスナショナルチームに居候して技術を磨いていた様子が流されていました。向うの言葉も覚え、スポンサーにも恵まれずボードの手入れなども自分の手で行い、こんな思いをしてまでやっているんだと彼女に対しては感心したものでした。

 

 オリンピックの話題はこれだけで、今日は個人的には叔母の手術で半日病院にいました。

 

 昨年の今頃父ががんの手術をした同じ病院で同じ医師が担当でしたが、今回は服窮境手術という手術で、大きな開腹がない手術でした。

 野球の王選手がこの手術をして一躍注目されるようになりましたが、あの当時が最先端の技術に思えた技法が、わずかな期間にこんな田舎まで浸透しています。医学の進歩のみならず、技術の伝達の速さも驚愕すべきことでしょう。

 

 手術は5時間ほどかかり、私の父の兄弟と叔母の息子たちは控室でひたすら待っていました。埼玉県に住んでいる叔母の長男。私と同級生の従兄ですが、「永遠の0」の本をもって来ており、映画を見て感動して買った本だそうです。私は本は読んでいるものの映画の方は見ていないのですが、私以外の全員が映画館に足を運んでこの映画を見ていました。

 山奥は映画館がありませんし、下界へ降りることもめったにできない1年でした。

 

 最年長の伯母は軍服を製造する軍需工場に学徒動員されたときに前橋空襲にあい、火事で燃え盛る街から逃れるように利根川に飛び込んで難を逃れた人ですが、ミシンの扱いからが上手だったことと、体力が豊富で畑仕事が抜群に強かったことが評価され優等生だったのだそうです。勉強は?と聞くと「中の下!」。戦争のおかげで社会的に評価された女学生だったようです。

 「戦争が良かったのか悪かったのかはわからないけど、私たちが生きてきた時代は間違っていなかったんだと誇りを持てる映画だったよ。今まで私たちの世代が口に出して言えない気持ちを代弁してくれるような映画だ。」と伯母は語っていました。

 

 夕方には無事手術も終わり、当人も意識がはっきりしていました。

 半日控室でダベっていただけですが、妙に疲れを感じたのは連日の雪かきの後遺症なのか?気疲れか?

 

 帰りに本屋に立ち寄って毎月定期購読している「岳人」を買いました。いつもなら15日に出ていた本ですが、この大雪のおかげで遅れて今日ようやく本屋に届いたそうです。

 

 流通の混乱は90年代ロシアで目の当たりにしてきましたが、あれはあくまで人が放棄したからで天変地異の問題ではありません。日本人なら性格はあいまいでも仕事には責任を持つので、自分の職務を放棄するようなことはないと信じていますが、厳しい労働をしている底辺の人ほど低賃金で、自分の職務に責任を持っているもので、労働組合云々と自分のためにストライキやる人の仕事なんて会社にとってはどうかは知らぬが、世の中には対して影響のない仕事ととらえてよいでしょう。インテリの役目なんてその程度です。

 

 土建業のおっさんやダンプのうんちゃんは夜も満足に寝ないで降り積もった雪の撤去作業をしています。労働条件が悪かろうが、賃金安かろうが、半分”ここがかきいれ時”と思っているにしても、これはこれで”見知らぬ誰かのために”汗を流していることを大いに評価しなければならないですね。

 

 永遠の0の精神が引き継がれているのだろうか?

 本一冊届くにも小さな思いやりの気持ちが積み重なったものと感謝しています。

コメント

異常?

2014年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、80代半ばのお年寄り宅を訪ねました。公道から家に続く路地に踏み跡はあるものの雪が積もったままだったので、「雪かきしとくよ」が半分、”死んでるんじゃねえだろうな”が半分。

 

 「こんちわぁ!」と玄関を開けて家の中を見ると、石油ストーブに背中を向けておじいさんが横になって寝ており、そばには猫が2匹お座りしてこちらを見ていました。

 

 その瞬間、私は察しました。昔紙芝居で見たお釈迦様の入滅の姿そっくりではないか!

 お~!とうとう悟りを開き涅槃の境地へと旅立ったか!と思った瞬間、のっそりと起き上がり、「雪かきに来てくれたんか。ストーブでケツあぶっていたらうたた寝しちまった。」・・・生きてた。

 

 玄関前と、自動車が公道まで出られるように雪かきをしていたら、近所のお年寄りの様子を見に顔出していたお婆さんが戻ってきました。高齢化限界集落。雪かきもままならない高齢者。それでも他人様のことを心配しているこの余裕。

 

 我々から見ればどっちもどっちなんだけど、当人たちは”自分たちのほうが動けるから心配せねば”とお互いが気遣う。

 「あそこん家もついでに雪かきしといてくれや。」と一件増えてしまった。

 

 大雪が降ってから出かけていないようなので、食べるものなど大丈夫なのか聞いたら、米も味噌も漬物もあるから全然問題ないよと落ち着いています。物流がとまって慌てて無駄な買いだめをしている人がみじめに思えてしまいます。

 

 雪かきが終わってお茶をごちそうになりながら当然この大雪の話題になりますが、やはり心配なのは東京はじめ下界の大雪被害のこと。土日の雪で東京方面では電車の事故があったそうです。

 

 朝から晩まで雪かきしていたので世俗とはずいぶん離れてしまったので知らなかった。先日のブログで昭和61年の電車事故のことを書きましたが、あれは雪でブレーキが利かなくなって起きた事故で、現在では常にブレーキパッドが車輪に触れて熱で雪を溶かす、積雪でもブレーキが利くタイプに変更されてたはずです。

 事故車両に乗っていた方々も不運ですが、その後の電車で帰路につく人たちももっと不運です。電車の事故一つでもその沿線に住む人にはプチ災害です。直下型大震災ばかり気にしていますが、プチ災害に対する対策もその延長線上。こんどの都知事大丈夫かな?

 

 プチ災害と言うほどでもないのですが、叔母が大腸がんの手術をする予定だったのですが、下界が大雪災害から立ち直っておらず外科医が病院に来られないと言うことで明日に延期になりました。

 

 知り合いのナースさんはたまたま金曜日が当直で、交代要員も来られない状態になってしまったため、そのまま月曜の夕方まで病院で仮眠しながら働いていたそうです。「大変って言えば大変だったけど、雪で来られない人より気持ち的には楽だったかもしれないよ。」と笑っていましたが、火曜日一日休んで水曜からまた当直があるそうです。

 

 やることがある。これって救いと言うべきか不幸中の幸いかもしれません。

 

 この冬は北極方面も寒さが増しているようで、異常気象で北極海の氷が増えているようです。まてよ、ついこの間まで北極海の氷が溶けて「温暖化だ」と大変なことになっていると騒いでいたではないか。どっちが異常気象なんだ?機構が異常なのではなく、我々人間が小さなことに一喜一憂する「異常」になっているのかもしれない。 

コメント

花道

2014年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 山では雪崩で通行止めの道路も復旧し、豪雪騒動も落ち着き、新年会に例えるなら「中締め」の一本締めが終わり、残りたい人はそのままで、二次会に行きたい人は場を変え、宴会嫌いの私は「それでは皆さん良いお年を」とさっさと帰路についた状態です。

 

 下界の除雪まだ混乱の宴もたけなわ、新年会に例えるならカラオケ大会真っ只中で、マイクが回ってくるのを今か今かと待ちわびている酔っぱらいがひしめいている状態。行政と言うより幹事は「やべぇ、予算足りないかも!会費追徴しようかな?このままコンパニオン延長してもいいもんダベか?”と、除雪の補正予算のことで頭を痛めていることでしょう。

 

 山奥ではすっかり雪騒動も収まっているのに、山の下では交通障害が起きて物流がストップしているため、スーパーに行っても何もない。ガソリンスタンドは売り切れ御礼。こういうこともあるからと備蓄しているから騒がないものの、震災直後より悲惨な状態で、他人事ではなくなってきました。

 

 こんな事態になると何を考えるのか?無駄に買占めする人がいるんですね。昨日も見かけましたが、2-3日我慢すれば事足りるのに、「もはやこれまで」と買いあさっている人を見かけました。

 

 寒波による被害頻繁のロシアではこのような場合の対策がしっかりできていて、最善の方法は「寝る」。これが一番エネルギーも使わず効率が良いのだそうです。中央暖房設備が主流なので、ちょっとした故障でもあれば地域全体の暖房が停まることもしばしばなので、あわてず騒がず「寝る」。稀にそのまま起きなくて墓の中に入っちまう人もいるようだけど、軽い冬眠が一番エネルギー効率が良い。

 

 そういうわけで寝て過ごしたいのですが、延々雪かきで全身筋肉痛です。

 

 さて、オリンピックですが、女子フィギュアはこれからなんですね。メダリストたちがお互いの健闘をたたえ合う男子フィギュアと違って、恨みつらみが尾を引く嫌な大会になりそうな予感がしています。と、言っても、こういうことを引きずるのは一か国だけなんですけどね。

 

 なんか、あれよ。お店の売り上げ倍増キャンペーンで露骨に客の奪い合いをするキャバレーのホステスみたいで、前回売り上げナンバー1のおねえちゃんがお得いさんたきつけて今回もナンバー1を狙っている。前回ナンバー2のおねえちゃんはわりとマイペースなのにお得意さんの方が勝手に騒いで盛り上がっている。

 そこに何のしがらみもないニューフェイスが登場してきて急成長してトップを奪い去りそうな勢い。そりゃ、ナンバー1だって心中穏やかではありませんな。

 

 ニューフェイスはそんなおねえさまがたの争いを気にすることなく、ホストナンバー1の羽生君に入れあげている。ナンバー1になったらエキシビジョンで羽生さんと一緒に踊っちゃおうかな。なんて、おねえさま方なんざガン無視さ。

 

 「あたしが何年この業界にいると思ってんのよ!ニダ。水割り一つ満足に作れないくせにいっちょ前の顔するんじゃないわよ!ニダ。」と敵意むき出し。「水商売の掟お教えたるわニダ!」とおしぼり引きちぎる勢い。「水」じゃのうて「氷」なんですけどね。「うるさいわね。ニダ!だったら天然氷でも南極の氷でも持ってきなさいよ。スミダ!アイスピックで粉々にしてやるわよ。ニダ!誰のおかげでこの店が持っていると思ってんのよハシミカ!」

 

 ナンバー1のおねえさんはこういう性格ですからホスト・ホステスが集まるアイスショーにも招待されないんだけど、さらにたちが悪いのは同伴出勤にくっついてくるお得意様のメディア。

 

 会社の接待費でもなければこういうところに出入りできないご身分の連中ですから「紳士」とはおよそほど遠い。自腹じゃ眞露も飲めないくせに、接待費だからとレミーマルタンだドンペリを景気よく開けて審判団の懐柔もしているみたいだけど、結果的にはマルタンやドンペリのブランドイメージが下がるだけなんだけどね。

 

 万一連覇してナンバー1になったところでエキシビジョンでは壁の花。お店の片隅のテーブルで一人寂しくグラス傾けながら「引退するのやめよっかなぁ。ニダ!」とつぶやいても誰も耳を傾けない。盛り場の流しの演歌歌手がカセットに吹き込んで歌っている、誰も聴いたことがないこの先聴くこともない演歌がそのテーブルだけに流れている。

 こういう直木賞物のどす黒い人間模様、最近好きです。音楽のコード進行でいうならDm、Gm,A7のスリーコードで悲哀がありますなぁ。引退の花道が演歌の花道!

 

 爽やかなばかりがスポーツではない。

コメント

エスニック

2014年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 南岸低気圧がもたらした大雪のおかげでこの2日間雪かきづくめ。腕はパンパンです。

 

 テレビは映らないし、ネットもあまり見る機会がなかったのですが、男子フィギュアスケート、金メダルだったんですね。今頃知った。

 

 てっきりプルシェンコが優勝するものだと思っていましたが、いつの間にか引退していました。イスラエルでけがの治療をするようなことが書かれていましたが、ユダヤ系だったんだろうか?

 プルシェンコと言う姓はウクライナ系ですが、ミュージカルで有名な「屋根の上のバイオリン弾き」はウクライナのユダヤ系の家族の話です。スターリンの民族シャッフルでウクライナの外に追いやられたユダヤ系民族だろうか?

 

 かつて、ロシアのフィギュアスケート女王だったイリーナ・スルツカヤはユダヤ系ロシア人で、姓から判断するとポーランド系ですね。

 今回のロシア女子フィギュアの代表のユリア・リプニツカヤもポーランド系の姓ですが、ウラル山脈のふもとのエカテリンブルグ出身。ウラルの東に追いやられたポーランド系はユダヤ系が多いと聞いています。

 

 では、ユダヤ人って何だろう?と考えてみると、これはユダヤ教という思想集団で血縁民族のエスニックではないんですね本来は。

 

 アメリカ人と言う人々はいるけど、アメリカ人と言う民族はいない。同様にソビエト市民はいたけどソビエト民族はいなかったでしょう。

 

 そういう意味では中華人民共和国の人民はいても中国民族はいない。大多数を占める漢民族だって「漢字を使う」という共通点でひとくくりになっていて、その漢字でさえ読み方が違うから言葉も通じない。

 あるいは中華民族と言うくくりで見るなら「小中華」を自称する半島も中国人に含まれてもおかしくない。むしろ、台湾や香港よりも半島のほうが中国人なんではないでしょうか?

 

 だいたい一つの国と言うのならオリンピックにも同じチームで出てくればよいのに、何で台湾や香港マカオが別のチームで出てくるんだ?しかも、そこらへんの独立はしてみたものの国の運営が立ち行かない旧違い、それぞれ政治的にも経済的にも独立できる国なのに。

 

 オリンピックに出場したいがために国籍を変える人が出るのも仕方ないと思いますが、ネコヒロシを除けばだいたい自分の国より環境の良い国に国籍を変えるものです。今回のオリンピックではロシア国籍にした韓国人がショートトラックでメダリストになったようですが、なぜか名前がビクトル。あの人たち感嘆に国籍のみならず本名まで捨てるんですね。

 

 オーストラリアなんかシドニーオリンピックの前に、ロシア人をずいぶん移民させていました。ロシアが得意なバレーボールなど自分の国では選手になれない人たちが国外に出るので、姓を見ればロシア系選手が世界各国で活躍しているのがわかります。

 

 日本ではトップアスリートは「犠牲」にするものが多いけど、他の国々では得ることの方が多いと見えて、オリンピックなど一獲千金を狙う格好の場にもなっているようです。

 まあ、これもその人の人生の選択なんですからとやかく言うことではありませんが、メダリストになるほどの人たちなら他の分野でも頭角を見せていたことでしょう。努力なくしてはメダルは取れません。

 

 日本人はオリンピックのようなイベントの時は騒ぐけれど、お祭りの後のアスリートに対しては冷たい気もします。

 

 韓国が偉いなと思わず褒めてしまうことは、英雄をたたえる精神で、フィギュアスケートの金メダリストのキム・ヨナの銅像を世界各地にたてていること。USAのグランデール市のキム・ヨナ像は何かと話題で有名ですね。

 

 え?違う?どこが?

 

 わてハングル読めへんさかい。コリアンイングリッシュもわからんさかい、あれ、キム・ヨナの像でっしゃろ。顔?そんなんお得意の整形でなんとでもなりまっしゃろ。

 

 さて、また雪かきに行ってくるか!忙しい忙しい。

コメント

雪の夜の話

2014年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 これでもかと嫌がらせのように湿った重い雪が降り続き、峠では雪崩が起きて国道が封鎖で風雪なだれ旅状態。一晩で人の背丈も降れば雪崩も起きるでしょう。

 

 家の前の村道に除雪が来ないのなんざぁ織り込み済みですが、国道も自動車一台がやっと通れるようなありさまで、対向車が来たらすれ違うのにも一苦労。

 

 厳冬期の北風の雪なら蹴散らしながら歩けるんですが、今回のように≪里雪≫と呼ばれる湿った雪は水分たっぷりで重くて雪かきもままなりません。しかも地面は凍っていないので、ぐちゃぐちゃになります。これで冷え込むと厄介なことになります。

 

 雪かきだけが人生さ。三途の川で石を拾う亡者のごとく、かいてもかいてもすぐ降り積もる雪と格闘して一日が過ぎました。

 

 深夜、2kmほど離れたセブンイレブンに行ったら、食べるものが何もない。入荷のトラックが来られないみたいです。

 冷凍食品とアイスクリームが残っていたので、この大雪だもの誰だって買おうなんて気にはならないよな。と、消費者マインドもわからないでもありません。

 冷凍食品のお好み焼きとアイスクリーム買って、雪の中をとぼとぼと歩いて家に帰りました。

 

 雪は小降りになりましたが、風が強いので昼間の湿った雪ではなく、乾いた雪に変わりました。妙に懐かしい空気を感じて、二十数年前のことを思い出しながら家路を歩きました。

 

  昭和61年の3月23日の日曜だったと記憶していますが、久々に小学校以来の同級生に会う約束をしました。
 思想信条が全く異なるものの気が合う友人で、東京に出てきたばかりの頃はよく一緒にジャズの生演奏などを聴きに行ったものでした。
 
 思想信条の違いとは彼の親父さんが国家公務員で共産党系の組合運動などをしていた人だったので、当然せがれ達も影響を受けてギンギンの真っ赤か。彼も全学連の委員長などをやってきた人物でした。

 

 当然彼が選んだ仕事も組合関係の仕事で、役所勤めでどちらかというとこういう人たちの動きを警戒する役柄だった私とは社会に出てから会う機会も少なくなってしまいました。

 
 私が再び大学に行くことが決まり、しがらみもなくなったから久々に鍋でもつついて忌憚なく語り合おうと約束した再会でした。

 

 
 
 東京と言っても多摩地区に住んでいた彼は滅多に都心に出てくることもなく、たまたまこの日、彼は都心に出てくる用事があったために夕方新宿駅で待ち合わせをしました。

 

 が、湿った雪が降り積もるとんでもない日になってしまいました。雪国で生まれ育った我々にすれば雪の部類に入らない程度の振り方ですが、道路機能は麻痺し、地下鉄まで止まる状態。それどころか西武新宿線では電車が追突する事故があったりで、東京では記録的な雪の日になってしまいました。

 

 約束の時間より30分ほど遅れて頭に包帯を巻いた彼がやってきました。なにがあったのか聞いたのですが、「ちょっとした事故で」と話しにくそうだったのでそれ以上聞かないことにしました。

 
 彼が吉祥寺の居酒屋に予約を入れてくれていたのですが、大雪で中央線が止まってしまいました。
 幸い、井の頭線が動いているとの情報が入り、渋谷に出て下北沢経由で吉祥寺にたどり着くことができました。

 魚の鍋をつつきながら故郷のこと、同級生のこと、そして近況のことなどを話しました。

 

 高校生の頃、ロッキー青木と言う青年が単身USAに乗り込み、「紅花」と言うステーキの店で成功して一躍時の人となりました。受験地獄、詰め込み教育、就職難、息が詰まるような時代にこの型破りな男の生き方が輝いて見えたものでした。何より当時の日本の閉息感ときたら、世の中に出ようとする若者の芽を摘むような空気で、決められた一本のレールからはずれると二度と戻れなくなるような危機感を感じていました。
 なんの保証もないけれど、ゼロから始められるアメリカの自由が輝かしく思えたものでした。

 

 「アメリカに行ってひと花咲かせたいなぁ。」と彼はつぶやいた後、「でも、共産党員だと入国もままならないだろうな。」と続けました。

 

 すでにそのころアメリカどころか共産党員の聖地のソビエトまで行ってきた思想のない私。「だったら共産党なんかやめて堅気の人間に戻ればいいじゃないか。」とあしらってしまいましたが、「これはこれで居心地がいいんだよ。」と居場所を持つ彼にとっては抜け出られない何かがあったんでしょう。

 

 小学生の頃から「社会のためになりたい」が彼の信念だったのはよく理解していましたが、「世の中のためではなく自分の不平不満のために運動している人が多くなってきたことを感じる。」と共産党の裏側に対する不満を口にしていました。

 

 そのあと、左の人たちがたむろす吉祥寺の歌声喫茶「ともしび」にハシゴしました。最初の学生時代におねえちゃん目当てて新宿のともしびには何回か行ったことがありましたが、ああいう雰囲気って性分に合わない。
 そういえば、学生時代に彼と飲みに行ったときにも、新宿の文壇焼鳥屋なるところに連れて行かれて、ぜんぜん名前も知らない自称作家達がどんよりと集う店でスナギモ食いながらチューハイ飲まされました。こう言う娑婆とは一線隔てた肩書きのある店が好きなんでしょうね。

 彼は吉祥寺のともしびの常連さんだったのか、顔見知りが随分いるようで、注文もしないのにウイスキーのハイボールが出てきました。

 

 「実はね」と語り出した話は彼の頭の包帯の理由で、この日、彼が都心に出てきたのは全学連時代の後輩の女の子が帰郷するのを見送りい行ったからで、簡単に言えば密かに思いを寄せていたらしいのですが、電車の扉が閉まり動き出したとき”今までの思いを告げなければ!”と走り出したらホームの看板か何かに激突して側頭部を切ってしまったそうです。

 

 新幹線ならそんな人情に見向きもせず、きわめて冷徹に走り去っていたことでしょうが、左の人たちってこう言うところで結構ケチなんですね。おおかた青春18きっぷか何かで安く帰郷したんでしょう。

 

 こういう話で歌声喫茶なら「なごり雪」でしょう!と思っていたら彼のリクエストはソビエト歌謡の「樫の木」でした。ロシア語では樫の木を「Дубрава」と言って男性を象徴する木なんです。女性はナナカマドに例えられます。

よろこび胸に満ちて かたらいし
恋人よ森のみどりよ 樫の樹よ
幾度そぞろ歩く森の道
茂れる樹々はそよぎて われらむかう

 

幸は帰らずなりぬ 春はゆき
鳥かくれ空はくもりて たまはとぶ
戦に命すてぬ若者は
輝く二つの瞳 永久(とわ)に閉じぬ

 

ぐみの木茂る小路 人しらず
ただ一人ほまれにないて 静かに眠る
悲しく心せまる思い出よ
恋人よ森のみどりよ 樫の樹よ

 

 左の人たちは反戦を旗頭にしつつもロシア版の軍歌がお好きなようです。

 なぜこの心境でこの歌なのか?何か彼女との思いではある歌なのか?聞いてみたのですが、彼が加わっている市民コーラスで今練習している歌なんだと言うことで、意外とこういうことに考えを持たない男なんだなぁ。と、改めて発見しました。

 

 歌声喫茶ともしびを出た後、小金井市にある彼のアパートに行くことになりましたが中央本線は雪で止まっており、タクシーもつかまらない。

 駅にしてわずか4つ、山育ちの我々には気にならない雪。それなら、歩こうか!と、溶けかけてぐちゃぐちゃになった雪を踏みながら彼のアパートまで歩きました。

 

 そんなに昔のことではない思いもしますが、今の人生の半分の年齢でした。

 あの日から歳月が加速度を増すように過ぎていく思いもしています。今夜こうして雪の中を歩いていることもいつしか懐かしく思い出せるのだろうか?

 

 正月に帰郷した時に顔を合わせたばかりだけれど、妙に懐かしくなってしまったので、久々にこの懐かしきはらからに手紙を書いてみました。

コメント

手袋を買いに

2014年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 都心部では先週末同様の大雪になっているようです。

 交通がマヒして大変なバレンタインデーになっているようです。下心をお持ちの方には残念なバレンタインデーになってしまったことでしょう。

 

 雪かき作業用の手袋に穴が開いてしまったので、行きつけのブティックのワークマンに手袋を買いに行ってきました。

 

 新美南吉の児童文学にキツネの子供が手袋を買いに行く文字通り「手袋を買いに」というお話があります。

 多分今頃の寒い季節なんだろうな。雪の中に見える電球の明かりって暖かそうに感じるんだよな。などと物語のことを思い出し、そのうち子供に「お話」をしてやろう。最近のガキどもはキツネさえ知らないから、ここから説明せにゃならんかな?なんてことを考えながら雪道を下界に向かいました。

 

 途中、郵便局のATMに立ち寄ったらマスクをした見覚えがある人が出てきました。高校時代の先輩ですが、目が落ち込んで頬がこけてげっそりした顔になっていました。私より一学年上でしたが、ATMに憑りついた地縛霊のような風貌になっており、このまま夏の怪談シリーズに出演してもおかしくないような容姿でした。

 

 向うは私をすぐ察したようで、「よお、久しぶり!」と力なく挨拶してきましたが、昨日病院を退院してきたばかりの病み上がりだったそうです。言われなくてもそんな姿で、正規の手続きを経て退院してきたのか?霊安室から魂だけ退院してきたのか?どちらとも取れるほど衰弱した様子でした。

 

 ノロウィルスで病院に行ったらインフルエンザまでうつってしまったトレンド最前線。さしずめ我々の世代でいうなら浅野ゆう子と浅野温子がダブルキャストで出るドラマ並の豪華な感染。半分隔離されながら10日間入院していたそうです。

 大した病気もしないで生きてきたので当人も体力には自信があったらしいのですが、それが一気にすっ飛んでしまうほど精神的なダメージが大きいと申してました。

 

 お互い若くないのだから病気を甘く見ないようにしようと別れましたが、昨日までノロウィルスとインフルエンザで入院していた人が出てきたばかりのATMのボックスに入るのに躊躇しました。とは言え、私は気配りができるエゴイストなので、今すぐ郵便局を出てしまえばまだ駐車場に先輩がいるので気を悪くさせてしまいそう。カウンターに行って必要ないけどハガキ2枚買って、ATMは別の郵便局に行きました。

 

 新美南吉の本は甥が幼稚園の時に持って行ってしまい今は手元にないので、ブティックの帰りに図書館に立ち寄り絵本を借りようと思ったら貸し出し中。「学級閉鎖があったりで、いつもより子供向けの本が人気なんですよ。」

 一種の「怪我の功名」であれ、それはとてもいいことです。

 

 15-6年前ですが名古屋だぎゃぁ~に研修で行ったときに知多半島の半田町のやなべというところに足を運び新美南吉の生家や記念館を見てきました。「百姓の足、坊さんの足」にゆかりの光蓮寺にもお参りしてきました。

 

 記念館には新見南吉の言葉などがパネルで掲げられており、ノートに書き写しました。

 

 「ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔をしてはいないものである。自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。」

 

 ソクラテスの「無知の知」を思わせるような深い言葉ですが、他にも

 

 「人間は皆エゴイストである。常にはどんな美しい假面をかむっていようとも、ぎりぎり決着のところではエゴイストである。ということをよく知っている人間ばかりがこの世を造ったらどんなに美しい世界が出来るだろう。自分はエゴイストではない、自分は正義の人間であると信じ込んでいる人間程恐ろしいものはない。かゝる人間が現代の多くの不幸を造っているのである。」

 

 「こんな風景は依然ちっとも自分の感興を起さなかったが、近頃はこんなありふれた身近なものを美しいと思うようになった。ごく平凡な百姓達でもよく見ていれば誰もが書いた事のないような新しい性格をもっており、彼等の会話にはどの詩人もうたわなかったような面白い詩がある。」

 

 宮沢賢治より人間臭いところが新実南吉の魅力的なところで、あるいは後世の人たちの取り上げ方がそうさせてしまったのかもしれません。

 

 雪が深々と音を吸収しながら降り積もっています。キツネの子供が手袋を買いに来ることはありませんが、玄関には自営業を営む猫たちが餌をもらいに来た模様です。

コメント