新しいトレランコースとして目星をつけている山の下見に行ってきました。
あくまでも下見なので、場所は詳しく申せませんが、玉原湿原の尼ヶ禿山あたりから迦葉山の登山道を歩いてきました。
雲一つない青空、紅葉はそろそろ終わりのシーズンなので、木々の枝の隙間から周囲の山などもよく見ることができました。
なにより心地よい山歩きができたのは幸いで、また来たくなるような山歩きになりました。こんな山を歩けたらトレランランナーも心地よかろうと思うでしょうと考えつつも自分が楽しんで歩いていました。
多分、コースとしては下から登って来るコースの方が安全でふさわしいと思いますが、私たちは上から下へ下りました。
それには深い理由があり、やっぱ、山は登るよりも下る方が楽だからです。登山家になるより下山家でありたい。そんな深謀遠慮があり、山の上に自動車を置いて下りが多い歩き方を選んだ次第でございます。
ブナ、ブナ、ブナの回廊で、心地よいこと心地よいこと。息を切らして登ってきてはこんな余裕はありません。
登山道としてガイドブックにも紹介されていますが歩く人はほとんどいないルートなので、大会当日大人数が走っても問題はないと思います。問題は登り口なんですが、後々紹介します。
登山道の手入れはあまりなされていないようで、ところどころ倒木が見受けられますが、片づけることも可能ですし、登山者もこうした障害物を上手に避けて通っています。
山全体で言うならクマが良く出る山らしいのですが、ちょうど今は実りの季節なので、クマはこの山の下あたりに出稼ぎに行っている模様。リンゴ狩りで忙しいみたいでクマは見かけませんでしたが、シカの匂いが2カ所ほどしていました。
シカは今頃が発情期なので、凶暴になっているために要注意です。
木々の隙間から武尊山の全容が見えました。山頂も見えたので、山頂からもこの山が見えるわけです。
このあたりの山は戦中から戦後にかけて樹木をすべて伐採して、日本の産業を下支えしてきた山ですが、今はその後に生えた樹木が育ってきています。
時折、その時代に切られることなく残った巨木も見受けられます。
なぜ伐採されなかったのか?いろいろ理由はありまして、一つは山の守り神として一本残すと言う杣人のしきたりがあったこと。他には材木搬出のためにワイヤーを張った時に支点となった木であったこと、伐採するに値しないひ弱な気であったことなどいろいろ想像はできますが、月日を経てそれなりに説得力ある大木へと育っています。
木も大木になると霊験を感じるようになります。
山の樹木の葉を落とし始めると、幹に蓄えた水を落とし、雨が降らない日が続いているのに山全体が水を蓄えている様子を感じます。雨の多い夏場にぬかっていなかった道が、快晴が続いたこの季節にぬかっていたり、山の意図を読み取るのも興味深いです。
今年はブナが実をつけない年なので動物も見当たりませんが来年は多分ブナが豊作、クマがうろうろしているかもしれません。最近の鉄砲撃ちは歩くことをしないので、こんな奥山に来てくれないかもしれませんが、クマが越冬に使いそうな木のウロがいくつかありました。
白樺湿原と呼ばれる小湿原。
この湿原を巻く登山道は少しぬかるんでいたので、もしトレランで使わせてもらえるならもう一歩離れた藪を切り開いて、足元の良い道を作るなど工夫をしたい場所です。
普通に足元に気を付けて歩いていれば問題になるようなぬかるみではないのですが、よれよれになって走って来るランナーを思うとここで不快な思いをさせたくない。
とはいえ、極力余計な刈り払いや伐採は避けたい。特に湿原は植生が多様なので、芽吹きの季節を迎えたらまたここにきて山の神様と相談しなければなりません。
うっすらとですが富士山が見えました。
もう1時間も早ければ霞がかかることもなくはっきり見ることができたでしょう。
富士山はすでに雪をかぶっており、人を寄せ付けない季節に突入したようです。単独峰は風が強い上に気象が読みづらいので意外と曲者です。
富士山の入山料は登山道の手入れの予算なのも考慮すれば正解だと思いますが、これからの季節なら入山料とられないからこの冬あたり狙ってみようかな?
途中白樺湿原の手前にバードウォッチャーの夫婦がいただけで、迦葉山の山頂まで登山者とは出会わなかったのですが、山頂には7人ほど登山者がおり、富士山を眺めて大喜びしていました。
山頂からの下り道、多分ランナー的には登り道になると思いますが、岩峰の間を縫うように歩きます。
水分を含みやすい岩のようで滑りやすく感じました。そのため上りの方が安全でしょう。すれ違う登山者も多かったので、このあたりの兼ね合いや譲り合いがポイントだと思いますが、大会やトレランやハイキングに関係なく一度は足を運んでもらいたい景色です。
鎖場ではなくロープ場です。
上手に歩けば二本の足だけで十分歩ける場所なので渋滞するようなことはないと思いますが、このルートの中では難所と言うのか?アトラクション。
なぜこんな場所にハイカーがやってくるのか?ここが問題なんです。霊山なんです。信仰の対象になっている山なので、無礼があっちゃならねえのです。清らかな心で入らなければいけない山なんです。
競う場所ではなく自分を高める場所なので、本来ならこうした場所は避けるのが得策なのですが、大会に関係なく自分を高めるために足を運んでもらう価値があると思います。
どうやってこの山の許可をもらえるのか?ここが頭の痛いところなんですが、いろいろ策を練ってみました。
この冬、下のお寺の境内にルーベンスの画集を持ったヤマさんとワンワンが行き倒れになっているのを雲水さんが発見し、館長様のところに運んでいきます。息を吹き返したヤマさんが「私は”道”を求めて旅をしているしがないトレラン僧のヤマさんと申します。道を探しているうちに迷ってしまいこの境内で倒れてしまいました。」
「ワンワン(私は弟子のワンワンと申すかわいい犬でございます。以下同文です)。」
館長さんは前夜フランダースの犬の最終回見て大泣きしたばかりなので、「道が見つかるまでここで修業しなされ」とヤマさん親子を快く宿坊に向かえてくれるでしょう。
ワンワンはおみくじ犬として働き、ヤマさんは「一日一善です。」と箒を持って参道や裏山に行ってはトレランの目印の黄色いテープを巻き付け、いつの間にかトレランルートができたら「ようやく道を見つけることができました。」とワンワンと一緒にお寺を去っていく。
ヤマさんたちが立ち去った後に色紙とおむすびのごはんで作った天狗のはり絵が残されており、「もしやあのお方は名高い画家では?」と雲水さんが追いかけるものの、ヤマさんとワンワンはすでに違う山に向かっていた。
群馬テレビの再放送で「裸の大将シリーズ」を見ていた館長様は、シリーズの途中でいなくなってしまった高見千佳のことを気にしていたけれど、「便りがないのは無事の証拠」とヤマさんが残したはり絵を眺めてカメラがフィードアウトするなんて心温まる設定はいかがでございましょう?
基本、修行の霊山なのでコース作りも余計なことができません。とってもいいことだと思います。
およそ手が付けられないような巨木が倒れていますが、その下をくぐれば巨漢の私でも通れました。
これも修行の一環とくぐるもよし、面白いアトラクションとくぐるもよし。こうした障害物もいかがでしょうか?これだけ太い木が倒れていることもまれなら、こんな場所を通過できるのもなかなか得られない経験だと思います。
お寺の下は長い参道となっていますが、この参道に並んでいる杉の巨木も一見の価値があります。直径が2mを超える巨木がずらりと並んでいます。
昔はこの長い参道を登ってこなければお寺にお参りすることができなかったのですが、今は自動車でお寺の下まで行けるので、この参道を歩く人も少なくなりました。
歩いていかなければこの巨木を見ることもできません。トップランナーの人たちにはこの景色を楽しんではいられないでしょうが、景色や空気を堪能しながら登ってきてもらいたい光景です。