「天に天堂あり、地に蘇・杭あり」天に極楽浄土があるように、地には蘇州・杭州と言う楽園がある。という意味です。蘇州・杭州と言えば風光明媚で水の都、美人の都として名高い地方です。
水はドブ臭いし観光客目当ての物売りはしつこいし「どこが楽園じゃい」と行ってから腹が立ちますが、北朝鮮を楽園だと思い込んでいる人よりは幸せかもしれません。
漢の時代、蘇州に朱買臣という真面目な男が寝る間も惜しんで読書に励んでおりました。彼の妻は生粋の蘇州美人でした。
美人と言っても見た目だけで中身の伴わない美人もいるもので、朱の妻もその類の美人でした。「私のような美人なら、もっとリッチでゴージャスな生活ができるはず。何でこんな真面目だけがとりえで出世もできない男と一緒にいなければならないのか?」と夫に離婚を迫ります。
「絶対に出世するから、50歳まで待ってくれ」と頼む夫に「ざけんじゃないわよこの宿六が。あんたについていったら飢え死にしちゃうわよ!」と夫を見限って出て行ってしまいます。
朱買臣はそんな逆境にもめげず勉学に励み、都に赴き官吏登用試験に合格します。約束どおりに出世して太守となって凱旋します。太守と言えば地方を県知事のようなものです。
太守となった朱買臣の一行が蘇州に戻ってきて盛大なパレードになります。その行列の前に人ごみを掻き分けて一人の女乞食が這い出てきます。女乞食は地面に頭をこすりつけ号泣しながら太守に何かを訴えています。
その意味を悟った太守朱買臣は馬から下りると家臣に水を入れた器を持ってこさせます。女乞食の前で器の水を地面にこぼし「その水を元に戻せ」と冷ややかに言います。水は地面に吸い込まれ戻すことなどかないません。
「覆水盆に返らず、あんたとの復縁は不可能だよ」と怒鳴りつけます。この女乞食は朱買臣の元の妻でした。
女乞食は泣き崩れ、朱買臣いっこうは悠々と行列を進め、行列に集まった人々は拍手と喚起の声で見送り、幕が下ります。「馬前撥水(マーチェンポーシュイ)」という劇です。
日ごろ強い嫁さんに虐げられている中国男性にとってこの幕切れはストレス発散になるそうです。朱買臣は非情な態度ですが、物欲に目のくらんだ女などどこで裏切るかわかりませんし、夫の地位をかさに害悪撒き散らすこと請け合いです。情けをかけても逆手に取るだけです。愛憎以前に悪い種は冷たく切り捨てることも人の上に立つ立場として大切です。
さて、女乞食に身を落とした朱買臣の妻はその後どうなったかと言うと、水面へと身を投げ死んでしまいます。蘇州には「死亭湾」と言う観光名所になっているようです。自業自得ともいえますが、「運敗時哀鬼弄(運破れ時衰え鬼弄ぶ)」志の低さは鬼のおもちゃになるのが成れの果てです。
朱買臣の妻のごとき愚かな女はいつの世にもいるようです。惨めな末路しか待っていません。遠く日本の日本の繁華街でも・・・