のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

スポーツ

2008年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 「あなたは何かスポーツをしているのか?」とアレクサンドル氏に聞かれ、特に何もしていないと答えると、「それは良くない。仕事で体を動かすことも大切だが、スポーツで体を鍛えることはもっと重要だ。」

 彼はノボシビリスクで40代から50代の仲間とチームを作って水球を楽しんでいるのだそうです。「本当はサッカーが一番好きなスポーツだが、体にダメージも多いので、水球を選んだのさ。」
 スポーツを楽しんだ後は仲間とバーベキューをして会話を楽しむ。

 「あなたも健康のために何かをするべきだ」と言われ、健康のために睡眠をとりたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杞憂

2008年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 混乱する国会のおかげで、4 月からガソリンにかかる暫定的な税金がなくなり、安くなると言われていますが、ガソリンスタンドも現在ある在庫がなくなって新しい入荷分から安くなるそうなので、燃料を入れてきました。

 燃料を入れてしまうと、これで翌日から税金分安くなってしまっては面白くない。できれば自分が次回行くまで税金分が安くならないで欲しいなと杞憂(きゆう)しています。

 今の河南省あたりにという国があり、そこに住む一人の男は「もし天と地が崩れてしまったら、身のよせるところがなくなってしまいどうすればいいんだろう。」と考えると心配で、飯ものどを通らず、夜も眠れませんでした。

 一方、そんな友人を見ていて心配をした男がおり、出かけていって言い聞かせました。

 「天なんてものは空気が積もっただけなんだ。空気のないところなんてありゃしないよ。体を曲げたり伸ばしたりだって天の中でやっているんだ。どうして天がなくなるなんて心配するんだね。」

 「天が空気の積もったものならお日様や月や星が何で落ちてこないんだね。」

 「お日様や月や星などは空気が積もった中で輝いている部分なので、落ちてきたって当たって怪我をさせるようなことはしないよ。」

 「それなら、どうして大地は壊れないんだね?」

 「大地は土が積もっただけで、それが四方に満ち満ちているいるので、土のないところなんかありゃしない。トンだってはねたって、いつも大地の上にいるじゃないか。なぜ、大地が壊れるなんて心配するんだね?」

 そこで心配していた男は胸がさっぱりしてたいそう喜んだそうです。言い聞かせた男も気が晴れて安心しました。

 「杞憂」(いらぬ取り越し苦労をする)(いわれなき心配をする)の語源となったエピソードです。「杞憂」は列子の「天瑞篇」に出展されています。列氏はその解釈として付け加えています。

 「天地が壊れるという者も、壊れないという者も間違えている。壊れるとか壊れないとかは我々の知ることのできないものだ。さりとて、壊れるという者にもひとつの道理があり、壊れないというものにもひとつの道理がある。生は死を知らないし、死は生を知らない。将来は過去を知らないし、過去は将来を知らない。天地が壊れるとか、壊れないとかをどうして我々が心に入れて考慮できようか?」

 ノストラダムスの予言ブームを思い出してしまいます。

 唐の時代になり、李白は「杞の国人は無事なれや、天の傾ぐを憂うなり」とうたっています。李白は取り越し苦労など味気ないという風潮に対して、古代の人たちの実直で虚心のない人柄を温かく肯定しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

職質

2008年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 シリアからラクマン君たちの交代要員が来日し、新幹線で高崎駅まで来るので、ラクマン君と迎えに出向きました。

 時間ギリギリだったので作業服のままでかけたので、きれいにリニューアルされた高崎駅を、作業着にゴム長をはいて歩いていると目立ちました。

 駅の外にホームレスを営んでいると思しき人たちがいて、こんなところまでホームレスが出る世の中になったのか?と眺めていたら、警官に職質を受けてしまいました。

 私とラクマン君の風体があまりにも周囲の借景に馴染まなかったのが原因だとはわかりましたが、作業着姿で歩けない駅なんてこれもまたおかしな話。

 確かに、東京などもっと近代的な駅がありますが、ホームレスが駅内部まで新入していますし、労働者姿で歩けないほど排他的でもありません。が、高崎駅はなんとなく居心地が悪い気取った都会性を持っているようです。

 正直言って、ラクマン君が職質受けるなら「これもしかたないか、面倒見てやるか。」という気持ちもありますが、なんで私まで同等に扱われるのか?腹が立っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス語

2008年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 セルゲイ君が3ヶ月の滞在を終えてウラジオストクに帰国しました。
 月曜に出勤して報告を済ませたら2週間の特別休暇がもらえるそうです。今年はロシアのクリスマス(1月7日)を家族と共に過ごすことができなかったので、家庭のために休暇を使うそうです。

 新幹線の駅までセルゲイ君を見送った帰り道、アレクサンドル氏と昼食を食べながらいろいろ話しました。私と同世代なので世代間格差のない感覚があります。

 ソビエト崩壊の頃最初のお子さんが生まれ、「これから自由で素晴らしい時代が来るぞ!」と期待したら、新政ロシアはご存知の経済混乱期に陥り、彼が働いていた国営の運送会社は給与が出なくなり、いつのまにか会社も消えていた。
 幸いメカニックの技術を持っていたので、修理屋をしながら食いつないでいたそうですが、「ロシアを離れるなんてことは一度も考えたことはなかった。なぜならロシアは私の故郷で、家族もいるから。」
 かつて一緒に働いていた仲間が他の国へ脱出したり、姿を消す中、「いつか必ずロシアは復活する」とノボシビリスクへ残ったそうです。

 シベリア横断ラリーの手伝いをして、その仕事っぷりが認められて今の会社にスカウトされ、初めて日本に出向になったとき日本語はまったくわからず、「フランス語ができるから大丈夫。」と、やってきたものの、日本でフランス語を喋れる人なんてほとんどいない。

 学生時代(ブレジネフ体制真っ只中)、フランス語は世界で通用する公用語と言われ、授業選択の競争を勝ち抜いて一番人気のフランス語を履修したものの、「あまり役に立たなかった。」
 近い将来英国やUSAは消滅して、英語はこの地上から消えてなくなると言われていたのに、「ソビエトが消えてしまった・・・」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神様に内緒

2008年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

080321  3月21日はシリアの「母の日」の祝日だそうで、20日の「春分の日」の祝日を「日本の母の日」?と思っていたラクマン君とフセイン君。

 もうすぐ帰国するので回転寿司に連れて行きました。宗教上いろいろ禁忌が多い人たちなので一緒に食事に行くこともありませんでしたが、寿司を食べたことが無いというので、それなら一度体験させようと連れ出しました。

 最初は「これは魚?豚肉?」と気にしながら食べていましたが、寿司メシの甘さが気に入ったのか、「このお米はおいしい!」。
 甘い味付けをしているカンピョウやアナゴが気に入ったようで、一番のお気に入りは回転寿司ならでわの鶏肉のから揚げ。

 せっかくだからビールも飲め!と禁断の領域に。
 シリアはキリスト教も多数いるので戒律も厳しくないとは言うものの、ビールを飲み始めたらラクマン君のお母さんから電話がかかってきて「アラーは見ていないけどママは見ている!」

 ラクマン君はたびたび自販機でビールを買って飲んでいますが、若いフセイン君は初めて飲むビール。最初は「苦い!うまいのかまずいのかわからない」と口をつけていましたが、そのうち目がトロンとしはじめて、「なんだか気持ちよくなった。」

 小さいジョッキで2杯飲んだだけですが、帰るときには真っ直ぐ歩けないような状態になっていました。
 ビールなどアルコールの部類に入らないと豪語するロシア人など、4-5杯飲んで平然としていましたが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不景気

2008年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国語でも「不景気」は「不景気」で通用しますが、意外なことに、「不景気」という言葉は日本語を起源に持っているようです。

 明治時代、欧州からさまざまな文化が日本に入ってきますが、言葉を翻訳していくうちに日本独自の幹事の言葉が生まれます。「人民」「経済」「歴史」など欧米の書物を日本語に訳していく中で作られた言葉です。

 なるほど、日本語を起源に持つ中国語には、中国にはなじみの薄い言葉があります。

 サービスや奉仕を意味する「服務」も日本語です。サービスなどごく最近まで中国(特に共産中国)にはなかった概念でしょう。今だって意味わかってるのか?と疑いたくもなります。サービスセンターは「服務中心」言われてみればなんとなくわかるでしょう。

 英語でも「Koban交番」で通じるといわれていますが、通常は「police box」と呼ばれています。中国では「派出所」で通用します。派出所があるなら「取締」も日本語起源です。こんなこと言っちゃなんですが、中国の公安(警察)と○暴は紙一重といわれています。

 役所用語では「申請(シェンチン)」も日本語起源だそうです。昔の中国のお役所は庶民からの申請など受け付けなかったのでしょうから、こんな概念なかったのでしょうね。

 「歴史」が日本語起源というのも意外なことですが、「記録」も日本語を起源に持つ言葉です。

 学問関係では「予習・復習」も日本語を起源にしているようですし、「見習」も日本語から用いられているようです。

 街中を飛び回っている「三輪車」も日本のほうが先につけてしまった名前ですが、中国人も同じ名前にしたかもしれません。

 日本語起源ではありませんが、喫茶店で笑ってしまったのは「三明治(サンミンジー)」でサンドウィッチのことでした。チョコレートかと思ってしまいました。

 向こうの新聞を読んでいて三面記事の「可卡因(ケカイン)」も「コカイン」のことだろうなとなんとなくわかりましたが、コカコーラ(可口可楽)なのかカラオケ(可拉OK)なのか一瞬迷いました。「」がいかにも妖しさをかもし出していて面白いです。コカコーラ飲みながらのカラオケ、健康にはよいのか?悪いのか?

 ウィスキーは「威士忌」と書きますが、「張った」「紳が」「中」になってしまいそうな危ない飲み物なんでしょうね。健康には注意しましょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月下氷人

2008年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 「月下氷人」仲人を意味する言葉です。文字だけを見ていると、今の時期のハルビンの松花江川岸あたりにたたずむ人のようでもあります。凍てる月の下に運命の人が待っているかもしれません。

 月下氷人の由来は月下老氷上人という二つの縁結びの物語が一つになってできた言葉だそうです。その由来となった二つの物語を紹介します。

月下老

 唐の時代に韋個という青年がいました。一人身の気軽さもあって方々を旅して宋城という街に来た時のことです。もう夜も更けて通りには人影もなく、青い月の光が待ちに立ち並ぶ家の屋根を照らしていました。

 ある街角で韋個は不思議な老人を見かけて立ち止まりました。老人は地べたに座って、月の明かりでなにやら書物をひもといて調べものをしています。

 「こんな夜更けに、何をしておられるのですか?」韋個は老人に尋ねました。「わしのことかな?わしは結婚について調べているんだよ。」

 韋個は老人の傍らに置かれた袋が気になりました。「その袋の中は何が入っているのですか?」 老人は「これかね?ほら、赤い縄が詰まっているんだよ。この赤い縄が夫婦をつなぐ縄じゃ。ひとたびこの縄でつながれれば、二人がどんなに遠く離れようとも、たとえ仇同士の仲であろうとも必ず結ばれるんじゃよ。」

 「私はまだ一人身です。私の妻となる女性は今どこにいるのでしょうか?教えていただけないでしょうか?」韋個は老人に頼みました。

 「おまえさんの妻になる女性なら、この宋城におるぞ。ほら、ここを北に行った通りで野菜を売っている陳というばあさんがおるだろう、そのばあさんが抱いている赤ん坊だよ。」

 老人に言われたものの韋個には納得できる話ではありません。赤ん坊が未来の妻だなんて馬鹿にされたような気分になり、信じることもなくその場を立ち去ってしまいました。

 14年の歳月が流れました。韋個は相州という土地で官史になっていました。やがて、韋個にも縁談が持ち上がり、都の太守の娘と結婚することになりました。歳は16-7の美しい娘でした。

 幸せな結婚生活が続き、やはり、あの老人の予言は嘘だったんだなと韋個は思っていました。ある夜、韋個は妻に生い立ちを尋ねてみました。

 「実は、私は太守の養女なんです。実の父親は私がまだ赤ん坊の頃、宋城という町で役人をしているときに亡くなりました。でも、優しい乳母がおりまして、青物を売りながら私を育ててくれました。陳ばあさんという乳母です。あの青もの売りのお店を今でも思い出します ・・・・・・ あなた、宋城をご存知なのですか!あの町の北のほうに陳ばあさんの店があったんですよ…」

氷上人

 晋の時代に索耽という占い師がいました。あるとき、令孤策という男が夢占いを頼みに来ました。

 「夢の中で私は氷の上にたっておりました。氷の下には誰かがいて、私はその人と話をしました。」

 索耽は「氷の上は陽、氷の下は陰を意味します。陽と陰が語り合うということは、あなたが結婚の仲立ちをしてうまく行くことの前兆だな。氷のとける頃にその話はまとまるよ。」と予言しました。

 その言葉の通り、しばらくすると令孤策のところに太守からたのみがきました。太守の息子と、張家の娘を結婚させたいがその仲人になってくれないか。

 令孤策が両家の間をとりまとめ、そのカップルはめでたく結婚するはこびとなりました。式を挙げたのは春も半ば、氷が音を立てて河を流れていく頃でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーゴスラビア

2008年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

そういえばコソボ紛争でNATO軍の空爆が相次いだのは今頃の季節だった中、などと思い起こしてみると、9年の月日が経っていました。

 同じ正教会シンパのセルビアよりだったロシアは、NATOとUSAがローマカトリックが主流のクロアチアやイスラムに肩入れしたことに反発して、ウラジオストクの街中でも「犬とアメリカ人はいるべからず」と看板を掲げたレストランがありました。でも、物不足末期だったのでメニューはあっても出てくる料理が限られていたり、知らなければ誰もここがレストランだとはわからないような店の作りでした。

 幸いなことに私たちは国がなくなったり、どこかの国に統合されるような経験をしていませんが、ソビエト崩壊直後のロシアで強く感じたことは「国が死ぬとはこういうことか」でした。
 ソビエトもユーゴスラビアも地図の上からは消え、サッカーの強い国が増えてしまった現在です。

 元々地球上にある土地など変わっていないのに、分裂統合を繰り返す地図の積み重ねが「歴史」の実態。

 第二次大戦後分裂に向かうベクトルの中で、私たちがこの20年余りに体験した地図の変化は後世に残るほどの激震だったのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チベット

2008年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 アイスランドのエキセントリックな歌手ビュークが中国でのコンサートでチベット独立を叫んで、人民政府を慌てさせるような事件が起き、ただでさえ世界の注目がチベットに向かっているさなかの事件。
 チベットで暴動勃発のニュースが大きく流れました。チベットに限らず各地で暴動が相次いでいる中国らしいのですが、政府の報道規制が強く働いているので、あまり表に出てきません。
 暴動鎮圧に軍隊が出動しているようで、こうした問題が「北京オリンピック不参加!」への引き金になるような懸念を持っています。

 1980年のモスクワオリンピックではソビエトのアフガン問題で西側の多くの国が不参加。その報復のごとく4年後のロスアンジェルスオリンピックには東側が不参加。今後どうなることやら?

 そういえば唐の時代、天竺に新しいお経をとりに行った玄奘三蔵は、なぜかチベットを迂回して中央アジア経由でインド入りしていました。友好関係のない別の国であったことはここからもわかります。

 ひつ頃、「キョンシー」という中国の幽霊の映画が話題になったことがあります。この映画で、キョンシーと敵対する幽霊の背景に出てくるのが、金剛教などのチベット仏教のお経で、つまりこれは道教対仏教の映画でした。

 こんなところでチベットを馬鹿にしていながら「チベットは中国の一部」と言っても筋違いだろうという気がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レート

2008年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 為替相場が一時的に1ドル100円を切りました。これから海外旅行などを控えている人にはありがたい話ですが、輸出企業など大きな影響が出そうです。

 日本国内の日ごろの生活の中では為替レートなどそれほど気にすることなく暮らしていられますが、基軸通貨である「円」のおかげかもしれません。

 ソビエト崩壊後の90年代。経済混乱期のロシアは強度の物不足とインフラに苛まれていました。自由市場の商品の値段などUSドルで表示されていて、それをその日のレートのルーブルに換算して売買するのが日常で、自国の通貨に信頼がなくなることとはこういうものなのか?と目の当たりにしました。

 当時はUSドル、ドイツマルク、円が基軸通貨で、彼らは日常生活の中で常にルーブルがそれらの基軸通貨の中でどのくらいのレートにあるのかを頭に入れて生活していましたが、こうした見方は現在も同様。

 原油高の影響でルーブルも強くなっていますし、安定通過になっていますが、まだそれを信頼していないのがロシア人。「どこかで大きくずれる」と冷ややかに距離をとっています。

 貨幣と言うのは共通の「約束」の上に成り立つ「価値観」なので、その約束が崩れれば一夜にして紙切れになることは十分ありえること。「約束」は常にそれを守ろうと歩み寄っているからこそ成り立つもので、何も通貨ばかりではなく人間関変動相場制? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兌換

2008年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 円高の向かい風が吹く中、ラクマン君が米ドルを円に兌換するために、銀行に行ってきました。

 人相の悪い二人が銀行に入ると、「なんですか?なんですか?」と、案内係があとをつけてきて、”失礼なやつだな!”と思いつつも無視して二回の外貨コーナーに行きました。

 外貨コーナーのカウンターで待っていると、海外送金をお断りするケースを記した印刷物がありました。
 海外送金先がタリバン関係者等、テロリスト等、などと記載されていました。

080312  少なくも、これらに該当する人たちが来たにせよ、海外送金の「目的」の欄に”タリバンの軍資金”だとか、”イランの核爆弾開発支援”などと書く人などいないと思いますが、いままで、こんな物が置かれていたことさえ気がつきませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温暖化対策

2008年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 地球温暖化に二酸化炭素が大きく関与していることが大きく取り上げられるようになって久しいしいけれど、私が高校生だった昭和50年代前半には既に二酸化炭素と温暖化について論議されていました。当時はそんなことを言うと笑われましたが、今では二酸化炭素=地球温暖化。

 ハルビンの西郷ドンに送ってもらった写真から、温暖化対策になりそうな輸送手段を探してみました。

080310_2 方正県などの地方に行くとタクシーとして活躍している三輪車。モデルチェンジもあるので、デザインもなかなかしゃれています。

 昭和30年代なら日本だって三輪車がたくさんありましたが、そのほとんどが荷台を持つトラックで、稀にライトバンタイプは合ったものの、人を乗せる感覚は希薄でした。 これを乗用に利用する中国人の発想は興味深いです。

 三輪車は安定は良くありませんが、小回りが利きます。

 道が狭く、渋滞の多い東京などこういう自動車が便利だと思うのですが、日本の技術を導入すれば電気自動車にするのもたやすいことでしょう。

 2ストロークエンジンを使っているので、中国の大都市では排ガス規制にひっかかるようですが、便利なコミューターだと思います。 

080310a  なかなか無骨なサイドカー。日本ではキカイダー以降魅力的なサイドカー乗りがいません。

 小さく見えますが、横幅が広くなるのがサイドカーの難点です。サイドカー付きのハーレーなど幅が2m近いものがあります。

 側車とオートバイが直結しているリジットのサイドカーはカーブの時など独特の技術が必要ですが、側者との間にサスペンションが入っているタイプなので乗りかたもそれほど難しくありません。

080310b  風を感じながら疾走するために屋根は取り払ってオープンになっています。屋根をカットしたことで、立体駐車場にも入ります。

 荷台に乗っているのは アーバンなファッションには欠かせないヤギです。

 重い荷物を積むために後輪のタイヤがダブルタイヤになっているタイプで、シングルタイヤよりもぬかるみには強いかもしれませんし、ワイドタイヤより迫力があります。この道路では前輪のハンドルなどタイヤが滑ってしまって 舵が効かない様な気もします。

 左ハンドルなので赤坂や六本木にも行けます。丸いハンドルタイプですが、オートバイのようにバーハンドルの三輪車もあります。

 このタイプの三輪車はシャフトドライブですが、、エンジンからチェーンで駆動力を後輪に伝えている三輪車もあります。

 昔ホンダのS800がチェーンドライブを用いていたと記憶していますが、”こんな技術で駆動させていたのか!”と感心することもあります。

 この三輪車も800cc程度のエンジンを使っているのでしょうが、1tどころか車体が耐えきれる限界直前まで荷物を積んで走っています。

080310c  パワーは落ちますが、化石燃料を必要としないロバの荷車。原油相場に関係なく、草で走ります。

 有害なベンゼンも窒素酸化物も吐き出しません。排気する糞に地球温暖化を促進するメタンガスが多少ありますが、畑に散布して再利用できます。

 中国北部やウイグルなどの西域に行くとロバの荷車をよく見かけます。

 都市部では家畜に荷車を引かせて荷物を運び込むことを禁止している地域も多いので、年々見かけなくなっています。

 これで荷物を運んでくっていけるようなら地球環境に好ましいのですが、人の欲望はより多く、より早く、そしてより安くと加速していき、その結果が自分の首を絞めてしまっています。

 どこかが走り出せば一緒に走り出さなければならないのが生き残るための術なんでしょうが、時代のスピードに振り落とされる人も多いです。

 バイオマスが注目される時代になりましたが、有効な技術が広まるとロバの荷車も再び注目されるようになるかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ロシアの大統領選挙は下馬評どおりに圧倒的勝利でメドベージェフ新大統領の誕生。プーチン前大統領は首相となって残り、首相と大統領が入れ替わっただけで今までと変わらない?

 産業分野で日本とロシアとの往来は増えてきていますが、ビザ問題と言う煩わしい問題はなかなか改善されません。
 北方領土問題が解決しない限り平和条約の締結も無いので、ビザなし渡航がまだまだ将来のことですが、もっと手軽にビザ取得ができないものだろうか?
 ウラジオストク事務所では、4月から日本に来る留学生達のビザ申請書類で大忙しですが、「私たちは煩わしいビザのおかげで生活しているようなものです。」と皮肉。

 魚介類の買い付けに日本から行ったビジネスマンの通訳で、ナホトカやサハリンまで同行してきた友人が言うには「中国人のバイヤーがたくさん来ていました。競争相手が日本人だとわかると、彼らはとんでもない値段をつけます。ロシア側としては嬉しいけれど、そんなに高い魚を誰が食べるのだろう?私たちには手が出ないような値段です。」
 日本と中国が魚を物価高に引き込んでいるのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄砂

2008年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本各地に黄砂が飛来しました。春を告げる黄砂も近年の中国の環境汚染で、飛来する汚染物質のごとく扱われるようになってしまいました。
 黄砂のアルカリイオンが、中国本土から偏西風に乗ってくる酸性雨の元を中和していると言う説もありますが、どちらにしても迷惑極まりない代物です。

 日本よりも黄砂の影響を大きく受けるウラジオストク。この季節の自動車など砂埃で砂埃で真っ白になっていますし、エアクリーナーが目詰まりするなど故障の原因にもなっています。
 これから4月末までが黄砂のシーズン。中国の砂漠化を対岸の火事で眺めていられません。

 土曜日、テレビを見ていたらシャンソン歌手の三輪明宏さんと、同じく歌手で、性同一性障害であることをカミングアウトした中村中さんが出ていました。

 近年、おじさんになって芸能界に疎いこともありますが、あ!と大変なことに気がつきました。歌手の中島美嘉さんと、この日テレビに出ていた中村中さんを取り違えて記憶していました。

 以前、テレビで歌う中島美嘉さんを「彼女は本当は男性なんだよ。」とロシア人に紹介してしまいました。もちろん中島美嘉さんは正真正銘の女性ですが、「ロシアの女性よりも女性らしい。」「ロシア女性も彼に見習ってもっと女性らしくなるべきだ。」などとテレビを見ながら話題にしていました。

 日本人慣れしていない外国人に「日本人の顔はみな同じように見える」と言われたかと思えば、「ガイジンさんの顔はみな同じように見える。」と日本側に言われることも多々あります。
 特徴のつかみ方やそのポイントが異なることもあるのでしょうが、興味がなければなおさらそう見えることでしょう。
 それにしても、最近テレビに出ている若い歌手や俳優がみな同じような顔に見えるようになってきたので、気をつけなければと思っています。
 興味がないというわけではないはずですが、空港に出迎えに行って、髪型と髪の色を変えてきてきた嫁さんに気がつかなかったことがあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする