餅つきと雪かきの後遺症が出たのか?左腕が肩から上にあげられない。
朝、マイクロバスのチェーンを巻くのにスムーズに腕が伸ばせなくて難儀しました。
今日は一日スキー場の山頂の監視小屋にいたのですが、こういう時に限って助手に上がってくるのが劉に朴。大日本帝国軍って大変だったと思うんですよ。よく、こんな連中使ってあれだけの軍事行動できたもんだとしみじみ感服いたしました。漢字二文字の人をよこしてよ。
リフト降り場のステージに山積みになった雪をどかさなければならなかったのですが、リフトが動いているので危なくて彼らには作業させられない。交代でストーブで暖をとりながら乗客の監視をするよう説明して、体から湯気を出しながら山積みの雪を一人黙々と移動しました。
台湾出身の劉君が果敢に雪運びに挑むのですが、普通のゴム長靴ですから十数分で足が冷たくなって耐えきれなくなる。それでも、台中では屈指の雪かき名人になれるかもしれない。雪が重いと言うことと冷たいと言うことを肌で感じてもらえば、いい経験じゃないんっすかねぇ。
よく働いたかどうかはともかくとして、半分御褒美で今や異国の若い衆に日本式の餅を振る舞いました。
留学生は都会で暮らすことはできても、田舎の半ばサバイバルの生活はなかなか体験できないので「日本じゃないみたいですね」と楽しんでもらえました。
この春、徴兵に行く朴君のひいおじいさんは大日本帝国軍人だったそうで、もう4世代になったんですね。私の年代には父親が兵隊に行ってきたなんて珍しくもなかったのですが、ひいおじいさんの世代になりましたか。
ソウルの江南のいいところの坊ちゃんのこ洪君は親のコネがものを言い、兵役に行ってもそう悪い待遇ではないみたいですが、全羅南道の町役場職員の息子の朴君は忖度が働かず良い待遇は恵まれないみたいで、金ちゃんの所と戦争が始まれば厳しいところに飛ばされると心配していましたが、金ちゃんミサイルや兵隊が真っ先に飛んでくるのがソウルですし、どっちみち二人とも死んじゃうのだから気にするなと励ましておきました。
金ちゃん半島は陸続きですが、劉君の台湾だってわずかばかりの海峡を隔てて人民中国がある。どちらかでドンパチが始まればもう一つにも始まりそうな危ない関係。
なんて悠長なことを考えていると、こちらが先にやられたりして。
さてさて、実りない一年でしたが、来年はどうなることやら?
期待はしていないけど。