![Ecenin_2 Ecenin_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1b/15281cc927c1d2a8c4b376f47d5a5486.jpg)
Сергей Александрович ЕСЕНИН(1895.10..3-1925.12.27.)
セルゲイ・アレクサンドロビッチ・エセーニン。ロシアの農村と農民をうたった詩人です。「天国はいらない、ふるさとが欲しい」と名言を残しました。
エセーニンは数奇な人生を歩んだ詩人で、牧歌的な農村の色合いの濃い詩を生み出していた人生の半分と、ソビエト革命以降の半生の落差が極端です。
1912年にモスクワに出てきたエセーニンはさまざまな仕事をしながら詩を作り、14年にはいくつかの詩を発表しています。1915年にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグ)に移り翌年には処女詩集「招魂際」で文壇にデビューしました。
性格的には酒乱だったようで、性格破綻スレスレのタイプだったようです。ペトログラードで兵役に付きソビエト革命を迎えます。1917年の2月革命で脱走兵になりペトログラードに戻ってきます。
1922年に17歳年上のアメリカ人の舞踏家、イサドラ・ダンカンと結婚しドイツ・フランス・アメリカを旅します。イサドラ・ダンカンはモダンバレエを作り出した舞踏家と呼ばれ、「踊るヴィーナス」としてその世界では今でも著名な人物。西側ではエセーニンが「イサドラ・ダンカンの夫」と見る傾向が強いかと思います。
USA側や舞踏家たちの目線で見れば、イサドラ・ダンカンが若い飲んだくれのアル中のロシア人にひっかかったと見ています。
エセーニンはソビエトの放つ新しい理念に希望や憧れは持っていたものの、それはつまり工業化によって彼の愛していた農村文化を破壊させていくジレンマに悩んでいたそうです。キリスト教国でありながらロシア人の自然観は日本人に近いものがあり、自然に対する感性が原始的で宗教的(シャーマニズム的)な面があります。エセーニンもこうした自然観を持っている人物だったと思います。
後半の人生の中で生み出す詩は工業化にとって購買していく田園を歌ったものや、鉄の馬(鉄道)と競走して敗れる子牛の姿をうたったものなど、素朴から悲壮感へと変わって行きます。
ただでさえエキセントリックな性格にアルコールが加わり絶望感の中で著名な舞踏家のヒモのような暮らしをしていて長く続くはずもありません。1925年イサドラに見捨てられます。その年の12月27日、手首を切り、その血で最後の詩をしたため30歳の生涯を終えます。
エセーニンの詩はロシアの人々に愛され、ソビエト時代にはさまざまな歌曲となって世に出たり、たまたま聴いた曲がエセーニンの詩だったなどよくあることです。現在でも新しいポップスにエセーニンの詩が取り上げられていることもあります。
エセーニンの詩を愛するロシア女性も多いですが、そのほとんどは農村詩人と呼ばれていた初期の頃の詩を好みます。革命以降の詩にはトゲトゲした含みや、切実で悲壮な詩が多いので読んでいて心が苦しくなるそうです。
日本でロシアの詩はあまり知られていませんが、エセーニンの詩の中で比較的知られているのは「母への手紙」でしょう。ちょうど若葉が芽を出す今頃の季節の歌です。都会に出て夢破れ、帰るに帰れない後ろめたさを持った息子が母を案じて書く手紙、母親は古臭い毛皮の服を着て道で息子が帰ってくるのを待っているのではないか?
時代や国は違っても、素朴な感情は変わらないものです。
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Ты жива еще, моя старушка?
Жив и я. Привет тебе, привет!
Пусть струится над твоей избушкой
Тот вечерний несказанный свет.
おっかさん、まだ元気でいるかね?
元気だよ、ぼくも。 達者でやっとくれ、達者にね。
おっかさんの住んでるぼろ家の上に
夕暮れともなれば あの何とも言えぬ光が射すんだろう。
| Пишут мне, что ты, тая тревогу,
Загрустила шибко обо мне,
Что ты часто xодишь на дорогу
В старомодном ветxом шушуне.
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お前さん、ぼくを案ずるばっかりに ひどくふさぎこんでるというではないか、
───心配事を押し隠してさ。
時代ばなれの古めかしいシューバをひっかけ、
しょっちゅう道端まで出て来るというではないか。
| И тебе в вечернем синем мраке
Часто видится одно и то ж:
Будто кто-то мне в кабацкой драке
Саданул под сердце финский нож.
| 青いほむらの夕闇、そこで
しょっちゅうひとつことがちらつくんだろう。
居酒屋の喧嘩沙汰、そこで
誰かにグサリ胸元を刺されたとか、ね。
| Ничего, родная! Успокойся.
Это только тягостная бредь.
Не такой уж горький я пропойца,
Чтоб, тебя не видя, умереть.
| なに、たいしたことないよ、おっかさん! 心配しなさんな。
そりゃあ気おもなうわごとってもの。
そんなにひどい呑みすけじゃあなし、
お前さんに会わずに死ぬなんてこたああるもんか。
| я по-прежнему такой же нежный
И мечтаю только лишь о том,
Чтоб скорее от тоски мятежной
Воротиться в низенький наш дом.
| ぼくは昔ながらのやさしい子、
夢見ることといやあ、早いこと
この浮ついた退屈におさらばし、
匍いつくばったよなわが家に帰ること。
| я вернусь, когда раскинет ветви
По-весеннему наш белый сад.
Только ты меня уж на рассвете
Не буди, как восемь лет назад.
| 春、わが家の白い庭で 木々が枝をぐっと伸ばすころ、
ぼくは帰ってくよ。
八年前みたいに、朝早く
起こすのだけはやめとくれ。
| Не буди того, что отмечалось,
Не волнуй того, что не сбылось,-
Слишком раннюю утрату и усталость
Испытать мне в жизни привелось.
| 見果てた夢、そいつはもうよび起こさないで。
成るようにして成らなかったこと、そいつもそっとしておいて。
喪くすのも、疲れきるのも早すぎた。
そういう目にあったってこと。
| И молиться не учи меня. Не надо!
К старому возврата больше нет.
Ты одна мне помощь и отрада,
Ты одна мне несказанный свет.
| それから、お祈りはもう教えないで。 ね、もういいよ。
昔に還るすべはなし、さ。
おっかさん、あんただけが支え。 なぐさめ。
おっかさん、あんただけがあの何とも言えぬ光なんだよ。
| Так забудь же про свою тревогу,
Не грусти так шибко обо мне.
Не xоди так часто на дорогу
В старомодном ветxом шушуне.
| ね、だから、心配ごとは忘れて。
そんなにひどくふさぎこみなさんな。
しょっちゅう道端に出て来るなんてやめて。
時代ばなれの古めかしいシューバを引っかけたりして、さ。