のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

7つの社会的大罪

2010年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 「理念なき政治」
 「労働なき富」
 「良心なき快楽」
 「人格なき教育」
 「道徳なき商業」
 「人間性なき科学」
 「犠牲なき宗教」

 マハトマ・ガンジーの「7つの社会的大罪」。これを鳩山首相が施政方針演説で引き合いに出しましたが、つまりこれって自己否定をしているわけだろうか?だとしたら立派だと思うけれど、案外勘違いして目的になっていたりして。また笑いのネタを提供しているように思えてなりません。

Politics without Principle
Wealth without Work
Pleasure without Conscience
Knowledge without Character
Commerce without Morality
Science without Humanity
Worship without Sacrifice

 元の言葉はヒンドゥー語なんでしょうが、英語ではこのように表記するようです。「理念なき政治」と言うよりも「信念なき政治」のほうがいいえているようにも思えますし、「人格なき教育」より「人格なき知識・特徴のない知識」のほうが近いかもしれません。

 いづれにしても、こうした掛け声を出すということは、それらが成り立っていないことで、廊下を走る人がいるから「廊下は静かに歩く!」と張り紙があるようなもの。
 問題はどう実践するか?

 ちょっとイタズラ心でひとつずつずらしてみると、この国の現実が見えてきます。

 「犠牲なき政治」「理念なき富」「労働なき快楽」「良心なき教育」「人格なき商業」「道徳なき科学」「人間性なき宗教」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陳さん

2010年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 「陳」は中国的な姓ですが、四川や広東・福建などの南のほうに多い姓で、北京まで来るとあまり見かけない姓です。黒龍江省はじめ東北三省は山東省や河北省など北京近辺から移り住んだ人が多いので「陳」と言う姓はほとんど見かけません。

 確か、アグネス・チャンの結婚前の本名も「陳」で「陳 美齢」と言う名前だったと記憶しています。ホンコンでは良く見かける姓です。

 ハルビンでは一人だけ陳さんと言う知り合いがいました。やはり南のほうの出身で毛沢東時代にわけありでハルビンまで流れてきた人だそうです。聞き取りにくい癖のある言葉を喋るので、元々東北出身ではない事はハルビン人らすぐにわかると西郷ドンが言っていました。

 ホラ吹き陳さんと私は呼んでいましたが、漢方薬の販売をしていました。やはり胡散臭い漢方薬などはホンコン近辺からやってくるようです。説明書に書かれている漢字が簡体字ではなく繁体字で、ホンコン向けか台湾向けに作っているのかもしれません。さらに、日本語に似た言葉も書かれていますので「日本人も良く買っていくので日本語の使用説明書が入っている」と肌荒れに効く塗り薬の説明書を読めば

 「こわな 驚さ!すぐになおこ!」きっと、「これは驚き!すぐになおった!」と言いたいんだろうなと説明書を作った人の意図を汲みながらも「危なそうな薬だな」とついつい買ってしまいました。塗ってみたら、期待通りに肌荒れしました。

 オットセイのチンチンが精力剤と言うのはなどましなほうで、チベットのユキヒョウの骨だとか、雲南の毒蛇の粉とか本物かどうかもわからない変なものばかり勧めてくるので困ったもんでした。そんないかがわしいものいらないと断ると、凛とした顔になり右手の拳をグイと突き出し、なぜかここだけ日本語で「タツ!タツ!」おまえさんの興味は結局そこだけか?とあきれたものです。

 60歳過ぎて脂ぎった妙にエネルギッシュなおじさんで、南の出身を思わせる色の黒さと、てかてか光った頭がそれとなく好き物を思わせていました。

 陳さんの勧める漢方薬で身の安全がありそうなものは朝鮮人参くらいしかなく、安く分けてくれるので何回か朝鮮人参を買って帰りました。

 多様な漢方薬と太極拳で不死身の肉体を作り上げ、頭でレンガは割れる、矛で突いても突き通せない強靭な肉体、テレビに出て来る怪しげな仙人のようなおじさんで、120歳までこの世にいて人々を導いたあと、雲に乗って須弥山に昇って仙人になると申しておりました。

 2001年1月、アパートの狭い路地から大通りに自転車で出てきたところをフォルクスワーゲン・ジェッタのタクシーに跳ね飛ばされ、強靭な肉体もあえなく砕け、仙人になる60年前に死んでしまいました。中国4千年の秘儀もドイツの工業力の前には虫けらのようなものでした。

 自転車なんて世俗的なものに乗らずに雲に乗って出かければ、ドイツの工業力に殺されることもなかったのに。

 こういうおじさんだったので、中国では珍しく子供に見放され、もちろん奥さんにも見放されひとりで生活していたそうですが、あと腐れないいい死に方をしたようにも思えますし、面白い人間がいなくなって寂しくもあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エセーニン

2010年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 Ecenin_2

Сергей Александрович ЕСЕНИН(1895.10..3-1925.12.27.)

 セルゲイ・アレクサンドロビッチ・エセーニン。ロシアの農村と農民をうたった詩人です。「天国はいらない、ふるさとが欲しい」と名言を残しました。

 エセーニンは数奇な人生を歩んだ詩人で、牧歌的な農村の色合いの濃い詩を生み出していた人生の半分と、ソビエト革命以降の半生の落差が極端です。

 1912年にモスクワに出てきたエセーニンはさまざまな仕事をしながら詩を作り、14年にはいくつかの詩を発表しています。1915年にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグ)に移り翌年には処女詩集「招魂際」で文壇にデビューしました。

 性格的には酒乱だったようで、性格破綻スレスレのタイプだったようです。ペトログラードで兵役に付きソビエト革命を迎えます。1917年の2月革命で脱走兵になりペトログラードに戻ってきます。

 1922年に17歳年上のアメリカ人の舞踏家、イサドラ・ダンカンと結婚しドイツ・フランス・アメリカを旅します。イサドラ・ダンカンはモダンバレエを作り出した舞踏家と呼ばれ、「踊るヴィーナス」としてその世界では今でも著名な人物。西側ではエセーニンが「イサドラ・ダンカンの夫」と見る傾向が強いかと思います。

 USA側や舞踏家たちの目線で見れば、イサドラ・ダンカンが若い飲んだくれのアル中のロシア人にひっかかったと見ています。

 エセーニンはソビエトの放つ新しい理念に希望や憧れは持っていたものの、それはつまり工業化によって彼の愛していた農村文化を破壊させていくジレンマに悩んでいたそうです。キリスト教国でありながらロシア人の自然観は日本人に近いものがあり、自然に対する感性が原始的で宗教的(シャーマニズム的)な面があります。エセーニンもこうした自然観を持っている人物だったと思います。

 後半の人生の中で生み出す詩は工業化にとって購買していく田園を歌ったものや、鉄の馬(鉄道)と競走して敗れる子牛の姿をうたったものなど、素朴から悲壮感へと変わって行きます。

 ただでさえエキセントリックな性格にアルコールが加わり絶望感の中で著名な舞踏家のヒモのような暮らしをしていて長く続くはずもありません。1925年イサドラに見捨てられます。その年の12月27日、手首を切り、その血で最後の詩をしたため30歳の生涯を終えます。

 エセーニンの詩はロシアの人々に愛され、ソビエト時代にはさまざまな歌曲となって世に出たり、たまたま聴いた曲がエセーニンの詩だったなどよくあることです。現在でも新しいポップスにエセーニンの詩が取り上げられていることもあります。

 エセーニンの詩を愛するロシア女性も多いですが、そのほとんどは農村詩人と呼ばれていた初期の頃の詩を好みます。革命以降の詩にはトゲトゲした含みや、切実で悲壮な詩が多いので読んでいて心が苦しくなるそうです。

 日本でロシアの詩はあまり知られていませんが、エセーニンの詩の中で比較的知られているのは「母への手紙」でしょう。ちょうど若葉が芽を出す今頃の季節の歌です。都会に出て夢破れ、帰るに帰れない後ろめたさを持った息子が母を案じて書く手紙、母親は古臭い毛皮の服を着て道で息子が帰ってくるのを待っているのではないか?

 時代や国は違っても、素朴な感情は変わらないものです。

 

 Ты жива еще, моя старушка?
Жив и я. Привет тебе, привет!
Пусть струится над твоей избушкой
Тот вечерний несказанный свет.

 おっかさん、まだ元気でいるかね?
 元気だよ、ぼくも。 達者でやっとくれ、達者にね。
 おっかさんの住んでるぼろ家の上に
 夕暮れともなれば あの何とも言えぬ光が射すんだろう。

Пишут мне, что ты, тая тревогу,
Загрустила шибко обо мне,
Что ты часто xодишь на дорогу
В старомодном ветxом шушуне.  

 お前さん、ぼくを案ずるばっかりに ひどくふさぎこんでるというではないか、
 ───心配事を押し隠してさ。
 時代ばなれの古めかしいシューバをひっかけ、
 しょっちゅう道端まで出て来るというではないか。

И тебе в вечернем синем мраке
Часто видится одно и то ж:
Будто кто-то мне в кабацкой драке
Саданул под сердце финский нож.

 青いほむらの夕闇、そこで
 しょっちゅうひとつことがちらつくんだろう。
 居酒屋の喧嘩沙汰、そこで
 誰かにグサリ胸元を刺されたとか、ね。

Ничего, родная! Успокойся.
Это только тягостная бредь.
Не такой уж горький я пропойца,
Чтоб, тебя не видя, умереть.

 なに、たいしたことないよ、おっかさん! 心配しなさんな。
 そりゃあ気おもなうわごとってもの。
 そんなにひどい呑みすけじゃあなし、
 お前さんに会わずに死ぬなんてこたああるもんか。

я по-прежнему такой же нежный
И мечтаю только лишь о том,
Чтоб скорее от тоски мятежной
Воротиться в низенький наш дом.

 ぼくは昔ながらのやさしい子、
 夢見ることといやあ、早いこと
 この浮ついた退屈におさらばし、
 匍いつくばったよなわが家に帰ること。

я вернусь, когда раскинет ветви
По-весеннему наш белый сад.
Только ты меня уж на рассвете
Не буди, как восемь лет назад.

 春、わが家の白い庭で 木々が枝をぐっと伸ばすころ、
 ぼくは帰ってくよ。
 八年前みたいに、朝早く
 起こすのだけはやめとくれ。

Не буди того, что отмечалось,
Не волнуй того, что не сбылось,-
Слишком раннюю утрату и усталость
Испытать мне в жизни привелось.

 見果てた夢、そいつはもうよび起こさないで。
 成るようにして成らなかったこと、そいつもそっとしておいて。
 喪くすのも、疲れきるのも早すぎた。
 そういう目にあったってこと。 И молиться не учи меня. Не надо!
К старому возврата больше нет.
Ты одна мне помощь и отрада,
Ты одна мне несказанный свет.

 それから、お祈りはもう教えないで。 ね、もういいよ。
 昔に還るすべはなし、さ。
 おっかさん、あんただけが支え。 なぐさめ。
 おっかさん、あんただけがあの何とも言えぬ光なんだよ。

Так забудь же про свою тревогу,
Не грусти так шибко обо мне.
Не xоди так часто на дорогу
В старомодном ветxом шушуне.

 ね、だから、心配ごとは忘れて。
 そんなにひどくふさぎこみなさんな。
 しょっちゅう道端に出て来るなんてやめて。
 時代ばなれの古めかしいシューバを引っかけたりして、さ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同情するなら金をくれ

2010年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 大地震に見舞われたハイチですが、15万人を超える死者が出ているとか、それ以上だとか情報が飛び交っていますが、これ以上数えても意味がないとハイチ政府は被災者の計上をやめてしまったようです。現実、政府そのものも被災して、国の要人が何人も亡くなっている無政府状態です。

 暴徒化した住民が被災支援の物資を積んだトラックを襲撃・略奪する事件が勃発しているようで、今のハイチはおよそ我々日本人が想像できない「混沌」になっているようです。

 ハイチの歴史は世界で最初に独立した黒人共和国と中学の頃教わったおぼえがありますが、その内容は調べるにつけ血なまぐさいもので、いわば奴隷の反乱。
 それまで統治していたフランスなどの白人は逃げ出し、「やりたきゃ勝手にやれ」で独立国になったわけですが、自由を手に入れた反面秩序を手放してしまったがため、無計画な森林伐採で国土は禿山。同じ島で隣接するドミニカとは異なる荒涼とした土地になってしまったようです。

 日本も自衛隊を派遣するようですが、はたして、秩序のない人たちの輪に規制で縛られた自衛隊を派遣して安全かどうか?気になります。「人道」に盲目的になると思わぬしっぺがえしがありそうです。
 案外、こうした人たちに対して「秩序」の認識が薄い中国の人民解放軍のほうが扱いが長けているかもしれません。

 「ハイチに被災者に千羽鶴を」なんて「自己満足」を押し売りする人たちもいるようで、食えるか食えないかが生き死にを分ける状態の時に千羽鶴を送られても、豊かな気持ちになるどころか、「人を馬鹿にしているのか?」と反感をかいかねません。こういうことに無神経なのが日本人。日本人の現実を無視した無責任な甘さが結構嫌われます。
 マリー・アントワネットではありませんが、国民が「パンを食べるにも事欠いている」事態の時に「パンがなければケーキを食べればいいのに。」決して悪気があって言った事ではないのでしょうが、「思慮深い」ことは安っぽい同情とはわけは違います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カニ

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 カニを食べないので、あまり気にしていなかったのですが、毎年冬になると鮮魚センターで見かけるカニの数が大幅に減ったような感じがしました。
 このところ低気圧が幅を利かせて海も荒れていたことでしょうが、それにしてもカニの数が少ない。
 茹でたカニの真っ赤な色に活気さえ感じたものですが、やっぱり不景気でカニが売れないのだろうか?

100126b  極東ロシアにとってカニの大量消費地日本はお得意様。日本へのカニの輸出で財をなしたカニマフィアさえいる土地。
 ロシアはカニが安い。とウラジオストクを訪れる日本人は期待しているようですが、よい品物は輸出に回してしまい、身のたっぷり入った良質なカニが少ないので、決して安いとは言えないようです。

 活気のない日本より巨大なブラックホール中国のほうがいまや重要取引先になっているようで、ナホトカやウラジオストクから大量のカニが中国に送られているようです。

 以前、ハルビンで海鮮料理のレストランに食事に行った時に、牡丹江のお医者さんがメニューのカニを見つけて「これがおいしいのよ。是非食べましょう。」と注文しました。内陸のハルビンですから海のカニなど初めて見る人も多く、このお医者さんが食べ方を説明していました。
 カニミソの食べ方まで知っていたので、よくカニを食べるのですか?と聞くと「いいえ、今日初めて食べるんです。本で読んだ知識だけなんです。」と笑っていたのが印象的でした。
 私はカニが嫌いなので手をつけなかったのですが、「日本人はカニを食べないのですか?」
 私が日本人の代表、日本の全てと思われても困るので、私がカニの匂いが嫌いで食べられない極少数派の日本人で、大方の日本人はカニが大好きですよと答えました。

 元々カニなんてぜいたく品で、めったに食べられるものではないはずですが、手軽に手に入った一頃の日本が異常だっただけの事と思うと、カニを見かけなくなっても納得いくもので、潰瘍資源がとやかく言われる時代ですから、遠からずマグロなんかも貴重になることでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 スキーヤーとしてヘリで山に登ってスキーで降りてきたことはありますが、山屋として足で歩いて山に登ってヘリで降りてきたことはありません。

 日曜日、長野県の氷壁で山岳会の若い衆が滑落し、足を複雑骨折して県警のヘリで救出されたそうで、そんなことちっとも知らずに昨日は八海山で快適に遊んでいました。一夜明けたら今日は猛吹雪。

 山岳会のたまり場に行ったらシュラフやテントが広げられて陰干しされていたので、だらしねえなと思ったら滑落事故があったことを知らされました。

 事故の話をきいたら、クライマーにはなれても山屋になれなかったがゆえの事故だったみたいで、安全確保に問題があったようです。アイスバイルと体を結ぶ工夫が何もなされていなかったがために、手が離れたことで滑落の憂き目にあったようです。

 「個人のスタイルの問題ですから」と言う意見もあったが、どんな惨めな姿で登ろうが落ちたらアウトが山屋の基本。実際、長野県警のヘリが出動しています。これが民間のヘリだったら何十万円請求されたか?ヘリがいけない場所だったら?

 部分的なテクニックは向上しても、基本的なことがないがしろになっていることは常々感じていましたが、こういう事故をきっかけに「どげんかせんといかん。」しっかり総括すべきでしょう。

 大学や高校の山岳部上がりが入ってきた時代と違い、まったくの素人が若さと体力でただ単に登っている昨今。基礎をしっかり見につけさせるために出陣をと期待している重鎮がいるのですが、このパーティーを率いていたのがこの重鎮。

100126 2月号が出たからもういいかな?2010年度版の岳人1月号。特集の「雪崩に遭うということ」は参考になりました。雪崩から奇跡の生還をした人たちの体験談ですが、なぜかこの重鎮もインタビューを受け、岳沢の雪崩で足を骨折してヘリで降りてきた体験談が出ています。以後どこに行くにも「帰りはヘリで降りてくるの?」と不名誉な事故でした。

 面白いのは雪崩にあった人全てが「危ない」とうすうすわかっていはいたけど、パーティの仲間に対して言い出せず迷っているうちにドカーンと押し飛ばされている体験談。お互いが「相手はやる気になっている」と気兼ねして言い出せない。人と人との駆け引きの迷いが自然との駆け引きの足かせになっている。

 確かに私も同様の「言い出しにくい」雰囲気を感じたことがありますが、それが嫌な事もあって単独で山に行くようになり、行動範囲は狭くなりますが、余計な駆け引きが一つ減る。

 記事を書いたのは自らの雪崩経験でこの企画を思いついた角幡唯介氏。体験談を話してくれたのが清野啓介、太田幸介、佐藤祐介。みんな名前に「介」がついています。しかもよく見ると「介」の字は山から雪崩が落ちてくるようなイメージの字です。雪崩を呼ぶ名前なんだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スノーシュー

2010年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

100125a  スノーシュー、つまり西洋カンジキ。

 こんな物が山で使えるか?と馬鹿にしていましたが使ってみると霊験あらたか。日本のカンジキよりも大きい分、巨体の私でも雪に埋もれない。

 使ってみると面白いので、借り物のスノーシューを連日酷使しています。

 日本のカンジキより優れているところもあるものの、難点がないわけではなく、こんな大きなものを履いて屋根の雪落としはできません。

 さらに、平坦地は快適でも傾斜に弱い。特に横の傾斜には弱く、一応雪に噛み付くクランポンらしきものがついていますが、横滑りして流れ出します。

 雪山でどのくらい使えるものか?八海山に行きテストしてきました。午後から天候が崩れそうなので、計画はロープウェイでのぼり千本桧の小屋まで、タイムリミットは11:30分で引き返す。

 小屋までは無理だろうなと思ったら、前日の日曜に登山者が多数入ったようで、快適なトレースができていました。スノーシューを脱いでアイゼンをつけて雪道を歩いて思い出したのが山岳保険のこと。

 登山スタイルの違いではなく掛け金の安さからハイカー用の保険に入っていたので、ザイルやアイゼンを使った登山に対しては保険がおりません。保険のためには安全性を犠牲にせねば?万一の時はアイゼンを脱いでから息絶えようと、てこてこ雪道を歩きました。

 千本桧小屋直下の鎖場はどうせまた戻ってくるのだからと、ザックを置き、アイゼン、ピッケルだけ持って小屋まで登り、数分休憩してから戻り、ザックから99cmのスキーを出して登ってきた道を降りてきました。

 こんなことならシールを張った山スキーでも良かったと後悔しましたが、短い不安定なスキーでオフピステを滑るのも面白いもので、柔らかい雪では埋まってしまって滑れたものではありません。滑走すると言うより、ペンギンのように走りながらスキー場まで降りてきました。

 整備されたピステなら短いスキーでもそこそこ快適に滑れます。午後2時前には駐車場まで降りてしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バカなのだ

2010年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 「バカは死ななきゃ治らない」と言いますが、やはり、バカは死んでもバカのままで、バカとして語り継がれるものです。

 進化の上で「現象」としての「馬鹿」は必要悪のようなもので、時として人様と違うバカの発想が時代の難局を乗り越えることもあるので、天はバカを世に送り出すものですが、大方のバカはバカのまま世に必要とされることもなく果てていきます。

 小利巧な小者ばかり増えて閉塞感漂う日本。平凡な天才よりも非凡な奇人!バカの奇抜な発想が時代を変えてくれるのではなかろうか?と期待していますが、時代を変えるバカがなかなか現れない。

 鳩山さんねぇ、平凡なバカのまま終わりそうな気がします。まともな人間ではないジャンルでは同じ分野に入るエリツィンやカダフィーなど前向きなバカは良かれ悪しかれ時代を切り開きますが、ただ存在しているだけのバカは何も生み出さない。淘汰されるだけ。

 思い切った決断なんてバカにならなきゃ下せないものですが、その決断もできず己がバカの認識もなくフワリフワリと漂う肥大化した越前クラゲみたいな連中が幅をきかせるご時世ですな。

 残りの人生を考えると、私もバカのまま終わるのでしょうが、語り継がれるバカになれればよいほうで、忘れ去られるバカで終わるのも悲しい。

 ここは一つ何か大きな馬鹿なことをやらかそう!と思っているのですが、日ごろ反社会的な悪人的生き方をしていると、社会貢献したことが「馬鹿なことをやらかした」と評価されるのですから、悪も住みにくいご時世です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代替エネルギー

2010年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 ストーブの灯油を買いに行ったら先月よりも値段が上がっていました。
 デフレと言われていますが、生活必需品だけは値段が上がっているような思いもします。

 ガソリン税の暫定税率にしても引き下げどころか、販売価格が160円を越えたら見直すと政府がリッター160円まで値上げしていいよとお墨付きを与えたようなもので、流通の価格にも影響してきそうです。

 1970年代のオイルショックの時、産油国のソビエトは日本をターゲットに石油の増産準備をしたものの、日本が省エネに成功して消費量が収まったために設備投資を回収できなくなり、これがソビエト崩壊を早めたとも言われていますが、今は飲めば飲むほど強くなる酔拳のようなブラックホール、中国が相手ですから消費量が落ち込み供給過多になる懸念もありません。

 なんだかんだと迷走しながらも、いち早く石油中心からエネルギー転換をするのは日本だと思いますが、今朝、太陽光発電の勧誘の電話がありました。太陽光発電は大いに歓迎していますが、雪国に住んでいると屋根の雪をどうするのか?そっちのほうが気になります。雪にはどうなるんでしょうね?と聞くと、電話の勧誘のオバサンは「そちらは雪が多いところですか?・・・調べなおしてまいります。」と電話を切ってしまいました。

 夏なら屋根の上に太陽光発電を乗せても十分機能しますが、屋根が雪に覆われる冬はちょっと役にたちそうもありません。その代わり、山の上には吹雪の強風が飛び交っていますので、風力発電が使えます。それこそ風の向くままなので、安定供給というには問題がありますが、冬の地域暖房程度には使えるのではないでしょうか?

 世界屈指の火山大国日本。インドネシアに次ぐ火山の数だと聞いています。竹下内閣のふるさと創生の一億円では何とかの一つ覚えのごとく各自治体が温泉堀に熱中し、結果、温泉文化を崩壊させましたが、この温泉を生み出す地下資源を風呂だけに使うのももったいない。地熱発電など有効な次世代エネルギーだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おぢさん

2010年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 スキー場にアルバイトに来ている20代後半のおねえちゃんの人生相談にのってしまいました。最近の「草食系男子」に不満たらたらで、一生懸命「女」を磨いているのにぜんぜん相手にされないと憤懣やるかたないようです。30歳を目前にしてあせりもあると言っていましたが、某山岳会の30代女性陣などそんなあせりもなく、気楽に好きなことをやっています。家庭に向く人向かない人で分別すれば後者のほうですから、家庭を持たないほうが幸せなタイプだと思います。

 件のおねえちゃん。押しが強すぎて男が引いてしまい気もしますが、確かに最近の若い男性は「君子危うきに近寄らず」の風潮が感じられますが、「恋愛上手」と「無責任」はある意味セットなので、むしろ責任感があるのか?と思えもします。

 「私のどこが足りない?」と生ビールあおりながら言うので、人には「なくて七癖」と言って少ない人でも七つは悪いところがあるものだと諭しました。まったく欠点のない人など何の面白みもない。時として欠点がチャーミングポイントの場ありもあるものです。

 君の場合は容姿と性格と酒癖以外はこれといった欠点がないな。この三つだけだと思うよ。と言うと。

 「そうか、私の場合は欠点が少なすぎて魅力がなかったのか。」と妙に浮かれていました。4つ目は「頭」です。

 最近「おぢさん」と言われて腹も立たなくなってきましたし、20代女性に人生相談を持ちかけられるようになり、見る角度を変えると「危険な男性」のジャンルから外れているわけです。

 「人格」のなせる技と喜ぶべきか、おねえちゃんたちの恋愛対象からはずされていると現実を直視すべきか・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二重窓

2010年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から雨でしたが、夕方から急激に冷え込み霧氷のような景色が見られるかな?と期待していましたが、見ることができませんでした。

 このところ湿度が屋内の下がって、寝て起きると喉がからからになるので、ストーブの上に水を張った鍋を乗せて、加湿しています。
 感想と言えば、冬のウラジオストクのホテルやアパート。暖房がバッチリなので、屋内では半袖で過ごせるほど温かいのですが、カラカラに乾燥しています。夜寝る前に濡れたバスタオルをスチーム暖房の上にかけて寝ますが、朝になるとバスタオルがすっかり乾いています。

 寒冷地なので、窓は二重窓で外の寒さをさえぎっていますが、換気のために窓を開けようとすると、外気にさらされている外側の窓が開かないことはしばしばあります。外側の窓と部屋側の窓の間には拳が一つはいるくらいのスペースがありますが、このスペースが冷蔵・冷凍庫として活用できます。

 ハルビンのホテルに泊まったときのことですが、冷蔵庫がない部屋でした。外でコーラを買ってきて二重窓の間において冷やしていましたが、そのことを忘れて外出してしまいました。部屋に戻って気がついたときには、ペットボトルがガチガチに凍り付いていました。
 寝る時にスチーム暖房のそばにおいて寝ましたが、朝起きるとペットボトルが破れて部屋中コーラくさくなっていたことがありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウサギ・キツネ

2010年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は大寒でしたが、温かい一日でした。また気圧配置が冬型に戻りそうなので、つかの間の温かさかもしれません。

 夜、ウラジオストクの友人に電話をしたら、「今日は暖かかったよ。昼間でマイナス10度くらいかな?」

 今は冬次官ですが、日本より1時間時計が進んでいるので、ウラジオストクの午前7時は日本の午前6時。まだ夜明け前です。日が長くなってきているものの、緯度も高く日本より西なので、今の季節は向こうの時間で午前8時を過ぎないと明るくなりません。
 通勤時間と言えばまだ夜明け前。毛皮の長いコートを着た人たちが夜明け前に寡黙にぞろぞろ歩いている光景はユーリ・ノルシュテインのアニメのようでもあります。

 この2日間、中国人のスキーツアーのお供をしました。ハルビン郊外にはスキー場があり、ハルビンが冬季オリンピック候補を目指したこともありましたが、やってきたのは香港からの一行。スキーどころか、雪を見たこともない人たちが大半。広東語件ですが、幸い英語が達者な香港人。
 たまたま昨日の午後から今日まで気温が高かったので、驚くような寒さでもなく雪遊びを楽しんでくれました。

 雪の上にウサギの足跡とキツネの足跡が残っていて、私たちには珍しくもないありきたりの光景ですが、彼らには感動的な光景だったらしく記念写真を撮っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪崩

2010年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところの積雪で沢筋に表層雪崩が起きる現場を目にしました。小規模でしたがかなり速いスピードで雪煙が下っていきました。人が行けるような沢ではありませんが、気がついてから逃げても手遅れだなとその速度を実感できました。

100118l 雪と傾斜があれば雪崩はどこでも起きるものですが、国道を走っていたら石垣に付着した雪(雪庇)が幅2-3m、高さ5-6mに渡って崩れて落ちていました。これも一種の雪崩で、崩れた雪の量にすれば4tダンプ一杯分程度でしょうが、直下に人がいれば十分殺傷力があります。

 若かりし頃、スキー場のパトロールの仕事をしていたとき、雪が降った朝には「雪庇落とし」と言う作業がありました。

 風で斜面についた雪庇をスキーで横切って意図的に雪崩を起こす作業ですが、前日に溶けた雪が凍結してその上に軽い新雪が積もったときなど心地よいほど表層雪崩が起きます。

 パトロール隊員が一列に連なって雪庇を横切って雪崩を起こすのですからタイミングが悪いとそこに巻き込まれることもしばしばあります。私の前を走っている隊員がドサっと崩れてきた雪にのしかかられ姿が見えなくなり、私自身も腰まで雪に埋もれて動けなくなったことがあります。私は何とか自力脱出できましたが、雪に埋まって頭から上がやっと出ている状態の隊員は身動きがとれず、すぐに別の隊員が掘り起こして助け出しました。

 以前、テレビでアラスカやのスキー場の雪庇落しの光景を見たことがあります。早朝、雪崩がおきそうな斜面に向かって大砲を打ち込み、雪を落としてしまう荒っぽい手法です。「人命」を考えればこちらのほうが安全だと思ったものです。

 地震と同様、雪崩も「起きる」と言う予測はできても、いつどのタイミングで起きるかは定かではなく、起きてから「雪崩が出てしかるべきだった」と言う結論に達するのが毎度のこと。起きなくて幸いだったという状況は多々あります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災

2010年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、ドミニカ人のミーア君から電話がありました。永住権を持ち日本に住んでいる彼は地震の影響はありませんが、ドミニカに住む彼の友人や親族も地震の影響なく過ごしているようです。ドミニカと言えば大地震があったハイチと同じ島にある国ですが、小さな島で国境があるということは当然中が悪い。子供の頃、悪いことをすると「ハイチに連れて行くよ。」と言われて育ったミーア君。ハイチは恐ろしい隣国と考えています。

 ハイチと言えばゾンビの国。地震でも起きれば墓の中からゾンビが一斉に飛び出してきて大変なことになると冗談を言っていたことがありましたが、現実に地震が起きました。

 ハイチの地震直後真っ先にUSAと中国が救援部隊派遣を発表しましたが、ミーア君が言うには、「アメリカの目的は救援を理由に民主主義の押し付けでしょうね。中国はそのまま居残って中国人の移民をするんじゃないかな?どちらにしても、まともな国はすぐに救援を名乗り出ていないでしょう。日本は慎重で正解だと思うよ。」
 国を挙げて麻薬作りをしていると言ううわさもあり、米国は救援ついでに麻薬組織の実態調査でもするのでしょう。利にあざとい中国は麻薬販売組織作りなどやらかしそうです。そこに鳩山総理が何億ドルかの資金援助なんてぶち上げて日本国民の税金が消えていく。世界不況ゆえ、復興ビジネスに各国が虎視眈々とハイチを狙っている気もしますが、相手はゾンビですからどうなることやら?一筋縄ではいかないこと請け合い?

 神戸の震災から今日で15年。多数の犠牲者が出たことは残念ですが、あの大規模な震災で世界的な目線からすれば画期的に少なかったと言えるかもしれません。何より、震災後の被災者の秩序や冷静な行動など特筆すべきものだと思います。
 いざと言う時に道を踏み外さない。極限状態での日本人の精神力の強さには自信を持っていますが、考えてみると、日本は地震、大雨、など自然災害が多い国です。いざと言うときの団結力。案外こうした自然の猛威で生き残るために日本人特有の精神構造が養われたような思いもします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷雪蔡

2010年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

100116b  毎年冬になるとハルビン恒例の氷雪祭が開催されますが、年々豪華になっています。

 夜になると氷点下30度40度に気温が下がるので、デジカメが動かなくなる寒さです。

 2001年の冬に行った時に持って行ったコダックのデジカメなど、この旅から帰ってきてから調子が悪くなってしまいました。

 町全体が氷や雪のモニュメントで覆われますが、松花江の川の上がメイン会場で、入場料を支払って中に入り、一番の楽しみは温かいコーヒーを飲むこと。やけどするほど熱いコーヒーですが、すぐに冷えるので、このタイミングを見計らって飲むのがまた面白いです。

 そういえば、この年の氷祭りには北朝鮮と思われる軍服姿の一団が来ていて、一言も発せず顔色一つ変えないで氷の滑り台で遊んでいました。30mほどの滑り台でしたが、一列に並んだ軍服姿の若者が、順番に滑り台をすべり、下に下りると駆け足で坂を上って順番待ちの列に並ぶ。軍事訓練の一環なんだろうか?娯楽の一環だろうか?何しろ表情がないのでわからない。異様な光景でした。割り込み大好きで順番に並ぶことができない中国人よりは統制が取れていることはわかりました。

100116  氷の壁から太いロープが下がっていて、要はただ単にそのロープを腕力便りに氷の壁を登るだけなんですが、それなら別に氷でなくったっていいじゃないか。と歪んで眺めてしまうのでは山屋の悪いところ。

 アイゼンにアイスクライミング用のバイル二本あれば、クライミングが苦手なアル中の詩人でも簡単に登れるグレード。ここでいきがってもしょうがないけど、何しろ昨今の登山は道具が良くなっていますから。

 話の種に私もロープを手繰って登ってみましたが、腕が疲れて冗談抜きに大変でした。

100116a  中国人の凄みを感じるのはこうした美しいモニュメントの裏に行った時で、人気の少ない場所から異様な匂いが・・・。小便の匂いです。確かに仮設トイレもすくな勝手けど、建物の影でモニュメントに向けて平気で小便たれやがるんですね。まあ、孫悟空なんかお釈迦さも指に落書きして小便たれていたのですから。

 近年、日本でこうしたイベントで見かけることが少なくなった「アベック」もしくは「カップル」と呼ばれる発情期を迎えた男女。少子化を叫びつつも中国ではまだ健在です。小便臭い建造物を背景に多数のカップルが記念写真を撮っています。

100116c  ちなみに夏の松花江この川全体が会場になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする