のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

野風増

2009年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 久々に会った同級生は20歳になった息子と飲みに行き、酔いつぶれて背負われて帰ってきたと嬉しそうにその情けない話を語ってくれました。
 残念ながら私には20歳に息子と一杯飲むという希望は持てないので、うらやましいと言うよりも、そのことで喜んでいる友の顔が嬉しかったです。

  河島英五さんの名作に「野風増」と言う歌があります。

  河島さんは8年前に娘さんの結婚式の後、肝臓疾患で急逝しました。48歳でした。

 ウラジオストクの友人など20歳になった息子と女の取り合いして「僕のほうが息子よりもてます」と自慢していた困ったおじさんがいます。

 色恋沙汰も面白いもので、20年も遡ればどうやって「親の目を盗んで」が課題だったのに、歳月がたてば立場が逆転して自分たちが子供の恋愛の壁になっている。この歳になって思うに、親たちは全てお見通しだったのでしょう。
 年々加速度的に歳を重ねるので、ほどなく「息子に嫁が来ない」「娘が嫁に行く気がない」などと語る世代になるのでしょうが、その先は???老後の世界も遠くない?

 高齢者にも定義があるのだそうで、WHO(世界保健機関)では65歳以上74歳までを「前期高齢者」、75歳から84歳までが「後期高齢者」、85歳から「末期高齢者」と定義付けしています。
 平均寿命の長い日本では5歳から10歳かさ上げしてもよさそうですが、20歳になった孫と一杯やるのも当たり前の長寿の時代です。その分晩婚化や非婚率も高くなっているので、わが子と盃を交わすことが贅沢な家庭の特権であることには、今も昔も変わりがないのかもしれません。

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運ぶ

2009年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 経営不振に落ちいているUSAのGMをはじめ、日本の自動車メーカーも不況のあおりを食って、産業そのものがおかしくなっています。

 優秀な日本車を支えている部品工場も休業に追い込まれた会社もあります。案外こうしたピンチのドアサクサに海外で作った部品でコストダウン査証なんて考えているのでは?日本製の部品を海外で組み立てて、日本メーカーのブランドネームで出すのはまだ許せますが、その逆と言うのはいただけません。

 模倣物まねは日本が得意としてきた分野ですが、オリジナルよりよい偽者を作れたのが日本の凄みです。近年のコピー大国は似た様に見える物を作ると言うだけのこと。

 されど、中国にも面白いオリジナリティーがあるのだから、もっと自分たちの開発力に注目しても良いのではないでしょうか?

090226  方正県などの地方に行くとタクシーとして活躍している三輪車。モデルチェンジもあるので、デザインもなかなかしゃれています。

 昭和30年代なら日本だって三輪車がたくさんありましたが、そのほとんどが荷台を持つトラックで、稀にライトバンタイプは合ったものの、人を乗せる感覚は希薄でした。 これを乗用に利用する中国人の発想は興味深いです。

 三輪車は安定は良くありませんが、小回りが利きます。

 道が狭く、渋滞の多い東京などこういう自動車が便利だと思うのですが、日本の技術を導入すれば電気自動車にするのもたやすいことでしょう。

090226a 小さく見えますが、横幅が広くなるのがサイドカーの難点です。サイドカー付きのハーレーなど幅が2m近いものがあります。

 側車とオートバイが直結しているリジットのサイドカーはカーブの時など独特の技術が必要ですが、側者との間にサスペンションが入っているタイプなので乗りかたもそれほど難しくありません。

090226b  風を感じながら疾走するために屋根は取り払ってオープンになっています。荷台に乗っているのは アーバンなファッションには欠かせないヤギです。

 重い荷物を積むために後輪のタイヤがダブルタイヤになっているタイプで、シングルタイヤよりもぬかるみには強いかもしれませんし、ワイドタイヤより迫力があります。この道路では前輪のハンドルなどタイヤが滑ってしまって 舵が効かない様な気もします。

 左ハンドルなので赤坂や六本木にも行けます。丸いハンドルタイプですが、オートバイのようにバーハンドルの三輪車もあります。

 このタイプの三輪車はシャフトドライブですが、、エンジンからチェーンで駆動力を後輪に伝えている三輪車もあります。

 昔ホンダのS800がチェーンドライブを用いていたと記憶していますが、”こんな技術で駆動させていたのか!”と感心することもあります。

 この三輪車も800cc程度のエンジンを使っているのでしょうが、1tどころか車体が耐えきれる限界直前まで荷物を積んで走っています。

090226c パワーは落ちますが、化石燃料を必要としないロバの荷車。原油相場に関係なく、草で走ります。

 有害なベンゼンも窒素酸化物も吐き出しません。排気する糞に地球温暖化を促進するメタンガスが多少ありますが、畑に散布して再利用できます。

 中国北部やウイグルなどの西域に行くとロバの荷車をよく見かけます。

 都市部では家畜に荷車を引かせて荷物を運び込むことを禁止している地域も多いので、年々見かけなくなっています。

 これで荷物を運んでくっていけるようなら地球環境に好ましいのですが、人の欲望はより多く、より早く、そしてより安くと加速していき、その結果が自分の首を絞めてしまっています。

 どこかが走り出せば一緒に走り出さなければならないのが生き残るための術なんでしょうが、時代のスピードに振り落とされる人も多いです。

 バイオマスが注目される時代になりましたが、有効な技術が広まるとロバの荷車も再び注目されるようになるかもしれません。

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シリアの社長が

2009年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 シリアの社長が「日本人にも無能な人間がいるとは思っていたが・・・」と悔しそうに語ったのは、彼が商取引に行った先で、どうにもこうにも話にならない日本人に出会ったことで、まだ若いのに理解力も乏しければやる気もない。あまりの腹立たしさに名前を覚えてしまったそうです。日本人の名前は難しくておぼえにくいが、このたびは無能なあまりにその名前を忘れようにも忘れられないと怒っていました。
 日本の失業率の高さを聞いて、有能な人材がいたらスカウトしたいと考えていたようですが、「こんな無能な人間が残っていることが不思議だ」とぼやいていました。

 かつてソビエトが日本侵略を考えていた時代、一番の目的は質の高い日本人労働者だったと聞いたことがあります。もしかしたら、シリアの日本制服の陰謀を阻止した無能日本人だったのかもしれません。 

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おくりびと

2009年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の映画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞!久し振りに嬉しいニュースだと喜んでいます。それにしても、カンヌやベネチアならまだしも、商業主義一辺倒のアメリカ映画界が、よく選んでくれたものだと、オバマ大統領の言う「変化」をも感じさせます。

090224  「なに?なに?あの自動車なに?お城?忍者の自動車?」日本人には馴染みでも、外人さんには見慣れぬ自動車が・・・。
 しかも、悪趣味とも言えるほどギンギンギラギラの金色の自動車。これでもか!と飾り立てた彫り物。「クラシーバ~(美しい~)」とうっとり眺めるロシア人。

  四輪駆動が絶対条件の群馬県北部山沿い方面では、霊柩車はキャラバンやハイエースのワンボックスカーが当たり前。スバルサンバーなど、軽自動車の霊柩車もあります。こうしたデコレーションを施した霊柩車など日陰で雪が溶けない火葬場まで上っていくこともままなりません。

 霊柩車が一般化したのは平成になってからで、それまではワンボックスやバンを持っている人が自動車を出してくれたり、軽トラで運んだこともありました。
 
 田舎の葬式は大仕事です。葬儀となると近所の組み内が集まって、農協などから祭壇などを借りてきて、設計図を見ながら組み立てたり、行列に必要な飾りつけも自分たちで作ったものですが、近年はこうした用具は葬儀会社が用意してくれます。

 1999年だったと思いますが、私のすむ組で5ヶ月の間に6件の葬式を出した年がありました。この頃はまだ葬儀会社への依存度が低かったので、花かごや龍頭など自分たちで作りましたが、さすがに手順を覚えました。私なんか法話まで憶えてしまいました。
 一週間で2件の葬式が出たときは、これ以上続かないように棺桶に藁人形を入れました。現世の人の変わりに藁人形を連れて行ってもらうという意味なんですが、こんな風習もあったんだ?と年配の知恵に感心したものです。

 葬式のお告げは男性が二人で行くのが決まりで、ほとんどは電話で済ませますが、近所や村内は葬儀の日取りなどを書いた紙を持って回ります。不在の時はお告げの紙を置いてくるのですが、だいたい葬儀に呼ばれる家は付き合いがあった家なので、長患いしていたのか?どんな死に方をしたのか?など聞かれることも多いものです。
 県議会議員の選挙の最中にお告げに行ったことがありましたが、選挙運動に来た応援要員と勘違いされて、いきなり「ハイハイ、応援してるからね。」とあしらわれそうになったこともありました。

 近年近くに葬祭場ができたり、式を葬儀会社が取り仕切ってくれるようになり近所の人たちの負担も軽減されましたが、葬儀と言うのは送られる人のためではなく、送る人たちの気持の整理のためにあるのだなと、この歳になって考えるようになりました。
 田舎は都会と違って近所の人たちとの接触が多いので、故人に対しての思い入れも深いものだと思います。一見、手間をかけて手を煩わせているように感じますが、これはこれで送る人たちに諦めと言うのか気持ちの整理がついてくるものです。

 葬儀一式が終わり七日法要が済むと、組の人たちによる念仏が始まりますが、この頃になると酔いが回ってくることもあり、送る人たちに笑いが飛び交うようになります。ようやく仏様も彼岸の向こうに行ったか?と言う雰囲気とはこんなもんでしょうか?

 それにしても気になるのは、私より若い人たちが少ないことで、おくりびとのまま、送る人がいなくて、送られることなくたび立つような気もします。

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回想夢

2009年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 「治る治らないではなく、あと何日持つかと言う問題です。」4年前の6月にガンで亡くなった伯母の病状について大学病院で担当医からムンテラを受けたときの夢を見ました。

 伯母は子供もおらず独り者だったので、私がこうした現場に立ち会うことになったのですが、まるで死亡宣告を受けるような重苦しいひと時でした。説明する医師も緊張していたのでしょうが、ボールペンをノックしながら病状を説明してくれましたが、そのボールペンに医薬品メーカーの名前が印刷されており、つまり、この医薬品メーカーの製品を使うことでバックマージンでも受け取っているのだろう?などと、その光景を目にしていました。

 回想だけにリアルな夢でしたが、夢の中で医師が手にしているボールペンには「コカ・コーラ」のロゴが入っており、”大丈夫か?この医者は?”と気になったところで目が覚めました。

 この伯母が亡くなってから一苦労あったのが区役所に死亡届を出すときで、本籍が違っていたために受理されませんでした。実は伯母が生前に勝手に本籍を皇居に移すイタズラを仕掛けていたためで、親戚と言っても私の場合この伯母の妹の息子で、姓も違う。母でも生きていれば姉妹ということで何とかなったのでしょうが、女兄弟の甥では役所も本籍を教えることもできない。

 このとき、区役所の窓口の職員が「私、数分ほど余所見をします。少々お待ちください。」と、書類をこちら側に向けて机の中の何かを探すフリをしてくれました。最初、何を意味しているのか戸惑いましたが、この隙に書き写せと言う意味なんだなと察して、カウンター越しに書類を覗き込んで伯母の本籍を書き写しながら、「私はただ死なないからね!」と死ぬ前に目をらんらんと輝かせていた姿が思い浮かびました。千代田区千代田1番地の住所を見たときは腹が立つやら情けないやら。

 ”日本人は規則を忠実に守るということには実に忠実な人たちだが、人間の基本的な心情に立って、人間的であり続けることは下手なのかもしれない。卓越した人というものは、時には、規則を破り、非難を浴びても。「人間」を守るための行動が取れる人のことをいう

 このブログを作って一番最初に曽野綾子さんのこの言葉を入れました。思えばこのときの区役所の係員も”粋な”人だったと思います。

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大儀

2009年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

090223  2月28日からNHKのスペシャルドラマで白州次郎を取り上げるようです。
 学生時代のことですが、白州次郎・正子夫妻とお目にかかったことがあります。いいとこのお坊ちゃまの先輩宅でのことですが、この先輩のお父さんにたびたびアルバイトを紹介してもらっており、このときも面白いアルバイトがあるから紹介すると言われ伺った時でした。

 白州ご夫妻が先客で来ており、先輩に「白州次郎さんと正子夫人です。」と紹介され、「はじめまして、お会いできて光栄です。」と挨拶したものの、その白州さんと言うのがどんな人なのかまったく知らなかったので、この先輩のお父さんの社長仲間か?と、一応丁寧に挨拶しておきました。

 後に、マンガ「栄光なき天才たち」だったと思いますが、このコミックブックで白州次郎を取り上げており、どこかで聞いたことがある名前だなと思い出したものの、”聞くは一生の恥、聞かぬは一時の優越感”心情としているので、まさか先輩に”あのときのご夫婦は・・・”と、聞くのもはばかられました。
 図書館で調べらたら白州氏の写真があり、「あのときのカッコイイじいさんだ!」と気がつきました。

 この先輩が良く口にしていた「Principle」と言う言葉も白州氏の受け売りだったのでしょうが、何しろもとの知識が乏しかったので、30年近くたって気がついた有様でした。GHQ占領下の時代に通産省を設立し、輸出産業で自立する道筋を作り、サンフランシスコ講和条約締結の際に吉田茂首相に同行した人物ですが、知らないということは恐ろしいもので「背の高いでっかいじいさんだな。」と言う記憶しかございません。

 Principle、プリンシプル。原則とか主義などが直訳ですが、お役所マニュアル的な上っ面のことではなく、もっと根底にある「揺るぎないもの」「大儀」のことではなかろうか?と私なりに解釈しています。妥協してもここだけは譲れない一線で、些細なこだわりに使う言葉ではないことは確かです。
 自由に対する責任に近い重みがあると思いますが、腹にいちもつ持っているかいないかは、価値観の違う異国と対峙する中で重要な部分だと思います。

 幕末の志士達など、あっちにくっついたりこっちに寝返ったり、考えも手法も二転三転し一見ぐらついていたように見えますが、根底にあるプリンシプルといえる部分は揺るぎなかったので、あれだけの変革を成し遂げられたのだと思えます。

 小さなこだわりに執着することは、その人の価値を落とすことになりかねませんが、揺るぎない大儀を持つことはその人の人格を計る上でも重要なことですし、これをもたない人に心をゆだねることはままならぬことでしょう。

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人相・風体

2009年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 来週来日するシリアの社長はエジプト経由で日本に向かうため、今日、シリアを出発しました。
 この夏彼の部下が来日する時、同じエジプト経由で日本に向かったものの、エジプト空港で国際指名手配のテロリストに顔が似ているという理由で拘束され、在エジプト・シリア領事館まで出動する騒ぎになったことがありました。

 出発前にこの社長から電話をもらい、「国際的テロリストに間違われないよう気をつけて。」と言ったら、「私の顔がテロリストなら、アラブ人は皆テロリストの顔になってしまう。」笑っていました。
 その通り、その通りなんだよ。当人は気がついていないかもしれないが、我々から見ると、皆テロリストの顔に見えるんだけれど・・・

 一応イスラム教徒だけれど、日本でウイスキーと焼酎を飲みすぎて肝臓を壊した(一応、本国には働きすぎて体調を崩したことにしたけれど、働きすぎたのは肝臓だけ。飲みすぎて肝臓を壊した見舞いに、みんなからウイスキーをもらっていました。)ラクマン君など、誰がどう見てもテロリストのような風体をしています。ちょっとフォーマルな格好をさせてイタリアの離れ小島にでも連れて行けばマフィアの親分に見える顔つきです。
 特にこの会社のスタッフはそろいもそろってやることは間抜けだけれど人相だけは人一倍悪いので、誰が誤認逮捕されても不思議ではない。
 時差の関係で夜になると出勤してくる日本語対応のスタッフなどほとんどお天道様の下で生活していないので、やせぎすで血の気の失せた顔つきで、メイクアップ無しでアダムズファミリーに出られそうな不健康な風体。今回は3年ぶりに日本に同行してくるようですが、長いフライトの間、彼の体力が持つのだろうか?
 彼らが来日すると聞くと、無事来日させたくない不吉な期待をしています。

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2009年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 NHK大河ドラマで注目される直江兼続の兜に掲げられた「愛」の一文字。何を意味しているのか?と言うと、愛染明王や愛宕神社と言う説が一般的です。

 「愛」が今日的な意味合いで用いられるようになったのは、江戸から明治にかけて外国語が入り込んできたときの「Love」の日本語訳として用いられるようになったといわれています。

 興味深い逸話では二葉亭四迷がツルゲーネフの「アーシャ(片恋)」を翻訳した際、「ヤー・リュブリュー・バス」英語で言うなら「I love you」を日本語にする際、当時の言葉で適切な言葉がなったため「死んでもいいわ」と訳した逸話があります。今なら「愛しています」ですむけれど、当時はこの言葉では意味が通じなかったのでしょう。

 愛情あふれる歌が多い万葉集に「恋」はたくさん出てきますが「愛」は出てきません。

 直江兼続が兜に「恋」を掲げていたら、こりゃ相当なかぶき者だったでしょう。直江兼続はかぶき者として名高かった前田慶司と親しかったのですから、そのくらいのことをしても面白いかと思いますが、「銭」「酒」「女」など兜に掲げて戦場に赴くようでしたら、上杉軍団はとんでもない軍団になれたかもしれません。

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自暴自棄

2009年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 中川財務大臣、辞任しちゃいましたね。

 音楽家、画家、などの「家」がつく仕事は趣味などの延長線上にある仕事で、弁護士、会計士、建築士などの「士」がつく仕事は、一定の資格の元に報酬が保証されており、教師、医師、など「師」のつく仕事は営利のためではなく世の中に貢献するための尊い職業である、学生時代に教えられました。政治家は「家」がつくので、道楽の延長線上にあるのでしょうか?

 「自暴自棄」といえば「やけくそ」や「何とでもなれ」といったように物事をあきらめ放り出してやけになっているような意味合いにとられています。

 もともと「自暴自棄」と言う言葉は「孟子」の教えの中に出てくる言葉で、現在私達が使っている「自暴自棄」とは少々ニュアンスが違う言葉でした。

 孟子の理論は「性善説」と言って、人間の本性はもともと「善」であると言う考えに立脚していて、日本人に受け入れられやすい考え方です。

 「自暴」とは、礼儀道徳をないがしろにしてけなす人のことを言うそうで、現代で言うなら無知で非常識で下品な悪党とでも言うべきか、育ちの悪い人間とでも言うべきか、成り上がりにこういうタイプが多く見受けられます。孟子はもっとも嫌っており、「自暴の人間とは共に語ることもできない」と言っております。

 「自棄」とは道徳の価値は認めているものの、道徳の根本たる仁・義などご大層なことは自分には無理なことなので、と実践しようともしない人のことを言うそうです。案外、j事なかれ主義の安定志向の人にこういうタイプが多く見受けられます。「自棄の人間とは共に行動をすることもできない。」と、孟子は申しています。「自棄」の人は偽善者とでも言うべきでしょうか。

 「仁」だの「義」などとあげつらうと日本では「おひかえなすって」の世界のようですが、本来「仁」と言うのは道徳の根本理念で、人間が安心して生きていく根本なのだそうです。「義」は正しい道筋で、人間が生きていく正道だとかで、アウトローが「仁義」なる言葉を使うのもこれまた筋が違っているように思えます。もっとも、彼らの場合は彼らの所属する世界が「仁」なのでしょうから、その中のしきたり「義」に従うのでしょうが、アウトローになった時点で「義」から外れているともいえるでしょう。

 孟子的意味合いの「自暴自棄」の人間はどこの世界でも多いものです。孟子の言い方では関わらない方が良いということですが、何より、自分が「自暴自棄」にならないように品位と人格を疑われぬよう心がけることが重要でしょう。類は友を呼ぶので、同じ考えの人が集まってくるものです。

 「道徳教育」=戦前の「修身教育」と勘違いした一部のノイジー・マイノリティーのおかげで道徳教育が宙に浮いて、躾もままならない親が世にあふれるご時世ですが、中国が文化大革命で強制的に行った人格改革を、今の日本がソフトにやらかしているとしたら大きな過ちとなるでしょう。

 文化大革命の頃は大人は労働のために単位(職場)へ、子供は教育のために一箇所に集められ共同生活し、家族・家庭制度を破壊した結果、自分の立身のために親さえも党に密告して売るような子供を作ってしまいました。

 過激な言い方をすれば、中国が国家的にやった家庭の空洞化を日本人は自主的にやっているようなもので、塾だ学校だと子供を放り込んで、家庭は食って寝るだけの環境にした結果、モンスターが跳梁跋扈するご時世になってしまいました。肩書きで人物は判断できないものです。

 「躾」と言う字は「身」と「美」で作られているように、本来美しいものです。

 「マナー」と言うと西洋かぶれの気取りのようなものを感じてしまいますが、「躾」は別物でしょう。躾の良くできた人は飾ることなどしなくてもそれだけでも崇高に見えるものです。

 「家庭」という「仁」から成り立っているとすれば、家庭の持つ意味合いは非常に大きいと思います。

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漢字

2009年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本では漢字検定が人気らしく、漢字検定試験を行う団体幹部がお金を横領だか着服した問題が取りざたされていました。
 たまたま知人(日本人)がこの検定に熱をあげていて、書店で問題集などを買ってきて勉強しています。趣味の延長の検定のようにも思えますが、何かしらこういう目的があれば力の入れ方も変わるでしょう。

 漢字の本家中国では一つの漢字に一つの読み方しか持ちませんが、読み方が異なれば別の言語です。
 日本の漢字は読み方が多様です。特に、地名人名の漢字などそのまま読んでよいものか?迷うこともあります。

 ウラジオストクから日本語で書かれた書類の添削を依頼されました。言葉の表現方法を多少直せばよい、おおむね良くできた日本語でしたが、その書類に書かれた取引先の会社の住所がローマ字表記。これを日本語の住所に直すので、ネットで調べながら書き直しました。
 まだローマ字表記の住所を漢字に直すのはたやすいほうで、その逆は地名の呼び方に神経を使うことが多いです。

 そのうち、地名人名検定なんてものができるかもしれません。

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これでいいのだ!

2009年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 戦前、私の村出身の生方大吉と言う代議士がおりました。野次将軍と呼ばれ、国会であまりに野次を飛ばすものですから、昭和天皇が「あの男は何物だ?」と気にしたと言う逸話が残っております。

 泥酔して国会に出席したのみならず、国会の赤絨毯の上に立小便をした問題議員でもありました。

 生方元代議士が亡くなったのは昭和39年3月ですが、私の父がこの野次将軍のところによく出入りしていたので、子供心にちょんまげ頭の恐い爺さんと言う記憶があります。

 私が幼少の頃は酔っ払っているいないに関わらず年中ご機嫌が悪く威張っている老人がいたものですが、この代議士もそんな一人に記憶しています。

 この野次将軍と親しかったのがいれずみ代議士と呼ばれた小泉又次郎。小泉潤一郎元総理大臣のおじいさんです。変わり者つながりで、戦中小泉一家は私が住む湯宿温泉に疎開してきております。

 破天荒な人間が世に出にくい次代になりました。

 中川財務大臣が中央銀行総裁会議(G7)の記者会見に酩酊状態だったことが報道番組で話題になっています。
 今の日本にこういう人物がいたのか!と、爽快な思いで見入ってしまいました。元々のん兵衛で有名だった大臣ですから、このくらいのことはやりかねないと思っていましたが、案外、海外受けするかもしれません。

 「海外のメディアもこのことを報道した」とか、「恥ずかしい」とご立派そうにキャスターが申しておりますが、どこの国が批判しているのでしょうか?
 飲酒に厳しいピューリタンの国の国家元首がこんなざまでも何とかなるものです。

  それにしても、風邪薬を飲んだからとか、飲み込んだの飲み込まないだの言い訳がましいことを言っていないで、「飲んでたよ。何が悪い?」「記者会見なんざおまけだよ!」くらいの開き直りがあったほうが面白いと思いますが。
 ナイーブなキャスター達はもしこんな国家元首を持つ国の国民に生れ落ちたら、恥ずかしさのあまり生きていけないのでは?中川大臣のインタビュー画像を見て「この程度ではたいしたことないじゃない。」とかの国の人は申しております。

 なんだかんだと迷走しながらも、今日のロシア連邦の基盤を作ったのはこの酔っ払いで、プーチンが就任する頃には既に経済危機から脱出して金融も安定させていました。

 ユーモアとは人間臭さで、アル中途不倫疑惑、核のボタンを持つ二大国のトップがこんなざまでも、究極の戦争は起きずにすんだのは幸いなのか?こんな人間だから戦争にならなかったのか?

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骨休み

2009年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 イラン人のアレックス君と高崎市にある中国家庭料理の店に行ったら、メニューに「当店の食材は全て厳選された日本製で、冷凍食材などは一切使用しておりません。」と書かれてありました。それがなんだか妙に面白おかしくて大笑いしてしまいました。

 ワールドカップサッカーのアジア予選の話になりました。日本も厳しいが、イランは1勝3分で上位に韓国と北朝鮮が立ちはだかり、もっと厳しい情勢になっています。この二つとはホームゲームでの試合を残しているので、「何とか勝ち抜いて出場できると思う。」とアレックス君は楽観していますが、どこでどうなるのかわからないのが勝負の世界。

 アレックス君の務める会社の社長はイランのユースの代表選手でしたが、今は日本でフットサルに夢中になっています。年齢も若くないのでフルタイム出場は無理みたいですが、小技が巧みなので、ライバルのブラジル人チームにも注目されているそうです。

 土曜の晩にもブラジルチームとフットサルの試合をしたそうですが、アレックス君は10分程度の出場で、昔の古傷(イラクとの戦争で足を撃ち抜かれている)が痛み出して降板したようです。
 イランの冬も寒いけれど、日本の寒さは古い傷にしみるような寒さです。たぶん湿度の違いなんでしょうが、日本人に神経痛が多いのもわかる気がしますと語っていました。

 かくいう私もこの1ヶ月ほど腰痛と背筋痛に苛まれていますが、この冬は寒くないけれど、無理して体を動かすものだからあちこち痛みます。

 このところインフルエンザが流行しているようで、近所のお年寄りに「お体を大切に」と言ったら、「おらんずより、おめえらのほうがあぶねえんだぞ!」と言われました。お年寄りは無理しないから風邪気味だと思ったらすぐに休むし医者にも行くが、我々からだが動く世代は多少の不具合なら無理して動いてしまうために手遅れになることが多いのだそうです。

 できればのんびり骨休めしたいところですが、大病でもしなければそれもままならないのが世知辛いご時世。

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教養

2009年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 受験シーズン。最近は大学受験も「お受験」の仲間入りをしたようで、親が受験する子供の付き添って受験会場に行くだけならまだしも、会場の中に入れろとごねる身勝手な親もいるようです。

 就職の面接や出勤に付き添っていく親もいるくらいですから、この程度は恥でもなんでもないのでしょう。

 私が学生時代にも、一人暮らしになれるまで田舎から母親が出てきて一緒に生活している学生がいましたが、そのほとんどは女学生で、正直なところ、天然ボケのあまりお利口ではないタイプの感性が壊れた娘が多かったような気がします。

 教育を受けても教養が育たない連中に国の予算を費やすのももったいない思いもしますが、こうしたものにもハングリーさが必要だと常々思います。 

 「教養は死んだか」(PHP新書・加地伸行著)という本の、”はじめに”の冒頭から興味ある話が始まっております。

 私も以前から感じていたのですが、日本と中国では「あの人は教養がある」という言い方の意味合いについて微妙な違いがあるように思えました。

  この本によると、日本においての「教養」とは<知識的>な意味合いを示していて、茶華道や神社参拝など日常から離れた<作法>や毛筆で書をたしなめるなど<伝統的技術>なども含むのだそうです。

 これに対して中国のいう「教養」は<人格的>で(道徳的に立派な人)という意味合いなのだそうです。「教養」というのは「教え育てる」ことで、知識の習得とともに<しつける>ということが重視されます。「教養のある人」は最大の賛美なのですが、すぐれた人徳をも持ち合わせた人はそう多くはいませんので、安易に使える言葉ではないようです。

 知識量の多さを示す日本的な意味合いの「教養」は「博学」というのだそうです。本来、知識を習得することによって人格も形成されていくものでしたが、知識形成と人格形成が別途のものとなってしまったのが昨今です。

 東北アジアにおいて知識とは儒教などの古典知識を意味していたそうですが、言われてみると面白い分岐点を思い出しました。江戸時代後期に日本では新井白石や本居宣長らが儒教の陽明学や朱子学について学び、どちらがすぐれているか論議をしておりました。日本では儒教ではなく儒学になり、武家人たちの「知識」になったのですが、大陸や半島では儒教(確か朱子学の方だったと思います)として生活に深く入り込んでしまったがために、押し寄せる西洋化の波に乗り遅れたという皮肉な結果と、19世紀から20世紀にかけての混乱に巻き込まれていきます。

 時代の分岐点では「教養」を「知識」の枠にとどめていた日本は幸いしたのですが、人と同様、国も成長するとともに人格を問われるようになります。蓄えた知識(あるいは経済)をどう使うか問われるようになったのは成長の証でしょう。

 知識と人格が見事に分離してしまった日本ですが、人格について評価のものさしがないことが今のシステムになじめないところでしょう。知識は言葉なくしてありえません。物を思考することも言葉で思考しなければなりません。すぐれた理論をうちたてようとしても言葉が違えば伝えることさえできません。対して人格は言葉にあらわせないものですから、立居振舞などで感じ取ってもらえるものです。外国との異文化コミュニケーションは人格のぶつかりあいです。信頼は実はあいまいなもので、人柄と人柄に芽生えるのであって、紙の上に書けるような約束ではありません。誰しもそのあいまいなもののために努力していることだろうと思います。

 学ぶことよりも学んだことを暮らしに繁栄させたり、自分を育めるように心がけてはいるのですが、脂肪となって腹の周りにまとわりついて役に立たないのが現状です。

 私事の予断となりますが、この本の中で「仰げば尊し」の歌詞について触れています。2番の歌詞に「身を立て、名をあげ、やよ、はげめよ」について、この歌詞は「立身・揚名」という「考経」の一節から用いた言葉だと説いています。(立身行道、揚名於後世、以顕父母、考之終也)「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕すには、考の終わりなり」。「立身」というのは出世することではなく「立派な人間に磨き上げる」ことなのだそうです。

 磨き上げてすぐれた人格を育み、後世に名を残すような人間となっても、父母をいたわり敬うことが「考」のもっとも大切なことです。と、私なりに解釈しています。

 小学生の頃卒業式の練習で「やよ、はげめよ」のフレーズを「嫌よ、禿げるの」と替え歌にして、ぶん殴られたことがあります。そのときの先生に、「先生の恩など忘れてもかまわないが、この言葉がこの歌の中で一番大切なのだ。」と、散々怒られました。なるほど確かにそうだとこの歳になってわかりましたが、仰げば尊い人はすでに墓の中に入ってしまっており、誉めてもらうこともできません。

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平将門

2009年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

090214  2月14日は平将門が首をはねられたことで知られていますが、平将門は10世紀初頭に今の千葉県と茨城県の県境あたりの領主だったといわれています。朝廷の反逆者とされて天慶3年の2月14日(940年3月25日)に藤原秀郷に弓で射たて死ぬのですが、その討たれた首は京都でさらし者になっていたそうです。関東に帰りたいという怨念から首が空を飛び今の東京大手町方面に落ちたそうです。

 神田明神や兜町など平将門にゆかりの地なのですが、成田山新勝寺も平将門の乱を鎮める護摩を焚いた地だったと思います。戦前、平将門の首塚は霞ヶ関の大蔵省の敷地にあったと聞いています。戦後GHQが首塚の撤去をしようとしたところブルトーザーが事故を起こしたという伝説があります。その大蔵省も国民のたたりで分割されてしまいました。

 江戸城を中心に鬼門の東北に神田明神を配し、平将門の怨霊によって鬼門を封じようと計画したのは天海上人。江戸城の真北には日光東照宮を配し、徳川家康を東照大権現として祭っています。平将門も徳川家康も自ら「帝」になることを望んだのではなかろうか?と勘ぐっていますが、平将門の出身地の茨城県猿島と、徳川発祥の地と言われている群馬県の旧新田郡尾島町(現・太田市)の徳川村は意外にも近く。このあたりは新田、足利など東武士が多く出現しています。

 その平将門よりはるか昔、269年の2月14日、イタリアローマ郊外のテルニという地で一人のキリスト教司祭が斬首刑になります。ヴァレンティーヌという司祭です。

 今でこそキリスト教の中心地となったローマですが、当時はキリスト教など新興宗教で、ローマ皇帝から迫害を受け続けていました。ヴァレンティーヌ司祭があまりにも熱心に布教をしたがために、時の皇帝クラディウスの怒りを買い死刑になりました。
 ヴァレンティーヌ斬首の翌日がルカペリア祭というローマ地方の春祭りで、ローマ神話の豊穣の神ルペルクスを祭るひです。この日には若い男女が祭りの明かりの下で愛の言葉を書いたメモを交換したそうで、それがキリスト教の聖なる日といつのまにかごちゃ混ぜになって今日にいたっています。

 バレンタイン・デーを祝う諸外国では男女共に贈り物を交換するようですが、日本は製菓メーカーのアイデアから定着したものですから、女性が好きな男性にチョコレートを贈る風習になってしまいました。日本の女性から男性へのチョコレートの風習がこのところ今までバレンタイン・デーを知らなかったアジア諸国にも伝わってきているようです。

 一宗教の聖なるお祭りを企業が利用してしまうのも恐れ多い気がしますが、クリスマスのサンタクロースの衣装の赤はコカ・コーラが宣伝に使っています。コカ・コーラの看板の赤をサンタクロースに着てもらいいつのまにか定着してしまいました。ロシア正教ではヂェッド・マローズ(寒波のおじさん)というサンタクロースのような人がいますが、この人は青い服を着ていました。

 ところ変われば面白いもので、ドイツではバレンタイン・デーが「不幸の日」や「運命の日」と呼ばれているそうです。

 バレンタインデーにチョコレートなんかもらえなくても立派な人はたくさんいるので、そんなくだらないことは気にせず、日本人ならバレンタインデーには首塚参りをして平将門に鬼を追い払ってもらいましょう。

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13日の金曜日

2009年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 13日の金曜日が不吉な日とされるのは。キリストの最後の晩餐の時に13人いたことやキリストが磔になった日が金曜日といわれていることなど諸説ありますが、あまり日本には関係ない?月の最初の1日が日曜日で始まる月には13日が金曜日になります。

 ご近所の組内で年配の奥様が2名入院中なので、13日の金曜日に何をしたかと言うと、地区の評議員の仕事で、組内をまわって見舞金を集め、「9組一同見舞金」と書いた熨斗袋を持って見舞い金を届けました。
 どうやら二人とも風邪が延引になっているようで、インフルエンザが流行っているため要注意です。

 この何年かはインフルエンザにやられずに生きていますが、以前インフルエンザになったときはいづれも3月で、彼岸が過ぎて温かくなってからでした。油断は大敵です。
 私が子供の頃はスペイン風邪とかソ連風邪と言う呼び方のほうが一般的だった気もしますが、晩秋になると学校でインフルエンザの集団予防接種がありました。

 2000年の冬だったと記憶していますが、ロシアでもインフルエンザが流行り、医者の友人は遠方の無医村に近い村に派遣され、雪で閉じ込められ、ヘリコプターで帰ってきたことがありました。確かこの年はインフルエンザで老人が亡くなることが多く、地元新聞のお悔やみ欄が例年になく賑わっていたと記憶しています。

090213a  サトイモをもらったので、インフルエンザ予防のために野菜がたっぷり入ったお切込みを作ろうとうどんを買ってきました。
 お切り込みというのは群馬県名物らしく、有名な山梨のほうとうとほぼおなじ煮込みうどん。ほうとうにはカボチャが入っていますが、お切込みにはあまり用いられません。

 お切り込みに使ううどんはきしめんのように平べったい幅広の麺が使われることが多いのですが、茹でる前の平麺がなかったので、普通のうどんを買ってきて作りました。

 茹でる前の生のうどんには手粉と呼ばれる粉がついていますが、お切り込みはこの状態のうどんを野菜やキノコの入った鍋で煮てしまいます。我が家の界隈ではお切り込みといえばサトイモが入るものですが、平野部に行くとこれがジャガイモになる地域もあります。味噌仕立てや醤油仕立て、塩だけで味付けすることもありますが、野菜のダシだけでも旨いスープになるものです。基本的に冷蔵庫にある野菜の残り物を片っ端から鍋に入れてうどんと一緒に煮て食べるのが私流のお切り込み。

 子供の頃、囲炉裏にかけられた鉄の鍋でお切込みを煮ていた記憶があります。煮干でダシをとっていたのでしょうが、お切り込みで茹でられて味がついた煮干を食べるのが好きでした。冬の風物詩の一つでしょうか?
 残り物で何か料理を作るのはけっこう楽しいもので、今回のお切り込みに限らず、中華ダシの元と片栗粉で八宝菜を作り中華丼にしたり、どちらかと言うと大雑把な男料理に向いているかもしれません。

 夜、地区の評議員会議があり、来年度の役員の承認、新役員への就任の以来など一仕事ありました。090213

  会議の後の雑談で、10日のヘリコプター墜落による大停電の話題になりました。幸か不幸か私はこの日は深夜までこちらにいなかったので、停電は経験していなかったのですが、4時間にも及ぶ停電で、ファンヒーターなどの暖房が使えず寒い思いをしたそうです。

 東電の送電線点検のヘリコプターが送電線に接触して墜落し、幸い死者は出なかったようですが、送電線切断による停電は各地に影響を及ぼしました。

 苗場スキー場ではリフトが停まってしまい、リフトの上で何時間も救助を待つ人が出たそうで、夕方からの松任谷由美のコンサートも開催が危ぶまれたそうです。

 停電が長引いた理由は国土交通省の現場検証で、これが終わるまで東電の復旧の工事に国土交通省が待ったをかけていました。復旧工事に取り掛かると1時間もかからず電力供給ができたそうですが、墜落現場近くの病院では手術の最中に停電になり、自家発電でしばらくは持ちこたえたようですが、それも限界に達して、東電が電力供給車を持ってきて手術を終わらせたそうです。
 もしこの手術が不完全で終わることがあれば、その責任はヘリコプター事故の東電になるのだろうか?ライフライン復旧を優先しなかった国土交通省になるのだろうか?責任者の名前は?
 なんてことが話題に上がりました。

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