のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

ノルマ

2009年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 顔見知りの営業マンと顔を合わせました。運転手つきで営業回りしているので”出世したのかな?”と思いきや、スピード違反で捕まって60日の免停になり、シルバー人材センターから運転手を派遣してもらって営業まわりを続けているのだそうです。講習を受けに行って免停は30日に短縮されたそうですが、まだしばらくは運転手つきみたいです。

 どこで捕まったの?と聞くと、新潟に営業に行った時にネズミ捕りにひっかかってしまったそうです。それも。国道と離れた県道で、およそこんなところで取締りをやっているとは思わない場所だったとか。
 彼の会社ではもう一人営業マンが免停になり、同じくシルバー人材センターからドライバーをつけてもらって営業に出ているようですが、就業時間が不規則な営業まわりですから、時間のやりくりに苦労しているようです。

 1日に回る件数のノルマが課せられているので、商談などで話が長引けばノルマの件数をまわることができないから、移動時間を短縮するためにスピードを出す。これで捕まって免停になっては、本末転倒、結果的に余計な出費をしただけに思えます。

 ちなみにこの「ノルマ」はロシア語の「ナルマーニャ(普通と言った意味)」が語源で、会話にも良く出てくる言葉です。たぶんシベリアに抑留された日本人が、強制労働の中でその日のこなさなければならない作業としての「ナルマーニャ」を、帰還後日本で隠語として広めたのかもしれません。

 ノルマ制度が行き過ぎるとどうなるのか?かつてのソビエト労働者の間では、その日決められた仕事をこなしてまだ余裕があるときでも、それ以上の仕事はやらない悪習が蔓延しました。余計に仕事をしても、その増えたぶんが次回のノルマになってしまい、結果的に自分で自分の首を絞めかねないので、余計な仕事はやらない平等主義がまかり通りました。

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企業秘密

2009年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

中国系マレーシア人のファーファイア君。彼の場合、中国語(広東語)とマレー語が公用語。同じ中国系の人たちとの会話は広東語で、マレー人との会話はマレー語。勉強したわけではないが、生まれ育った環境の中でいつのまにか二つの言語を身につけていたと言っています。

 マレー語とインドネシア語は近い関係にあるので、ファーファイア君に言わせるとインドネシア語もだいたい理解できるそうです。ところが、北京語となると「ほとんど解らない。」簡略化した簡体字についても「わからないなぁ。」同じ中国語と言われながらも広東語と北京語はまったく別の言語みたいです。

 彼は日本で出会ったインドネシア人に、インドネシアの元大統領が日本人と結婚していた話を聞き「本当か?」と確認してきました。デヴィ夫人ことデヴィ・スカルノのことですが、ネットで写真を検索して見せると「インドネシアの大統領、こんなおばあちゃんと結婚したか?このおばあちゃんお金持ちか?生命保険入ったか?ビザ欲しいか?インドネシア人これ頭おかしいなぁ。」彼のイメージの中では現役のインドネシアの大統領が生命保険金と日本のビザ目当てに年配の日本女性と結婚したように捕らえているようです。自分の目線で物事を見ているので面白いのですが、隣の国の元大統領のこともよくわからないのだろうか?

 スカルノがインドネシアで権力を持っていたのは50年も前の話ですし、デヴィ夫人はそのスカルノの4人の妻の中での第3夫人。イスラム教だから4人まで妻帯できるんですね。

 マレーシアにもイスラム教は多いけれど、複数の妻を持つ人は経済的にも豊かな一部の人だけで、ファーファイア君たち中国系やインド系の人たちから見れば「イスラムの良くない風習」と言っています。
 
 ファーファイア君たち仏教徒の中国系の人たちは複数の妻を持つことを許されていませんが、「私36歳になるは、まだ仏様結婚させてくれないよ。」と生涯独身で過ごしそうな奴もいます。 
 実は、ファーファイア君の会社の社長(仏教徒)がタイにもう一つ家庭を持っているという噂を聞いていたので、それとなくファーファイア君に聞いてみると。「これ、秘密の話はバンコクに奥さんいるな。子供もいるな。でものこれ、会社のトップシークレット。話すはできないなぁ。」
 社長の奥さんは知っているの?と聞くと「しらないしらない。ばれたらこれ大変なぁ。」と従業員一同口止めをされているようです。が、社長の奥さんって誰?と言えば「私のお姉さんなぁ。」。ばれたら大変なことになるね。「社長も大変。でも私もっと大変なことになるなぁ。会社追い出される。家族追い出される。ばれたら私どうすればいい?日本に亡命できるか?」
 彼も彼なりの爆弾を抱えているようです。

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ケ・セラ・セラ

2009年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

最近よく感じることですが、「大丈夫」には曖昧に「何とかなるさ」の意味が大量に含まれているような気がします。「大丈夫だから」と言われて大丈夫であったためしがない人もいる。

 荷物を運ぶために2tトラックを借りたところ、妙に右に傾いているので、持ち主に”これはおかしい”と電話を入れたら「大丈夫!そういうもんだトラックなんて。俺の思想が右に傾いているからトラックも右に傾いたのさ。大丈夫だって。」持ち主の思想がトラックに影響を与えるもんなのか?と思いつつしばらく乗ってみると、やはり妙に右に傾くので、降りてタイヤを見たところ、右後輪のダブルタイヤの内側がパンクしていました。
 大仕事になるぞとタイヤをはずしてスペアタイヤに履き替えたら、これまた空気が入っていない。だましだましスタンドまで走行して空気を入れて何とか使えるようになりました。

 トラックを帰す時に”大仕事でしたよ”と言うと「な、大丈夫だったろう。パンクなんて長い人生の一瞬でしかない。その気になれば治るんだ。人間、やろうと思えばなんだってできるんだよね。ケ・セラセラだよ。」
 なんだか、説教強盗のようなオヤジだなと思いつつも、この絶望的なおおらかさが幸いしているのか?この不況にもかかわらず仕事には事欠いていないようです。何を聞いても「大丈夫!何とかなる」しか言わない人ですが、不思議と何とかなるから、何とかなるもんです。これもまたロジックで、”どうにもなら無い”結果でも「どうにもならないと言う形になったから、何とかなったのさぁ。」ですから、難しいことを考えるのはやめた。

 これだけおおらかだから胃潰瘍や胃がんになどなろうはずも無い人ですが、「医者が言うには宝くじに当るより珍しい病気らしいぜ。」と当人が語る病気を患っているようで、「宝くじに当る確立より少ない病気」と言われても”そりゃ良かったですね。”と答えるべきか?”大変なことになりましたね”と答えるべきか?当人の口癖を真似て”大丈夫!”と答えるべきか?即座に判断つかなかったので、沈黙のままでした。

 ちなみに中国では「丈夫」とは「夫」を意味するので「大丈夫」は「大きな夫」?全身のことだろうか?部部的なことだろうか?

 シリア人と仕事をしているとアラビアの「IBM」にたびたび出くわします。「I」インシャッラー・「B」ブクラ・「M」マレシ。
 インシャッラーは「神の思し召し」、ブクラは「明日」、マレシは「しかたない」に近い意味で、例えば”本当にできるの?”と聞けば、気にするな何とかなると言う意味合いで、「インシャッラー」。”いつできるの?”なら明日になるだろうと「ブクラ」で、翌日になってもどうにもなっていないのでまた「ブクラ」。いつまで待っても「ブクラ」。結果的に駄目だったじゃないかとなると、気にする事は無いとばかりに「マレシ!」。
 先のことを憂いていないので、不思議なことにこれはこれで道は開けるものです。

 そういえば先述の親父さんが口にした「ケ・セラ・セラ」。たぶんスペイン語かラテン系の言葉が語源だと思いますが、ドミニカ人のミア君(こいつもまたいい加減な男)がよく「ロ・ケ・セラ・セラ」と口にしていました。

 どうにもならないときにケ・セラ・セラでもインシャッラーでもハングルのケンチャナヨでも自分を許せる言葉があることは幸いだと思います。日本人の場合、笑っています。どん詰まりに行くほど笑ってしまうんです。ジャパニーズスマイルは意味が深いです。エ・ヘラ・ヘラです。

 When I was just a little girl, 私がまだ小さな子どものころ

I asked my mother : What will I be? 母親に訊いた「私は何になるの?」と

Will I be pretty? Will I be rich? 綺麗になるの?お金持ちになるの?

Here's What she said to me : そして母はこういった

Que sera sera. ケ・セラ・セラ

Whatever will be, will be. 結局はなるようになる

The future's not ours tosee. 未来は人間にはわからない

Que sera sera . ケ・セラ・セラ

Whatever will be, will be. なるようになる

When I grew up and fell in love, 大きくなって恋をした私は

I asked my sweetheart :What lies ahead? 恋人に訊いた「この先何があるの?」と

Will we have rainbows day after day? 2人で毎日虹を見るの?

Here's what my sweetheart said : 恋人はこう答えた

Que sera sera. ケ・セラ・セラ

Whatever will be, will be. 結局はなるようになる

The future's not ours to see. 未来は人間にはわからない

Que sera sera .ケ・セラ・セラ

Now I have children of my own. 今や子供の親となった私

They ask their mother :What will be? 子供が母親に訊く「僕は何になるの?」と

Will I be handsome? Will I be rich? ハンサムになるの?お金持ちになるの?

I tell them tenderly : 私はやさしくこう言ってやる

Que sera sera. ケ・セラ・セラ

Whatever will be, will be. 結局はなるようになる

The future's not ours to see.未来は人間にはわからない

Que sera sera . ケ・セラ・セラ

ケ・セラ・セラを英訳すると「Whatever will be, will be.」になるようです。

 その昔、ドリス・デイが唄って世に広め、日本ではペギー葉山や江利ちえみが唄っていました。先月台湾に行った時に「世事多變化」と言う題名でこの歌が流れていました。「變」は昨年を「象徴する文字、「変」の旧字体ですから「「世事多変化」ですね。

 こんな時代に似つかわしい歌でしょうか?   

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馬鈴薯

2009年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 この数日、軽い風邪気味で体調がよくないので、インフルエンザに感染しないよう気をつけています。イソジンを買ってきて、こまめにうがいをしていますが、イソジンは基本的にヨード液を薄めたものなので、でんぷんに反応します。すぐイタズラ心が起きるので、ジャガイモの皮をむいてイソジンをかけてでんぷんが変色するのを見て楽しんでいます。そういうわけでこのところ肉じゃがやジャガイモの味噌汁などのジャガイモの料理ばかりです。

 学生時代、高校の先輩が北海道の大学に進学しており、訪ねて行ったことがありました。このとき、蒸かしたジャガイモにイカの塩辛をつける食べ方を教わりました。塩辛とジャガイモなんて、およそ似合いそうも無い和洋折衷の食べ方ですが、これが不思議にマッチするので驚きました。

 ジャガイモは大航海時代に南米のペルーあたりで発見されヨーロッパに持ち込まれ、寒冷な土地柄に強かったこともあり、ヨーロッパに広く普及しました。

 ドイツでは政府主導で強制的に栽培させることで定着し、逆にフランスではまずはじめにジャガイモの花を世に広めることでジャガイモ栽培を普及させました。英国では「イモなんて高貴な方に食べさせるわけに行かない」と、ジャガイモの新芽だけを集めて王室の料理に出したところ大変なことになりました。

 ジャガイモの新芽にはソラニンと言う毒素が含まれているので、こんな物ばかり集めて食べればヤーレン・ソラニン・ソラニン・ソラニン・ソラニンョ~・ハイハイと食中毒です。そのため英国ではジャガイモ料理が少ないようです。

 アイルランド人といえば、北米では後発の移民だったので、ゲルマン系アメリカ人から見下されていましたが、アイルランド人が大挙して新大陸に移民をした原因が連作障害によるジャガイモの不作による飢饉だったのだそうです。

 日本にはインドネシアのジャカルタ経由できたからジャガタライモ、「馬鈴薯(ばれいしょ)」と言う呼び方もマレーシアから来たからではなかろうか?いづれにせよ、東南アジアからの貿易とともに入ってきたようです。

 日本ではカワダ男爵が英国より持ち込んだと言われる男爵、煮崩れしないメークイン、男爵を改良したきたあかりなどが多く作られている種類ですが、男爵は白い花が咲き、メークインは紫の花が咲きます。

 私の住む界隈では男爵多く作られていますが、関西に行くとメークインをよく見かけました。

 私はせん虫による連作障害に強いと言われるきたあかりをこの何年か作ってきました。男爵に似た味わいですが、身が黄色がかっています。今年は男爵を作ってみようかと考えています。

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スキー客

2009年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 スキー場勤務の知人が言うには、ロシア人スキー客の団体が来ているようです。これからロシア人スキー客の多い季節のようです。
 この季節に新潟空港に行けばスノーボードを持った若者を必ず見かけます。

 一頃、北海道のニセコにオーストラリア人のスキー客が大挙して押し寄せたことがありましたが、今年はどうなんでしょう?サブプライムショックでの円高もありますが、オーストラリアドルの暴落はそれ以上でした。
 一頃この知人は、何とかオーストラリアからのスキー客を呼び寄せられないだろうか?と画策していましたが、いつのまにかじわりじわりとロシア人スキー客がやってくるようになりました。

 十数年も遡ればスキーブームで、山を削ってあちこちにスキー場ができたものの、バブル崩壊で閉鎖が相次ぎました。需要を錯覚してしまうブームの恐ろしさです。

 スキー客の品格が下がってマナーをわきまえないやからが多かったので、ブームが終わってほっとしているのはスキー場近くの住民ですが、同時に産業も縮小されたわけで痛し痒しです。

 ウラジオストクの郊外にもスキー場があります。標高が高い山ではないので高低差や急傾斜は無いものの、年々賑わいを見せているようです。ロシアのソチで冬季オリンピックが決定したこともあり、ウィンタースポーツに熱が入っているのか?と問えば「そんなことは関係無い。楽しければやるだけ。」とクールです。

 クロスカントリーやバイアスロンなどのノルディック系では圧倒的な強さを見せるロシアですが、アルペン系ではたいしたことがありませんでした。ところが、この何年かでロシア人選手が活躍するようになりました。それだけ裾野が広がったということもあるでしょう。
 
 昨年、苗場スキー場に来たロシアの成金が「ホテルとスキー場を丸ごと借り切りたいがいくらだ?」と言ってきたそうで、およそこうした無謀なことを考えるのもロシア人。馬鹿なことをやらかさなければいいけど・・・

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旧暦の正月

2009年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 新月で月は出ません。旧暦の1月1日です。

 日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を採用したのは明治6年のことで、その理由というのが太陰暦には閏月というのがあり、明治六年は閏6月がある年でした。つまり、1年が13ヶ月あるので政府は役人に一ヶ月分余計に給料を支払わなければならない。

 そこで、旧暦の明治5年11月9日に「旧暦12月3日を以て、明治6年1月1日とする」と詔を発し、わずか1月足らずで太陰暦から太陽暦へチェンジしてしまいました。今なら大混乱必至だと思います。

 日本では旧暦の正月を特に祝うようなこともありませんが、中国・台湾・シンガポール・韓国・モンゴル・タイ・マレーシア・ベトナム・インドネシアなど主だった東アジアでは旧暦の正月を祝います。

 中国など旧正月はその前後を含めれば産業は1週間以上休業状態です。大晦日の日に大量に餃子を作り、正月休み中これを食べるのは日本のおせち料理と似たようなものですが、餃子のあの形は月をイメージしたいるのだそうで、太陰暦が生み出した形とも言えるでしょう。

 日本では横浜などの中華街でイベントが催されるようですが、特にこれといった催しもなく、それより、旧正月は毎年日にちが違うのでいちいち気にもしていません。

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カバーバージョン

2009年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 30年ほど昔のことなのでそこそこ年配の方でなければ記憶に無いと思いますが、小山ルミという歌手がいました。ソビエト歌謡を元に日本語の歌詞をつけたポップスを唄っていたので、ロシア人と日本人の間に生まれたのだろうか?と思っていましたが、アイルランド人の父親と日本人の母親の間に生まれた2世だったようです
 ゲバゲバ90分という良い子が見てはいけないテレビ番組に出演していたので、私などこちらのほうが馴染みでした。

 ソビエト初のワルツと言われている「На Сопках Маньчжурии(満州の丘に立ちて)」をベンチャーズが「さすらいのギター」と銘打って8ビートのリズムに乗せて世に広めたので、こちらのほうが聴きおぼえがある方が多いかと思います。
 このベンチャーズ版にさらにおよそ原曲から程遠い猟奇的な日本語の歌詞をつけて唄っていたのが小山ルミで、バブル以前の高度経済成長時代の香りが漂っています。

 

 ロシアのロマの名曲「Цыганочка(二つのギター)」もこれまた原曲とは程遠い、と言うより、そんな細かいこと無視して、そりゃもう醜悪極まりない日本語の歌詞をつけて唄っています。
 イケイケドンドンだった時代の日本を象徴するかのような唄に仕上がっています。

 懐かしさもありますが、こんな時代があったんですね。  

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凍結

2009年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

  九州方面では積雪があったようですが、雪国のこちらは極めて良い天気でした。
 夜、空を見上げると、冬の星座オリオンとその周辺の星々が見事なまでに煌いていました。こんな夜は放射冷却で冷え込みます。

090124a  昨日、掃除の時に水道の凍結防止の熱線の電源をはずしてそのまま忘れていたら、水道が凍って水が出なくなりました。
 幸いなことに温泉地ですから水道が凍結してもお風呂はことをかきまぜんが、トイレなど不便はつき物です。

 外で延々と作業をしているとストーブで少しくらい温まってもどうにもならないほど体が冷え込みます。こんな時は全身暖房のお風呂がありがたいので、共同浴場に駆け込みますが、ただでさえ熱い温泉が冷え込んだ体にはさらに熱く感じられます。はたして体によい温度なのか?麻痺しているからわかりませんが、体が温まってくると血行が良くなりあちこち痒くなります。
090124  星に話に戻りますが、冬は大気中の塵が少なくなるのか?肉眼でも天空の星の数が多く見えます。北側に山があるため、北極星や北斗七星は我が家から見ることはできませんが、オリオンの三ツ星は窓を開けてもたやすく探すことができます。

 以前、凍結したバイカル湖の氷の上から同じ星々を眺めたことがありましたが、とても冷え込んだ夜でした。時々雷のような音がするのは氷同志の圧力で湖の氷が割れる「御神渡」の音でした。
 大自然の中でちっぽけな人間を思えば、些細なことなどたいした問題ではないとおおらかに考えるようにしていますが、それにしても水道の水が出てこない。

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新月

2009年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月並の気温の温かい一日でしたが、週末にはまた寒波が押し寄せてくるみたいです。行きならぬ雨で、道路の傍らにあった雪もほとんど溶けてしまいました。

 今年の旧正月は26日ですが、旧正月を祝うモンゴルの友人から一足早くグリーティングカードが届きました。
 彼が日本に留学中、当然同じ東アジアの日本も旧正月を祝うものだと思っていたら、何も無い旧正月だったと驚いていました。
 昔、正月は「元旦」で旧正月は「正旦」と教わったことがありますが、この日に何かイベントがあった記憶はありません。

 太陰暦なので、この時期の新月の日が1月1日になるので、26日は月が見えないということになります。月の満ち欠けなど全然気にしていなかったので、観察してみようかと思っています。

 何年前かわからないけど、正月番組の映像らしいです。
 派手なファーのカーリーヘアーのおばさんが「百万本のバラ」を世に広めた大御所、アラ・ブガチョバ、押しも押されもせぬロシアの大歌手です。
 歌を歌っている濃い顔つきの男性は、ブガチョバの何番目かの夫で、ブルガリア出身のフィリップ・キルコロフ。かつてはロシア語では歌わない歌手でした。親子ほど年が違う若いつばめも、2-3年前に離婚したようです。
 その隣で歌っているのがブガチョバの娘でクリスティーナ・アルバカイテ。親の七光りでこの世界に君臨しているとか、きりょうが悪い、声が悪い、歌が下手などと一般市民に決して評判が良くありませんが、それでも親の力で居座っている。

今となっては貴重な映像となってしまった、崩壊前のかりそめの家族の映像ですね。

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夕笛

2009年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 たぶん、この話題についてこられるのは50代半ば以上の年代の人ではなかろうかと思いますが、私はまだ40代です。参考までに。

 まだ、漢字でかかれていた「日活」と言う映画会社(後にひらがなで「にっかつ」になり路線がスケベ映画に変わってしまった)は青春純愛物の映画作りが上手でした。この規制緩和で乱れ切ったご時世「青春純愛」なんて言葉は死語の世界に逝ってしまいましたが、「自由」ではないことが物事深みを増すこともあるんですね。

 子供の頃、舟木一夫の映画をよく見に行ったものでした。当時は沼田に買い物に行くことは「余所行き」の覚悟でのお出かけで、スーパーで買い物をして映画を見て帰ってくるのがお楽しみのパターンでした。

 当時の沼田には3-4件映画館があり、昭和末期に火事で燃えてなくなってしまいましたが、テアトルと言う映画館があって、ここが日活映画を配給していたのだと思います。母親がお気に入りだったのか、舟木一夫の映画がロードショーされているとよく連れて行かれたものです。

 今にして思うと”いい映画だ!”としみじみ思えるのですが、なにしろ幼稚園に行く前の子どもに解るはずもありません。その頃はゴジラなどの怪獣映画や戦争映画のほうが面白かったです。

 あの名作「絶唱」では園田順吉が愛する小雪を残して戦争に行くシーンがありますが、ここでようやく「怪獣が出るのだろうか?」「どんな飛行機が飛んでくるのだろうか?」と期待が始まり、離れ離れの園田順吉と小雪が同じ時間に吉野木挽き歌を歌う涙の感動シーンが、怪獣映画の「モスラ」でザ・ピーナッツが♪モスラーヤ・モスラー♪と唄うシーンと重なって、「これから怪獣が出てくるんだ!」更なる期待。

 亡き小雪に花嫁衣裳を着せての結婚式のシーン「ここからお化けが出て来るんだ!」。怪獣も飛行機もお化けもなく、期待だけで終わった映画でした。

 中学生の時に三浦友和と山口百恵の「絶唱」が製作され、同級生達と見に行きました。「あ!この映画見たことある!」と思い出しましたが、なんとなくイメージが違う。後に舟木一夫・和泉雅子版と見比べて気がついたのは、爽やかな三浦友和と暗い山口百恵、暗い舟木一夫と陽気な和泉雅子このキャラクターの違いですね。この映画には舟木・和泉コンビのほうが似合っています。

 後に知ったのですが、舟木一夫版の「絶唱」は「北の国から」の倉本聰が脚本を担当していました。「絶唱」「夕笛」「残雪」が倉本脚本による作品でした。しかも、「絶唱」の主題歌の歌詞は西条八十の詞です。

 この三部作の中で一番のお気に入りは金沢を舞台にした「夕笛」で、ヒロインが和泉雅子から松原千恵子に変わっています。子供心に「なんてきれいな人なんだ」と思ったものですが、当時は和泉雅子さんのほうが近づきやすい感じがしたものです。

 学生時代、300円の映画館で舟木一夫作品のリバイバルがあったときにあらかたの映画を見ました。高校を舞台にした学園物など、既に私のほうが年齢が上になっておりましたが、「なんて化粧が濃い高校生なんだ」と感じつつも、”高校生が輝いていた時代もあったんだ”と悔しく思えました。

 色気も無い男子校で受験に翻弄され、柔道をやれば減量で一日中腹が減っていて、それでもこの3年間を耐え抜ければ素晴らしい世界が待っていると絶えてきたものの、そんなの嘘っぱちで、そのまま忍耐が延長するだけの人生でした。

 話は「夕笛」に戻りますが、昭和42年ごろの映画だったと記憶しています。私がリバイバルで見たのがその十数年後なので、まだ映画の町並みなど残っているかも?と90ccのバイクで金沢まで出かけていきました。

 出かけていったものの雨降りで、屋敷町や犀川などを見て帰ってきました。後に五木寛之の「大河の一滴」も金沢を舞台にしており、このときもロケ現場を探しに金沢に出かけています。1999年だったと思います。「大河の一滴」はどこでロケをやったのか?同じ街並みや風景を探すことができませんでした。

 最近、「高原のお嬢さん」「絶唱」「夕笛」「残雪」をビデオで見ましたが、前2作は和泉雅子、後2作は松原千恵子がヒロインでした。

 娑婆の手垢にまみれた中年のおじさんになってから見て見ると、別のことが気になりました。舟木一夫は和泉雅子のほうが好きだったんじゃないだろうか?「高原のお嬢さん」「絶唱」は演技というよりも役になりきっていますが、「夕笛」「残雪」は一歩引いて演技しているように感じました。

 西条八十の歌詞にも出てくる「乙女椿」。この白い花の下に立つ松原千恵子のなんと美しいことか。この光景を求めて金沢までバイクを走らせたようなものでしたが、それらしい木など見つかりませんでした。

 のちに、乙女椿を植えてみましたが、こちらでは気温が低すぎるようで枯れてしまいました。

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就任演説

2009年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本時間の深夜に行われるオバマ大統領就任の演説が注目されていたのでテレビを見ていましたが、そのまま眠りこけてしまいました。うすうす寝ぼけながら聞いた言葉に、60年前はレストランに入ることも許されなかった人種の子供が・・・云々と語っていたことが唯一印象に残っています。

 世界的に注目される上、この世情ですから就任演説の草稿作りも手間隙かけたことでしょうが、これで少しはドルが強くなるかと思われたら、逆で、1ドル87円台に円高になりました。
 就任演説が行われるワシントン市には、同じ時間と空間を共有しようと200万人を越える人たちが集まったそうです。閑古鳥さえ諦めて鳴かなくなった観光地に住んでいるとうらやましい限りです。

 オバマ大統領と同じ「オバマ」つながりで福井県の小浜市が盛り上がっていますが、私の知人にも「小浜」と言う人物がいます。通称、「オバチャン」と呼ばれるおじさんですが、「最初この名前を聞いたとき日系人か?と思った。」と言ってました。
 民族の坩堝でアフリカ系の大統領が出て、今後は女性大統領やアジア系大統領が出ることを期待しています。

 女性大統領や女性首相は世界的に珍しくありませんが、あれだけ女性が社会的に活躍しているロシアなのに女性が首長を務める都市は多くありません。大統領候補も一頃亡命日本人の娘のイリーナ・ハカマダさんが候補の挙がったことはったものの、保守的というのか、これはと言う候補は上がっていません。
 かつて女帝が猛威をふるったロシア。エカテリーナ二世以後ロマノフ王朝は女帝を禁止しましたが、その思考でもまだ残っているのだろうか?

 このところ毎年首相が変わる日本。製作よりもいかに総理を取り替えるかばかりが注目されているので、思い切って女性首相でも選んでみたらどうだろうか?オババ総理って。

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都市伝説

2009年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 「都市伝説」と言うと口裂け女やなんちゃってオジサンなど、噂が一人歩きする怪奇ブームだとばかり思っていたら、いわゆる民間伝承の一種のようで、なんたらの港で船の汽笛が聞こえると恋が成就するとか、なんとかビルのイルミネーションの前でプロポーズすると幸せになれるなどの現代の言い伝えも多く含まれているようです。

 考えてみれば人智によって自然を克服した都市に、伝承や言い伝えは不似合いですが、人の心理とは危うい根拠の無い言い伝えでも頼りたいものなんでしょうか?

 私の周囲ではカップルで大峰沼にハイキングに行くと結婚できる。とか、大峰沼ではなく榛名湖だと言う説もあります。浦佐の毘沙門様に二人で詣でると結婚できないなんて噂もあります。

 結婚できるほうはともかく結婚できない分野ならいくらでも経験があります。言い伝えを信じて榛名湖に行く途中、排ガス心中の自動車を発見してしまい、第一発見者として1日警察に付き合うことになってしまったり、大峰沼に向かったものの熊に出くわして逃げ帰ってきたり、まあ、いろいろありましたねぇ。

 浦佐の毘沙門様?行きましたよ。しかも、プロテスタントのキリシタンの娘さんだったもんですから、「私はクリスチャンなので中には入りません」と言うので、そんじゃ飯でも食って外で待っててと参拝して帰ってきたら相手の態度が変わっていた。

 さてさて、そろそろバレンタインデーシーズンが近いのか、スーパーではチョコレートセールがはじまりましたが、バレンタインデーに贈り物をすると不幸になるなんて都市伝説が生まれれば洋菓子業界など大打撃でしょうね。

 噂と言うのは悪いほうに過大評価されるので、派遣社員を切った会社はほどなくつぶれるなんて都市伝説が出れば、不況だとかで、派遣社員切りをしている企業など株価暴落で本当に倒産してしまうかも?

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山登り

2009年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

090119  平成2年の今日、冬の槍ヶ岳に北鎌尾根から単独で登頂して以来、山登りに熱が入らなくなってしまいました。

 4年越し5度目の挑戦でやっとこたどり着いた目標でしたが、ここで燃え尽きてしまったのでしょうか?後は惰性で山の神様を怒らせないようにちょっとだけ足を踏み入れるようにしています。

 考えてみれば、この2年前に大寒訓練に行った八ヶ岳での凍傷で危うく足の指を切り落とす羽目になったにもかかわらず、なんでこんなことに熱心なれたのか良くわからないのですが、誰も評価してくれないので、本当に自分で自分を誉める程度しかありません。個人的には並の人には得られないゾーンに踏み込んだ自負はあるのですが、やっぱ誰も認めてくれない。

090119a  元々登山なんてものは反社会的で非生産的な行為でしかないのですから、こんなことをご大層に取り上げるべきではないのかもしれませんが、無事生還して感じる「空しさ」が案外魅力だったのかもしれません。

 一頃、山で人に出会うことを忌み嫌っていました。せっかく自分自身の世界にどっぷり浸かっているのに、それを邪魔されることが不機嫌の元でした。

 他人と一緒に山に行くのをやめようと思ったのは昭和の末期で、登山者達の語るつまらない自慢話に辟易したことも大きな要因です。どこそこのルートを登った、何時間で登った、など仲間内でしか通用しない自慢話ですが、パーティーを組んで山に登れば、その勢いや仲間の力で自分の実力以上の力が出るものです。次第に兼教唆を失い、驕った先に行き着くのは事故死で、これがなぜか山の世界では「遭難」と呼ばれます。「遭難」の多くは自ら難を呼び込んだ「招難」に近いと思いますが、近年の高齢者の山岳事故なんぞこの類がほとんどだと思います。

090119b  山に一人で入り込むようになって無理はしないようになりましたが、自分の限界と思われるレベルよりほんのちょっとだけ踏み出すことで、山の神様を怒らせないよう謙虚に駆け引きをしてきました。

 それにしても、目標と言うのは恐ろしいもので、正直なところ槍ヶ岳から岐阜側に下る道すがら「ここらへんが潮時かな?もうこんな思いはしたくない」としみじみ思いました。だいたい、山に登っている最中も下山した直後も、二度とこんなところに来るかと思っていましたが、不思議なもので日がたつとまた行きたくなったものです。ところが、このときばかりはその後に続く張り合いが生まれてきませんでした。

 山登りが楽しいどころか、今まで存在しなかった恐怖感が次々と湧き出てくるようになり、追い討ちをかけたのが2006年の夏に肺炎を患い、肺にカビが寄生して機能を奪われ、2ヶ月も声が出なくなる大病になってしまったことで、寒さにもすっかり弱くなってしまいました。

 その後は写真を撮ることを目的に山に入るように口実と目線を変えてきましたが、最近は写真機材を背負って歩くことも億劫になってきました。

 今日は雪山を少し歩いてみましたが、まだ呼吸が良くならないどころか、咳き込んでしまいペースが上がりません。毎年、自分の体が壊れていくような恐怖とあせりを感じますが、恐怖心があるうちは山の神様に殺されることはないと思っています。

 若かりし頃は登れば登るほど感じた渇きを感じられなくなりました。20年近く燃えカスのまま山に足を踏み入れるのも不届きなことかもしれませんが、いろいろな意味で心身ともに「孤独」になれて自問自答するのも楽しい時間です。

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点の記

2009年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 NHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続は我が家から比較的近い新潟の六日町の出身とあって毎週楽しみに見ています。
 
 八海山の山の上から越後の里を映した光景などが出てきましたが、高圧電線や近代的な建物や工場などを見事にコンピューターで消し去っています。八海山をはじめ越後三山には何回も登っているので”見たことあるような景色だ”とは思いつつも、あるべき施設などが写っていない。室町時代末期にスキー場などあるわけないのですから当然ですが、それにしてもたいした技術だなぁと感心しました。

 ところが、上手の手から水?意外なところに近代の遺物が写りこんでいるのを発見しました。
 オープニング画面で、テーマソングが終わる頃、八海山の岩峰の上に立つ直江兼続の周辺を、ヘリコプターがぐるりと回りながら映した映像。オープニングの一番最後のカットです。
 直江兼続の傍らにコンクリートの柱のような三角点が威風堂々物の見事にしっかり写り込んでいます。

 あまりにも堂々と写りこんでいるので石塔のようにも見えますが、この三角点は見覚えがあります。少なくも測量のために三角点を設置するようになったのは明治に入ってからで、室町時代にあろうはずも無い。

 新田次郎の「点の記」の物語を思い出しました。前人未到の剣岳山頂に測量のための三角点を設置する至上命令を受けた柴崎と言う男が、苦心惨憺してようやく頂上にたどり着き、記録的な初登頂となるはずでした。ところが、頂上には錫杖が置かれており、記録にこそ残らないだけで、山岳修験道の山伏などが既にこの頂上を踏みしめていたことを目の当たりにするストーリーです。

 些細なことですが、大発見をしたような気分でほくそ笑んでいます。

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謎の年代

2009年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 相俣と言う地区の私の2歳上の世代。我々の間では「呪われた年代」と呼ばれています。

 悲劇の第一弾は小学生の時、みつおちゃんというはなたれ小僧が湖に落ちて亡くなりました。いつも青い鼻水をたらした子供で、1月4日にかいた丑の刻参りの藁人形を発見したのもこの子でした。あれから1年以内だったと思いますが、夜になっても家に戻ってこないので、消防団を始め近所の大人たちが懐中電灯や作業道具などを持って捜索に出かけました。

 夕方みつおちゃんとひろし君と言う私と同い年の子供が湖に下りていくのを見た人がいて、湖で何かがあったことはほぼ確定でした。このひろし君は小児麻痺の影響でいわゆる知的障害児、二人で湖に行ったことはわかるのですが、どこに行ったのか?何があったのかまでは理解できてないため大人たちは困惑しました。

 貸しボートの桟橋にみつおちゃんが落ちたと思われる水しぶきの後や、長靴が見つかり、ロープに番線をくくりつけ、湖の中を捜索。明け方、みつおちゃんの遺体が発見されました。

 第二弾はよっちゃんで、ひょうきんで愛嬌のある男で、高校卒業後にホテルで働いていました。ところが、ある日突然ノイローゼ気味になり、しばらくそれなりの病院に入っていました。病院から復帰後もたびたび発作のごとくおかしくなることがあったようです。私とは仲がよかったので、今も顔を合わせると雑談をしますが、ろれつが回らなかったり、視点が定まらなかったりしてはいますが、「俺もこんな病気にならなければ、もっと違った人生があったのかも」とぼやくものの、人柄の良さはあいかわらずです。

 よっちゃんのおじさんという人物は酒乱で酒を飲んでは暴力をふるう人だったらしく、見かねた父親(おじいさん)が酔っ払って寝ている息子を鉈で殴り殺し、自分も首をつると言う事件が私たちが生まれる前にありました。そのため、死んだ二人の祟りでは?と言う噂も流れ、ヨッチャンがおかしくなったときに、修験道の行者が来て大掛かりなお払いをやったそうです。

 第三弾は勉君。真面目で責任感のある好人物でした。我々後輩に威張ったり暴力を振るうようなこともなく、地域の人たちにも信頼され将来が期待されていました。

 春の日枝神社のお祭りの準備の日、朝6時からの作業でしたが、私も親の名代として作業に参加していました。勉君は若手を束ねて率先して準備をしていました。村議会の議長(現在の町長)が前橋に行くので、その運転手をしなければならないと、作業の途中で中座して仕事に向かいましたが、これが私が見た彼の最後の姿でした。

 勉君が運転する車が石垣に激突し、議長は大怪我、勉君はほぼ即死。夕方遺体となって戻ってきました。

 第四弾はまさゆきちゃんで、その名前を逆さに読むと「きゆさま」なので、われわれは「キュー様」と呼んでいました。

 高校卒業後東京方面に努めに出ていましたが、バブルの最中、盲腸炎をこじらせて亡くなってしまいました。「腹が痛いくらいでは仕事は休めぬ。」と無理した結果、手遅れになってしまいました。

 キュー様がなくなる1ヶ月前に偶然東京の地下鉄の中で顔を合わせました。仕事が忙しくて寝る間もないようなことを言っていました。お盆休みが取れたら里帰りできるので楽しみだと話していましたが、お盆に提灯の火に乗り移って帰る羽目になってしまいました。

 バブルの頃を思い出すと今でもキュー様とあったときのことを思い出すのですが、当時20代だった我々の世代はただ単に忙しく働かされただけで、給料だって上の世代のように良くはありませんでしたし、いい思いなんて何もなかったような思いもします。

 5人いたこの地区の同年代の男子。4人までが不慮の死を遂げたり、病気になったりで、30代までにまともでいられたのはたった一人。

 唯一の生き残り?卓球選手の功ちゃんがいますが、中学時代に県大会で3位になり、高校は埼玉方面に行ってしまったので、今もめったにこちらに戻ってこないようで、顔を合わすこともありません。しかしながら、最近、病気になったと言ううわさを聞いています。

 男子不在の年代?なのか、この年代の女性たちはやたら元気で健康です。

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