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のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

気象警戒

2025年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の夕方、雷雨とヒョウが降りました。私は夕食の準備をしていて電気炊飯器のご飯を炊いているところで、一瞬電球の明かりが不安定になって「停電になるかな?」と心配したんです。でも、停電はなくてご飯もしっかり炊けました。

 近隣地区では竜巻があったみたいで、納屋が壊れた家が出ました。15kmほど離れた地区では道路の信号機が倒れたようです。このあたりはそれほどでもなかったのですが、道路の上には木の枝やあっぱが埋め尽くして、台風直下のような様相でした。

 半月ほど前に雷雨があり、地域一帯が停電する事態になりましたが、この原因は判明しています。歌って踊れる水道職人のカズヤちゃんが自宅のカラオケで「ダンシングオールナイト」を歌っていたから雷神様がお怒りになったわけで、雷撃を落としたんですね。

 今回は?信号がなぎ倒された付近のスナックで接待を伴う飲食業のおばちゃんと「コモエスタ赤坂」を歌っていたことがわかりました。この暑さと責任を取らない石破政権で大変な時になにしてやがるんだ!と風神様がお怒りになるのもわかります。こうして竜巻は発生しました。

 日本海側では帯状疱疹と間違われやすい線状降水帯が発生して「水位が40cm」上昇したとラジオで放送していましたが、上昇したのは信濃川などの川の水位で日本海の水位ではありません。でも、膿から遠い私たちは「魚の種類が変わるんだべか?」汽水となった浜辺にはシジミが採れる。「サンマはどうなるんだべか?」今年は安くなって我々にも手が届きそうな気配ですが、サンマは千葉など太平洋側なので利根川の水位が上がらなきゃ大丈夫だべさ。

 いつもジュースの一本も持ってこないケチなオヤジが「みんなで飲んでくれ!」とミネラル麦茶を差し入れてくれました。台風が関東を通過する恐れが出てきました。週末は要警戒です。

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豆腐の話

2025年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 小学生の頃、道徳と言う教科があって、その教科書を読むのは楽しみでした。高学年になると、各個人に教科書が配布されなくなり、学校所有の教科書を授業の時だけ使うことになってしまいました。読み物としてとても面白い教科書でしたが、「道徳」=「修身」に通じるのがよくないとかいう意見が飛び交う時代だったので、教科そのものの存在が問われていました。

 でも、あれよ。今の日本が国際的に評価されているのは道徳・修身が身についていることだよ。品性だよ。

 外国移民が問題になっているけれど、品性がある人が来る分には何の問題もないけど、品性に著しく欠ける連中が入り込んでくるからトラブルが起きるんですね。

 道徳と言えば、小学校一年生の授業で最初に教わったのが「柳の枝に飛びつくカエル」で小野道風の物語でした。何度も何度も柳の枝に飛びつこうとチャレンジしていたカエルの姿に、自分も倣ってあきらめずに勉強しようと決心した小野道風の逸話ですが、平仮名で「おののとうふう」とあったので、この人は何をした人なんだ?と同級生の間では話題になりました。そ・し・て、「豆腐を発明した人じゃネェノ?」と言うことに決まりそういうもんなんだ。と納得しました。

 後に子供向けテレビ番組で、大陸の遊牧民が食べているヨーグルト。これを「乳腐」とニーハオ族が呼んでいて、「俺らも乳腐を作ってんべぇじゃねぇの!」と大豆で豆乳作って、不純物タップリのニーハオの水入れたらニガリ成分があって凝固して豆腐ができた。と放送していました。小野道風は豆腐屋のおやじではなかったのです。

 豆腐と言えば祖父の晩年は冷ややっこと酒2合が日課で、夕方5時になると豆腐半丁と熱燗徳利二本を持って行くのが私の役目で、祖父はテレビでピンポンパンをつけて待っていました。4歳下の弟はそのままピンポンパンを観るのが日課で、当時はモノクロでしたが、カラーに変わってほどなく祖父は亡くなりました。

 祖父のすぐ下の妹の嫁ぎ先が豆腐屋で、明治39年の丙午生まれでしたから生きていれば119歳。来年が丙午ですね。その家の豆腐に醤油と一味唐辛子で冷ややっこ食べてました。

 この夏はほぼ毎日冷ややっこ食べているのですが、酒ではなく冷たいお茶で、仕事から戻ってくると冷蔵庫から豆腐を出して、薬味を乗せたり乗せなかったり、一番多いのは唐辛子に醤油かな?スーパーに行けばいろいろな種類の豆腐が出ているけれど、昔のように豆腐屋の水槽の中の木綿豆腐がいいなぁ。見かけなくなっちゃったな。

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9月です!

2025年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 9月に入りましたが意識が吹っ飛びそうな猛暑は続いています。

 今日も救急車とレスキューの工作車がサイレン鳴らして走っていたので、家の中でぶっ倒れていた人でもいたのだろうか?交通事故や今年トレンド入りした飛び降りの場合はもれなくパトカーがくっついてくるので、レスキューと救急車だけなら急病。救急車はいとも鳴らさずいつの間にか下って行ったようですし、ドクターヘリも飛んでこなかったので「だめだったんじゃねぇの?」

 8月はお盆もありましたが、結構葬式にも御呼ばれしたのでお茶がたまりました。静岡の産業に貢献しているんですね。おかげさまで常時水だし茶を冷蔵庫に入れているので何とか猛暑を乗り越えています。

 お茶と言えば茶菓子。

 通販生活ならぬ痛風生活を営んでいるカン太君のおとっつぁんは「これだけ暑いと結構がよくなるので痛風が出ない。」と言ってますが、周りの人たちからプリン体がたっぷり入ったビールやもつ煮をもらえて「痛風もまんざらではないです。」と喜んでいます。尿酸値同様血糖値も上げた方が良いと温泉饅頭をもらったそうで、おすそ分けをいただきました。

 9月は台風も攻めてくるでしょうし、この暑さ。乗り越えられるのか?年々厳しくなる高齢者予備軍です。

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月末ですね

2025年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気晴朗なれど日曜日そして8月最終日。気合入れて休むぞぉ~と、横になっていましたが、昼近くにあれば気温が上がって寝てもいられなくなる。それでも、借りてきた「るろうに剣心」をじっくり読み込めました。

 「鬼滅の刃」は大正6-7年ごろですが、明治10年代もすごい時代だったんだなぁと「るろうに剣心」読みながら考えました。大久保利通暗殺事件も出てくるので明治11年。薩長を中心とした新政府と庶民の間にもいろいろ軋轢もあり、まだまだ平和な世ではなかった。

 自分たちの思惑と違うからと要人殺害はいかがなものか?とも思えるけれど、国民を全然見ていない昨今の要人見ていると、「さわやかなテロ」ってあるんじゃねぇか?言論をとことん無視するなら引き金は引かれる。

 8月末の税籍議員数で政党助成金は決まるんだったっけかな?役所の方も8月中は来年度予算の概要を作るときですし、政局でごたごたしていると勝手もやりやすい。なので、財務省もそろそろ石破さんには用がなくなったんじゃないかな?9月はにぎやかになるぞ。

 昨日、ピーマンをたらふくいただいたので、山岳会の祝典に行ったときにスーパーでひき肉買ってきて、今日はそれをチンジャオロースーにしました。ピーマンとひき肉にタケノコとキクラゲ入れたらあまりに大量なもんで。二回に分けて炒めて、しばらく食いつないで行けそうです。

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70周年

2025年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 猛暑の中、八丁堀に会社がある保養寮に薪の配達に行ってきました。二度目の学生時代、高田馬場から地下鉄東西線で茅場町で乗り換え、築地の市場にアルバイトに行く途中に八丁堀があり、何度も散策に行った街でしたが、捕り物帖もない普通のビジネス街でした。そんな話を保養寮の管理に来たくれた人と話してきました。どんな会社とは聞かなかったけど、場所や話しっぷりから証券会社灘と察しました。

 昔連れて行ってもらったことある八丁堀の天ぷら屋さんの話をしたら、「あそこは今高級店で一人1万円以上ですよ!」え?天ぷらが・・・。先日、スーパーで二食100円のそばが半額だったので、竹輪とサツマイモとカボチャの天ぷら各80円の半額買ってきて天ざるにしたのですが、120円の海老天は半額でも手が出なかったこの生活。1万円の天ぷらなんて決して口にできないと思ふ。他人様の金と労力を左右する仕事しなけりゃ、天ぷらに一万円はつぎ込めない。額に汗どころか全身汗まみれの仕事じゃダメなんだな。

 とは言え、なけりゃ工夫するのがブルーカラーの面白さ。昨日、ナス貰ったので天ぷらにしたんだけど、衣がきれいにはがれて蛇の抜け殻みたいになっちまったので、ナスの素揚げは気の食べて、今朝はその抜け殻の衣に天汁かけて衣だけの天丼?タヌキ丼?で二度楽しめた。貧乏ってのはいいもんだ。

 夕方から山岳会の70周年記念祝賀会に参加してきました。

 私が入会したのは最初の学生の頃で、大学山岳部より社会人山岳会の方がより多く学べる。ちょうどヒマラヤ鉄の時代第二弾で8000m級の山々のバリエーションルートや冬季登山、無酸素登山などが世に席巻し始めた時代でした。

 結果、私の人生を大幅に狂わせたのがここに集う連中だった!と言わざるを得ない。

 当初の予定では今頃お役人から天下り転々として退職金ため込んで、ロマンスグレイのステキなおじさまになって南青山の瀟洒なお家に住み、夜な夜なAMGのベンツに乗って赤坂あたりに出没し、女子大生にモテモテの紳士となっているはずだったのが、登山に足突っ込んだからこのざまさ。

 衆議院議員の中曽根さんが来てくれました。おやじさんの弘文さんが長いこと県の山岳連盟の会長やってくれていたので、そんな関係で来ていただきましたが、今は石破おろしの真っただ中。挨拶だけして帰りました。

 来賓席には参議院議員や県会議員。近隣市町村長。きな臭い顔ぶれでしたが、なぜかこういう集まりで顔見知りになっているので、何かの時には・・・頼られる。

 遭難事故こそないものの、この一年で70代の山岳会の重鎮が3人亡くなり、県の山岳連盟の顔なじみもそこそこ鬼籍に入られているので、同世代の登山仲間と顔を合わせるのは黒い服を着るときばかり。予定ではスーツで行こうと思っていましたが、このところ山仲間と顔を合わせるのは葬式や偲ぶ会ばかりなので、今日は鶴の刺繡が入ったシャツとジーンズ姿で参加しました。

 クライミング技術がある若い衆を手名付けてチェーンソーの使い方を教えたら、私の仕事の手助けになる。少なくもキツネや猫より役に立つ。何とか後輩たちを娑婆から脱落させて山仕事に引き込もう!と、手なずけてきました。

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天分の才

2025年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏前にハンチング帽を新調してました。夏向きのメッシュになっているタイプで、通気性が良いもの。でも、暑くて汗でシミができるともったいないし、日に焼けて色がすすけてももったいない。何よりハンチング帽かぶってお出かけする機会もない。ので、帽子は玄関前に置かれたまま、タオルほっかむりして野良仕事してます。

 夕方、巨大秋田犬のゴンちゃんの家に行ったら、ゴンちゃんはモフモフの毛を風になびかせて「全くやる気はございません。」と冷風機の前に横たわっていました。猫のてっちゃんとグリちゃんが玄関に出てお出迎えしてくれました。ゴンちゃんのお父さんはこの糞暑い中、警察官の頃の後輩たちと埼玉県でゴルフしてきたそうで、「水一口飲んだらペナルティーで一打追加な!」と体育会系の乗りになり、ほとんど我慢大会のようなスポーツだったそうです。

 中学時代、夏休みの柔道部の練習日には学校の裏の河原で心身を鍛える練習があり、まぁ。ひらったく言えば河原で魚とりしてたんですけど、コーヘイちゃんと言うその道の名人がいまして、岩の下に手を入れてヤマメを捕まえてしまう。岩や石を背にして動かないハヤなどとは違い、ヤマメは水の中に浮いているのでモリで突くのも難しい。ぬるぬるしているので捕まえるのはさらに難しいのですが、コーヘーちゃんは「魚のしっぽの方から手を入れてうろこのあたりをギュっと捕まえれば簡単だよ。心を魚と同じにするんだ!」と簡単に捕まえてしまう。

 小柄だったので柔道は格段に弱くて頭も下から数えた方が早い人でしたが、「2000年も昔なら奴は村長になれただろうな。」時代は終了採取ではなくなっていました。

 コーヘーちゃん。魚好きがこうじて板前になり、福島市の料亭で働いていましたが、あの震災と菅直人が起こした原発事件があり、こちらに戻ってほどなく脳溢血でぽっくり亡くなってしまいました。コーヘーちゃんの妹が私と同級生なのですがこれもくも膜下出血でぽっくり亡くなっているし、その下の妹も同じ病でぽっくり。5人兄弟が一番下だけ生き残っていますが、両親はまだ健在です。「魚の祟りかなぁ。」

 私の同級生にもコーヘーちゃんと同じくらいの魚とりの名人がいましたが、新潟の漁師の家に婿に行ってイカやハタハタ取っているみたいです。この暑さと海流の変化で無事に凌駕できるのかな?今は大雨の前線が日本海を覆っているし。

 「天分の才がある奴っているんだよな。こういうの目の当たりにしちまうと、俺らはただ単に努力してくっついていくしかねぇもんなぁ。」魚とりではコーヘーちゃんに才覚の違いを見せられ、警察官になった化け物みたいに柔道が強い奴があまたといた。深い人生を挫折の中から這い上がって、犬と猫二匹を育てている。これもまた大したもんです。

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ゴーヤ

2025年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 家の窓から見える山桜が葉を赤くしました。猛暑で葉を落として休眠状態に入るみたいです。私も休眠状態に入りたいのですがこう暑くては昼寝もままならない。

 土曜に薪の配達をしてほしいと別荘族から注文がありました。こういった人たちが来るのが土日なので、これから土日も結構忙しくなるのですが、スキー場近くの旧ペンションを会社かなんかの保養所に改装しているという話は以前耳にしてました。でも一応配達する場所の住所を聞いたら「東京都中央区八丁堀・・・」え?それってお江戸?八丁堀って岡っ引きでもやってるの?なかなかすごいギャグをかましてくるな!

 会社の住所行ってから当人も間違えに気が付いたみたいで「え?あそこって何番地でしたっけ?」こんな建物の元ペンションですよね。とこちらから言うと「そうですその建物です。よくご存じで。」会社の中もこの社員の間違いに気が付いたみたいで、笑い声が聴こえました。はいはいわかりました。楽しくて良い職場のようで。

 に、しても。2mも雪が積もる場所に別荘持って、維持管理が大変だぞ!

 夕方、ちょこっと顔出した家でゴーヤを一本貰いました。レタスを中心にしたサラダに入れてみたのですが、苦い!昔沖縄に行ったときゴーヤを丸ごとかじっていた人を見かけましたが、向こうの人たちにはソウルフードなんですね。昭和の時代にはゴーヤなんて呼び方ではなくニガウリなんて呼ばれていましたが、およそ寒冷地のこちらでは作れない作物だろうと思ってました。今日顔出した家では庭でこのトロピカルな野菜作ってます。

 そういえば、いつどこで何をやっているのかわからない甲子園。今年は沖縄が優勝したみたいです。なんでも、沖縄勢初優勝だとかで、これは意外でした。やたら強いイメージがあったのだけど。

 野球と言えば九州四国方面が強くて関東から北はそんなに盛んでもない時代に育っていることもあって、昨今の勢力図の変化が以外にも思えますが、こんな暑い時期に野球なんかやっちゃぁ体に毒だぞ。体育どころか体破壊。

 年々夏を乗り越えるのがきつくなっています。

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共棲?

2025年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も脱水症状ヘビー級。夕方には左太ももの裏側がつって歩くにも事欠くありさま。こまめに水分補給しているのですが、出るほうが多い。

 作業している土場のあたりでは腐敗臭が漂っています。多分ささやぶの中でクマかイノシシの大型動物が息絶えて腐っているのだと思いますが、もし人間だった見つけると後が厄介なので近づかない。でも臭い。なんかこのところあちこちで大型動物腐敗臭があるので、農家の逆襲が始まってるな。トウモロコシは大方終了したし、次に狙われるのは田んぼの稲でしょうからあと半月ほどはゲリラ戦が続くな。

 痛風持ちのカン太君のおとっつぁんはスーパードライともつ煮でプリン体の補給を行っているようですが、「全然痛くならないですねぇ。」なんか、ただ食いされているように思えてきた。

 おとっつぁんの地区近所でキャンプしていた街場の子供たちが、夜、おなじみの肝試しでキャーキャー騒ぎながらおとっつぁんの集落をうろついていたそうです。前日熊の親子が目撃された地区なのですが、「お化けと熊なら、熊の方がアブねぇんじゃネェノ?」素朴にそう思えてならない。熊にはお経もお札も効かないもんね。騒ぎでも起きて熊でも駆除することになったら、考えなしなことやっていたにもかかわらず「熊がかわいそう」。これがお化けで祈祷して追い払ったら「お化けがかわいそう。」ってなるのだろうか?おとっつぁんの地区、いわくつきの墓地があるのだけど。

 昨今、上越市になってしまった越後高田からこちらに移り住んできた年輩夫婦がいます。雪の降る量だったら圧倒的に向こうの方が多いので、こちらは住みやすかろう!と言ったところ。「海辺は大雪が降ってもすぐに溶けます。でもこっちは気温が低いし坂道はきついし。生活するにはこっちの方が大変ですよ。」やっぱそうか。この村、川を挟んで北側が上杉。南が武田配下の真田領地だったのですが、謙信の故郷高田の夫妻は武田側に家建てて住んでいます。直江兼続の謀略だろうか?と問うてみたところ「え?こちらまで影響力あったんですかおらがオヤカタ様!」え?知らないで住んでたの?

 私なんか毎年毘沙門様にお参りしているし、7歳の時には雲洞庵に小坊主修行にも行かされた。越後移民が多いこともあるけど、高田の林泉寺参りや弥彦神社参りは稲刈り後の恒例行事だった土地なんですよ。

 その上越市、なんだかアフリカのガーナかどっかのホームタウンとやらに勝手に認定されたようで「あんな連中が移り住んできても生きていけねぇらすけ、何ばかなこと考えてんらろ。」体力あっても雪かきは無理だろうな。ほかにも勝手にアフリカ諸国のホームタウンとやらに認定された市が国内各地にあるようで、これって外患誘致?

 結果的には「不幸」を呼び込むだけなんだけど、こういうのもニーハオ一帯一路政策の一環なんですかね?

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みつ豆

2025年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 日が短くなってきました。夕方6時には日が影って早めにライトを点灯する時期になりました。あと1か月もすれば日没以降の方が長くなる。

 それでもお日様は根性入れて熱さを送り込んでくる。冬にこの半分でいいから熱波を送って下されば暖房費が浮くんだけど。

 久しぶりにみつ豆を食べてみました。父の新盆の時に供えたみつ豆を食べて以来だから10年ぶりくらいか?たまたまスーパーの缶詰コーナーでで見かけて買い物かごに入れたのは先月中ごろでした。冷蔵庫でよく冷やして、器なんかに開けないで缶詰のままスプーンですくって食べました。子供のころこういう食べ方が夢だった。いつも缶詰を三回分くらいに分けて食べさせられていたので、「大きくなったら缶詰一つ食ってやる!」と願望がありました。今はただの横着なんですけど。

 私が幼少の頃、と言っても昭和30年代終盤から40年代初めの時代ですが、まだまだ甘い物が希少な時代で、砂糖は高価なものでした。葬式の引き物に砂糖が人気だった時代です。このあたりでもサトウダイコンなんて作物を作っていた時代で、山が赤く色づくころになると集荷所に山積みされて出荷されていました。

 祖父に「砂糖は太陽の光と熱を植物が貯めたもので、太陽が作ったものなんだよ。お日様の光に当たると甘くなるんだよ。」と教わったのですが、なんでお日様の光に当たると甘くなるのか?なんてことは当然わかりませんから、物干しの洗濯物眺めながら「これも甘くなるのか?」なんて考えてました。太陽の果実。宮崎マンゴーの売り文句ですが、果実は太陽の恵みあればこそ。

 思い返してみるとあの時代。男の人が甘味処に行くなどはばかられる時代で、甘いものは女子供の物で大の男が甘党なんて大手を振るえる時代でもなかった気がする。

 平等になったんじゃないですか?

 

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100年

2025年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜「るろうに剣心」を見て剣術を勉強したので、飛び交うアキアカネの集団を杉の枝で切り付けてみたが全然当たらなかった。トンボ、私の居合をひらりと交わすのでなかなかやりますなぁ。

 「るろうに剣心」の時代は明治10年ごろで、徳川幕府が倒れてその混乱がまだまだ漂っていた時代。お江戸では時代の変化が混乱を伴っている頃に植えられた杉の木を見せてもらいました。「ひいじいちゃんが生まれたときの植えられて記念樹だ。」と言ってましたが、中が腐って空洞化して、このままだと危ないので、3年ほど前に切ったのだとか。

 来年が丙午で、明治39年が丙午だったから明治38年で120年前。28年が130年で、18年が140年。え~っと。とにかく150年前ごろに植えられた樹ってことですね。

 直径1m50cmほどの幹に人が入れるくらいの空洞ができていましたが、外側の幹を製材して化粧板にするのだとか。

 私が小学校に上がる頃が明治百年で、明治生まれはどこの家にもいたような時代で、展示会や講演会などがありました。祖父は明治36年生まれでしたし祖母も明治40年。えらい年寄りに思えましたが今の私より若かった。

 昭和百年の今年は太平洋戦争から80年と騒がれたけれど、明治百年の頃は20年。日露戦争から60年ほどの時代でしたよ。それでも異国の話じゃねぇか?と思えるほど時代が変化していましたが、今はどうなんでしょうね?何となく乗り越えているうちに変化を受け入れているんでしょうが。

 先ほどの杉の古木じゃないけれど、仲が腐って空洞になっている政治のありさま。なんだかねぇ。

 

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お休みなれど

2025年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 天気晴朗なれども猛暑だしぃ、日曜だしぃ、地区の用事もあるしぃ。で、仕事をお休みにしました。なんだろうねこの暑さ。風がないから空気が動かないし、湿度もある。盆地の暑さに似た過ごしにくさでした。

 午前は隣町のセフレ(世間話フレンド)の会の仲間のところに書類持って行く用があり、エアコン装備の乗用車で出かけたので何とか暑さを免れました。川越に住む娘が子供を連れて疎開しているとかで、「こっちが涼しいなんて言ってるくらいだから、向こうはとんでもねぇ暑さなんだろうな。」沢渡温泉の入り口で川遊びしているとかで、「迎えに行くついでに上州軒でラーメン食ってこようか!」とくっついていきました。公園になっている駐車場は満車でそこから川に下りて楽しんでいる家族が多数いました。駐車場の車の半数以上は他県から。上州軒では毎度定番の500円の野菜ラーメン食べてきました。

 昼過ぎは地区の旅館を改装して作った障碍者施設のお祭りがあったので顔を出してきました。参加者にはかき氷とコロッケが出るというよくわからない取り合わせでしたが、冷房が効いている元広間だった休憩所でかき氷食べていると、「足湯につかってきた。」と従妹の息子が来ました。この暑さで足湯?さすがに根性入っているな。イベントそっちのけで冷房が効いている休憩所で1時間ほどうたた寝をしてきました。

 夕方、西山画伯から呼び出されてブツの引き取りに行きました。通販生活ならぬ痛風生活を営んでいるカン太君のおとっつぁんに協力しようと、「ビール持って行ってくれ!」。おとっつぁんはキリン党なのですが、「スーパードライの350mlでも2本飲めば痛風が痛くなります!」と協力を喜んでいたので、明日、もつ煮と一緒に届けてやろう。

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会議

2025年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 厳しい猛暑の中の外仕事。午後2時半ごろに脱水症状が出て「こりゃやばいや!」と日陰に逃げ込みました。アキアカネが飛び交っていますが、体が赤くなって赤とんぼの姿になってきました。

 今日はノブちゃんが手伝いに来てくれましたが、ノブちゃんの地区では79歳のおやじさんが亡くなって、昨日が葬儀の日でした。心臓にペースメーカーが入っている人で、先月は私が作業しているところに「無理しなさんな。」と顔出ししてくれたのですが、今月初めに体調が悪いからと入院し、こちらの病院では手に負えないと群大の病院に行ってほどなく亡くなっちゃいました。

 この春はノブちゃんが頼まれてこの家の田んぼの田植えをしたようですが、「ついでに稲刈りもやることになりそうだ。」今年は稲の実入りも早いので、来月早々には稲刈りが始まりそうな気配。「田んぼの水は問題なかったけど、日差しが強いので稲が焼けて収穫量は少ないかも?」と心配しています。

 「この一年で上手に作物育てる米農家がずいぶん亡くなった。」いい米を育てる人たちが高齢者と言うこともあるのですが、こうした人たちって作物の声を聞ける人たちで、決してこちらの意図を押し付けない。

 新しく農業やろう!と言う若い人たちが何人も入ってきましたが、思い入ればかり空回りして5-6年もすればどこかに出ていっちゃう。まぁ、農業なんて作物へのサービス業ですから、お・も・て・な・し精神のしごと。あんたの「崇高」な理念なんざぁどうでもいいからこちらが生きやすい環境作ってくれ!と言うのが作物の声。そこそこあきらめがつく年齢にならないと作物にとって都合の良い耕作者にはなれないみたいですね。

 夜、来月催す映画会の打ち合わせがありました。この活動に対してキリンビールの会社がスクリーン寄付してくれる話が出て、実現するのは来年だろうけど、ビールはキリンを飲みましょう!と言うことになりました。キリン党で痛風持ちのカン太君のおとっつぁんは「一番搾りが一番痛風に効く。500mlが痛風向き。」とあちこちからビール貰ってますが、おとっつぁんの痛風のためにもビールはキリン。つまみはモツ煮。

 地区の空き家で、「みんなが何かやるなら使ってもいいよ。」と家主さんが言ってくれた家があり、「子ども食堂みたいなことをやりたいね。」なんて女性陣が提案しました。が、子供がいない高齢化地区。「ジジババ食堂なんてできないかね?」独居老人や高齢化世帯も多いし、顔ださなければ「飯食べに来ないから死んでんじゃネェノ?」と様子を見に行ける。食品衛生責任者も調理師も、栄養士も免許持っているので、「協力するよ。」と言っておきましたが、「私たち料理得意じゃないもんね。」と自覚しているおばちゃん達。料理までやらせる気か?

 とにかく何か新しい動きを始めねば。

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外国人問題?

2025年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 「外国人」とひとくくりにされるけれど、何かと問題になるのは異なる倫理観や常識を持った方々で、そもそも「共生」の概念がない人たち。はっきり中韓やクルドとか名指しにしてもヘイトではないと思うのだけど。

 私の町、外国人多いですよ。特にオーストラリア、ニュージーランドが多くリトルオセアニア化していて、カン太君のおとっつぁんなんか日焼けしたらマオリ族のおっさんのような顔になりましたが、おとっつぁんも移民で福島人です。AIのオッケーGoogleは聞き取れないけど我々にはおとっつぁんの福島訛りの日本語は問題なく聞き取れる。お馬さんもわかるみたい。

 オージーもニュージーも福島人も地域に溶け込んでいるので特に軋轢などないし、巷では悪さしているベトナム人も工場勤めで1年程度で入れ替わる。まぁ、地域ぐるみでの協力がなければ生き残れない自然環境ですから、「郷に入る」ことができなければ暮らせない。オセアニア勢は川下りやスキー、登山ガイドなどのアウトドアでこちらに住み着いたのがきっかけで、地域産業の一役を担っているし、「法」があって機能している国から来た人たちなので、約束事も順守する。ベトナム人はスーパーの総菜半額のライバルだが、先にものを抑えて半額ステッカー持ったにいちゃんが来たら周りにたかってシール貼って貰うような真似はしない。オバチャンたちよりわきまえている。

 根底に農耕文化があるか否かじゃなかろうか?定住の概念がなく、食いつぶしたら別の土地に行く商人、遊牧文化の人たちは住む土地に対して「責任」を持たない。やりたいだけやって荒れたら別の場所に移ればいい。こうして集まってきたのが「都市」と言う場所なんでしょうが、まぁ、なんたってこういう田舎では土地を支配しているのが自然ですから、向こう様のご意見に敏感に生きていかねばアウトですよ。

 今日、たまたまオージーの人たちと話したのですが、ニセコの水源を巡って外国資本が入り込んでいる件で、「俺たちじゃないからね。」と気にしているようでした。スキーブームが去って斜陽化しているニセコを季節が真逆のオーストラリア人が来るようになって盛り返したところに入ってきたのが中国資本。個人資金と国がらみでは資本力が違う。「今あんなところに行ったららっラーメン一杯食べられねぇよ。」2000円くらいするんだって。上州軒なら500円だぞ。

 小泉ジュニアが環境大臣だった時にやらかしたレジ袋問題のほかには、国立公園の規制緩和があり、それが釧路湿原などのメガソーラー問題の元となっている。こちらも国立公園の中に住んでいますが、規制緩和の対象じゃなかったから建物建てるったって規制があるのに。

 町のオセアニア勢のほとんどは自然があって生計が成り立っているので、このあたり良くわきまえているけれど、体を動かさず銭を回すことで儲けている連中にはそんなの関係ねぇ。「権利」には貪欲だけど「義務」は持ちたくない。

 差別だヘイトだという前に「区別」はしとくべきだよな。

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停電

2025年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、雷雨で村の広範囲に停電がありました。十数分程度の停電で、私はちょうどいいやと寝てしまいました。

 停電の影響が全くなかったのはカン太君のおとっつぁん。なんたって電気もガスも水道もない生活していますから、停電があったことすら知らない。更に今日判明したのですが、料理もしないから包丁もない。お馬さんの餌を作る包丁はあるみたいですが、サバイバルな生活をしています。日々見切り品半額弁当食べて生活しているので私を含め周囲がいろいろ作って持って行ってます。今朝、野菜不足だろうからと八宝菜作って持って行ったら包丁がないことを発見しました。

 停電が起きた時間帯。カズヤちゃんは自宅でカラオケを歌ってました。夜逃げしたスナックからレーザーカラオケ機器とミラーボールかっぱらってきて、歌って踊れる農家になっているカズヤちゃんの自宅で、一人楽しくリサイタルしていて、「ダンシングオールナイト」歌ってたら電気が突然消えたんだそうです。

 そりゃ、雷様だって怒って落雷かましますわな。と、言うわけで、昨日の停電の原因はカズヤちゃんのダンシングオールナイトだということに閣議決定しました。

 連日の猛暑。10月ごろまで続くでしょう。神無月の出雲神様会議で「今年はちょっと気温上げすぎじゃねぇの?」と指摘され「じゃぁ、省エネも考慮して設定温度下げるか。」と冬将軍にバトンタッチするから、冬は例年より冷え込むかもしれない。永田町の様子も気になるけれど、出雲の様子の方がもっと気になる山仕事。

 で、その隣鳥取の八岐大蛇。ツチノコみたいな顔した首相ね。あと7つの蛇頭って誰かな?蛇頭っていうくらいだから中国マフィア関連だろうけど、大分の岩屋さんに愛媛の村上さんに鹿児島の森山さんなんか二大蛇頭の一人だべな。もちろん広島の宮澤さんと岸田さんも当然加わっている。山口の林さんも八岐大蛇に入るんでしょうな。ついでに鳥取の赤沢さんも入れて八岐大蛇八人衆ってところかな?ニーハオ利権と言う酒で酔わせて一網打尽。

 参議院選挙大敗の財務官僚出身議員の木原誠二さん。こいつが増税政権の蛇のしっぽで、スーさんことスサノウのミコトがしっぽ叩ききったら草薙剣が出てくる。日本の神話ではこうなるのでしょうが、草薙剣って利権の事かな?草薙剣は愛知の熱田神宮に祀られていると聞いたけど、愛知と言えばフェンタニル。なんか、日本昔話で連想が広がるなぁ。河野太郎さんや小泉ジュニアはどういう扱になるんだろう?

 猛暑で大汗かいたので久しぶりにビール飲んだらくだらないことばかり思い浮かぶわなぁ。そうでもしなけりゃやってられねぇわなぁ。

 

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夏休み

2025年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 温泉で一学年後輩と顔を合わせて、「俺たちが子供の頃は8月20日で夏休みは終わったよな。」なんて話になりました。世間様より夏休みが短い分、冬の大寒の頃に「小正月」休みがあったり、6月の初旬に農繁休暇と言うのがありました。田植えよりも蚕揚げに合わせた時期の休みでした。

 当時は養蚕が農家のメインで、春、夏、秋、晩秋と4クール蚕を飼って製糸会社に納めていましたが、現在養蚕をやっているのは2-3件です。養蚕農家の規模は「何グラム」飼うかで、グラムと言うのは蚕の卵の量のこと。大きな養蚕農家では100gなんてのがいて、家をすべて蚕に明け渡し、自分たち家族は外にホロ張って生活しているようなありさまでした。

 風呂で会った後輩の家も夏は50gぐらい飼っていましたが、なんたって山の上だから桑畑で蚕の餌運んでくるのが大仕事。しかも桑の芽吹きが遅いから春の解雇は飼えない。「俺んちは乳牛もいたから家族労働じゃこれが限界だったなぁ。」次第に蚕から乳牛にシフトしていった家でしたが、寒冷地で米がとれない地区でした。「オカボ」なんて呼ばれた陸稲を食べて育ってきたわけですが、水はけがよすぎて田んぼが作れない地区もオカボを作ってました今ではリンゴ畑の果樹園地帯になってます。

 「夏休みは家の仕事の手伝いで、子供だって労力に入っているから学校行ってる方が楽だったよな。」そんな育ち方してもそこそこまともな人間に育ってきている。少なくも石破さんのような二世三星議員よりよほど娑婆に対する責任感を持っている。

 私は先にやってしまうタイプだったのですが彼は夏休みが終わりに近づくと宿題をやり始めタイプ。2歳年上のおねえさんがいたので、お小言言われながら宿題手伝ってもらったようです。読書感想文と言うのが厄介で、基本的に読書などしないもんだから感想も何もあったもんじゃない。夏休みに公民館に来る巡回映画で昔話などを題材にしたアニメで本を読んだことにして感想文書いていたんだとか。

 夏休みが終わると水泳大会があって、お盆があって、運動会になる。秋のバス旅行に紅葉の写生会。マラソン大会。2学期は長かったけれど結構行事が多くて楽しかったもんです。

 エジソンの言葉じゃないけれど、「少年は一日は短く一年は長い、老人は一日は長く一年は短い」

 一年は簡単に過ぎていくもんね。 

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