のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

祇園祭

2021年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 熱くてたまらんですなぁ。昨年の今頃はまだ梅雨明けしていなかったけど、結局8月も終わりになってから猛暑になった。

 このところ毎日夕方になると雷雨になっているので、ヒグラシが戦法変えてきました。夕方カナカナカナと鳴くのではなく、明け方4時頃に一斉に鳴くのでうるさくて寝てられない。夕方は雷様が太鼓叩いているし雨を降らせているから商売にならないにしても、明け方騒がれるのもねぇ。

 今日は例年なら祇園祭なのですが、昨年同様神主様を呼んで役員だけでご祈祷してきました。

 元々は疫病をはらうために始まった祇園祭だそうですが、疫病よりも高齢化で年々営むことが困難になってます。こういうご時世、役員だけのご祈祷ですむので、残念だと言いながらも案外ほっとしていたりする。

 私が物心ついた頃には祇園の神様の天道さまはこの場所になっていましたが、戦中はここに防空壕があったそうです。幸い米軍の爆撃機も飛んでこない山奥でしたから使うことはなかったようですが、私が幼少の頃は忍者の隠れ里と言うことになっていて、この山の森を飛び回っていたんです。

 小学校に入る頃だったと思いますが、大人たちが祇園の祭祀をやっているその周りで、ガキどもの皆さんは木に登ったりターザンごっこして走り回っていましたが、祭祀をやっているのは私の祖父など、明治生まれの人たちでした。お祭りなのにあの爺さんたちは何をやっているんだ?と、眺めていたおぼえがあります。

 祠にはブドウやトマトなんかがお供えされて、それを狙っているので「早く立ち去らねぇかなぁ」と見ていたものですが、近年はサルがお供え物を狙っています。サルが進化したのか?我々がサル並みだったのかは難しいところです。

 お祭りと言えばコーラとおでんがごちそうで、ワクワクしてたものですが、なおらいの日本酒ちょっともらってお開きでした。

 今年は65歳以下の若手が役員でしたが、ごく最近まではこうした祭祀に携わる役員って老い先短い年寄りだったんですよ。そう思っていたのですが、今や忍者ごっこやってた連中が中心になって柏手打っているのですから、歳月ですねぇ。しかもそれぞれ年齢相応の持病を持っている。やはり老い先短い年寄りになっているのだろうか?

 集まった人たちの話題でちょっとだけオリンピックの話が出ましたが、世間一般に言われているほどひどい開会式ではなかったようです。ただ、もう少し金かけても良かったんじゃないか?と、手を抜いた感はあったようです。着物がなかったのが寂しかったとか。

 テレビがないので競技がどうなっているのか?開会式をネットでも見る気がしないのでスルーしていますが、183億円だったか、かなりの予算がついていたはずです。大方電通が中間搾取して、安く作らせたのでしょうが、消えた予算を追及する野党もいませんしね、やりたい放題でしょう。

 電通にやらせるよりディズニーにやらせた方が安くて良いものができたかもしれない。

 なんたってこの暑さです。涼しくするにはどうすれば?

 競技場にコンピューターグラフィックで、野ざらしの草むらを映し出し、お岩さんや皿屋敷のお菊さんや牡丹灯籠のお露さんたちに出てもらって、化け猫の手招きでダンサーが踊り、疫病下の混乱をイメージさせる。

 そこへスキンヘッドでタンバリン持った大黒様が現れて、タンバリンでお清めすると、浅草のロック座や新宿のニューアートや渋谷の道頓堀劇場など、日本各地から集まった踊り子さんたちが森英恵デザインの和装姿でやって来てコンテンポラリーな踊りを踊る。天岩戸にお隠れになった天照大神を呼び戻すためにアメノウズメノミコトが踊ったダンスの再現。そしてそれは日本の歴史をも意味する。

 選手たちはタンバリンやリボン持って入場してきて、ポラロイド撮影は一枚500円で、交通遺児に寄付される。

 18歳未満ご禁制のステージなので、テレビでは放送されない。

 なんてことをやればね、次回はクレイジーホースやムーランルージュなどストリップキャバレーの大国パリオリンピックです。フランスの意地にかけてもアート前面に出した開会式をやって来るでしょうね。オカマショーだって日本のお笑いとは異なる次元で打ってでる。

 やっぱヨーロッパだから選手はユーロ札を踊り子さんのパンティーに挟むのかな?

 いづれにせよ無観客放送なしで、怪しい魔界の儀式オリンピックになるかも?

 イスラム諸国で開催になればベリーダンサーかな?顔かくして下は隠さない。

 と、対案を出しておこう。

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それでね

2021年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 それでね、

 今日、すごい発見したんです。白狐沢という川に架かる橋、25年くらい前にできた橋なんですけどね。

 この川の上流は蛍が飛び交ってます。蛍はどうでもいいんですけどね、白狐沢っていうくらいだから、橋の端に設けられているモニュメントは口を開けたキツネだと思ってたんですよ。

 たまたま、役場の職員とこのモニュメントの話になりまして、「リスのモニュメント。」と言われて???と思ったんですね。

 それでね、気になって見に行ったんですけど、リスって言われればリスだなぁ。と、思ったらキツネに見えなくなってしまった。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花なのか?現代アートなのか?なんでこんなところにリスなんだろう?どうしてこれが狐に見えたんだろう?

 きっと二十数年間、狐に化かされていたに違いない。

 それでね、

 なんだっけ?

 小説「死神」裏話の続きね。

 ブログを休ませてもらって、「死神」と「猫と座敷童」を同時進行で書いていたのですが、同じような路線の物語なんですが、降りて来るものが違うんですね。

 「死神」目線になっていると「猫と座敷童」は書けないし、その逆もしかり。基本的に笑いで世相を皮肉っているのはこのブログも同じなんですが、なんか心の置き場所が違うんですね。

 もともと仲間内の楽屋ネタだった「死神」はワープロで書いたものですが、「猫と座敷童」はノートに構想書いてから打ち込んだので、指のリハビリもかねて一度手書きして作りました。それも、万年筆で。

 7年前に軽い脳梗塞患ってから、今もまだ指先にしびれが残っていますが、ワープロは症状が薄い左手で打っていますが、手書きは右手で書いています。ボールペンだと筆圧が強くなるので、だんだん指先が気持ち悪くなってくるので、さらさらと書ける万年筆使っているのですが、同じ題材でものを書いても微妙に違う発想が出てきます。

 それと、昼間、野良仕事でたっぷり疲れたほうが面白い発想が出て来る。なんか憑依するのかな?

 こんな出力の違いがあったか!なんてことを発見しました。

 「死神」には戦中の談話がいくつか出てきます。中にはこのブログで紹介した逸話もありますが、体験者に見聞きした話をモチーフに書いてみました。

 お、もうこんな時間だ。

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でね!

2021年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 でね!

 話の続きの前に、台風ね。なんの影響もなかったけど、降ったりやんだりの天気に振り回されました。

 オリンピックとコロナ関連はニュースも見ないようにしているんですけど、メダルラッシュと感染者ラッシュ。めでたくもありめでたくもなし。

 「小説・死神」。楽屋ネタ小説だった当初は百年に一度目覚める疫病神集団、天然党の中森頃奈ちゃんというキャラがニーハオの国に行って疫病ぶっ放して国を崩壊させるストーリーもあったのですが、次第に疫病で世界が暗くなりすぎたので、この章は没にしたんです。

 頃奈ちゃんの配下には稲子よしかずさんと言うギャンブル好きでマンガが得意な疫病神がいて、アフリカからイナゴ引き連れて大陸を枯れ野原にしてしまう、心温まるストーリーでしたが、世相を考えると出すに忍びなかった。

 「猫と座敷童」には「コロナ」という文言は入れずに「疫病」で統一してます。コロナが出てくるのは自動車の話だけ。

 楽屋ネタ小説がなぜ公表されることになったのか?

 当初は仲間内で楽しんでいたのですが、北朝鮮拉致事件をモチーフにした映画のクラウド活動の仲間からどうでも出版しろという奴が出てきたんですね。なので、嫌だと言ったら、それでも出そう!と、けしかけられ、まず第一弾は猫と国防を出そうと10年も前のネタを持ち出されたんです。我が家の床下の猫が猿の群れと喧嘩した実話なんですが、こんなのとうに終わったコンテンツなので嫌だったのですが、目線を変えて、語り部を座敷童にすることで一歩離れて人間世界と猫世界を見ることにして書き上げたのが第一部の「猫と座敷童」なんです。

 書き上げるにいたって、けっこう大変だったんです。その頃死神もまだ書いていたのですが、もっとひねりを入れたいなと試行錯誤。電子出版とは言え、上梓するとなると後に残るものだから、楽屋ネタ気分ではいられない。

 私の周辺は読書家が多いから迂闊なものは出せない。

 結果、このブログを休むことにしたんです。

 前の前のブログからだと20年に渡って書いてきたものですから抵抗はあったんですが、いい加減な気持ちで新作作れないでしょ。

 でも、「猫と座敷童」は書いていて乗れなかったんですよ。なので出版するとき「本当は書きたくなかった」と表紙に入れようとしたほど。自分の田舎暮らしと向き合うのが嫌でしたね。

 その頃、満州棄民の物語を構想していて、もっと暗く重く苦しいものを考えていたんですが、言い出しっぺが聞く耳持たない。10年も前のお笑いコンテンツに縛られていることが嫌で、執筆も嫌になり昨年の8月でブログはやめることにしたんです。何しろ、自分自身が座敷童にならないと書けない目線ですから、ようやく座敷童目線がつかめてきたかな?と思うようになったのは「猫と座敷童・第二章」になってからですね。

 編集するからと言っていた言い出しっぺは2月に「猫と座敷童」を出すときには「僕にできることは何もない」とケツまくりやがって、ネトウヨなんてそんなもんで調子のいい時だけよいしょして、自分が旗をふれる場がなくなると萎んでしまう。元々能力なんざぁあてにしていなかったけど、俯瞰でものを見られない男ってのは情けないもんだなぁ。その場しのぎでスマホで検索がこういう頭を作っちまうんだろうなぁ。なんて思いました。

 YouTubeの世評見て世の中知ったような気になるのは、ワイドショー見て国政を語るおばちゃんとたいして変わらない。

 USAの大統領選挙を見ても、ネットの底が見える思いがしました。

 ネットとも極力距離を置こうと、今でもそうですが、使わないときはルーターのコンセント抜いているんです。

 で、ただ休んでしまっては今までこのブログを読んで下さった方々に申し訳ないから、「死神」をブログに掲載したんです。

 それでね、

 続きは後程。

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死神

2021年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 小説「死神・前編」Kindleより上梓しました。

 元々ね、仲間内で読み回す楽屋ネタ小説だったんですよ。

 2年ほど前の今頃、博多の祇園山笠で殺人事件が起きたら、と言う設定で楽屋ネタ小説を書いて遊んでいたんです。博多どんたく署という警察署に特別捜査の帳場が立ち上がり、はみ出しものの警官達が集められ、それぞれモデルがいる刑事達で、その個性をデフォルメして遊んでいたんです。

 殺害された薩摩の親分さんが三途の川でテレビ画面見ながら自分の葬儀の様子を眺めていたり、中州の繁華街を顔のないニダ族という人種が暗躍していて、能力を持つ人材を拉致して半島に連れて行ったり、その拉致された人材にイオンの食品コーナーで焼き肉の試食をしていたおじさんがおり、金チャンを焼き肉漬けにして身体をズタボロにして、秋田の海岸で拉致してきた金チャンと同じ体形をしたおじさんの頭を刈り上げ頭にして金チャンの代役にしたら天下取っちゃって、拉致被害者が帰ってくるなどと、楽しんでいたんです。

 博多の街に時折出現してどんたく署の危機を救う謎の日本兵。天神のビルの一角のコーヒー専門店でどんたく署の婦人警官達が女子会をやって店をガタガタにする話など、後の「死神」に使われるモチーフになりました。

 台詞の多くが博多弁だったので、翻訳が大変だったんですよ。薩摩の親分さんなんか薩摩弁なので何言っているのかわからないから、開き直って標準語にしてしまったり。

 そんなことやっていた時、体調が悪化して右手の指が動かなくなり、いよいよあの世とのお付き合いも考えねばなぁ。と思って遺言の形で書き始めたのが「死神」だったのですが、いつの間にかドタバタ劇になってしまった。

 でね、

 裏話、また次の機会に。

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少尉のご帰還

2021年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 お江戸の娘さんのところに身を寄せている97歳のおじさんが帰ってきました。来月8日までいこちらに滞在する予定ですが、私が毎日風呂に連れて行く係です。

 三つ子の魂ではございませんが、前回のお江戸オリンピックが開催された時代、私は3歳でした。山の中腹にある薬師様のお祭りがあって、年老いて足腰が弱くなったお婆さんを当時40代だったこのおやじさんが背負ってお参りに連れてきたんですね。

 一緒にいた祖母に「ああいう立派な人になるんだよ。」と言われて、それは良く憶えています。

 その頃は小児結核の不健康虚弱児で、栄養価が高い山羊の乳飲まされていた頃でしたが、そこそこ人様の世話ができる身体になれたのは感謝ですね。

 オリンピック開催期間中はお江戸を離れてこちらで一人暮らしするそうで、夕方、お風呂に連れて行きながらいろいろ昔の話を聞こうと思います。

 拙著「猫と座敷童」シリーズでご隠居様のモデルで、大切な地域人材です。

 猫と座敷童は夏の部と、番外編の「木霊」を別途書いておりますが、来月中には上梓できるかな?

 その前にこのブログで連載した「死神」をKindleからUPします。前編後編に部に分けて出す予定です。

 表紙絵も新しいものを描いて貰いました。なんたって勢い任せで書いたものですから誤字脱字が多い。IMEが悪いんだよな、きっと。

 現在、見直し中です。

 周辺からは紙出版しろとせっつかれているので、そちらも検討中ですが、また編集し直さなければならないので、大仕事になりそうです。

このところ、暑さで創作能力オーバーヒート気味なので、編集しようかな?とも思ってますが、暑さがねぇ。

 日が短くなってきているので、あと半月持ちこたえれば萩の花が咲いて、なんて涼しくなるのを待ち望んでいますが、そうなると、今度は冬が近くなって、こんな追いかけっこしているうちに人生の終焉も近付いているのですが。

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温泉で

2021年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 一日身体を休めて療養するぞ!と、越後国に行きラーメン食べて、松之山温泉に行きました。

 毎日温泉に入っている身ですが、たまには温泉もいいもんです。年に4-5回行く温泉ですが、顔なじみになって来ました。

 受付のおばちゃんには、日焼けして真っ黒になっているので、「海水浴に行ってきたかい?柏崎かい?」と聞かれましたが、海水浴に最後に行ったのが昭和49年。山仕事で日焼けしただけですが、首から上と、袖からが異様に黒くなってます。

 風呂の中では5-6回顔合わせたことがある80代のオヤジさんと再会しました。「おめえさんとこは、えらい豪儀な雪が降ったようじゃないか。」と、昨年末の一晩で2mの日本記録の雪のことを言われましたが、あの後さっぱりで雪不足。

 温泉でもなけりゃ、あんな雪の積もる山の中には住んでいられないですよ。と、言うと「そうゆうがぁ(そうだよね)」とオヤジさんも言ってましたが、松之山の方がこちらより遙かに豪雪地帯です。

 雪まつりで雪の彫刻作りに行ったときに顔なじみになって、かれこれ10年以上になりますが、息災で田んぼ作りやってらっしゃるようでなによりです。

 なんだかんだと4時間ほど風呂に入って、平日の山仕事なみに汗を絞り出してラーメン屋2軒はしごして帰りました。緊急事態宣言にラーメンは入っていないようですが、ラーメン発祥地の人の流入は過酷なまでに制限すべきでは?

 十日町市がラーメンマップなんてパンフレットを作ったおかげで、結構忙しいんですよ。一日に食べられるラーメンの量が限られてますしね。

 昨年7月に毘沙門様参りして松之山温泉に来たときには合歓の花が満開の時期でしたが、今年はもうほとんど花が終わり、遅れた花がわずかばかり残っていました。

 夜になると葉が閉じるので眠る木としてネムノキの名が付いたそうですが、アフガニスタンに行ったときにこの木が生えているのを見かけました。

 東北地方にも多く自生しているので、寒さに強いようです。

 似たような葉っぱで同じマメ科のギンヨウアカシアと言うのがありますが、こちらは春先に花を咲かせます。意外と寒さに弱いので、このあたりでは手入れをしないと生息できないみたいです。

 触れると葉を閉じるオジギソウなんて呼ばれるミモザアカシアもこちらに近い種族ですが、最近は見かけなくなりましたね。

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作造創

2021年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風8号が発生したようで、来週中頃に影響が出そうです。台風一過の猛暑が脅威です。

 作る・造る・創る。創造、造作、創作なんて組み合わせもできる「つくる」という漢字。

 何もないところから生み出す「つくり」が「創る」。今ある物を進化させて「造る」。ある物を組み合わせて「作る」と私は使い分けていますが、「ものつくり」をあえてカタカナにしているのは多分娑婆にもこうした意識があるんでしょうね。

 元々ね、「創る」に関しては、それほど得意とする日本じゃなかったんですよ。ある物を進化させて「造る」は得意で、パクった物をさらに進化させて完璧な物にしてしまう技術。

 種子島、なんて呼ばれた火縄銃だってそうですよね。法外な値段ふっかけられてポルトガルから二丁の火縄銃買い込んだ日本。こいつはええ商売になりまっせ。と、翌年ポルトガルがまたやって来たら、すっかりコピーしたのみならずさらに進化させた火縄銃を大量生産に成功させて、火縄銃大国になっていた。

 作→造→創。右に行くほど人の数はいらなくなる。優れた天才が出て「創る」、優れた技術者が出てきて「造る」、それをさらに咀嚼して「作る」。日本の「ものつくり」は「もの造り」でしょうね。工業大国と思い込んでいるお隣の国は「もの作り」でしかない。

 「創る」者は今までになかったものを生み出すのだから世間の風当たりも強いでしょうね。なんたって新しい概念生み出すんだから。

 「ものつくり」を標榜するのに、なぜか「創る」者を叩きたがる国ですね、日本って。まぁ、クリエーターと思い込んでいる多くは、当人が思い込んでいるだけかも知れないけれど、ヨーロッパなんかそのあたり狡猾にクリエーターを世に出していますね。

 「造る」でもいいんだけど、どんな表現ができるのかな?付け焼き刃で「作る」かな?なんてことを、オリンピックの開会式を前に懸念していますが、テレビがなくってよかった。見られないもの。

 悪かろうが稚拙だろうが酷評はしません。黙って立ち去るだけです。

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シーザーサラダ

2021年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 賽は投げられた。ルビコン川を渡りシーザーの言葉だったかな。今風に言えば、やるっきゃないっしょ。

 で、レタス貰ったんでシーザーサラダ作ってみました。

 と、言っても此度のオリンピック同様、できる範囲でやるしか無い。冷蔵庫にはキューピーのフレンチドレッシングがあるだけ。このドレッシングが特にユダヤ人迫害に加担したことはないと思うが、調べようがない。

 冷蔵庫の中にはベーコンがあった。

 16世紀の哲学者、フランシス・ベーコン。種族のイドラ、市場のイドラ、洞窟のイドラ、劇場のイドラ。この四つのイドラ(幻影)が人を間違えた方向に行かせる。高校の隣地社会の授業で教わったおぼえがあるが、偉大な哲学者もハムになってしまったか。

 どう見てもそんな思想信条とは無縁なレタスのサラダだけど、何処がシーザーなんだっぺか?

 思い返せば変な大会でしたね。招致の時に活躍した人たちはいつの間にか追い出され、なんだか顔が見えない大会になって来たな?と思っていたら、土壇場で不祥事続出。

 こうして倒産した見知った企業があったけど、創業した人達が追い出されたかと思ったら、経営陣が内部対立して、内輪でゴタゴタしていたらいつの間にか消えていた会社ってのをいくつか見てきました。

 登山だったらどうなるだろう?と、想像すると、事故が起きて死者続出だろうな。

 先日、地区の防災対策の会議をしましたが、有事の際に「みんなで相談して」とか、責任者を決めて、なんて意見を出す人がいたんですね。元教員ですが。

 水害や地震が起きているときに「みんなで相談して」なんてやっていたら全滅ですよ。責任なんて各自の自己責任で避難が当然。状況次第で避難場所は変わるし、安易な想定はその想定の状況まで至らないと人は行動しない。

 正確に間違えるより漠然と正しくありたい。ジョン・メイナード・ケインズの言葉でいいと思うのだけど。

 それより高齢者の避難支援で、100歳以上が5人いるのに、20代3人、30代2人しかいないこの地区。どうすりゃいいんだ?

 なので、難しいことは考えないことにしました。

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馬車馬のごとく

2021年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 6-7月は叔母の葬儀などもあって慌ただしかったのですが、そんな中、馬車をひいていたカンタ君が亡くなっていたそうです。

 馬車馬のように働いた生涯でしたが、晩年、足を痛めてからゆっくり余生を過ごせたので、「いい生涯だったんじゃなかろうか?」とカンタ君のお父さんが申してました。

 俺ら、働けなくなったら即刻アウトだもんな。社会保障に恵まれていない山村暮らし、身体だけが資本です。

 曜日に関係なく雷様のご都合に合わせて働いている山のおじさん達ですが、オリンピックでおかしくなったこの連休は、天気に関係なく仕事は休んで身体を休め、オリンピックを見なさい。と、お達しが出ました。が、うちはテレビがないので、無観客になりきろう。

 大体、気温が高い人里で過ごす方がよりハードだと思うけれど。寝ようったって昼間なんか寝られたじゃない。うっかり寝ていたら身の危険が。

 その前に家にいたら近所の用事を言いつけられそうです。

 若者がいませんからね。

 100歳以上が5人もいるのに20代3人だって、もはや・・・困ったもんです。まったく、困ったもんです。

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山野草

2021年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 山林ボランティアで、朝から雑木林の下草刈りに行ってきました。

 標高千メートル前後の場所なんですが、フタリシズカ、カニコウモリ、稚児百合なんかが生えておりまして、当然そのような山野草は刈らずに残しておくのが私の流儀。

 フタリシズカなんてネーミングがステキじゃないですか。静御前と源義経とも呼ばれるシーちゃんとツネちゃんが、薄 暗い森の中で人目を忍ぶようにひっそり寄り添っているようで、いにしえの人たちのこのセンスに嫉妬を感じてしまいます。

 因みに下の写真はヒトリシズカ。

 こっちはもっと日陰の杉林の中でも生息できるようです。

 しかしながら、背後からブルドーザーのような奴が来ていたんですね。

 いわゆる、林業女子と呼ばれるおばちゃんで、稚児百合を蹴散らし、フタリシズカをぶった切り、エンレイソウなんかズタズタさ。

 おばちゃんにこうした山野草は残すようアドバイスしましたが、「変わった趣味をお持ちですね。」と、言われてしまった。

 エンレイソウはね、胃腸薬の薬にもなるんだよ。

 キヌガサソウなんか、一株4-5千円で売られているよ。

 なんて教えたら目つきが変わった。余計なこと教えちまったかな?

 こういうのは生えるべき場所に生息しているところに価値があって、花を見たければその時期、その場所に出向けばよい。庭で育てようなんてエゴもいいところ。

 と、言うのが野生のおじさんの意見なんだけど。

 来年あたり、この辺にキヌガサソウが咲いていたはずなんだけど?なんて言ってるのかな?

 森の出口に十二様の祠があったから、何か曰くがあるのだろうけど、こうしたメッセージ無視したら祟られるぞ。

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おみなえし

2021年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 6月に亡くなった叔母の四十九日法要と、納骨でした。

 いとこたちとお寺で法要をしましたが、皆私より年が下なので、この叔母が独身だった頃を知っているのは私だけでした。叔母が嫁ぐときに花嫁行列があり、その道のりのことなどを私はよく覚えていましたが、語れる相手も年々いなくなってきました。

 大学院生の孫が帰ってきておりましたが、ビールを飲むようになっておりました。近所なので生まれた頃からかまっていた子供なので、印象的には学校に上がる前くらいのイメージが強いのですが、亡くなった叔母たちにとっては私がそういう印象に受け止められていたみたいでもありました。

 今月亡くなった叔母の娘が来ておりましたが、ちょうどお寺で雑誌か何かのグラビア撮影をやっていて鶏ガラのように痩せこけたモデルさんが来ておりましたが、それを見た美魔女の従妹、目つきが変わって厳しくダメ出しをしておりました。

 多分、自分の娘よりも若いモデルさんだと思うけど、意識高い系は闘争心を持つんですね。

 墓地には女郎花が咲き始めてました。開花期が長い花なので、9月ごろまで花を見せてくれますが、昔はお盆の時の代表的な花で、キキョウ、吾亦紅と並んでよく見かけました。

 このあたりではアワ花なんて呼ばれ、黄色い色が粟めしに似ているからそういう名になっているのだとか。

 島原の子守歌で といも飯ゃ粟ン飯 といも飯ゃ粟ン飯 黄金飯ばよしょうかいな というフレーズがありますが、島原地方に行ったときにサツマイモを混ぜた粟めしを食べてみました。水はけがよすぎる火山灰質の土地なので、イモや粟など畑ものが主流だったんですね。

 その粟めしの気色っぽさが似ているから、アワ花と呼ぶらしいのですが、美容と健康のために玄米食を主食としている美魔女は「粟めし」に異様な興味を示しておりました。

 あんたの生まれた山形にはおしんで有名になった「ダイコン飯」があるでしょうに。

 粟めし、いまや道楽の延長線上になったような混ぜご飯ですが、私が幼少の頃はまだ一般的に存在してました。寒冷地なので水稲があまりよく育たなかったこともありますが、オカボと呼ばれる陸稲もよく食べられていました。白米もアッペン麦を入れた麦飯が主流で、小学校低学年の時のマラソン大会の商品にアッペン麦が出ていたのを憶えています。

 健康のためではなく、腹を満たすために食べていたのですが、そんな簡素な生活していても糖尿病になる人はいたんだから、まぁ、人生なんてそんなもんですよ。

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居酒屋

2021年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 梅雨明けしたみたいですね。

 神奈川県では県知事独自の判断で緊急事態宣言が出され、飲食店での酒類の販売が禁止になったとか。仕事帰りに居酒屋で一杯のおじさん達を駆逐する作戦に出た模様です。何を楽しみに働けばいいんでしょう?

 そんな神奈川県民を応援するために、一人バーベキューをしました。それと、床下から猫二匹がお相伴に来てくれました。前回、ニシンを焼いた網と七輪だったので、ニシンの風味も楽しめるバーベキューでした。

 いつもは飲まないのですが、神奈川県応援のために麒麟淡麗500mlを一本買ってきました。

 自由とは「他」に由らず、「自ら」に由ること。

 なんだか今回の疫病騒動は「自由」を問われているような気もするのですが、分別がなければただの「勝手」。成熟度が問われますね。

 一人飯のプロの私には理解しかねますが、意味もなく人と集うことが人間社会では重要な意味を持っているんでしょうね。居酒屋に限らず、接待を伴わない飲食業で、特に語りはしないが誰かがそばで同じように飲食している安堵感。わからなくもありません。

 たまにお江戸に出ると帰りにアメ横の居酒屋に立ち寄るのが、是は是で楽しいんですよ。プチカフェテリアのように路上にテーブルが並んで飲み食いしている人たち。その片隅で流れ込んでくる話を耳にしながら煮込みや、揚げ出し豆腐食べていると楽しいですよ。

 センベロ居酒屋とか言う千円でベロベロになれる居酒屋、なんて所に行きますとね、またここはここで漏れてくる会話が興味深い。

 なんたってあれですよ。愚痴の対象が上司や取引先、ってのも興味深いですなぁ。この界隈じゃ熊やイノシシだもん。攻撃対象が人間ってとこに文明を感じますなぁ。

 居酒屋で聞き耳を立てているだけでも、なんか気分がいいですね。なるほどなぁ。と、帰ってくる道すがらもまた味わい深い。相手が猫ですとね。聞き耳立ててもニャーしか言わないんですね。仕方ないのでこちらが話しかける。今日はキルケゴールとレギーネについて、スタンダールの恋愛論に蹴る「結晶作用」を用いて話したんですけどね。肉の言うことしか聞かんのですよ。あいつら。

 こてっちゃんでは少々不満、キャベツに至ってはガン無視。カシラ肉の言うことには実に欲耳を傾ける。

 アンドレイ・ジイドの「狭き門」におけるジェロームとアリサを用いて「結晶作用」について語った方がよかったかな?と反省しつつ、猫とのバーベキューは終わりましたが、神奈川県民が居酒屋に行けなくなることで、供給過剰になったビールのお値段が下がるのではなかろうか?なんて期待をしつつ、応援は幕を引きました。

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昭和62年だったと思う

2021年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 どかた殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。という故事がございますが、一日まともに仕事で来た日がない。

 今日も逃げ遅れてずぶぬれになってしまいました。

 梅雨時は雨の回数は多いものの、降水量は秋雨前線の方が多いのが普通。このところの雨は真夏の夕立のように雷雨ばかりです。

 雷雨と言えば土曜日の夕方に二回ほど停電になりましたが、炊飯器のスイッチを入れて数分で停電。15分ほどたって電機が復活、しばらく様子を見ていたんです。と、言うのもその停電の時は雷の音がしていなかった。雷による停電なのか?と様子をうかがっておりましたが、遠くでなっている音がする。

 こりゃ遠ざかったかな?と、再びスイッチを入れて数分。また停電になり激しい雨になりました。30分ほど待っても回復しないので、待ち続けているうちにうとうと寝てしまいました。

 目が覚めたら電機は復活しており、外は激しい雨。

 ふと昭和62年の今頃のことを思い出しました。お江戸にいた頃ですが、夕立がいつまでも止まず、大学の仲間と地下にある居酒屋に行きました。ちょうど前期の試験が終わった日で、夏休み中にやる実験の準備をして駅に行ったらダイヤが大幅に乱れる豪雨でした。で、駅近くの居酒屋に行ったのですが、居酒屋の有線放送からは石原裕次郎の歌ばかりが延々と流れておりました。

 石原裕次郎が亡くなった日だったのですが、そんなこと知らないので、店のマスターが裕次郎ファンなんだろうな。と、思っておりました。

 歩道を流れる雨が階段を下り、店の中に入り込んでくるんですね。ビルにはこうした水を排水する揚水ポンプがあるはずなんですが、故障したみたい。

 地下だけど、床上浸水してきたので、ズボンの裾をめくりあげて店から退散しました。

 私のイメージの中ではこの年はマドンナのラ・イスラ・ボニータがヒットした年で、どこに行ってもこの曲が流れていて、うかれたリズムが似合う元気のよい時代でした。

Madonna - La Isla Bonita [Official Music Video]

 そんな時代に石原裕次郎のBGMには違和感がありましたが、小説「死神」の最後の部分にこの時の経験を入れてみました。

 この春のことなのですが、製材した材木を運んで高崎の建設現場に持って行ったんです。大工さんたちが大音量で延々と昭和歌謡を流しながら作業していたのですが、石原裕次郎の「北の旅人」が流れ、サビの部分になると、大工さんたちが一斉に手を止め♪夜の釧路は~雨になるだろう~♪と唄い、また作業に戻り、二番、三番でも同じようにサビの部分になると手を止めて歌に専念する。エンディングのイントロが終わるまで静かに余韻を味わう。

 で、次に流れて来るのがおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」で、ここで正気に戻って普通に仕事に戻る。これも昭和の歌だったな。

 建築基準法が変わったのだろうか?労働基準法で定められたのだろうか?何かの儀式?

 謎の大工集団。この人たち、できる!と一目置いてしまいましたが、世の中には変なおっさんたちってあちこちにおんねんな。

 早速、この体験は今書いている「猫と座敷童。第三章」に入れておきましたが、人生は経験やねん。

 で、昭和62年で思い出したのですが、「北の旅人」って昭和62年の出たんじゃなかったかな?確か石原裕次郎が亡くなってから出てきた曲だったと思う。

 34年?そんなに時間が流れていたのかな?

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ふと思い出した

2021年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 あ!この映像どこかで見たことがある!きれいなおねえさんが映っていたのでクリックしました。

 と、ついつい見入ってしまったのですが、昭和48年頃テレビでやった「春琴抄」の映像ですね。お琴が松原智恵子で、佐助が松橋登という劇団四季の俳優さん。完膚なきまでの美男美女のドラマ。今の時代だったら非難囂々で作りにくいかも知れませんね。

 山口百恵と三浦友和の映画はこの後でしたが、私的にはこちらのテレビドラマの方が鮮烈だった気がします。後に谷崎潤一郎の本を読んで、隠微なのでびっくりしましたが、京マチ子主演の映画はスケベっぽかった気がします。

新妻鏡 (カラオケ) 霧島昇

 私が幼少の頃は巡回映画というのがやって来まして、90ccのバイクに大きな荷物積んだおじさんがやって来て、公民館などで映画をやりました。子供向けには怪談や妖怪映画、それとアニメの童話映画でした。大人向けの映画は嵐寛十郎の丹下左膳が記憶にありますが、おばちゃん向けに「新妻鏡」をやっていたのを憶えています。それも昭和15年の映画ですよ。

 個人的には松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」と、ごっちゃになっていて、こちらは映画館に見に行ったおぼえがあります。高崎出身の小林桂樹と高峯秀子の主演でした。聾唖夫婦の物語「名もなく・・・」と失明した女性の物語「新妻鏡」。どちらも今の時代では作りにくい映画かも知れませんね。さらに、平等のために黒人やオカマを入れなけりゃならないので、そんなもん作ってられるか!ってなもんですね。

 新妻鏡は私が小学校に上がった頃、昼メロみたいな時間帯に放送されていて、山本陽子主演だったかな?学校から帰ってくると近所のおばちゃん達がうちに集まって見ていたドラマでした。

 この歌に関してはよく憶えていて、昭和40年の紅白ですね。島倉千代子が歌っていたのを憶えています。

 私のすぐ下の弟が生まれた年で、この三日に亡くなった叔母が銘菓ひよこをお土産にお江戸から里帰りしていたんです。

 大学院に行く前に何年か勤め人をしていて、祖母に大正琴を買ってきたのがこの時の帰省だと思いますが、京都で学生営んでいた叔父も帰ってきて賑やかな年の瀬になってました。

 何しろ芸達者な一族なので、祖母の大正琴に母の三味線に、父はギター持ってきて紅白見ながら歌合戦やってました。ピアノなんか別室にあったのですが、ドア開け放って音だけはする。騒音まき散らしてましたね。

 先月亡くなった叔母が倍賞千恵子に似ていると評判だったために、テレビの横で一緒になって踊ってました。一歳になったばかりの娘はまだ歩けなくて、私の膝の上に座って、生後8ヶ月の私の弟は今月亡くなった叔母に抱かれて踊り踊らされてました。

 私は小児結核病み上がりの骨と皮だけのガリガリの子供で、この騒ぎについて行けず、囲炉裏のそばで火に当たってましたが、島倉千代子の「新妻鏡」の時はみんなが大合唱になっていたのを憶えています。

 その年の映画会で「新妻鏡」があったと記憶しておりますが、怪獣も妖怪も出てこない映画だったので、私には難しかった。が、この界隈では映画界と紅白でこの歌がずいぶんもてはやされた地域限定ヒット曲でしたね。

 ふとそんなことを思い出してしまいました。

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黒い涙

2021年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 ""Lagrimas Negras""黒い涙って意味です。 

  私はあなたを失った悲しみのあまり、黒い涙を流している、と言った別離の歌で、90年くらい昔に柔道が強いキューバで作られた歌です。

 ブエナビスタソシアルクラブのオマーラが唄っている動画を見つけました。オマーラもそろそろ90歳ですから、彼女が生まれた頃に作られた歌ですね。

BBC In Tune Sessions: Buena Vista Social Club - Lágrimas Negras

 黒い涙。

 叔母の葬儀の後の火葬の時、つけまつげ付けた美魔女の従妹が泣き崩れていましたが、アイシャドーが流れて黒い涙になっていた。

 そういえば、キューバの歌に”黒い涙”ってのがあったよな。なんてことを思い起こしておりましたが、一応念のため、従妹に「顔がパンダさんになってるぞ。」と言ったら、私の背中に顔を隠して化粧直しのためにトイレまで護送させられました。

 私が持っているブエナビスタのCDにはこの曲が入っておりませんが、この2-3日、ブエナビスタのCDを聴いてます。

 「猫と座敷童 第二章」キンドルにて発売中!

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