のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

共同声明?

2013年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍総理がロシアを訪問しプーチン大統領と会談し、共同声明を出しました。

 たぶん、今回の訪ロは中国包囲網がメインで北方領土は一歩踏み出す程度で十分だったのではないでしょうか?でも、国民には北方領土のほうが気になります。

 プーチンが面積で半分と言う案を出しているようですが、4島の面積の半分なんだろうか?まさかロシアの国土を含んで面積半分なんだろうか?シベリアまでもらっても困るけど・・・。

 四島の面積半分だと、択捉の四分の一が中途半端な形で入ります。これを経済特区にして、カジノ売春パラダイスにして、なんてことを想像してしまいますが。

 森元総理が3島返還でと言い出したとき変な予感はあったのですが、ロシア側も簡単には引き下がらないと言うことですね。

 領土問題はともかく、何で中国包囲網にロシアが?と考えると、ロシア極東に行ってみると良くわかります。主だった企業は中国資本。ソビエト崩壊の混乱期に中国資本が大量流入してきて、ホテルなどは表向きロシア、経営は中国。ちょっとした商店なども商売に長けた中国人が抑えています。さらに中国系労働者の流入。

 資源問題も日本とパイプラインを作っていたロシアは途中から割り込んで北中国に色目を使ったものの、口先ではうまいことを言うけど話が進めば金を払わない中国商法に辟易とさせられているようです。中韓似たようなもので大小中華はまったく信頼されていません。

 ロシアはダーティーな国ですが東アジアの一部の国よりも約束事にはまともに取り組みます。

 ロシアも十数年前と違って資源で金はたくさん持っている国なので、国内産業を拡大する有効な使い方をしたいのでしょう。日本の技術や発想が欲しいのでしょう。

 メドベージェフが印象を悪くしたからねぇ。

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ウリジナル

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 山道に鳥の羽がたくさん飛び散っていました。

 模様や色から察するとカケスだと思います。原因は鳥インフルエンザか?

 なんて重大なものではなく、たぶんイタチか何かに食べられてしまった後でしょう。

 ゴールデンウィーク前半が終わりましたが、今年は前半広範に分かれるためか、国外旅行に出かける人たちが少ないもようです。

 特に中国・韓国の大小中華に行く観光客の数が激減したようです。鳥インフルエンザと金ちゃん国の暴発が原因といわれているようですが、そればかりが原因ではないでしょう。

 とりあえず連休前半は金ちゃんの国もことは起こさなかったようですが、国境からソウルまでは40km。真っ先にやられるでしょうね。

 金ちゃん国の特別区のケソンシティーでは韓国の企業を追い出す事態になっており、理由は「給与の未払い」だそうですが、とって付けた言い分なのか?韓国ならやりかねないので事実なのか?取り合え巣韓国人技術者を追い返したものの、7名はスパイ容疑で囚われの身になっているようです。交渉の材料にする人質みたいなものですね。

 撤退する可能性がある外国から人質をとる236条なる法律を作った中国。その原因は韓国企業が賃金未払いのままドロンする事態が相次いだことから始まったそうで、この世界的にも愚かの極みの法律はお得意の「韓国起源」を公言してかまわないと思います。

 ロスアンゼルス暴動、リーマンショック、中国の236条、活躍してますね韓国起源。

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ハマボウフウの花や風

2013年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 久々に椎名誠さんの文庫本「ハマボウフウの花や風」を読み返してみました。この文庫の短編集の中の「倉庫作業員」が山田洋二監督の映画「息子」(1991年作品)のモチーフになりました。

 椎名誠さんのエッセイはよく読みましたが、モンゴルやシベリア、写真などの興味が共通する部分があっても視点の異なる部分のほうが多い気がしていますが、この作家の小説の中では「倉庫作業員」が一番気に入っています。

 小説の舞台の時代は東京オリンピック前の昭和で、その日暮らしの生活から抜け出そうとする青年が、力仕事を経て聾唖の女性と出会う小説ですが、映画ではここに岩手の父親が入ることで、都会での底辺から這い上がろうとする息子と、田舎に一人暮らす父親の物語になっています。

 どちらも自分の身に無縁ではない話ですが、この映画の中で父親役をやっていたのが先日亡くなった三國連太郎さんでした。

 山田洋二監督だけあって政治を批判する左寄りのせりふが多々出てきますが、お気に入りの映画のひとつでビデオまで買ってしまいました。

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オートバイ

2013年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 連休になってコンビニの駐車場に1000ccクラスの大型バイクにまたがった集団を発見しました。

 50代60代のおじさんの集団でしたが、この世代だと大型自動二輪の免許の取り方が微妙に違います。私の3歳上ごろまでは教習所で大型自動二輪が取れたのですが、暴走族の増加や二輪事故の増加で私が高校に上がるころには、400ccまでの中型間では教習所で取れたもののナナハンなどの大型免許は試験場の厳しい試験を受けなければ取れない時代になっていました。

 私の時代には県内では高校の通学に125ccまでのオートバイ通学が認められていたので、いわゆる小型自動二輪免許と言われる125ccまでの免許を高校のときに取りました。その後、夏休みに試験場で中型免許を取りましたが乗っていたバイクは予算の都合で90ccでした。

 30歳になったときに試験場に4日ほど通って限定解除(いわゆる大型自動二輪)の免許取得に成功しましたが、この頃には再び教習所で大型二輪が取れるようになると噂が飛び交うようになっていました。

 自動車の輸出入の摩擦が背景にあって、海外で生産しているオートバイは400cc以上の大型が多いため、特にUSAなどハーレーのような超大型バイクしか作っていないので、自分の国のバイクを日本に売りつけたいがための圧力をかけていました。

 じつは、大型免許を取ってしばらくハーレーに乗っていたのですが、あれは日本の山間地で乗れるバイクではありません。峠の急カーブで傾ければマフラーをするし、雨が降ればブレーキは利きにくくなるし、高速で快適なのは80kmまでで、それ以上スピードを出すと心配になるほど妙な振動が出るし、工具がインチサイスなので別にそろえなければならない。さらに車検が面倒なので、山菜とりにも使えるヤマハの225ccのオフロードバイクにしてしまいました。

 今日集まっていたおじさんたちは初期の大型免許だろうか?厳しい限定解除を受けたおじさんたちだろうか?近年の教習所で免許を取ったおじさんたちだろうか?なんてことを考えながらバイクを眺めていましたが、ドゥカッティが1台BMWが2台、後はみんな日本のバイクでした。

 TPPで軽自動車の規格が「弊害」と圧力がかかると懸念されていますが、軽が市民権を得ているのはただ単に税制などの問題ばかりでなく、使いやすくて品物が良い事が大きいと思います。

 突き詰めると軽トラで十分です。スポーツカー並みに2人乗りですし、車体は小さくも大きなムスタングよりも荷物も積めます。軽四で遠乗りをしたときの疲労感と充実感は格別です。

 おじさんたちのオートバイの横に駐車した私の軽トラが一番エンジンが小さかった。

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静岡のおでん

2013年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 春祭りのシーズンですから村のあちこちに神社ののぼり旗が立ちます。近年は土日にお祭りを行う地区が増えましたが、昔は「縁日」ですから平日でもゆかりのある日にちにお祭りが行われました。

 小学生の頃はこの旗が立ち始めると落ち着かなくなり、話題はどこの地区で春祭りをやっているか?なぜこんな日に学校は授業をするのか?なんてことばかりで、授業が終わって縁日がある神社に走っていくのですがすでにお開きになった後で、片付けも終わり、おじさんたちが「ご苦労さんでした!」と一杯飲んでいるところ。

 それでも「やっぱ来たかぁ!」と子供たちが来ることを予測していた大人たちが赤飯のおむすびと煮物やおでんを残しておいてくれたものでした。

 われわれにすればこれさえいただければ満足で、縁起がどうのこうの、神楽がどうのこうの、神様が云々など「どうでもいい」。食い物がすべてで、大人たちが早朝からきれいに掃除した境内や神社の舞台で相撲をしたり、メンコをして遊べば充分楽しかったもんです。

 関東の田舎のおでんは毒々しいほど真っ黒い醤油の汁で煮込まれた代物で、コンビニのおでんになれた現代人には「大丈夫?」と不安を感そうな食べ物でしたが、これがたまらなくおいしいかったんです。

 子供たちの間にも暗黙の食べ方があって、まず最初にこんにゃくを食べ、最後は玉子かさつま揚げで閉め、真っ黒いスープを飲み干すのが順序。高学年は洋ガラシをつけて脳天に抜ける辛さに耐えねば一人前の男ではなかったのです。

130426a  近年のおでんで「物足りなさ」を感じるのは、どす黒い真っ黒な汁ばかりではなく、おでんに串が刺さっていないことですが、確かに皿にもって食べれば串は無駄で環境のためにも不要かもしれません。

 が、田舎のガキ共にとっては「おそまつ君」のチビ太がいつも食べている串刺しのおでんが都会と田舎をつなぐ絆のようなもので、「都会でも同じものを食べている!」と串刺しおでんがアーバンな雰囲気を満たしてくれたものでした。

 当時の流行歌で言うなら赤飯のおむすびが三橋美智也の田舎性で、串刺しおでんは都会派のフランク永井でしたな。若い人にはわかんねぇだろうけど・・・。

 ときどき、ノスタルジックな田舎製を備えたおでんが無性に懐かしくなりますが、どこの縁日でも近代風おでんに取って代わっています。どころか、仕出し弁当で村の人たちが集まって作る煮物など見かけないところも多い。

 こんなことを思い出したのは静岡のお茶畑の土砂崩落のニュースを見ていたときで、お茶とおでんがどう関係あるのだ?と問われれば学術的にはまったく関係ありませんがなぜか思い出した。

 昭和の終わりのころですが、仕事で静岡に行ったときに「静岡に来たならおでんを食べていけ!」とおでんやさんに連れて行かれたことがあります。

 私の村のお祭りのおでんも驚くほどの真っ黒な汁と、串刺しのおでん。130426

 私のイメージの中では静岡は「関西風」の薄い色合いの土地だと思っていたら、おでんは関東よりも濃いおでんだったんですね。しかもすこぶる旨い。

 静岡おでんは鍋から陸揚げしたおでんに青海苔をかけて食べるんです。

 しかも、おそまつ君につながる都会的な串刺しおでん。牛スジのおでんをはじめて食べたのもこの静岡でした。地元では「すじ鉾」と呼ぶそうで真っ黒に煮込んだハンペンとともに静岡のおでんでは欠かせないものだそうです。

 古き良きおでんが今も残っていることに感謝しつつも、おでんを食いにわざわざ静岡までいけないもどかしさもあります。とりあえず近所のお祭りで近代化から取り残されたおでんを探します。

 

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寒流

2013年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

Gien  昨年、日本赤十字がまとめた東日本大震災に対しての各国から日本赤十字に対しての義援金のリストです。上位20国ですが。

 韓国がないですね。

 震災直後はずいぶん多額の義援金が出るような話をしていましたが、どうしちゃったんですかね?韓国国内でも義援金を募っていたはずですが、どこに消えちゃったんでしょうかね?

 韓流スターが寄付すると言った金額を合わせてもかなりの金額だったはずですが、どうなっちゃったんでしょうね?KARAのハラちゃんが個人で1億ウォン(720万円)実際に寄付した話は聞いていますが、他の連中はどうしたんでしょうかね?

 赤十字以外に寄付したにしても、どこに寄付したんでしょうか?

 韓流スターが日本で外貨を稼いだにしても100億円にも満たない額だそうで、ハデさの割りに安いギャラで酷使されているのでしょう。ブームも去っちゃったみたいで、これからバブル崩壊を味わうのでしょうね。

 

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牛丼

2013年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 吉野家の牛丼280円に値下げとコマーシャルをやっていたので、沼田の吉野家に足を運んだらすでにつぶれて閉鎖されていました。

 次に近い吉野家は渋川なので、1時間もかけて食べに行くほどのものではありません。だいたい、元が取れない。

 思い起こしてみれば都会に出ると牛丼を食べたものですが、近場の沼田に牛丼店ができたころにはすっかり足が遠のいていました。いつごろから足が遠のいたのか?と思い越せば狂牛病騒ぎで輸入牛肉の規制が始まったころで、その頃はまだ近隣に牛丼屋などなかったし、たまたまお江戸に出たときにはすでに牛丼がメニューから消えていました。

 ところで、いつごろから牛丼を食べるようになったのかと思い返すと、初めて牛丼を食べたのは高校3年生のときで、もちろんそれまでに♪ここは吉野家・・・牛丼一筋80年♪のコマーシャルなどで存在は知っていましたがお目にかかったことはありんませんでした。

 高校生の時に早稲田大学の受験の下見に行った時に高田馬場の駅から交差点をわたり地下鉄東西線の駅に入れる階段があるビルで2階がムトウ楽器で名店街と言ったっけかな?その地下一階に食堂のスペースがあり、そこに牛めしの松屋がありました。

 カウンターの小さな店で背後には回転寿司、あと札幌ラーメンの店があったな。店内の真ん中にはエルムというカレーとスパゲティーだけの店で、人生に疲れたような親子が同じメニューだけを作っていました。

 こうした食堂街なので、たびたび店は変わりましたが、このカレー店だけは平成まで残っていたと思います。今はどうなっているのだろう?

 そんなわけで初めての牛丼は松屋でした。その後に早稲田通りにあった吉野家を体験することになるのですが、程なく吉野家が倒産。海外進出がアダになったそうで、われわれの間ではインドに進出して失敗したのでは?なんて語られていました。

 中島みゆきの「狼になりたい」では「吉野屋」と言う名で夜明け間じかの牛丼屋が出てきますが、これが新宿の青梅街道のガードをくぐってすぐの牛丼屋だというので行ってみたら松屋でした。

 昭和50年代ですから女性が牛丼屋に足を運ぶことは少なかったと思うのですが、そう言いつつもほとんど女性客を見なかったですね。あの頃は。

 今でこそメニューの豊富なすき家が台頭してきていますが、私の中での牛丼屋は松屋と吉野家でした。値段は2-30円高いけど松屋は味噌汁が付いていたので、こちらに行くことが多かったのですが、名店街の松屋はやがて閉店。末期の頃のこの店の牛丼はひどいもので、肉は脂身ばかりでよく煮えていないたまねぎばかりが多かった。

 この閉店と重なるように栄通りかその隣の通りに松屋がオープンし、今に通じる券売機で食券を買って注文するスタイルになっていました。

 理工学部はビッグボックスから右のほうへ店もろくにない殺風景な坂道を登っていくので、メインストリートにある吉野家はほとんど無縁でした。

 今のようにラーメン屋の激戦区でもありませんでした、食事も学食か、駅の周辺しか行かなかったので、松屋の牛丼でさえ高額な食べ物でしたが、大戸屋という定食屋があってここは安いのでよく行きました。

 そう言えばあの時代は変な居酒屋もずいぶんありましたね。何杯呑んでも決して酔わないチューハイを出す店があって。酔っ払わないけれど腕の内側に赤い斑点が出てくるんです。

 メザシのように細く小さなシシャモ。どうすればこれだけ薄く作れるのかそちらの技術を褒めたい紙切れのような油揚げ。タバコを1割り増しでばら売りするタバコ屋の婆さん。

 貧乏学生相手に中国並みのビジネスが成り立っていた学生街だったんですね。よく五体満足で抜け出てきたもんです。

 安けりゃいいのか?値段がすべてさの人生だったので、2%ターゲットインフレに逆行する吉野家の決断。大いに結構じゃありませんか。

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怪しいな

2013年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 ボストンマラソンの爆破テロ事件でロシア系の犯人の兄弟、一人が死亡、一人が逮捕されました。

 ロシア側の報道ではロシア人ではなくチェチェン人ということになっています。確かにそうですが・・・・。

 3名の犠牲者が出ていますが一人はアメリカ人の子供、もう一人はアメリカ人の女性。3人目は中国人の女性です。

 なぜかこの3人目についてはほとんど詳細なことが放送されない。こういうことがあれば鬼の首でも取ったように泣き喚く中国でさえ黙っている。

 そりゃ、四川の地震で大変なんでしょうが、何で今回に限っては黙っているのだろう?

 いろいろ憶測が飛び交いますが、前政権の上層部の海外への資産異動や、親族の海外移民などの問題を追及する習政権にとって、現在の上層部の家族がUSAに留学していたなんてことになれば足元をすくわれかねないので、この女性は中国のお偉いさんの娘だと言う話もあります。「報道したらあかんでぇ。」と各国に圧力をかけているのでしょうね。

 何かやばいことがあるから騒がない。勘ぐりたくなります。

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思うに

2013年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 世界一危険なバカと呼ばれる金ちゃんの孫の国。このところ視線からそらされていますが、まだミサイルを撃ち込む気配がありませんね。閣僚の靖国参拝問題でメディアの目線がそっちに行っている隙間に打ち込まれたりして。

 ところで、靖国問題って昭和の終わりのころに騒がれだした問題で、日本のマスメディアが勝手に火をつけて話を大きくしただけでしょう。

 少なくもそれまでは靖国神社がどういう場所なのか大して気にもしなかったし、80年代初頭には靖国神社の裏にある、メッチャ左の法政大学の女の子とデートの待ち合わせに使ったことがあります。

 弱みには付け込め、誤ったら賠償をブン取れの中華思想の中韓が騒いだおかげで広く日本の若者にも注目されるようになり、結果的には良かったのではなかろうか?

 インターネットの発展もありますが、3.11で日本人の何かが変化しましたね。目覚めたと言うのか?立ち上がったと言うのか?

 何が変えたのだろう?戸考えると、決して醜く府抜けた民主党への批判ではないんですね。

 自らの身の危険を顧みず最後まで非難するように放送し続けた役場の女性職員や、自分が被災者なのに他の人の安否や健康を気遣う被災者の方々や、こうした「美徳」ですね、これが変化をもたらせているのではなかろうか?

 自分の中にくすぶっていたもやもやしたものの殻を破って、何かあったら「自分も」と心の中に忍ばせている方々は多いのではないでしょうか?

 メディアや電通が誘導しようとしている方向とは逆の方向に日本人の精神は向かっているような気がします。

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四川

2013年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 5cmほど雪が積もりました。4月21日ですよ。

 1993年だったと思いますが、米騒動があった冷夏の年でした。5月連休に雪が降ったことがありました。今年も冷夏になるのだろうか?

 中国の四川省では地震が起きて100名を越す使者が出たもようです。中国の数字ですからあてになりませんが、今注目されたくないでしょうね。中国側も。

 四川省と言えば・・・インフルエンザは四川省のガチョウだたかアヒルから発生して豚を媒介して世界に広まると言われています。

 各国がうっかり支援隊など派遣しようものなら今話題の鳥インフルエンザが世界中に蔓延するかも知れません。それより中国側にとって、ひた隠しにしている現実が世界に知れ渡るほうが恐いでしょう。

 山の住民として、日本の材木が建材として中国に売れないだろうか?なんて期待もしましたが、ああいう国ですから丈夫で壊れないものを作る気持ちなど毛頭ないし、壊れなければ新しく売れないと言う考え。もし日本の材木を使って崩壊でもしたら、自分たちの工法が悪いのを棚に上げて日本の材木の責任を言いがかりをつけてくること請け合いなので、あまり関わらないほうがベターかも?

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円高

2013年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 例年感じることですが、ゴールデンウィークやお盆の前など長期休暇で旅行のシーズンになると円安になりドルが高くなる感がありました。観光客からむしり取れのドル買いのような気もします。

 今年はアベノミクスの影響で円安になっていますが、ゴールデンウィーク前に夢の100円台になるのかな?

 だとしても、連休明けには円が若干高くなり、メディアは「アベノミクスの失敗か?」と騒ぎ立てるのでしょうね。

 今年は中国・韓国への旅行客が激減したためにこの連休に外国に行く観光客が少ないみたいですが、国内観光地の繁栄につながってくれればありがたいです。同時に、なんか連休のアルバイトでもないかな?と模索しています。

 円安にもかかわらずガソリンの価格が下がっていますが、これはこれでありがたいこととして、なんで円高のときに下がらなかったんだ?そりゃ原油高も合っただろうが、絶対影で談合してるはずや。政権交代でごまかしできなくなったから値下げしているんでしょう。安定供給の意味もあるのでしょうが、エネルギーを独占と言うのもいかがなものか?

 ガソリンが下がって円高で、連休の合間に出勤日が合って長期休暇はとりにくい。国内観光地の復興に期待できるかな?

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2013年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 寒い一日でしたが、雪を通り越して吹雪状態になりました。

 私の住むあたりはようやく桜が咲き始めた時期で、今はコブシが見ごろです。今年は桜を含めて花を楽しめない春です。

 東京方面から林間学校のハイキングルートの下見に来た教員の集団と出会いましたが、「山の天気は変わりやすいと言うけど、すごいんですね。」

 今年はたまたまこういうことになっただけで、毎年この時期に雪が降るわけじゃないんですよ。と言い訳がましい説明になってしまいました。

 この教員集団に近くにあった樹木に刻まれた熊の引っかき傷を説明すると、「まだ冬眠中ですよね。」とんでもない!わが世の春とばかりにこの界隈をウロウロしていますよ。と説明すると、急に押し黙ってしまいました。

 から元気でもいいから声を出して話でもしながら歩いていけば向こうのほうが逃げてくれますよ。

 自然は決して優しくはないのです。ヒトの傲慢に対しては厳しい仕打ちが待ち受けています。おもねる必要はありませんが、ご機嫌を損なわないよう謙虚に向かい合いましょう。

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選挙

2013年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 「定数削減が国民の願いだ!」とモナちゃんの元彼の細野民主党幹事長が国会の審議拒否。

 国民の願いは「民主党の消滅」だと思いますが・・・。

 0増5減でも何でもいいけど、一票の格差を論議するなら、投票率の低さも論議するべきで、政治が面白いからつまらないからではなく、国民が自ら持っている権利を放棄しているようなもので国民にも責任があります。

 投票率の低かった選挙区は次回の選挙で減員するとか、厳しい措置があってもしかるべきではなかろうか?

 そんなわけで、ネットでの選挙運動解禁に動いているようですが、ネットでの投票はまだ検討されていないようですね。投票所にいくのも結構面倒なんですが。

 昔は選挙の期間中や投票日は観光地ががら空きだったものですが、期日前投票が多くなったことも含めて、近年はあまり影響はないみたいです。

 選挙前と言えば、30年もさかのぼれば選挙期間中は選挙違反を疑われるのでうっかり宴会も開けなかったわけで、国民が信用されてきたのか?選挙違反について厳しくなったからなのか定かではありませんが、よしあしはともかく、選挙期間中でも平然と宴会できるご時勢になりましたね。

 来年の春は町議会議員の選挙があるので花見はどうなるのだろう?

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北は?

2013年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 ボストンマラソン爆発物テロ事件で一番あわてているのは案外北朝鮮かもしれません。注目が自分からそれてボストンに向かってしまうので。さびしい金ちゃんになっています。

 今頃金ちゃんは側近に「やっぱ言うだけでは空き間へんミダ。」「ホンマに一発やらかさにゃ注目は集まらないスミダ。」「ハラ決めてボタンおさんかいハシミカ!」「世界一危険なバカにならんかい!ミダ。」なんてせっつかれているのかもしれません。

 本当に困るのはあの国が崩壊した後で、誰が面倒見るのか?と問われれば韓国なんでしょうな。北に負けず劣らず口だけ番長なので、素直にご協力お願いしますと言ってくればいいものを協力しなければなければならないと上から目線で来ることでしょうから、「あっしには関わりのないことで。」としらばっくれていればいいや。

 とはいえ、北崩壊後は「よろこび組みツアー」なんて買春ツアーが日本から行くんでしょうな。まあ、最近は日本人も品格が良くなったからこうしたツアーに積極的にいくのは50代半ば過ぎの元消防団オヤジでしょう。

 売春婦の稼ぎがGDPの5パーセントを占める買春大国韓国にすればこりゃ大変なライバル出現で、南北売春婦安売り合戦になるかもしれません。売春婦のデフレスパイラルでまた半島経済が迷走。

 どちらにしても、対岸の火事なので関わらないほうが確実です。

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テロ?

2013年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 オウムサリン事件以前のことですが、長野原の軽井沢サティアンなんて施設がありました。修行の名目で毒ガス造っていた工場ですね。

 この軽井沢サティアンからそう遠くない隣接する町に住んでいた知人が、街で見かけたオウムの信者に「お前ら何をやっているんだ?」と、奇妙な集団生活をしている彼らに問うたところ、「われわれは単なる宗教団体ですからご心配なく」と答えが返ってきたそうです。

 単なる宗教団体。それだけで十分怪しいけど。

 ボストンマラソンの会場で爆発事件が起きて、テロリズムではないかと懸念されています。真っ先に思い浮かんだのはイスラム過激派で、お互いの「正義」をかけての報復合戦になるのかな?と懸念しています。

 キリスト教もイスラムも、ユダヤ教も、同じ神様の元の宗教ですが、お互い「神の名をかけ」骨肉の争いをしているんですね。あの、合理主義の塊のようなUSAも実は宗教国家だったんですね。

 「大儀」のために大儀とは関係のないところで被害にあった者はたまったものではありませんが、今回の爆発事件は小さな子供の犠牲者が出ているので、被害者の仮面を手に入れた加害者たちが暗躍して泥沼化する予感がします。

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