のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

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2020年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 お寺の会議に行ってきました。

 3日前に崖を滑り落ちて切カブツで太もも強打したために痛くて座れない。足の悪い高齢者と一緒に椅子に座っての会議になりました。気分は若い高齢者。

 読書友達の副住職が「面白い写真集が手に入ったんですよ。」と持ってきたのが、皆様が期待するような写真集ではなく、土門拳の「腕白小僧がいた」と言う文庫本写真集。

 昭和の小汚いガキどもの写真集です。そしてそれは私たちが育ってきた時代の写真。見えないものと共に暮らしていた時代の写真集。

 土門拳の「古寺巡礼」よりも仏性を感じる写真集でした。

 山形県の酒田にある土門拳記念館には4回行ってますが、その隣にある南州神社に行ったのは5年前でした。南洲とは西郷隆盛のことなのですが、西郷隆盛の書がずらりと並び本家鹿児島より多いみたいです。この土地の大尽様がコレクションしていたらしいのですが、西郷隆盛の書の見分け方などを教わってきました。

 土門拳。素晴らしい写真家だったなぁ。

 GYAOで鉄人28号と、遊星少年パピィを配信しています。

 リアルタイムで放送していた時代を思い出しました。当時私は小児結核を患っていまして、親元を離れて祖父母の家で暮らしていたのですが、弟が生まれたのが昭和40年の4月で、この時はまだ鉄人28号が放送されていた時代でした。

 小児結核に破傷風。不健康虚弱児だった時代で、ヤギの乳飲まされて育っていた頃でした。体が強くなるからと飲まされるのですが、臭いんですよ。泣きながら飲まされた覚えがあります。

 自分で体が弱いことを認識していたので、リモコンがあれば自分でもあんなに大きなロボットを操縦して活躍できるんじゃないかな?と言う憧れをもって見ていたおぼえがあります。

 ほどなく、鉄人28号が終わって遊星少年パピィが始まるのですが、どちらもグリコがスポンサーで、なんだかわかんねぇけど、両手を挙げたマラソンランナーの絵が出てきたのは憶えています。

 パピィが始まってほどなく、お江戸に出ていた叔母がパピィのペンダントを土産に買ってきてくれました。当時お茶の水の大学院に行ってた頃だから夏休みで帰省した時かな?ペンダントが笛になっていて、パピィになって気分ですよ。

 思い返すとすごい時代で、小児結核の子供が吹いた笛を近所の子供たちが「俺にも貸せ!」とピーピー吹いていて感染しないどころか、やたら元気!いまだに元気!無駄に元気!

 パピィで思想信条が変わるんですね。鉄人28号の頃はリモコンで何とかなるんじゃないかな?と思っていたのが、パピィでは自分の体術で何とか出来ると思うようになったんですね。

 病み上がりみたいなものなので、飛び回ると息が切れて苦しかったのはいまだに感覚が残っています。

 意味が分からないまでも、水金地火木土天海冥を憶えたのもこの頃で、冥王星の奥にもう一つの太陽系クリフトン星があって、そこでパピィが生まれたことを知る人はいなかった。

 翌年。丙午の41年かな?人呼んで遊星仮面が始まり、巷では遊星仮面のマントをまねてクビに風呂敷巻いた子供が滑り台で風呂敷が引っ掛かって首つり死する事件が起こり、問題になったことがありましたが、ある日、ニュースから「新谷ユーセイ大臣は・・・」と耳に入り、テレビにすっ飛んで行ったことがあります。

 この人がパピィや遊星仮面の地球側の交渉相手か!すげぇ!と見入ったもんです。近所に赤いバイクに乗って郵便配っている郵政仮面がいたんですけどね。

 小泉さんが遊星省ぶっ潰しちまったんだっけ?

 半世紀以上前はね。地球のために戦う気力も覚悟もあったんですけど、半世紀以上たって還暦が近くなるとねぇ、なにとぞ穏便にとなって、敵が持病になってくるんですなぁ。

 

コメント
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