のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

猿ヶ京小学校

2006年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

061031  猿ヶ京小学校のマラソン大会で、交通整理に出かけました。
 全校でこれだけしかいません。

 15年ほど前に木造の校舎を新築したばかりですが、来年度一杯で統合されてしまいます。子供の数が激減することはわかっていたのに、何でこういう無駄なことをするのか?

 さらにばかばかしいことに、統合されたときの新しい校舎を建設中です。合併特例債の予算で。

061031a  私もこの小学校の卒業生ですが、昔は今の季節になると集団登校で、空き缶を鳴らしながら学校に通ったものです。今は遠方はスクールバスです。
 遠いところですと6-7km離れた地域から通学する子供がいましたが、警戒していたこともあって熊を見かけたという話もあまり聞きませんでした。今の熊は人馴れしてしまったのでしょうか?

 スクールバスの登場で、足の速い子供の勢力図が変わりました。昔は遠くから来ている子供達が圧倒的に早かったのですが、今はスクールバスが行かない近い地域の子供のほうが早くなりました。

061031e  私の1年下に元小結の琴稲妻がいましたが、毎日2kmほどの距離(しかも山道)を通学していたので、巨体のわりに早かったと記憶しています。
 昨年行った新巻小学校では成績上位者の記録を読み上げただけですが、猿ヶ京小学校では3位まで表彰状が出ていました。
 私が通っていた頃は地元の農家が米や大根、白菜などの野菜や、炭などを賞品として寄贈してくれたので、私も1年生の時に3位に入賞して麦飯の圧ペン麦をもらったことがあります。家で麦飯を食べながら誇らしかったものです。

061031d  県道を使ってのマラソン大会で、昔から比べると走る距離も短くなりましたが、私の時代はまだ道路が舗装されていませんでした。トンネルが開いて水上の町へと繋がったので、自動車の通行量もぜんぜん違います。
 校庭以外平らなところがまったくない山坂道のマラソンです。
 生徒総数はこれだけでしたが、母親はもとより爺さん婆さんまで応援に来るので、観客はたくさんいました。

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サル

2006年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

  日本から戻ったウラジオストクの女性スタッフ。携帯電話に電話したら声がガラガラでした。日本で雨の中を飛び回って風邪気味だそうです。明日には仕事に戻れる模様ですが、この夏、私が風邪をこじらせて1ヶ月近く声が出なくなってしまったことを目の当たりにしていますから、「日本の風はロシアの病院で治るのだろうか?」と気にしているようです。
 ウラジオストクで留守番をしていた男性スタッフ(留守番と言うけれど、事務所にはおらず、海に釣りに行ったり山に狩りに行ってた)の言うところでは、「日本でカラオケに行って声が出なくなった」。
 富山にはロシア人向けのカラオケがあるようです。

 ウラジオストク事務所のスタッフは日本語堪能で日本をよく理解していても「気を使いました。」言っていましたから、なれない外国に来てナーバスになる人がいても不思議なことではありません。
 それが誰のせいというわけでもなく、こちらでの生活に向き不向きと安易に判断できるわけでもなく、つまるところ自分自身の問題なのですが、ある意味「真面目」といわれる人ほど神経をすり減らすようです。

 あの大雑把で緻密さのかけらもないように見える彼女らが「日本はミステイクが許されないので、”失礼”がないように気を使った。」というのですから、窮屈だったのだろうか?
 自分の日常から環境が変わるということはどこでも窮屈感や違和感はあるもので、そうでなければ旅行に出たまま帰ってきません。


Mon10  近所の農家は正月の煮豆に使う花豆を作っていますが、サルが一つ残らず摘み取ってくれたそうです。
 摘み取った豆の殻をむき、天日干しして、袋につめて持ってきてくれればありがたいのですが、そんな芸当ができるような連中ではありません。

 サルと人との果てしない知恵比べは続いていますが、どうやってサルの命を奪わずに山奥に帰ってもらうか?と、一応、人には倫理がありますから難しい問題です。
 核兵器を持つ連中より我々農民のほうが高い民度を持っているようです。
 これだけサルが大量にいると観光客なら大喜びでしょうが、野生を知ってる人にとっては恐いですよ。
Mon10e とは言え、自分の身の回りからサルの姿が見えなくなってからOKかといえばそうではなく、冬になると山の木々の皮をむしって食べるので木がかれてしまいます。つまりは増えすぎたわけです。

 自然の生業で増えすぎれば淘汰されていくしかないのですが、それを無責任な「情」で曖昧にするから、最終的にはもっと悲惨な結果をもたらすように思えます。

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サッカリン

2006年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和40年代中頃だったと思いますが、人口甘味料のチクロが人体に有害だと使用禁止になった時代がありました。ジュースなどは甘みのために砂糖を使用していることを強調するために「全糖」と表示されていました。
 確か、チクロ問題が取りざたされ始めた時に、最初から人口甘味料を使わずに全糖だったのはバイヤリスのオレンジジュースなどいくつもなかったと記憶しています。

 チクロが禁止された後もサッカリンはしばらく使用が認められていました。
 駄菓子など子供のお菓子などに人口甘味料が使われていたので、独特の甘みはおぼえがあります。

 中国では今でもサッカリンが使われているようです。北京でアンズを漬物にしたような菓子を食べた時に「人口甘味料の味がする」と感じたことがあります。
 当時北京に留学していた弟はチクロ問題以降に生まれているので、人口甘味料の甘さを知らず、「独特の甘みがあるでしょう」と称していました。

 ソビエト崩壊の時にロシア市民が行列に並んだのはパン、肉、ハムの他に砂糖がありました。90年代のロシア人は甘いものに飢えていた様なイメージさえあります。
 食品にサッカリン使用を禁止されてはいないようですが、ピクルスを漬けるのに使っていたことがあるようです。
 最近、中国から入ってくる加工食品のサッカリン使用について市民の目が厳しくなり、ついでに自分たちもサッカリンを使わなくなったようです。

 サッカリンは樺太のサハリン(Sakhalinskaya)に名前がにているので、ロシア発祥と思われますが、1879年にアメリカのレムセンが発見した合成甘味料です。
 ちなみに、ロシア語で砂糖はサハール。

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安宿

2006年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 現在、富山に行っているウラジオストクのスタッフ、買い物も終わり残りの日程はゆっくりすごす模様です。楽しみにしていた100円ショップはMaid in Japanにこだわりを持っていたので「面白くなかった」そうです。「私達は日本人が日本で作ったものが欲しいのです。」
 一通りの「物」はある家庭なので、「日本製」が重要なポイントなんでしょうね。
 
 分刻みの予定を立て名所旧跡を通る日本式の旅行と違って、行きと帰りの飛行機以外は予定なんてあってないようなロシア人の旅行です。知り合いのところを泊まり歩いているので、宿泊費はかかっていないようですが、「日本は物価が安い」と言っています。
 ウラジオストクのホテルは価格が高くて困ります。入国のバウチャーの確保と寝るだけなんですから、設備なんてよけいなものはいらないから寝られればいいと言うと、安い宿はチェチェン商人やグルジア商人が多いので「危ない」そうです。

 以前NHKの深夜番組で、東京の南千住のある地域(山谷)の格安の宿泊所に寝泊りする外国人バックパッカーのドキュメンタリーを放送していました。こういう宿泊所は労務者の住処でしたが、いまや外国人旅行者が定宿に使っています。宿の受付も英語が堪能でした。
 番組に出ていた外国人旅行者は、夜になると六本木などのディスコに繰り出し、朝、労務者が仕事の列に並ぶ時間に宿に戻ってくる。奇妙な光景でしたが、先入観がなければ不思議でもない景色なのかもしれません。

061027b  だいぶ冷え込むようになってきました。灯油が高いので、石油ストーブはもう少し我慢をして、コタツを出しました。早速ネコがコタツの中に住み着きました。

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出る杭は

2006年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ウラジオストクの属する沿海州地方にダリネゴルスク市という人口5万人程度の街があります。
 日本海から30kmほど内陸に入った街で、郊外には611高地と呼ばれるイズヴェストコヴァヤ山があります。
 10年くらい前の1月頃のことですが、夜8時頃この山に謎の光る物体が飛び交う様子が目撃され、UFOではないかと話題になったそうです。赤い光が山の上を飛んでいたそうです。

 この街出身の女性会員もいますが、仕事から家に帰る途中のお父さんが、この謎の光球を目撃したそうで、そのときはUFOなどとまったく気にもしなかったそうです。
 近くには空軍施設があるチュグエフカがあり、(最新式のミグで函館に亡命してきたベレンコ中尉もこの基地から飛び立っています)新型の飛行機か?程度にしか思わなかったそうです。

 その後、大勢のソビエト軍が街に入ってきて、この山の捜索をしたり、街の出入りも封鎖され、「アメリカ軍が入り込んだらしい」と噂が流れたそうです。
 こうなるとうっかり「謎の光を見た」などと口にすれば当局に疑いの目を向けられるので、だんまりを決め込んで普通の生活を装っていたそうです。
 やがて、噂はアメリカ軍から宇宙船になり、「もしかしたら宇宙人がこの街に市民の姿で住んでいる。」などと人々の間で噂が流れたものの、いつの間にか話題にもならなくなったそうです。いまだにあの光はなんだったのかわからないそうですが、日本人が抑留されたテチューヘの収容所のあった街ですから、無念の死を遂げた日本人の怨念が光の球となって…

 今月の19日、再びダリネゴルスク市が注目される事件がありました。市長選挙の候補者だったフトヤノフ氏が選挙前に何者かに銃殺され、選挙は順延になり、沿海州政府が陣頭指揮を執って犯人探しをしているそうです。
 他の候補者もいつ自分が標的になるかわかったものではありません。
 
 今月9日にはモスクワ在住のジャーナリストで、「プーチニズム」や「チェチェンやめられない戦争」などを書いてプーチン政権を批判していたアンナ・ポリトコフスカヤさんが暗殺されたり、きな臭い事件が横行しているロシアですが、「昔から変わっていない」そうです。

 ”出る杭は打たれる”ではなく、”出る杭は撃たれる”。極端な格差社会ですが、日本で言う”勝ち組”はいつ命を狙われるのかわからないので、ボディーガードをやとったり、セキュリティーの厳しい住居に移り住んだり、名をはせればこれはこれで苦心するようです。

 日本では妻子ある民主党のなんたら議員が、ニュースキャスターと路上でキスしている現場を雑誌に公表されて話題になりましたが、「ロシアではそんなこと話題にもならない。偉い人に愛人がいても珍しくもない。」
 ところがアメリカ人の友人曰く、「女性がニュース番組を降板したのだから、男性も議員をやめるべきだ!」と厳しい意見。


061026  最近、”危ないなぁ”と自分自身感じていることです。

 菊の花の季節になりました。

 近所の人が畑で自分で作っている菊の花を切って、花束にして畑から帰ってくる姿を見てとっさに感じたことが、「あそこの家のおばあさんが亡くなったのだろうか?」
 どうもこのところ菊=葬式のイメージが私の中に定着してしまったようで、菊の大輪など枕花を連想してしまいます。菊のみならずユリの花にも同じようなイメージを持ってしまいます。

061026a  葬式の棺おけに深紅のバラを乗せる某ロシアでは、個人がどの花を好きだったが重要で、特にこの場面ではこの花という固定概念がないので、スーパーマーケットで仏壇にお供えするために売られている切花を、平然と食卓に飾る暴挙をやってのけます。

  30年も遡れば、我が家の界隈など葬式用の生花など20kmも離れた沼田の花屋にでも注文しなければ手に入りませんでした。農協や公民館に祭事用の祭壇や造花があって、それを借りて飾っていたものですが、家の周辺に花を植える家庭も少なかったように思えます。
 こうしたことも生活の中の余裕なんでしょうね。

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ヘロウィーン

2006年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 来週の10月31日はハロウィーン。翌日の11月1日がキリスト教の諸聖人(All Hallows)の日で、その前夜祭にケルトのお祭りが取り入れられたものと言われています。
 スコットランドやイングランドなどのお祭りですが、最近のロシアにもハロウィーンはあります。ロシアでは”ヘロウィーン”と呼んでいますが、一般的ではないものの、大きなかぼちゃを物の怪の顔に加工して飾り付け、みんなで料理を食べながら過ごすようです。

 ハロウィーンと言うと思い出すのは、米国に留学した日本人の留学生が妖怪の扮装をしてキャンディーをもらいに行った家で射殺された事件で、”Frees!(動くな!)"と"Please(どうぞ)"を聞き違えたために起きた事件だと言われました。偉いと違いはえらいちがいですが、とんでもない間違いです。
 その日本の少年と一緒にいた米国人の少年達は、当然、その場に立ち竦みましたが、聞き違えた日本の少年はニコニコしながら家の中に入って撃たれてしまったそうです。通常、拳銃突きつけて何か言われれば、意味がわからなくても動かないことが常識ですが、こうした危機とは無縁の日本人には、とっさの判断しにくいことです。

 ハロウィーンと言えばこの事件を思い浮かべて気が重くなりますが、奥様方は来週のハロウィーン・パーティーにどんな扮装をして行こうか頭を痛めています。

 以前、ハロウィンに使う巨大なお化けかぼちゃを栽培していたことがありました。元々は家畜の飼料用として入ってきたものですが、おいしくないのか牛も食べてくれませんでした。
 村の農業祭で巨大かぼちゃのコンテストがあり、そこに出品するために作っていましたが、小さめなかぼちゃは中学生や高校生がハロウィーンパーティーをするともらっていきました。
 今は農協が苗木をくれないので作っていませんが、最近は市場でも需要があるのか出荷するために栽培している農家もあります。

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ソクーロフ

2006年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は秋葉原で家電製品を買い込み、今日は富山へ向かったウラジオストクスタッフ。東京滞在中は雨でした。

 来日前に「東京と新潟の気温はどのくらいですか?」と聞かれ、”東京は今日の昼間は25度と言ってたよ。週明けは寒くなると天気予報が言っているから、9月半ばごろの服装で来ればいいと思うよ。”と伝えました。その前夜ウラジオストクはの気温は5度でした。

 この季節、ウラジオストク市内の中央暖房システムは稼動しないので一年で一番寒い季節とも言われています。暖房が作動し始めると屋内では半袖で過ごせる温かさになりますが、今の季節は電熱式のヒーターなどで寒さをしのぎます。

 我が家の周辺も今日は1日雨降りでしたが、この季節の雨は体にこたえます。まだ寒さになれていないこともありますが、湿気が寒さを強調しますし、体が濡れると冷たくていられたものではありません。
 山の上は雪になっている可能性もあります。週末天気でも良くなれば山に出かけてこようかと思います。

 地元の奥様方が伊勢崎のMOVIXでアレクサンドル ソクーロフ監督の
「太陽」を見てきました。ベルリン映画祭に出品され、無冠だったものの最も話題を集めた作品と言われています。
 日本では思ったほど話題にならず、マイナーな配給しかされていませんが、第二次大戦での昭和天皇を描いています。イッセー尾形が昭和天皇、桃井かおりが皇后です。
 戦争や歴史を立体的な目線で見るロシア式自然で見ているので、日本人が語れなかった部分を代弁しているかもしれません。感情的に歴史を捉える中国や韓国では受け入れがたいかもしれません。
 何でこういう映画がマイナーなのか?
061024a  見てきた奥様曰く、「とにかく、描写が丁寧で、時間の流れがハリウッド映画や今の日本映画とは、全然違い、ビックリしました。ゆっくりなのです。流れるようでした。
 時々、天皇がいう事におかしみや、ユーモアありそこに重苦しい時代やテーマにもめげず、救われました。
 天皇がよく言う「あ、そう」なんて、まさにイッセー尾形さん、うまかったです。
 天皇をテーマにした映画は、今の時代、多分、韓国や中国の猛反発がありそうで、そのリスクを背負う監督や映画会社は、日本にはいないような気がします。」

 かつての日本映画と同じくロシアの映画も余計なことは語らないので、見る側との駆け引きがあります。と、言うよりも全世界に向けて発信するハリウッド映画が雄弁に語りすぎるので、何も考えずにわかることに慣れるとロシア映画は難解かもしれません。
 テレビを見ることと本を読むときの違いのように、ただ眺めていては何を描いているのかわからない読書のようなロシアの映画です。
 特にソクーロフ作品は言葉ではなく映像でこちらに問いかけてくるので、その気になって見なければ「奇怪でわからない」その気になって見れば「なんとなくわかるような木が刷る」作品が多いです。
 ロシアの映画は優れた小説のように二度三度見たり時を経てみるとまた受け止め方が違う面白さがあります。

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盲腸

2006年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 来日しているウラジオストクのスタッフは、あいにくの雨の中今日秋葉原に出かけました。
 その秋葉原ではオタク狩りのような事件があったそうで、メイド・コスチュームでビラを配っていた女性に痴漢行為をする不届き者がいたようです。
 日本の恥部を見られるようで恥ずかしい話です。
 満員電車に詰め込まれて、休むまもなく働いている日本のビジネスマンの姿をよく見て、ウラジオストクの人々に話して聞かせてくださいとお願いしていましたが、痴漢で大騒ぎでは困ったものです。


 バブルのあわただしい時代のことですが、私の中学の2年上の先輩が虫垂炎で亡くなったことがありました。東京の銀行に勤務していましたが、仕事を憶えて働き盛りの年代、腹痛を我慢して正露丸を飲みながら毎晩遅くまで働いていたそうです。職場の寮で倒れているところを発見され、救急車で病院に搬送されたものの、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
 虫垂炎も早めに処置すれば注射でことが済む病気です。20年前でさえもはや虫垂炎は病気ではないと言われていましたが、いくら医療技術や設備が良くなっても、当人が黙っていればそれまでです。

 元社会主義国だけあって医療は充実しているはずのロシアですが、都市部と地方では随分環境が違います。何しろ広大な国土ですから地方の農山村に行けば近くの診療所まで数十キロも珍しくありません。こうした地域には診療所が異動しながら回るようですが、それでも急な病気や怪我は起こります。日本では珍しくなった虫垂炎で亡くなる人も少なくないそうです。

 ウラジオストクの友人の場合、お父さんが夜に腹痛を訴え、すぐに病院に連れて行ったら虫垂炎。薬剤を点滴して「また明日きなさい」とその場で帰宅。翌日は何事もないかのように元気で、2-3回通院しただけで済んでしまったそうです。
 「都市に住むのも田舎に住むのも、どちらが良いとは言えません。良いこともあり悪いこともあります。」
 平日は都市で働き、休日は郊外のダーチャで畑を作りながら生活するウラジオストクの生き方も悪くはないと思います。

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保育園

2006年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

  少子化が問題になっている日本ですが、7ヶ月連続で出産が前年を上回っているそうです。
 先日、地元の保育園の「横断歩道教室」のお手伝いに行ってきました。3-5歳くらいの年長の子供が対象でしたが、教室に入ると何から何まで子供サイズなのでガリバーになったような違和感でした。
061020a  私の村では幼稚園が3年教育になったので、4歳児5歳児は2年ほど幼稚園と保育園が重なりますが、文部省と厚生労働省のバックボーンが異なります。保育園は夫婦共働きでなければ入れませんし、子供を預かる時間がぜんぜん違います。

 少子化で村に3ヶ所あった保育所は一つに統合されましたが、「もっと手軽にあずけられると有難い」と言う声はよく耳にします。

 保育園には「お昼寝の時間」なるものが存在していました。私など大学に行ってから「お昼寝の時間」を発見しましたが、そこは保育園児、良い子に寝る子供もいれば、寝ないで飛び回っている子供もいて、保母さんは過酷な仕事だとしみじみ思いました。

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馬かよ

2006年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

  「今度生まれてくるとしたらディープインパクトの子供に生まれてきたい」そう書き残していじめを苦に自殺した中学生がいました。競馬のことは良くわかりませんが、馬の子供に生まれてきたいと言われた親も切ないことだと思います。
 そのディープインパクトがフランスで出場したレースで、禁止薬物を使っていたことが問題になっているそうで、「ディープインパクトの子供に生まれてきたい」と亡くなった中学生が余計不憫に思えてなりません。

 問題やトラブルがあってそれを乗り越えながら造るのが人間関係ですが、「いじめはありません」「問題はありません」と帳簿の上で収めたことをそのまま飲み込もうとしたからこのような事件が起きたのでしょう。「いじめ」や「問題」が生じることは恥ずべきことではなく、それを「どう解決したか?」が評価されるようになれば変わってくると思いますが、学校や文部科学省の中だけではなく、周囲もそういう目線をもてると改善されるのではないでしょうか?

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翻訳

2006年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、日本語に翻訳してもらえますか?とウラジオストクから送られてきた添付メール。向こうのスタッフの知り合いの業者に「明日までにやってくれ!」と急ぎで頼まれたそうです。
 日本に輸出する製品の通関に添える書類でした。文言は毎度似たようなものなので、品物の名前を日本語に変えるのが主な仕事です。よく頼まれるので慣れていますが「???」、書類に記載されている品物の小計と合計が合わない!
 例えば24個入りの箱が5つなら120個。単純に計算してもわかりますが、なぜか245個。すごく文学的な計算!こんな計算がずらりと並んでいました。
 どうなっているんだ?とウラジオストクの事務所に電話したら「数字まで見ませんでしたが、確かにメチャクチャな計算ですね。さすが日本人ですね。重要なところに気がつきました。」それ以前の問題だと思う。

 その会社に連絡したところ担当者(その会社の社長)は既に帰宅した後で、お昼に客と一杯飲んでご機嫌で計算していたそうです。
 「これだから男の仕事はあてにならない!」電話に出た女性事務員は帰宅直前。いつもなら彼女がやる仕事だったようですが、社長が酔っ払ってご機嫌で「今日は俺が代わりに書類を作りから、たまには早く帰りたまえ!」と思わぬサービスが、結果的に思わぬ残業になってしまったようでツンツンしていたそうです。正しい数量を報告してもらって書類を完成させました。

 その会社の社長が酔っ払って書類を作ったものですから、こちらの事務所ではまずそのロシア語をまともなロシア語に直すのに一苦労。そこからまた日本語にするのに力尽きてこちらに送ってきたようです。

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炒飯

2006年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京に住む同級生から「外国向けのホームページで紹介しろ」とランチの写真がたくさん送られてきました。彼は毎日昼食が外食のため、この2ヶ月ほど食事に行くたびに写真を写して、まとめて送ってくれました。
 一つ一つ値段がついていたので、これもまた参考になると喜びましたが、あたらめて考えてみると、昼食のたびに600円から1000円の出費なんですね。食事に行く時は「今日は何を食べようか?」とそればかり考えているものですが。
 一人暮らしと二人暮らしのコストを考えると、そんなに変わりがないと思います。一人暮らしは意外と無駄が多いもので、食材を使い切る前に賞味期限を迎えてしまうことも良くあります。食事を三度作るより外で食べたほうが安くなるかもしれません。

 外食と言えば、昭和の末期に東京にいた頃は昼食に限らず夕食まで外食ばかりでした。その頃、アジアからの留学生が増えてきた頃で、私がよく行く食堂にも中国人の留学生がアルバイトしていました。これがまた客を客とも思わないようなふてぶてしい態度の女性で、当時この類はまだ珍しかった人民中国からのエリート留学生。香港や台湾の留学生ほど垢抜けてはいないけれど、プライドが異様に高い学生でした。

061014c  炒飯を注文したらチャーシュー麺が出てきて、”私の発音が悪かったのかな?”と思い、その次に行った時にできるだけはっきりと”チャーハン”と言ったのですが、チャンポンが出てきました。こうなるとこちらにも意地がありますから、その日の夕方またその食堂に行って、ワンランク上の五目炒飯を注文しました。五目ラーメンが出てきました。
 このまま炒飯を食べずに引き下がっては日本男児の名折れですから、翌日また行ったら学校に行く日だったようで休みでした。
 店のオヤジさんのその女性の出勤日を聞きだして、再び炒飯にトライ。今度は”焼き飯!”と注文しました。焼きそばがでてきました。
 その次の出勤日に行ったら件のバイトの中国女性がいなかったので、店のおじさんにに聞いたら、注文は間違えるどころか勝手に自分の思いついた料理を作らせる、客にたてついて喧嘩はする、真面目に働く気はないなどでクビになったそうです。
 「兄ちゃん、あんな女の子に惚れちゃならねぇよ!ありゃ人間の心を持たないくずだ!」
 別に惚れて通ったのではなくて炒飯を食べたかっただけなんですが,
あんな心がけの良くないやからが、留学帰りとかで政府高官にでもなればその国の先は知れていると思いました。

 偉い人は偉いなりに、そうでない人はそれなりに振舞うことが慣わしとなっている国もあるので、これには異論を挟む気はありませんが、それは自分達の社会の中だけで通用すること。最後に問われるのは品格でしょう。

 先述の同級生、先週の土曜日に取引会社の接待で、小金井ゴルフ倶楽部というゴルフ場に招待されていました。台風でもないのに大雨と強風で中止になりましたが、一般人が簡単に入れない高級なゴルフ場だそうで、その日のためにゴルフウェアまで新調して楽しみにしていたそうです。彼が勤務する会社の重役の代理で、接待を受けに行く予定でした。
 「もうこんなチャンスは一生ないかもしれない」
 そう言ってがっくりしています。私はゴルフをやらないので良くわからないのですが、1週間たってもまだ立ち直っていないのですからよほどショックだったのでしょう。

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サケ

2006年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

061013   実家近くの神社の縁日で、掃除を手伝いに行ったらお昼の弁当がでました。

 時間が早かったので家に持ち帰って食べましたが、ネコが紅サケを欲しがってまとわりついてきました。こういうときはこれ以上ないというほど愛嬌をふりまきます。

 結局紅サケ一切れ食べ終えると掌を返したように、「もうあんたに興味はない」とばかりに外に出て行ってしまいましたが、このクールさ、冷徹さ、女心に近い気もする。

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毒ギノコ

2006年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

061011a  我が家の玄関付近の植木の根元ににキノコが生えていました。もしかしたらヒトヨタケ?と思い様子を見ていましたが、翌日も残っていたので違う種類です。図鑑で調べたらヒトヨタケはもっとか弱そうなキノコでした。

 ヒトヨタケは一晩たつと溶けて消えてしまうキノコで、通常食べるには食べられないキノコではありませんが、アルコールが入るとコプリンという成分がアセトアルデヒドの分解を阻止して、悪酔いが続いてもがき苦しむと言われるキノコで、酔っ払いには厳禁のキノコです。他にはホテイシメジにもこうした成分が入っています。
 酒乱の父親に酒をやめさせるために、このキノコを食わせたなんて悲しい話しを聞いたことがあります。

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放射能

2006年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

061011  ガイガーカウンターが大売れ?北朝鮮の核実験に対して冷静なロシアですが、ウラジオストクでは放射能の測定をする計測器のガイガーカウンターが売れているそうです。
 こんなもの個人で持っていてのしかたないだろう?と思いますが、ロシア製の放射能測定器が時計店で販売されていたのを見たことがあります。
 実は、お土産に買ってきた会員さんもいます。
 「日本なら腕時計に組み込んだガイガーカウンターがあるでしょう?」と聞かれ、調べてみましたがそんなもの見つかりませんでした。GPSだって腕時計に組み込んでしまう日本ですから、不可能ではないでしょうが、何より、放射能測定器を腕につけて放射線の強い場所などに行く馬鹿もいないと思います。
 ロシア製ではキーホルダータイプの測定器があるそうです。

 現在のウクライナのチェルノブ入り原子力発電所の爆発で、大量の放射能漏れを経験したために、放射能に関しては意外にも神経質です。チェルノブイリからは地理的には遠いウラジオストクですが、ウクライナやベラルーシから移住させられた人が多い土地なので、親戚などが向こうにいる家庭も少なくありません。
 
 元々、何かを測る機械が大好きな人たちで、デジタル体温計や血圧計などを土産に持っていったらとても喜ばれたことがあります。重かったけれど、体脂肪も計れるデジタル式のヘルスメーターを土産に持っていったこともありました。遠目に眺めていると自分自身で勝手に基準を作って納得しているようで、あまり公的な規準にはこだわっていないように感じます。このあたりが「標準」に縛られる日本人と違うところですが、放射能も勝手に基準を決めて納得しているのだろうか?

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