のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

ブブノワ

2009年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 ワルワーラ・ブブノワВарвара Дъмитриевна Бубнова 1886-1983)。はソビエト革命の最中日本に逃れてきた帝政ロシアの美術家でした。父親はロシア帝国の官僚、母親は貴族出身で語学と音楽に秀でた人物でした。長女ワルワラは画家、次女アンナはバイオリニスト、三女マリヤはピアニストとしてブブノワ三姉妹は育ちます。

Bubunova  ワルワラの日本においての評価は美術家よりもロシア文学に関する業績のほうが高く、1982年には日本政府から勲四等宝冠賞を送られています。

 彼女は戦前には、早稲田大学のロシア文学講師や東京外国語学校にロシア語講師として勤務していました。

 第二次大戦後、ロシア語やロシア文学に黄色信号がともった1946年、早稲田大学のロシア文学科が復活し、講師として教壇に戻っています。彼女の教え子には作家の五木寛之さんなどがいます。

 元々は油絵の画家でしたが、版画家の巨匠棟方志功とも親交があり高く評価された画家だったそうです。

 画家としては1958年に個展を開き、これをめどに妹のアンナと共にソビエトに帰国し、現在のグルジアのスフミでソ連美術家同盟会員として生活しました。

Bubunova2  ワルワラは1979年に妹アンナが他界すると、スフミを離れレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)に移り、ここが終生の地となります。

 ワルワラが日本に来るきっかけになったのは、妹のアンナが日本人と結婚して日本で生活していたためで、妹が姉の絵を展覧会に出展し入選したことをきっかけに1922年に母親と共に来日しました。画家の姉に対して、妹はバイオリニストでした。

 妹のアンナ・ブブノワ(1898~1979)は音楽教師としてたくさんの演奏家を育て、世界のトップバイオリニストの1人前橋汀子さんもその1人です。CMソングの作曲家の三木鶏郎もアンナ・ブブノワ門下生でした。

 アンナ・ブブノワはペテログラード(現在のサンクトペテルブルグ)に留学していた小野俊一(生物学者・ロシア文学者)と知り合い1917年に結婚し、社会主義革命の混乱の中1918年に東京に移り住みました。一人息子を虫垂炎で亡くしてから夫とも疎遠になり、離婚。その後は日本でバイオリン教師として活躍しました。

 アンナ・ブブノワの広く知られている呼び名は小野アンナ。夫だった小野俊一の姪はジョン・レノン夫人のオノ・ヨーコさんで、血縁ではありませんがアンナはオノ・ヨーコさんの伯母にあたります。

 国際カップルの母親達は国や政府の制度が変わって社会からの保護がなくなっても、どんな社会でも生きられる子供を育てることを強く意識していると思いますが、秀でた一芸を持つことが異文化でも受け入れられ安いことを実感しているからでしょう。国際カップルには教育ママが多く見受けられますが、実際は不安定な社会の枠の中に押し込むことに熱心な日本のお母さんと違い、個人の資質を磨くことに熱心な母親が国際カップルには多いです。

 ある意味、芸術などの分野は親の七光りや継承がありそうで通用しない自分の力のみの世界ですが、逆に見れば平等なのかもしれません。異国で名を成すにはもっともわかりやすい分野だと思います。

 ブブノワ姉妹も日本を駆け抜けていった一時代のロシア人です。

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マラソン大会

2009年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝の来ない夜はない。希望をこめた言葉のわけですが、昨日、膝をひねってしまい、ゆっくり寝て養生したいと願っていたにもかかわらず、朝が来てしまいました。

 小学校のマラソン大会に交通指導員の出動。「足が痛いからマラソン大会に出られません」と選手ならいえますが、スタッフですから膝にテーピングをして痛い足をかばって、小学校のマラソン大会の手伝いに行ってきました。

 面白いものだなぁと感心したのは、同級生の息子が走っていた時で、走り方が父親そっくりだったため誰の子供かすぐにわかりました。
 顔や容姿が似るのは当たり前かもしれませんが、走り方のくせまで似るとは面白いものです。

 少子化で子供の数が減っていますが、平日でも動けるお年寄りが増えているので、沿道に集まる観衆の数は年々増えています。

 インフルエンザが猛威をふるい、中学校では学級閉鎖になっているようですが、小学校にもその余波が来たようで、この日、感染者が2名出たそうです。
 マラソン大会前に健康チェックをしていました。

 それにしても、公道で通行する自動車を規制しながら毎度考えるのは、「マラソン大会で重要なのは誰が早く走れるかではなく、誰が遅いかだ。」

 先頭がゴールしているのに最終ランナーはまだ半道中にも達していない。この最終ランナーが通り過ぎて、折り返し地点で戻って来るまで持ち場を離れることができません。しかも、遅いランナーほど親しみのある体型をしているので、ついつい感情移入してしまう。

 折り返して戻ってきた児童に付き添うように声援送りながらゴールまで付き添いましたが、膝を痛めてやっとこ歩いている私よりも遅く走る最終ランナーでした。

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こころ

2009年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 インド系英国籍でカナダ在住の英語教師はヨーガにこっていますが、その理論がやたらとくどい。
 国際会議でインド人を黙らせて日本人を喋らせたら大成功と言われるほど良く主張するインド人と言われていますが、こちらが突っ込む間もないほど持論を延々喋り続けるのでなおさらそう感じるのでしょうか?でも、「なんか違うんじゃないかな?」と違和感を覚えます。

 ヨーガにせよ禅にせよ自然との一体感で、論理を超越した先の「感覚」に到達するものだと思うのだけど、あまりに理論整然としていると逆に不完全を覆い隠そうとしているように思えてしまいました。

 ああ、これは「都市」の感覚なんだ」と思いました。人智で自然をある程度克服できた場所が都市ですが、人間の頭で動いている環境。故に悩みも多く生まれます。つまり、悩みとは「自然」から離れたところで発生するものなんだろうか?「自由」と「悩み」はセットなんだろうか?なんて哲学的なことを考えてしまいました。

 宗次郎のオカリナを聴きながら秋のボケー~っと山を眺めているだけでいいメディテーションになる幸せな単細胞人間なので、難しいことは考えないようにしています。

 自己主張することと「我が強い」ことは別物なので混同しないよう心がけたいものです。

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県民の日

2009年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 県民の日で学校が休みの日でした。一般人には何も関係ありません。
 県民の日など関係なくインフルエンザで学級閉鎖になったところも多いようです。

 修学旅行で沖縄から帰ってきた知人の娘さんの高校でもインフルエンザで休みになったクラスがあるようですが、彼女のクラスは誰もインフルエンザになっていないそうです。

 沖縄がどこにあるのか知っている?とからかったら、「知ってますよ!行ってきたばかりですから!東京の右側でしょう。」

 あまりに斬新な答えに言葉を失ってしまいましたが、地図帳では東京の右下あたりに別枠で沖縄の地図が載っていることが良くあります。地図上の概念?

 「何とかは風邪をひかないって言うけど、インフルエンザにかかるような子供じゃないんだ。」と父親は苦笑いしていましたが、この陽気な末娘をことのほか知人がかわいがっているのもわかる思いです。

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4度目?

2009年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 結婚式場のマネージャーをやっている知り合いが嫁をもらうとかで、お祝いをもって行きました。職場結婚だそうです。
 私と同い年ですが、前の奥さんがこちらの出身だったために東京から引っ張られてこっちに就職した人で、東海方面の出身です。
 真面目でインテリなので時折いろいろな情報交換をしている男性です。

 この年で再婚するのは心身ともに大変だったろうと話しているうちに、「さすがに4度目になると世間の目も冷ややかな気がして・・・」
 え?4度目って?

 今まで知らなかったが、バツ3でした。お祝い引っ込めようかな?と一瞬思いました。

 人様の人生あまり首を突っ込まない主義なので今まで気にしていませんでしたが、東京のホテルに勤めていたときに職場結婚したのが前の奥さんで、3度目では肩身が狭いからこちらに来たのだそうですが、地元に戻ってきたら奥さんと家族にチネチネいじめられて結果的に離婚。
 気楽な一人暮らしに戻ったものの「やっぱり家庭のぬくもりが欲しい。」と4度目になったわけです。その気力もたいしたものですが、よく相手が見つかるものだと感心しました。

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流行?

2009年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 本屋で沼田市に住む同級生と顔を合わせて、インフルエンザの話題になりました。彼には中学生のお子さんがいますが、新型インフルエンザが流行して学級閉鎖になるとか。彼の息子さんは一足早くインフルエンザになり、回復してようやく通学できるようになったらまた休み。
 「心配するほど大きな病気には思えなかったけど、熱が出て辛そうだったぞ。せがれはタミフルではなく、リベンザと言う薬を処方してもらっていたな。」

 ワクチンが足りなくて一般の大人は12月ごろにならないと摂取できないと聞いていましたが。家庭に患者が出た場合は優先的に摂取できるそうで、彼の家族は全員インフルエンザのワクチンを摂取してもらったそうです。

 京都・奈良へ修学旅行に行ってきた生徒達からインフルエンザが流行しだしたとか。

 私たちが中学生の頃に風疹の大流行があり、その同級生の第一号がこの男でした。法事か何かで東京に行ってきて風疹を土産に持ち帰り、瞬く間に学校中に広まり学級閉鎖になったことがありました。幸か不幸か、私は幼少の時に風疹をやっていたのでやたら元気。学級閉鎖で休みになったのを幸いに仲間たちとスキーに行きました。

 「あん時はたまたま俺が一番先に風疹になっただけで、小学校なんかでは俺より先に風疹になっていた子供がいたんだぜ。俺が村に風疹を持ち込んだわけじゃないんだけどな。だけど、流行りものは先にやったほうが徳だよな。お前だって学級閉鎖になった時にいっしょにスキーに行ったじゃないか!」
 しかしながら、いまだに我々の間では流行を持ち込んだ男といわれています。

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不景気

2009年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国語でも「不景気」は「不景気」で通用しますが、意外なことに、「不景気」という言葉は日本語を起源に持っているようです。

 明治時代、欧州からさまざまな文化が日本に入ってきますが、言葉を翻訳していくうちに日本独自の幹事の言葉が生まれます。「人民」「経済」「歴史」など欧米の書物を日本語に訳していく中で作られた言葉です。

 なるほど、日本語を起源に持つ中国語には、中国にはなじみの薄い言葉があります。

 サービスや奉仕を意味する「服務」も日本語です。サービスなどごく最近まで中国(特に共産中国)にはなかった概念でしょう。今だって意味わかってるのか?と疑いたくもなります。サービスセンターは「服務中心」言われてみればなんとなくわかるでしょう。

 英語でも「Koban交番」で通じるといわれていますが、通常は「police box」と呼ばれています。中国では「派出所」で通用します。派出所があるなら「取締」も日本語起源です。こんなこと言っちゃなんですが、中国の公安(警察)と○暴は紙一重といわれています。

 役所用語では「申請(シェンチン)」も日本語起源だそうです。昔の中国のお役所は庶民からの申請など受け付けなかったのでしょうから、こんな概念なかったのでしょうね。

 「歴史」が日本語起源というのも意外なことですが、「記録」も日本語を起源に持つ言葉です。

 学問関係では「予習・復習」も日本語を起源にしているようですし、「見習」も日本語から用いられているようです。

 街中を飛び回っている「三輪車」も日本のほうが先につけてしまった名前ですが、中国人も同じ名前にしたかもしれません。

 日本語起源ではありませんが、喫茶店で笑ってしまったのは「三明治(サンミンジー)」でサンドウィッチのことでした。チョコレートかと思ってしまいました。

 向こうの新聞を読んでいて三面記事の「可卡因(ケカイン)」も「コカイン」のことだろうなとなんとなくわかりましたが、コカコーラ(可口可楽)なのかカラオケ(可拉OK)なのか一瞬迷いました。「」がいかにも妖しさをかもし出していて面白いです。コカコーラ飲みながらのカラオケ、健康にはよいのか?悪いのか?

 ウィスキーは「威士忌」と書きますが、「張った」「紳が」「中」になってしまいそうな危ない飲み物なんでしょうね。健康には注意しましょう!

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選挙中

2009年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 町長選挙真っ只中。ほとんど関わっていないので静かな日々をすごしています。
 夕方、スーパーマーケットに行く途中選挙カーとすれ違いましたが、最終日とあってウグイス嬢の「最後の最後のお願いに上がりました」の声もガラガラなになっていました。

 不在者投票を済ませたので「もう関係ない」と眺めていましたが、早朝、中学時代の恩師から電話があり「○○候補をよろしく。」
 たまたま私が投票した候補だったので、「もう不在者で一票投じてきました。先生の顔をつぶすようなことはしませんよ。」
 「さすがわが教え子」とご満悦になっていました。

 財政ガタガタの町。前町長の無駄遣いで多額の負債。火中の栗を拾うようなものですが、火に油を注ぐようなことにならなきゃいいけど。

 20世紀末期、ウラジオストクでは権力者が市長の座を争ってトランバイ(路面電車)や電気料がただになる事態が発生したり、なぜか二人の市長が誕生したり、住民は大変だけど、混沌も面白いものだなぁと思ったものでした。

 町村合併でできて4年目の町。どうせまだまとまっていないんだから、役場が二つできてサービスを競わせても面白いと思うのですが。
 サービスで負けたほうの役場の職員は?雇用状況の厳しさを身を持って体験できることになる。

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100円ショップ

2009年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

事務用品を買いに100円ショップに行ってきました。最近はスーパーの98円セールなどで同じようなものを売っているから必ずしも100円ショップが安いわけではないのですが、この値段でこれだけの品物を作るのも大変なことだと思いますが、面白いものもあるから余計なものまで買い込むので意外と高くついたりします。

 100円ショップで不満なのは「定番」が少ないことで、便利なものがあればある時に買っておかなければ次に同じものが入荷してくることがない。

 上海の郊外に義烏と言う町があり、ここが町が丸ごと見本市になったような商業都市になっています。ヨーロッパなどからもここに仕入れに来て大量に買い入れていく人々も多いです。

 100円ショップの大方の品物が中国製で、こうした見本市で一山いくらで買ってきているのでしょうが、環境問題、温暖化ガス削減の観点から100円ショップなど影響が大きくなるのではなかろうか?

 環境のためにも100円ショップは控えるようにしようと思っていますが、本音は余計なものまで買い込むから。

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茶プリン

2009年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 抹茶を使ってプリンを作って「チャップリンだ!」と喜んでいましたが、カスタードと抹茶の香りが絶妙に混ざり合い、まずくて食い物にならない味でした。

 今年は例年より早く紅葉が始まっているばかりか、例年より早く木の葉が落ちている気もします。

 夏物の半袖のシャツも用がなくなったのでクリーニングに持って行ったら、中学生の時の後輩に会いました。2歳下ですが、高校卒業後東京方面に出ていた人なので、三十年ほど会っていなかった気がします。
 向こうはこちらがすぐにわかったようですが、彼の頭が半分ほど白くなっていたので、一瞬自分より上の世代を連想してしまいました。
 2年前に盲腸炎を患ってそれをこじらせしばらく療養生活をしたそうですが、その頃から急激に髪の毛が白くなり始めたそうです。大学生と高校生の子供がいるので、まだ老け込むわけにはいかないと気張っていましたが、「若くない」年代になり、ちょっとした病気でも油断ならないなぁとしみじみ思いました。

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流星群

2009年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 オリオン座流星群を見ようと、昨夜は早めに寝て夜中に起きて観察する予定でしたが、目が覚めたのが6時前。流星群は見られなかったが朝日を見ることができました。
 今夜もう一度チャレンジして、流星らしき星を見ることができました。

 夕方、ニュースを見ていたら、女優の南田洋子さんが亡くなったニュースが流れていました。つい先週、認知症で闘病する南田さんを献身的に介護する夫の長門さんの特番をやっていたばかりで、認知症が回復に向かっているように思われていました。

 夫婦の場合、夫が先立っても妻はたくましく生きるものですが、妻に先立たれると意外と男のほうがもろいもので、ほどなく後追う様に行ってしまうことが多々あります。

 郵政の新社長に元大蔵官僚が就任?それも「国の方向を誤った」責任を取らされて追い出された事務次官。
 脱官僚、天下り規制どころか立派な「渡り」。
 新政権の足を引っ張る要因にならなければいいけど。
 もっと若くて有能な人材がいるのではなかろうか?

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たおやめ

2009年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、中学生と雑談していたときに「”たなごころ”ってなんですか?」と聞かれ、「手のひらのことだよ」と答えつつ、いにしえの言葉だけどきれいな響きだなあと感じました。

 夜、万葉集と古今和歌集を見比べてみました。「菊」と「衛士」以外は日本古来からの言葉「訓読み」で作られている万葉集と、外来語(と言っても中国からですが)の音読みが幅を利かせる「古今集」。万葉集のほうが言葉が柔らかく美しく感じます。
 正岡子規は万葉集を萬葉集は「歌集の王なり」と絶賛し、古今集や新古今和歌集を「くだらぬ」と評して否定したそうですが、万葉集の「ますらおぶり」に対して、古今集は「たおやめぶり」を感じます。しかしながら声にして読んでみると、音読みの多い古今集のほうが言葉が硬く感じます。

 古今集に目を通すと、平安京にい移った人たちが奈良を懐かしむ歌が多く見受けられ、小野小町の「花の色はうつりにけりな」も奈良から京都へ都が移ったことを嘆く歌のように編さんされています。

 正岡子規が活躍した明治は日清一路戦争に向かう時代の渦中。荒々しい時代でもありましたが、あらゆる価値観が大きく変化する時代でもありました。
 ノスタルジーに浸ることは好まれなかったのかも?

 白河の清きに魚も住みかねて 元の濁りの田沼恋しき 江戸時代後期、田沼意次の行政改革に対する庶民の狂歌。
 半年も経てば民主党政権に対してこんな歌が読まれるようになるでしょうか?

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覆水盆に返らず

2009年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 「天に天堂あり、地に蘇・杭あり」天に極楽浄土があるように、地には蘇州・杭州と言う楽園がある。という意味です。蘇州・杭州と言えば風光明媚で水の都、美人の都として名高い地方です。

 水はドブ臭いし観光客目当ての物売りはしつこいし「どこが楽園じゃい」と行ってから腹が立ちますが、北朝鮮を楽園だと思い込んでいる人よりは幸せかもしれません。

 漢の時代、蘇州に朱買臣という真面目な男が寝る間も惜しんで読書に励んでおりました。彼の妻は生粋の蘇州美人でした。

 美人と言っても見た目だけで中身の伴わない美人もいるもので、朱の妻もその類の美人でした。「私のような美人なら、もっとリッチでゴージャスな生活ができるはず。何でこんな真面目だけがとりえで出世もできない男と一緒にいなければならないのか?」と夫に離婚を迫ります。

 「絶対に出世するから、50歳まで待ってくれ」と頼む夫に「ざけんじゃないわよこの宿六が。あんたについていったら飢え死にしちゃうわよ!」と夫を見限って出て行ってしまいます。

 朱買臣はそんな逆境にもめげず勉学に励み、都に赴き官吏登用試験に合格します。約束どおりに出世して太守となって凱旋します。太守と言えば地方を県知事のようなものです。

 太守となった朱買臣の一行が蘇州に戻ってきて盛大なパレードになります。その行列の前に人ごみを掻き分けて一人の女乞食が這い出てきます。女乞食は地面に頭をこすりつけ号泣しながら太守に何かを訴えています。

 その意味を悟った太守朱買臣は馬から下りると家臣に水を入れた器を持ってこさせます。女乞食の前で器の水を地面にこぼし「その水を元に戻せ」と冷ややかに言います。水は地面に吸い込まれ戻すことなどかないません。

 「覆水盆に返らず、あんたとの復縁は不可能だよ」と怒鳴りつけます。この女乞食は朱買臣の元の妻でした。

 女乞食は泣き崩れ、朱買臣一行は悠々と行列を進め、行列に集まった人々は拍手と喚起の声で見送り、幕が下ります。「馬前撥水(マーチェンポーシュイ)」という劇です。

 日ごろ強い嫁さんに虐げられている中国男性にとってこの幕切れはストレス発散になるそうです。朱買臣は非情な態度ですが、物欲に目のくらんだ女などどこで裏切るかわかりませんし、夫の地位をかさに害悪撒き散らすこと請け合いです。情けをかけても逆手に取るだけです。愛憎以前に悪い種は冷たく切り捨てることも人の上に立つ立場として大切です。

 さて、女乞食に身を落とした朱買臣の妻はその後どうなったかと言うと、水面へと身を投げ死んでしまいます。蘇州には「死亭湾」と言う観光名所になっているようです。自業自得ともいえますが、「運敗時哀鬼弄(運破れ時衰え鬼弄ぶ)」志の低さは鬼のおもちゃになるのが成れの果てです。

 朱買臣の妻のごとき愚かな女はいつの世にもいるようです。惨めな末路しか待っていません。遠く日本の日本の繁華街でも・・・

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Mission:Impossible

2009年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 おはようフェルプス君。そこで君の指令だが、当局は一切感知しない。なお、このテープは自動的に消滅する。

 知り合いの娘さんが、高校の修学旅行で沖縄に行きました。前原国土交通大臣の羽田空港のハブ空港化発言で「沖縄でハブとっ捕まえてきて羽田空港にばらまきなさい!国の政策だ!」とからかうと、遠回りに仕事が八ツ場ダム建設中止のあおりを食っている父親が「そりゃいいことだ!国のためになる!」と大笑いしていました。

 この知人、特に反対運動をしているわけではありませんが、前原大臣が八ツ場ダム建設現場に来た時、どんな人物だろう?と、物見遊山で見に行ってきたそうです。遠目にバスを見ただけで、肝心の大臣を見ることはできなかったようです。

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帰ってしまったヨッパライ

2009年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 元フォーククルセターズの加藤和彦さんが軽井沢のホテルで自殺。
 昨日、顔見知りの雑談でフォークルの「帰ってきたヨッパライ」の話題になり、北山修さんとはしだのりひこさんの名前は出てきたのですが、「もう一人の人はなんて言ったっけ?サディスティックミカバンドの、なんて言ったっけ・・・」
 ミュージシャンとして一番活躍していたのにすぐに名前が出てきませんでした。

 フォークルが世に広めたといわれる「イムジン河」は発売禁止の歌でしたが、昭和から平成に時代が変わり、NHKのフォークソング特集でイムジン河が流れたとき、「時代が変わったんだな」と感じたものでした。
 イムジン河の訳詞者は松山猛さんという人ですが、映画「パッチギ」にその裏話などが織り込まれています。

 難しいことを抜きにして、帰ってきたヨッパライ。

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