のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

旅の思い出

2008年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜、韓国の家庭料理をご馳走になりました。思ったほど辛くはありませんが、後日どうなることやら?

 チゲ(鍋)を食べた後、残りのスープにインスタントラーメンの麺を入れて味わい、皿にその残りのスープにご飯を入れて炒飯にし、おこげを味わう。鍋料理をたっぷり楽しめました。後日どうなるかはわかりません。

 38度線近くの町からやってきた奥さん曰く、「日本では塩分控えめ、中国は油控えめ、韓国も辛いものを控えるのが最近の傾向です。韓国は胃がんが多いんですよ。辛いものが良くないんですね。」
 ロシアなんか甘いもの控えめってところだろうか?
 
 20代の頃、釜山からソウルを目指して歩いたことがありますが、釜山の西の馬山と言う街で初めてチャンジャを食べました。韓国風鱈の塩辛のようなもので、食堂で店のオヤジさんがサービスにつけてくれたものですが、コリコリした歯ごたえが気に入ってしまいました。
081026  以後、チャンジャは私の好物の一つになっていますが、ウラジオストクに朝鮮市場があった頃、おいしいチャンジャに出会ったことがあります。
 ロシア人の友人は「こんな辛い物を何で食べるんだ?」心配していましたが、今まで食べたチャンジャ中で一番おいしかったのがロシアで食べたものでした。

 若かりし頃はキンピラゴボウが嫌いで口にするのもはばかっていましたが、30代になってからキンピラゴボウを食べられるようになり、今や大好物。 人参は好きでしたが、ゴボウになじめませんでした。最近はゴボウの泥臭さと言うのか、垢抜けない味わいが好きになりました。
 今まで食べたキンピラのベストといわれると、USAの日本料理店の付け出しで出てきたキンピラゴボウで、日本食に飢えていたこともありますが、「この世にこんなうまい食べ物があったのか?」と感動したことがあります。
 第二次大戦中、連合軍の捕虜にゴボウを食べさせたことが「気の根っこを食べさせる捕虜への虐待だ」と東京裁判で有罪になった例もあったようですが、この味わいがわからないなんて不幸せかも?

 ちょっとした食べ物にも旅の想い出があったり、旅へのいざないがあったり、面白いものです。

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キャンピングカー

2008年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 サービスエリアで牽引式の家のようなキャンピングカーが停まっていたので、興味を持って眺めていると「中もごらんになりますか?」と見せてもらいました。
 このスペースに良くぞこれだけ多様な設備をおさめることができたものだ!と感心するほどのスペース効率。これぞ経験の積み重ね。
 寝泊り炊事洗濯ができるゴージャスで広い応接室のような空間で、キッチンでコーヒーを入れてもらいました。「この液晶テレビなんか地デジ対応なんだけど、趣味に金かけすぎて、我が家のテレビなんか昭和の時代から買い換えていない。」

 USAでこうした牽引式のキャンピングカーと言うより、モーターホームをよく見かけましたが、そこに住んでいる人がいたり、住所がモーターホームになっている人もいると聞いたことがあります。

 このオーナーの話によると、アメリカ製のキャンピングカーは作りが雑で使いにくいのだとか。「輸入製のキャンピングカーの最初の手入れはコーキングなんですよ。ベニヤ板張り合わせたような安っぽいつくりだから、雨漏りは当たりまえですし、あちこちに隙間がある。」
 映画のアクションシーンなどでクラッシュしたキャンピングカーが粉々に吹っ飛ぶようなシーンを見ることがありますが、「実際そんな作り。」

 「信頼性がぜんぜん違いますよ。」とこのオーナーはFRPで形成した日本製のキャンピングカーを使っているのだそうです。子供が幼い頃にはキャンピングカーが家族のために大いに貢献していたそうですが、今や家族の目の敵。お父さんの趣味の世界。

 キャンピングカーに興味を持っていたわけではありませんが、こうした工作物を見ると興味をそそられます。

 高校生にオートバイの免許を取らせない動きが起きた時、「そんなことをすると若い者が機械に興味を持たなくなり、これが日本の技術力の低下につながる。」と批判的だった先輩がいました。
 理論で構築されたハイテクなんてたやすく真似できるけれど、感と経験が重要なローテクは簡単には成り立たないものです。実際、日本独自の工業技術の背景にはローテクの素晴らしさがあります。
 オートバイに乗る高校生がいなくなった昨今、確かに機械や工作に興味を持たない若者が増えましたし、製品そのものが手を加えられない完成した状態で出てくるので、不便なところを創意工夫して手直しするよりも、こうした意見を取り入れたメーカーが新機種を出すのを「待つ」ことが当たり前になりました。

 小中学生の頃、真空管やトランジスターでラジオを作ることに熱中していた時代がありましたが、今やこうした素材を集めることも困難なご時世です。ローテクはどうなることやら?

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理不尽

2008年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 星の巡りあわせ?タイミングが悪いと言うのか歯車がかみ合っていないと感じることはしばしばあるもので、プライドと称したつまらない見栄で投げ出そうと弱気の虫が蠢くものです。ここで平然と踏ん張れるかが大人の強さなんでしょうが、”投げ出さないでよかった”と誉めてくれるのは自分自身だけ。
 女性はいいよなぁ。気に入らなければ感情を爆発させることができるんだから。

 解決の糸口どころか、自分とは関係のないところで起きている事件が自分自身に災いをもたらすこともよくあるもので、泣いたりぼやいたりしているうち名まだ解決の糸口が見つかるものです。
 「泣く子と地頭にゃかなわない。」と、どうにもならない境遇を嘆くこともままならないこともよくあるもので、そんなときにはどうすればいいのかって言われれば「笑うしかないんです。」
 日本人の不気味な微笑には、どうにもならない時には「笑うしかない」悲しさがあります。

 ロシアの名曲「百万本のバラ」にはまったく別の意味を持つオリジナル曲があった。
 以前コラムでこのことを取り上げたことがあります。

 ここをクリック

 原曲は「マーラが与えた人生」マーラはあなたに命を与えたけれど、幸せを与えることを忘れた。と、母子三代を通して不幸せな連鎖を歌うことで、近隣大国に翻弄されたラトビアの歴史を暗示しているような歌です。

 株価の暴落ドル安、世界同時不況などとこのところ賑やかですが、投資家と称した一部のギャンブラーの身の上に起きた不幸が、そんなものとは関係ない生活をしている人たちの身の上にもっと大きくのしかかる。なんと理不尽な世の中だろう?なんて思いながら、マーラが与えた人生を思い出してしまいました。
 神様は人類にお金を与えたけれど幸せを与えるのを忘れた? 

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ウォッカ

2008年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 「またサマゴンで事件が起きたよ。」とウラジオストクの友人から情報が。サマゴンとは自家製ウォッカのことでつまり密造酒。
 友人の住むアパートで自宅で作ったサマゴンを飲んで病院に運ばれた人が出たそうで、「たぶん死なないと思う。でも、警察が来て大騒ぎになった。」

 ロシア人イコールウォッカというイメージを払拭したいのか、最近はウォッカを好むロシア人が少なくなったと言われていますが、破滅的に飲む人間が少なくなっただけのことで、宴もたけなわになってくるとどこからかウォッカが出てくるのがロシア。

 某ロシア人は私が風邪気味のときに「足にウォッカを塗ると治る」と薦めるので、言うようにしたら、クサイのなんのって、布団はアルコール臭くなるし、自動車の中など靴下の臭いとウォッカの臭いで、さらにそれがヒーターで温められてとんでもない臭いになってしまったことがあります。
 本当にウォッカを塗って治ったの?と聞くと、「そういう話を聞いただけで、私がそんなこと試すわけないでしょ!」

 かつて、こんな番組が放送されていました。

 寒くても凍らないウォッカは自動車のウィンドウォッシャーに使っています。これにサマゴンを使う人はいるみたいです。
 それにしても堂々と密造酒を作っています。
 

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乳粥

2008年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 ブッダのゴーダマ・シッタールタが苦行をしていた頃、断食で体力を使い果たしてぶっ倒れ、スジャータと言う少女の差し出した乳粥をご馳走になり、「こんな修行意味が無い!断食なんかやめた。」と悟るシーンがあります。

 その乳粥はどんなものかわかりませんが、日本人には乳とお粥の融合など重いもよりません。

 これに近いものを初めてご馳走になったのはモンゴルに行った時でして、お米を牛乳で煮て砂糖をたっぷり入れて、さらに干しブドウまで入ったゴージャスバージョンで、お世辞にも「食えたものではない」代物でしたが、根性で飲み込みました。
 あまりに苦しくて涙が出ましたが、「アジアの人間には米が一番さ」と、さらに皿に盛ってもらい、また涙が出ました。

 ロシアでも牛乳で煮立てたカーシャ(お粥)があり、連中は平気で食べますが、仏陀のように断食修行中の身ではない私は、手をつけることもままなりません。
 どうしようかな?と躊躇しながら眺めていると、お粥がさめて牛乳の乳脂肪分が固まってお粥の上に膜が張ります。

 酪農を営んでいる先輩から牛乳20リットル分けてもらい、バターを作りました。残った脱脂乳も根性で飲み干す所存でありますが、古米を使って乳粥を作ってみました。日本の牛乳と米なら、と、期待しましたが、やはり「食えたものではない」。やっぱお粥には梅干と鰹節が一番です。

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ポスト

2008年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

08101231  最近見かけることが少なくなった円筒形のポスト。

 よく骨董品店の前に並んでいるのを見かけますが、現役で活躍しているポストは少ないのではなかろうか?

 観光地などあえて雰囲気を出すために項の円筒形のポストを残しているようですが、味わいがあってよいものです。

 子供の頃、ポストに投函するのが楽しみでしたが、身長が足らず投函口に手が届かず、体を持ち上げてもらって投函したものです。

 機能的には現在主流の四角い箱で十分なんでしょうが、なんとなく味気なく感じてしまいます。機能なら電子メールや電話やFAXのほうが優れていますし、宅急便だってあります。

 郵便にはも少し「ゆとり」や「遊び心」をこめたい気持もします。

08101227

 こちらは共同浴場の横に取り付けられている短歌や俳句を投函するポスト。

 大きさはぜんぜん違いますが、何かを投函する気持を書きたててくれるデザインです。

 いつ誰が改修しているのかよくわかりませんが、「提案」と称した地区の悪口を書き入れる目安箱などよりは良いものです。

081012   こちらはロシアの郵便ポスト。これなんかまともなほうで、青いブリキのゴミ箱のような物がビルの壁に張り付いているようなものもあります。

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美女とブサイク

2008年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 コッテリした音楽が好きなので、一頃、シャンソンには待っていた時期がありまして、銀パリに入り浸ってみたり、新宿でのシャンソンやカンツォ-ネやタンゴのコンサートにも足を運んだことがあります。
 マイナーな分野かもしれませんが、こうしたステージにはプロがプロのステージを見に来ることが多々あります。

0416_2  誰のコンサートだったかは忘れましたが、シャンソンのコンサートで、たまたま隣に座った人がタンゴ歌手の冴木杏奈さんで、元ミス札幌という美しい女性。

 ”カップルと間違えられたらどうしようか!結婚してくれなんていわれたらどうしよう?”とドキドキしながら、ステージの歌手より隣が気になってなりませんでした。

 後に、冴木杏奈さんと菅原洋一さんのタンゴのジョイントコンサートに行く機会がありまして、密かに自信をつけたことがあります。こんなこと言って失礼ですが、菅原洋一さんといえばブサイクな男の代表のような容姿、およそ冴木杏奈さんとつりあうはずも無いと思っていましたら、違和感が無いどころか、しっとりとさまになっているんです。”ああ、俺ブサイクに生まれてよかった!”と酔えました。

 美女とブサイクが歌う Il Pleut Sur La Route. 小雨降る径。

 ♪ここをクリック♪

 その昔、淡谷のり子さんが「雨の夜は」と言うタイトルで歌っていました。淡谷さんの歌詞は洋画家の藤田嗣治さんの詩でした。世界的に著名ながから訳詞をしたなんて驚きです。

 私が小学区制の頃この偉大な画家は逝去しました。このときテレビで、日本国籍を捨て去ってフランス国籍を取得してレオナール・フジタになったことや、「アッツ島玉砕」などの一連の戦争画のことを見たおぼえがあります。

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変動相場制体重

2008年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 最近大発見をしました。私の体重とドルの為替レートが微妙にリンクしています。
 だいたい100kg前後で体重が推移していましたが、食欲の秋で食べ過ぎたこともあってダイエットと言うほどではないものの、少し減量をと気を使い始めたらドルが暴落して、1ドル100円を割る為替レートになりました。この頃同じように私の体重も100kgを切りました。

 一時はドルと同じく体重も98kg台に落ちましたが、このままでは日本の輸出企業への影響が大きすぎることとは関係なく、栗ご飯もらったり、間食に都合の良いお菓子をもらったりで食ってばかりいたら、G7の強調介入もあいまって体重と為替レートが102円台に戻りました。
 今夜の体重レートは101kg。

 ロシアのルーブルなど10年も遡れば一晩経てば価値が激減するメチャクチャなインフレ状態でしたが、現在は日本円並の強さみたいで、貿易を生業とするウラジオストクの知人は「ルーブルで取引する会社もある」と言っていました。
 混乱期には商品の値段がドルで表記されていて、その日のレートでルーブルに換算して売り買いしていたものですが、時代の巡り会わせとは面白いものです。

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流行りもの

2008年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 巷ではバナナダイエットとやらが流行っているとかで、バナナがすぐに売り切れるのだとか。
 そういえば納豆ダイエットなんてのも流行った覚えがありますが、今ははどうなっているのだろう?
 十数年前にはココアのポリフェノールが動脈硬化に良いとかで、店頭からココアが売り切れる時代がありました。
 ロシアから入ってきたかのごとく宣伝しているケフィアだって、その昔流行ったヨーグルトキノコ。
 来年はどうなっているのだろう?

 そんな中、コンニャクゼリーを喉につまらせて子供が亡くなった事件がおきて、コンニャクゼリーが危険な食品のごとき風潮が流れ、コンニャクゼリーの販売を見合わせる会社などが出ています。
 こうしたものを幼い子供に食べさせる時には、親が気を使って喉にひっかからないようにスプーンで細かくしてやるくらいの気配りが当然だと思うのですが、なぜか生産者が悪役になる。
 このコンニャクゼリーだってダイエットや健康に一役買って注目されていたはずですが。

 ちょっと違うんじゃないかな?

 毎年正月になると餅を喉につまらせてなくなる人が出ますが、餅を作ってはいけないなんておふれが出るのだろうか?

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発光体

2008年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム
2008/10/13(月)

 「ウラジオストクにUFOが出たのを知っていますか?」と友人から電話が・・・
 ”見たの?”と聞くと、「僕は見ていませんが金閣湾の反対側に形を変える光が出ました。」
 ”ロシアが北極海にミサイル打ち込んだニュースが報道されているけど、間違えてウラジオストクに核爆弾が飛んできたんじゃないのか?”
 「それはあまり無いと思う。」”じゃあ北朝鮮のミサイルだ!日本を狙ったらウラジオストクに飛んだんだ!”「そちらのほうが可能性があると思う。」

 今回に限らず、ウラジオストクで奇妙な発光体を見た事があると言う人はけっこう多いのですが、まさか原子力潜水艦の整備工場が発する放射能の光では?なんていうと彼らはマジで神経質になります。

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栄枯盛衰

2008年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

08101223  共同浴場の入口に雑誌の切抜きがはってあります。この夏のお盆頃旅行雑誌が取材に来たときの記事だそうです。ちゃっかり区長代理の写真が載っていました。

08101224  時々旅行雑誌などが取材に来て、たまたま通りがかってインタビューを受けたことがありますが、私の写真もインタビューも掲載されたことがありません。

そればかりか、観光客ではない「地元の方ですね。」と一発で見抜かれるので、何が違うのだろう?どこが地元民の風体なんだろう?と考えてしまいます。

 今でこそ静かなたたずまいを見せる路地ですが、私が子供の頃は村で一番の商店街で賑わっていました。山から買い物に下りてきて、共同浴場で温泉に入って帰るのがお決まりコース。かつて買い物に来る人たちが歩いてきた山道も、今は草や木が茂って、よく目を凝らさなければ道の跡がわからない。
 時代が自動車中心になると駐車場が問題になり、少しくらい遠くても便利なスーパーへと移ろい、今では村の外の大型スーパーへ行くのが当たり前。
 あの頃はよかったのか?不便だったのか?その両方ですが、そのときそのときにベターなのが現在。10年後にはどうなっていることやら?
 人と共に街並みも歳を纏っていくもんですね。寂れるのか?渋さを増すと見えるのかは住む人の人となりが大きい思いもします。

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逆らわない

2008年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 知人宅に立ち寄ったら、90代半ばのおばあさんが野菜クズを持って庭先の烏骨鶏の鳥小屋に向かったと思ったら、通り越して、その先にある犬小屋に「ホーレ、餌だぞ。コーッコッコッコ。」
 こりゃぁボケが入っているぞと眺めていましたが、犬も立派です。お婆さんに出された野菜クズをモクモクと食べていました。

 逆らってはならない。これがボケたお年寄りへの鉄則なんだそうで、私など人間未熟ですから、すぐ「そりゃ違うだろう」と突っ込みを入れたくなるたちですが、おばあさんの言いなりになる犬は、人間のできた犬です。
 
 最近、よく夜中の2時ごろになると「ハロ~」と電話がかかってくるのがタンザニア人。別にボケているわけではありませんが、時差なんてこれっぽっちも考えていないどころか、この時間なら確実に家にいると思っている節があります。向こうの時間で夜の8時ごろですから家に帰宅してからの連絡なんでしょうか?どちらにしても天然ボケのような人なので、何時に電話がかかってこようが逆らったところで向こうがパニックになりかねないから気にしないことにしています。

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十月十日

2008年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和39年に東京オリンピックが開催された日が10月10日で、かつてこの日は体育の日と呼ばれる国民の休日でした。今は第二月曜日が体育の日で休日です。

 私の知り合いに10月10日の誕生日が三人います。「お前の親は正月早々何をやっていたんだ?」
 ヒトの妊娠期間は十ヶ月と十日といわれています。
 でも、こう言ってくるのはほとんど女性ばかりで、男性から言われることは少ないそうです。大方の男性は妊娠期間など気にしていませんから。

08101219  いつのまにかこんな看板が掲げられていました。

 温泉の分布図や、温泉の成分分析に関する資料ですが、明治19年のものです。

 分布図は今のようにボーリングして温泉を掘り出すようなことをしない時代なので、天然に湧き出ている温泉ということになるでしょう。関東一帯の分布図ですが、東京は東京府でやけに小さい。

08101220  こんな時代に既に温泉の成分分析などやっていたことが驚きでした。

 民家の床下からお湯が湧き出したことなども書かれているのが興味深いです。

 お湯の温度145度。どういう規準では計ったのだろう?およそこんな温度であろうはずも無い。

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米騒動

2008年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 1993年の今頃の季節、冷害長雨による米不足騒動が日本を席巻しました。
 それまで散々米を粗末にしておいて、世の風潮ときたら、もう二度と米が食えなくなるような気配が蔓延していて、米泥棒が暗躍する物騒な年でした。
 秋の野菜は豊作だったので、年が明ければ九州方面から早場米が出てくるし、ほどなくこの騒動も収まると知りつつも、終戦直後以来50年近く過ぎてようやく再び農家に訪れたバブル景気でした。
 米を投機の対象にしたふとどきな連中もおりましたが、大方元手が取れなかったのではないでしょうか?

 米は米でも米国の金融混乱が世界に影響を撒き散らしていますが、為替レートや株価に漂うムードも15年前の米騒動に似ています。
 マスメディアはドルばかり報道しますが、為替レートを眺めていると、ユーロの落ち込みなどドルより派手です。こちらのほうが心配なんですが。

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混乱

2008年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、日本人3名がノーベル物理学賞に輝いたと思ったら、今日はノーベル化学賞にも日本人が。また日本チャチャチャと喜んでいます。

 夕方、モンゴルに出すコンテナーのことで四苦八苦しました。中国経由で列車でウランバートルに運んでいましたが、中国の港がおかしくなって機能していないと言う情報が飛び交い、船会社が心よく受け入れてくれません。いつモンゴルに到着するのか保障できないとまで言われ、それならウラジオストク経由で運ぼうかと目論みましたが、シベリア経由なので費用がかさむし、為替レートが予想以上に円高になったため採算が合わない。
 それでも、予想外の人間関係が助け舟を出してくれたため、そのコネクションで中国経由の便を確保できそうです。

 中秋と国慶節の休暇期間が終わり、中国の港が混雑することは予想していましたが、北京オリンピックからの余波や、米国の金融危機の影響が混乱に拍車をかけているらしい。

 20年ぶりに電車に乗って東京まで資格試験を受けに行ってきた友人の話では、「電車の乗り方がわからなくて恐かった。外国人になったような気分だった。」いつもなら自動車で出かけるところを、駐車場が見つかりそうも無いからと新幹線で出かけたそうです。
 自動改札も初めてだったそうで、どの路線がどこに行くのか路線地図の読み方もわからない。駅員に聞こうにも、駅員の数が少ないのでどうすればいいのか不安だったようです。

 夜、ビジネスホテルに泊まり、食事は外の居酒屋だったそうですが、「東京は物価が高いと思っていたら、居酒屋は安いんだよ。自動車で来たらこんなこと楽しめなかったなぁ。仕事帰りに居酒屋によって帰るなんて、こっちじゃ自動車だからできないもんなぁ。もっと簡単に電車に乗れたら、東京は面白いところかもなぁ。」と喜んでいました。

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