のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

不思議な人たち

2011年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の県知事選の決起集会。私は受付だけやって帰ってきてしまいましたが、最後まで集会に参加してきた人の話では、こんな田舎の決起集会なのにそうそうたる顔ぶれが集まっていたそうです。

 会場の外で衆議院議員の佐田源一郎さんが来客に挨拶していたのは見かけましたが、自民党からは小渕優子さん、山本一太さん、福田康夫元総理が来ていたそうです。参議院の議員会長の中曽根弘文さんは浜田議員が政務次官に一本釣りされた問題もあって来ていなかったようですが、奥さんが挨拶していたそうです。公明党からは加藤周一参議院議員が来ていたそうです。群馬県の議員達ですから当然かもしれませんが、前回の衆議院選挙はさすがの保守王国も軒並み民主党に議席を奪われたので、代議士不足です。

 選挙といえばAKB48!これにKARAでも来ていたら私も最後前決起集会に残っていたことでしょう。

 群馬県は選挙大好き民族が多いので、こういうことがあると仕事そっちのけで人が集まってきますが、選挙と大祭りでしか見かけない人がずいぶんいます。こういう人たちって平時は何をしているのだろう?神輿と一緒に神社の社に格納されているのか?選挙カーの看板とともに物置で埃をかぶっているのか?日常影も見えないのにこういうときには姿を見せた活躍している。不思議な人たちです。

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熱いですな。

2011年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 猛暑でした。まだ6月なんですが、土用のような暑さでした。各地で記録的な熱波に見舞われたようですが、こんな暑い最中県知事選挙でさらに暑くなっている人種もいるんですね。

 どう見ても結果が見えているワンサイドゲームの選挙なんですが、各市町村の長や議員にとってはここは勝ち馬に顔と名前を売るチャンス。「私はこれだけの支持者を集めてきました!」と売り込むことに躍起になっているようです。

 「29日の決起集会に顔出してくれないかな?できれば参加届けの住所はこっちの市民と言う形にしてもらいたいんだ。そうだ!俺んところの住所にすればいいや!」

 とある市議に頼まれたのをきっかけに、近隣の町村議員にも頼まれ、4つの市町村民になってしまいました。集会所の受付でなぜかメモを見ながら住所氏名を書き、パンフレットをもらって、会場に入らず人を探すふりをして外に出て、また別の受付でまたメモを見ながら別の村の住所で名前を書き込み、同じパンフレットをもらって、カバンにしまいながらまた外に出てと繰り返し、最後は集会が始まる前にそのまま外に出て帰ってしまいました。

 昔なら缶ビールとおつまみくらい出たものですが、今はせいぜい「必勝」の鉢巻きくらいのものですが、今回はその鉢巻きもない。公約のパンフレットを合計4枚もらっただけです。

 私が決起集会に参加した候補は落選するのが今までのジンクスでしたが、今回はこの悪しき縁を断ち切れることでしょうが、それにしても、マンガチックな世界です。

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理不尽

2011年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京電力の株式総会があったようです。安定株といわれた東電株が10分の1の価格になったどころか、紙切れになるやも知れない状況下ですから、株主も心中穏やかではないでしょう。

 素朴な疑問なんですが、企業が不祥事や事故で迷惑をかけたら何かしら「お詫びのサービス」があるもので、マッチのひと箱でもブリキのバケツの一個でも消費者にサービスがありそうなものですが、節電強いて値上げもありうるとは逆ではなかろうか?電力使用をオーバーした企業に罰金とは?これもおかしな話です。

 なんか理不尽だ。と株主でもないのに心中穏やかではありません。

 納得いかない理不尽と言えば、スーパーの福引で毎度おなじみのポケットティッシュしかもらっていませんが、なぜか?私の前後に当たりが続く。

 なんか裏があるのかな?

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電力不足

2011年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 一応まだ6月なのに、沖縄、九州方面は梅雨明けしたようです。電力不足が騒がれる中、猛暑の夏になるのだろうか?

 ロシアでは停電など年中行事なので、今、何かと問題に案っている計画停電など告知があるだけまだましで、なんだかわからないけど停電したなんてこともよくあります。

 当然、産業に影響がありますが、「停電でできないものは仕方ない」と、こういうことは恐ろしいほど諦めが早い人たちです。当然、国際的信頼を得る製造業などできようはずがありません。

 日本の製造業はその仕事の確かさが命ですから停電がどれほど大きなリスクになるか計り知れません。

 電力不足で国民がてんてこ舞いしている最中、脱原発を掲げて衆議院解散したらどうなるだろう?散々まず混み使って国民欺いてきた連中ですから、メディアなど信用していないことでしょう。電力不足が国民の生活の与えた影響など、知ることもなく素人もせず、さらに空気が読めない人たちみたいですから、解散もあるかな?

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長生き

2011年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 100歳で亡くなった近所のおばあさんのお葬式に行ってきました。

 商店を経営していたおばあさんで、私が幼少の頃には既に「恩田屋のばあちゃん」と呼んでいましたから、半世紀近く前からおばあさんでした。筋金入りです。

 「長生きって何歳から言うのだろう?」と近所の人との話題になりました。私が幼少の頃は70代なら長生きと思えたものですが、近年では80代どころか90代半ばを過ぎないと「長生き」とはいえなくなってきた感覚があります。

 日本人の平均年齢も多少は延びが止まったとは言え、世界でもトップランクを維持していますが、この大震災の影響で来年の発表は多少短命側に移行することでしょう。

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EU

2011年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 嘘つき問題や離婚問題やセックススキャンダルでたびたび取りざたされるイタリアのベルルスコーニ首相ですが、これだけ陽気で明るいと責める気にもならない。プライベートではあのざまでも首相の座にいるのだからどこぞのていたらくな首相よりは能力はあるのでしょう。

 ドイツ左翼出身のメルケル首相、同じ左翼運動出身のどこぞの首相と違って国家感をしっかり持っているから腰が据わっている。第一次大戦の莫大な賠償金の支払いも来年には終わるドイツですから、これからが注目です。

 ところで、ドイツとイタリアが脱原発を主張し始め、日本が呼応するとなると往年の三国同盟の復活になる。脱原発でもう一回世界を騒がしてやるか?と変な道具に使われそうです。

 ドイツやイタリアが脱原発を声高々に叫んでも、電力が足りなければフランスでもオーストリアからでも電力を輸入できるのですが、日本と同様には考えられません。それにしても、電力の規格統一をしたヨーロッパはたいしたものです。

 日本では関西電力や中部電力の電気さえ東電ではそのまま使えない。交流電気の統一くらいやっておけばよかったのに。

 

 

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偽物

2011年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 牡丹江に行った時にハルビンビールの偽物に出会いました。食堂で食事をしているときに注文したビールで、私はまったく気がつかなかったのですが、向こうの友人は「これは偽物です」と気がつきました。

110625  本物と何がどう違うのか?彼の説では臭みが違うのだとか。

 日本でも中国のビールガ入手できる時代になりましたが、有名な青島ビールくらいのものです。北京ビール、燕京ビールと並ぶ有名なハルビンビール(ハルビンの友人説)は日本でお目にかかることもないでしょう。

 偽物ビールを飲んでも何事もなく生きていたのですから、まぁこれもありか!と笑っていますが、飲んだら即死の偽ウォッカや、本物だけど誰が飲んでも悪酔いする杏の酒など、民主党の「命がけ」よりも切羽詰った危機が待ち構えている食品が中国には多々あります。

 一昨年、中国東北を旅した私の友人は日本から持っていたカップヌードルと亀田の柿の種で5日間過ごし、現地のものは何一つ食べずに帰ってきたそうです。これでは旅の面白さも半減だと思いますが、なんとなく、東京あたりでガイガーカウンター買いこんで放射線を怖れているおばさんと変わらない気もして笑えてなりません。

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動体視力

2011年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 25日にはドイツで女子サッカーのワールドカップが始まります。日本の女子サッカーは世界ランク4位で優勝も狙える位置にいるそうです。

 最近、他のスポーツでも女子の競技のほうが面白く感じるようになりました。たぶん、自分の目が男子アスリートの早いスピードについていけなくなった事が大きいのでしょうが、女子にスポーツならまだ目で追える感じがします。

 年々動体視力が落ちていることを感じますが、気持ちばかり奮い立たせても衰えていくものはなんとしようもありません。

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あれまぁ

2011年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 ネットの情報がもたらしたジャスミン革命で独裁国が混乱したのは記憶に新しいところですが、リビアのカダフィーはじめ独裁者の往生際の悪さは無様でさえあります。リビアなど、それこそこの往生際のおかげで戦闘状態になっています。国民にみはなされているのに、そこまでして権力にしがみつきたいか?とお笑い劇場でもあります。

 対岸の火事ではなく日本も似たような状態になっており、もはや国も国民も知ったこっちゃねぇと総理の椅子にしがみつく男一人のために無政府状態です。

 こんな状態の中、外務大臣と防衛大臣が訪米して、ヒラリー・クリントンたちと記者会見している報道がありましたが、なんとなく、中国が両国共通の脅威と言うことを認めた発言をしていたように感じました。

 こりゃ、中国怒るぜ。大丈夫か?民主党?親分怒らせたらまずいだろう。と笑いながら見てしまいました。

 北沢防衛大臣の「民主主義のコスト」にもあきれてしまいましたが、責任を国民に押し付けるのもいいかげんにしないと大変なことになります。

 優秀な従業員がたくさんいるのに、経営者が放蕩したためにつぶれた企業はどこにでもあることでしょうが、全国版でこんな醜態をさらけ出している。

 「責任」役人や政治家ばかりではなく、国民全体が認識を改めるべき問題だと思いますが・・・いかがでしょうか?

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勿忘草

2011年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 被災地から戻ってきていろいろ思うところがありますが、玄関先の土手にまだ勿忘草が咲いているのを発見しました。

 わすれな草の名前の由来はドイツの岸が恋人のためにこの花を取ろうとしてドナウ川に落ちて、最後の力でこの花を岸辺に投げ、「Vergiss-mein-nicht!」私を忘れないで!と言い残して川に消えていった物語から来ています。

 海と川の違いはあれど、最後まで避難を呼びかけるアナウンスをして海の飲まれた役場の職員や、津波が背後に迫っているので高台へと誘導し続けた警察官や、津波の犠牲者の中には自分で助かるにもかかわらず「誰かのため」に命を投げ出した高貴な精神を持った方々も多数おり、決して忘れてはならないなと肝に銘ずるとともに、日本人であることを誇らしく思えています。

 北朝鮮版の「わすれな草をあなたに」です。日本語でも歌っていますが、微妙に「え」の発音が違います。「イェ」に近いと言うのか、向こうの母音にない音なんでしょうな。

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知事選

2011年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 群馬県では県知事選挙が始まりました。4人の候補が出ていますが、一人は泡沫候補なのかポスターも張られていません。

 なんでも、群馬県は日本で一番存在感のない県なんだそうで、イメージアップも今回の選挙の課題だとか。

 近年、県知事がその研の「顔」として注目される時代で、知事の人間的なキャラクターも重要になっていますが、他の都道府県から比べると「地味」なのかもしれません。

 私が記憶している限り、自治省からの天下り知事が続き、前回の選挙でようやく民間人の知事が出ましたが、あまり活躍した話を聞いていません。

 今回の東日本大震災で、被災地の知事や市町村長、あるいは被災地区の区長の人間力や判断の能力が目に付きます。やはり、何かのときに「長」の決断力が大きく左右することを考えさせられます。

 候補者の顔ぶれを見ていると「大丈夫なの?」と不安になります。

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浜通り

2011年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 さて、被災地女川町からの帰路は三陸自動車道・仙台東部有料道路を使って太平洋側を南下し山元町で国道6号線に入りました。

 これらの宮城県の南北海岸を縦断する有料道路が防波堤の役割りを持っていたことは、道路を走っているとしみじみと判ります。もちろん、道路を通り越し、あるいはくぐって陸地側に押し寄せた波もありますが、、道路の海側は泥だらけ、内陸側は田植えが終わって緑が広がる光景を延々と眺めながら福島県に入りました。場所によっては海から数キロはなれた場所に道路が走っていましたが、その足元まで海水が押し寄せた形跡もありました。

 原発ばかりが取りざたされていますが、福島県の海岸側は火力発電所もあり、少し山に入ると小規模ダムが多数存在します。もちろんダムには農業用水などの貯水の面もありますが、改めて巨大な電力の供給地帯だったんだなと感じました。

 これは来るときにも感じたことなんですが、竹林が枯れる光景をあちこち目にしました。竹は何年かに一度一斉に枯れる習性があり、昨年は私の住むあたりでも竹が枯れる光景があちこちで見られました。その流れからすると、今年もそういう年であってもおかしくないのですが、竹の枯れ方が少し違う感じがしました。黄色くなって枯れると言うよりは赤くなって枯れる光景で、東北自動車道を北上したときは福島県の北部から宮城県の南部にその光景が見られました。

 なんとなく、スピードと呼ばれる放射線予想図の範囲に似たような広がり方をしている気もしましたが、放射線と竹になんらかの因果関係があるのだろうか?

 福島県に入り、浜通りと呼ばれる海に近い道路を南下しましたが、当初は「普通に生活しているな」などと話しながら走っていました。相馬市に入ると走っている自動車の数が少なくなり、南下するごとに人の気配が少なくなる。南相馬市に入る頃には夕方になっていましたが、明かりのともっていない家が多くなり、市内の原町と呼ばれる地区で道路が警察によって封鎖され、そこから二本松方面、西側に向かって走り東北自動車道に乗ることにしました。が、これと言った利用しやすい道路がない。

 乗っていったクルマは一緒にいた先輩ヶ昨年買った燃費だけが頼りのプリウス・ラジオレス仕様。カーナビはこの先輩がパチンコの景品で勝ち取ったポータブルナビ。これがとんでもない道路を選んでくれました。

 南相馬市西部の高倉ダムを経由して、政府に「自主避難」と言う無責任な移住を強要された飯館村を経由して西に出るルートで、これが軽トラでもなければ気が許せないようなでこぼこの悪路で細い道。いわゆる林道でした。カーナビ様がお選びの道路だから間違いないと入りこんだものの、当のカーナビは民主党並みに無責任な機械で、空も見えない樹木の枝葉にさえぎられ、途中でGPSが見つからなくなり案内をストップしてしまいました。

 話は竹の話に戻りますが、南相馬でも竹やぶが枯れた光景があちこちに見られましたが、異様に見えたのはススキが枯れている光景でした。海水でも浴びたのなら話はわかりますが、およそ津波が押し寄せない山の中で、田畑の周辺の雑草の中でススキなどのイネ科の植物だけが、選択性の除草剤でも撒いたように赤っぽく枯れているのを目にしました。

 飯館村に入る頃には日も暮れていたので様子がわかりませんが、イネ科の植物が放射線の影響を受けやすいとしたら牛の餌に使われるオーチャードグラスやイタリアンライグラスなども枯れる可能性があります。放射線測定器は一時的な数値しか見ることができないので、その影響について、各地の稲科の植物に注目してみたいと思います。

 人気のあるところまで約2時間、すれ違った自動車は軽トラ1台パトカー1台、見かけた人はなく、狸を一匹見ただけ。廃村とはかくも恐ろしいものなのか?と思わずにはいられません。

 地震の影響もなく不通に立ち並ぶ家なのに、明かりがまったくついていない。時々外灯が明かりをともし停電ではないことがわかりますが、家にはまったく明かりがともっていない。

 時折人が住んでいるのか明かりがともった家があり、軽トラなどの自動車が置かれていましたが、大方言うこと聞かない年寄りが開き直って住んでいるのだろうなどとは話しながら西へ向かいました。

 飯館村の南部を抜けると浪江町の西側に入りました。ここも非難の対象になった地区なので、人の気配がありません。それでも、明かりがともっている家が少しはありましたが、廃村ともいえる悲しい雰囲気が漂っていました。二本松市に入ってようやく人の住む気配やすれ違う自動車に出会えました。

 警察の車両が停車している道路を十滴増したが、大方の道路は福島県警が封鎖していたのでしょう。私たちが背後をつくように林道から入ってきたために、ただの村を出て行く自動車でしかなかったようですが、逆に入ろうとしたら入れなかったかもしれません。

 南相馬市から飯館村に抜ける林道の中では、自動車のライトに群がる多数の虫がいました。種類も豊富で、深い森林地帯に良い雑木林が茂っているのだなと判りましたが、こうした虫達が受ける放射線の影響は人間よりも速く現れると思います。

 被災地として二種類の異なる有様を目にした思いがします。津波に瓦礫にされた被災地と、はっきり行って人災に被災した村。どちらも凄惨であることには代わりがありませんが、人智で防げた災害も多々あったと思います。

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被災地

2011年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

110618  東日本大震災の復興のお手伝いに行ってきました。

 この土日で高速道路1000円乗り放題が終了してしまうこともあって、東北自動車道は各地のナンバーの自動車で混雑していましたが、仙台で降りると地元車両以外をあまり見かけなくなりました。

 仙台から海辺に向かい、多賀城、松島を経て海辺を北上、女川町まで行きました。

 私の山岳会の先輩が、近隣の市の元消防団長で、この市の消防団が被災地に支援物資を配達に行くと言うので、その手伝いに誘われくっついていきました。

110618a  どうしても写真のような光景にばかり目が行きがちですが、わずかな差で津波や浸水を免れた土地もあり、それが少しばかりの標高の差や、波の障害となる建物や島などがあったり、ほんのわずかな差がまさに、明暗を分けた場所もあり、今回は津波に乗り越えられてしまったが、防波堤の持つ意味の大きさを感じました。

 太平洋側を走る道路が防波堤を兼ねており、もちろん、それを乗り越えて波が押し寄せた場所や、この防波堤道路をくぐる道路から波が入りこんだ場所もありましたが、道路の海側と山側では待った個光景が違う場所が多かった思いもします。防波堤道路の西側では田んぼに稲が植えられ、東側では荒涼とした瓦礫の台地になっている土地も多く、小さな抵抗でしかなかった防波堤も決して無駄ではないと思います。

110618b  東松島の食堂で少し早い昼飯を食べましたが、食堂で地元の家族が震災孤児の話をしているのが耳に入りました。

 「里親を探すって言っても、そんなに簡単じゃないだろうから、あの子はどうなるんだろうね。」と、聞き耳を立てながらも胸が締め付けられるような会話でした。

 食堂のお姉さんに「このあたりは津波にやられなかったの?」と聞くと、「水をかぶったけど、津波は来なかったわね。」

110618d  「水をかぶる」と津波が来る」は彼女の概念の中では異なるようで、浸水したのが「水をかぶる」建物などが押し流されたり倒壊することを「津波にやられる」と分けているようです。

 雑草の生命力はすごいもので、塩害が取りざたされる土地でも青く芽吹いていました。海水をかぶったスギなどは赤く立ち枯れていました。

 意外に強いな!と感心したのはサクラの木で、一見海水に使ってかれたかのように見えて、新しい目を吹いていたり、明らかに津波が押し寄せた場所でも花が咲いたのか、桜の実がなっている木もありました。潔さが売りのサクラですが、日本人の強さを垣間見ました。

110618c   津波の後に起きた火災にやらた地域。

 大方の瓦礫は撤去されていましたが、まだこうして残った建物などが目に入りました。

 特に印象的だったのはプロパンガスのボンベが中から裂けたものが残置されていた光景で、一箇所に集められていましたが、大きな爆発があったことが想像されます。

110618i  女川に向かう途中松島を通りましたが、天然の防波堤となった島々に守られたとは言え、津波にやられれた建物も目に付きました。

 それでも、復旧して営業を再開した店や、遊覧船も動いており、観光地として息を吹き返していました。

 歌に唄われる瑞巌寺の入り口の写真です。お参りして行きたかったのですが、観光客で駐車場が一杯だったので、今回はあきらめました。

110618e  津波の被害にあった自動車も、多くは回収されて置き場に山積みされており、解体業者による搬出も勧めているようですが、まだ街のあちこちにぐしゃぐしゃにつぶれた自動車が放置されています。

 津波で押し流された漁船などが住宅地にそのまま放置されている光景も多々ありましたが、所有権などの問題などもあり、簡単に撤去できない問題もあるようです。

110618f  東北電力の女川原発はこの山の中に在ります。津波の被害どころか、地元の人が津波から逃れるために逃げてきた場所です。

 現場を理解している設計者のちょっとした配慮がこのたびの震災で福島と明暗を分けた思いもします。

 この港湾から振り返って内陸側を見ると背筋が凍るような光景で、津波がこんな高さまで来ていたのか?と驚かされました。

110618g  コンクリートの建物が基礎の杭から引き抜かれるように倒れ、三階建てのビルの屋上の手すりが郡谷李と曲がっている光景などがまだ残っていました。

 瓦礫を満載した大型ダンプがひっきりなしに走って、撤去作業が進んでいました。

 この写真の奥に見悦総合運動場に最後の支援物資を届けて私たちの役目は終わりました。

110618h  私と元消防団長の先輩は一考とは別に自家用車で来ていたので、女川町から海側を通って福島県へとを経由して帰るルートを選びました。

 報告は後日です。

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新選組

2011年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、民放テレビで新選組を取り上げていたので見入ってしまいました。

 新選組と、坂本龍馬暗殺犯説がある見回り組の違いが良くわからなかったのですが、この番組で判りました。武士階級のエリートで組織されていたのが見回り組で、農民や下級武士など身分の低い者達で組織されていたのが新選組。ゆえに新選組は多少むちゃくちゃなことをやっても功績を上げて取り立ててもらう必要があったことなどがわかりました。

 もともと身分があった見回り組みにとって坂本龍馬の活躍は自分の地位を失わせる元凶。故に上しか見上げられない新選組とは立場が違います。うらむ気持ちの強いはず。新選組より見回り組が坂本龍馬暗殺犯の可能性が高いかな?なんて考えています。

 暴走族に警察予備隊として取り立ててやるから、繁華街の治安を守れ!とやらかしたようなものなのが新選組で、幕府としても立場が悪くなればいつでも処分できる程度の集団だったんでしょうね。

 基本的に負けた側についていた新選組の末路も惨めなもので、鳥羽。伏見の戦や上野の戦で戦死した者もおれば、近藤勇のように切腹して果てた者も多数。明治政府にたてついて函館の五稜郭にこもった土方歳三など稀有な例。みんな「まとも」な死に方をしていない。

 明治維新はこういう時代だったんでしょうが、勝つ側にしても負ける側にしても、自分の意思を持って行動したものは語り継がれます。

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昼下がりの出来事

2011年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 昼下がりの出来事です。近隣の村の雑木林の中の歩道を歩いていたときに、なにやら怪しい尺取虫のようなものが靴からズボンにかけて登ってくるのを確認しました。

 この辺りにこんな虫がいたのかな?と思いつつもどう見ても山ヒル。

 こりゃぁまずいことになったぞ!自動車の中にはヒルよけの薬がおいてありましたが、まさかこんなところにヤマヒルがいるとは思わないので持って来ていませんでした。

 雑木の枯葉をめくってみると、いるなんてもんじゃない。パニック映画の地球外生物のごとく、こちらに向かってうごめくヤマヒルの集団。

 そりゃもう、パニックですわ。血相を変えて下に降り、アスファルトの舗装路の上で靴を脱ぐと十数匹のヤマヒルがポタポタ落ちてくる。もちろん、ふくらはぎ周辺を4箇所食われていました。

 何しろ生命力の強い生き物なので、靴から落としたヤマヒルをそのままにしておくと、生息範囲が広がってしまうので、一匹一匹ガスライターで焼き殺しました。

 あれ?と気がついたのが左わき腹。切腹したごとくに真っ赤に染まっていました。

 シャツを脱ぐとわき腹もヒルく食いつかれており、シャツを裏返してはたくとまた2匹出てきました。最後はズボンまで脱いでヒルがいないか?確認しました。

 何が困ると言われると、ヒルに食われた場所は血が止まらなくなるので、出血状態が延々続きます。生命に危険があるほどではありませんが、夜寝るときなどシーツを血だるまにしてしまうので、タオルで足を縛ったり、わき腹に当て布をして寝ます。

 ヒルよけの薬と言っても、私の場合は炭焼きの際に出る木酢をもらってきて、ズボンのすそなどに吹きかけていますが、臭いので、事前にヤマヒルが要る場所に行くときでもなければ使用しません。まさかこんなところにいたのか?と予想もしなかった今回の事態です。

 市販のヤマヒルよけの薬には「ヒルノック」と呼ばれるものがあります。最近知人が名前にほれて買い込んだのが「ヒル下がりのジョニー」と言う薬で、効果のほどはまだ報告されていませんが、「名前が面白いじゃない!」と買い込んだようです。

 どうせなら、「ヒル下がりのジョージ」のほうが有名なのに。

 ゲイリー・クーパー、オードリー・ヘップバーンの「昼下がりの情事」と言う映画がありました。まだモノクロの映画でしたね。

 映画の中で用いられた「魅惑のワルツ」は名曲だと思います。

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