のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

雑感

2022年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝は氷が張っていましたが、昼間は日があたってぽかぽかの小春日和でした。

 どこぞのニダな半島ではハロウィンで集まった人たちが将棋倒しになって150人を超える死者が出たとか。将棋倒して死者と聞くと兵庫の明石の花火大会で歩道橋の上で将棋倒し事件が起きて死者が出て騒がれたことがありました。そんなことを思い出すと言うと、74歳のおやじさんが、「昔新潟の弥彦神社の初詣で将棋倒しが起きて、100人超える死者が出たことがあったぞ。」

 当時はテレビもない時代。「俺んちなんかラジオも新聞もなかったけど、どっかからそんな情報が入ってきたっけな。」

 そういえば弥彦神社にお参りした時に、その事故の慰霊碑があったのを思い出しました。昭和31年の事件だったかな。弥彦神社と言えば、毎年今頃の時期になると菊の花のお祭りがあって、こちらからもバスを仕立てて花見に行ったものですが、最後に行ったのは2001年だったかな?

 私の一年上の変なことに凝る先輩が菊を育てているので、この週末頃に弥彦の菊祭りに行くようです。そして、自信を無くして帰って来る。菊は思うように育たないから面白いと言ってますが、子供三人ともこっちを出て行ってしまったので、「思うようには育たなかったよなぁ。」と、ぼやいてます。なんたって働く場がないから、菊に例えるなら栄養不足なのかもしれない。

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娑婆ってぇのは

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 久々の日曜休みですが、お寺の配り物持って檀家衆を訪問。

 老人世帯が多いので話し相手もせにゃならぬので、一件当たり30分ほどかかる役目です。まだお茶飲みながらの話相手ならいいんです。

 このところ共同浴場のお湯の温度が低くなってきたので、もう少しお湯の量を出すように掛け合ってくれ。とか、側溝に枯草や枯葉が詰まっているので取り除いてくれ。とか、屋根のトヨの水が流れないので登ってゴミを出してくれ。とか、植木の雪囲いやってくれ。とか。毎度のことながら、お寺の役員を何だと思ってるんだ?正月のお札買うから庭木の枝切ってくれって、お札の営業マンか?

 まぁまぁ、そんなもんだよ世の中は。あきらめのブルースさ。単純に善悪で判別するなら、体が丈夫で動けることが「悪い」と言うことになる。皮肉なもんですよ。

 隣町のカットビおねえさんから愚痴りたい。と呼びだされ、回転ずしに行っていろいろ娑婆の思うにならないことを伺いました。私の一学年下なので、アラカン世代です。体力が落ちたのはもちろん、気力が落ちたのが悔しいと言ってましたが、かつてが異常なまでに気力に満ち満ちていたのであって、程よく気力が落ちていい塩梅なんじゃないかい。君の場合は。と、アドバイス。人間、そこそこ丸くなった方が生きやすい。つなぎ着て400ccのバイクに乗って矢沢永吉に夢中になっていた頃より、デイサービスセンターの食堂で調理場のおばちゃんやっている現在の方が味があるんじゃないかい?ご老人の食事の味付けは薄味だそうで、栄養士からの指導だそうです。味も出せねぇんかい。

 まぁ、しかし、年寄りってのは自由だね。赤ん坊よりも勝手だね。我々世代が自由になるのは何年先なんだろうね。

 うつむいてスマホに憑りつかれている若者よりは若々しいと思うけど、娑婆に揺られながらもまだ「反逆」の精神が残っている。どこかで折り合いつけないとね。

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ヘビーな話

2022年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 インドネシアでニシキヘビに女性が飲み込まれる事件があったのだとか。

 小学生の時に図鑑でアナコンダと言う大蛇のことを知り、大蛇に興味を持ったことがあります。アナコンダよりもっと大きなアミメニシキヘビなんてのもいるらしく、長さが10mに及ぶものもいるのだとか。

 ちょうどその頃、大峰山の大蛇と言うのがご近所で話題になり、木こりのおじさんが地面に転がっていた木の幹に腰かけたら、木の幹がむくりと起き上がってカマ首をもたげた。多分2-3m程度のヤマカガシだと思います。

 南方戦線に行ってきた老人が、戦死した戦友の中に大きなヘビに絞殺された者がいたとか、毒蛇に噛まれて亡くなった戦友もいたのだと話していたのを思い出しました。アメリカ軍よりヘビーなヘビたち。

 昼飯を食べに家に戻る途中、日当たりの良い道路の上でアオダイショウが日向ぼっこしていたので、クルマで踏みつぶしてしまいました。大蛇になる前に駆逐です。

 昼飯後にその道路に戻ってくると、トンビが踏みつぶされたヘビをついばんでいました。鳥葬になっていたんですね。

 夕方、風呂に行く途中で近所のおばちゃんに会いました。あゝ、そろそろハロウィンなんだな!と、察したのはファンデーション塗り手繰って化粧していたからで、お江戸なら渋谷に繰り出す顔つきですが、友引だけど、お通夜から帰ってきたんだそうです。う~ん、紛らわしいメイクだけど、すっぴんの方がハロウィン向きの顔しているので・・・と、思ったけれど身の安全のためにも言わないでおきました。

 ジャーに残っていたご飯でオムライス作ったのですが、卵焼きの真ん中部分がフライパンに張り付いてしまってきれいにできなかった。

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コロラド

2022年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、薪作りをしていたらコロラド出身のザックさんが来ました。薪を買いにです。一昨日、軽トラ一台薪を買って行ったのですが、冬に備えての備蓄のようです。

 最近手に入れたと言うご自慢のスバルの軽トラ。なぜか岡崎ナンバーでした。この界隈にはオーストラリア、ニュージーランドのガイジンさんは多いのですが、アメリカ人は最近少なくなってきた。アメリカ人に数値を説明するときに、単位がヤードポンド法の間隔の人たちなので結構大変なんですよ。早くセンチメートル、キログラムに慣れてもらわないと。

 ザックさん、谷川温泉でモミの木と言うペンションを経営しており、この春、その様子がテレビで紹介されました。

 

 一昨日、髪の毛を短くしてひげをそっていたのでイメージが異なっていてわからなかった。

 コロラドの話をしましたが、コロラドと言えばフリークライミングの聖地ボルダーがある土地。なんか、話を聞いていたらボルダリングのインチキラクターしながら車に寝泊まりする生活をしていたんだそうです。結婚して子供もできたので身を固めねばと心を入れ替えたのだとか。

 さすがに谷川岳の一ノ倉を登っている余裕はないので、どこか手ごろにクライミングできる岩場はないかと言うので、榛名山の黒岩や、子持山の獅子岩、中之条の有笠山などの岩場を紹介しました。

 私が登山を始めたあたりでフリークライミングと言う概念が出てきて、「山登り」のアルパインクライミングと道が分かれた時代でしたが、近場で短い難易度の高い壁のぼりより、長い日数山にこもるアルパインクライミングの方に進んでしまったので人生ガタガタさ。最近は木や屋根に登ることの方が多いけど。

 作業場の近くから見えるおむすび型の100mほどの岩場に興味を持ったようですが、岩が脆くてピトンが効かない。しかもその岩山の下にはめちゃくちゃな英語をしゃべるドイツ人が住んでいると言ったら、それは危険だ!と、察知したようです。

 彼も奥さんも2歳の娘さんもあまり日本語は得意じゃないので、土日だけペンションを手伝ってくれる日本語の得意な日本人女性はいないか?いたら紹介してくれと頼まれました。心当たりを当ってみよう。

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屋根の上のドン引き

2022年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところガイジンさん相手の仕事が続いているマルチリンガルの木こりのおじさん業。

 今日はスペイン語圏に乗り込みました。私のスペイン語。元々は音楽から入ったので、スペイン語圏の音楽大好きなんですが、スペイン語圏のご家族は都はるみが好きみたいで、延々BGMに流れてました。

 薪ストーブの設置です。

 木こりのおじさん、元々は登山屋さんなので、ヒマラヤやヨーロッパアルプスの岩壁なども登ってます。でも、それは登っただけで、煙突の設置に行ったわけではありません。

 薪ストーブには煙突が必須。屋根の上に上るのも必須ですが、屋根の傾斜45度、下は崖。屋根のてっぺんからはしごを吊るして体にロープ結んで煙突の取り付け。二人がかりでやっとこ作業を終えました。

 なかなかねぇ、ガイジンさんって感性が違うから、そんなものに興味持つの?って驚くこと多々があります。驚異的な勢いで人口は減っているけど、ガイジンさんは増えてますからね。こんな田舎が良いみたいで。

 とある地区なんか古民家ばかりで8件あったのだけど、いつの間にか7件がガイジンさんになってしまい、私の2年後輩が一人頑張って日本の牙城を守っています。あまりしゃべらない無口な男ですが、この地区では一番日本語が達者なので、地域の役員は毎度お決まりみたいです。

 温泉街付近でアパート経営しているガイジンさんがいますが、入居者が中国人。油こってりの調理するものだから大変みたいですよ。排水は固まった油で詰まるし、台所の床はゴキブリホイホイみたいにネバネバ張り付くし。「日本人が入ってくれるといいんだけどねぇ。」と言ってますが、働く場所がないしねぇ。

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民俗餓鬼的な道頓堀考察

2022年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 夫婦で大阪見物に行ってきた50代後半のおっさん。道頓堀付近のホテルに泊まって居酒屋巡りをしてきたのだとか。こちらでは熊に遭遇する危険性があるので、早朝散歩は要注意ですが、道頓堀周辺には別の害獣がいたとか。

 早朝、早く起きたので散歩に出てみると、外国人のおねえさんに腕をつかまれて「サンゼンイェ~ン」。京都大原三千院?もうすぐ紅葉の季節かな?振り切って歩いていくとまた別の外国人に「サンゼンイェ~ン」。7-8人絡まれて振り切ってホテルに戻って来たそうです。

 最近国会議員になった越後のハッピー米山さんが新潟県知事になった時、それまで3万円だった援助交際の値段が4万円に上がったとか言ってたので、そういう相場なのか?県条例で価格決めたのかな?と思ってましたが、外国人労働者の価格破壊ってこういうところにも起きているんですね。円安なのに。新潟の十分の一か。ハッピー米山さんの奥さん室井うづきだったかな?こういう価格破壊には言及しないのかな?否、ハッピー米山知事がやったことは案外相場に対する県による為替介入かもしれない。

 外国人による「サンゼンイェ~ン」価格破壊は10年ほど前にはすでに起きており、民俗史を研究している先輩によると「上野に泊まった時に明け方のアメ横界隈を散歩したら、外国人がさぁ~」

「その日、いい客が付かなくて仕事に溢れたらたたき売りなんだろうな。」日銭暮らしなんだろうな。「まぁ、30分程度でこの値段だったら時給にすれば効率的…。」民俗学的な体験してきたのかよ。「ホント、下だけ脱いでちょいなちょいなと。」こうしてまた新たな民族学は生まれるのだ。

 江戸の吉原界隈には廓の外に夜鷹と呼ばれる筵を手にした女たちがおり、橋の下などで・・・・と、ご高説を賜ったのですが、でも「サンゼンイェ~ン」やって来たんでしょ。

 当時は円高だったけど、今のご時世日本で稼いだって仕送りもままならないのだからさっさと出ていったら?

 こちらの早朝はクマやイノシシの脅威ですが、都会の早朝は「サンゼンイェ~ン」の脅威。命と三千円どちらが身の危険か?と問われると、年の瀬が近く出費が懸念されるので今なら三千円かな?

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冬日

2022年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 冬のような寒い一日でした。

 谷川岳など上越国境の山が真っ白になってました。昨日は分厚い雲に覆われていて、時折北風に乗って吹越の雨が飛んできたので山の上は雪になっているだろうな。と、予想してましたが、積雪になったみたいですね。

 そのうち日が当たると溶けて、また雲がかかると白くなって。いつの間にか冬になっている。

 ガイジンさんの別荘地に薪ストーブの煙突設置に行ってきたのですが、今の建築基準法では許可にならない崖の途中に建った家。屋根は45度の急勾配で、下は谷。命綱つけての屋根の上での作業。

 持ち主は南米のほうに仕事で出かけていたらしいのですが、ようやく終末には日本に戻ってこられるみたいです。

 すっかり冷え込んだので、仕事帰りにおでんの具を買って来て、ストーブの上でコトコトにて夕食にしました。食事が終わった頃、絶妙のタイミングで同級生から「こんにゃく作ったから届けるよ。」おでん食べ終わったばかりなのに、なんとい絶妙のタイミング。とうぶんおでんかな?

 近隣地区の98歳のおじいさんが亡くなったとか。この春ごろは一輪車押して畑仕事していたんですけど。シベリア帰りの人で、モスクワの方まで流されてきた人でした。この人のお兄さんはフィリピンで捕虜になってモンテンルパの収容所に入ってきました。兄がフィリピンからして、弟は消息不明だったので、墓も作って供養していたら昭和25年に突然帰ってきた。なんて話を聞きました。シベリアから帰って来てしばらくは戸籍が復活できなかったと言ってました。

 最近、公文書に書く署名の生年月日には「大・昭・平」になって、「明」を見かけなくなりましたが、あと10年もすれば「大」もなくなっちゃうんだろうか?その代わりに「令」が入るんでしょうね。

 まだ体が慣れていないこともあって寒さが身に染みる。ダウンパーカーを引っ張り出しました。

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なめこ

2022年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 冬のように寒い一日でしたが、山の中でなめこを発見しました。

 今年はキノコ採りの名人が寄る年波もあってガンの改造手術をして入院中なのでチャンスが巡ってきました。

 当分おかずに役立ちそうです。今日は大根おろしで。

 寒かったので家に帰るなり共同浴場に行ったら、従妹の息子が風呂から出るところでした。「今日は熱いから風呂の中で倒れないでね。」と言われてしまいました。

 45度になると熱いの通り越して痛いで、手足にしびれが来るのだけど、それがなかったから44度かな?この辺りの1度の差は大きい。

 脱衣所には服を着た従妹の息子がこちらの様子を伺っていました。暖まって洗い場に上がると、安心したように帰って行きました。若い、と言っても昭和の生まれですが、彼には私が年寄りに見られているのかな?熱い風呂に入ってそのまま逝っちゃいそうに見えるのかな?情けねぇな。と思いつつも、なんだか嬉しかった。年取るってこともまんざらじゃねぇな。

 よく、叔母に頼まれてこの子を風呂に連れて行って、腕をつかんで泳がせるまねなどしていらものですが、こちらが面倒見て貰うようになっちまったのか。

 ありがたいこってす。

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牧水まつり

2022年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 若山牧水がこの地を訪れてまる100年の日。牧水まつりをしました。

 私の担当は牧水なりきりウォークの道案内。法師温泉をスタートして猿ヶ京まで道案内と解説をしながら歩きました。

 なんたって私がガイドですから、まっとうなことなど解説しません。樹木の話や野仏の解説、このあたりの民俗的な伝承、およびこの界隈の人のやらかした逸話など話しながらの道すがらでした。

 下見に歩いたときには古道に栗のイガが散らかっていて、草鞋で歩く人には対策せねばならぬと思ってましたが、地元の人たちがイガを片付けてくれていたようです。

 下山して金田屋旅館にたどり着いたら牧水顕彰会。漫画家のしいやみつのりさんが描いた若山牧水の等身大の像に献杯。

 このあたりから、歩くのはごめんだが酒目当ての人たちが増え始めてきます。私の叔父も高崎からやって来てました。間違いなく酒目当て。

 料理は牧水が旅で食べた記録を参考に作られたもので、鎌倉の建長寺の料理なども作っているワサオちゃんがこちらに来て徹夜しながら作ったものです。

 きんぴらとかぼちゃの煮物。どう作ればこの味が出るんだ?と、感動的な味淡いでした。

 夜まで続いた親睦会では漫画家のしいやみつのりさんと色々話しました。赤塚不二夫さんのアシスタントからこの道に入った人ですが、バカボンのパパの描き方など「え?こんなところから描いていくの?」と、驚きの技法を見せていただきました。

 そして、「どげんかせんと!」の九州弁講座。牧水と同じ宮崎県の出身の方なので、宮崎特有の独特なイントネーションがあるんですね。当人は標準語だと思っているようですが、福岡や長崎とは異なる言い回しやメロディー。これが九州から詩歌の才人が出て来る隠し味じゃなかろうか?

 群馬のほぼど真ん中から来た理系女子のおねえさんと、「おらんずは方言なんかねぇしな。焼きまんじゅう食ったって死なねぇし。」と、どげんかせんと弁を教わりました。

 若山牧水の「みなかみ紀行版」を制作すると言うしいやさんに「あんた、台本書け!」と言われ、こりゃ腰据えて勉強しなおさねば。

 サンカ、マタギの伝承から木曽義仲の倶利伽羅峠へ、そして一の谷の合戦にまで及ぶ私の叔父の談義に群馬のど真ん中のおねえさんが度肝を抜かれていましたが、「これ、このメンバーの日常の会話だよ。」

 変な人の集まりですから。

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持病の歌

2022年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、風呂から上がってくると温かいうちに寝てしまって夜中に目が覚めて夕食を食べる。そんな日が続いてます。

 ドリフターズの仲本工事さんが車にはねられてなくなってしまったようで、そういえば先週の今頃、仲本さんと内縁の妻がうまくいっていないような中傷記事がネットに出ていたのを思い出しました。そしたら交通事故。

 仲本さんの叔父さんで土木の技師をしている人がおり、私が小学生の頃にこちらに工事のために来ていたことがありました。とろんとした目の周りなどそっくりでした。おじさんの説では大変優秀な子供だったとか。

 あの時代にエレキギター何ぞやっていたんだから、裕福な家だったんでしょうね。

 ドリフと言えば口うるさい教育ママのターゲットだったのですが、仲本さんの奥さんが結婚してほどなく急死したことがあり、何たら教育評論家のおばさんがテレビで「あんな馬鹿なことやっているから奥さんが死ぬんだ。そら見たことか。」といった発言をして、どちらがばかげているか?こんなバカ親や教育者に育てられた子供の方があわれだ。と、あきれたことがありました。

 ♪僕には夢がある希望があるそして持病がある♪

 保険会社のコマソンを仲本さんが唄ったことがありましたが、この年代になってくると夢や希望はともかく持病があるのは当たり前。昨夜もそんな話になりましたが、持病がないってのがむしろ病気なんじゃないか?

 持病があってそこそこ折り合いをつけながら暮らしていくってのが一種の処世術で、引くところをわきまえる。

 それができないと自分の思い込みが全て正義の何たら教育評論家みたいな質の悪いウィルスになってしまう。どちらかと言うとそういった人たちの方がやんでいると思うのだけど。

 前向きに年老いていきましょう!

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ロックなもんじゃねぇ

2022年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 オリオン座流星群を眺めに山の上に行ってみましたが、なぜかそっち方向に雲がかかって「カネ!カネ!カネ!」の願い事の呪文を唱えられない。

 貧乏生活は続くであろう。

 隣の町のお嬢さん(かなり昔の)と、焼肉食べながらわれわれアラカン世代のフォークソング談義などをしました。前日の”秘密のケンミンショー”で群馬のロックを取り上げていたことで、ちょっとその辺に時差があるよなぁ。なんてことを話しました。

 そもそも我々が中高生の頃はまだ日本のロックはメジャーじゃなかった。「あたしは矢沢永吉が好きだったけど。」と言ってましたが、矢沢永吉が群馬県北部にコンサートに来るのは私たちが高校卒業してからで、沼田の文化会館にやって来て「こんな田舎見たこともねぇ。」と、去って行った。

 世良公則とツイストが出てきたのが高校1年生ごろだったかな?「日本語で歌えるロックが出た!」と話題になったもんです。ブルースなんて淡谷のり子か青江三奈だったのが一気に変化した。

 女子高でエレキギターなんか持って行ったら「不良」のレッテル貼られるから、せいぜいフォークギターだったけど、男子校はそういう目線で見られなかったでしょう。と、問われてみれば、フォークやロックやる時点ですでに不良だったんじゃねぇのか?

 私達よりちょっと上の世代の不良。スズキの750ccのバイクに乗ってリーゼントと言うヘアスタイルで、農業高校でキュウリとナスの作り方を学んでいた農村の舘ひろしも、還暦を過ぎれば頭の上に髪の毛がない。それでも、元ツッパリなので残った髪の毛をロン毛にしているけど、頭頂部に何もないから落ち武者のようなヘアスタイルで頑張っている。ロックだぜ!クールスだぜ!

 群馬県は女子の大学進学率が低いとかで私たちが高校生の頃に県立女子大を作ったのですが、ふたを開けてみれば県外からの入学者ばかりだった。

 あたしたち女子高じゃ卒業すれば就職ってのが定番で、ちょっと変わった思考や親の見栄がある子が大学に進学するくらいで、せいぜい短大だったよね。就職難だったこともあるけど。なるほど、そういう時代だったな。私の中学の同級生で4年制の大学に行ったのは二人だけだった。

 花も色気もない男子校はひたすら受験勉強に追い立てられる毎日で、それに逆らってロックどころじゃない社会環境だった。

 彼女の妹の息子。東大の法学部に行ったのですが、「今プータロー営んでいるよ。東大卒で落ちこぼれると就職厳しいみたいだね。」ロックやブルースどころか、エレジーだぜ!

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秘密のケンミンショー

2022年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 秘密のケンミンショーが群馬県をやると言うので、テレビを持っている同級生の賢ちゃん宅でおでん食べながら見ました。

 生みそおにぎりはありかなしか?と言う、全国の評判をやってましたが、おむすびに味噌塗っただけのシンプルな食べ物。今日のお昼は生みそおむすびだったんだけど、関西方面では「ありえへん」なんですね。こちらではごく当たり前なんだけど。

 今朝の朝ごはんの残りに味噌混ぜて握り飯にしたのが今日のお昼だったんだけど、そんなに特筆するようなものじゃないと思うのだけど。横着でおいしい便利なおむすびだと思うのだけど。

 おっちゃんどこだい? 〇〇(地名を入れる)だい 死語とはなんだい? 炭焼きだい おかずは何だい? 生みそだい。

 汗をかく野良仕事には優れた食べ物だと思うのだけど。よそじゃやらないのかな?

 群馬のロックをテーマに番組をやってましたが、BOOWYって同世代なんですね。賢ちゃんなんか藤岡の高校行ってたから氷室さんと言うのをよく見かけており、私達より1年上だったみたいですが、「怖そうな人だったよ。」と言ってました。私は高校時代に高崎の雪草楽器で布袋さんに会ったことがありますが、新島学園の生徒でしたね。でかいやつだなぁって見上げた覚えがあります。こっちは同年ですね。

 何気にびっくりしたのは、番組が上毛新聞社にインタビューに行って出てきたのが近所のガス屋の娘の早紀ちゃん。マスクして出てきた顔が一瞬、2年前に亡くなったおばあちゃんにそっくり。因みに賢ちゃんの兄貴がこのガス屋さんに勤めているのだけど、「柔道やってた子だよな。」柔道やってたのは弟の方で、姉ちゃんは上毛新聞の記者やってるんだった。およそロックなんか語るようなタイプじゃなかったんだけど。

 秘密のソンミンショー。拙著「猫と座敷童第三章」で、同級生の飲み会で村一番の美人だったとおだてられて、幸せのあまりおかしな行動をするようになって認知症を疑われるおばちゃんの話が出てきますが、この子の母親が起こした事件です。なので、この家には小説のことは伏せております。

 ま、私たちの間でカルチャーショックはみそおにぎりで、海苔を巻くより当たり前だったのが、全国的には少数派だったようです。

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旧道

2022年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 今月の23日がこの地に若山牧水が訪れて100年の日。牧水なりきりウォーキングをするので、その旧道の下見に行ってきました。

 牧水が泊まった法師温泉をスタートし、白虎隊のお墓にお参りして、昔の街道跡を歩きました。日陰に入ると。道が杉苔の道になってました。ほとんど人が歩いていないと言うことなんでしょうね。

 途中に点在する野仏もめぐってきましたが、お地蔵が毛糸で編んだ帽子と衣装を着てました。もうすぐ冬なんですね。

 途中の墓地には古い石塔が立ち並んでいました。街道筋なので、行き倒れなどもあったことでしょうが、墓石に掘られた文字をたどると、子供の多いこと。かつては幼児死亡率が高かったこともありま江戸時代の物です。

 小学生の頃は同級生のところに遊びに行くのに、車が通らないこの旧道を歩いたものですが、今より樹木が茂っておらずにもっと明るかった記憶があります。

 なかなか面白い郷土再発見をしてきました。

 夜、大学の後輩から電話があり、彼の故郷の福知山の話になったのです酢が、「竹田の子守歌」の竹田って、福知山の南の場所だと思ってたんです。学校の教科書に京都民謡とあったので。福知山ではなく兵庫の竹田だったんですね。天空の城がある竹田城のあたり。

 阪神淡路の震災のあった時にランクルに支援物資積んで、日本海側から豊岡、武田、生野を通って姫路に入り込み明石まで持って行きましたが、この時、目にした当たりだったのか。 

 あの時は帰りに三木露風の「赤とんぼ」の龍野から鳥取に抜けて帰ってきたので、竹田城もまだ行ってない。

 また探訪の旅に出るときの調査地に入れておこう。

 お出かけモードのチャンスが来るまで作戦練っておこう。

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ハニトラ

2022年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 熊を捕っ捕まえる檻に罠の餌としてよく使われるのが糖蜜。石などに塗り付けて、クマがなめていると石が転がって檻の蓋が落ちる仕組みにするのですが、雨が降ると蜜が流れてしまうので、また補充せねばならない。

 檻の中の熊はそれでも威嚇してきて檻に体当たりしてくるので頑丈に作っておかねばなりません。猟師さんが檻の外から鉄砲でドカンと一発撃ち殺すのですが、これも技術が必要で、檻の作に多摩が当たると跳ね返ってきて事故が起きかねない。相手が檻の中だからとリスクがないわけでもありません。

 ハニトラに引っかかっていると言われる外務大臣。どこに塗られた糖蜜なめたんでしょうかね?品質が定かではない中国製の糖蜜なんでしょ。シェーシェー行ってる幹事長なんかも糖蜜なめたんでしょうね。そんな顔しているもん。

 あれ、やっぱ、コリアン系だと辛子ニンニク系なんでしょうかね。キムチの素塗られてなめなめ。ゴマ油も欠かせませんね。

 モランボンな金ちゃんレディーのお尻に手を回してご機嫌ツーショット写していた言うだけ番長の前原だっけ?金ちゃんの所の甘いものってなんだろう?冷麺の女体盛り?

 それにしても日本人て律儀だからごちそうになったら国を裏切っても擁護しちゃうんですね。愛に生きるんですね。それならそうとはっきり言えば「なかなか見どころあるじゃねぇか!愛に生きそして愛に死ね!」と、選ぶのは国民なんですから。

 熊の方が偉いよね。鍋に入るの覚悟で糖蜜なめに来るんだから。覚悟ってもんが違うよね。

 そんな話をしながら熊鍋をごちそうになってきました。味が染みたダイコンが美味しかった。

 熊鍋ごちそうになった見返りに、庭の木の枝切るのを頼まれてしまった。これもまたハニトラ?

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土佐まわり

2022年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 来年の冬に売る薪の材料になる雑木の伐採と、出荷で一に大汗流してきました。

 2トントラックで材木運ぶでこぼこ道の道路が林道ツアラーの聖地だとかで、オフロードバイクと4WDがやたらやってくる日曜日。こっちは生活のために使っているのに。毎日が林道ツアラーだぜ。

 今日は雪の重さで斜めに傾いた木を伐採したのですが、斜めの木は切り倒す時に要注意なんです。荷重がゆがんでかかっているので、受け口と呼ばれる下の部分を切る時にチェーンソーが食われやすいし、受け口を入れずに切ると突然裂けて割れた状態で倒れてしまう。栗の木など裂けやすいので、真ん中からパカっと割れて上に跳ね上がったと思ったら落下してくる。結構死亡事故が多い作業なんです。

 危ないなと思ったときは、幹をワイヤーで絞って割れないようにして切るなど、手間より気を使う作業でしたが、何かあったら道場で出て行けばオフローダーに発見されるかな?熊やイノシシが身近にいるよりははるかに気が安心。

 自然なんてこちらの御模索とは無関係。向こうの思惑を察する対話。

 近所の従妹は末息子が仕事に行ってる土佐に行ってきたと、蒲鉾の土産をもらいました。なぜか愛媛もの。

 我々の時代だったら、都会に出た子供を訪ねて行く両親は、電車に乗って車内で駅弁買って夫婦で食べる。ちゃんと弁当の蓋の裏にくっついたご飯粒を先に食べて。もしくは古新聞に包まれたおむすびを夫婦で食べている光景かな?

 ちょっと上の世代だったら「東京だよおっかさん」と皇居と靖国に連れていたんでしょうが、現代の両親はスズキスイフトスポーツ6速マニュアルでかっとんでいったようですが、やっぱ土佐までは疲れたそうです。次回は飛行機で行くのだとか。

 貰い物の越乃寒梅と雪中梅と山形の住吉を土佐ののん兵衛たちに飲ませろと持たせてやったのですが、従妹夫婦はのん兵衛なので猫に魚の番をさせるじゃないけれど、息子に持っていく前に飲んで、空の瓶にそこらで売ってる紙パックの酒詰めて持って行きはしないか気になってましたが、息子からの密告では封は切っていないようだから成長したんですな。

 本場のカツオのたたきは絶品だったそうです。臭みがないからニンニクもいらないとか。後は本場の台風も味わえたら喜びもひとしおだったでしょう。

 帰りは愛媛に出て今治から尾道まで橋を渡って来たそうですが、数年前に刑務所だそうした犯人が瀬戸内の小島に逃げられたわけがわかったそうです。

 群馬県人。海の魚に異様な執着を持っていますが、「毎日食べていたらさすがに飽きた。」と言ってました。

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