お江戸に行ってきました。
衆議院会館で自伐型林業のフォーラムがありそれに参加するためだったのですが、日程が6月19日。
それって、桜桃忌の日じゃない。しかも会議は午後三時から。ってことは早朝に出て行って三鷹の禅林寺に行けるじゃない。
そうなると気分は桜桃忌です。今まで3回ほど行ってますが、最後に行ったのが昭和62年だったので30年の歳月が流れていました。
前回桜桃忌に来た時は駅前の喫茶店でウィンナーコーヒーを飲んだのでした。ウィンナーコーヒーと言ってもコーヒーの中にウィンナーソーセージが浮かんでいるタイプではなく、ホイップしたクリームが浮かんでいるタイプで、熱いコーヒーと冷たいクリームの間をすするのがすごく快感だった。
30年の月日は駅前の様子を変えてしまって、喫茶店はすでになくなっていましたが、下連雀四丁目の禅林寺には迷うことなく到着しました。門前の道路で工事をしていて入り口がわかりにくかったのですが、隣の八幡様をお参りしてから禅林寺に入りました。
あの頃はねぇ、サクランボなんて高くて食べられなかったもんです。それでも桜桃忌にはお供え物でサクランボがありましてね。はい、仏様に成り代わっていただいてました。墓参しながら墓石に近づいて太宰治に話しかけながらお供えのワンカップの蓋を開け、「一杯やりましょう!」と仏様に成り代わって飲みほしたもんです。
ビンボーってパワーだったんだなぁ。
昭和の時代、私より少し上くらいの世代が随分とお参りに来ていたもんですが、その世代がそのまま歳をとったような年齢構成でした。
時折若いおねえちゃんを見かけましたが、髪の毛を部分的に紫や青にして黒い上下のドレスを着たX-JAPN信者のようなおねえちゃんたちで、まあ、自殺するようなタマじゃねぇわな。
いろいろ話を聞いたら、森田童子の死去を聞き「森田童子って誰?」とYoutubeで聴いてみたらズバリ感性直撃したらしく、歌詞に時折出てくる太宰のことを知り、ネットで調べたら桜桃忌間近と出てきたんだそうです。すごく歪んでねじれた若者。手には「人間失格の」の文庫本。ステキ!
墓前でハーモニカを拭くおばちゃんがいました。見覚えがあるので、30年前も来ていませんでしたか?と聞いたら半世紀ほど毎年来ているのだそうで、80歳になるのだそうです。いかれた婆さんだなぁと思いましたが、半世紀もいかれたおばさん営んでいるんですね。
昔は生命力の弱そうな死神につかれたようなおねえちゃんが並んでいたものですが、若い人たちは健康的な人が多く感じました。
太宰のお墓のはす向かいは森鴎外のお墓で、元々こちらが先にあり、鴎外を尊敬していた太宰が後から入り込んできたそうですが、7月6日の鴎外忌より太宰の桜桃忌の方がにぎやかです。
そうか、鴎外忌も二回来ているので、都合5回このお寺に来たことがあったんだ。昭和の時代だけど。
森鴎外ではなく本名の森林太郎の名で墓碑が建っています。考えてみればこの人もいい加減な人で、17歳で東大の医学部に入学し、ドイツのコッホ研究所に留学。留学中にちょっかい出したドイツねぇちゃんを置いて日本に帰国したものの、あんな男に 惚れたが不運 知っていりゃこそ 忘られぬ と、ドイツの踊子ねえちゃんが都都逸唄いながら日本にやってくれば、林太郎は逃げ回るばかり。都都逸ねえちゃんは津和野の実家まで押しかけたそうですが結局泣く泣く追い返される。元祖国際やり逃げ犯。
医者としても陸軍軍医で、脚気は病原菌の仕業と食事療法をしなかったため、陸軍は脚気が蔓延。日露戦争も脚気で兵士が片っ端から倒れて乃木将軍がお手上げになっちまったってのだから、ある種戦犯ですね。
海軍は農学者の鈴木梅太郎の意見を取り入れて食事の改善をしたら脚気がなくなったのに、いわゆる「学閥」の影響で鈴木梅太郎の発見したビタミンBは日本ではおざなりにされてしまう。
こういう間違いって今でも起きてますけどね。
禅林寺は太宰治と森鴎外のお墓ばかりが注目されますが、三鷹事件の費も残っています。
三鷹事件ってのは昭和24年に起きた国鉄の労働組合による事件とされる一種のテロ事件で、無人の列車が暴走して駅周辺で脱線し6人が死亡した事件です。
労働組合や共産党が人殺しをしていた歴史の遺物です。国鉄総裁下山定則が出勤途中に行方不明になり翌朝歴史体で発見された「下山事件」、東北本膳でレールが外されていて列車が脱線して3目の死者を出した「松川事件」と並ぶ国鉄ミステリー事件の一つです。
労組は憲法が云々なんて言えるようなことをしてきちゃいないんですよ。
この後、国会の前を通ることになるのですが、人殺し集団の末裔たちが歩道をふさいで騒いでました。
禅林寺を後にして、吉祥寺までは一駅。吉祥寺でラーメン食べるぞ!と狙いを定め、井の頭公園に入って吉祥寺に出ようか?玉川上水を眺めながら吉祥寺に向かうか?やっぱ、太宰ゆかりの玉川上水だよな!お~!
♪玉川上水い沿いに歩くとぉ~ 君の小さなアパートがあったぁ 夏には窓にぃ竹の葉が揺れて 太宰が好きな君は睡眠薬を飲んだぁ~♪
森田童子の「まぶしい夏」を歌いながらハッピーでナウな気分で玉川上水沿いを歩きました。吉祥寺でラーメン食べたら、ちょっと足を延ばして森田童子が生活していた西荻窪も行ってみたいな。
玉川上水は江戸幕府が建設したものですが、およそ42kmの距離で高低差90m。縮尺を変えると4mで9cmの高低差しかない。この土木技術って現在の土木技術だってかなり神経質になりますよ。
汗まみれになって歩いてたどり着いた駅が武蔵境。え?逆に歩いてしまった。
そんなわけで急きょ新宿まで戻ることにしました。
やっぱこういう日なので退廃的なお昼にしたい。中島みゆきの「狼になりたい」に出て来るションベン横丁の牛丼屋だ!と行ってみればガードわきの松屋はすでになくなってました。線路沿いの岐阜屋でラーメンとチャーハンでお昼でした。
気分は文学中高年なので、新宿駅でガリ版刷りの「私の詩集」を売っているいかれたねえちゃんがいるかもしれない。と探しましたが、今日は見かけなかったですね。言葉の廃棄場みたいな「よくこれだけセンスのない言葉を並べられるなぁ。」と感心するような読むに堪えない詩を書く変な人が時折いるのですが、今日は営業してないみたいでした。
とりあえず今日はここまで。