昨日、父から電話があり、「体が妙な痙攣をする」とろれつも良く回らない状態だったので、脳梗塞の前触れか?脳の血管に血栓でもつまったか?、と脳神経外科に連れて行きました。以前、軽度の脳梗塞を患ったことがあるので、日ごろから気をつけていたようですが、この何日か冬のような寒さになったのが体調をおかしくしたようです。
一晩寝たらだいぶ調子が戻っていたので、「病院など行かなくても大丈夫」とごねていましたが、せっかくだからこういうと気に見てもらえと半ば強引に病院に連れて行きました。
病院に向かう車中で父が「この歳だから何を言われようが覚悟できているから、もし、大病だといわれても隠さずに話してくれ。下手に隠されて後のことを残すより、はっきり言ってもらったほうがありがたい。」と話しながら行きました。
以前父が倒れた時、私が病院に呼び出され医師から説明を受けましたが、たいしたことなく通院で治療という説明でした。覚悟して出かけたのに、ほっとするやら拍子抜けするやらでしたが、今回も当人がこれだけ喋れて、体も動いているので、たいしたことはなかろうと楽観視していました。
MRIで見てもらったら、何箇所か危ない箇所が見つかったものの、入院するような問題でもなく、気をつけながら日常生活をおくることで病と共存?
30年も遡れば、手足が震えたり、言葉が喋れなくなる老人がどこにでもいて、中気・中風などと呼ばれていました。今で言うなら脳卒中の後遺症なんでしょうが、最近はこうしたお年寄りを見ることも少なくなりました。私の祖父も晩年は左手と足が不自由になり、喋ることもままならない状態になりましたが、自分もやがてこうなると子供の頃に思ったものでした。
当時は脳卒中が日本人の死因の第一位でしたが、塩分取りすぎが良く取りざたされていました。海から遠い内陸山間地では、漬物などが塩分を摂取する重要な食品でしたが、確かにしょっぱい漬物が多かった気がします。また、肉体労働が主でしたから多少余計に塩分も必要でしたので、塩分節制には疑問視する意見も多かったと思います。
何より、暖房も貧弱で、隙間風吹く寒い家屋が多かったので、冬にトイレで倒れたという話をよく聞いたものでした。食生活や住環境の変化が脳卒中を大きく減らしたと思えます。
かつては脳卒中で倒れた時は動かさないほうがいいと、救急車も搬送しないケースがありましたが、今では脳の血栓など3時間以内なら薬で取り去ることができるようです。