のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

栄養失調?

2009年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日に引き続き父の病院検査。血液検査の結果が出て言われた一言が「一種の栄養失調ですね。」

 鉄分やカロチンやらナンタラが足りないとかで、要は好き嫌いが激しいので食生活が偏っていたことが原因なんですが、「栄養失調」といわれては家族はたまったものではありません。あまりのバツの悪さに穴があったら入りたい思いでした。

 今日は弟の嫁さんが病院に同行すると言ってくれていましたが、子供が病院で騒ぐこと間違いないので、私が同行することになりましたが、嫁の立場で「栄養失調」などといわれたら大変なことになっていたかもしれません。

 積極的に食べてもらいたい食材を教えてもらいましたが、「これは嫌い」「戦争中散々食べたからもう食いたくない」「こんなもの食わなくても生きてこられた」と我侭なので苦労しそうです。

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脳卒中

2009年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、父から電話があり、「体が妙な痙攣をする」とろれつも良く回らない状態だったので、脳梗塞の前触れか?脳の血管に血栓でもつまったか?、と脳神経外科に連れて行きました。以前、軽度の脳梗塞を患ったことがあるので、日ごろから気をつけていたようですが、この何日か冬のような寒さになったのが体調をおかしくしたようです。

 一晩寝たらだいぶ調子が戻っていたので、「病院など行かなくても大丈夫」とごねていましたが、せっかくだからこういうと気に見てもらえと半ば強引に病院に連れて行きました。

 病院に向かう車中で父が「この歳だから何を言われようが覚悟できているから、もし、大病だといわれても隠さずに話してくれ。下手に隠されて後のことを残すより、はっきり言ってもらったほうがありがたい。」と話しながら行きました。

 以前父が倒れた時、私が病院に呼び出され医師から説明を受けましたが、たいしたことなく通院で治療という説明でした。覚悟して出かけたのに、ほっとするやら拍子抜けするやらでしたが、今回も当人がこれだけ喋れて、体も動いているので、たいしたことはなかろうと楽観視していました。

 MRIで見てもらったら、何箇所か危ない箇所が見つかったものの、入院するような問題でもなく、気をつけながら日常生活をおくることで病と共存?

 30年も遡れば、手足が震えたり、言葉が喋れなくなる老人がどこにでもいて、中気・中風などと呼ばれていました。今で言うなら脳卒中の後遺症なんでしょうが、最近はこうしたお年寄りを見ることも少なくなりました。私の祖父も晩年は左手と足が不自由になり、喋ることもままならない状態になりましたが、自分もやがてこうなると子供の頃に思ったものでした。

 当時は脳卒中が日本人の死因の第一位でしたが、塩分取りすぎが良く取りざたされていました。海から遠い内陸山間地では、漬物などが塩分を摂取する重要な食品でしたが、確かにしょっぱい漬物が多かった気がします。また、肉体労働が主でしたから多少余計に塩分も必要でしたので、塩分節制には疑問視する意見も多かったと思います。
 何より、暖房も貧弱で、隙間風吹く寒い家屋が多かったので、冬にトイレで倒れたという話をよく聞いたものでした。食生活や住環境の変化が脳卒中を大きく減らしたと思えます。

 かつては脳卒中で倒れた時は動かさないほうがいいと、救急車も搬送しないケースがありましたが、今では脳の血栓など3時間以内なら薬で取り去ることができるようです。

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七色仮面

2009年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 50年も前のテレビ番組。「七色仮面」
 七色仮面の正体は千葉進一だったんですね。

 それにしても、コブラ仮面はじめ悪の組織の風体も怪しければ、正義の味方「七色仮面」も不気味な風体です。

  およそ今の時代なら絶対受け入れられそうもない「アラーの使者」なんてドラマもあったんですね。アラーの使者と言っても、自爆テロをやらかすわけでもありません。
 頭にインドのシーク教徒のようなターバン巻いて、どこがアラーなんだ?

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距離感

2009年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 新潟県の長岡に行ってきました。

 来月、自動車でドイツに向かって旅立つ日独カップルの友人の自動車の登録手続きをするためです。

 この不況で富山ーウラジオストク間を就航していたRUS号が運休状態ですが、4月末頃に一便出るというので、それに自動車と人を積み込んで日本を旅立つそうです。

 ロシアで自動車の受け取りに何日かかるのか?ウラジオストクの事務所に聞いてもらおうと電話をしたら、ハバロフスクに出かけていて留守でした。

 ハバロフスクーウラジオストク間はおよそ800km。海を隔てた新潟とあまり変わらない距離ですが、この距離をまるで隣町にでも行くような感覚で出かけていくのがロシア人の距離感。来週の月曜頃に帰ってくる予定で、月曜に帰ってくるのではなく、月曜頃というのが大陸感覚でしょうか?

 比較的日本人に近い距離感や時間感覚を持ったドイツ人とロシア人が相容れないのもわかる気がします。

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もう一つの百万本のバラ

2009年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 アラ・プガチョバの大ヒット曲「百万本のバラ」の日本語訳は日本でもいくつかありますが、加藤登紀子さんの訳詞が一番原曲に近いと思っていますし、叙事的で私の好みの歌詞です。

 伊東ゆかりさんが歌う「百万本のバラ」はまた別の訳詞になっています。歌声喫茶ともしびで聴いた歌詞とも違い、お初にお目にかかる訳詞です。

 バイオリンの川井郁子さんはテレビでよくお目にかかるのでご存知の方も多いと思います。何で彼女はいつも口をあけたまま演奏するのだろう?とテレビ映像を見ながら思うのですが、ポルタメントを効かせた濃い演奏は私の好みです。
 ピアノはインドネシア人の血を引くジャズピアニストのフェビアン・レザ・パネ さん。長谷川きよしさんのバックで演奏することも多く、大好きなピアニストの一人です。

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WBC

2009年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 野球のWBC日韓の決勝すごかったですね。ゲームセットの瞬間を野球のことは全然わからないというパキスタン人と一緒に見ていましたが、「素晴らしいですね。僕たちアジアが世界の1番と2番でしょう。僕たち本当は強いんですよ。」と嬉しそうでした。
 「ダルビッシュはイラン人のお父さんを持つけど、僕たちに近い国でしょう。きっと近い未来、僕たちパキスタンの親を持つ子供が世界で活躍してくれると思うよ。本当に今日は嬉しいですよ。」と興奮していました。

 パキスタンはかつては大英帝国に踏みにじられ、第二次大戦後のアジア諸国独立後もインドをはさんで西パキスタン、東パキスタン(現在のバングラデシュ)と分断国家を経験してきた国です。

 野球は世界的にはマイナーなスポーツですが、頂点をアジアの二ヶ国で争った意義は大きいと思います。
 アジアでは日韓、台湾、中国の野球ですが、これから他の国々も力が入って、日本がアジアを勝ち抜くことも難しくなる時代が来るかもしれません。

 考えてみれば、サッカー発祥の国は英国ですが、英国がワールドカップを手にしたことはないと記憶しています。柔道だって日本がメダルに届くことさえ難しくなりました。グロ-バル化することはこういうものですが、そういう意味ではUSAが勝てない野球もグローバル化したということなんでしょうか?

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名古屋だぎゃ~

2009年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

090323  名古屋方面に行ってきました。風が強い一日で、ビルが妙な風の動きを作るので、外を歩くのも大変でした。

 中東方面と取引をしている友人の会社を尋ねたら、ドバイの支店に異動になっていました。海外ローミングで電話がつながると言うので、午後連絡を取ってみました。電話の回線状態が悪いのか?音が途切れ途切れだったり、突然切れてかけなおしたり、他の中東諸国波の電話状態でした。

090323f  一頃騒がれたドバイのバブル崩壊も落ち着いてきたようで、この2月頃から市場も動き出しているようです。

 名古屋にはモスクワと取引をしている友人がいるので、こちらを訪ねて行ったら、モスクワはバブル崩壊真っ只中でまったく動きがないとぼやいていました。
 昨年の今頃は日本のホテルを買いたいという絵に描いたような成金ロシア人を連れてきて振り回されて苦労していましたが、その成金も破産したのか、どこかに雲隠れしてしまったそうです。

 シベリア横断新幹線を作ろうと私はかねてから言い続けているのですが、誰も相手にしてくれません。寒気や積雪の影響を受けないようにそのほとんどをトンネルにして、原油やガスのパイプラインもそこに通せば良いと考えているのですが、この成金は面白いアイデアだと気にいってくれたそうです。
 なかなか見所のある成金だと思っていましたが、成金の典型的な転落をしてしまったようです。

090323e  河合塾。名古屋発祥の受験産業。駿台、Z会、河合塾。この名前を聞くといまだに受験時代のつら~い気持がよみがえってきます。

 少年の青春を吸い込む産業?

090323d  駅前近くの一等地にキリスト教の教会。その手前にはお寺。この取り合わせが面白いと思うのですが・・・

090323c 以前から乗ってみたかった名鉄の電車に乗ってきました。

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茂左衛門地蔵尊

2009年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Moz1  春分の日と秋分の日は茂左衛門地蔵尊の縁日。

 私が子供の頃はこの日に茂左衛門地蔵尊参拝のための特別列車が出るほどの賑わいを見せた大イベントでした。

 小学生の頃、この縁日に行って有り金全部使い果たし、十km強の道のりを歩いて帰ってくれば仲間達に一人前扱いしてもらえました。今にして思えば自堕落への一歩だったような思いもしますが・・・

Moz9  1660年代沼田藩の悪政が始まり、3万石の沼田藩を無理やり10万石にしようとしたものですから、農民は重税にあえいでいました。さらにお江戸の両国の橋の架け替えで、この材木を沼田藩が請け負ったがために、農民は山仕事に引っ張り出され、追い討ちをかけるように凶作。

 この窮状を見かねて農民杉木茂左衛門が幕府に直訴。沼田藩をおさめていた真田伊賀守は沼田を追い出され、お城も解体。直訴をした杉木茂左衛門は磔になりました。

 そんなわけで、権力者の悪政から庶民を救った杉木茂左衛門を祭ってこの日に縁日を行います。

Moz20  杉木茂左衛門を祭る農民の末裔がいれば、逆におとりつぶしになった沼田藩の武家の末裔もいるわけで、こちらの一族は茂左衛門の縁日に行かない家系と言われています。

 今も沼田市には何件か茂左衛門の縁日に行かない一家が残っていますが、350年も昔の事件を今も引きずっています。

 

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電磁波

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 暑い寒いも彼岸まで。例年のことですが、今年も春分の日はあまり天気が良くありません。黄砂まじりの赤い雪が降るのも今頃の季節です。

 花粉症に悩む知人はこのシーズンになると外に出るのがつらいようですが、スギ花粉のみならず、スギの後に出てくる桧の花粉、オーチャードなどイネ科の草のアレルゲンも持っているそうです。そのため、花粉症のシーズンが長く、秋分の日が来るころまで花粉アレルギーにいじめられます。

 リンゴや桃などのバラ科の植物や、白樺の花粉、メロンの花粉などの花粉症もあるのだそうで、こうなってくると植林のみならず、農業もガーデニングや庭木まで花粉対策の対象になってしまいます。
 セイタカアワダチソウなど虫が花粉を運ぶタイプで、通常は空気中に漂流しないものですが、群生すると風に乗って大気中に花粉が舞うのだそうです。

 植物の整体バランスの問題なのか?人間のほうがおかしくなったのか?その両方だと思いますが、環境ホルモンやダイオキシンなどの有害物質が植物や動物に何かしら影響しているのでしょうか?

 谷川岳の一ノ倉沢に続く道を歩いたとき、道路が真っ青になるほどブナの花粉が敷き詰められていました。ブナの花粉は粒子が大きいから花粉症の対象にならないと言われますが、これだって量が増えればどんな影響が出てくるかわかりません。
 西のほうに環境汚染大国があり、その汚染物質が黄砂に混じってやってくれば、植物や動物にどんな影響が出るのか気になります。

 畜産を生業としている友人が、最近家畜のオスの精子の数が減ってきている、と言ってました。良い遺伝子を残すために人工的に交配し続けた影響なのか?環境ホルモンの影響なのか?人間にも同様の傾向が出ているはずです。

 むしろ電磁波が原因だと言う説もあります。風や人によって運ばれるダイオキシンなどの物質と違い、送電線や携帯電話、世界のあらゆるところに人工的に発せられた電磁波は拡散しています。宗派帯によっては電子レンジにも使えるのですから、どんな影響を持つのかわかったものではありません。

 かつてソビエトの科学者が電磁波を使った楽器を発明しました。テルミンと呼ばれる機械で、微弱な電磁波を発生するアンテナに手をかざすことで、その距離で音程を変化させる楽器です。
 その不安定な音程はウルトラQなど怪奇映画やテレビ番組でよく用いられていました。

 昔から欲しいおもちゃで高くて手が出ませんでしたが、昨年、テルミンが付属についている雑誌が発売されて、早速それを買ってきて組み立てて遊びましたが、演奏どころかまともに音程もつかめない有様のまま今に至っています。最近、飽きてきたのか?「電磁波は体に良くない」とほったらかしにしています。

 テルミンを演奏するネコもいるんですね。私と同じレベルの演奏能力を持っています。電磁波の影響で進化したのかな?

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雲洞庵の土踏んだか

2009年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

0903191  新潟方面に出かけたので、帰りに塩沢の雲洞庵に立ち寄ってきました。夕方だったの既に参拝時間は過ぎていましたが、何回も着ているので中のことはよく知っています。
 上杉景勝や直江兼続が幼少の頃このお寺で修行したことはNHKドラマ「天地人」でよく知られるようになりました。
 「雲洞庵の土踏んだか」「関興庵の味噌なめたか」。曹洞宗の雲洞庵、臨済宗の関興庵この二つのお寺で修行しなければ禅を会得したとはいえないといわれた名刹の一つです。
 雲洞庵には杉の大木が立ち並んでいますが、これらは上杉が越後を離れ会津から米沢に移ってから植えられたもので、直江兼続の時代にはなかったといわれています。

0903194  このお寺から坂戸城が見えたといわれていますが、昔、坂戸城跡に行ったことがあります。歩いていくには大変な山の上にありました。
 
 そういえば、直江兼続らが子供の頃、NHKのドラマでは農民の子供を捕まえて説教する場面が出てきましたが、当時の武士など半分以上農業で食いつないでいる、半農半武士みたいなもので、それほど身分差などなかったのではなかろうか?
 丘陵で働く専属の戦闘員としての武士を作り出したのは織田信長と言われていますから、直江兼続の時代にはまだ武士と百姓の身分さなど、偉そうに説教するほどの格差ではなかったはずです。

090319  天地人に出てくる「上田衆」と呼ばれる勇猛な武士の集団はこの辺り一帯の人たちです。
 上田衆の末裔も時ならぬ「天地人」ブームで、あちこちに「毘」「龍」ならぬ「天地人」「直江兼続」ののぼり旗が立ち並んでいます。

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唐草模様

2009年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 「後ろ弁天 前不動」 後ろから見ると弁天様のごとく美しいけれど、前から見ると不動明王のようないかつい顔の女性のことを意味します。

 スーパーに行ったら、くせのないきれいなロングヘアーの女性が歩いていたので気にしていました。それとなく追い越しながらちらりと顔を見ると、不動明王と言うよりは、唐草模様の風呂敷を被ればお面なしで獅子舞を踊れそうな顔をした女性でした。まぁ、いろいろあらぁな。

 唐草模様で一世を風靡したのはコメディアン東京ボン太さんで、今にして思えばなにが面白かったのかわかりませんが、この人のトークに大笑いしたものです。あっという間に消えてしまい、20年くらい前に胃がんで亡くなったと聞いています。

 トレードマークは荷物の入った唐草模様の風呂敷を首にかけ、傘を持って出てくる、田舎の出稼ぎ風体で、独特の栃木訛りで笑いを誘っていました。

 10年ほど前、ロシアの友人宅の土産にウイスキーを買って、それを唐草模様の風呂敷に包んで持って行きました。彼のお母さんは風呂敷の唐草模様がすっかり気に入ってしまい、自分のコレクションにしています。

 ロシアでは女性はプラトークと言うショールをフードのようにかぶったり、肩にかけたり、ひざ掛けに使いますが、彼のお母さんが唐草模様の風呂敷を頭にかぶって出かけるのを見て、”まずい贈り物をしてしまった”と肝を冷やしました。

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脱糞だぁ

2009年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

東京に行くので洗車して、ワックス崖をしてピカピカに磨いた愛車で出かけました。
 東京はこれだけの大都市でありながら、豊富に森がある世界でも珍しいメトロポリタンだと思いますが、森の住人はホームレスと呼ばれる人たちです。

 変な鳥が飛び交っているなとよく見ればインコの集団で、たぶんペットに飼っていた鳥が逃げ出したのか、無責任な飼い主が捨てたのか?それが大繁殖して群れを成していました。
 からすならゴミをあさって生き抜いていけるでしょうが、インコがなにを食って生きているのか?気にすると、「餌をやる人がいるんだよ。これもまた無責任だと思うけど。」

 思い出してみると昭和の末期に目黒の東京工業大学に行った時にもインコの集団を見ました。およそ日本の借景に馴染まない派手な緑色で目立っていました。このキャンパスをねぐらにしているようで、今回私がインコの集団を見かけ場所からもそう遠くない場所です。

 用が終わり、自動車に戻るとせっかく磨いてきた愛車が鳥のウンコにまみれていました。愛車の上に電線が通っており、その電線に鳥が一列にとまっていました。

 どうも愛鳥家とは利害関係がかみ合いそうもない腹立たしさがこみ上げてきて、後部座席に積んであった洗車用のブラシを電線めがけて放り投げると、慌てて鳥たちが飛び去りましたが、そのドサクサにさらに脱糞して飛び去りました。

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鈴懸の径

2009年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 プラタナスと言う木をはじめて知ったのは東京の街路樹でした。北山修さんの歌詞でフォークソングの定番の「風」に出てくる♪プラタナスの枯葉まう冬の道で プラタナスの散る音にふりかえる♪は有名なフレーズですが、どんな樹木だったのかなんてまったく気にしていませんでした。

 アルバイトで街路樹の枯葉の掃除をした時、キザキザした実をつける厄介な街路樹があったので、なんと言う木だ?と聞いたら、これが有名なプラタナスと言われてその樹木に対する見え方が変わってきました。

 この実が修験者の衣装につける篠掛けに似ていることから鈴懸の木とも呼ばれています。

090315  戦時下の昭和17年、佐伯孝夫の歌詞にハワイ出身の日系人灰田晴彦が作曲弟の灰田勝彦が歌ってヒットした「鈴懸の径」と言う歌があります。
 戦時中によくまぁこんな甘い歌が許されたものだと思いますが、当局の思惑とは裏腹に大ヒットしたのだそうです。

 昭和30年代に、元は3拍子のリズムを4ビートのジャズのリズムに乗せて、クラリネット奏者の鈴木章治が演奏してジャズの名曲として「The Platunus Road」と言う名で世界的に有名になりました。私もジャズのほうから知った曲で、ピーナツ・ハッコーと鈴木章治のダブルクラリネットでのレコードを持っています。

 立教大学出身の知人からこの曲の歌詞の舞台は立教大学だと伺いました。歌碑もあるそうです。皮肉にも、この歌が作られた翌年の昭和18年から学徒出陣が始まります。

 シャボンダマ・ホリデーで鈴木章治さんと、クレージーキャッツの安田伸さんのダブルクラリネットでの貴重な演奏映像。お二人とも90年代半ばに亡くなっています。

   友と語らん
  鈴懸の径
  通いなれたる
  学校の街

  やさしの小鈴
  葉かげに鳴れば
  夢はかえるよ
  鈴懸の径

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ミモザ

2009年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 ホワイトデーは日本発祥で、バレンタインデーのお返しに男性からキャンディーやマシュマロを送るという、日本の菓子業界が考案した販売作戦。
 スーパーに行くとお菓子のコーナーにホワイトデー商品が並んでいて気分を憂鬱にさせてくれますが、義理チョコに対する義理ホワイトデーのお返しも手痛い出費です。

 十数年前の話になりますが、お見合いをして女性にホワイトデーの贈り物(ガラス工芸の小物入れ)を持って行ったことがありました。とても喜んでもらえたのは嬉しかったのですが、「おいくらでしたか?高かったでしょう。」物事をお金の価値に換算しないと価値観がわからない人(家庭)だったようで、”これが現実なんだよな”と、さびしかった思いがあります。

 韓国にも日本からホワイトデーが伝わっているようですが、以前、韓国人の友人に聞いた話では、韓国では毎月14日にブラックデーやローズデーなど恋愛に関する”都市伝説”のようなイベントがあり、カレーライスを食べたり、黒い服を着るなど、若者が14日を楽しんでいるようです。

 旧社会主義国では3月8日を「女性の日」とする国が多く見受けられますが、1904年のこの日ニューヨークで婦人参政権を要求するデモをきっかけに「国際婦人デー」と呼ばれています。
 ソビエトではこの女性の日のテーゼを「女性解放」を謳っていましたが、どういうことから女性を解放するのかと問えば、「家事労働からの解放」だったそうです。

 イタリアではこの日に女性同士でミモザの花束を贈る習慣があるそうです。
090314  なにを勘違いしたか、数年前までミモザをオジギソウのことと思っていたので、イタリアは変な物を交換する習慣があるものだと不思議に思っていました。ミモザがアカシアの一種の花と知った時、なんだ、普通じゃないかと興味が失せてしまいました。

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ヤク40

2009年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 「ルーブル安のおかげでこの冬はさっぱりですよ。」とぼやくのは、ロシアからのスキーツアーを取り扱っている東京の旅行会社の担当者。
 昨年の冬はロシア人観光客の通訳が足らず、「誰か通訳やってくれる奥さんはいないですかねぇ。」と奔走していましたが、今年はまったく逆で四苦八苦しているようです。

 こういうときに関税を上げるものですから、買い物ツアーで日本に来る人も激減し、富山で中古車販売をするパキスタン人も苦労しているようです。

 飛行機の航空券代も、ルーブルに対してユーロが強くなっているので、年末年始の高い価格のままあまり変化がなく、国外へ出かけるのもままなりません。
 日本では少ないけれど、タイやインドネシアなどロシア人が長期休暇を過ごしに来る国では、観光収入に少なからず影響が出ていることでしょう。

 ウラジオストクの友人が言うには「お金を持っている人は影響を受けているけど、私たちは元々持っていないから為替相場など関係ない。ただ、物価が高くなって困っています。」

 ロシアの家庭が郊外に持っているダーチャと言う家庭菜園。このところ花などを作る家庭が多かったのですが、今年はジャガイモなどの農作物を作る家庭が増えることでしょう。 

  ウラジオストクと富山の間を運行していたヤク40が引退し、エアバスの飛行機に代替わりしたようです。これで富山便も少しは快適になると思いますが、サービスなんてものは期待しないほうが良いのがロシアの航空会社。

 ヤクの正式名称はヤコブレフ。40は40人乗りですが、日本へ就航する飛行機は20人乗りに改造されています。

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