のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

春分の日だけど仕事

2020年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 春分の日と秋分の日は大体天気が悪くなるものですが、今日は一日晴れ模様でした。

 昼頃、県境の山に雪雲が出てやや強めの北風が吹きだしたので「危ないかな?」なんて言ってましたが、何とか一日もちました。

 例年ならフクジュソウが黄色い花をつける季節ですが、今年はすでに花の時期を終えて、紅梅が咲きだしました。

 夕方、書類に署名をもらうため山から下りて地主宅に顔を出したら、都会に出ていた息子が小学生と幼稚園児の子供を連れて帰ってきて賑やかでした。

 いままで気の向くままに生活していたネコは子供たちに追いかけられてご機嫌を損ねたようで、どうやって上ったのか?押し入れの上の天袋に籠城している最中で、子供たちの説得にも応じず立てこもっていました。

 私が顔を出したことで、一家の注目がこちらに向いている合間に、ネコは籠城先の天袋から下りてきて家の奥へと姿を消しましたが、孫たちに追いかけられて気が休まらない生活になっているようです。

 ひと頃のトイレットペーパー不足騒ぎの時に夫婦して奔走して手に入れた結果、ほどなく物不足も解消したので、実家への土産にトイレットペーパー持ってきたそうです。

 オイルショックの時のトイレットペーパー騒動以降に生まれた世代なので、そんな騒ぎも知らなかったのでしょうが、平成に入っての冷害でコメ不足になった時も今頃の時期にはまだ世間が騒いでいました。

 3月21日が母の命日なのですが5回忌の年で、法事に来た母の姉がタイ米を持ってきました。なんでも、抱き合わせで買わされたらしく、どうやって食べていいのかわからないから持ってきたようでしたが、チャーハンにしたらおいしかった。

 あの時も、4月になれば九州の早場米が出てきてコメ不足は解消されると読んでいた農家は早々と米を売り払ってしまいましたが、「取っておけばもっと高くなる。」と欲をかいた農家は暴落の憂き目にあいました。

 同時に食管制度が破綻した事件でもあったのですが、輸入米問題を抱えていた政府には渡りに船の米騒動だったのでしょう。

 江戸幕府がなぜ米を税や禄の代わりにしたのか?なんてことを考えましたが、そこそこ保存はきくけど長期の保存はできない米。流通させないことにはダメになってしまう。そして役所はコメ不足の年に保存した米を配給する。意外と理にかなった制度だったんだなって気が付いたものです。

 米と比べればトイレットペーパーは長もちしますからね。マスクは?

 自分の住民がマスク不足で騒いでいる時に備蓄していたものを国外に寄贈する奇特な行政もいますしね。人道がどちらに向いているのやら?

 トイレットペーパーを土産に持ってくるより、ネコのえさでも持ってくれば籠城事件は回避できたのかも?

 ネコの抗議活動の主張でした。

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