のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

時計

2010年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 私が学生時代、山岳部の先輩に、妙に熱い男がいました。真面目で几帳面で熱心で、スポーツマンの爽やかを通り越して濃くなったような男でした。顔も濃かったけど。

 この濃い先輩が女性を紹介され、一本気な人ですから当然熱心に一本やりで、レンタカーを借りてデートに行きました。几帳面な人ですから、”何時何分どこを通過”と自分の想定する行程を時折腕時計を見ながら確認し"異常なし!"。

 登山ならこれでも良いのですが、デートの最中に頻繁意図形を気にされると女性も「私のこと気に入らないのかしら?」と思ってしまいます。彼にすれば何時何分にどこにいたと、女性のご両親に言えるよう確認しながらのデートだったのでしょう。

 「あなた、さっきから時計ばかり見ているけれど、なにか他の予定でもあるの?」と怪訝に思った女性が聞くと、「何を言っているんだ!君と一緒にいるときに時間なんか関係ない!」といきなり腕時計をはずして自動車の窓から投げ捨ててしまいました。

 あまりの濃さに女性が尻込みし交際はたち消えになったと聞いたとき"さもありなん"と思いましたが、卒業してから程なく、どこでそうよりが戻ったのか?いつの間にか結婚していました。

 ロシアのことわざにこんなのがあります。”Счастливые часов не наблюдают.(幸せな人は、時計を見ない)”

 交際相手の女性が1-2週間の滞在で日本の生活を見に来る時、最初は長い日程をどうやって過ごそうか?と策が尽きる思いがするものです。"案ずるより生むがやすし"で気がついて見ると決められた日程は終わり、帰国の途に着くお相手を見送る日が来ている。

 見送って時が立つごとに「なんて短い時間だったのか」と思い返すものです。

 後になって「ああすればよかった」「こんなこともできたのに」と悔やむものですが、思ったことの半分もできれば良いほうで、思い残したことがあるからこそ次回につながるものです。気に病まずに次にあったときへのエネルギーになるものです。

 ”歳をとる”この言葉は決して肯定的に受け止められていない言葉になってしまいましたが、時間は積み重ねていくもので、”歳を纏う”と表現できたら格好良いですね。”歳をとる"ということは決められた人生の末路からの残り時間を模索しているようにも思えます。

 時間は無表情に過ぎていくものですが、共に過ごした時間は増えていくだけで減る事はありません。

 野球の打率は10割から減っていくもので、一つの凡打で10割は水の泡になってしまいますが、ホームランは積み重ねていくものです。

 そう考えてみると、共に時を過ごすことのみならず、年齢を重ねることも奥行きを深めるためにはとても意義があることと信じて、また時を過ごしています。

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技術者

2010年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 某自動車メーカーの工場でエンジニアをしていた親戚は、定年退職後ベトナムの企業から手腕を買われ、一年の半分を向こうの工場で活躍しています。中国の企業などからも良い条件で誘いがあるようですが、とりあえず今はベトナムが気に入ったようで、行ったり来たりしています。

 大手企業ですから、悠々自適の引退生活のはずですが、「活躍の場が欲しい」というベテランのニーズと技術が欲しいという新興国のニーズが微妙に絡み合って、結果的に頭脳流出のような事態になっていると思います。

 私の知り合いに溶接のエキスパートがいますが、昨年から中国の工場に技術指導に行っています。地方から身を立てようと出てくる若者が多く、「できるできないは別にして、あれだけ真剣に食いついてくると手応えがあって冥利に尽きるな。」と語っていました。今できるできないより、やろうとする姿勢の有無が今後の明暗を分けるだろうとのこと。

 その後、面白い話題になりました。ある日、忽然と姿を消す日本人技術者がいるようで、「北に拉致されてるんじゃなかろうか?」と話がとんでもない方向に進みました。あの国にすれば産業より軍事優先ですからミサイルや原爆に使えそうな技術を持つ人が欲しいのもうなずけますが、もし本当なら、この先第二の拉致事件として騒がれそうな話です。

 今月に入って、この知り合いが行きつけの日本料理の居酒屋で度々顔を合わせていた製薬会社の技術者が姿を見せなくなったそうで、日本に戻るようなことは言っていなかったので、どこか別の会社にヘッドハンティングされたか、連れ去られたか?なんて話題になっているそうです。

 ちょっとマニアックなエンジニアなら、人体実験やり放題ですから新薬開発などもってこいの土地柄。日本語の達者な美女でも助手につけられて、口車に乗って連れて行かれるのが北朝鮮?ありそうな話です。

 この場合当人の意思なのか?拉致なのか?判断が難しいですね。

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テロ

2010年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 モスクワの地下鉄で自爆テロと思われる爆発事件が発生し、多数の死傷者が出そうな様子です。
 例によって「遠いモスクワのこと、私たちには関係ない」とクールな極東です。

 自爆テロといえばイスラムのお家芸になっていますが、勘違いもはなはだしいと腹だったエピソードがあります。USAの知人は沖縄の「ひめゆり部隊」を自爆テロの集団と思っていたことで、アメリカ人の太平洋戦争への認識を垣間見る思いもしました。
 非戦闘員に対しての武力攻撃は戦争のルールで禁じられているので、こうした人たちを「ゲリラ」とみなさねば自分たちの行為を正当化できないのでしょうが、USAが民間人のゲリラ攻撃に直面するのはベトナム戦争以降です。

 「反省」しない国は何事においても強い。We Are Right! 私たちは正しいと「WAR(戦争)」を繰り広げています。

 今月の初旬にウラジオストクから送ってもらった郵便物が、ようやく届きました。18日かかったことになります。早かったのか遅かったのか?と考えると、遅れることには慣れてしまっているので、普通よりやや遅かったかな?
 国際郵便は一度モスクワに集められて、検査を受けてから各国へ発送されますが、その検査に思い切り時間がかかっているようです。
 かつては今頃の季節にクリスマスカードが届いたこともあります。3ヶ月もかけて何をチェックしていたのだろう?それとも、どこぞの片隅に置き忘れになっていたとか・・・。 

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ビストロ

2010年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

100327  「余の辞書に不可能の文字はない」とまで言ったナポレオンにして征服することができなかったロシア。

 首都モスクワはナポレオンによって征服されていたのですが、軍や皇帝が姿をくらまして勝利宣言ができず、冬を間近に控えこのままではロシアに閉じ込められてしまうとフランスに戻るナポレオンの軍隊を追い討ちして「ナポレオンを駆逐した!」と勝利宣言をしたのがロシアです。

 ロシアでは散々な目にあったナポレオン軍ですが、彼らがロシアから持ち帰った「文化」の一つに「ビストロ」があります。ロシアでヴィストルゥイィと言えば「遅いぞ!」と言う意味です。

 ロシアから帰還したナポレオンの兵隊達が、なかなか料理が出てこないフランスのレストランで「遅いぞ、遅いぞ!」を覚えてきてロシア語で「ビストロ!」と叫んだことから、いつのまにかフランス料理屋の代名詞になってしまいました。

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2010年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 西洋人がナイフとフォークで食事をするようになってからまだ400年程しかたっていません。現在でも西洋料理には直接手で持って食べる料理が少なくありませんし、そのために、肉類などをつかんだあとに手を洗うフィンガーボールがテーブルに置かれていることもあります。

 食事の時に直接手でつかんで食べる文化の国は少なくありませんが、これはこれでなかなか難しい食べ方です。以前、テレビでアフリカの料理を見たことがありましたが、スープも手ですくって飲む光景が写っていました。右手の人差し指中指薬指の三本ですくって口に運ぶのですが、これを真似してみると難しいものでした。

 箸の文化圏の人にとって直接手で取って食べることは抵抗がありますし、技術的にも案外難しい行為かもしれません。一般的な日本食でも直接手で口に運ぶのはおむすびくらいのものでしょう。

 イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本を訪れて驚き感慨深かったことに、日本人が皆箸を使って食事をしとても衛生的だったということを書き記しています。当時ヨーロッパではようやくナイフとフォークの食事が現れた時代です。

 思うのですが、食するのに道具を使わないということは、手に持てる温度ということですので、熱い物を食さなかったのだろうか?と考えてしまいます。ナイフ・フォークにしても、火にかけた肉の塊からナイフで肉を殺ぎ落とし、串に刺して食べていた習慣からの流れでしょう。それ以前は?と想像してしまいます。

 箸の文化圏の地域は比較的高温多湿な地域が多いので、こういった地域には細菌性の病気の多発地域でもあります。衛生的な意味合いからも箸を使うことは理にかなっていますし、食べ物を十分熱することも重要なことです。

 北京原人が火を使っていたことは知られていますが、火を使うからには間接的に扱える道具が必要になります。原始的ではありますが、この二本の棒切れが進化に与えた影響は大きいでしょう。

 日本と中国の箸には特徴的な違いがあります。日本の箸は先が尖っていますが、中国の箸は先が尖っていませんし、長さも日本の箸の二倍くらいあります。日本の調理に使う菜箸のようにも見えます。

 中国料理は強い火力と油でいためるものが多いので短い箸ではやけどするんだろうな?などと考えてみているのですが、大皿に盛り付けた料理を自分の小皿に取るとき箸が長いと便利なこともあります。

 森林資源の豊富な黒龍江省では箸の工場がいくつかあり日本向けの割り箸も作っています。ちょっとしたレストランに行けば紙の袋に入った長い割り箸が出てきますが、一般的な食堂ではプラスチックの箸が使われています。これが滑りが良くて使いにくい一品なのですが、洗えば再利用可能です。

 南方に行けば成長が早い竹を使った箸が多く使われていますが、日本で使われる竹の箸はほぼ100パーセント中国からの輸入ものになってしまったようです。不思議なことに、乾いているのにみずみずしい竹の青色を讃えいてる竹の箸もあり、大丈夫なんだろうか?

 中国料理に使われるテーブルは円卓が多いのですが、これは食事の時には上下の区別をなくし対等にしようと丸くなったのだそうです。上座、下座と言う区別は基本的にないことになっています。それなのに更にその円卓に「上下」の区別を入れようとするのが儒教社会の面白いところで、日本のマナーの本にも一応円卓の上座下座が紹介されています。

 円卓の上には回転する丸い台が乗っています。中国料理は大皿から小皿に取り分けることが基本なので、料理が誰でも採りやすくするためには便利です。実はこの回転テーブルの発祥の地は日本の横浜です。それも日本人が発明したのだそうです。

 日本では箸をお手元といって手前に横に起きますが、中国では右側にタテに起きます。ところが、回転テーブルですと真ん中の回転台が邪魔になって箸を縦に置きにくくなります。やはり日本人の発想だったんだなと再認識しています。

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黄砂

2010年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 黄砂の季節になりました。

 あまり知られていないのですが、日中共同で黄沙の研究をしています。ゴビやタクラマカンで巻き上がった土ぼこりが偏西風に乗って朝鮮半島や日本に飛来する黄沙ですが、ジェット気流に乗れば北米まで飛んでいくこともあるそうです。

 毎年黄沙の量が増え、中国でも農作物に被害を与えたり、粒状物質の健康への影響など深刻な問題になっています。ことに、黄沙の直撃を受ける北京では朱鎔基首相に「このままでは首都を遷都しなければならない」と言わしめている状態です。

 日本でも年々黄沙の量が増え農作物や健康への害を考えなければならない事態になっています。

 中国人の悪いイメージの一つにどこでも痰を吐くという行為がありますが、空気の状態がよくないので喉がいがらっぽくなってきます。常に細かな砂塵が大気中に舞い上がっているみたいで、夏など汗をかいてぬぐう時にざらつきを感じることがあります。これら細かな砂塵は黄沙ばかりではなく、石炭などの噴煙の粒状物質や、工場の排煙なども混ざっていますのでどう考えても健康によいはずがありません。

 雨上がりなどアスファルトの上を黄ばんだ水が流れていきます。大気中の砂塵や粒状物質を雨が洗い落としてくれたものです。ハルビンでは雨上がりになると人々が外に出てきて深呼吸をして心地よい空気を楽しんでいます。気管にとって決してよい空気ではありません。

 カメラなどの精密機械なども、機密性がよくないといつのまにか細かな砂が入り込んで次第に動きが悪くなり壊れてしまいます。

 世界の工場と呼ばれるようになり、精密機器の工場も活躍している中国ですが、最新式の空気ろ過装置があっての産業です。高温多湿な南部沿海部では黄沙の影響はそれほど深刻ではないようですが、急発展の付回しで酸性雨が大きな問題になっています。

 最新の工作設備で生産効率のよい中国の工場ですが、新しい機械ほど精密なので、はたして黄沙の影響がどのように出てくるのかは今後いろいろわかってくることだと思います。

 農作物でもキャベツや白菜などに黄沙の影響が見られる事があります。真中から庖丁で真っ二つに切ると、葉っぱと葉っぱの間に黄沙が付着していて、野菜の葉が丸まって球になる過程で黄沙が大量に降り注いだ履歴がわかります。日本のようにキャベツを千切りして生で食べるようなことはあまりしませんが、家庭や厨房などでは一枚一枚はがして洗ってから調理しています。

 万里の長城の北からモンゴル大平原にかけて広がるゴビは中国内蒙古とその北のモンゴル国では大きな違いがあります。モンゴル国のゴビは草原ですが、中国内蒙古のゴビは開墾され土が露出しています。

 中国政府が内蒙古の遊牧民締め出し、封じ込めのために草原の各地に漢民族を入植させ開墾し、遊牧民が自由に往来できないように草原を区切ってしまう政策を用いました。表土を覆っていた草がなくなると堆積していた肥沃な土も風に飛ばされてしまいます。しかも、定住農耕民族の漢民族はその表土の下の赤土で日干し煉瓦を作り家を建てます。養分の全くない赤土の上には何も生えないのでそこから砂漠化が始まります。

 また、ゴビは豊富な石炭を埋蔵しています。日本の炭鉱のようにトンネルを掘って地下深くの石炭を掘り出すのではなく露天掘りが可能です。石炭を掘り起こすためにあちこちに掘った穴だけで日本の国土が入るといわれるほどの大きさだそうです。

 ゴビの緑化には日本の技術者の力が大いに貢献しています。森林国の日本では江戸時代には山奉行をもうけ伐採を規制していたり、「植林」という世界でも稀有な進んだ文化をもっていました。多くの国の林業が伐採を主体とする採取中心の産業だったのに対して、日本人は手入れして「森を育てる」という先進的な概念を古くから持っていました。日本人から見てあたりまえの事をしてこなかったツケが「砂漠化」という深刻な状況を生み出しています。

 砂漠の緑化事業に対して中国側もかなり積極的なようで、その深刻ぶりが窺い知れます。最大の砂漠タクラマカンをはじめ敦煌、北京、青島、日本でも福岡、名古屋、筑波など各地に黄沙の観測所をもうけ、黄沙発生の予測に取り組んでいます。

 緑化事業は順調に行っても200年はかかるといわれているので、北京が砂漠になるのが先か、その水際で防げるか?

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柿の種

2010年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

100325  先週の日曜、ウラジオストクに行く人に、知人への贈り物の柿の種を託しました。

 柿の種は向こうでもビールのつまみに好評で、知人は亀田のワサビ風味の柿の種を特に好んでいます。先月のうちにスーパーでいくつか買って用意しておきましたが、直前になって「缶に入った浪花屋の柿の種も欲しい。」

 

100325a  この男、いつのまにか柿の種通になっており、亀田の柿の種より長岡の浪花屋の方が歴史が古いとか、亀田の柿の種にはワサビ風味の他にもカレー味やお好み焼き味があることなど、どこで調べたのか?日本人より詳しく知っていました。私も聞いたことがないマイナーな柿の種のメーカーまで知っていて、日本に来るたびに買って帰ってパッケージ袋をコレクションしているようです。

 ピーナツが入っているタイプは「柿ピー」といいます。

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東北虎園

2010年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

100324  ハルビンで郊外に東北虎園というテーマパークがあります。

 日本式に言えば虎専門のサファリワールドで、専用のマイクロバスに乗って虎のいる公園内を回ります。

 専用のマイクロバスといっても、普通のトヨタコースターで、窓の外に網がはってあるわけでもありませんし、ガラスが強化されたガラスというわけでもありません。

 虎などの動物は夜行性なので、昼間は木陰で寝ていることも多いです。日本のサファリワールドなら自動車専用の舗装道路の上を観客の自動車が通るので、そんな寝姿を見ながら通り去りますが、ここでは寝ている虎を起こそうとマイクロバスが道路を外れて虎を追いかけるのですからサービスが過激です。

100324a  虎の餌に生きているヤギをそのまま放す過激な演出。より自然にと言うのならこれも現実でしょうが、こういう光景を見て素直に喜ぶのも中国人の国民性?

 英語で「犠牲・身代わり」を”scapegoat”といいますが、”scape”は”逃げる”などを意味する”escape”、”goat”はヤギだそうです。

 旧約聖書のレビ記16章に出てくる逸話で、2頭のヤギを用意して、一頭は生贄として殺し、もう一頭はヤギの頭に手を置いて人々が自分の罪を告白して、その罪を背負ったヤギが野に放たれ、この野に放たれたヤギがscapegoatというわけです。

 彼らにとって従順な羊は(迷える子羊)で人間をあらわしたりしますが、ヤギは野生的でなつかないのだとか。

100324b  園内を巡回している監視員の自動車。こちらは窓の外を太い網で防御しています。

 麻酔弾ではなく本物のライフルを持ち歩いているようです。

 シベリアンタイガーやアムール虎と呼ばれる虎の中でも大型の種類が中国東北からロシア極東にかけて生息していますが、森林伐採などでその数は減っているようです。

 ロシア極東、中国、北朝鮮に近い土地ではアムール豹が生息していますが、既に個体数が減って近親交配で奇形が続出しているそうです。

100324c  刺身や踊り食いをする日本人がこんなことを言ってはなんですが、”食べる”行為の残酷性から目を話さないのが中国人。”食う”という行為は生命を食して生命を維持する行為に他なりません。

 施設は高いコンクリートの塀で囲われていますが、場所によっては金網だけで、虎が逃げたりしないのか心配しますが、一面何もない畑が広がるだけで、「虎は身を隠せない」と言ってます。

 虎園では土産に虎のぬいぐるみなどを売っていますが、妙にリアルで目つきがきついのが気になりました。程なくして、日本の100円ショップに小さな虎のぬいぐるみやおもちゃが並ぶようになりましたが、顔つきを見て中国製とすぐにわかりました。

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女強人

2010年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国とのやり取りの中で「女強人」と言う言葉が出てきて、言わんとすることはなんとなくわかるのですが、明確には何を意味しているのだろう?○○さんの奥さんのことだろうか?と興味を持ちました。

 女強人は日本で言えばキャリアレディーの事を指すようで、仕事のやり手の女性ということです。漢字は奥が深い!と感嘆しながらも、もし、日本でキャリアレディーを女強人などと評したら大変な問題になっていたことでしょう。

 ”戦後強くなったのは女と靴下だけだ”なんてひどい言葉は今や誰も覚えていなくなったでしょうし、そんな言葉があったことすら知らない人たちになってしまいました。

 それにしてもキャリアレディーという曖昧な表現よりもなんとストレートで的を得た指摘だろうか。

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フランス語

2010年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 日米の政府間での合意を記す公文書はお互いの言語(日本語と英語)の書類の他、フランス語での書類を作るのだそうです。その理由はお互い言語の違いによる思い違いがないように、第三の言語で確認用の合意書を一部作っておくのだそうです。

 日本では英語と比べて馴染みの薄いフランス語ですが、世界では英語と並ぶ公用語。
 日本ではパスポートの名前の表記はそのほとんどが英語表記になっていますが、フランス語による表記ももちろん通用します。
 例えば、ロシア人のパスポートなど、名前の表記はフランス語表記のほうが多いかもしれません。日本では、フランス語表記をしたロシア人の名前を英語読みするため、カタカナにするとおよそ当人の名前と違う名前になってしまう例もあります。

 ドイツ語やロシア語や中国語は表記されたとおりに発音する言葉ですが、英語やフランス語は表記された文字と実際に発生する言葉が異なる言語で、日本語も多様な漢字も読み方などその部類に入ると思います。

 学生の頃第二外語でフランス語を学びましたが、発音で挫折しました。

 一世を風靡したエマニエル夫人のテーマソング。
 二番の歌詞は津軽弁ですが、フランス語に似てる?

「ぜぇにこっけえ かねねんだぁ あしだが~らぁ めしかいねぇ まんずけろ~ん どんでもいぃはんでぇ こんどだばぁ~ けせらびょ~ん」

{銭をくれ 金がないんだ 明日から 飯が食えません まず下さい どうでもいいから 今度ならば 返せるよ~ん}

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ロッポンギ

2010年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 春分の日か秋分の日はどちらかが天気が荒れるのが毎年の恒例ですが、今年は春分の日があれました。南風の強風が日本列島を襲い、飛行機の決行や、列車の遅れが相次いだようです。

 そんな中、お江戸に勉強に入ってきました。
 主に最近の上海事情などうかがってきました。黒い裏話もいろいろ聴くことができました。

 会場が六本木界隈だったので、帰りに仲間たちと二次回をということになり、幹事役が会場を押さえるので、時間を決めて「とりあえず六本木交差点に集合!」。
 六本木交差点と言うと有名な喫茶店のアマンダの前だな、と甘い認識でいたら、アマンダがない。アマンダと思われる場所に工事中のシートがかけられていました。
 私が知っている昭和の時代の風景とは随分変わっていたので、「ここでよかったんだっけ?」と自信がなくなりましたが、他の仲間もいるし大丈夫かな?ちなみにそのほとんどが関西から来た人たち。
 こういう時に余計に動き回ると、山なら遭難の元。じっと迎えを待っていました。

 居酒屋のワタミも六本木では「THE WATAMI」と横文字表記になるようで、注文をとりに来た店員こそ日本人でしたが、料理を運んでくるのがパキスタン人などの外国人。中国人観光客らしき団体が賑やかに騒いでいました。もはやカタカナでロッポンギ。
 時代が変わったんだなと感心しつつも、休日とは言え、日本人の数の少なさに驚きました。

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禁酒法?

2010年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 環境問題や健康問題。岩倉具視以降「錦の御旗」を掲げてその後威光で物申す人たちは胡散臭いものです。

 WHO(世界保健機構)はタバコをタ-ゲットに存在感を示してきましたが、世界的に禁煙が広まり、次にターゲットに目をつけているのはアルコールらしいです。

 明治37年から38年(1904年から1905年)にかけて、日本と帝政ロシアの間では日露戦争が勃発しました。この戦費を調達するために酒類に高額な税金をかけて以来、日本の酒税は世界でもきわめて高い部類になっています。

 ウォッカ飲んだくれ相手に戦争するのに、酒に税金をかけるという日本政府のアイデアもお笑いなら、その酒税で勝ってしまったのだから、なかなか粋な戦争でした。実際には高橋是清が奔走してモルガンなどのユダヤ系銀行から戦費をかき集めてきたようです。

 ともあれ、日本の飲んだくれから集めた酒税で日露戦争に敗れた帝政ロシアは、その後転げ落ちる石のようにレーニンの社会主義革命によって消え去ります。

 歴史というのは繰り返すのだそうで、実際血は流れていましたがチェコスロバキアが無血革命によって共産化し、無血革命によって自由化されたように、戦争による革命が行われた国は戦争による革命でその時代を閉じるのだそうです。

 ロシアの話題でウォッカがなくなれば普通の国になってしまうほど、ウォッカがらみの笑い話は多い国です。実際に出かけてみると破壊的なまでに飲んだくれている人間を見かけることはまずありませんし、日本の繁華街ほど酔っ払いの多い場所など世界のどこを探してもないでしょう。酔っ払って歩けることはあるいは安全の象徴なのかもしれません。

 かつてUSAで禁酒法が施行された時代に勢力を伸ばしたのは密造酒販売で財を成したイタリア系マフィアで、そのドン、アル・カポネも最後は脱税で逮捕されます。

 ゴルバチョフ時代禁酒令を出したらかえってウォッカの消費量がうなぎのぼりに伸びたそうです。この禁酒令の時代、今のエカテリンブルグでエリツィンらが音頭をとってご当地ウォッカの開発(密造)に成功し財を成しています。なんでも、まずくて評判だった当時の地ウォッカをパンの耳でろ過したら旨いウォッカができたとかで、ソビエト連邦解体後の新しい国家の礎はウラル山中でのウォッカの密造から生まれたようです。

 はたしてこれが密造なのかどうなのかはわかりませんが、私の知人にも自家製ウォッカを造っている人がいます。納屋にフラスコやガラス管やアルコールランプなどを組み合わせて化学の実験室のような蒸留システムを作り、砂糖水にパンに使うイースト菌を混ぜてウォッカを造っています。ソビエト解体直後の物不足の時には砂糖が手に入らずウォッカ作りの危機だったそうです。

 禁酒令の時代に密造酒が売れたものか聞いてみたら、そうでもなかったようで、「みんな自宅で作っていたからね」という返事でした。

 ソビエト時代、西のほうで禁酒法を出していた国があります。フィンランドです。今はサンクトペテルスブルグという名に戻った当時のレニングラードには、地理的に近いこともあって金曜の晩になるとフィンランドから酒飲みツアーがバスを仕立てて大挙して押しかけ、日曜の夜までホテルに閉じこもって、2泊3日でレニングラードのウォッカやコニャックを大量消費してくれたそうです。

 酔っ払いが集まるところにいつの間にか沸いてくるのが人類最初の商売といわれる娼婦達で、この連中がフィンランドからの酒飲みツアーに同行してレニングラードにやってきて、フィンランドの酔っ払い相手に荒稼ぎをします。

 貴重な外貨獲得のチャンスをフィンランド女に持っていかれてなるものか!許してはおけない!と、愛国心あるレニングラードの女達が祖国のために立ち上がり、ソビエトには法律上いないはずだった売春婦が生まれたという説がまことしやかに語られています。

 あるいはこのとき既に資本主義的な目覚めがソビエトに生じていたとするのなら、ソビエト崩壊の一歩は売春婦から踏み出されたのかもしれません。

 日本の酒税がきっかけでロシア革命に至ったのなら、フィンランドの禁酒法とゴルバチョフの禁酒令がソビエト崩壊の一脈を担っていたのかもしれません。

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砂漠

2010年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 鳥取の砂丘では雑草が砂丘を侵食し、このままでは砂丘を維持できなくなると雑草駆除に苦慮しているそうです。外来雑草の増加や地球温暖化などの懸念はありますが、世界が砂漠化に向けて突き進んでいる中、日本の植生の豊かさを感じさせます。

 中国はその国土の4分の1以上が砂漠化していると言われています。年々砂漠が広がる中国ですが、砂漠の足音は首都北京の100kmまで迫っており、このままでは北京が砂漠の中の城郭都市のようになってしまうどころか、水不足で人も住めなくなるだろうとさえ言われています。

 チグリス・ユーフラテス、エジプトなどの古代文明は何れも大河のほとりに誕生しました。エジプトは「ナイルの賜物」と言われるように、川が氾濫して肥沃な土を大地に運び上げ、農耕が成り立ち、多くの人々が住むことができました。こうした古代の文明も砂漠化によって姿を消して行きます。

 黄河文明以降も文明を維持し続けた中国ですが、いよいよ砂漠化によって終焉を迎えるのでしょうか?アジア人特有の自然との融和の生活も、ライン川のほとりで生まれた19世紀の学者の思想を持ち込んだがために砂漠によって裁かれています。

 砂漠と言うと砂だらけの大地を連想してしまいますが、岩盤がむき出しになっていたり、栄養価のない表土がむき出しになって草木が生えていないような土地が大半です。

 中国の代表的な砂漠にはタクラマカンとゴビがあります。ゴビは本来砂漠と言うよりも、草原といった方がよいかもしれません。北方の遊牧民が遊牧のために樹木を焼き払い家畜が食べる草の大地にしたもので、本来のゴビは草原でした。

 ゴビを本当に砂漠化してしまったのは共産党中国で、遊牧民を駆逐するために農民を移住させ、草原を掘り返し耕地にしたり、黄土を日干し煉瓦にして家を建てたり、表土を失った大地は一直線に砂漠化へ向かってしまいました。モンゴル国に入ると定住をしない遊牧生活のままですので、ゴビは様相を変え草原の姿を保っています。

 タクラマカンはもっとも砂漠らしい砂漠でここは共産党中国以前から砂漠でした。タクラマカンとはウイグル語で、「一度踏み込んだら二度ともどってこられない」と言う意味があるそうです。

 現在、新たな砂漠となっているのが北京の西の黄土高原で、山と谷が連なる山地です。元々は森林地帯だったのですが、樹木の伐採をしたために雨が降るたびに表土が流れ出たり、土砂が崩れたり、山は次第に生命力を失って黄土の砂漠となっています。

 黄土高原には黄土の斜面に穴を掘り洞窟住居を作って生活している人たちが今もいます。一年中中の温度が安定していて棲みやすいようです。

 農民や山で暮らす人たちは森林や自然の生業を知っているので、このままでは天災をもたらすと伐採した森林の後や、畑の隅などに柳など根のつきがよい樹木を挿し木したり、木を植える農民がいたようですが、文化大革命の頃は共産党から「ブルジョア的趣味だ」と非難され逮捕されたり拷問を受けたそうです。

 なんと愚かしいまねをと思いもしますが、所詮人の頭で考えることなどその程度のもので、情けない限りです。共産どころか共同破壊主義のようなものでした。

 今、国を挙げて一生懸命植林していますので、50年か100年後にはその結果が出ると思います。楽しみにお待ちください。

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クロマグロ

2010年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 地中海産のクロマグロの輸出禁止をめぐるワシントン条約会議で、一応この案件が否決されました。環境問題に対して過剰な感もありますが、真摯に向き合わなければならないと感じました。

 私が小学生で江ノ島方面に就学旅行に行った昭和40年代後半。修学旅行の事前勉強で、「刺身の食べ方」がありました。海から遠い土地でしたから、クラスの2割程度が海を見たこともなければ、刺身を食べたこともなかったので、先生が写真を見せて刺身の食べ方を説明しました。
 近くの商店で簡単にマグロの刺身が手に入るようになったのが昭和50年代になってからで、それまではマグロの刺身など予約注文製でした。

 押しも押されもせぬ高級魚のマグロが身近になったのは冷凍技術の進歩や、円ドルレートの固定相場制から自由相場制切り替えで円が強くなったことによる外国からの買い付けが増えたためでしょうが、手ごろになりすぎて粗末にしていなかったか?振り返りたいものです。
 いつまでもあると思うな・・・・・ではありませんが、見直すことは多いということでしょうか。

 カムバック・サーモンの掛け声と共に、人工孵化したサケの稚魚を放流することが流行した時代がありました。サケが遡上する南限は利根川と言われていますが、それより南の多摩川などでサケを放流し、数年後に戻ってきたと大喜びしていたニュースを記憶しています。はたして今はどうなっているのだろう?
 当事はサケの放流が自然破壊の一環をになっているなどと誰も思わなかったようですが、必要以上に増えた日本産のサケが勢力を強めたために、アラスカやロシアのサケが激減すると言う事態を招いたことがあります。

100318  将来的にはクロマグロの完全養殖も可能になることでしょうが、その餌になるニシンなどの魚が乱獲されてまた大きな問題になるのでしょうね。

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女性の権利?

2010年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 世界中どこでも女性は男性より長生きするものとされています。例外とも言えるのはインドやバングラデシュで、最近でこそ政府が食糧問題や衛生問題などに取り組んで男女の平均寿命が似たくらいになりましたが、インドやバングラデシュでは女性に平均寿命の方が短いとされています。

 子供が親の面倒を見るのが慣わしの国では子供が多ければ多いほど、親の老後も安泰し豊かになるとされています。そのために女性は体力の続く限り子供を作り結果的に人口が暴発し国が貧困になり、国が貧困になれば望みを託すために子供を作ると言う悪循環に入るようです。

 日本でも「産後の肥立ち」と重要視されていますが、いわゆる途上国では栄養不足で産後の肥立ちさえ望め、出産翌日から働かされる不憫な女性も少なくありません。そのために女性の体に無理が生じたり悪くすれば出産の体力もなく死んでしまう女性も多いようです。

 多産系の国での共通する特徴は女性の地位が低いことで、女性(嫁)は子供を産むための道具でしかないといった扱いがいまだに残っています。だめになれば次の嫁と、まるで家畜のごとき扱いをされています。

 中国も同様の道のりを歩んできた国で、今でも地方農村などに行けばその片鱗が見え隠れしています。政府が強権発揮して少子化政策を推し進め、産児制限をしてきたにもかかわらず人口が増え続けているのも、制限のゆるい農村部の影響と、まだ多産時代に生まれた者たちが親になる年代が続いているからです。

 中国では一人っ子が当たり前と思い込んで接していると、農村出身者で兄弟姉妹5-6人は当たり前でびっくりしたものです。最近は少子化政策以後の世代が多くなったので、大家族も珍しくなりました。

 全体的に平均寿命が延びている中国ですが、少子化政策以降女性の平均寿命の伸びは著しいようです。

 鮭のように一度繁殖して死んでしまうなら渋谷や新宿は男たちの死体であふれ、子供を産まない女性が長生きして平均寿命に大きな較差が出ることでしょうが、果てて死んでいく男は惨めでしょうね。

 日本にいると出産=女性差別と位置づけるフェミニストの言葉が胡散臭く見えてしまいますが、世界の実態としてはありえることです。

 とはいえ、少子化が将来の不安を加速させている今の日本やロシアが、女性の権利があって健全だとは思えません。子供を産む=女性の義務、子供を産まない=女性の権利と線引きするのはあまりにも安易過ぎるような思いです。

 日本の少子化の要因には子供の将来に対しての不安感もあるようですが、将来は子供が自ら切り開いていくもので、親の世代が不安のあまりその土台を崩しているようにも感じます。そういえば、総理大臣もマザコンでしたな。

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