のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

端午のタンゴ

2022年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 4月も終わりますね。今年も三分の一が終わった。でも何の変化もない日々です。

 端午の節句が近付いた時期なのでタンゴの動画を見てました。

 無差別級男女混合格闘技ですな。会場は日本舞踏館だろうか?全日本柔道選手権のビデオ見たばかりですから。

 私は密着技は得意じゃなかったので、出来れば離れて懐に潜り込む担ぎ技の方が好みなのですが、いきなり、ここで袖釣り込み腰!と言う場面が出てきます。内股払い腰のチャンスも何度かあるのにそこで投げないで大外刈り小外刈りの攻防の連続。あ!足がそろった!ここで送り足払い!でも、そこをしのぐ。

 なかなか受け方も巧みです。相手が背負いに来たところを背後で抑えて、ここから裏投げ!一本取れなくても関節技に移行出来る!それもしのいで試合終了。もう少し時間があれば肩羽締めで落とせたのに。

 見事な攻防でしたが、柔道の基本が出来ていれば試合時間内に一本取れたはず。実に惜しい試合でした。

 重量級のタンゴの試合なんてあったら見応えあるだろうな。

 昔ね、ダンスやったことがあるんですよ。嫁とですけどね。主にワルツで。

 でもね。ついつい投げ技が出ちゃうんですよ。白熱してくると。初めのうちは足が絡んじゃった!って笑ってたんですけど、たび重なると当然怒りますわな。柔道なんかやるんじゃ無かったって後悔役立にたたずで、相変わらず野暮なこと繰り返してますけど、組み手がない日本舞踊の方がいいですね。安全で。

 タンゴですかぁ。

 京都の北部でしたな。

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柳波祭

2022年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 こんなご時世でも開催された沼田の柳波祭に行ってきました。うみはひろいなおおきいな、や、お馬の親子は…ポックリポックリなど大正から昭和にかけて活躍した童謡作詞家の林柳波にちなんだお祭りで、柳波は沼田の出身です。

 ほとんどシャッター街と化した沼田の本町通りも再開発の最中で、この何年か通ったこともなかったけど、久しぶりに歩いてみました。

 音楽ブースでは女子高生がギター弾きながら歌ってましたが、あいみょんって誰?

 知らない歌手の歌ばかりでした。

 別のプライベートブースではおじさんたちがチューリップや、かぐや姫や、アリスなどの歌を歌っておりましたが、このあたりならわかる。思い切りよく知っている。この時代からさかのぼればよしだたくろうの結婚しようよだろうが、岡林信康の山谷エレジーだろうが、田畑義男のかえり船だろうが、近江敏郎の湯の町エレジーだろうが、影を慕いてだろうが、弾き語り曲ならおおむねわかる。

 あいみょんって誰?

 山登りの先輩宅で、お江戸の著名なお寺の副住職にお目にかかり、いろいろお話を伺うことができました。

 いわゆる、ひとつの尼さんと呼ばれる女性僧侶ですが、この先輩のいとこにあたります。こちらではあまりなじみがない浄土宗の僧侶で、考えてみれば法然と言う人は画期的な宗教改革を成し遂げた人物。

 それまで、貴族や武家など一部の特権階級のものだった「往生」を南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも極楽に行けると解釈した人で、女性でも極楽に行けると説いた人物です。

 あの空海だって女人高野と言う場所までしか女性は入れなかったのを、みんな一緒!とやっちまった人です。

 このあたりの話、この冬、スキー場でネパール人と話したことがあるのですが、ヒンドゥー教のネパール人も上座部系仏教徒のネパール人も、女性は天国には行けないので男に再生して生まれ変わりまた修行する。と言うようなことを言ってました。

 男だけの天国なら、行ってみたいと思う?と、聞くと、う~~~んと、首をかしげて、答えに詰まってました。

 法然ね。また文献あさって見るか。

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アクティビティ

2022年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 アクティビティ。活動的ってことかな?

 このところ私の生活に欠けているような気がしないでもない。仕事しているか家に引きこもって本読んでいるかの生活だけど、活動的に外に出る気になれないのは、ガソリンが高いからだ!

 連休は旅に出て新しい発見や遭遇をする。ディスカバリー・ジャパン!昔の国鉄のスローガン。そこには当然出会いがある。ご当地ラーメンとの。

 なんてロマンチックなことを考えては見るものの、人が集まるようなところには行きたくないので、畑で野良仕事している方が活動的だ。

 そもそも、リゾート地なんて混雑するところに貴重な休日つぶして出かける人の気が知れない。むしろ、お出かけして人が少なくなった都市を攻めるのが連休対策としては有意義なのでは。お江戸もラーメンの宝庫だ。古本屋巡りもしてみたいし。

 アクティビティなスポーツ。ラフティングだとか、スキーだとか、クライミングだとか、サバイバルゲームなんだとか。危険を伴うのが誠心の活性化につながるのだとか。

 馬鹿か?と思いましたよ。毎日大木の下敷きにならないか?気にしながら山仕事しているのに。誰かが確保した安全に乗っかって楽しんで、何が面白いんだ?

 アフガニスタン、コソボ、イラクなどカメラ持って行ってきましたよ。塗料の入っていないなまりの弾丸が飛び交ってましたよ。

 クライミング?ヒマラヤにも行きましたし、ヨーロッパではマッターホルンとアイガーの北壁登ってきましたよ。上からザイルなんか下りてなかったっすよ。スキー?整備されたスキー場で滑っていて楽しいの?

 今までが今までだっただけに妙に否定的になってしまう。燃え尽きたのだろうか?

 もはや、旅にいざなうのはラーメンだけか。

 けふもまた ラーメンの鉦を鳴らしつつ うち慣らしつつ あくがれて行く 牧水

 願わくば ラーメン食って春死なむ その如月の望月の頃 西行

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Göttingen

2022年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 Unis Pour L'Ukraine ウクライナのために一つになるべぇじゃねぇの!って、崇高なプロパガンダを持ったコンサート。

 グルジア出身のピアニスト、カティア・ブニャティシビリが出てました。胸回りを強調してますが、どちらかというと技巧派のピアニストで、濃厚な巨乳は嫌いの私としてはビジュアル的にはちょいとご遠慮したいけど、彼女の演奏するピアノは大好きです。ピアニッシモの出し方がすごくうまいんですよ。打弦を感じさせず音が起き上がってくるような弱音の出し方。

 カティア・ブニャティシビリ、今はグルジアを離れてパリで生活しているみたいです。

 当然、クラシックを演奏するものだろうと思っていたら、シャンソンのGöttingenゲッティンゲンの伴奏。しかも歌うのがカーラ・ブルーニ。

 え?なんなのこれ?

 カーラ・ブルーニと言えば、おフランスのサルコジ大統領の元奥さん。そう、元ファーストレディー。それ以前もエリック・クラプトンとミック・ジャガーの間を行ったり来たり、そこにトランプさんまで関わっていたよく言えば恋多き女。悪く言えば下半身のだらしない色ボケおばちゃん。

 当然歌は下手だけど、ピアノがいいんだわ。なにげにC.BECHSTEINのロゴ。ドイツのピアノですね。こんな甘い音が出せるんだ。と、感動しながら聞き入ってしまいました。

 おフランスの行事らしいのですが、ことさら大きくうつるドイツ製ピアノ、ベヒシュタインのロゴ。これも伏線の一つなんだろうな。と、背景を考えつつ聴くゲッティンゲン。

 この歌、私が大好きなシャンソン歌手バルバラの作った歌なんですね。97年の11月に67歳で亡くなっちゃいましたが、あの年は6月にソビエトの吟遊詩人ブラート・オクジャワも亡命先のパリで亡くなった年でした。

 フランスとドイツはご存じの通り第二次大戦で戦っていた間柄でしたが、バルバラが1964年にドイツでコンサートをするときにBien sûr ce n'est pas la Seine Ce n'est pas le bois de Vincennes Mais c'est bien joli tout de même À Göttingen, à Göttingen (もちろんそれはセーヌでもなくヴァンセンヌの森でもないでもそれはまったく同じように美しいゲッティンゲン、ゲッティンゲン)と、ドイツのこの街もパリと同じく美しい町だよ。と称えた、当時としては画期的な歌で、独仏和解の歌なんて言われたんですね。

 バルバラはクールな表情で、ピアノを弾き語りするシャンソン歌手でした。ユダヤ人の父親とウクライナ人の母親の間に生まれたフランス人ですが、大戦中はナチスからの逃亡生活をしていたそうです。そのバルバラが憎きドイツのゲッティンゲンという町を賛美する歌を作ったのですから画期的でしたが、妙にこのあたりを韻を踏むように練られたキャスティングを感じます。ロシアに蹂躙されたグルジア人のカティアをピアニストとして招聘していたり、ピアノにベヒシュタインを使っていたり、プロデュースの巧みさを感じます。が、なんでカーラ・ブルーニが出てくるの?背景のウクライナ難民の写真に馴染まない。なんで彼女をキャスティングしたの?そこんところだけよくわかんない。

 そして、この歌の最後はこう締めくくられています。

O faites que jamais ne revienne
Le temps du sang et de la haine
Car il y a des gens que j'aime
À Göttingen, à Göttingen

ああ、血と憎悪の時代が決して戻って来ませんように 

私には愛する人がいるのだから ゲッティンゲンに ゲッティンゲンに

Et lorsque sonnerait l'alarme
S'il fallait reprendre les armes
Mon cœur verserait une larme
Pour Göttingen, pour Göttingen

そして警報が鳴り再び武器を取るようなことになれば

私の心は一粒の涙を流すでしょう ゲッティンゲンのために ゲッティンゲンのために

 

 なんだかねぇ。しびれちゃいますねぇ。静かな反戦歌だなぁ。じんわりしみこむなぁ。考えさせられるなぁ。

 日本じゃ出来ねぇだろうな。

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Там нет меня

2022年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 午後から雨模様だったので、午前中に汗まみれになって仕事を片付けましたが、右掌の感覚がおかしくなってきました。水分たっぷり取って無理をせぬようにしましたが、脳梗塞から7年。まだ後遺症にさいなまれています。

 ぎっくり腰の後遺症は出なかったのですが、腰の不具合には先日いただいたインド製バイアグラがあるので強気で仕事が出来ます。あんなもん飲むくらいなら腰痛に堪えてやる!

 お昼は食堂で焼き魚定食食べていたんですけど、テレビの報道番組で出てくるロシア語に妙に神経質に反応してしまいます。え?意味がよくわからん。ってのは概ねウクライナ語なんですが、ウクライナも東の方の言葉はロシア語に近い感じで意味が聞き取れる。

 そもそもこの何年もロシア語には接しない生活していたのですが、この1ヶ月少々、やけに過敏に反応してしまうようになりました。なんとか鈍感にならねば。

 Там нет меня 私はいないという意味ですが、ウズベキスタンのセバラの創唱が好みです。

 失意のズンドコのような歌ですが、当初は失恋の歌かと思ってたんです。このところちょっと受け止め方が変わって、案外余命幾ばくもない人の遺言かな?と、感じるようになりました。

 戦争騒ぎが収まると今度はどんな受け止め方に変わるのだろう?

Там нет меня,
Где на песке не пролегли твои следы,
Где птица белая
Где птица белая в тоске кричит у пенистой воды,
Я только там,
Где звук дрожит у губ желанной пристани
И где глаза твои стрижи,
И где глаза твои стрижи скользят по небу пристально.

 私はいない あなたの足跡が砂の上にないとき 白い鳥が水しぶきを上げるとき

 私はそこにいるだけ 唇を震わす希望の港に そしてあなたは見つめている 空を滑るツバメを

Там нет меня,
Где дым волос не затуманит белый день,
Где сосны от янтарных слез,
Где сосны от янтарных слез утрет заботливый олень.
Я только там,
Где ты порой на дверь глядишь с надеждою,
И как ребенок с детворой,
И как ребенок с детворой ты лепишь бабу снежную.

 私はいない 白い日に照らされ風になびく髪 優しい鹿が松の幹から流れる琥珀色の涙を拭うところには

 私はそこにいるだけ 時折あなたが希望を持って見つめる扉に そして、あなたが子供のように雪だるまを作っているところ

Там нет меня,
Где пароход в ночи надрывно прогудел,
Где понимает небосвод,
Где понимает небосвод, что без тебя осиротел.

 私はいない 汽船が霧笛をならす夜 大空があなたがいないと独りぼっちになると知っているところ
Я только там,
Где нет меня - вокруг тебя невидимый.
Ты знаешь, без тебя и дня,
Ты знаешь, без тебя и дня прожить нельзя мне видимо.

 私はそこにいるだけ あなたの見えないところに あなたは知っている 私があなたなしでは一日たりとも生きられないことを

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センスが違うから

2022年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 リンゴの花が咲き始めました。

 例年なら今頃桜が満開で、リンゴやサクランボの花は連休明けなんですが、今年は異様に早く咲いてます。昨年は連休明けに氷点下の寒波が来て、開花していたサクランボは壊滅。リンゴも大きな影響を受けました。

 今日は夏のように暑くて、半袖で過ごせました。

 リンゴと梨の花が咲いていた。川面には朝霧がかかっていた。

 カチューシャという歌の直訳です。

 ああ、副反応が出て大変だって奴ね!いえいえ、それはカチューシャじゃなくてお注射です。

 元々はエカテリーナという女性の名前で、通常はカーチャと呼びますが、親しい仲ではカチューシャという呼び方をします。よくよく見知った間柄でもなければ使わない呼び方なので、カーチャが無難ですが、日本人が発音するとカーシャ(お粥)に聞こえるようです。

 中学校の合唱の時によく歌わされたカチューシャですが、元々はソ連の軍歌なんです。国を護る兵士の元に恋人のエカテリーナちゃんからのお手紙が届きました。なので、一生懸命がんばりましょう!と言う応援歌なんです。

 そのため、イントロは不安をあおるようなメロディーが奏でられるのもセットになっているんです。

Катюша

 ソビエト崩壊後のロシアには国歌があることはあったのですが、歌詞がない。なので、このカチューシャを国歌代わりに歌って仲間意識を高めていた時期もありましたが、20世紀末には旧ソ連国歌の歌詞を変えてロシア国歌にしてます。

 日本にはシベリア抑留者が持ち込んだ歌だと言われてますが、歌声喫茶を中心に広まったんでしょうね。この歌、ドイツ語版なんかもあって、ドレスデンのビアガーデンでオヤジ達が歌っているのを聴きましたが、ドイツ語の響きで歌われると軍歌です。

 第二次大戦中にソビエトご自慢のミサイルだったかにカチューシャと名付けて、それに引っかけてこの歌を流布したと言われてますが、こういうのに女性の名前をつける感性ってのはちょいと違いますね。大陸間弾道弾佳子とか、新型水素爆弾幸恵なんて日本人には思い付かないネーミングですね。

 USAのオスプレイだって日本で言えばみさごですよ。みさごといえば、仕事帰りに「たまには一杯やってかない?みさごで。」ってホッケの干物を魚に熱燗飲む居酒屋ですよね。

 空母にロナルドレーガンなんて大統領の名前つけちゃったりする感覚もちょっと異なる。海上自衛隊のイージス艦に菅直人なんてつけちゃったら、自国に向けて攻撃するような戦艦になってしまう。

 センスが違うんだから理解しがたいことがあっても、それはそうかな?

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バイアグラじゃねぇか!

2022年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 日曜ですが天気次第で仕事をしようかと思ってましたが、何やら怪しい天候なので見合わせました。

 朝、ストーブで暖まりながら30分ほどうたた寝してしまいました。

 幸せな夢を見て目が覚めたのですが、何が幸せだったのかは思い出せない。でも、幸せホルモンのセロトニンが分泌されてとてもいい気分の夢だった気がしてなりません。身体が汗ばんでいたのはストーブのせいではなさそう。これを思い出せないって悔しいので、断片を拾い出してみるのですが、山の中の沢で新種の魚を発見した夢で、なぜかそれがマグロで、陸封型のマグロであることがわかります。

 これがなんで幸せなのかはわからないけれど、妙に心地よい夢だったようです。

 そもそも山奥の沢に巨大なマグロが住み着いて餌は何を食べているのか?なんて現実的なことはさておき、ヤマメの降海型がサクラマスでイワナがアメマス、アマゴがサツキマス。このくらいのことはわかってます。逆にウナギのように海で生まれて川に戻ってきてまた海に帰る種類もいます。

 マグロは群れで海の中をさまよっている回遊魚で、好物はイカの刺身。およそ山の中で暮らせるようなタイプではありません。

 私なんか陸封型の人間ですが、これで結構世界各地を旅してきたから回遊してきたのかな?サケなら繁殖のために故郷の川に戻ってきて一発やって死んじゃうのだけど、故郷、高齢化著しくて繁殖どころじゃないですからね。ようやくお迎えの順番の列に並んだところかな?

 午後、登山の先輩の家に行きました。面白い本を見つけたというので借りてきたのですが、ウクライナ問題の話になりました。15年くらい前ですが、嫁の友人だったウクライナの陶芸家をこの先輩の家に連れて行ったことがありました。ちょうど、嫁の一周忌の日でした。

 「彼女、今どうしているのかな?」ときかれたのですが、キエフに帰ってから連絡が取れない状態です。無事でいるといいのですが、回遊魚型外国人で各国を回っている人なので、願わくばキエフを出ていると安心です。ロシア系ウクライナ人だったので難を逃れていることを願うばかりです。

 「俺たち世代が学校で習った頃は、ウクライナが小ロシアで、ベラルーシが白ロシアって地図帳にのってたよな。」と、言われて、確かにそうだ。小ロシアなんて呼び方されていたな。なんてことを思い出しました。「あんとき、ウクライナと言われてどのあたりだか思いうかばなかったんだけど、中学の時の地図帳開いて、嗚呼、なるほどね!って発見したんさぁ。」まさか、スリランカがセイロンで、ミャンマーがビルマで、バングラデシュが東パキスタンだった時代の地図帳ですか。うん。この名称変更の頃、私は小学生だったけど。

 戦争が起きて儲かるのは武器商人とマスコミとフォークシンガー。そろそろフォークシンガーが出てきそうな気がするけれど、今時音楽に耳を傾ける人もいないですしね。

 夕方にかけてぎっくり腰患った腰に痛みを感じるようになったので、「そろそろ雨が降りますね。」と言った程なく、降りの良い雨空になりました。

 「腰に良くきくいい薬やるよ。」と、飲み薬を貰ってきました。「ジェネリック薬品だけど、一錠飲むと効き過ぎるから、半分にして口の中で溶かしていると、腰がビーンと伸びるぜ。すぐ効くから土壇場で服用するんだぜ。」そいつは有り難い。ロキソニンより効くのかな?

 カマグラ。御仏なれど釈迦牟尼は は、与謝野晶子だったな。でも、朴念仁アンテナが危険を示している。

 英文の説明書読んでみると、え?これが腰痛に効くの?ネットで調べたら、インド製のバイアグラ。

 やっぱ山ヤだ。人の不幸を蜜の味としている種族だ。腰痛の時にうっかり信用して飲んだら大変なことになっていたかも知れない。

 森の中で腰回り55cmのナラの木の下敷きになって腹上死ならぬ腹(幹)下死するハメになっていたかも知れない。チンチンたたせたまま。これならボラギノール塗っていた方がまだ安全だ。

 それにしても、70近くになってこんなもん飲んでまで奥様のために奉仕するその意欲。大変勉強になりました。が、独り者の草食系未亡人生活をしている私がこんなもの持っていてもどうすりゃいいんだ?無用の長物?

 でも、出来ることなら試してみたい。

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新境地

2022年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 タンメンの麺無しを作ってみました。

 汁無し担々麺とか、スープに入っていないラーメン類が出てきているのだから、麺のないラーメンがあってもいいではないか?と、試してみたのですが、野菜スープとどう違うの?と問われると、さぁ、いかがなもんでございましょう。

 冷蔵庫の中の残った野菜を噌味シャンタンで味付けして、当初はね、八宝菜にしようかと思ったんですけど、残り物野菜やたらぶっ込んで、量が多いもんだから水入れ過ぎちまったので野菜スープでもいいかな?でも、なんかそれじゃ芸がないわな。

 そうだ!タンメンにしよう!と思ったものの、麺がない。ならば麺のないタンメンでいいじゃないか!

 と、言うわけでラーメンのどんぶりに野菜だらけのスープを入れて、タンメンを食べるつもりで食べてみた。

 タンメンだって上に乗っている野菜を食べてから試合は始まるので、ここまでの心境は同じです。そろそろ麺をいただこうと、どんぶりの中に箸を突っ込んで麺を探すのですが、ありません!出てくるのは野菜ばかり。当然だけど。

 そのうち麺が出てくるのかな?と、期待しつつ、麺無しタンメンをたいらげました。

 そんなわけで、炭水化物なしね。

 実質、野菜スープなんですが、気分的にはタンメン。ちょっと物足りないかなぁと思いつつも、野菜スープだったらご飯などが欲しくなる。でも器をかえてこれはタンメンだと思えば、中途半端な満足感ですが、なんだかこれで一食成り立ってしまった感がある。

 新たな境地を発見した思いです。

 

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牛さんが・・・

2022年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 前夜から降り続いた雨が夜明けにはやんだので、日の出と共に山の中に入りました。

 軽く一仕事して、チェーンソーの歯を研いでいると森の中を何やら黒い生き物が歩いてきた。

 熊?

 でも、熊って角が生えてるもんだべか?

 和牛だ!

 何でこんな山の中に和牛がいるのだろう?山の中で熊に出会ったときの対処法はいろいろシミュレーションしているが、和牛に遭遇した場合の対処法はちょっとね。やったことが無い。

 和牛、性別はメス、年の頃なら4歳くらい。角から判断すると鳥取あたりの気高系経産牛。鬼滅の刃の炭治郎なら花札のような耳飾りをしているが、この牛には「No12」と入った黄色い耳飾り。ダニよけ効果があるゴム製ですね。鼻には真ん中にピアスのような丸いリンクがつけられているおしゃれな牛さん。多分妊娠している。出産まであと2ヶ月程度かな?なんでこんなことまでわかるのだろう?そうだ!私は家畜人工授精師だった。

 和牛繁殖農家の知人に電話して、心当たりがないか?と聞いてみると、程なく山の下の地区に住む農家の牛が家出したことがわかりました。とりあえず迎えが来るまでにどこかに行かないようにと、この牛、私の作業場所で座り込んでいるのでロープを持ってそろりそろりと近付きました。

 人慣れしているので立ち上がって逃げる様子もなく、視線の前に立たないようにこっそりと隣に寄り添い、昨今のウクライナ情勢などを話しながら何気なくやんわりと顔にロープを巻き付けてタテゴと呼ばれるマスク風の結び方をして木の幹に縛り付けたのでこれで逃げられない。

 身重の牛さんがなぜこんなところに出てきたのだろう?そりゃぁ、人間やっているのだって辛いのだから牛さんにも牛さんなりの事情があるのでしょうが、「モー!」と何度もつぶやいてました。

 私は嫁が外国人だったらから「モー!」はあまり縁がない生活でしたが、夫婦生活営む中でかみさんの「モー!」に振り回される夫の心境はよくわかる。とは言え、身重で家を飛び出してくるのだからよほど堪えきれない事情があったのでございましょう。と、聞くと、もぐもぐ口を動かしながら反芻してました。

 まぁしかし、気合い入れて夜明けから仕事していたのに、牛さんのおかげですっかり仕事にならなくなってしまった。

 考えてみれば牛さん、子牛を産むためだけに存在しているようなもので、その子供だって生まれて程なく市場で肥育農家に売られてやがてビフテキになってしまう。理不尽で堪え切れぬこともあったでしょう。フェミニストの上野千鶴子先生にでもご相談されたらいかがでしょうか?

 とは言え、雌牛に生まれてきて、案外あんた幸せだったかも知れないよ。オスなんてごくごく一部の種牛にならなかったら鍋のなかですよ。その選ばれた雄牛だって家畜改良事業団の擬雌台(ぎひんだい)と言う木製の台に雌石の毛皮貼り付けた、一種のラブドール見てぇなもんだな。それに乗っかって、チンチンに筒巻かれて電気ショックで精液採取されて、「ブフォ~」と深い溜息と共に、バカなことをやってしまったと後悔するような哀愁を漂わせる日々。肉付きの良い子供が出来るかどうかわかるまで絞るだけ絞られて生涯を終わる。

 「自然の権利!」なんて暴れている連中は牛さんの儚い生涯など顧みもせず牛丼を食う。概ね輸入牛ですが。

 とは言え、「モー」と嘆いていても何が変わると言うことでもない。ここは一つ家に戻ってやり直してはいかがかな?などと説得していたら、家を飛び出した女房迎えに来るような情けない顔で、農家のおやじさんが山に上がってきました。

 牛小屋の柵の鍵閉め忘れていたそうです。

 農家のおじさんに手綱を握られ、「モー」といいながら牛さんは山を下りてゆきました。

 めでたしめでたし。

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タイミング

2022年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 どんよりよどんだ曇り空でした。

 解体した足場の材料を運びを頼まれてダンプに乗って出かけました。足場パイプなどを荷台に積み込んで「濃いお茶」を飲みながら10時休みをしていると、ご近所の猫がやって来ました。お茶菓子にブルボンの味ごのみを食べていたので、小魚とエビせんべいをお裾分けしました。

 ロシア軍に制圧されたかも知れないウクライナ東部のマリウポリ。ウクライナの猫も大変な思いをしていることでしょう。と、伺うと。

 ニャン!

 と、答えました。

 つい最近までは家族が仲良くバンドゥーラを奏でながら歌っていたのに。今はどうなっているのだろう?と、考えると、辛いですね。

 昼過ぎから山に戻りましたが、昨日目をつけておいたタラの芽がなくなっている。

 もう一日待った方が大きくなるな。と、昨日はとらず、今日天ぷらにしようとうどんを用意しておいたのですが。

 素うどんになりました。

 タイミングって全てですね。

 案外うどんがなくなった頃にタラの芽がとれたりするもので、えてして世の中そんなものです。

 明日の獲物は浅葱か?山菜狩人の心は折れない。

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相応の歳ですから

2022年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 昔の登山仲間から電話がありました。とても人柄がよい人で、私が脳梗塞を患った時「山廃」と入った日本酒を送ってくれました。山ヤ、こういうジョークが好きです。

 しかしながらよくよく考えてみると、私が脳に血栓を詰まらせたのもこの人と交差縦走したことが原因で、登山と言うよりトレイルランニングで70kmの山道の入り口と出口にお互いのクルマを置いて、途中で出会ってキーを交換。そのまま縦走完結して相手のクルマに乗って合流地点に。

 の、予定だったのですが、この人が半分も行かないうちに力尽きて、途中でエスケープ下山すると言うので、こっちは必死にそこまで走って行き、クルマのキーを受け取り、彼のクルマがあるゴール地点に向かうこと合計11時間。なんとかたどり着いて彼をピックアップして、自分のクルマの場所まで戻り、その日のうちに家まで帰ってきましたが、寝て起きたら指先に違和感と言葉がうまく出なくなっていた。

 ヤバイ!と、脳外科に駆け込んで「脳血栓起きてますね。」と1年間の治療をせねばならなくなった。いまだに四肢に支障が残っている。

 彼も、3年前に心臓にカテーテルぶっこむ改造手術をしたそうですが、血流が良くなって体が温かくなり、「冷え性が治った。」と、喜んでますが、過酷なことはできないのだとか。

 最近は登山から離れて、河原で野外料理作って、クルマで寝泊まりが余暇の楽しみだったそうですが、コロナ禍でキャンプブームが起きており、のんびり野宿もできない昨今。家庭内にも居場所がないので、息を抜ける場所がないのだとか。

 お江戸住まいなので、都心の緑あふれる公園に行けばそこで野外生活している人たちがいるので、この連休は青いビニールシート持ってそこで生活してはいかが?と、アドバイスしましたが、「それが本業になってしまうかもしれない。」と、笑ってました。

 住所不定、ホームレスの企業役員なんて、トレンディードラマになりそうな気もします。

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連休は

2022年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 今年のゴールデンウィークは高速道路の充実割引が適用されないのだとか。

 このどさくさを利用してNEXCOが荒稼ぎする気だな。根性がきたねぇ。

 とりあえず今のこと露お出かけの予定はないので、高速道路は影響しないのですが、衝動的に出かけたくなる。昨年は喜多方にラーメンを食べに行くことを思い付いて出かけたら、近所で葬式が出来てしまって戻ってくることになってしまった。

 ゴールデンウィーク、ラーメンを気にしつつも家でやらねばならぬことがある。小説「猫と座敷童」の続きを書いたり、紙出版に向けての編集をしたり、本当はこの冬やっておく予定だったものがいまだに手をつけられていない。創作はなかなか心のモードが切り替わらないので、ミューズの女神が下りてこない。

 どうなるかわからないけれど、連休中は極力人と会わないよう家に引きこもってデスクワークをしよう。

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36歳だって

2022年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 スウェーデンとフィンランドがNATO加盟か?ロシア目線ならNATOが迫り来ているという見え方もしますな。てめえがやるときゃ気にしないけれど、やられると腹が立つ。そんなところなんでしょうね。 

 日本人は成功体験があると慢心する。これはノモンハンの戦いの前にソビエトが予測していたことで、日露戦争で勝っているからと関東軍は必ずなめてかかって手を出す。その時に反撃で。と、見事に策略にはまったわけですが、これ、近年の工業製造業なんかも言えるんじゃなかろうか?安い労働力目当てで海外依存して、いつの間にか半導体も満足に作れなくなっている。

 それにしてもムーミンの故郷フィンランドの女性首相。たいしたもんですね。まだ36歳。一国の首相ともなれば「女性だから」「若いから」はいいわけにはなりませんが、覚悟が出来ていますね。

 しかし、まぁ、36歳で一国の首相ですか。私なんか首相どころか近所の隣保班の役も回ってこないお気軽な身の上でしたが、そろそろ結婚考えた方がいいかなぁ、程度に社会的な責任には目覚めつつありました。この年代の同級生なんか、皆子育てで大変でしたよ。早い奴なんか中学生になる子供がいたりで、働けど働けど家庭に吸い取られてしまう年代でしたね。フィンランド首相と同じ歳の子供がいる奴もいる。もはや一国の首相の親の世代になってました。

 そんな中、独身貴族の顔ぶれは。。。。。。ろくなもんが残ってなかったっすね。やっぱ。今でも。

 何処で何が違ったんでしょうね?一国の行方がこの決断で大きく変わる。プーちゃんを敵に回すことになる分岐点で凜としているこの男らしさ。惚れたねぇ。

 おねえちゃん。何か困ったことがあったら葛飾柴又の寅屋と言う団子屋を訪ねておいで、ってなもんで、寅さんの気持ちになるねぇ。

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私のひとり旅

2022年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 私のひとり旅は 私の心の旅であり 自然を見つめる ひとり旅である

 若山牧水の大好きな言葉です。意外なことにこの歌碑は我が家から歩いて数分の所にあり、毎日この歌碑の前を通って温泉に行ってます。

 晴れでしたが腰痛が芳しくないので山仕事には行かず、越後国の松之山温泉に行ってきました。

 日本屈指の豪雪地帯ですが、例年、十日町の雪まつりの頃にお風呂に入りに行って積雪の光景も楽しんでいます。手めぇのところの大雪が降ればたまったもんじゃないけれど、他人様の大雪は風流を楽しめる。そういうもんなんですね。

 積雪は多いけれどこちらより暖かいので雪が消えるのは早い。こちらではようやく新緑が始まるかなぁ?の状態ですが、既にブナ林など新緑真っ盛りです。

 温泉の前に毎度おなじみの手打ちラーメンを食べるのもルーティーンで、温泉センターの鷹の湯の隣で年配のご夫妻が営んでいるラーメン屋さんです。

 このところ話題の新潟ラーメンと言うより、昔ながらのラーメンと言った懐かしく深い味わいが好きです。

 行った先行った先でラーメン食べていて感じましたが、豪雪地帯ってあっさり系のラーメンが多いです。コッテリしたものは暖かい地方に多い気がします。

 毎日温泉に入っていてこんなこと言っては何ですが、たまに入るよその温泉はまた違う治療効果をもたらしてくれるような気がします。異なる土地のエネルギーをいただいているのだから、そう感じるのかもしれないけれど、パワースポットですね。温泉。

 私の祖父母など、家の前に温泉があるのに、毎年納期が終わる頃と農業が始まる前に各地の温泉に当時に行ってました。祖父は本を十数冊持って、祖母は大正琴持って当時に出かけるのが通例でした。思い返すと、今の私より若い年齢でした。

 その頃の湯治場には自炊できる湯治場があり、宿で食事を自炊しながら2週間ほど骨休みしてました。

 金銭的にはともかく、豊かな時代だったんじゃないかな?風呂に入って寝っ転がって本読んでうたたねして、飯食ってまた風呂に入って。この退屈な時間を過ごせるのは心のゆとりかな?どうしても車で景勝地など見に行きたくなってしまいますが、精神がまだ熟成されてないのかな?

 ある意味、リゾートってそう言うことだと思うのだけど、アミューズメントがくっついてしまう。それを誤解して観光地が崩壊していく。

 ここにはまだ自炊できる旅館もあるみたいなので、一度ゆっくり湯治をしてみたいと思っているのですが、まだまだ心がなりきってません。いつも通りながら見かける蕎麦屋に張り付けられている教訓。ジャズ蕎麦屋らしいのですが、ついついラーメンに足が向いてしまうので、ラーメン屋が休みの時にでもと思っているのですが、不良中年十五条。

 もはや自分は中年だろうか?という年齢になりましたが、「独りであること 未熟であること これが私の二十歳の原点である」と、説いて電車に飛び込んだ高野悦子。昭和42年の6月24日だった。3年前のこの日、没後50年に西那須野の宗源寺にお参りに行ってきました。この時も帰りに手打ちラーメン食べてきましたが、ここの手打ちラーメンを食べると思い出します。同じようなラーメンでしたから。高野悦子は二十歳でこの境地に達したのが早熟だった。私なんか還暦でようやくそんな気分になれている。

 第一条はできないけれど、残りの十四条はしっかり守って不良中年営んでいます。車中ではミルト・ジャクソンのジャズを流しながら来ました。

 海を見たいと思った。なので直江津まで足を延ばしました。14日のブログで紹介した逆桜の枝手に持って。

 上杉謙信ファンの娘さんがくも膜下出血で倒れていた場所に、その桜の枝と、先週解読した古文書の写しをお供えしてきました。

 なんだかねぇ。磯部で釣りをしている人が多いですねぇ。しかも群馬ナンバーや長野ナンバー。それはわかる、海ねぇだもの。なぜか土浦ナンバーや湘南ナンバーもいました。

 今日は雲が出ていて佐渡は見えなかったけど、私にとって海は日本海です。最後に海水浴に行ったのは昭和49年の8月8日。鯨波と言う駅からすぐの海水浴場でした。

 海沿いを車で走って鯨波を見て、柏崎から帰路につきました。本当は海に沈むお日様を見たかったけど、二杯目のラーメンを食べなければならない。二杯目は南魚沼のみつやで背油多めのしょうゆラーメンでした。

 温泉とラーメン。私のひとり旅はこれだねぇ。

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ピンクムーン

2022年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 満月ですねぇ。満月に照らされた夜桜!と、夜になってから外に出てみましたが、雲がかかってお月さまがきれいに見えないし、妙に肌寒い。

 このところよくフクロウの鳴き声が聴こえていましたが、今夜もフクロウは営業しているようです。今日は小雨だったので、一人で外仕事していましたが、人はもちろん獣も鳥も見かけない一日でした。唯一生き物を近くに感じたフクロウの鳴き声でした。

 ”die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug” ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ。フリードリヒ・ヘーゲルの法の哲学に出て来る有名な言葉ですが、哲学なんてもんは事が終わった頃になって生まれて来るもので、事実の積み重ねをふり返って取りまとめたようなもんだと教わりました。

 確かに初めに哲学ありきなんてものはだいたいろくなことにならない。共産主義なんてその一例だと思うけど、大脳皮質で思いついたことを「正義」なんて裏付けて行動にしてしまうと、概ね間違えるんじゃなかろうか?

 だいたい、学問なんておおむねこの類だよな。イカで言ったら刺身じゃなくて干物のスルメイカみたいなもので、事態が終わって干物のようになってからいただくようなもので、炙って醤油にマヨネーズが美味しいんだわ。味に深みも出て来るし。スルメ、お値段お高いですねぇ。

 学生時代に学んだ言葉ですが、哲学の授業だったかな?随分と大脳皮質思考の先生だったけど、こんな解釈したのかな?と、思い返してみると、第二外語のドイツ語の授業の余談で聞いた話で、試験のために勉強したことはことごとく忘れるけれど、一見無駄に見える余談は不思議と残っているもんですね。何かの折で「腑に落ちて」このことか!と、発見するのはおおむね余談雑談で得た謎でした。

 そん時はわかんなくってもいいのよ。何年かして突然腑に落ちれば、し・あ・わ・せ。スマホでググってその時にわかったような気になると、わからないまま忘れてします。「わからない」と、言うことがわかっていれば、どこかで必要もないのに思い返して納得できることがある。

 人生黄昏の年代になって、知恵の象徴のフクロウが飛び立ったようで、なんだかわかんねぇけどそのうち何とかなるだろう?と、思っていた疑問が腑に落ちることは多々ありますが、時すでに遅しだね。なんであの時気が付かなかったんだ!と思うことはしばしありますが、後悔役に立たずです。

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