のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

夕日

2006年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜中?明け方?たまたま4時ごろ目がさめて、サッカーの日本ードイツ戦が放送されるはずだ!とすぐにテレビをつけました。

 ちょうど国歌斉唱をしているときで、”なんだろう?”と気になったのが、君が代を歌う着物姿の歌手。見たことのない女性歌手で、着物が妙に似合っていない。どこの国の人だろう?ハルビンの太陽島の日本庭園で着物の着付けをしてもらったロシア人観光客のようでした。
 着付けやしぐさが、日本人の真似をしている外国人みたいで、イメージとしてはゲイシャガール。妙に違和感がありました。吹奏楽の君が代が流れ”あれ?歌わないぞ?”と思っていたら、演奏が終わってから歌い始めました。君が代は短い曲なので、こういう演出なんだろうか?歌いはじめを間違えて、演奏が終わってからアカペラで歌い始めたのだろうか?

 ドイツ国歌を歌った歌手についてはオペラ歌手と解説していましたが、君が代斉唱した歌手については解説者も何も触れませんでした。
 何者だろう?不思議だ!考えると眠れなくなりそうだ!と考えつつ、キックオフして程なく眠ってしまいました。

 夢かまどろみの中で高原がゴールを決めたアナウンサーの声を聞いた覚えはありますが、もう一度目がさめたらテレビがつけっぱなしで、消して寝てしまいました。結果は皆さんご存知のとおり、2-2の引き分けでした。


 マイクロバスの運転をして埼玉県の熊谷市に行ってきました。熊谷に到着したのが14時ごろ。30度を超える気温で真夏並の暑さでした。
 明日から衣替えで半袖になるのですからそれなりに暑くなって当然ですが、曇り空で風もなく蒸し暑い気温は梅雨時のものです。

060531  帰りは一般道を通り、赤城山の中腹をぬけてきました。6:30頃、榛名山の西側に夕日が赤く見えました。湿度の高い霧が上空にあるために、霧ににじんで太陽の形が妙に大きく歪んで見えました。

 久しく夕日を眺めたことがなかったので、自動車を停めて夕日を眺めました。周囲がネギ畑なので独特の匂いが立ち込めていました。
 ウラジオストクは時計が2時間進んでいるので夜の8時半ですが、日本よりも西にあるので、ここよりもっと太陽が高い位置にあります。今なら向こうの時間で9時過ぎまで明るい季節です。

060531a  携帯で、ウラジオストクの友人に電話したら、仕事帰りに郊外のダーチャに行って畑を作っている最中で、日没になったら市内に戻ると言ってました。

 ウラジオストクは「朝は雨が降っていましたが、夕方からは天気も良くなっていい夕方になっています。」と言ってました。「忙しい日本人がのんびり夕日を眺めるなんて珍しいですね。」と言われました。

 榛名山に並んだ夕日のアップ。

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文化の違い

2006年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 インドネシアの地震の犠牲者が5000人を越えました。簡単に数字で被害規模を想像するのも忍びない思いがしますが、各国から届いた救援物資が被災者の届いていないと報道されていました。

060529e ジョグジャカルタにはムラビ山という、この春から火山活動を再開した活火山があるのですから地震が少ないとは思えないのですが、世界遺産の仏教遺跡ボロブドールやヒンズー教寺院群プランバナンも今回の地震で被害を受けました。石を積み上げて作ったような建物です。

 ウラジオストクの魚市場に並んでいたカニ。こうやって腹を出して並んでいると”宇宙人”のように見えなくもありませんが、魚介類になじみが薄いアメリカ映画では宇宙人のイメージがシーフード系です。

060529c   「これは海の生物ですか?」と聞かれてがっくりしてしまったのが広島風お好み焼きの写真で、言われてみると貝かカニの一種に見えなくもありません。

 でも、やはり誰がどう見たって焼きそばを生地でくるんでおたふくソースをかけたおいしそうなお好み焼きだと思うのですが、文化の違いだろうか?

 大阪風でも、広島風でもお好み焼きを食べれば絶対ロシア人の味覚にあうと確信を持っていますが、奇妙な食べ物に見えるようです。

 文化の違いと言うわけでもありませんが、山育ちで海産物には疎いものですから、貝類は食わず嫌い。食べられるのはアサリとシジミだけでした。
 アワビを初めて食べたと意識したのは数年前のハルビン。中国では貝類を干して食べるので、太陽の恩恵で味が濃厚になります。
 炒め物に干したアワビが入っていて、私はキノコだと勘違いしました。なんて味の濃いキノコだ!と感動してしまいました。
060529d  西郷ドンが、これは海の貝ですといいますが、何言ってんだ、キノコだろうと笑っていました。後で市場に行った時に「あなたがおいしいといっていた貝です」と見せられ、アサリとシジミ以外の貝を食べられる自分を発見しました。

 今日は馬刺しをいただきましたが、またへんな誤解受けそうなので紹介しようかな?やめておこうかな?と考えています。

  文化の違いといえば、最近年配の方々が電車やバスの中で化粧をする若い女性について批判しています。
060529a  私などあまり気にならないので、「時間を合理的に使えてよいのでは?」と思いますが、こうしたものは人前で見せるものではないそうです。

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ジャワで

2006年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝、インドネシアのジャワ島で地震が発生し、夜の段階で3000人の死者が出たといわれているので、阪神淡路大地震並みの犠牲者が出るかもしれません。インドネシアといえば記憶に新しい津波を心配しましたが、津波が起きたという報道はされていません。
 最近は中国からインドネシアなど東南アジアへ生産拠点がシフトしている日本企業ですが、こちらから技術指導や管理に行ってるビジネスマンも多いので、こうした工場に影響が出ないことを願っています。

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共産主義者

2006年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

060526a   「この人たちは誰なのかわかりますか?」と、送られてきた写真を見て、メーデーの光景だなと思いました。その実態は?

 まだロシアに現存する共産主義者たちだそうです。共産党がまだ残っており、一定の支持者もいますが、中には前時代的な共産主義者もいます。「きっとソビエト時代に要職についていた人たちだと思います。人々を苦しめた人たちです。」

 私が子供の頃にまだ残っていた軍人の残党のようで、時代の波に乗り遅れて不憫に思えもしますが、年配者の中には「あのままソビエト時代のほうが良かった」と懐かしむ人も多いです。

 「自由」を手に入れたものの、その「自由」が当たり前になって見えなくなったこともあるのでしょうが、今のロシアは中国ほどではないにしても格差が極端についた社会です。

060526b  どこのアパートにもその昔は「密告」で名をはせたうるさ型のおばさんがおり、妖しい人物が入ってくるのを厳しくチェックしているものです。私もとっ捕まって尋問されたことがあります。体格が大きく身なりもみすぼらしいこともあり、日本人だといっても信用して貰えず、困ったものですが、このうるさ型のおばさんも防犯には役立っていると思います。
 最近、毎日報道で流れる子供達が巻き込まれる事件を見ていて、腹立たしい思いがしてなりませんが、怪しい人物がいたときに声をかけられるか?というと、なかなかその気力はわきあがってきません。小学生の通学に同行して抑止の真似事にはなっていると自負しているものの、うるさ型のおばちゃんたちのように「ちょっと!そこの兄ちゃん!」の一言は出しにくいものです。
 私が小学校の頃に大久保清事件や連合赤軍事件があり、このときも大人たちが通学に付き添ってくれましたが、鉈や鎌などを携帯していました。今はそんなことしたらこちらが怪しい人物になってしまうので困ったものです。
 地域や大人たちが子供を守る。ウラジオストクではそのあり方の見本を見る思いがするものですが、子供立ちも小さい頃から「危険の中に自分がいる」ことを認知しているので、無謀なことはしません。
 ロシアでは「悪人」は当然存在するという前提に成り立っています。日本では「皆良い人だ」の大前提があるので「怪しい」では動けず、「危ない」になるまで待たなければなりません。それでは遅いことも多いのですが、65年間戦争がなかった反動かもしれません。
 メーデーや軍事パレードにはつき物のうるさ型のおばちゃんたち。

060526_2  前々から読みたかったスウェン・ヘディンの「さまよえる湖」が手に入って喜んでいます。幻の都楼蘭、どこにあったのかわからなかったロプノール湖が実は砂漠の砂の移動で場所が変わる移動する湖だったことを発見した探検家の手記です。
 今読もうか、秋の楽しみの取っておこうか、迷っています。

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ボタン

2006年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

060525a  城跡の牡丹畑。満開になったら行ってみようと思っていましたが、花も終わりそうです。そろそろ。

 牡丹の散り際と桜の散り際、どちらも潔くていいではないか?と思っていましたが、花びらが絨毯のようになる桜と違い、牡丹はもっと潔く首から落ちるので、なるほどなまめかしく思えました。風に舞う牡丹の散り際なんてやはり不気味かも?
 10年ほど前にこの地域では地区をあげて各家庭でボタンを育てていますが、ようやくそれがさまになるようになってきました。何事も育むことは手間隙と年月がかかるものです。

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スズラン

2006年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

060524d  Ландыш майский ランドウィッシ マイースキー、ロシア語でスズランを意味します。日本同様毒草で、子供が食べると大変だからとダーチャで作る人はいないようです。
 これからの季節、森に入ればどこにでもある花ですが、こよなく愛されている花です。赤い花をつけるスズランもあります。清廉や潔白を意味するスズランですが、赤いスズランには悲恋の物語がロシアにはあるようです。
 基本は日本と同じ白い花です。スズランは白樺の森の中などに一面に広がっています。

 「ウラジオストクでスズランといえば核廃棄物処理施設の名前ですよ。」と言われ、何とまあ、無粋なものにランドウィッシの名を冠したことか。
 核廃棄物所履践の名前がランドウィッシ(スズラン)。今まで密かに海底に投棄していた液体放射性廃棄物を処理する船だそうで、原子力潜水艦の解体をしているボリショイ・カメーンあたりに停泊して、安全な外海に持ち出して処理しているといわれています。
060524e  以前、北海道のスズランを見たときにこちらのスズランと花が違うなと気がつきましたが、北海道のスズランのほうがか弱く女性的に感じたものです。それよりもロシアのスズランのほうが女性的に感じます。
 スズラン(鈴蘭)にはもう一つの和名があって。「君影草」。美しい名前ですね。葉を男性に見立ててそれに寄り添うように咲く花(女性)。なんて柔らかな観察眼で、日本的で風情のある表現だろうと魂を抜かれる思いです。

 スズラン=核廃棄物処理のイメージが焼きついてしまったので、君影草と呼ぼうかと思うのですが、あまりに美しい言葉に無粋な自分が恥ずかしくて言葉に出せません。
 年配のかたがたがさりげなく言う君影草の響きがきれいなこと。人生経験がまだまだ足りないようです。
 
 我が家のお墓に咲いている君影草は骨太のドイツスズラン。

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都忘れ

2006年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

060523c  1221年後鳥羽上皇が起こしたとされる承久の乱は、天皇が鎌倉幕府に対して起こした反乱のようなもので、世界的に見ても奇妙な事件だと思います。時の鎌倉幕府を実際に牛耳っていたのは北条政子。
 
 後鳥羽上皇は隠岐島に流され、その子供の順徳帝は佐渡に流されます。
 佐渡に来た順徳帝は草ぼうぼうの庭に咲く紫色の野菊を見つけ、紫の色は京都の色、可憐な小さな花が都の栄華を忘れさせてくれる。と、その路傍の花を眺めて心を癒したといわれています。”都忘れ”のいわれです。
 今年はあまり見かけないなと思っていたら、都忘れの花が咲き出しました。初夏の夕暮れに心和む花です。

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三社祭り

2006年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京ではこの土日に三社祭があったそうです。東京に住んでいた頃に行った唯一のお祭りは浅草のほおずき市の祭りで、7月のはじめだったと記憶しています。情緒があっていいお祭りだなあと気に入った数少ないお祭りの一つですが、梅雨のうっとうしさがこんなにも憂いを持つものだったのか?と、蒸し暑ささえ「情」を持たせてしまう叡智に感心した祭りでした。
 傍らに浴衣を着た女性がいると、いないとでお祭りの後の反動が大きく違います。特にほおずき市のようなロマンチックな祭りに1人で行くと孤独にさいなまれます。

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大豆

2006年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜テレビを見ていたら、大豆を巡る攻防について報道していました。世界最大の大豆輸入国中国の台頭で、世界の大豆相場が動くことや、アマゾンの密林を切り開いて大豆生産に乗り出すブラジルのことを紹介していました。

 ハルビンの郊外、黒龍江省は大豆の産地で、大豆や小豆農家もたくさんいますが今は苦境に立たされています。もちろん外国からの輸入の影響です。貿易はしばしば自分の国の産業を弱体化させてしまうもので、弱肉強食といってしまえばそれまでですが、日本の農村なんてその代表かもしれません。中国にも貿易の障害は現れています。

 最近、中国農民も危機を感じたのか遺伝子操作した大豆に対して関心が集まっているようです。
 中国から農産物を仕入れるウラジオストクも似たようなもので、中国産農産物の残留農薬を気にしています。友人は果物の甘みを調べる糖度計で残留農薬が調べられると思い込んでいて、何とか手に入れてくれというので、以前私が使っていた糖度計を、ウラジオストクにデートに行く会員さんに持っていってもらいました。
 絶対こんなもので農薬など検出できるわけないのに、何を規準にしているのか?糖度計で野菜や果物の汁を計測して「安全な食材だ」と納得しているのですから、この人たちはどんな環境でも生き抜けるに違いない。
 血圧計や体脂肪計など「計る」道具を預けると夢中になるロシア人の民族性。血圧計が一番喜ばれます。
 余計なこと言わなければ良かったのですが、糖度計で自動車のラジータークーラントの凍結温度がわかると言ったら、また夢中になってしまい、余計なおもちゃを与えたと後悔しました。ラジエターのクーラントはエチレングリコールで凍結を防いでいて、これに甘みがあるために糖度計で濃度が測れるだけのことです。そういえま昔ワインに甘みを出すためにジエチレングリコールを添加した事件がありましたね。

 日本よりも遥かに多くの大豆を食べる中国の食生活。バイキング形式が多いホテルの朝食には必ず大豆を使った料理が並びます。中国料理は大量の油を使うので大豆に限らず、ひまわりや落花生も大量消費します。

 大豆の根には根粒菌と言う菌がおり、これが土壌の窒素を固定し土壌を豊かにしますが、この菌のために連作はできません。
 私は休耕する田んぼや畑に大豆を蒔いて土地を休ませ養分をたくさえるために利用して、間作としての大豆を作っています。余った大豆は豆腐や味噌、納豆作りに村の農村公社で買い上げてくれますが、地元の大豆は不足しているそうです。

 大豆は雑草に弱いので草むしりが大変ですが、意識して無農薬で作っているわけではなく、農薬買うと採算が合わないだけのことで、自分の身体能力を超えるほどの大豆を作れば、除草剤も必要になってくる。難しい選択になります。

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健康診断

2006年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

060518d  健康検診の日でしたが、このところ雨の中の田んぼ仕事などが祟って、腰が痛くてならないので、こんな状態のときに健康検査をするとろくなことにならないので、検診車の来ている場所まで行ったものの、後日あらためて健康状態が良いときに受けることにしました。
 実は、昨夜、晩飯代わりにチーズをたっぷり乗せたピザを作り、冷たいウーロン茶を飲みながら食べていたら、胃の中の様子がおかしくなりました。もしかして冷たいウーロン茶のおかげで腹の中でチーズが冷えて固まったのではあるまいか?寝ていても胃もたれのように違和感がありました。

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帰りたい?帰れない?

2006年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 マガモの家族がいました。マガモご一行様は既にシベリアに帰っているので、入管式に言えば不法残留ですが、この土地で繁殖するのだろうか?

  カルガモとマガモ、メスはよく見ないと見分けがつきませんが、マガモのオスは首が青いのですぐにわかります。人になれているのか?近寄っても逃げません。
 冬の渡り鳥はシベリアから来ると言われますが、マガモなどカムチャッカやアリューシャン列島など真北の方角から来る集団が多いようです。

 そのまま夏もすごすマガモはよく見かけますが、コブ白鳥がいたのでこれにも驚きました。白鳥が飛来してくることなどめったにないのですが、今年は白鳥が湖にいると言われ半信半疑でした。

 一羽だけなのか?他にもいるのか?わかりませんが、このくらい大きな鳥になると獣や猛禽類にもねらわれないのでしょう。
 この近くで冬の雪で倒れた木を切っていたのですが、チェーンソーの音にも驚かず悠々としていました。
 山仕事をしていると野生動物や猛禽類に影響が及ぶからとチェーンソーやエンジン付きの草刈機を使わせない地域がありますが、よく見ていると、近くで土木作業していようがブルの音が鳴り響こうが野生動物は特に変化がありません。
 それより視線に対しては過敏で、バードウォッチャーなどが覗く望遠鏡のほうがよほど脅かすようです。特に鷲や鷹など視線に対して過敏に思えます。
 カメラでもファインダーを覗き込むと逃げ出すので、胸の位置に構えたまま2m程度まで近寄って写しました。

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村おこしって?

2006年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 徳島の祖谷村に行ったときに、かずらで作ったつり橋を体験しました。通行料4-500円とられたと記憶しています。

 こんな橋を作れないものだろうか?と言う話題になりました。
 6月になれば送電線の草刈が始まりますが、その山道には何箇所か私達が通行するために作った危なっかしい橋はあります。
 この冬の大雪で、あちこち道が崩れたり雪で流された橋などがあり、土木の人たちが修繕している最中です。

 祖谷に行った時、”変わらないこと”と”変われない”ことは随分違うのだけれど、良いものは時代を経て評価されるようになるのだな?と考えたものです。
 それが即、生活のための金銭にならないのが現代社会で生きるうえでの厳しさですが、快適で近代的な生活を望む”そこに住む人たち”と、変わらないで懐かしさをたたえたままでいてほしいと”よそに出た者達”は同じ故郷を共有していてもギャップが生まれます。

 海とはまったく縁遠い土地で生まれ育っているので、若かりし頃は離れ小島で生活してみたいと思ったものですが、職場で嫌われ島流しが現実でした。


 勝手の違う海での生活にどれだけ順応できるか?と、想像すると、ほとんど無理ではなかろうか?とあまり好ましい思い付きが浮かばないのですが、どんな環境下に嫁いでも順応してしまいそうな女性はメンタルの面では男性よりはるかに強い下地を持っていると思えてなりません。

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ニコ・ピロスマニ

2006年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザの絵が、パリのルーブル美術館から上野の国立博物館に来日したのは1974年の今頃の季節だったと思います。担任の先生が上野まで行って長蛇の列に並んで見てきた話を聞きました。「人と人との隙間からちょこっと見えただけだった」と残念がっていました。

 この来日でモナリザの一大ブームが起こり、日本でも広く知られるようになった気がします。その前年に郷ひろみが「モナリザの秘密」を歌ってその名前が知られるようになっていたと憶えていますが、「秘密」とダヴィンチやモナ・リザの絵が持つ「謎」が人々の関心を引いたのかもしれません。私達は「本物を日本に持ってきたのだろうか?よくできたニセモノを持ってきたのではなかろうか?」などと噂したものです。
 タイガースも「モナリザの微笑」歌っていましたが、そのときは絵はあまり感心もたれなかったような気がします。

 それまで美術の本でもなければ目にすることがなかったモナ・リザの絵がいたるところで見かけられるようになり、文字や数字でモナリザの絵を描くことで、コンピューターがその性能を見せ付けました。

 何度も紹介しましたが、日本でもよく知られている「百万本のバラ」は元々はラトビアの作曲家のライモンド・パウルスの曲に、ラトビア人の作詞家のレオン・ブリディスが歌詞をつけた「マーラが与えた人生」と言う歌でしたが、ラトビア語だったために、ヴォズネンスキーがロシア語でまったく違う歌詞をつけてヒットしました。

 グルジアの放浪画家のニコ・ピロスマニをモデルに「百万本のバラ」の歌詞は書かれました。
 実際に町中のバラを買って送ったのかは定かではありませんが、ピロスマニが酒場で踊る踊り子に入れあげたことは事実らしく、その踊り子をモデルに書いた絵があります。


 女優マルガリータ

 昨年の愛・地球博のコーカサス館にこの絵は飾られたそうですが、グルジアでは国民的画家ニコ・ピロスマニの絵は門外不出なのだそうで、精巧なレプリカを作り、それを日本で展示したそうです。

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和服

2006年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本を紹介するHPに京都で舞妓さんや芸子さんを写した時の写真を掲載していますが、着物の色柄の美しさに女性たちが大喜びしてくれるようです。
 「みんな視線が違うところを見ていますが、舞妓さんはカメラを見ないのですか?」と鋭い質問をされてしまいました。

 舞妓さんがこちらを見ないのではなく、私が臆してしまって写せないだけです。視線が会うとカメラから目を離してそちらを見つめてしまうもんですから”言い寄られたらどうしよう?”とドキドキしてシャッターなんか押せません。
 手練れた爺さんカメラマンは臆するどころか、ポーズまで要求していますが、そんな大胆のことは私にはできません。
 人様が足を踏み入れない山の中や、苛酷な自然環境に出向いて写真撮るのは得意ですが、人間を撮り慣れていないのでどうにも腰が引けてしまいます。

 シャッター押せなくておどおどしているうちに通り過ぎて背後から写すというのは得意なんですが。

 無礼を承知で、着物を着て真っ白なドウラン塗りたぐっても元の素材が…と言える芸子はんも稀にいるもので、こうなると親しみがわいて近寄れますが、美しい舞妓はんと野生動物は遠くから望遠レンズで写すのが流儀?

 日本人の体格も良くなって、着物も身長の高い人が見栄えがするように思えますが、やはり、オリジナルのニッポン女性と並ぶと、妙にバタ臭く感じます。
 
 歩く姿が雲泥の差があるのは致し方ないにしても、何が違うのだろう?と考えると、肩のラインなんですね。
 最近は肩パットを入れてまで肩のラインを強調する女性が増えていますが、着物の場合、なで肩のラインが美しいのではないでしょうか?
 なで肩はうなじのラインが美しく見えるようで、これが日本的な艶やかさではなかろうか?
 それと、ニッポン女性は正面で構えないんです。微妙にどちらかの肩が前に出て、足は反対側に向くので、体のラインが見えない着物でもそのくねったからだが艶やかなんですね。
 なで肩が多い日本人は背広を着こなすのに苦心する現代ですが、着物にはなで肩が似合いますね。

 スタイルと言う意味では訪米人や中国人のほうがはるかに良いと思いますが、派手な顔つき体つきが派手な衣装にかき消されて、なるほど日本人の地味な顔つきが着物と相乗効果を持つのか?
 などと考えながら、お願いだから着物買いたいなんていわないでね。と願っています。

 それと、この尻の大きさ。帯止めの幅よりも大きい。
 膝から上が長いので足が太くなっていることにも気がつきにくいのですが、近場によって見ると高い位置に巨大なお尻が、ドカーンとそびえています。身が絵がして美しいことは美しいのですが、艶っぽさがないんです。

 このバタ臭さ、浅草の仲見世で外国人向けに売っている浴衣のようで、「和の真髄」から縁遠いものですが、これがまた喜ばれます。
 浴衣を土産にウラジオストクにもって行った会員さんがいますが、女性のお母さんが大喜び、もちろん着付けなど知りませんし、会員さんも和服の着付けなんて知りません。が、お母さんは家の中で着る屋内着として、独自のアレンジで和服を着ているそうです。
 「それがまるで遊郭の女郎のような着こなしで、もちろん襟の合わせは右上。」

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コットン水車

2006年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 もずが枯木で鳴いている おいらは藁を たたいてる 綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる
 みんな去年と 同じだよ けれども足んねえ ものがある 兄さの薪割る 音がねえ バッサリ薪割る 音がねえ
 兄さは満州に いっただよ 鉄砲が涙で 光っただ もずよ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ

 サトーハチローの”もずが枯れ木で”です。小学校の時に満州帰りの先生に教わりました。後に、フォークの神様岡林信康が最も静かな反戦歌とよんでいます。

 ソ連の戦勝記念日でこの歌のことを思い出してしまいました。満州に行った兄さはきっとその後ソビエト兵に捕まってシベリア抑留されたに違いない。などと、思うと、戦勝記念日とは何たるものか?と思えてきます。
 でも、勝った者が正しい力の正義がこの世にはあり、その前ではいかなるいいわけも人情も負け犬の遠吠えでしかないこともまた現実です。
 国と国、国と個人、個人と個人、それぞれ付き合い方が異なって当然で、これがずべて同じだとしたら独裁政権下の住民達のようなものです。
 
 コットン水車とはどんな水車だろう?水車でコットンと鳴るのは水車小屋の中の粉ひきの臼や機械の音でしょう。でも、あれはコットンなんでのどかな音ではなく、ドカン、ギギギーに近い音です。

 我が家の界隈では簡素化した水車でコットン水車と言うのがあります。水車の車をを作るのは高い木工技術が必要ですが、もっと簡単に二枚や四枚の羽で水車を回す方法があり、これをコットン水車とよんでいました。

 原理は回転する獅子おどしで、獅子おどしは筒先に水がたまり、その重量で筒先が下がり、水を排出して戻る時にコーンと鳴る反復運動ですが、コットン水車はそれを円運動に換えたものです。
 車型の水車と比べると力がなくて、大きな機械は動かせませんが、水の少ない沢でも動かせるし、簡単に作れるので小さな集落にむいていました。

 一昨年、コットン水車の粉挽き番のばあちゃんにお願いしました。1時間くらいかかると言われ、後で受け取りに行き、300円でした。時給300円?手ごわい仕事です。

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