怪我と病気に苛まれたこの1年の大きな成果?と言えば、「百万本のバラ」についてまた一歩探求できたことで、ラトビア大学図書館の協力で、原曲の原曲「マーラが与えた人生」までたどり付くことができました。
♪ここをクリック♪ (MP3で音楽が聴けます) アラ・ブガチョバが歌う ”Миллион алых роз” 加藤登紀子さんの「百万本のバラ」はこの歌を元にしています。
♪ここをクリック♪ (MP3で音楽が聴けます)さらにその原曲だった ”Dāvāja Māriņa” 「マーラが与えた人生」 アイヤ・クレレというラトビアの歌手が歌っています。
「百万本のバラ」がむなしい恋の歌であるのに対して、その原曲の「マーラが与えた人生」は運命に苛まれた人々の嘆きの歌です。歌詞は最後に紹介します。
以下、以前紹介した「百万本のバラ」に関するコラムです。
2003年2月のコラムから。
日本では加藤登紀子さんの歌で有名な「百万本のバラ」ですが、この歌をロシア民謡に位置付けることに関しては疑問があります。
日本ではロシア及び旧ソビエト圏の大衆音楽をひとくくりにロシア民謡と称しますが、ロシア人にとってはそれぞれの歌に時代背景を背負っていますので、「ロシア民謡」と呼ばれるとまったく別のジャンルの音楽を連想してしまいます。
日本人に春日八郎の「お富さん」やフランク永井の「有楽町で逢いましょう」を日本の民謡だといえば、誰しも首をかしげることでしょう。
ロシア音楽の分類については別の機会に紹介します。
アラ・ブガチョワというロシアの代表的なポピュラー歌手によって「百万本のバラ」は広く世に知られることになり、同時に彼女をロシアのトップスターダムに押し上げることになりました。
この歌を作曲したのはライモンド・パウルスというラトビアの作曲家で、ラトビアの文化大臣を歴任した人物です。元の歌詞はラトビア語でしたが、ヴォズネンスキーという作詞家がロシア語の詩を付け、それをアラ・ブガチョワが歌い世に広めました。ラトビア語で作られた元の詩は現在知られているものとは違う内容の詩であったようです。
一目ぼれした女優のために何もかも売り払った画家がバラの花を100万本買い込んで窓の下に敷き詰め、女優は金持ちの享楽と思い、貧しい画家のことなど気にもせずに立ち去っていく物語ですが、ウラジオで何回となく花束を買った経験からすれば、莫大な金額が動いたことは確かです。
ロシアでは家を訪問するときに花束の一つも持っていくことが礼儀とされているので、私なんかいつも200ルーブル(大体1000円)をひとつの目安にしていますが、せいぜい5本-11本買える程度です。花市場で一番きれいな花を求めるのではなく、一番きれいなお姉さんが売っている店に行きたがるからボラれているのかもしれませんが。
ロシアでは割り切れる偶数は「別れ」を意味する不吉な数字なので、「100万1本のバラ」だったらこの恋は成就したのかもしれません。ただ、歌は売れなかったでしょう。
ロシア語の詩を付けたヴォズネンスキーがこの歌に詩を付けるにあたってモデルにしたのは、グルジア出身の画家ニコ・ピロスマニといわれています。
革命へと向かいつつあるグルジア地方で居酒屋やレストランの壁に絵を描いて暮らす画家だった彼は、ある日、その地にやってきた画家の目にとまり、中央画壇へ紹介されますが、モスクワに赴いた彼が目にしたのは、彼に対して冷淡で権威主義的な美術界でした。深く傷つき故郷グルジアに帰り絵を描き続ける生涯を描いた映画、「ピロスマニ」は日本でも発売されています。
ピロスマニの絵画や、人生はその後に多くのロシア文学者や詩人たちに感銘を与えています。
日本でいうならシンガーソングライター、ロシアではバルドと呼ばれる人々の中に、ロシア人なら誰でも知っているブラート・オクジャワという吟遊詩人がいます。1988年に来日したときに私は彼のコンサートに行きました。オクジャワはグルジア人の父と、アルメニア人の母の間に生まれ、両親はスターリンの弾圧の時代に獄中死したといわれています。
オクジャワの代表的な歌に「グルジアの歌」という美しい詩を持つ歌があります。一説ではオクジャワはニコ・ピロスマニの絵画のイメージをモチーフにこの「グルジアの歌」を書いたと言われています。
グルジアの農村の原風景やそこに暮らす人々を好んで描いたピロスマニの世界は、近年のバルドや作家たちに大きな影響を与えています。
この何年かピロスマニの絵画や、農民詩人と呼ばれていた時代のセルゲイ・エセーニンの詩が見直されてきているようなロシアですが、都会化(悪い意味での資本主義化)に対する彼らの戸惑いを私は感じています。
本題に戻りますが、「百万本のバラ」の成り立ちはソビエトという共同体があったがゆえに生まれることができたのでしょうが、ラトビアの作曲家にロシアの作詞家がグルジアの絵描きをモデルにした詩を付けたワールドワイドな曲です。
「百万本のバラ」を想像してアラ・ブガチョワのCDを買うと期待は裏切られます。多くの曲はユーロビートを基本とした当世流行のダンス向けの音楽ばかりです。残念ながら日本では発売されていませんが買うならこの歌が入っているかどうか確認したほうが得策。
現在、アラ・ブガチョワの娘のクリスティーナ・アルバカイテが親の七光りで売り出し中ですが、ロシアでは押しなべて評判がよくありません。モナコで行われた世界の国を代表した歌手が集う音楽会(日本は宇多田ひかるが出ていた)にロシア代表でクリスティーナ・アルバカイテが出ておりました(他の国からも2世歌手が多く出ていました)が、このときはコンチネンタル・タンゴ風の歌を歌っていました。
現在のブガチョワの夫はフィリップ・キルコロフという一目見て怪しそうな中東風の風貌の男(ブルガリア人らしい)ですが、これまた怪しいベリー・ダンスでも踊りたくなるような中東風の歌を歌っております。(追記、2005年3月、ブガチョバとキルコロフはついに離婚しました)
叙情詩的な詩情を好む日本ですが、ロシアでは叙事詩的な詩情が好まれる傾向にあります。しかしながら、根底の人の情というものは国境がありませんし、その情感は日本人と共通するものがあります。
ロマンチックな詩情なので、バラの花一本いくらなどと詮索しないで親しんでいただきたい歌です。
2006年1月に紹介した「マーラが与えた人生」についてのコラム。
加藤登紀子さんが歌って日本でも大ヒットした”百万本のバラ”はソビエト歌謡で、ソビエト・ロシアの大スターのアラ・ブガチョワが歌ってソ連でも大ヒットしました。このときの曲名が”Миллион алых роз(百万本の赤いバラ)”です。作詞はヴォズネンスキー、作曲はライモンド・パウルスでした。
このライモンド・パウルスはラトビア出身の作曲家で、ソビエト崩壊後に独立したラトビアでは日本で言う文部大臣に相当する役職を歴任した人物です。元々は”百万本のバラ”として作曲した歌ではなく、ラトビアの作詞家レオン・ブリディスの詞で、ブレジネフ体制末期の1981年に”マーラが与えた人生”として世に出ます。
ところがラトビア語の歌ですからロシア人には歌詞の意味がわからない。そこで放浪の画家ニコ・ピロスマニをモデルにヴォズネンスキーが叙事的な詩をつけて、ソビエトの大歌手アラ・ブガチョワが歌い”百万本のバラ”として世に広まりました。
まだ25年の歴史しかない歌なので「ロシア民謡」に分類されるのはおかしな話です。
”百万本のバラ”は女優に恋をした画家が家も財産も売り払ってバラの花を買い、女優の泊まる宿の窓の下に敷き詰め名乗り出ることもなくその姿を遠くから眺めてつかの間の恋を立ち去っていくロマンチックな歌ですが、元になった”マーラが与えた人生”はラトビアと言う国の成り立ちを暗示する意味深な歌です。
マーラとはラトビア地方に伝わる聖母で、ラトビアと言う娘を産んだものの幸せは与えられなかったと言う意味が含まれているのではなかろうか?”これはお前の定めなんだよ”と諦めにも似たラトビアの悲しみが込められていると私は解釈しています。スウェーデンに、ポーランドに、ロシアに蹂躙された小さな国ラトビア。幸薄い母娘3代の人生を通して、ラトビアを語っています。
同時に、私は”百万本のバラ”にはない「母性」を感じています。「嘆きの母」を今の日本では見ることもありませんが、自分の力ではどうにもならない悲しみを踏まえた愛情。メロディーが名曲と言うこともありますが、歌詞が変わってもすばらしい歌に巡り会えたと思っています。
ラトビアに限ったことではなく、ロシア市民だって一部を除けば、母達はこの歌のような思いを背に子供を育てていたはずです。
1981年にアイヤ・クレレが歌って世に出した”マーラが与えた人生”を紹介します。ラトビア語です。
子守唄のような優しい語り口に込められた”悲しみ”を汲み取ってみてください。最後に小さな子供がサビの部分を歌っています。ドキッとすると同時に”ラトビアはどうなるのだ?”と 突き落とされるような思いと共に、この歌が作られたソ連真っ只中の出口の見えない時代に引き込まれる思いがしてしまいます。
政治色を抜きにしても、とても心に響く歌だと思います。”百万本のバラ”のロマンチックな華やかさも、”マーラが与えた人生”の染み入るような慈しみも、どちらも愛です。
私の翻訳によるあてにならない「百万本のバラ」の歌詞。
1. 一人の画家が住んでいた 彼は家とカンバスを持っていた でも、彼は1人の女優に恋をした 彼女は花が好きだからと 彼は絵画も、屋根から丸ごと家を売って金をつくり 花の海で彩った
*百万、百万、百万本の赤いバラ 窓から、窓から、窓からあなたは見る 誰の愛なの、誰の愛なの、誰の愛なの熱心な あなたのために彼の人生は花に移った
2. その朝、あなたは窓辺に立って きっと心を失うだろう 夢の続きなのかしら? 広場は一面が花であなたは震える このイタズラはどこかの億万長者のお遊びかしら? でも窓の下には貧しい画家が息をひそめている。 *繰り返し
3. 会えたのはほんの一瞬 その夜彼女は旅にでる でも彼女の人生にこの奇妙なバラの歌は残る 画家は孤独に生きた 苦しい生活に耐えながら でも彼の人生には 広場を埋め尽くした花の思い出が残った *繰り返し
黒澤歩様の翻訳によるラトビア語の「マーラが与えた人生」
1. 子供のころ泣かされると 母に寄り添って なぐさめてもらった そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
2. 時が経って、もう母はいない 今は一人で生きなくてはならない 母を思いだして寂しさに駆られると 同じ事を一人つぶやく私がいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
3. そんなことすっかり忘れていたけど ある日突然驚いた 今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
ロシア語の「Миллион алых роз」(百万本のバラ)の歌詞
1.Жил-был художник один,
Домик имел и холсты.
Но он актрису любил,
Ту, что любила цветы.
Он тогда продал свой дом,
Продал картины и кров
И на все деньги купил
Целое море цветов
*Миллион, миллион,
Миллион алых роз
Из окна, из окна,
Из окна видишь ты.
Кто влюблён, кто влюблён,
Кто влюблён, и всерьёз,
Свою жизнь для тебя
Превратит в цветы.
2.Утром ты встанешь у окна,
Может, сошла ты с ума, -
Как продолжение сна,
Площадь цветами полна.
Похолодеет душа:
Что за богач здесь чудит?
А под окном, чуть дыша,
Бедный художник стоит.
*
3.Встреча была коротка,
В ночь её поезд увёз,
Но в её жизни была
Песня безумия роз.
Прожил художник один,
Много он бед перенёс,
Но в его жизни была
Целая площадь цветов.
*
普通に生活していれば生涯お目にかかることも無いだろうラトビア語の原曲、「Dāvāja Māriņa」(マーラが与えた人生)の歌詞
Kad bērnībā, bērnībā
Man tika pāri nodarīts,
Es pasteidzos, pasteidzos
Tad māti uzmeklēt tūlīt,
Lai ieķertos, ieķertos,
Ar rokām viņas priekšautā.
Un māte man, māte man
Tad pasmējusies teica tā:
Piedz.(繰り返し)
Dāvāja, dāvāja, dāvāja Māriņa
Meitiņai, meitiņai, meitiņai mūžiņu,
Aizmirsa, aizmirsa, aizmirsa iedot vien
Meitiņai, meitiņai, meitiņai laimīti.
Tā gāja laiks, gāja laiks,
Un nu jau mātes līdzās nav.
Vien pašai man, pašai man
Ar visu jātiek galā jau.
Bet brīžos tais, brīžos tais,
Kad sirds smeldz sāpju rūgtumā
Es pati sev, pati sev
Tad pasmējusies saku tā:
Piedz.(繰り返し)
Kā aizmirsies, aizmirsies
Man viss jau dienu rūpestos,
Līdz piepeši, piepeši
Nopārsteiguma satrūkstos,
Jo dzirdu es,dzirdu es,
Kā pati savā nodabā
Čukstklusiņām, klusiņām
Jau mana meita smaidot tā:
Piedz.(繰り返し)