昭和12年7月7日は北京の南を流れる廬溝河に架かる橋「廬溝橋」を舞台に「日中戦争」(支那事変・日華事変)が勃発しました。廬溝橋事件から65年が経ちました。
さて、ネガティブな話はほどほどにて、旧暦の7月7日は七夕の日です。七夕祭りはあまり祝わないようですが、最近は生活にゆとりができてきたこともあるのか復活している地域もあるようです。
七夕は「七巧節(巧みになる日)」などとも言われ。「七巧菓子」という手先が器用になるお菓子を食べるようです。主に女の子のお祭りで、柳の葉っぱで作ったハサミ、縫い針、刺繍針、布団針、櫛などを入れた餃子を作り、手先の器用ないいお嫁さんになれるように天の織姫に願い、織姫と牽牛が年に一度の再開ができることを祈るそうです。
七夕には「天河配」という演劇が上演されるのですが、これが織女と牽牛の物語です。基本的なストーリーは日本で知られている物語と似ているのですが、いくつか違うところがあります。牽牛と織女の二人の間には子供もいますし、二人の馴れ初めには牛が大きな役割を果たしています。
中国語では牽牛は牛郎(ニュウラン)織ひめ織女(チーニュイ)といいます。
牛郎は幼い頃に両親と死別して、兄と兄嫁の3人で暮らしていました。毎日牛の世話や番をしていたので人々は彼を牛郎と呼ぶようになりました。兄嫁は外面はよいものの牛郎のことを毛嫌いしていましていつもいじめていました。
ある日草原に餌を食べさせに牛を連れて行き、木陰でうつらうつら眠りこけていると、夢の中で牛が話し掛けてきました。
「あなたのお兄さんはいい人だが、兄嫁は腹黒い女で、おまえさんを殺そうとしている。今日の夕飯に兄嫁はおまえさんにうどんを食べさせるだろうが、毒が入っているから絶対食べてはならないよ。いつまた殺されるかわからないから、おまえさんは早くあの家を離れなさい。家を出るときには牛をもらって出るようにしなさい。」
牛郎が目を覚まして見ると、いつもと変わらぬ光景で、牛はもくもくと草を食っていました。”奇妙な夢をみたもんだ”と思いながらも夕方になって家に戻ると兄嫁が
「牛郎!おなかがすいたでしょう。うどんを作ったから熱いうちに食べなさい。」
”これは夢で見た通りだ!どうしよう”。牛郎はどうしてよいのかわからずどんぶりを手にたじろいでいると、それを見かねた牛がどんぶりに角を当ててうどんは地面に落ちてしまいました。そばにいた犬がそのうどんを食うとすぐさま血を吐き死んでしまいました。牛郎は正夢だったことを感じて、牛を連れて兄の家を出ました。
実はこの牛はそんじょそこらの牛ではなく、天上界の金牛星が生まれ変わって人間界に出現した牛なのでした。一人暮らしをはじめてしばらくした頃、牛郎はまた奇妙な夢を見ました。
「牛郎。明日は七人の天女が森の奥の池で水浴びをする。天女の1人は天帝の許しを得て下凡(下界の人間になること)する予定なので、木の枝にかかっている天衣を奪ってしまえばもうその天女は天界に戻れない、おまえはその天女と結婚しなさい。」
まるで日本の「はごろも」伝説のようではないか!と牛郎が思ったか思わなかったかは定かではないが、翌日牛郎は早速牛に言われた通り、七人の天女の中の織女の天衣を隠して、予言どおりに夫婦となります。
牛郎は牛を連れて畑仕事をし、織女は機を織る。二人は普通に幸せな生活を営み二人の子供にも恵まれました。月日はたち、牛郎は再び奇妙な夢を見ます。
「織女の下凡は明日がちょうど7年目の満期になるので、天帝の命令によって天界に帰らなければならない。だが、一つだけ連れ戻す方法がある。私(牛)を殺して皮をはぎ、明日、織女が天に昇るとき、子供達と共にその皮をかぶって追いかけるのだ、旨く捕まえられれば連れ戻すことができる。」
そう教えると牛は自ら岩に頭をぶつけて死んでしまいました。牛郎は涙を流しながら牛の皮をはぎ子供達を乗せるために二つの籠と天秤棒を用意しました。
翌朝、織女は今まで織った機を牛郎に手渡し、二人の子供に別れを告げました。織女も天帝の命令に逆らうことができません。子供の手を振り解き泣く泣天下に戻っていくと、牛郎は用意した籠に子供を入れ、天秤棒で担ぐと牛の皮を着て追いかけました。
もう一息で手が届くその瞬間、王母娘(天帝の妻で織女の母親)がかんざしで二人の間に線を一本引きました。個の線が「天河」となり、二人を東西へと引き離してしまいました。
牛郎は織女に形見の「首木」(鋤や鍬や牛車を引かせるために牛の首につける鞍のようなもの)を投げ、織女は牛郎に「杼」(ヒ、機織するときに縦糸に横糸を通す道具)を投げました。
二人の悲しむ姿を見かねた「喜鵲(かささぎ)」は毎年七夕の日には群れとなって自らの体で「喜鵲橋(シーチェチャオ)」を作り、牛郎と織女をこの橋の上で再会させることになりました。
夜空を見上げても、どれがどの星なのかよくわからないのですが、天の川の東に三つ並んだ星があり、真中の一番明るいのが牛郎で、その両脇の小さな星が二人の子供だそうです。その左には織女が投げたひし形の「杼」があるそうです。
川西には四つの星があり、一番明るいのが織女の星でその右には牛朗の投げた「首木」が三角形の星となっています。
七夕物語は中国国内でも地方によってストーリーに若干違いがあるのですが、おおむね話のあらすじはここに記したのが基本形のようです。「はごろも伝説」「かぐや姫」「鶴の恩返し(夕鶴)」の要素もちりばめられています。
あるいは現実的に考えると、「七夕物語」は異民族間の結婚や国際結婚だったのかもしれません。天の川(日本海)という国境を隔ててしまったがために分断されてしまった恋はいったいいくつあるでしょうか?
日本では牽牛が怠惰になって仕事を怠けたがゆえに織女と引き離されてしまいます。くれぐれも結婚後家庭生活や仕事に手を抜かないように心がけなければなりません。織女はハルビンに帰ってしまうかもしれません。鳥のくせに情に熱いカササギは7月7日に橋をかけてくれますが、中国の航空会社が7月7日に成田-上海間を無料で就航サービスなどという話は聞いたこともありません。
「憧れ」で心を暖め、誠意と熱意で恋愛と家庭作りを営みましょう。