のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

氷山?

2010年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 普天間基地問題も一応5月中に辺野古へ移転と決まった鳩山内閣ですが、鳩山首相の進退を巡って与野党の発言が紛糾しています。

 指導力がないからやめろ、国の方向を誤ったからやめろ、と言うなら話はわかりますが、「鳩山政権では選挙に勝てないから交代しろ。」と言う与党議員もいかがなものか?
 結局自分の選挙が全てか?ふざけるな!と思えてしまいます。今求められているのはこの国をどういう方向に持っていこうかという企画力ではなかろうか?

 こんな騒動の最中来日した温家宝中国首相。タイミングが悪いと言うのか、空気が読めなかったと言うべきか、何より、「民主主義は恐ろしい。」と感じていることでしょう。
 来日中に鳩山退陣なんてことになれば、面白いことになる気もしますが、それでも国が揺らがないのが日本の国民の民度の高さ。政治的空白なんて昨年の9月から空白のままですから、やはり官僚の力で国が動いているのだろうか?
 
 久し振りに映画タイタニックのビデオを見てしまいました。
 名曲”My heart will go on”も大ヒットしましたが、映画の中でこのテーマソングのスキャットを歌っていたのはノルウェイ出身のシセル・シルシェブーでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーピー

2010年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 サッカーワールドカップ開催も近くなりました。期待しないようにしているので、できるだけ見ないようにしていますが、「龍馬伝」からの流れで、そのままチャンネルを変えることなくイングランドとの練習試合をじっくり見てしまいました。

 2-1でイングランドに負けてしまいましたが、オウンゴールが2点。つまり敵味方全てのゴールを日本があげてしまったゲームでした。
 見なけりゃ良かった。と、ゲーム終了後には思いましたが、こんな調子でワールドカップ本選も見入ってしまうことでしょう。
 景気も含めて日本に元気をもたらすワールドカップであって欲しいと願っています。

 中国の温家宝首相が来日しました。
 政権が中国よりではありますが、今の鳩山首相との約束事が信頼に足るものか?疑問は深まるばかりです。
 外国の友人たちからも「あんな指導者で大丈夫なの?」と言われることが多くなりました。専修あったイラン人の友人も「今のイランの大統領はクレージーだけど、日本の鳩山さんは別の意味でクレージーだと思う。なぜ暴動や内乱が起きないの?」と鋭い指摘をされました。
 有事の際、迅速で的確な判断ができるのだろうか?恐い時代になっていると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四大発明

2010年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国の四大発明といえば羅針盤・火薬・紙・印刷術ということはよく知られています。

 春秋戦国時代には磁石の作用に気がついた人々が天然磁石を用いて「司南」という原始的な方位磁石を用いていました。後に「司南」を方位を書いた円盤の上に備え付けて羅針盤を発明しました。羅針盤は後にヨーロッパに伝わり、大航海時代の到来に大きな役割を果たしました。

 火薬は漢の時代に発明されたといわれていますが、それ以前にすでに木炭が燃えやすいことや硝石と硫黄が爆発しやすいことを知っていたそうです。漢の時代にその三つを一定の割合で配合する比率を確立し、火薬が誕生しました。唐や宋の時代には火薬による武器が使われています。これが今日の原水爆の始まりということになります。14世紀になると、この火薬がヨーロッパに伝わりヨーロッパ各国が火薬を用いた武器を製造するようになります。

 は漢の時代に発明されました。前漢の時代には目の粗い紙が既にあったそうですが、後漢の時代に蔡倫という宦官(宮廷に使える一物を切り落とされた官僚)が布・麻・木片を原料にした静止方法を発明し、紙の質が大きく変貌しました。紙は6世紀になると朝鮮半島経由で日本にも伝えられます。

 印刷術は唐の時代の中ごろに木版印刷が発明されました。この印刷術は版画のようなもので、木版に文字を彫って紙に刷っていました。そのため文字を間違えたりするとはじめから全部彫りなおさなければならない代物でした。11世紀初頭の北宋で活字印刷が発明されます。粘土を焼いて作った漢字の活字の判を配列して印刷する手法で、現在の印刷の基礎です。

 四大発明に限らずさまざまな発明や医学や科学的な先端技術を有していた中国でしたが、18世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、技術革新が各地に伝播していったのとは対照的に、閉鎖的だった中国では新しい技術の波を受け入れることができずに技術後進国へと転落してしまいました。

 その後政治的な混乱などもありなかなか立ち直ることができませんでしたが、元々基礎がある国です。世界各地で活躍する中国人科学者の数は日本人の比ではないでしょう。

 日本人の独壇場とも言える微妙な皮膚感覚の精度を要求される職人芸は一朝一夕に育つものではありませんが、ハイテクと呼ばれる理論的高等技術ほど追いつきやすいものです。ハイテクが高等な理論や技術であってもそれを噛み砕いて応用できる人物が出てくればものになってしまうものです。

 あらゆる技術がバランスよく進化してかといわれれば決してそうでもありませんが、突出した技術は世界の最先端を行くものもあります。

 バイオテクノロジーではインシュリンの人工合成などは中国が世界に先駆けて開発した技術です。

 日本のように制御の難しいH2エンジンを積んだロケットなどありませんが、ロケット「長征」は商業衛星発射業務で宇宙輸送ビジネスとして成り立っています。日本のように原子力発電所は持っていませんが、日本にはない原爆と水爆を製造しています。

 エビのチリソース煮ではありませんが外国の技術であっても自国に取り込んで消化してしまう中華料理のような発想と、知的所有権に対する順法意識のないこともあって、貪欲なまでに新しい技術を吸収してしまう国です。日本のようにそれを独自にアレンジしてしまうしたたかさはないようですが、決して侮れない技術を持った国です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 近所の通学路に熊が出るようで、「クマ出没注意」の看板が立てられていました。今年は4月の初旬に山の奥で熊の足跡を見かけたので、冬ごもりも終わったなとわかっていましたが、イノシシの勢力が強い人里にはまだ降りて来ないだろうと思っていました。この冬、猟師がイノシシを獲ったことで、勢力図が変わったようです。

 冬を生き残るための動物の能力に「冬眠」「冬ごもり」があります。「冬眠」と「冬ごもり」は違う行為だそうで、エネルギーの消費を極力落とすために体温を下げ、仮死状態で冬を越す爬虫類や両生類などの眠り方を「冬眠」といいます。「冬ごもり」は穴の中などで極力動かないで体力を温存する熊などの冬のすごし方です。

 ヒグマとツキノワグマでは冬ごもり中の刺激に対する反応が違い、何かの刺激で目を覚まして外に出てくる眠りの浅い冬ごもりがヒグマ。なかなか目を覚まさないのがツキノワグマだそうです。

 今はやらなくなってしまいましたが、私の住む山奥では熊狩りと呼ばれる冬の猟がありました。雪のない季節に熊は冬ごもりをする穴を探しておき、都市が開け雪が積もったころに寝込みを襲います。

 昔は5尺5寸と呼ばれる槍を持って、熊打ちが穴の中に体を突っ込んで熊を突き刺したそうですが、槍の長さが6尺では長すぎて穴の中で自由が利かない、5尺では短すぎて熊に引きよせられてしまうというので5尺5寸だそうです。100年以上昔のやり方で、時代は飛び道具です。

 熊撃ち名人と呼ばれる老人も何人かいました。熊用の猟銃は引き金の形状が違い、引き金が二本ついています。より確実に発射できるように別々になっているのだそうです。

 熊撃ち名人たるやさぞ鉄砲の腕も達者と思いきやそうではなく、離れたものをうたせてみるとまったく当てられない腕前が多かったです。それもそのはず、穴から出てきた熊の口の中に銃口突っ込んでぶっ放すだけですから、腕よりも度胸です。

 私が知っている名人もその昔は満州に出兵していたそうですが、ぜんぜん敵に弾は当たらないし、顔が肩からぶら下がっているような猫背の体系ともっそりとした性格のおかげで、さんざん上官にイビリ倒されたモワっとしたおじいさんでした。冬の生活費稼ぎの一環で猟師をはじめたものの、まったく弾が獲物にあたらないので熊撃ちになったといっていました。

 前もって当たりをつけておいた穴の中に火をつけたボヤなどを突っ込んで熊をいぶりだします。危険極まりない行為ですが、冬の熊は半分寝ぼけ眼ですので、前足が穴たら外に出るまでは意外とゆっくり動くそうです。両前足が穴から出てしまうとそこから先は敏捷ですが、その前に撃ち手が熊の頭にズドンと至近距離から発射です。

 熊といったらロシア人。習性が似ています。

 仕事ややることがなければひたすら寝ているところはまさに熊の冬ごもりです。これも合理的な理由があるのだそうで、ベッドにはいって寝ていれば余計なエネルギーもお金も使わないので、とても有効な休日対策なのだそうです。

 今の時期でしたら休日は郊外のダーチャで野菜作りなどやることがありますが、冬になると休日の仕事もなくなります。しかも、停電や暖房のストップは頻繁でしたから、ベッドにもぐりこんで寝てすごすのが最も合理的な休日の過ごし方だったそうです。

 一日の大半を寝てすごせば、夜寝られないのではなかろうか?と心配になりますが、それはそれで眠れるのですから不思議な生態を持っています。

 寝だめ食いだめはできないといわれますが、あの人たちは違うようで、ここぞという時には2-3日徹夜してもびくともしません。基礎体力の違いを痛感させられる時です。

 私など4当5落(4時間睡眠なら合格、5時間寝たら不合格)と言われた受験世代の残党ですから、寝ることに対して「無駄」の概念がずいぶん残っていました。ただの強迫観念だけだったのかな?と感じるのは、私たちが寝る間も惜しんでやったことを、彼らは集中力で乗り越えてしまうことで、この切り替えが上手にできないでむしろ時間を浪費しているのはこちらなのかな?と考えてしまうこともあります。

 ドストエフスキーの「賭博者」にこんな言葉が出てきます。

 "ведь, право, неизвестно еще, что  гаже: русское ли безобразие или немецкий способ накопления честным трудом?"

 「まあ、現実にロシア式の滅茶苦茶と、ドイツの誠実な勤労による蓄財方法と、どちらが醜悪なのかいまだにわからないでしょう?」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豆腐

2010年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 肥満大国USAで日本食が健康に良いと広まった時代、その先陣を切って普及したのが豆腐でした。

 日本の代表的な食材として豆腐はUSAから世界にかけて広まっていきました。

 日本人ならうすうす気がついていることでしょう。豆腐は日本発祥ではなく、中国から渡来してきたものです。

 中国の北方。万里の長城から北は遊牧の民の暮らす土地でした。遊牧の民は栄養がありおいしい特別な食材を持っていました。牛や馬の乳を発酵させたもので、中原の民はこれを乳腐と呼びました。

 乳腐を今で言うならヨーグルトやチーズ。日本語の醍醐味の「醍醐」もヨーグルトのことだと言われています。

100527  乳腐を食べた中原の民は、何とか自分達の土地でこれを作れないものだろうか?と考えましたが、騎馬民族のように獣の乳を食する文化もありません。そこで創意工夫を重ねて大豆を茹でてすりつぶした絞り汁に岩塩を加えるとそこに沈殿物ができることを発見しました。

 そこで年月をかけて岩塩の中に含まれる不純物(にがり)に豆乳の成分を凝固させる作用があることを突き止めたり、豆腐を用いた料理が数多く作られました。

 多分、豆腐は保存食として用いられたのではなかろうか?と考えていますが、豆腐を発酵させた食べ物があります。文字面から腐らせたのもがわかりますが、さらに腐り豆腐でチーズに似た味がします。

 牡丹江のレストランでハルビンスタッフが食べさせてくれたのですが、匂いは日本で言うならクサヤの干物に似ていて、はっきり言えばウ○コの匂いです。

 うまいのかまずいのかそのときはわかりませんし、みんながわいわい騒ぎながら食べる代物ですが、しばらくたってからいい味だったなぁと思い返しています。もう一度食べてみるかと言われれば、できれば食べたくないけれど、あの味わいがなぁと複雑な気分です。

 豆腐を保存食にしたものでは凍み豆腐、高野豆腐などの乾物にした豆腐が日本では有名ですが、中国にも豆腐を干物にしたものはあります。夏の暑い時期に日干しにすれば豆腐は水分が大量にありますからすぐに発酵して腐ってしまうでしょう。日本同様寒い季節に作るのだと思います。

 高野豆腐の由来は高野山のお坊さんが豆腐を買って帰ったところ、寒さで豆腐が凍ってしまい、それを溶かそうと天日に当てていたらフリーズドライの高野豆腐が出来上がったと聞いていますが、高野山にお参り行った時、どこにも高野豆腐の製造所を見かけませんでした。高野豆腐は空海が唐から持ち帰った技術かもしれません。

 もっとも有名な中国の豆腐料理といえば麻婆豆腐でしょう。四川省の麻という婆さんがこの料理を特にしていたので麻婆豆腐の名前がついたと言われていますが、日本では四川省出資の料理人の陳健民が広めたと言われています。

 四川料理には八角という香辛料がよく用いられ、本場の麻婆豆腐はこの匂いがきつく日本人には簡単になじめないと思います。陳健民は柔軟に日本人の口に合うように料理を改良して言ったといわれていますが、八角もこうした成長過程で省かれたのかもしれません。

 八角のない四川料理は視線の味ではないと言う人も多いでしょうが、八角を取り除くことで四川料理が世界に普及したとも言えます。郷に入れば郷に従え、状況によって柔軟に自分を変える。些細な変更では揺らがない奥行きがあればこそ、中国料理が世界に広まった所以です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉子焼き

2010年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーロ

2010年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 ガソリンの値段が高くてドライブにも行けないとロシアの友人からメールが来ました。「なぜこんなに値段が高いのか?」と聞かれても、ロシアを中心とした産油国が生産調整して値段を吊り上げているからです。

 ギリシア経済破綻の始まるユーロ圏の不信感でユーロが暴落していますが、スペインの小さな銀行の破綻から株価暴落が日本にまで影響を及ぼしています。
 夏のバカンスシーズンになるとロシア人が長期休暇をとってギリシアで過ごすことが多いこの何年かですが、「ギリシアは血難が悪くなっているから、この夏はあまり人気がないみたいですよ。」と言ってます。ロシア人に治安が悪いといわれると”そんなにひどいのか?”と思ってしまいますが、度々テロ事件がおきているモスクワのほうが「まだ安心」と彼らは思っているようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気

2010年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 米軍基地移転問題で昨日鳩山首相が沖縄に行き県知事と面談しましたが、どっちが一国の所首相かわからないような情けない有様でした。
 中国やロシアの首相がこんな体たらくを見せたら、各地でテロ勃発間違いなし。
 抑圧されていないこともありますが、日本人って温厚で紳士だよね。

 それにしても、この問題になると少子化担当大臣がえらそうに出てきますが、肝心の少子化対策はどうなっているのだろう?

 全体のことなど考えないで自分の心地よいことばかり言い立てて我を通す、それなら、はむかってくる国に対して自分の意見を押し通すだけの度量があるのか?と問われれば尻込みする。ある種、現代日本人の悪いところを寄せ集めたような政府にも思えます。

 ”Je suis malade”フランス語で「僕は病気だ」。セルジュ・ラマの名作です。日本のシャンソンでは「病の果てに」なんて題名で歌われています。
 ロシアのアリーサ・タラバロワがフランス語で歌ったバージョン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空を飛ばない絨毯

2010年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

100523  アレックス君にイラン土産のペルシャ絨毯をもらいました。「イランの絨毯はアラビアの絨毯みたいに空を飛んだりしないから安全だよ!」

 秋ごろにイランへの里帰りを予定しているものの「いつ戦争になるかわからないから帰るに帰れない。」と言っていました。

 彼のお父さんはギリシア人で、ギリシアは共産化した時にイランに逃れてきた人ですが、ユーロ圏に加わる前に既に経済破綻していたギリシア、今回のギリシア経済破綻によるユーロ暴落などいわば結婚詐欺のようなものですが、とりあえずギリシアのほうは落ち着いてきたそうです。そのかわりスペインやポルトガルなど、経済破綻予備軍が多数出てきたので、当分はユーロも落ち着かないのでは?という話になりました。

100523a  できれば日本と同じ組でサッカーワールドカップの一次予選をするオランダとベルギーとアフリカのセネガルに何か起きてくれるとありがたいのですが。

 昨年末に娘が生まれ父親になったアレックス君。「子供を育てるのに日本は安全ですし、今まで行ったどの国よりも日本は僕たちに親切ですから、ここで娘を育てたいと願っています。」と語っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 真夏のように熱い一日でした。これから梅雨前線が北上して入梅が近くなりますが、過ごしにくい季節に突入します。

 ウラジオストクもこの春は寒い日が多く、家庭で作っている野菜や花などが育たないようです。緯度が高いので梅雨前線こそかかりませんが、6月から7月にかけては雨が多くなるのはウラジオストクも同じで、街は霧に包まれることが多くなります。

 霧雨の街はそれなりに綺麗ですが、いつのまにかびっしょり濡れてべたつくので良し悪しかな?

 Утро туманное 朝霧

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脚気

2010年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ疲れがとれないというのか、だるくなることが多いので、野菜を多めに食べるようにしています。こういう時に限って野菜が高いのが頭に来ますが、山村に住んでいるとそう嘆くこともない。山菜の季節です。

 夕方、ちょこっと家の周囲で晩飯のお供を採取してきます。

 栄養状態が良くなった時代とは言え、バランスを欠くことはあるもので、過去の病と思われていた脚気がこの現代でも多々あるのだそうです。

 脚気がビタミンB1の欠乏によって発生する病気であることは、いまや小中学生でも知っているほど有名な事実ですが、100年もさかのぼれば原因不明な奇妙な病気だといわれていました。

 かつては健康検査などでひざ頭などを叩いて反応を見る検査が必ずありましたが、これは脚気の検査でした。手足がしびれ体がだるくなり、歩けなくなり、突然胸が苦しくなリ、心臓麻痺を起こし死んでしまう恐ろしい病気ですが、ビタミンB1を補充していれば発祥することもない病気です。いまや食生活もバラエティー豊かになり脚気も過去の病気として忘れかけていますが、現代の過労死と呼ばれる突然死した人たちに脚気の兆候はなかったのでしょうか?

 脚気の克服に全力を尽くしたのはオリザニン(ビタミンB1)を発見した鈴木梅太郎ですが、ビタミンB1と脚気の関連性を認めさせるために並々ならぬ苦労をしました。農学者という分野が違う人でしたので、認めてもらえず、最後は自ら偏った栄養で脚気になり、ビタミンB1を含む食べ物を食べて治して見せるという実験をしました。

 脚気は江戸病・大阪病などといわれ都会の金持ちのかかる病気といわれていました。当時、100%白米など一般人の口に入るようなものではありませんでした。麦稗粟の雑穀を混ぜ、量をふやして食べていましたのでこれが幸いして健康的なミネラルバランスの食事となっておりました。

 明治になり軍に入って初めて100%白米を食べた人も少なくなかったそうで、そんなにうまいものをいきなり食えばほかのものなど目にくれず腹いっぱい食べてしまいます。飢餓感が現在と違いますので、来る日も来る日も白米だけでも苦になりません。結果・脚気になります。

 脚気は森林太郎(森鴎外)の主張したように伝染病なのか、西洋にはほとんどなかったので東南アジアの風土病なのか正体も分からぬ病気でした。

 脚気が食べ物と関係しているのではないかと注目した人に高木兼寛という海軍軍医がいました。「白い航跡」(吉村昭著・講談社)に高木兼寛の生涯が描かれています。英国のロンドンの医学大学に学んだ人物ですが、当時の日本は東京帝国大学・ドイツ医学の権威の壁が立ちはだかっていました。

 当時、コッホに代表されるドイツ細菌学が医学界に革命をもたら開いていた時代で、結核菌・コレラ・ジフテリアなど次々と画期的な発見がなされていました。病理学的なアプローチが当時の権威者達の観点でした。一方高木兼寛が学んだ英国は種痘を考案したジェンナーに代表されるように、どうすれば病気を防げるかと突き詰めていく逆アプローチをとっていた臨床学的な医学体系の国でしたが、日本では権威者達の主流ではありませんでした。

 海軍では仕官に脚気が発病せず下級兵士ばかりに発病することに注目をしました。仕官は洋食を食べていましたが、下級兵士の食事は白米だけで、副食は費用としてお金が支払われ、それで好きなものを買って食べることになっていました。ところが、何しろ育ちが育ちなので、配給されるうまい白米と漬物の2-3切れがあれば満足してしまいますから、副食の手当ては使わずに貯めておく人がほとんどでした。

 高木兼寛は海軍の船一隻を使って途方もない大実験を試みます。かつて多数の脚気患者を出した航路を、食事の管理をして再びトレースし、脚気が食事に関係していることを突き止めます。

 ところが、陸軍の軍医たちにすれば病気の原因の追求(ビタミンB1はまだ認められていなかった)を二の次にした高木兼寛の脚気退治などまったく無意味と高木潰しにかかります。その急先鋒が森林太郎でした。学会で非難をしているにはかまわないのですが、現場にまでその遺恨試合を持ち込んでしまったものですからたまったものではありません。

 陸軍としても脚気の被害は甚大でしたし、高木兼寛と海軍の食事改良運動にも興味をもっていましたので、現場の指揮官や軍医の中には独自に麦飯の導入などをした人もいましたが、森林太郎を筆頭とする陸軍軍医上層部はこうした試みをことごとく妨害し白米至上主義を押し通した結果、日清戦争では脚気で4000人近くの死者を出し、そのまま突入した日露戦争では作戦に支障が出るほどの脚気患者を増発させてしまいました。

 権威に固執するあまりに柔軟さを欠いてしまったがゆえに起こる悲劇を私たちは何回も目にしてきたことだと思います。そうならないように視野は広く持ちたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学生

2010年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 地元の中学校のマラソン大会に行ってきました。5月マラソン大会をやるようになって3年目だと記憶していますが、生徒数の減少には驚くばかりです。

 少人数になれば行き届いた教育ができるのか?と考えて見ましたが、そうでもなさそうです。

 何だ?この覇気のなさは?だらだらしていてだらしない!かわいそうだけど、この連中では海の向こうのしたたかな同年代の子供達に太刀打ちはできないぞ!危機感以前に絶望感さえ漂いました。

 選手宣誓をする生徒が背中を丸めてだらだらと走ってきて、滑舌の悪いだらだらした喋り方で島もつっかえつっかえ宣誓をする。ちょっと前なら教員から「もう一度やり直し!」と怒鳴り声が飛んできたものですが、教える側もやる気はなさそうです。いつのまにこんなに溌剌としていない中学生ばかりになってしまったのか?利発そうに見える生徒がいない!

 競技中、コースの一部に歩行者専用道路画はいっており、この部分は救護車が入れないので、男性教員が生徒と一緒に走っていましたが。真ん中あたりを生徒と一緒に掛け声掛けあいながら走っているだけで、誰が最後尾なのかわからない。最後尾らしい生徒が走ってきたので、「アンカー折り返し地点を通過」と無線で報告し、折り返し地点のパイロンを持って移動しようと思ったら、さらにそれより遅い生徒が走ってきました。まさか「あんたがビリ?」とも聞けません。

 16日の日曜日、三国峠のゴミ拾いに中学生達も参加してくれたのですが、去年、今年と時間内に目的地まで到達できず、ワゴン車で連れてきてもらう生徒達が多数出ました。一生懸命ゴミ拾いしてくれているのですが、余計な場所まで足を踏み込んで時間をかけるので、結果として最後の部分は人手不足で拾い残しのゴミがたくさん出ていました。

 全体の中で自分がどのくらいの位置にいるのだろう?時間軸を考えれば足を止めてよい場所か進まねばならない場所か判断つきそうなものですが、この一団に同行している教員も何も言わない。一生懸命やっているということは評価しても、全体の流れが読めないことで列が大きく間延びして、通行する自動車にも迷惑がかかるし、歩行者にも危険が増えていることまでは頭が回らない。

 どうもおかしい?との懸念はこの時からあたので、今回のマラソン大会で”指導する側の思慮も足りない”と確信しました。さらに、親!自分のことしか考えていないようで、「躾け」という字をよく見てみろ!と言いたくなる思いがしました。

 何だろう?自らの意志で動いている生徒がいないような不気味さを感じましたが、世の中が必要とする人間になれるのだろうか?これだけ人数がいれば一人二人名を成す人物が出ることでしょうが、後の大多数はそれにおぶさるだけで、娑婆にもぐりこむこともママならない青年に育ち、後進国から来た若者にはじき出されるような危うさを感じてなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改造人間

2010年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年末、心臓にペースメーカーを埋め込んで改造人間になった知人に会いました。走ることが趣味だった人ですから、心臓疾患は皮肉な持病です。

 かつてのような無理はできないものの、日常生活には特に問題がないとか。年金生活者になったこともあり、がつがつしないで生活しようと考えているそうですが、ペースメーカーを埋め込まなければならないと知った時にはさすがに人生を考えたそうで、「もう終わりかな?」と諦めもあったそうです。

 今まで体を動かすことが楽しかっただけに、趣味の転換もなかなか難しいようで、「楽しいと思うよう心がけている」と苦笑していました。

 手術後いろいろ考えていた中で、「人間は電機で動いている」という事実についてで、もちろんペースメーカーという電気器具のこともありますが、神経を流れる伝達物質も微弱な電気ですから、実は自分の体が小さな発電所だったことに気がついたそうです。

 医師にスポーツも停められているので、新しい楽しみをもつけるために試行錯誤しているようですが、このチャンスに新しい発電システムの構築など頭を捻ってみてはいかがでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三種の神器

2010年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の神道では「三種の神器」と呼ばれるものがあります。八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)・草薙の剣(クサナギノツルギ)・八咫鏡(ヤタノカガミ)の三つです。これは国を維持するために必要な経済力・武力・知力の象徴と言われています。

 この三つのバランスが取れないと国は滅びてしまうそうで、太平洋戦争前の日本もこの三つの力のバランスが崩れたときに戦争に突入せざるを得なくなったことがありました。

 最先端の科学力を持ち、世界を二分する兵力を持ったソ連も勾玉(経済力)の衰弱によってバランスを失い、地図の上から消えてしまいました。

 経済発展著しい中国ですが、知的所有権侵害問題が常に付きまとう国ですし、軍はシビリアンコントロールされていませんし、軍備拡張に熱心な国なので、今後のことを思えばこの偏りが足を引っ張る事は懸念されます。

 どれかに特に秀でていなくても、バランスの取れた国は安定しているものです。日米安保の核の傘の下にいる日本ですが、とりあえずこの三つのバランスが取れている国ではないかと思います。

 なぜ、八咫鏡が知恵の象徴かと言うと、鏡で己を見て己を知ることが知恵であり、知性なのだそうで、知的な人と言うのは自分自身を良くわきまえていることなのだそうです。つまり、心がジェントルマンであり、レディーであること。ここんとこ一番重要なので、お互いくれぐれも見落とさないようにしていただきたいものです。

 日がな一日鏡を眺めている妻に、「鏡は己を知るためにあるもので、己を飾るためにあるのではない。もっと精進めされ!」と言いたい気持ちをかみ殺し、「そろそろ出かけないと時間に遅れるんですけど、もう準備できましたか?」とお伺いを立てなければならない悲しさも、己を知るが故かもしれません。

 八咫鏡と勾玉、しばしば日本人が過信しているお宝です。三種の神器は「器」とあるようにあくまで道具、マテリアル。それらを生かすも殺すも心次第です。包容力のある大人の心をくれぐれもお忘れなく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍馬伝

2010年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 平井収二郎切腹しちゃいましたね。と、話題にしているのはNHKの大河ドラマ「龍馬伝」。歴史ではこれから土佐勤皇党の粛清や各藩の攘夷派弾圧が始まり、武市半平太切腹、人切り以蔵打ち首、龍馬はお龍と出会い、最後は暗殺されるわけですが、歴史どおりに物事が進むのがNHKドラマ。それでも見てしまう。

 2年前の「篤姫」では原作にもほとんど出番がなかった小松帯刀がいい存在感を見せていましたが、時代の変化とは面白いもので、ほとんど知られることがなかった小松帯刀の業績が再評価され、着目される時代になったということ。

 幕末から維新にかけて活躍した人たちの面白いところはその時代時代に合わせて妙にぶれることで、坂本龍馬などぶれまくっていましたが、大きな目標としての「新しい日本」と言う目線だけはしっかり持っていました。

 武市半平太率いる土佐勤皇党はぶれることができず、自分の信念につき従ったがために、最終的に弾圧されてしまいます。時代の変化を見抜くことができなかったのが悲劇だったのでしょうが、上り坂を登りきった後の下ることへの難しさなども感じます。

 混沌とした時代、ぶれることは恥ずべきことではないと思いますが、大きな行く先だけは見失いようにしないと、ただ単にぶれて迷走している(責任逃れで迷走しているのか?)現政権のようになってしまいます。

 ところで、龍馬伝のオープニングミュージックで女性の歌声が入っていますが、オーストラリア人のリサ・ジェラルド。大河ドラマで外国人がテーマソングを歌うのは初めてらしいのですが、歌詞は特になく、思いついた言葉に似た言葉で歌っているのだそうです。

 味のある歌声です。

<object

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする